人権教育への提言(2)
- 2012/07/25
- 12:00
最近では生活保護バッシングをみるにつけ、憲法の生存権という基本的人権が全く理解されていないのに唖然とします。
フランスでは小学校から中学校にかけてこういう人権について嫌と言うほど学び、またこういう人権が侵害されたときはどうしたらいいかまで学習するそうです
人権教育と民主主義教育、それは国民の自由と権利を保持するための「国民の不断の努力」(憲法12条)のひとつであると考えています。
三ヶ月ほど前に書いた「人権教育への提言」というエントリ-にはコメンターさんからも参考になるコメントをたくさん頂いていますので、是非コメント欄も併せてお読みください。
今日はその中から現在の学校教育ではどうなっているかの現状についも、元教員である元落ちぶれ教員さんからコメントをピックアップしたいと思います。
エントリーでまとめておこうと思いつつ、随分と時間がたってしまい、大幅に遅れたエントリ-アップになってしまいました、すみません。
長文ですので、二回に分けたいと思います。
(なお、コメント全文はリンク先でお読みください。)
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-935.html#comment7349
(引用開始)
さて、秋原氏は、人権教育は同和教育を中心に私人間の問題についてされているが、公権力の弾圧から自分の権利を守ることから学ぶのが順序ではないか、請求権、労働基本権の学習も大切ではないか、などと仰っています。その通りと同感します。それではなぜ、日本の学校教育でそれらの学習が軽んじられているかを考えます。
自由権等については、同和教育のように教科をこして学校全体の教育活動としてされるのでなく、社会科(高校では公民科<現代社会、政治経済>)の授業でされることになります。教科・科目の授業のため、いろいろの制約がでてきます。
第一に、学習指導要領・教科書にもとづいた授業をしなくてはいけないという、「上(教育行政)からの制約」。
第二に、教員自身の旧い授業観。現在のように校長が授業をのぞいたりして細かく監視し、授業内容に意見をつける時代でなくても、多くの教員は自主教材を作らず、教科書的内容を黒板に記しそれを丸覚えさせるのみの授業をしていました。
第三に、テストをして、学習成果を評価しなくてはいけないという制約です。
第四に、これは制約という語では説明できないかもしれませんが、現実の社会があまりにも学習すべき内容から遠ざかっているため、理解が困難になっているのでは、ということがあります。
以下はこの第一から第三についてまで述べてらっしゃる部分です。
すこし具体的にみます。
学習指導要領自身は「基本的人権の保障と法の支配、国民主権と議会制民主主義について理解を深めさせる」といった概要を記すのみですが、例えば、「法の支配」に関して教科書の記述となると、それをとなえた思想家とかがでてきて、無味乾燥きわまりない学習となります。
「警察官の職務上の行動内容は警察官職務執行法・刑事訴訟法の範囲・内容でなくてはいけない。その法は国権の最高機関の国会できめたものである。具体的に警職法の条文をみてみよう。」というような具体的な記述はありません。
日常生活で一般人が遭遇したり、社会面をにぎわす事件などが法律上どう処理されていくかといったことはふれられていません。
罪刑法定主義・租税法定主義といったむつかしい言葉はでてきても(子どもたちはそれを覚えさせられる)、具体的な解説はとくに教科書にはありません。
2011年度の大学入試センター試験(政治経済)をみます。
基本的人権に関しては、知的財産権、環境権、公務員への損害賠償請求権などの記述から正解を選ぶ問題でした。そのほか、政治的意思決定、米英の二院制、衆議院の優越、政党、比例代表選挙制度、ねじれ国会の歴史、国会の国政監視機能、地方自治(行政委員会、住民投票)などが出題されていました(ほかに経済、国際分野もあります)。
センター試験はもちろんのこと、学校の定期テストでも、テストは必ず正解を必要とします。自分の考えを述べるという問題もありえますが、評価がしにくく、安易な道として、特に学校のテストでは思想家、用語などをブランクに入れる問題がよく出題されます。
テストでは、秋原氏が考えておられるような、公権力の弾圧から自分の権利を守るための自由権はあまり出題されないのではないでしょうか。討論、レポートなどをとりいれた授業形態もありえますが、一般には、教員が講話する一斉授業の後テストという形式です。
日本の学校での学習は学指導要綱に縛られ、また、どうしても受験が目標となりますから、受験で人権や民主主義への深い理解を問う問題が定番にならない限り、どうしても力が入らなくなってしまう、というか、「受験対策」に沿った暗記中心になってしまいます。
ちなみに、無味乾燥な単なる暗記科目になってしまっては本当の意味での人権、民主主義への理解は決して深まりません。
こんな所にも受験戦争の弊害はあるのだな、と思います。
人権教育への提言(3)へ続きます。
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