コメント
この再審請求棄却は問題です。
この裁判長、検察も主張していない推論を展開し
自白も信用できるとしました。
供述は何回も変わっています。
(裁判に入ってからは一貫して無罪を主張)
自白調書を信用できるとは信じられない。
昭和36年の警察です。容易に自供を強要したと想像できます。
支援者には死刑廃止論者も死刑制度賛成論者もいます。
大多数の支援者はそんな事で活動していません。
あくまでも冤罪事件。
死刑制度存廃論議とは別問題です。
1961年の事件ですから知らないし興味ないのでしょう。
この下山裁判長名古屋闇サイト事件では一審死刑の
被告を無期懲役にして廃止派から喝采を受けたとか。
信憑性は不明だが噂では、非常に自意識が強い。
高裁のプライド、高裁内の目立ちがり屋とか。
支援者は再審開始は間違いないと思っていた。
しかし下山裁判長なら05年の名古屋高裁の再審決定を翻す危険があるとの観測もあったようです。
自白も信用できるとしました。
供述は何回も変わっています。
(裁判に入ってからは一貫して無罪を主張)
自白調書を信用できるとは信じられない。
昭和36年の警察です。容易に自供を強要したと想像できます。
支援者には死刑廃止論者も死刑制度賛成論者もいます。
大多数の支援者はそんな事で活動していません。
あくまでも冤罪事件。
死刑制度存廃論議とは別問題です。
1961年の事件ですから知らないし興味ないのでしょう。
この下山裁判長名古屋闇サイト事件では一審死刑の
被告を無期懲役にして廃止派から喝采を受けたとか。
信憑性は不明だが噂では、非常に自意識が強い。
高裁のプライド、高裁内の目立ちがり屋とか。
支援者は再審開始は間違いないと思っていた。
しかし下山裁判長なら05年の名古屋高裁の再審決定を翻す危険があるとの観測もあったようです。
あってはならないことです。
無実のひとの自由を、国家が50余年もの長きに渡り奪い、無実を叫び続けているひとを拘束し、またぞろに、高齢で病弱な状態の奥西勝さんを“死の恐怖”に晒すことは断じて許されざることです…。 あってはならないことです。
わたしたちは、布川事件や足利事件など、つい最近、冤罪事件を、実際に、目の当たりにし、桜井さんや菅家さんに対する理不尽な国家による犯罪を目撃したばかりなのです。 更に奥西勝さんに対する“国家犯罪”が、わたしたちの何気ない日常のときの流れと同時並行で続行されることに、あらためて著しい違和感と恐怖を感じます。名古屋高裁の推測に基づいた再審の扉を閉ざす今回の理不尽な決定は、“法治国家”の根幹を揺るがす大問題です。
わたしたちは、布川事件や足利事件など、つい最近、冤罪事件を、実際に、目の当たりにし、桜井さんや菅家さんに対する理不尽な国家による犯罪を目撃したばかりなのです。 更に奥西勝さんに対する“国家犯罪”が、わたしたちの何気ない日常のときの流れと同時並行で続行されることに、あらためて著しい違和感と恐怖を感じます。名古屋高裁の推測に基づいた再審の扉を閉ざす今回の理不尽な決定は、“法治国家”の根幹を揺るがす大問題です。
正義が欠如した判決、そして「支援者集会に参加した事がある一人さん」へ
判決理由を読んでいません。しかし裁判の経過から、正義が欠落した判決だと思います。フランスの小学校の公民教育にいう「司法の過失」です。戦前の裁判所と検察所の癒着が抜けきっていない好例だと思います。また司法として「菅谷事件」の教訓から何も学んでいない判決です。日本の裁判員制度導入についてのフランスの新聞(リベラシオン紙2009年5月20日)http://billancourt.blog50.fc2.com/blog-entry-70.htmlにも、「日本においては有罪判決の比率が99%を超えること、そして有罪判決が、容疑者から得られた自白をベースにしているという事実が示す水準を思い起こすであろう」と指摘された問題点そのものです。
「支援者集会に参加した事がある一人」さんへ。
死刑廃止秋原さんが言っているのは、当ブログで声高に死刑廃止論を批判しにやってくる(というより当ブログを攻撃にやってくる)人びとのことだと思いますよ。私も彼らがこの判決をどう思うか、知りたいと思います。
「支援者集会に参加した事がある一人」さんへ。
死刑廃止秋原さんが言っているのは、当ブログで声高に死刑廃止論を批判しにやってくる(というより当ブログを攻撃にやってくる)人びとのことだと思いますよ。私も彼らがこの判決をどう思うか、知りたいと思います。
これは第2の下山事件です
はじめまして。asobitarianと申します。
全くひどい判決です。
この判決を下した下山裁判長は来月5日で定年退職になるそうですが、司法の歴史にも自らの経歴にもこのような恥ずべき汚点を残すことをどのように考えているのでしょうか?
TBさせて頂きました。
全くひどい判決です。
この判決を下した下山裁判長は来月5日で定年退職になるそうですが、司法の歴史にも自らの経歴にもこのような恥ずべき汚点を残すことをどのように考えているのでしょうか?
TBさせて頂きました。
jeanvaljean さんへ
(当ブログで声高に死刑廃止論を批判しにやってくる(というより当ブログを攻撃にやってくる)人びとのことだと思いますよ。)
そうですか。それは失礼しました。冤罪事件は、死刑制度、賛成に、反対の枠の外の話と思っています。
(私も彼らがこの判決をどう思うか、知りたいと思います。)
無理でしょう。50年以上前の事件ですから、世間的には関心が低いですね。
個人的には、名古屋闇サイト事件で残酷とは言えないと無期懲役にしたこの下山裁判長を賞賛した人の意見を聞いてみたいですね。この事件に興味があったらでしょうけど。
そうですか。それは失礼しました。冤罪事件は、死刑制度、賛成に、反対の枠の外の話と思っています。
(私も彼らがこの判決をどう思うか、知りたいと思います。)
無理でしょう。50年以上前の事件ですから、世間的には関心が低いですね。
個人的には、名古屋闇サイト事件で残酷とは言えないと無期懲役にしたこの下山裁判長を賞賛した人の意見を聞いてみたいですね。この事件に興味があったらでしょうけど。
>支援者集会に参加した事がある一人。さん
お返事遅くなりました。
また新しく記事をアップしましたので至らぬ部分などありましたらご指摘いただけると嬉しいです。
>支援者には死刑廃止論者も死刑制度賛成論者もいます。
大多数の支援者はそんな事で活動していません。
あくまでも冤罪事件。
死刑制度存廃論議とは別問題です
はい、名張事件を支援しているジャーナリストの江川紹子さんは死刑賛成ですしね。
一義的にはjeanvaljeanさんの仰ったように、何でもかんでも死刑にしろ!と叫ぶ、所謂シネシネ団と揶揄される人達に言っています。光市事件でも木村被告の事件でも、被告人の権利が守られ十分な弁護を受けたか、とか余談と偏見を抱かない公正な裁判だったか、とか一切抜きにして、とにかく死刑に至上の喜び、歪んだ正義感を感じる人々を揶揄しているのです。
死刑問題について扱うと記事の内容を読みもせずに猛り狂ったコメントを寄せてくる人が多いです。掲示板でも衆目を集めた事件では「死刑にしろ!」と言うコメントが殺到、炎上します。
しかしそう言う人々はこういう死刑冤罪事件になるとすっかり黙っているのです。
二義的には、世間の関心の低さに警笛を鳴らしたいという思いもあります。
いくら50年前の事件で事件そのものを知らない人がふえたからとはいえ、無実の人が死刑になるかもしれないことに無関心ってどういうことなのかと。
イギリスでは冤罪と思われる事件で死刑を執行したことがきっかけとなって死刑廃止になっています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6
厳密に言えば死刑制度に賛成かどうかと冤罪をなくすことは別問題であると私も認識していますが、密接に関連はしていると思います。
日本では大多数の人は死刑制度に賛成なのにそのうちの多くの人が無実の人が死刑になるかも知れないことに無関心とは随分冷淡なんだな、と。
それから、私的には門野裁判長に色々聞いてみたいと思います。決して評判の悪い裁判官ではなかったので。
また新しく記事をアップしましたので至らぬ部分などありましたらご指摘いただけると嬉しいです。
>支援者には死刑廃止論者も死刑制度賛成論者もいます。
大多数の支援者はそんな事で活動していません。
あくまでも冤罪事件。
死刑制度存廃論議とは別問題です
はい、名張事件を支援しているジャーナリストの江川紹子さんは死刑賛成ですしね。
一義的にはjeanvaljeanさんの仰ったように、何でもかんでも死刑にしろ!と叫ぶ、所謂シネシネ団と揶揄される人達に言っています。光市事件でも木村被告の事件でも、被告人の権利が守られ十分な弁護を受けたか、とか余談と偏見を抱かない公正な裁判だったか、とか一切抜きにして、とにかく死刑に至上の喜び、歪んだ正義感を感じる人々を揶揄しているのです。
死刑問題について扱うと記事の内容を読みもせずに猛り狂ったコメントを寄せてくる人が多いです。掲示板でも衆目を集めた事件では「死刑にしろ!」と言うコメントが殺到、炎上します。
しかしそう言う人々はこういう死刑冤罪事件になるとすっかり黙っているのです。
二義的には、世間の関心の低さに警笛を鳴らしたいという思いもあります。
いくら50年前の事件で事件そのものを知らない人がふえたからとはいえ、無実の人が死刑になるかもしれないことに無関心ってどういうことなのかと。
イギリスでは冤罪と思われる事件で死刑を執行したことがきっかけとなって死刑廃止になっています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6
厳密に言えば死刑制度に賛成かどうかと冤罪をなくすことは別問題であると私も認識していますが、密接に関連はしていると思います。
日本では大多数の人は死刑制度に賛成なのにそのうちの多くの人が無実の人が死刑になるかも知れないことに無関心とは随分冷淡なんだな、と。
それから、私的には門野裁判長に色々聞いてみたいと思います。決して評判の悪い裁判官ではなかったので。
>支援者集会に参加した事がある一人。 様…
支援者集会に参加した事がある一人。 様、はじめまして、青い鳥と言います。
>個人的には、名古屋闇サイト事件で残酷とは言えないと無期懲役にしたこの下山裁判長を賞賛した人の意見を聞いてみたいですね。この事件に興味があったらでしょうけど。…
わたしは、死刑廃止の立場に大きく傾きつつある一小市民です。
わたしは、名古屋市の隣りの岐阜市という田舎町に生を受け、現在居住しています。夕方のローカル放送では、連日、貴殿がお記しになった、“名古屋闇サイト事件”について報道された関係で、婚約を済ませ、結婚間近い娘さんを無惨窮まりなき殺され方をされたお母様の張り裂けんばかりのご心情に思いを至したとき、自主した男性が死刑から無期に減刑されたと知り、「なんで死刑やないんや!」と憤慨したものです。
昨年の秋ごろ、こちらのブログさんに出逢いまして、死刑制度の是非に関して精緻且つ、客観的・法科学的に掘り下げられた各エントリーを拝読し、ブログ主様や、優れたコメンテーター各位のご高察に触れていくうちに、わたしのそれまでの“プリミティブ”に過ぎた「仇討ち論的死刑容認」には、科学的・客観的に裏打ちされたものが無いことに気づかされました。 もし、わたしの大切な娘が、名古屋の事件の様に惨殺されれば、あのお母様と同様に犯人を憎み、わたしは犯人を殺害したかも知れないと考えたとき、法律の大切さに気がついたのです。法に則り、個人的感情やプリミティブな感情を排した法律による客観的な裁きの重要性に気づいたのです。まだ他にも、わたしが死刑廃止論的立場に大きく傾きつつある事由はたくさん存在しますが、これくらいにしておきますね…。
支援者集会に参加した事がある一人。 様…、また、いろいろと、ご教授くださいませ。横槍を挟みましたこと、何卒お赦しの程…。
>個人的には、名古屋闇サイト事件で残酷とは言えないと無期懲役にしたこの下山裁判長を賞賛した人の意見を聞いてみたいですね。この事件に興味があったらでしょうけど。…
わたしは、死刑廃止の立場に大きく傾きつつある一小市民です。
わたしは、名古屋市の隣りの岐阜市という田舎町に生を受け、現在居住しています。夕方のローカル放送では、連日、貴殿がお記しになった、“名古屋闇サイト事件”について報道された関係で、婚約を済ませ、結婚間近い娘さんを無惨窮まりなき殺され方をされたお母様の張り裂けんばかりのご心情に思いを至したとき、自主した男性が死刑から無期に減刑されたと知り、「なんで死刑やないんや!」と憤慨したものです。
昨年の秋ごろ、こちらのブログさんに出逢いまして、死刑制度の是非に関して精緻且つ、客観的・法科学的に掘り下げられた各エントリーを拝読し、ブログ主様や、優れたコメンテーター各位のご高察に触れていくうちに、わたしのそれまでの“プリミティブ”に過ぎた「仇討ち論的死刑容認」には、科学的・客観的に裏打ちされたものが無いことに気づかされました。 もし、わたしの大切な娘が、名古屋の事件の様に惨殺されれば、あのお母様と同様に犯人を憎み、わたしは犯人を殺害したかも知れないと考えたとき、法律の大切さに気がついたのです。法に則り、個人的感情やプリミティブな感情を排した法律による客観的な裁きの重要性に気づいたのです。まだ他にも、わたしが死刑廃止論的立場に大きく傾きつつある事由はたくさん存在しますが、これくらいにしておきますね…。
支援者集会に参加した事がある一人。 様…、また、いろいろと、ご教授くださいませ。横槍を挟みましたこと、何卒お赦しの程…。
異議審
高裁で決定した判決を異議を申し立て、そして却下。
この制度は問題ありますよ。
特に冤罪事件はハードルが高いですから問題です。
秋原葉月さん
江川紹子さん死刑賛成ですか。
知りませんでした。
どちらにしても、この事件に限らず冤罪事件では皆さん
その様な話はしませんですね。
この事件の他に、袴田事件も冤罪の疑いが濃いと考えています。
死刑制度をここで論議する気はないのですが、死刑囚が執行された後、冤罪だと判明したら世論は一気に廃止に
向かうでしょう。
青い鳥さん
はじめまして。
(自主した男性が死刑から無期に減刑されたと知り、「なんで死刑やないんや!」と憤慨したものです。)
自首した被告は最初から無期の判決です。
下山裁判長が無期にした被告は、一審は死刑判決でした。
(また、いろいろと、ご教授くださいませ)
その様に買い被って頂いては困惑します。
単に変わりものといわれています。
この制度は問題ありますよ。
特に冤罪事件はハードルが高いですから問題です。
秋原葉月さん
江川紹子さん死刑賛成ですか。
知りませんでした。
どちらにしても、この事件に限らず冤罪事件では皆さん
その様な話はしませんですね。
この事件の他に、袴田事件も冤罪の疑いが濃いと考えています。
死刑制度をここで論議する気はないのですが、死刑囚が執行された後、冤罪だと判明したら世論は一気に廃止に
向かうでしょう。
青い鳥さん
はじめまして。
(自主した男性が死刑から無期に減刑されたと知り、「なんで死刑やないんや!」と憤慨したものです。)
自首した被告は最初から無期の判決です。
下山裁判長が無期にした被告は、一審は死刑判決でした。
(また、いろいろと、ご教授くださいませ)
その様に買い被って頂いては困惑します。
単に変わりものといわれています。
亀井氏の死刑反対理由に賛同しています
元警察官僚の亀井静香氏は死刑に反対されていらっしゃいますよね。初めにそれを知った時には意外に思ったものでした。しかし、亀井氏の反対理由が「警察官も検察官も裁判官も、人間である以上、誤りを犯す可能性がある。万が一にも無実の人が死刑になるようなことがあってはならない」ということであると聞いて、もっともだと思い、亀井氏を筋の通った方だと尊敬しました。(だからと言って、政治家としての亀井氏の言動のすべてに賛同出来るというわけでもないのですが・・・)
そんな亀井氏に対して、「冤罪と死刑問題は別。冤罪があるなら、それが起こる可能性を無くすことに力を注ぐべきだ」という御意見も読んだことがあります。しかし、「人間が間違いを犯す可能性をゼロにする」というのは不可能だと思います。死刑さえなければ、冤罪でも、生きている限りは再審請求もできるし、最悪、汚名を着たまま生涯を終えることになっても、強制的に命を絶たれることはありません。それは大切なことだと思います。
そんな亀井氏に対して、「冤罪と死刑問題は別。冤罪があるなら、それが起こる可能性を無くすことに力を注ぐべきだ」という御意見も読んだことがあります。しかし、「人間が間違いを犯す可能性をゼロにする」というのは不可能だと思います。死刑さえなければ、冤罪でも、生きている限りは再審請求もできるし、最悪、汚名を着たまま生涯を終えることになっても、強制的に命を絶たれることはありません。それは大切なことだと思います。
Re: 異議審>支援者集会に参加した事がある一人。 さん
> 高裁で決定した判決を異議を申し立て、そして却下。
> この制度は問題ありますよ。
> 特に冤罪事件はハードルが高いですから問題です。
・無罪判決が出たらそれに対し検察は上訴できず判決は確定する
・再審開始決定に対し異議申し立てはできない
このように法改正すべきかと思います。
> どちらにしても、この事件に限らず冤罪事件では皆さん
> その様な話はしませんですね。
はい、死刑制度に賛成か反対かと冤罪を許して良いのかということは一応別次元のことですから、そのような話題は出なくて当然だと思います。まともな死刑賛成論者なら(と言う言い方も変ですが)、真に死刑に値する事件の犯人のみ死刑に処すべき、と考えるでしょう。だから世間の風潮や偏見、煽動に惑わされず、その事件の犯人が真に死刑に値するかどうかをまずは見極めようとするでしょう。
支援者の会の中で死刑賛成の方がいらっしゃるとしても、例えば光市母子殺害事件の元少年が死刑でよい、と考える方はいないのではないかと思うのです。
> この事件の他に、袴田事件も冤罪の疑いが濃いと考えています。
> 死刑制度をここで論議する気はないのですが、死刑囚が執行された後、冤罪だと判明したら世論は一気に廃止に
> 向かうでしょう。
袴田事件も冤罪です。
飯塚事件が冤罪なのに死刑執行された可能性があると言われていますね。
もし飯塚事件の再審が認められたとしても、今の日本なら「あらまあお気の毒に」と他人事で終わり、死刑廃止までたどり着かないんじゃないか、という悲観的な見方をついついしてしまいます。
> この制度は問題ありますよ。
> 特に冤罪事件はハードルが高いですから問題です。
・無罪判決が出たらそれに対し検察は上訴できず判決は確定する
・再審開始決定に対し異議申し立てはできない
このように法改正すべきかと思います。
> どちらにしても、この事件に限らず冤罪事件では皆さん
> その様な話はしませんですね。
はい、死刑制度に賛成か反対かと冤罪を許して良いのかということは一応別次元のことですから、そのような話題は出なくて当然だと思います。まともな死刑賛成論者なら(と言う言い方も変ですが)、真に死刑に値する事件の犯人のみ死刑に処すべき、と考えるでしょう。だから世間の風潮や偏見、煽動に惑わされず、その事件の犯人が真に死刑に値するかどうかをまずは見極めようとするでしょう。
支援者の会の中で死刑賛成の方がいらっしゃるとしても、例えば光市母子殺害事件の元少年が死刑でよい、と考える方はいないのではないかと思うのです。
> この事件の他に、袴田事件も冤罪の疑いが濃いと考えています。
> 死刑制度をここで論議する気はないのですが、死刑囚が執行された後、冤罪だと判明したら世論は一気に廃止に
> 向かうでしょう。
袴田事件も冤罪です。
飯塚事件が冤罪なのに死刑執行された可能性があると言われていますね。
もし飯塚事件の再審が認められたとしても、今の日本なら「あらまあお気の毒に」と他人事で終わり、死刑廃止までたどり着かないんじゃないか、という悲観的な見方をついついしてしまいます。
Re: 亀井氏の死刑反対理由に賛同しています>風鈴草さん
そうなんです、亀井さんの死刑廃止の信念は筋金入りなんです。七不思議w?
「冤罪と死刑問題は別。冤罪があるなら、それが起こる可能性を無くすことに力を注ぐべきだ」
確かに論理的には冤罪と死刑問題は別次元ではありますが、実際問題として潜在による死刑という弊害はどうしてもつきまといます。それを回避するのに「冤罪を100%なくす」と言うことは100%不可能である以上、死刑制度をなくすことによってこの危険を回避する、という方法を選択するのは合理的です
「冤罪と死刑問題は別。冤罪があるなら、それが起こる可能性を無くすことに力を注ぐべきだ」
確かに論理的には冤罪と死刑問題は別次元ではありますが、実際問題として潜在による死刑という弊害はどうしてもつきまといます。それを回避するのに「冤罪を100%なくす」と言うことは100%不可能である以上、死刑制度をなくすことによってこの危険を回避する、という方法を選択するのは合理的です
はじめまして
はじめまして。
ブログをしばしば拝見させていただいております。
私は、死刑廃止論には同意できないのですが
最近の根拠なき厳罰化、情状を考慮しない裁判のあり方には
疑念を抱いている者です。
そして、現在の多角的な視点を許さない空気には、嫌悪の念以外は抱いておりません。
現在の死刑が抱えている大きな欠陥は、無実の人が死刑にされる可能性の他にも
有罪であっても、死刑が相応しくない人までが、死刑にされる可能性がある、という点が指摘できると思います。
この「死刑が相応しくない」と考える理由は
反省悔悟の念、という要素もそうですが
被害者の落ち度、もう少しいえば、幼少時に被害者から性犯罪被害に遭った、友人が被害者からの犯罪被害にあった、被害者から日常的に暴行脅迫を加えられ搾取されていた、などの被害者側の犯罪行為が事件の原因となっている事件を、死刑が不当な事件と考えております。
しかしながら、そのような事件でも、死刑や無期懲役が平然としてくだされているのが、現実です。
そして死刑求刑事件であっても、被害者側の犯罪行為は報道されないこともあります。
光市事件以後の判決を見ていると、真摯な反省悔悟の念を考慮しないのは勿論のこと、「一定の人数を殺せば、事情があっても死刑」「被害者側の犯罪行為が事件の原因でも、遺族が死刑を望めば、それは死刑の理由となる」「被告は極限まで責任を追及すべきだが、被害者の罪悪は批判してはならない」といった方針が読み取れます。
死刑も無期懲役も、ごく普通の刑罰であり、厳罰は遺族・被害者へのサービスとなってしまった感があります。
しかし、「遺族の要望に答える」ということを主たる目的に、国家と国民が人命を奪う、あるいは生涯にわたって自由を奪う、というあり方は、健全とは思えません。
私は、死刑はどうしてもやむを得ない場合に限るべきと考えます。具体的には、何ら落ち度のない人間を、利欲目的に匹敵する利己的な動機で殺害し、反省の念もなく更生の兆しも無い場合にのみ、死刑が適用されるべきと考えています。
国家と国民が死を、あるいは終生にわたり自由を奪うことを決定するに際しては、事件の原因に酌量すべき動機がないか、自分であれば事件時にどのような行動ができたのか、慎重かつ真摯に検討することが、最低限するべきことではないかと。
長々と、まとまりのない文章を書いてしまい、申し訳ございません。
もしもご迷惑でないのならば、私が問題視している事件について、書き込ませていただいても宜しいでしょうか。
ブログをしばしば拝見させていただいております。
私は、死刑廃止論には同意できないのですが
最近の根拠なき厳罰化、情状を考慮しない裁判のあり方には
疑念を抱いている者です。
そして、現在の多角的な視点を許さない空気には、嫌悪の念以外は抱いておりません。
現在の死刑が抱えている大きな欠陥は、無実の人が死刑にされる可能性の他にも
有罪であっても、死刑が相応しくない人までが、死刑にされる可能性がある、という点が指摘できると思います。
この「死刑が相応しくない」と考える理由は
反省悔悟の念、という要素もそうですが
被害者の落ち度、もう少しいえば、幼少時に被害者から性犯罪被害に遭った、友人が被害者からの犯罪被害にあった、被害者から日常的に暴行脅迫を加えられ搾取されていた、などの被害者側の犯罪行為が事件の原因となっている事件を、死刑が不当な事件と考えております。
しかしながら、そのような事件でも、死刑や無期懲役が平然としてくだされているのが、現実です。
そして死刑求刑事件であっても、被害者側の犯罪行為は報道されないこともあります。
光市事件以後の判決を見ていると、真摯な反省悔悟の念を考慮しないのは勿論のこと、「一定の人数を殺せば、事情があっても死刑」「被害者側の犯罪行為が事件の原因でも、遺族が死刑を望めば、それは死刑の理由となる」「被告は極限まで責任を追及すべきだが、被害者の罪悪は批判してはならない」といった方針が読み取れます。
死刑も無期懲役も、ごく普通の刑罰であり、厳罰は遺族・被害者へのサービスとなってしまった感があります。
しかし、「遺族の要望に答える」ということを主たる目的に、国家と国民が人命を奪う、あるいは生涯にわたって自由を奪う、というあり方は、健全とは思えません。
私は、死刑はどうしてもやむを得ない場合に限るべきと考えます。具体的には、何ら落ち度のない人間を、利欲目的に匹敵する利己的な動機で殺害し、反省の念もなく更生の兆しも無い場合にのみ、死刑が適用されるべきと考えています。
国家と国民が死を、あるいは終生にわたり自由を奪うことを決定するに際しては、事件の原因に酌量すべき動機がないか、自分であれば事件時にどのような行動ができたのか、慎重かつ真摯に検討することが、最低限するべきことではないかと。
長々と、まとまりのない文章を書いてしまい、申し訳ございません。
もしもご迷惑でないのならば、私が問題視している事件について、書き込ませていただいても宜しいでしょうか。
Re: はじめまして>山田ドザエモンさん
初めまして。ブログをご覧下さりありがとうございます。
> もしもご迷惑でないのならば、私が問題視している事件について、書き込ませていただいても宜しいでしょうか。
もし山田さんがブログをお持ちでしたらトラックバックで記事を送っていただけると助かります。
もしブログをお持ちでないのでしたら、あまり記事の趣旨から外れない程度の内容でしたら書き込んでいただいて結構です
> もしもご迷惑でないのならば、私が問題視している事件について、書き込ませていただいても宜しいでしょうか。
もし山田さんがブログをお持ちでしたらトラックバックで記事を送っていただけると助かります。
もしブログをお持ちでないのでしたら、あまり記事の趣旨から外れない程度の内容でしたら書き込んでいただいて結構です
奥西さん…頑張ってください。
奥西さんは、現在、危篤状態にあると、鈴木 泉弁護士が会見で発表されました。
冤罪が濃厚である奥西さんの無実であるとの叫びを無視し、奥西さんの“死”を待つ、日本の司法を、断じて許すことはできない!!
冤罪が濃厚である奥西さんの無実であるとの叫びを無視し、奥西さんの“死”を待つ、日本の司法を、断じて許すことはできない!!