コメント
右翼です。
こんな連中を保守とか呼びたくない。
誰の論評か思い出せないのがトホホですが、こんな一文を新聞で読みました。
「歴史に学ぶのが保守、歴史を正当化するのは右翼」。
石原は憲法第98条を無視して「衆議院で憲法無効決議をすればいい」とまで言い切った前科もあります。
(この時、「憲法第99条違反だ」と指摘した共産党議員に「違反結構。自分はあの憲法を認めない」と言い放ちました。あんたのその地位は憲法と法律によりあるのじゃないかと)
“日本国憲法”の重要性を再認識したい
この立憲主義は、近代民主主義では、法の支配(≒実質的法治主義)とならんで基礎中の基礎です。
日本国憲法を蹂躙して憚らない、橋下徹や石原慎太郎の高い支持率を見るにつけ、日本国憲法に擁護されているにもかかわらず、何故そんなにも大切な日本国憲法を蹂躙する政治家を支持するのか?…。と疑問に思ってきましたが、良く良く考えれば、やはり、秋原さんご指摘の“立憲主義”を知らないことが、この悲惨な現状を招いている原因であるという考えに至りました。と、偉そうに能書き垂れているわたくしめ自身、実のところ“立憲主義”の深い意味をこちらのblog“Afternoon Cafe.”さんに出逢うまで知りませんでした。いやはや、お恥ずかしい限りです…。(。_゜)〃ドテッ!
日頃、jeanvaljeanさんが、お住まいのフランスの様々な事情を教えて頂いているのですが、フランスでは、教育で法律の意味などを子供のうちから、こと細かく理解させていると伺い、「この点が、日本に著しく欠如しているのだなぁ…。」と、このエントリーを読ませて頂いて、改めて痛感しました。“1+1=2”や“This is a pen.”を皆が知っていて当たり前という風に、日本国憲法の重要性や、人権意識を教育する大切さを認識すべきではないでしょうか…、勿論、平和教育も併せてですが…。 そうすることにより、“立憲主義”や“人権擁護”の意識が血肉となり、ご紹介の低劣な政治家は出現しないでしょう…、万が一出てきても、市民の大多数により拒否されるでしょうね…、そう考えると、つい最近まで死刑制度に特段の疑問も抱いていなかった自分自身を見つめると、ほんとうに怖いことなんだなぁ…、と思います。
『基本的人権』と『平和主義』を基調とする“日本国憲法”の価値及び大切さと“立憲主義”の深い意味を掘り下げ探り続けることは、ほんとうに大切なんですね…。
いつも、大切な事を示唆してくださる秋原さんに、あらためて感謝致します…。
愕然としますね
死刑に関する議論でもそれは顕著になっています。日本国憲法および国際法からも死刑は違法なのは明確になってきています。今こそ、日本はモンゴルに倣い死刑を廃止すべきでしょう。
日本国憲法は今だからこそ役に立つのです。アジアと欧米社会の橋渡しに日本はならねばなりません。アメリカの犬になっているのではなく、アジアと欧米社会の橋渡しとしての貢献こそが国際貢献です。自衛隊の海外派兵だけが国際貢献ではないのです。
また、日本の会社にも日本国憲法は今こそ必要なのです。オリンパスのパワハラ事件(このことについては私はある記事で愕然としたことを把握したので近々コメント予定です)でもそれは明快でしょう。
憲法を踏みにじる政治家を私は自称政治家と呼んでいます。どんどん自称議員、自称市長、自称知事をこっちで決めてレッテルを貼って恥をかかせる必要があるのです。難波の毛沢東ハシゲだの、お江戸のポルポト石原、千葉のヒムラー(ユダヤ人虐殺を行った人物であり、ヒトラーの死亡後、戦争の責任追及から逃れるため逃亡を図ったがその途中イギリス軍に捕まり、隠し持っていた青酸カリを服用し自殺)森田などろくでもない極右政治家のオンパレードには唖然とします。
>小野哲さん
そして、私はそういう政治を政治ごっこと呼びますね。幼い男の子がヒーローになったつもりで暴力的な遊びをしたがるみたいなごっこ遊び。
村野瀬さんへ
ハシゲや石原、森田や埼玉県のマヌケ上田たちは幼稚園でお遊戯でもしてらっしゃいといいたいですね。「お前たちの変わりはいくらでもいる」といっておきましょうか(笑)。
関口博・正統国立市長、太田正正統徳島県知事、伊波洋一正統沖縄県知事など日本には優れた護憲派の大人の政治家がいます。彼らに4年間日本の舵取りをさせればいい結果になるでしょう。
「国民」の実体
公務員は全体の奉仕者である。一首長の私兵ではない
その彼が、大阪市公務員に対して、己の命令を実行するように大阪市民に命令せよと号令をかけているのですから、まさに大阪市公務員を私兵として使い、永年の彼の悲願、主権在民の民主政治の破壊に狂奔し始めたと見るのが妥当ではないでしょうか。
いよいよ、彼は、同じ穴の狢、これまでの悪政の元凶、既成政治家、東京都石原慎太郎知事等と連携を具体化する活動にも入ったようです。
我々主権者である国民は、「すべての公務員は全体の奉仕者であり、一部の奉仕者ではない(憲法15条)」ことを絶対忘れてはならないし、如何なる政治家、権力者にも、この条項に反するような言動を許してはならないとおもいます。それを許すことは、まさに主権者国民の自殺行為であると思います。と、同時にあの忌まわしい戦前の「お上(オカミ)政治」に回帰する危険性があることも忘れてはならないと思います。
ちなみにこれ、文系大学の教養課程での履修基準です。
見よぼくら一銭五厘の旗
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/publication/hanamoriyasuji.html
この詩は昭和45年に発表されたそうですが、驚くことに、今読んでも、その内容がまったく古びていないように感じます。
>風鈴草さん…
感動しました。まさに今に当てはまりますね…。当てはまるところが、悲しいですね…、進歩がないということだから…。いや、この詩が詠まれた時代より劣化していることが、情けないですね…。 この時代、自殺者数は何人だったのでしょうかねぇ…、今、日本は14年連続で、三万人超えですもの…。
>人間が 集まって暮すための ぎりぎり
の限界というものがある
今の日本は限界を超えてしまっていて、この異常事態に気づかないのが、ほんとうに怖い…。
石原慎太郎や橋下徹の様な、庶民の暮らしむきについて一顧だにしない、政治屋に投票するのをやめて、庶民に寄り添い、暮らしむきについて真剣に考え、再分配のシステムを作ってくれる政治家に投票すれば良いだけのことなのに…、こんな簡単なことがわからないんだからね…。
風鈴草さん…、素敵な詩…、ありがとうございます。
そう。我々国民は為政者たちに「憲法に遵え」と命じ、同時に自らの権利を、次世代と子孫のために維持し続ける義務があります(第12条前段)。
>青い鳥さん
『見よ僕ら一銭五厘の旗』ですが、ふと、いっそこれを国歌にしたらどうだろうと思いつきました。
もちろん、国歌にするには長すぎるし、国歌としてはその内容も過激でありすぎますが。(笑
(特に下記の部分)
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする
ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
かったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
かったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ
(日本ペンクラブ:電子文藝館 花森安治 「見よ僕ら一銭五厘の旗」 より
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/publication/hanamoriyasuji.html )
国旗はもちろん、「一銭五厘の旗」です!
もしも、こんな国歌だったら、果たして橋下徹氏自身は歌うのでしょうか、歌わないのでしょうか?(笑
>風鈴草さん…
ぼくらの暮しを なによりも第一にする
ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
かったら
企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
かったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ
またまた素晴らしい…
今の日本は、政府も大企業も庶民を苦しめることしかやっていない…、多くの人たちが、我慢をし過ぎている。怒りの声をあげて、不届き千万な為政者や大資本家の連中に圧力をかけないことには、この庶民の窮状は何もかわらないと強く思います。 橋下や石原を絶賛している様じゃぁ、駄目ですね…。 (^_-)-☆
「一銭五厘の旗」
政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ”
ボン基本法(ドイツ憲法)にも謳われている「たたかう民主主義」(抵抗権)ですね、これ。
日本国民が進めている「法の支配」の政治 益々これからの希望の星である
20120901記 日本国民が進めている「法の支配」の政治 益々これからの希望の星である
政治の主体でもあり、主人でもある日本国民は、「人の支配」ではなく、「法の支配」の政治を追求し、悪い政策は「決めさせない」で、国民イジメの悪政の権化自民党・公明党の政権を「NO!」と断罪し、国民を欺いた民主党政権には退場を迫っている。
「人の支配」による政治とは異なって、「法の支配」の政治はその根底に「主権在民」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」、「議会制民主主主義」、「地方自治の原理」(夫々相互に関連し合いながら)を有している。
そして、これ等人類普遍の原理は、夫々相互に関連し合いながら、国の基本法、最高法規を構成しているのである。
ここに「国のあり方」、「国のかたち」が明確に既に示されている。今更言挙げするまでもなく、日本国民は既に「法の支配」の政治として追求し「国のあり方」、「国のかたち」に魂を入れて来ているのである。
「人の支配」の政治を行って来て、「法の支配」による政治を蔑ろにして来た政治家、政党などが大メディアと一緒になって今頃、しかも取って付けたように、「日本の国のあり方」、「国のかたち」などと喧伝していることは理解に苦しむものである。何か魂胆があるのか?
ネット内情報を分析、総合してみると、現在この「法の支配」の政治の進展を阻んでいるのが大企業・財界、アメリカであるという構図が明快に浮き上がって来る。
即ち、
財界は企業献金というカネで政権党を買収し、広告の発注を通じては大メディアを買収しジャーナリズム精神を骨抜きにし、それらを通じて実質的に権力を行使し、国民に対する支配態勢を構成して来ているのである。
また、アメリカは日米安保条約を通じて日本の経済、政治を米国の下に従属させている。
これら「人の支配」による政治を、主権者である国民が更に広く、深く認識し、その支配を許さず、これまで主権者国民が草の根から営々として築きあげて来た「法の支配」による政治を、これまで以上に一層自覚的に強めて行くことが、今益々求められて来ているのではないだろうか。
投稿日 2012/09/01 ニュース, 学問・資格, 文化・芸術, 日記・コラム・つぶやき, 書籍・雑誌, 経済・政治・国際 | 固定リンク