コメント
凄惨な事件が起こり、その加害者に怒りが向かうのも人の情というものかもしれませんが、本当にその事件を憎み被害者またはその家族に哀憐の情を思うなら、やはり秋葉原さんの書かれている通り、その事件から1つでも多くのことを学び取り、二度と同じような事件を起こさぬよう考え、尽くすべきなのですよね。
ですが、マスコミは面白おかしく、事件の凄惨さや被害者感情をいたずらに煽り立てるだけですし、また我々にしても、そこまで深く思慮が及ばないことが少なくないです。
げに、人が起こす犯罪、事件に思い及ぶことは難しいです。
ネット上でひたすら被害者感情に身を任せ、善意を騙り、無責任に死刑だ極刑だと大声で宣う連中は論外ですが。
井上静氏が面白い指摘をしています
リンク先だけを張っておきます。
http://ruhiginoue.exblog.jp/17644076/
松井自称知事には絶対に分からないでしょうね、この柔軟性は。A容疑者は境界性パーソナリティ障害の可能性もあるとの指摘もあり、この事件を冷静に分析する必要があるのですがメディアは商業主義ですから被害者遺族寄りなんでしょうね。
それで、変なところでは加害者寄りなんですからまったく理解できません。この事件を取り上げていたニュースサイトでは被疑者を死刑にしろと言うバカな暴言が多数で私は吐き気を覚えたほどです。
真相が分かっていないのに集団リンチするとはもってのほかじゃないですか。
冷たい社会だから
同じ社会に生きているのですから関係ないわけがないです。
社会と個人が関わり合い良い影響も悪い影響も与え合って生きる中で
自己完結している人間など1人もいないのに、困って死ぬときは自己完結だ などと
都合が良いにも程がありますね。そこに至る過程に確実に社会は関わっています。
「あなたの不幸は私たちには関係ない」 犯罪が起きる度に
そういった声が聞かれますが、そういう意識の蔓延する社会だからこそ
「関係ない」からこそ 自殺の手段としての殺人も起きるのだと思います。
社会と個人との正常な関係性 個人の幸せの集積が社会の幸福であり1人も欠けてはならない
ということを訴えるべき場面で まるで真逆の発言ですよね。
まずは被害者のご冥福をお祈りし、ご遺族の方々にお悔やみを申し上げます。
またやりきれない事件が起きてしまいましたが、松井知事の発言とそれを支持する人たちの声に救われない気持ちになってしまいそうです。
「止めようがない」って、止め得る状況(セーフティネットの充実)を作るのが政治家の仕事だと思ってたんですけどね。今回の事件は自分たちの力量不足を恥じ入りこそすれ、「自己完結しろ(これは”自分たちの目に触れないところでひっそり消えていってくれ”って事ですよね)」とは、これはもう公的支援ネグレクト宣言としか解釈できないのですが。
吉田正純さんのツイートともかぶりますが、おりしも生活保護に対するバッシングが巷間賑わす中でこの発言。
実際に窓口に行って生活保護=公的支援を受ければ政治家も一緒になった社会的なリンチが手ぐすね引いて待っていて、それを恐れて公的支援を避ければ路頭に迷うしかないという、どっちに転んでも希望がないこの社会状況で、「窓口に来ればよかったのに」とは…orz
これをその暴力性の自覚なしに言えてしまうあたり(自覚していたら最悪ですが)、もう本当にどうしようもない感じです。
社会に対する疎外感
事件の悲劇性に悲痛の声を挙げるどころか、自殺するのだったら一人で勝手に自殺すればよい。この発言は、この政治家が自らの本質を語った言葉として、後生に残るでしょう。しかしこれこそ政治の自殺行為です。
明らかなのは、加害者の社会に対する疎外感が犯行につながったことです。自分が属する社会が他者に感じられたのです。秋原さんがおっしゃったように、その負の衝動が外(社会)に向かって表出したのです。内にこもった負の衝動は自殺に向かうでしょう。負の衝動の多くは生活苦によるものです。それは弱者切り捨ての政治が生みだしたものです。民の社会に対する信頼をつくることは、古今東西を問わず政道の基本です。
しかしこの発言は、これまで何度となく耳にしてきた、殺伐とした発言と同根であると思うのは私だけではないと思います。橋下氏を初めとした維新の会の発言、君が代斉唱拒否者の人権侵害、河本氏をスケープゴートとした生活保護へのバッシング等々。
その根はもっと以前、小泉政治の「自己責任」から始まっています。そして小泉政治は「勝ち組・負け組」を産み出しました。その影響を受けたのが、現在の刺々しい発言をする政治家や評論家たちだと思います。
フランスにいる私には今、この国の政治家が好んで使う「連帯」という言葉が、なんとも快く聞こえるのです。連帯という言葉は、自由(権利)や平等に結びついています。ですから、社会に対する信頼も生まれるのです。連帯は、人を動かす力をもっている言葉です。
フランスでは、万が一このような発言をする政治家がいたら、その夕のニュースを、翌日の朝刊を騒がすでしょう。もちろんスキャンダラスなニュースとして。
犠牲者と遺族の方へ
最初に、犠牲者の方のご冥福と、遺族の方へのお悔やみを申し上げるべきでした。犠牲者の方の無念と、ご遺族の悲しみをお察し申し上げます。
行政批判するだけで、あなたが思う具体的な対策を書いていないのは無いですね。
実際あなたは行政にどこまで任せてるのかや、あなたが思う行政の自殺志願者にたいする
対策案を詳しく教えて頂きたいです。
というか、ブロゴスレベルの全国的なプラットフォームに載せるのなら、それくらいは最低限必要だと思いますが。
最近はあなたのような批判するだけの残念な人も増えてるので、本当に残念に思います。
批判なら誰でもできます。
返答よろしくお願いします。
>ブロゴス拝見さん
出ました!お決まりの「対案を出せ」攻撃w
とか何とか以前に、いやしくも行政の長たる人間が、殺人事件容疑者とはいえ自殺志願者に対して「死にたければ死ね」と公に発言したことに批判以外の何が必要なのですか?
「もっとこういう言い回しをした方がイイですよ~」と、優しくアドバイスでもしてやれとでも?
それにしても松井とかいう輩は典型的虎の威を借る狐だね。
ボスの歓心を買い、自らの存在感を誇示するためにここぞとばかり口にしたのでしょうが、いかんせん中身が居酒屋のオヤジレベルだったというオチ。笑えない・・・
質問です。
もし、今回の事件の被害者が自分の愛する人だったら?
「政治、社会が悪いから」と、納得できるのですか?
松井知事の発言は、被害者の立場に立った、人間として当然の感情が込められたものだと思います。
yuzoさんへ
「もし、自分の愛する人が被害者だったら」、当然犯人を憎みます。可能なら自分の手で、と思うでしょう。
あなたの仰る通り人間として当然の感情です。
ここに書き込まれる方誰もがそうだと思います。
ですが周りの人間がただただ、被害者と同じになって感情的に犯罪者を糾弾するだけで本当に良いとお思いですか。
少なくとも秋葉原さんは二度と同じような悲劇を繰り返してはならない。その為にどうすれば良いのか、ということを問題提起し、真摯に思案されているんです。
私も拙いながら自分なりに色々考えているわけです。
何故それがただの犯罪者擁護になるかわかりません。
少しでも凄惨な事件を防ぎたいと思い、考えることがそんなに悪いことでしょうか。
もう一度冷静になって考えてみてもらえませんか?
Yuzo様へ
エントリーもコメント欄にも、犯人擁護する内容はどこにもありません。二人の命を奪った犯人の罪は重いという認識を前提として、二度とこのような事件を繰り返さない視点で皆さんは発言なさっています。
このブログの主題は、ひとつは松井知事の発言です。
松井知事は「自殺するなら他人を巻き込まずに、自分一人で勝手に命を絶ってくれ」と言っているのです。これが行政に責任をもつ者の発言であってよいのかと問うているのです。このような痛ましい事件が起こらないように行政として取り組んでいくというのがせめてもの発言すべき内容ではないでしょうか?エントリーの中にも、生活保護や児童施設など切り捨てておいて、「窓口に行け」というのが腹立たしいというツイッターもありました。
そしてこの事件を生みだした私たちの社会や政治にも目を向けなければならないというのがもう一つの主題です。
今の社会や政治のあり方は、ふたたびこのような犯罪を生みだす要素に満ちています。秋葉原や広島マツダ工場の事件の当時より、もっとこの要素は強まっています。いま生活保護受給者の自殺率は、全国の自殺率の2倍を超えるそうです。弱者を切り捨てる社会ではなく、尊厳と信頼を取りもどす社会にしていくことが、いま何よりも政治と私たちに求められているのです。
エントリーとそれてしまいますが
容疑者が犯した罪は当然許されるものではありません(当たり前です、そんなこと)。その上で事件の背景にも目を向けるべきだと言っているんですよ。そして、自殺対策や再犯の防止など様々な政策に深く関わるべき行政のトップである知事の発言だからこそ問題視してるんです。直接の被害者(家族)ならまだわかりますよ。でも知事ですよ、彼は。
人間の当然の感情(もっとも、何を当然の感情と思うかは人それぞれだと思いますが)とて、立場や場所などをわきまえずに公にすれば批判に晒されるのは当然です。だからその立場や場所を考えれば松井某への批判は当然あってしかるべきなのです。
ちょっと本題とずれますが少しご容赦を。人間は立場と場所によって様々な振る舞いを求められます。そしてそれこそが人間をより文明的な存在にしてきました。昔では当たり前だった差別的発言も、今パブリックな場所ですればその人の人格が問われるのです。しかし昨今ネット掲示板など匿名メディアの発達によって何か「本音こそ素晴らしい」みたいな空気が醸成されたような気がします。文明の発展と共に公的場所から消えていたはずの、我々の心の奥底にある小さな差別意識や野蛮な感情が、匿名性という仮面を借りて再び表に出てきつつあるような気がします。公的な場所で、平気な顔をして差別意識や野蛮な感情を発露する人間が増えてはいないでしょうか。今回の知事の発言に対するネットでの賛辞や、昨今の生活保護受給者バッシング、さらには在日朝鮮人の方に対するネットでの誹謗中傷の嵐など、かつてでは有り得なかったような剥き出しの感情がネットで市民権を得て現実社会にも波及してきたように思います。私にはこのことも大きな問題だと思えます。今回の件で改めてそのことを実感しました。
乱文失礼致しました。
悲嘆を乗り越える“叡智”…
>犯罪被害の当事者ではない私たちが負うべき責務は、そういう原因や背景を客観的に徹底的に追及していくことだと思うのです。
そうでなければ私たちの社会はこういう事件を二度と起こさないための教訓を得ることはできません。
すべて同意させて頂きます。この無念な死と悲嘆を無駄にしないためにも、わたしたちは、社会の在り方、人間の命の尊厳が何より大切にされる“共生社会”をどう構築すべきなのか、真剣に深く掘り下げ、熟考すべきときですね…。
現行犯逮捕された容疑者は、覚醒剤取締法違反で刑務所を出たばかりで、住む場所も仕事もなく自暴自棄になり、死刑になりたくての犯行だったと供述しているそうです。
どなたか「社会のせいにするな。」の旨のコメントを投稿された方が、おみえの様でしたが、………
1. 覚醒剤 2. 失業 3. 住所不定 ⇒ これだけの事象を鑑みた場合、“社会”と全く関係がないと果たして言えるのでしょうか?…。
当ブログ主様の、ご指摘は、当然至極であり、この事件の要諦をしっかりと捉えられてみえると断然支持するところです。
>「死にたい言うんやったら自分で死ね。自分で人を巻き込まずに自己完結してほしいですね。どうしても行政の支援も受けずにこの世からいなくなりたいなら止めようがない」
松井知事のこの発言は、言語道断であると考えます。
自死について現在悩んでおられる方に対する冒涜であり、自死行為の背中を押す酷いものです。
自殺防止が重要な緊急課題になっている現在において、公人たる知事が、自殺を逡巡し深く悩んでみえる方に、「社会に迷惑かけずに、ひとりで死ね…、それが自己完結だ。自己責任だ。知事の俺様の責任ではない。」と、妄言を吐いているに等しいと考えます。
あと、犯罪は、法に則り、証拠・証言に基づいて、冷静に法廷等、司直(司法)が粛々と審理すべきであり、「犯人憎し」のプリミティブに過ぎる吊し挙げ的、仇討ち的、集団リンチ的風潮に、決して組してはならないと強く主張させて頂きます。
>jeanvaljean 様…
>フランスにいる私には今、この国の政治家が好んで使う「連帯」という言葉が、なんとも快く聞こえるのです。連帯という言葉は、自由(権利)や平等に結びついています。
jeanvaljean さんが羨ましいです。わたくしめが心ならず、燻る“棄民国家ニッポン”において、この>“連帯”の素晴らしいふた文字…、とんと耳にしなくなりました…、そうですね…1980年以降、わたしは耳にした記憶がございません。 フランスのオランド大統領と、大ニッポン低国の“どぜう宰相”こと、野田佳彦宰相と、トレードしてみませんか?…。野田君のほかに、数名の国会議員をお付けしますよ…、適当に見繕いますよ………、(。_゜)〃ドテッ!
これには笑ってしまいました。
お決まりになっていたんですね。
対案なければ正直にそう言っていいんですよ。
案がない批判だけのクレーマーですな。
>ブロゴズ拝見さん
詳しくはこちらをどうぞ
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-891.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1170.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1188.html
さて、この場合あなたの言う「対案」とは具体的に何をさしているのでしょうね?
私は社会からドロップアウトした人間を排除するのではなく社会復帰をサポートするような体制が整った社会がこのような犯罪の発生を抑制する働きをすると考えています。
ひょっとしてどのような社会福祉の政策をとるべきかを具体的にあげることをさしているのですか?
私がここでそのような専門的な政策を上げても行政側が取り上げてくれるとは思いませんし、
だいいちそういう専門的な政策を考え出すことこそまさに行政の仕事でしょう?
そのために行政があるのです。
私たちは行政本来の仕事をしてもらうために高い税金をはらっているのですよ
>jeanvaljeanさん
>フランスでは、万が一このような発言をする政治家がいたら、その夕のニュースを、翌日の朝刊を騒がすでしょう。もちろんスキャンダラスなニュースとして。
それが民主主義国のスタンダードなマスメディアでしょう。
いかんせん日本はこのスタンダードを満たしていないようです
Re: 質問です。>yuzoさん
私の記事を読んでから書き込まれましたか?
どこに犯人の擁護を書いていますか?
Yuzo君およびブロゴス拝見君へ
その上でお間抜けな荒らし君たちに反撃させてもらいます。
君たちの意見もどきを見て一言で言わせていただきますが幼稚そのものです。
最初にブロゴス拝見君へ。対案を出せとかと言う前に犯罪の原因(根本的原因)とは何か君たちは答えられますかな?被疑者は家庭崩壊でオチこぼれたなどの情報を流すテレビだけでは答えられないのがオチですよ。社会全般にその原因があるのは明らかです。我々はその社会の病巣とは何かを考えてコメントしているのです(それが必ずしも一致しない事もありますがそれもブログ上の言論であり容認すべきです)。
君たちはここで意見を出せるだけまだありがたいと思ったほうがいいですな。これが井上静氏のブログだったらそれこそ完全に君たちは論破されますよ(私ですらも目からうろこの発見をするほどです)。これでよく我々をクレーマー呼ばわりできますな。君にそのせりふはそっくりお返ししましょう。これを人は暴言といいネチケット違反です。今すぐここにいる読者全員に誠意ある謝罪を要求します。
Yuzo君、君に言いますが私は今回の事件に関しては嫌悪感を覚えています。ですが、この事件が起訴されて裁判が終わるまでは被疑者へのコメントは公平と公正を期すべく控えると言うのがルールです。そのルールに乗っ取ってここにいる人たちは被疑者への嫌悪感を伏せているのです。
それすら分からないとは私は唖然としています。私のこの指摘がいやならばコメントなんかしないほうがいいと思いますよ。もし、やればここには私より数段上手の青い鳥さん、ふなぼりすたさんなどの論客が控えていて、君たちのお粗末な論を徹底的に論破する事でしょう(笑)。
ましてや、裁判の本来の役割は事件の真相を解明し、その背景にある原因を突き止め社会に教訓として反映させることです。同様の事件で被害者や遺族を増やさないのが裁判の役割なのに果たしたといえるのでしょうか。果たしたのならこの種の事件はなくなっているはずです。果たしていないので私に「スーパーコンピューターに裁判をしてもらえ」と皮肉られているのです。人を感情で裁いた結果この種の事件は後を絶たないと指摘されている人たちの言葉を厳粛に受け止めるべきです。
少しは日本語を勉強してからコメントされる事をお勧めします。
秋原さん、今回のコラムの趣旨に合致しないと判断した場合は承認されなくて結構です(こればかりは管理人の権限ですので)。
>ブロゴス拝見様
>行政批判するだけで、あなたが思う具体的な対策を書いていないのは無いですね。
>最近はあなたのような批判するだけの残念な人も増えてるので、本当に残念に思います。
ブロゴス拝見様の秋原さんへのご質問ですが、私も少し思うことがありましたので書かせていただきます。
ブロゴス拝見様はブログというものをどのようにお考えですか?私は、ネットが発達し、ブログというものが流行るようになって一番良かったのは、無名の一市民が世の中に向けて自分の意見を発信できるようになったことだと思います。それまでは個人の意見は、新聞、テレビ、雑誌というような、かなりの資本力がある媒体に載せてもらうしか、世間に広める方法はありませんでした。有名人ならば雑誌にコラムを書いたり、情報番組のコメンテーターに選ばれて意見を言うことも可能ですが、一般人は一方的にそれを聞かされるしかなかった。(そうした有名人たちも、はたして本当に自由にものが言えて来たのかどうかはわかりませんが)だから、そうしたマスコミで流れて形成されていく「世論」に疑問を持ったり、それとは別の考え持っていたとしても、それを誰かに問うことも、自分と同じ考えの人がどこかにいるのかどうかさえもわかりませんでした。何かがおかしいのでは?と思っても、黙ってそのままやり過ごしてしまうしかなかったのです。
ところで、そうした一市民が、ブログなどで政府の政策などに対して批判や疑問を表明するときには、必ずその代替案を用意しておかなければならいのでしょうか?Aというやり方がダメだと思うならば、それより優れたB、またはCという案を用意しなければなりませんか?そんなことを言われたら、ほとんどの人は何も言えなくなってしまうのではないでしょうか?
たとえば、私は消費税増税と原発再稼働に反対ですが「では増税しないで、この赤字財政をどうするのか?」、「再稼働しないで日本中の電力を賄い、産業を守るにはどうすればいいのか、お前の案を言え」と言われても困ります。むしろ、この30年余りの所得税のフラット化と法人税の減税を絶対の「聖域」にしておいて、消費税増税をする理由がよくわかりません。また、電力については、足りる足りないという計算が、どんなデータを元にどう行われているのか、素人が直接アクセスできるような信頼できる情報もない。というより、私としては、このような番組がNHKでも放映されている中で、あえて原発を稼働させる理由は何なのか、その理由が聞きたいです。
NHKスペシャル「MEGAQUAKEⅡ 巨大地震 第3回 "大変動期" 最悪のシナリオに備えろ」前半
http://www.dailymotion.com/video/xrgvbb_20120609-yyyyyyyyyy-3-y-yyyy-yyyyyyyyyyy_news?search_algo=1
むしろ、説明不足なのは政府の方ではないでしょうか?ほとんどの場合、とことん説明して、相手が納得するまで説得する責任は政府(行政)の側にあって国民(市民)の側にはないと思います。もちろん、良い代替案があるならそれを表明するに越したことはありませんが、市民としては、その説明を引き出すために、批判したり、疑問をぶつけたりするだけでも十分だと思います。
私はいまのところ、幾つかのブロガーさんのところにおじゃまして、言いたいことを言わせていただいているコメンターに過ぎません。いつかはブロガーになろうかとも考えるのですが、政府や大阪市長の橋下氏のような人のやり方を批判するたびに代替案を用意しなければならないとしたら、気が重いです。
>ブロゴスレベルの全国的なプラットフォームに載せるのなら、それくらいは最低限必要だと思いますが。
BLOGOSのようなサイトは便利ではあるけれど、私はその運営には疑問も感じています。はっきり言って、「人の褌で相撲」という気がしないでもないので。どんな団体が運営母体なのかは知らないのですが、別に非営利団体というわけでもないのでしょう?それが特別に権威あるもののように考える理由はないと思うのですが。
>ブロゴズ拝見さん、補足
>というか、ブロゴスレベルの全国的なプラットフォームに載せるのなら、それくらいは最低限必要だと思いますが
もうこの手の質問にはうんざりするほど何度も答えているので、そのうち独立したエントリ-にして置いた方がいいかもしれませんね
ブロゴズへの転載を決めるのはブロゴズのスタッフ様であって、私ではありません。
私はあちらへどの記事を転載するかにつき一切の権限はありません。ただ他のブロガー同様自分のブログを書いているだけです。
ですから「ブロゴスレベルの全国的なプラットフォームに載せるのなら」と仰られても困ります
青い鳥様、秋原様
私はフランス国民でないので、羨ましいと思わないでください。しかし最近の日本は、頭の中に人権の「じ」の字もない政治家が多すぎます。自民党の憲法審議会の委員が「立憲主義を知らない」と平然と言うくらいですから、事態は深刻です。人権に対するバッシングも、目に余るものがあります。人権を尊重しない民主主義などありえません。日本の民主主義が心配です。
秋原様
「絆」は、裏打ちするものがないからでしょうね。連帯は運動の旗印になり、歴史を動かしました。そして国民の共通の価値となりました。旗印となる言葉が日本にも欲しいですね。
>小野 哲 さん…
小野 哲さんの、このご指摘は、ほんとうに重要であると思います。貴殿の物事の本質を緻密に探究される真摯な態度にはいつも脱帽しているところです。人間は社会と相互依存しながら生きているものである事実ひとつをとってみますと、あらゆる犯罪などの事象には、様々な社会的不公正に起因する大元がきっとあるに違いないと推察する習慣を身につけたいところです。
荒らしコメントに見られる稚拙な見解を見るにつけ、ほんとうに憤りを禁じえないところです。
生活保護バッシング、公務員、労働組合などの吊し挙げなどを見てますと、毛沢東晩年の最大の汚点との酷評に晒される“文化大革命”下の集団リンチ・粛清を彷彿とさせるところです。
己は、安全地帯にあるとの勘違いから、ぬるま湯が熱湯に急激に変化し、気がつけば、大火傷を負い、批難の標的に自分がなっているという悲惨が現実となる現在の危険窮まる日本社会で、わたしたちは、もがき苦しんでいるという激烈な恥辱に満ちた自覚を要する時代に在ることを認識するべきでしょうね…。いつまで経っても島国根性ヨロシクの“井の中の蛙”から脱皮し、欧州の様な“共生社会”構築に向けて開眼したいものです。
小野 哲さん…、貴殿の辛辣かつ、啓示に満ちたコメントにより目が覚めました。あらためまして感謝します。ブログ主様の秋原葉月さんの、良質なエントリーと貴重なディスカッションの場のご提供等に対しましても、あらためまして心より感謝申し上げます。
対案を出せという件について。
彼は1960年代において、当時米国で量産されていた乗用車に潜む危険を告発して
いきましたが、様々な嫌がらせも受け、巨大自動車メーカーを敵に回しましたが、
結果的には彼の繰り広げたキャンペーンが、のちのちの自動車の安全性向上へと
繋がっていったことは間違いないでしょう。
さて、消費者の立場からラルフ・ネイダーは乗用車の欠陥、事故の可能性を実証していったわけですが、ある政策に対する批判者に対して対案を出せ、それが出来ないなら批判などするなと要求することは、言わば、ラルフ・ネイダーに対して、文句があるならお前が安全なメカニズムの開発設計をしてみろ、出来ないなら、商品に文句をつけるなと迫っているようなものですね。
それでは、エンジニア以外告発も批判もできなくなっちゃうよ(笑)
そんな馬鹿な話があるかいな
今の世の中
結局ね
Re: 今の世の中>金魚さん
汚染瓦礫も焼却だ~!
>「対案を出せ」とおっしゃる方に
ところで、お悔やみの言葉や気持ちが見えてこない方々が「対案を出せ」と書いているのには違和感が残るのです。
葉月さんは「もし、私たちの社会が一旦社会からドロップアウトした人間をしっかりサポートする体制が整った共生社会であったのなら」と書いていますが、これが立派な対案ではないでしょうか。
私の「対案」、あるいは、「対案」のための考え方でよろしければ、どうぞ。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2343.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2238.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2160.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2019.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1513.html
muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1512.html
最後にもう一つ。「被疑者を死刑にせよと口に出さない」ことを「被疑者を擁護している」ということと同じ意味だと思い込む方は、この世にはいろいろな考え方や感情表現のあり方があるという単純な事実を知っていただきたいと思います。
要請文書を出しただけで
しかし,大阪市の『教育条例(教育行政基本条例・学校活性化条例)の拙速な議決をしないで!』と保護者団体が文書を出しただけで…そのブログのコメント欄には激しい攻撃が。
→http://yurihinana.blog.fc2.com/blog-entry-234.html
読んでいて,ここのブログ主さんがお気の毒になりました。
ここでも,攻撃主はやっぱり「対案は?」路線なんです。
しかも,よりによって子の保護者と名乗る方が,次のようにコメントしています。以下引用です。
>私は正直、橋下さんのこの条例案がもたらす結果がどう出るか、分かりません。
>でも、誰にも分からないと思いますよ。
>アナタ方はそれこそ一方的に「良くなる筈がない!!」と声高に叫んでおられますが、
>どこにそんな根拠があるのでしょう?
>悪くなるかもしれないし良くなるかも知れない。
>どっちもどっちだと思います。
>ただ、大阪の教育現場が旧態依然ではどうにもならず、 状況が悪くなるばかりだったからこそ出た改革案ですよね。
>あーだこーだ文句ばかりおっしゃるのなら、 みなさんで
>「教育現場が間違いなく改善されて全ての子供が笑顔で、平等で、豊かに育つ、ともに寄り添えるような理想の将来がやってきます条例」を
>ご提案されたらどうでしょう?
>傍から見ればアナタ方は反対するしか脳のない、 ただのクレーマーペアレンツの集まりですよ。
>もう少し建設的なご意見やご提案をされた方が、大阪市の教育現場や子供達のためになるんじゃないですか?
>私は、そんな意見も提案も出せないので、反対もしませんし、賛成もしません。
引用終わり(この後もコメントは続いてますが)
……。
フリスキーさんと同じ反論が,このコメントの後,同じコメント欄で複数の方からなされていますが,↑の批判をした人は,ゼンゼン聞く耳を持っていない
ようで,この後も攻撃しまくりです。
「対案がないなら,意見や提案,反対も賛成もしないのが普通だ(ワタシはそうよ!)」とホントに思っているようです(つまり文句あるなら対案出せと)。
こんな人が保護者に多いから,学校選択制のフォーラムがあっても無関心と区の担当者に言われてしまうのでしょうか(反対でも賛成でもないから欠席?)…
とても悲しいし,なんだか悲観的になってしまいます。
秋原さんは,ブロゴスによく記事が掲載され,読者が多いため,批判や非難のメール(コメント)もたくさん受け取られているのではと危惧するのですが,
そういうのを受け取ってもめげない心の強さを持つ秘訣は,何ですか?
私は未だにブロゴスの「教員評価(相対評価)を公表する愚」のコメント欄を読む勇気がありません(泣)。
秋原葉月さんへ
◯ブロゴス拝見様の秋原さんへのご質問ですが、私も少し思うことがありましたので書かせていただきます。
→ごめんなさい。あなた方に聞いていませんので。
秋原葉月さん
この場合あなたの言う「対案」とは具体的に何をさしているのでしょうね?
→クレーマーに何を言っても通じないというのはこの事ですね。
よくわからないころからリンクを引っ張ってきて、「コレを見て勉強してください」的な投げやり感。。
あたかもその記事が正論のように言う事自体、意味がわかりません。
私はあなたの答えを聞いているのですが、自分じゃない言葉で相手を納得させられると思います?
そんな適当な人間とはこれ以上は付き合えないです。
もっと自分の発言に責任を持ちましょうよ。
「私がここでそのような専門的な政策を上げても行政側が取り上げてくれるとは思いませんし」
→何か政治家に直接アプローチしましたか? 市議、県議、国会議員、簡単にアプローチできますよ。あなたの街にも事務所ありますよね? 生の声を聞いて現状を知りましょう。
それをご自身でしっかり確認を行ってから物事言ってください。
私たちは行政本来の仕事をしてもらうために高い税金をはらっているのですよ
→これは皆平等。 理由にならない。
これからも意味ないクレーム頑張ってください。
これにて失礼します。
知事発言よりももっと俺たちを楽しませることを書け、ですか?
それに対して、どうやら信者さんとおぼしき方から対案が書いていないという「批判」(?)があるようです。
そういう批判が的を得たものではないことも、既に多くの方が指摘されておられます。
そこで、「対案」を出せとおっしゃる方にお聞きしたい。
そもそも松井知事の発言は何を目的とした「案」なんですか?
知事がああ言えば、今回の容疑者のような人は「自殺」を思いとどまるようになるのですか? あるいは、知事の言う様に「自己完結」するようになるのですか?
私にはそんな効果があるような「案」とはとても思えませんね。
他人に「対案」を出せと言うなら、自分がまず「案」を説明する責任を果たしていただきたいものです。
==
で、実際のところ知事発言が何をするための「案」だったかと言えば、ああいう信者さんに刹那的なカタルシスを味あわせるためという目的以外、私には思いつきませんね。
そんな目的のために、人の命を利用するのは間違っていると思いますし、『知事発言よりも、もっと俺たちを気持ちよくさせる「対案」を書け』なんて要求に、他人が応える筋合いも全く無いと、私は思います。
ダメだこりゃ
彼らの反論(イチャモン?)を単純化するとこうなります。
「松井の発言は知事として不適当」<『対案を出せ(ムキッ)』
「事件の再発防止にはドロップアウトした人々に対する社会のサポートが必要」<『犯人を擁護する気か(ムキッ)』
どうです、見事に会話が成立していません。
自分の思想・信条にそぐわない言説に触れると的外れの議論をふっかけて来るのです。
近年、このような論点そらしの手法を意図的に用いてきたのが小泉以降橋下に至る至るネオリベ連中です。
人間の心理の深層に醸成された不安や嫉妬を攪拌することで選挙民の支持を取り付け、議論を尽くすという民主主義の大前提を蔑ろに「選挙結果は民意」と嘯いて反対者を罵る。その様をネオリベの元締めである財界の代弁者たるマスコミが煽る。
悲劇、いや喜劇です。ペテン政治家が先か衆愚が先かはともかく、日本の政治レベルは堕ちるところまで堕ちてしまったようで、「だめだこりゃ」などとふざけていられない薄ら寒い状況ではありますが・・・
対案にこだわる皆様に
ニッポン型ヒツジちゃん的民主主義の牧羊犬のおつもりなのでしょうか
BLOGOS登録は他薦でも構わないようです
http://blogos.com/guide/blogger/
>BLOGOSは、自分の意見を多くの人に届けたいブロガーの「読まれる可能性」を広げます。
> 自薦・他薦、プロ・アマも問いません。
つまり、誰かに(もちろん、好意でだろうとは思いますが)推薦されたら勝手に載せられてしまうということでしょうか?たしかに、自薦だけではなかなか人気のあるブログは集まらないでしょう。
秋原さんも「参加ブロガー」としてBLOGOS登録されていますが、御本人のお話からすると、おそらく他薦でしょう。ブロゴス拝見さんはその辺も誤解されているのではないですか?(私もさっきまで、「他薦あり」を知らなかったので、どういうことなのだろうと思っていました。)もし、そうなら、記事内容について批判するのは構わないと思いますが、「あのような立派な(?)ポータルサイトに自ら登録しておきながら、その自覚がない」というのは、当たらないと思います。この前も似たようなことを言われている方がいましたが、一度はっきりさせておいた方がいいかもしれません。
ところで、BLOGOSの「人気ブロガー」の欄にある5人を見てみました。つまりはあそこで支持されているブロガーさんですね。
http://blogos.com/blogger/
武田邦彦先生はまあ、わかるような。chikirinさんという方は、お名前はどこかで聞いたけどよく知らない。やまもといちろうさん、ねえ・・・
池田信夫氏・・・。あれれ、なんと橋下徹氏がおられるじゃありませんか!
ああ、なんとなくね。秋原さんがあそこで叩かれたりするの、ちょっとわかりました。でも、各記事の「支持」の数字をみると、みなさん、秋原さんと比べても、さほどに「支持」されているようでもないような気もするんですが・・・もしかして、秋原さんも、もうすぐ殿堂入り?w
>ブロゴス拝見君…
>これからも意味ないクレーム頑張ってください。
これにて失礼します。
なにかね?…、ひょっとしたら、君は、池乃めだか師匠かね?…。(。_゜)〃ドテッ!
ブロゴス拝見さんのクレーム批判が「意味ない」クレームになっちゃってますよ
ブロゴス拝見君、君は魯迅に負けた
君にはこの短文を贈りましょう。
犬の反駁 魯迅
私は自分が隘路の中で歩いている夢を見た。衣服も靴も切れ切れになり、まるで乞食みたいだった。
背後で一匹の犬が吠えだした。
私は傲慢に振り返って、怒鳴りつけた。
「わん!黙れ!この現金な犬!」
「ふっふっ」彼は笑いながら、言葉を続けた。「おそれいります。人間さまほどではありませんよ」
「何だと!」私は憤慨し、これはきわめて侮辱的なことのように思えた。
「お恥ずかしい話です。私はついに銅と銀の違いを知らなかったし、布とシルクの違いも知らなかった。官と民の違いも知らなかったし、主人と奴僕の違いも知らなかった。そしてあれも……」
私は逃げ出した。
「お待ちください!もっと話を……」後ろの方で、彼は大声で私を引き留めようとしていた。
私はひたすら逃げた。夢から逃げ出し、自分が横たわっているベッドまで懸命に走り続けた。
一九二五年四月二三日
(週刊「語糸」1925年5月4日第25期)
もしくは、イソップ物語の「すっぱい葡萄」がお似合いでしょうな。
犬の反駁を君は地で行ってしまったので負けを認めたくないからあんな吐き台詞で終始したのでしょう。それでも、君は負けています。
私の問いかけにまともに答えず秋原氏に的外れなコメントをしてあっさり論破され青い鳥氏にも完膚なきまで論破されているのです。君は敗北を認めそこから再出発する勇気がないから言い逃れに終始しているのです。
インターネットを今すぐやめる事をお勧めしましょう。君は子供である事を最後に証明してくれました。あの言い逃れのせりふは我々の指摘の正しさを同時に証明してくれていて、私は君の暴言に感激すらしています(秋原さん、これは奴への皮肉ですよ)。
秋原様
残念ながら生物は、生まれたその瞬間から(もっと言えば生まれたこと自体が競争の勝者なのですが)絶えることのない競争を強いられます。人類の発展の歴史はその大いなる競争の記録書なのです。
人間は確かに高等生物なのかもしれません。ただそれはあくまで他の生物と比較して相対的に高等な造りをしているだけであってまだまだ未熟な生き物なのです。未熟な生き物であるがゆえ、過去の過ちを学ぶことができません。同じような犯罪は必ず繰り返されます。完全に防ぐことは不可能でしょう。「資源が有限である限り、誰かが我慢せねばならない世界は変わらず、競争が無くなることはありません。結果社会のシステムを多少変えたとしても犯罪は無くなりません。」この前提を無視して人間の本質に側した現実的な解決法を提示するのではなく、人間がたどりつくべきではあるが実現困難なユートピアを語るところが秋原さんがBLOGOSで叩かれている理由です。
そういう夢を語ることは必要なことかもしれませんが、現実的に考えれば人間が多すぎるのでしょう。
キ〇ガイに刃物
しかし、それは現状不可能です。
では、どうすればいいのか・・?
まず、包丁に正しい使い方の仕様書を添付します。
アメリカの電子レンジなんか、「猫を入れてはいけません」なんて書いてあるみたいです。
それから、通り魔事件は池袋、秋葉原、心斎橋とにぎやかな所が多いので、「刺す前によく考えよう」的な立札を立てればいいと思います。自殺の名所なんかで「命の電話」みたいなのです。
少しは効果あるかな・・?
「どうしようもないから、勝手に死ね」という前に、事前に犯罪を防ぐ事の方が大事だと思います。
最後ですが、理不尽にも命をおとされた、被害者の方々のご冥福を、心からお祈りします。
ある小役人からyuzo氏及びブロゴス拝見氏へ
今回の件に当てはめるとしたらちょっと違うと言われそうな例ですが、
それなりに交通量のある峠でバスが道路から転落するという死亡事故が起きました。
直接の原因は運転手のハンドルミスです。
ただし、その峠は過去に数件、転落による死亡事故が起きています。また、幸いに怪我で終わった事故も数件ありました。
松井大阪府知事及びyuzo氏・ブロゴス拝見氏は、運転手のみに責任を求めているように思われます。
しかし、ここのブログの管理人さん及び常連さんたちは「道路の構造に問題はなかったのか?」と問いかけているわけです。
この場合、漠然とした指摘(この場合、ここのカーブは危ない)で構わないと私は考えます。対策を考えて実行するのはその道路を管理している道路管理者の仕事だからです。
(まあ、腹案として「トンネルで峠をぶち抜く」とか、「山を削ったり、橋をかけてカーブを少なく、かつ緩くする」とかが有ればなお良いですが、素人にそんな検討は無理ですから…)
このように、確度の高い「対案」を作成するためにはある程度の専門知識と時間が必要になります。確度の低い「対案」なんて使い物になりませんし…
つまり、あなた方が「犯人処罰して終わり」と考えているが、ここの管理人さん及び常連の人たちは「こういうことが起きないように刑期を終えた受刑者が社会復帰するために、どのような方策が必要なんだろうか?」と問題提起をしているということです。
「問題提起」に「対案」が必要というのであればだれも「問題提起」なんてできませんし、「問題提起」がなければ、このまま問題をはらんだまま次の悲劇が起こるということになります…
>グレムリンさん
秋原氏をはじめとする、このブログ内の良識ある皆さんが理想とする社会により近いものは現実に存在しています。多様な人々の共生を指向してきた西欧社会は少なくとも、日本のそれよりはるかに一人一人の人間を大切にしているように見えます。
では我が国でなぜそのような社会を実現できないか。それは大多数の国民が、生来享受する権利とは何なのか?権利と義務の関係はどうあるべきなのか?政治において物事はどのように決定されるべきか?国家における憲法の意義とは何なのか?等々、民主主義の基本についてあまりにも無知であることに原因があります。と言うより、権力側が敢えて国民に教えてこなかったと言う方が正しいでしょう。これについては以前秋原氏が指摘されていた通りです。
そして姑息な政治家連中は国民の権力への従順さをいいことに、様々な手段で国民を自己規制と相互抑制に誘導します。今回の松井発言は一つの例と言えるでしょう。
あっ、橋下の腰巾着にそこまでの深謀があったかは甚だ疑わしいですが・・・w
Re: 秋原葉月さんへ>ブロゴズ拝見さん
> →クレーマーに何を言っても通じないというのはこの事ですね。
あなたの質問の趣旨がわからないから確認することがいけないことのようですね?それともあなたの言う対案とは具体的に何をさしているのか、あなた自身が説明できないからこうやってごまかしているのですか?
第一政治家の言説や政策を批判する人間をクレーマーだというなら、それは政治家を批判するな、ということと同じです。
どこの非民主主義国家ですかそれ。
また、あなたの「対案を出せ」の論法がおかしいことは私以外のコメンターさんも既に何人も説明してくださってるはずですが、スルーですか?
> よくわからないころからリンクを引っ張ってきて、「コレを見て勉強してください」的な投げやり感。。
> あたかもその記事が正論のように言う事自体、意味がわかりません。
参考になるサイトですからご紹介したのですが。
もしかしてリンク先を読んでも理解できる読解力があなたにはなかったのでしょうか?
> そんな適当な人間とはこれ以上は付き合えないです。
私の方からあなたにおつきあいを願ったことは一度もないはずです。
あなたはブロゴズを見てあなたの方からこちらにいらした。
違いますか?
あなたが勝手に押しかけてきておいていきなり「つきあえない」って言われましても失笑するしかないのですが。
> 「私がここでそのような専門的な政策を上げても行政側が取り上げてくれるとは思いませんし」
> →何か政治家に直接アプローチしましたか? 市議、県議、国会議員、簡単にアプローチできますよ。あなたの街にも事務所ありますよね? 生の声を聞いて現状を知りましょう。
私にそのようなことを要求するいじょうは、あなたは政府や地方自治体の政策に賛成できないとき、全て対案を考えて事務所等にアピールする、という離れ技をやっていらっしゃるのですよね?凄いですね。
> 私たちは行政本来の仕事をしてもらうために高い税金をはらっているのですよ
> →これは皆平等。 理由にならない。
あなたに日本語は通じないのでしょうか。実に頓珍漢な受け答えです
政策を作るのは税金を徴収している行政の仕事であって私の仕事ではない、と私は言っているのですが、それに対応するあなたの答えが「これは皆平等。 理由にならない」って、およそ会話が成り立っていないのですが。
それから、今まで、ブロゴズに転載するくらいだったら云々というクレームを、あなた含めて何人も言いにいらっしゃいました。
その都度私はブロゴズへの転載は私が決めているのではない旨説明してきたのですが、ご自分の勝手な思い込みで私にクレームをつけたことに対する謝罪の言葉をこれまで誰も口にしないのですよ、あなたを含めて。
そういうのって、礼儀としてどうなんでしょう?そういうのこそ「クレーマー」だと私は思いますが。
Re: 秋原様>グレムリンさん
いつ私が犯罪が100%ない社会などということを言いましたか?
犯罪はゼロにすることは困難でしょうが、少なくとも減らすことはできます。
それを否定するのなら、行政の様々な刑事政策はそもそも行うこと自体が一切無駄、何の刑事政策、福祉政策もやるなということになりますね。しかし実際には犯罪を減らすための様々な刑事政策は工夫されてとられているのですよ。日本では予算も人材も大幅に不足していますが、各国で再犯防止のために出所者の生活、就職をサポートする刑事政策、福祉政策はとられています。
現実を無視しているのはどちらですか?
それから
>秋原さんがBLOGOSで叩かれている理由です。
このようなことを私に言いにいらしても無駄です。
私はあちらに原稿を載せるために書いているのではありませんからあちらのコメント欄は見たことがないのです。興味もありません。
BLOGOS読者には進歩も努力も放棄した敗北主義者が多いのかな?
>未熟な生き物であるがゆえ、過去の過ちを学ぶことができません。同じような犯罪は必ず繰り返されます。完全に防ぐことは不可能でしょう。「資源が有限である限り、誰かが我慢せねばならない世界は変わらず、競争が無くなることはありません。結果社会のシステムを多少変えたとしても犯罪は無くなりません。」この前提を無視して人間の本質に側した現実的な解決法を提示するのではなく、人間がたどりつくべきではあるが実現困難なユートピアを語るところが秋原さんがBLOGOSで叩かれている理由です。 そういう夢を語ることは必要なことかもしれませんが、現実的に考えれば人間が多すぎるのでしょう。
...。
BLOGOS読者ってそういう人たちが少なくないとは知りませんでした。
葉月さんがここで書いていることが「実現困難」だとか「ユートピア」だとか私は思っていません。先進国では理解されていること、学校で教育されていること、常識になっていること、実践されていることが大部分だからです。
でも、仮に「実現困難」だとしましょう。でも、それに挑戦しないということは、高みを目指さないということです。そのような人々の中身は精神の停滞であり、進歩の放棄であり、改善への軽蔑であり、挑戦への妨害であり、勇気の欠如であり、要するに敗北主義なのです。闘う前から負けている人々です。
葉月さんがこの社会を改善しようと発言するとBLOGOS読者の少なくない人々があれこれ文句をつけるというのは多くの日本人の敗北主義のあらわれです。つまり、敗北主義の人がそれだけ大勢いるからこそ、日本の政治はいつまでもダメなのだし、日本の社会には問題が尽きないのです。
そこで松井府知事の当の問題発言をもじると、こんな風にも言えてしまうのです。
「進歩を放棄したい言うんやったら自分で負け続けていなさい。挑戦で高みを目指そうとする人を巻き込まずに自己完結してほしいですね。」
これは、BLOGOS上で葉月さんの記事に文句をつけ続ける敗北主義の人たちに私から贈りたい言葉です。
>鍵コメント提供者さん
大丈夫ですよ、問題ないです(^^)
>たま 様…
では我が国でなぜそのような社会を実現できないか。それは大多数の国民が、生来享受する権利とは何なのか?権利と義務の関係はどうあるべきなのか?政治において物事はどのように決定されるべきか?国家における憲法の意義とは何なのか?等々、民主主義の基本についてあまりにも無知であることに原因があります。そして姑息な政治家連中は国民の権力への従順さをいいことに、様々な手段で国民を自己規制と相互抑制に誘導します。
貴殿の貴重なコメントを拝読させて頂き胸のすく思いがしました。
まさに、日本のいまの“思想的閉塞感”や、石原慎太郎、橋下徹、商業マスコミにギュウッと牛じられコントロールされる様なお粗末な有様に堕ちてしまった原因が、たま様のコメントに端的に表現されていますね。
“共生思想”と真逆の方向へひきづられつつある現在の由々しき事態…。この辺りで、真剣に深く掘り下げ考えないと、気がついたときには、軍靴をはかされ、日の丸の小旗片手に零式戦闘機を見送る“デジャブ”を味あわされそうで、ほんとうに背筋が凍りつく思いです。
グレムリン君、君は退化している
君は自分から退化する道を選んでいますね。それで助かるのは権力者だけです。市民はむしろ進化する道を選ぶのですよ。魯迅の「犬の反駁」がギャフンと思うのならまだしも進化に戻るきっかけにはなるでしょうが、最初から「僕にはできっこなーい」としり込みしているようでは話になりませんよ。
秋原さんの見解と私の見解は必ずしも一致するものではないですが、それはそれでいいと私は思っています。むしろ違うからこそ、進化しようと人は努力するのですよ。
君の考え方をもう一つの角度で言うならば、ダーウィンの進化論の劣化版でしかありません。進化論は優生学になって体現化され、ナチスドイツに悪用されたという汚点を君はなんと思いますか?
ナチスドイツは、進化の遅れたとされるユダヤ人や、身体障害者たちを、「進化促進」という大義を掲げて、使命感に燃えて、虐殺した事実を君はなんと思いますか?そうした事へ我々は異議ありと叫んでいるに過ぎません。
この指摘がいやならば、書き込みを自粛される事をお勧めします。
人心の荒廃ここに極まれり
>今回の犯人はなんの生産性もない(今までは)、一方亡くなった人は生産性の高い人。
>だいたいそうです。
ただただ感情のみで口汚く秋原氏を罵るコメントが多い中、特に目を引いたのはこの一文です。
生産性の低い人間なら殺されても問題はないのか?人間は機械と同じか?
この国には新自由主義、経済効率至上主義に毒されたヒトモドキが着実に増殖している様で、心胆を寒からしめるものがあります。
秋原様
犯罪はゼロにすることは困難でしょうが、少なくとも減らすことはできます。
それを否定するのなら、行政の様々な刑事政策はそもそも行うこと自体が一切無駄、何の刑事政策、福祉政策もやるなということになりますね。
いったい私の文章の中のどこにこんなことが書かれていたのでしょうか?秋原様の想像でしょうか?「犯罪は絶対になくならない」ことを前提で考えれば、夢のような世の中を目指しつつも実現可能な案を出さないといけないという内容で書いてますよ。今回の事件の犯人の経歴はご存知かと思いますが、彼は再犯です。社会に復帰させる時期が早すぎたのです。となると裁判所の判断が法的に矛盾はなくても結果的に間違っていたのです。更正の認定を厳しくするか出所後の生活の目途が立つまでは出所を認めないというような措置を取らないとまた同じことが起きます。そうすることによって少なくとも再犯は減らすことができます。
たま様
村野瀬玲奈様
人口が多くなれば、どの世界でも問題は尽きませんよ。北欧諸国は人口が少ないからこそ今の社会システムが実現可能なのです。人口1億人超の国家で、問題の少ない国がありますか?皆様の理想とする社会をそのまま移築するのではなく、風土と人口と国民性を考慮した上でフィットさせる必要があると思います。
小野哲様
ナチスドイツは、進化の遅れたとされるユダヤ人や、身体障害者たちを、「進化促進」という大義を掲げて、使命感に燃えて、虐殺した事実を君はなんと思いますか?
ナチスとはまた大事ですね。私は確かに人間は過ちから学べないと言いました。訂正しましょう。過去の過ちから学べない愚かな人間が少なからず存在している、と。ナチスの行ったことは愚行です。人間が愚かな証拠です。今の世の中で当時のような規模での虐殺は起こらないでしょう。その分少しだけ進化したのだと思います。
神の形に似せて創ったといわれる人間が最も偉いんだという西洋的な概念が現在の民主主義を生み出すベースとなったわけで、政治はいわば宗教的なものだと私は思っています。だから日本の政治には無理が生じているのです。果たして西洋的な進化=人類の進化なのでしょうか?多様化・共生を啓蒙する一方で西洋の社会システムをそのまま日本に押し付けることは矛盾していませんか?
グレムリン様へ
> 神の形に似せて創ったといわれる人間が最も偉いんだという西洋的な概念が現在の民主主義を生み出すベースとなったわけで、政治はいわば宗教的なものだと私は思っています。
これは、初めて聞く民主主義についての説です。
デモクラシーは、ギリシャ語のデモス(demos、人民)とクラティア(kratia、権力)が合成した言葉です。ユダヤ教・キリスト教が生まれる以前に存在したのです。専制政治や寡頭政治でない政治の仕組みで、宗教とはまったく関係がありません。
> 多様化・共生を啓蒙する一方で西洋の社会システムをそのまま日本に押し付けることは矛盾していませんか?
多様性は、民主主義をささえる柱のひとつです。「みんな違って平等」です。日本は民主主義社会です。その日本でいま、多様性を否定する事態がおこっているのです。共生(連帯)も、民主主義を強固にする柱のひとつです。人の痛みに寄り添う気持ちです。そうでない言動が、今の日本に横行しています。この二つは、押しつけて生まれるものではありません。しかし人の心に呼びかけることはできると思います。それがこのブログのテーマのひとつになっています。
西洋の社会システム、おそらく民主主義のことだと思います。ではあなたが考える、民主主義にかわる社会システムとは、どんなものなのでしょうか?それをぜひ聞かせていただきたい。
>グレムリンさん
あなたのこの主張に即して言うなら「殺人も自殺も起きないように。きちんと更正させる社会の仕組みをつくるべき。」が本当じゃないの?松井は「死にたい奴は自分で死ね」と言ったのであって180°逆の発想でしょ。何で松井発言を擁護してるんですか?支離滅裂ですよ。
>日本は代議制です。政治家はそれぞれの利益団体の意向を反映しようとする人間がなるだけであって、政治家=権力者VS市民の構図は間違っています。
あらららら・・・、あなたこそが究極の“ユートピア”思考の持ち主だったというオチですか?形式上代議制を採用しておけば自動的に国家権力は制限され、国民の権利はしっかり擁護されるとでも?そういえば北朝鮮も中国も旧ソ連も形式的には代議制を採用してましたっけ・・・
それはさておき、日本の代議制の最大の問題点は小選挙区制です。日本にはアメリカとイギリスが採用しているこの欠陥制度をグローバルスタンダードよろしく有り難がる風潮がありますが、民主国家のそれとしてはキワモノですよ。ちなみに私は完全比例代表制を理想とします。
>人口が多くなれば、どの世界でも問題は尽きませんよ。北欧諸国は人口が少ないからこそ今の社会システムが実現可能なのです。
あなたはノルウェーやデンマークをイメージしているつもりかも知れませんが、フランスは人口約6千万、ドイツは約8千万です。ドイツは可能で日本はダメ?そんな線引きは何の根拠もありませんよね。
また日本は首都圏・大阪圏・名古屋圏を除いて地方毎に分割して考えると、西欧の中小国の集合体みたいなものです。北海道はデンマーク、四国はフィンランド、九州はオランダと人口規模が同じです。
あっ、でもよくよく考えてみると「人口が多いと社会がおかしくなる」というあなたの論は一部分正しいかも知れません。だって東京・大阪・名古屋の連中が選んだ首長は揃いも揃って“アレ”な人たちばっかりですからw
>ナチスとはまた大事ですね。
その通り。大事です。ナチスもまた民主的な政治体制の中で合法的に権力基盤を築いたことはご存知の通り。その手法は国民の社会的・経済的危機感につけ込んで、内政的には弱者であるユダヤ人をスケープゴートに、対外的には周辺国の脅威を持ち出して国民感情を煽るもの。ユダヤ人を公務員に、英仏を中国に置き換えればア~ラ不思議!!どこかの国のサラ金弁護士やエロ小説家上がりの政治家の主張にそっくりじゃないですかw
>多様化・共生を啓蒙する一方で西洋の社会システムをそのまま日本に押し付けることは矛盾していませんか?
多様性・共生の概念はいわば民主主義の必要条件です。四角形には正方形や長方形、平行四辺形や台形という多様性は許容できても、円を許容することはできないのです。松井発言を正当化するつもりなら民主主義自体を否定するしかない、と私は考えます。
最後に秋原様、人様のブログをお借りして長々と申し訳ございません。何卒お許し下さいませ。
ギズモの出来損ない?
潔くお腹召しませ
自称グレムリンへ
全く私の問いかけに対して回答になっていないばかりか逆切れのような居直りに呆れています。そちらさんはインターネットにおけるネチケットの基本が全くできていませんな。
ナチスと言うのはオーバーではないのです。 jeanvaljean氏やたま氏が私の言いたい事を代弁していますのでここでは言及しませんが、そちらさんの論破もどきのコメントにもならない暴言は我々の問題意識の正しさを逆に証明してくれています。私はそちらさんのお間抜けぶりに感激すらしています。
そちらさんに言う事は、インターネットを今すぐやめなさい。そして、ブックオフで社会に関する本を読み漁りなさい。105円で売っていますよ。
後もう一つ言っておきます。国際法を勉強してから私にコメントしなさい。そちらさんの無知など話になりません。それが嫌ならここにいる全ての読者や村野瀬玲奈氏、秋原氏、たま氏に謝罪しなさい。それぐらいの覚悟があって発言しているんでしょうな。
かなりグレムリンにはきつい一言になりますが秋原さん、もしこのブログの考えにそぐわないと判断された場合は採用されなくても構いません。
>グレムリン様 横レスですが
>残念ながら生物は、生まれたその瞬間から(もっと言えば生まれたこと自体が競争の勝者なのですが)絶えることのない競争を強いられます。人類の発展の歴史はその大いなる競争の記録書なのです。人間は確かに高等生物なのかもしれません。ただそれはあくまで他の生物と比較して相対的に高等な造りをしているだけであってまだまだ未熟な生き物なのです。未熟な生き物であるがゆえ、過去の過ちを学ぶことができません。同じような犯罪は必ず繰り返されます。完全に防ぐことは不可能でしょう。「資源が有限である限り、誰かが我慢せねばならない世界は変わらず、競争が無くなることはありません。結果社会のシステムを多少変えたとしても犯罪は無くなりません。」この前提を無視して人間の本質に側した現実的な解決法を提示するのではなく、人間がたどりつくべきではあるが実現困難なユートピアを語るところが秋原さんがBLOGOSで叩かれている理由です。
[/紊��]
他の方々への反論を踏まえて、改めてグレムリンさんの初めの文章を読み返してみたのですが、
やはり悟りでも開いたつもりになったかのような、上から目線のシニシズムにしか読めません。
そりゃ犯罪をこの世から完全に無くすのは不可能でしょう。
そんな言わずもがなのことに、大仰な生物論まで持ち出して
「同じような犯罪は必ず繰り返されます。完全に防ぐことは不可能でしょう。」などと言われれば、
秋原さんならずとも「いつ私が犯罪が100%ない社会などということを言いましたか?」と
問い返したくなるでしょう。
理想を語ることは大いに意味があります。
人はしばしば道に迷うからです。行き先を見失うからです。
理想を語るのは、そもそも何のため、どうあるべきで、
どこに向かうべきなのかを検証・確認する不可欠な作業です。
まず、これがなければ「対案」もおかしな方向へ流されてしまいます。
生活保護の問題で言えば、それを受けざるを得ない人が多く発生するような社会環境や、
生活保護が憲法で保障された国民の権利ではなく、
お上からのお慈悲のように誤解されていることこそ問題なのに、
もっと審査を厳しくしろ、受給を有期にしろ、金額を下げろ、
ひどいのになると在日を追い出せだのと叫んでいる人たちの存在がその例でしょう。
「対案がないなら黙れ」派の方ならば、なおさら、
人にケチをつけるだけのコメントをわざわざ書くのは遠慮されてはいかがでしょうか。
資源が有限だから競争って・・・やっぱりおかしい
有限な資源でどれだけ多くを豊かにするかという競争もできるでしょうに
左派も夢見がちな脱原発ばかりで肝心の経済問題、労働問題には冷淡ですし、全く何処にも希望がありません。