コメント
恥を知らない
彼のやったことは完全犯罪に手を貸しただけです。しかも、今回処刑された一人は精神病当事者、もう一人は再審請求を求めていた人です。
死刑にする根拠など全くないのです。そして、この不当執行はあの荒川沖連続殺傷事件の金川某にとって最高の福音になってしまったのです。彼は反省していないで、死刑を求めているのですから被害者や遺族はやるせないのです。
そんなことでいいでしょうか。
素晴らしいですね
我々法律家の鑑です。
これからも頑張りましょう。
応援しております。
>ツンデレメイドカフェ店主兼葉月教教祖様
裁判員制度はこのようにお裁判所様によって死刑制度の固定化のために使われているように思えるのですが、気のせいでしょうか。
国連や国際人権連盟ではありませんが、フランス大使とEU大使に取材した記事を取り上げたうちの記事をトラックバックしておきます。
秘書より。
まったく心に響きません。
>日本は世界の潮流に逆らって死刑の数を増やし続ける唯一の先進国
この2文は矛盾していませんか?
世界の潮流が本当に正しいんですか?
日本より犯罪率が高い国々を良い例に出されても困ります。
日本は独自に、自分たちで決めていけばいいんです。
もっと論理的に文章を書く練習をした方が良いと思われます。
> 人権派っておかしい という言い方は、自分の人権も要らないと言うことだというのがわかっていますか?
>日本は世界の潮流に逆らって死刑の数を増やし続ける唯一の先進国
この二文が矛盾しているとお感じになるのなら、あなたの論理性のほうに問題があります。
解説が必要ですか?
> 日本は独自に、自分たちで決めていけばいいんです。
EU、日本の死刑執行に「深い遺憾の意」
http://news.livedoor.com/article/detail/6420879/
EUがその言葉を聞いたら、まるで戦前の日本か現在の北朝鮮そっくりな発言だと思うことでしょう。
両方とも「独自」な路線ですね。
中国は汚職や薬物密輸にも死刑を以って臨むなど、日本以上の厳罰で知られています。
これもまた正しいとおっしゃいますね?
命の尊厳の深いところ…
【死刑否定の根本にある哲学を、ノルウェーの若者の手記に見てみる】
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/?mode=m&no=749&cr=05addd123d663a368cb5f5ce8d67b5d7
……(一部抜粋)……
>死刑は憎しみに基づくものですし、民主主義社会が高度になればなるほど人権、生命に敬意が払われるようになりますので死刑制度はなじまなくなります。
つまり、死刑は犯人が望むような社会にこそ親和性があるし、テロ犯罪の正しい対処とは正反対の手段です。
>死刑を復活させるこ
とはまさに犯人が望んだ社会の実現に近づくこと。だからノルウェーは死刑の復活を拒むのです。
>これに対し、日本の大多数の哲学は、人を殺したら殺されて当たり前、犯人を死刑に処すことこそ被害者や遺族や社会感情に応える正義である、というもの。
日本では、愛と寛容と民主主義をもってこのような極悪な犯罪に対処することは、馬鹿馬鹿しい偽善的なお花畑だ、こういう「人権屋」の自
己満足は被害者や被害者遺族や社会全体に仇なす害悪だ、と捕らえているかのようです。
確かに、何でもかんでも自己責任、社会的弱者に手をさしのべることを血税の無駄遣いと敵視する今の日本は、「愛と寛容」が欠如した殺伐とした空気が蔓延してますね。ノルウェーと日本、この哲学の違いはどこから来るのでしょう?
私が思うに、
日本は、本当の高度な民主主義をまだ自分たちの手で実現していません。ノルウェーのように「(民主主義の)システムは効果的に動いていて、 ほとんどの人々がその恩恵を受けてる。」状態ではあり
ません。
日本はそういう高度な民主主義が実現した社会ってどんなものか、その良さをまだ実感したことがないので、基本的人権を何よりも尊ぶ愛と寛容に基づく高度な民主主義社会に発展することを拒み、逆行するかのような道(死刑維持もその一例)を進みたがるのではないかと思える
のです。
……(抜粋終り)……
死刑制度の持つ非文明性を如実に且つ、端的に表現された観測霊さんの文章と、北欧ノルーウェイの先進性に衝撃を受けました。
わたし自身、日頃、知ったかぶりをして、やれ人権だの反戦平和だのと吠えていましたが、人間の命の尊厳の意味を深く自分の血肉にしていなかったと思い知らされました。恥じ入るばかりです…。
あらためまして、秋原さん、村野瀬さんの勇気並びに観測霊さん、小野哲さんに、ご示唆に対しまして感謝します。
わたしも今から、死刑制度廃止論者の仲間に入れるかも知れません…。
ps. 尊敬する在日の辛淑玉女史の言葉にも命の尊厳を守り抜こうとする覚悟と勇気を感じます…。
『わたしは、殺されても殺さない。でないと、簡単に人を殺してしまうから…。』 この言葉にも、人間には尊い可能性を秘めているということを感じました。
これは日本人の精神形質に根差すものかもしれません。
何せ、百数十年前まで“仇討ち”という考え方があったお国柄ですので。(1873年の太政官布告「復讐ヲ嚴禁ス」によって禁止されました)
ASさん…
ASさん、またまた勉強させて頂きました。ありがとうございます。
>小野哲さん
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/120215.html
(引用開始)
当連合会は、法務大臣等に対し、精神障がいのある死刑確定者に対しては、まず何よりも適切な医療措置がとられるべきであり、さらに、自己の生命が刑事裁判によって絶たれることの認識能力がない「心神喪失」の状態にある者について死刑執行の停止を定めた刑事訴訟法第479条第1項によっても、死刑の執行がなされてはならないこと等を、人権救済申立事件に関して繰り返し勧告してきた。近時においても、昨年1月27日付けで袴田巌氏について、同旨の勧告を発したところである。2008年10月には国際人権(自由権)規約委員会も、日本政府に対し、いくつかの事例では、高齢者又は精神障がい者であるにも関わらず執行を行っていることについて懸念するとし、死刑制度自体についての検討のほか、高齢者ないし精神障がい者の死刑執行に関して、人道的なアプローチをとるよう考慮すべきことを、特に指摘して勧告している。
(引用ここまで)
人権委員会の勧告を無視するのはもとより自国の刑訴法の規定も無視。例の六ヶ月規定に関しては「法律を守れ!キイキイ!」と叫ぶ人もこれはスルー
(ちなみに六ヶ月規定は何の拘束力もない訓示規定に過ぎないと判示されてるんですけど未だにそれを知らない人が多い)
再審請求中は刑の執行がされないのが通常ですが、弁護人はついていなかったのでしょうか。
とにかく死刑が為されればなんでも諸手を挙げて歓迎という有様は異常の一言に尽きます。
たとえ死刑に賛成であっても、精神障がいを患う死刑囚に刑の執行、再審請求中の執行には抗議すべきなのです。(再審請求中でも刑の執行をしてしまえというなら、袴田事件や名張事件でも刑を執行して構わない、ということになりますね)
冤罪の可能性が大であると言われてるにもかかわらず刑の執行がなされたので有名な飯塚事件ですが、大半の国民はこの国家的犯罪についてなんと無頓着なことか。
2009年に弁護団が死後再審請求するという話でしたが、今の日本ならもしこれが冤罪だとわかっても、
「飯塚事件の久間さんには気の毒だったけどだからと言って死刑制度を廃止すべき理由にはならない」とあっさり通過することでしょう
>徳岡先生
>忠実なる僕へ
のちほど私からもトラバと新たなツボを送ることにいたしましょう。
おほほほほ
飯塚事件での執行ですが、かの麻生太郎の地元(福岡8区、しかも出身地)だったことも影響しているという話を聞いています。
絵本作家、故いわさきちひろさんの夫、松本弁護士のご意見…
【元少年の死刑確定へ】
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/601757/508841/71695740
…(一部抜粋開始)…
… あと一ヶ月遅く生まれていたなら法律により死刑に処することは出来なかった。犯行時18歳1ヶ月の被告を死刑にする最高裁の上告棄却の判決、光母子殺害事件に異例の反対意見がついた。反対意見は「少年司法運営に関する国連最低基準規則に反している」ことを指摘している。弁護団は不当判決と非難した。妻子を殺された被害者の感情からすれば「到底許しがたい、死をもって償え」ということになるのは当然だが、刑事裁判はあだ討ちではない。犯罪から社会を防衛するにはどういうことが必要かという問題だ。難しい問題だが、刑事裁判の本質にかかわる問題だから、広く議論されるべきことだろう。コメントのある方はどうぞ。
橋下大阪市長の支持率が70%ということを朝日新聞が発表した、彼の憲法違反の言動に厳しい批判をせずにこういうことをするのは果たして言論機関の責務に合致するのだろうか。これも大いに議論しなければならない。彼の相棒といってもいい河村名古屋市長「南京事件はなかった」と発言、世の中なんだかおかしいぞ。主権者国民が憲法をよりどころに大きな活動をしていかねばならんときだ。…
…(コメント欄より転載)… 政治が悪くなるとどうしてもあだ討ち司法になる。これは刑法学では応報刑主義といいますが、少数説になってきました。しかし、立法はあだ討ち主義になりつつあります。政治の悪さを司法で解決しようというのは邪道です。…
……(抜粋終り)……
刑法学上の応報主義は問題ありですね…。
アイヒマンを思い出す
ナチスでユダヤ人絶滅計画の責任者の一人だったアイヒマンの言葉と似ている気がします。
「私は職務をまっとうしただけで無罪」
イスラエルでの裁判において「死刑」になりましたが…(イスラエルは死刑廃止国(戦犯以外))
日本の法相の場合は「責任は国民に…」ですか?
裁判員制度になってどれだけの死刑判決が出ているのでしょうか?考えると暗澹たる気持ちになってしまいます…
>もっと論理的に文章を書く練習をした方が良いと思われます。
…あの~老婆心ながら、もっと文章を理解する練習をされた方がいいのでは?このままでは恥かきまくってしまうのではないでしょうか?「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥」と言いますし~
>日本より犯罪率が高い国々を良い例に出されても困ります。
その根拠は?日本は犯罪率が低いのですか?一部では「日本は訴ったえずに泣き寝入りが多い」とも言われているようですが。
>日本は独自に、自分たちで決めていけばいいんです。
まるで命に国境があるかのようですね。それともそういうお考えなのでしょうか?じゃあ「日本人の命は低くていい」と思っているって事ですね。
>まるで命に国境があるかのようですね。それともそういうお考えなのでしょうか?
>じゃあ「日本人の命は低くていい」と思っているって事ですね。
おそらくそうなんでしょう、こういう人たちは。
実際、外国で極刑に処せられた日本人について、外務省が「両国の友好関係に鑑み」と減刑嘆願をした事は一度もありません。
まったく心に響きません。
人権派すべてではなく『偏り過ぎた』人権派は嫌いです。
『偏り過ぎた』人権派=光母子殺害事件の弁護団や秋原葉月氏です。
>EUがその言葉を聞いたら、まるで戦前の日本か現在の北朝鮮そっくりな発言だと思うことでしょう。
そもそもEUがすべて正しいのですか?あの崩壊しそうなEUが正しい見本になると(笑)
なぜEUの目を気にしなければならないのだ?
秋原葉月氏のコメント見ていると、自分の主張に賛同する者以外は少しも認めないのですね。
どこかの市長みたいだ。
ASさん
>中国は汚職や薬物密輸にも死刑を以って臨むなど、日本以上の厳罰で知られています。 これもまた正しいとおっしゃいますね?
なぜ中国を例に出すんですか?あの国は中国共産党の一党独裁国家であり、民主主義国家ではないですよね?
背景が違い過ぎて対象とはなりません。民主主義でない死刑制度はおかしいと思います。
まった
>…あの~老婆心ながら、もっと文章を理解する練習をされた方がいいのでは?このままでは恥かきまくってしまうのではないでしょうか?「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥」と言いますし~
その言葉そっくりそのままお返しします。
あなたはもう少し日本語の練習をされたほうがよろしいのではないですか。
>その根拠は?日本は犯罪率が低いのですか?一部では「日本は訴ったえずに泣き寝入りが多い」とも言われているようですが。
では「日本は訴ったえずに泣き寝入りが多い」という根拠は?
>まるで命に国境があるかのようですね。それともそういうお考えなのでしょうか?じゃあ「日本人の命は低くていい」と思っているって事ですね。
なぜ日本『人』となるのでしょうか?
まだ、『日本では人の命は低くていい』という意見でしたら反論できるのですが。
文章を理解する能力が低いのでしょうね。
ではシンガポールでもインドネシアでもいいですよ。東南アジアの諸国は、おしなべて薬物には非常に厳しい態度を取ります。日本の比ではありません。
そういえばメルボルン事件つーのもありましたっけ。
……で、“人権派っておかしい”さんとやら、あなたは日本と中国が同じレベルでいいわけですか?
今こそ国際人権B規約第2選択議定書を批准し、人権先進国の仲間入りすべきだとは思いませんか?
まったく心に響きません。
>ではシンガポールでもインドネシアでもいいですよ。東南アジアの諸国は、おしなべて薬物には非常に厳しい態度を取ります。日本の比ではありません。
普通に旅行する分には問題ないんじゃないですか?
実際に年何人くらい薬物関係で日本人が逮捕されているのですか?
>そういえばメルボルン事件つーのもありましたっけ。
すっかりその事件のことは忘れていましたので、少し調べてみましたが、かなりグレーですので何とも言えませんね。前科持ちだったので疑われたんじゃないですか?
>今こそ国際人権B規約第2選択議定書を批准し、人権先進国の仲間入りすべきだとは思いませんか?
まったく思いません。国際人権B規約第2選択議定書を批准=人権先進国という発想がありません。
何をもってして先進国と判断されるのですか?もしかしたら後進しているかも知れないですよね。
そもそも、そんな国際法に日本が縛られるのは嫌です。現行の国内法で十分です。
日本の法律は日本人が決めればいいんです。
まったく心に響きません。
私は理系の人間なので法に疎いかも知れませんが、
国民の三大義務をちゃんと果たしている日本国民で、
裁判員制度によって法廷に行く可能性がある人間です。
真剣に考えているのでネットウヨの一言で片付けないで下さい。
ASさんにお聞きしたいですが、光母子殺害事件の弁護団のやり方が
国民感情を逆なでしているとは思わないのですか?
死刑反対運動の一環としては逆効果だと思わないのですか?
まったく心に響きません。
そんなにノルウェーが良いですか?
高福祉高負担のシステムも無理がきてますよね。
少し住んでいた友達に聞いたが、若者にとってあんなツマラン国は無いって言っていたが。
爆破・乱射事件あったの知ってます?どこかにひずみがきているんじゃないですか?
案外ノルウェー人に聞いたら日本の方が素晴らしいって言うんじゃないか。
要するに“奴らを高く吊るせ”と言いたいわけですね。
もうあなたには何を言っても無駄だろうと分かりました。
他人の人権を蔑ろにする者は、自分の人権を同様に侵されても反論する資格はありません。
私が言いたいのはこれだけです。
“AS”さん…
ASさんのご判断は賢明です…。支持します。
司法判断に感情を持ち込むべきではありません…
個別事件ごとに、司法において、法に則り、粛々と審理すべきであると思います。 司法判断に“国民感情”を過度に持ち込むべきではないと考えます。 『被害者の感情からすれば「到底許しがたい、死をもって償え」ということになるのはある面では当然でしょうが、刑事裁判はあだ討ちではないのですよ。犯罪から社会を防衛するにはどういうことが必要かという問題です。 政治が悪くなるとどうしても仇討ち司法になります。これは刑法学では“応報刑主義”といいますが、国際的には少数説になってきました。しかし、日本の司法・立法は仇討ち主義になりつつあります。
政治の悪さを司法で解決しようというのは邪道です。』⇒【松本善明弁護士の言説】
>そんなにノルウェーが良いですか?
少なくとも、日本に比べ、民主主義・人権擁護、富の再分配に関しては、数段、優れていると考えます。14年もの長きにわたり自殺者数が三万人を超える格差社会に堕落した日本という国が、まともな国だと言えますか?
“『偏り過ぎた』人権派”というより、今の日本は、“人権蹂躙に『偏り過ぎた』”国…というべきでしょうね…。
ただ、今、言えることは、一旦、死刑の執行を凍結し、犯罪被害者のご遺族を含め長い時間を費やし、全国民的議論をへた後、死刑存廃を判断すべきでしょう。人間の叡智でもって仇討ち感情を克服したいものです。
『わたしは殺されても殺さない覚悟と勇気を持ちたいのです。でないと人間をいとも簡単に殺してしまうから…。』
“ひとりの冤罪者を出すくらいなら、百人の犯罪者を取り逃がした方が、余程健全である…”by 青い鳥…、、、
はじめまして。
老婆心ながら、「人権派っておかしい」とハンドルネームで主張しておきながら「人権がいらないのか」と問われたとたん、「偏り」を問題にするというのは、いささかみっともなく思えます。そもそもその「偏り」とやらもなんら説明がないので、当方としてはあなたの主観の表れとしか思えません。
光市事件の弁護団について申し上げれば、被告人の主張を弁護し、被告人の利益を最大限守るのがそもそもの弁護士の法廷における役割です。たとえ原告や被害者、その遺族にとって不愉快であろうとも、被告人の言い分を伝え、法的な根拠に基づいて情状酌量や刑の減免を訴える事は違法でもなんでもありません。
それが国民感情を逆撫でするから許されないとおっしゃるのならば、事件に対する国民感情次第で弁護が制限されるという事になります。それは罪刑法定主義という近代司法の根幹をまったく無視しています。法廷は国民感情を慰撫したり満足させるための場所ではありません。社会の中で個人が犯した罪を、法と科学的証拠と良心に基づいて事実認定し、刑罰を確定するための場所です。
「国民感情を逆なでしているとは思わないのですか? 」とおっしゃいますが、あなたが法廷の社会における役割、法廷における弁護士の役割を理解していれば、生じようのない疑問です。
それから「死刑反対運動の一環としては逆効果だと思わないのですか?」との仰せですが、光市事件の弁護団には死刑を容認する弁護士も参加しています。つまり「死刑反対運動の一環として」の弁護などではありません。
事実と異なる認識で相手を非難しようとしないほうがいいですよ。
そもそもまともな弁護士であれば、自身の政治活動と職務をごっちゃにするような事はしませんし、弁護人の職責が被告人の利益の代弁者であり擁護者であるのですから、弁護人が「死刑回避」を主張するのは当たり前の事です。
弁護士が被告人のために最大限力を尽くす事は、弁護士本来の職責であってそれを「偏っている」と仰るなら、ご自分の視点の「偏り」を疑ったほうがいいのではないかと思います。
> 自分の主張に賛同する者以外は少しも認めないのですね。
”少しも認めない”のだったらそもそもあなたのコメントは表に出されていませんよ(笑)
> そもそも、そんな国際法に日本が縛られるのは嫌です。現行の国内法で十分です。
国際人権規約は世界人権宣言を条約化したものです。これから脱退するという事は日本が世界中に「世界人権宣言を認めない」、平たく言い換えれば、日本が世界中に「我々は普遍的な人権など認めない=人権侵害をやりまくる」と宣言するに等しい行為なのですが、それで構いませんか。
> 爆破・乱射事件あったの知ってます?
ここに来ている方は皆さんご存知だと思いますよ。
さて、あの事件の犯人はキリスト教原理主義かつ排外主義者で日本に強いシンパシーを寄せていたそうですね。
そんな”凶悪犯”=反社会的行為に及んだ人にシンパシーを寄せられてしまう時点で、日本が人権分野において後進的であると海外からも認識されている事が証明されているようなものではありませんか?。
”凶悪犯”に親近感を抱かれてしまう国では死刑が維持されて”凶悪犯”は軒並み死刑、というのはなんとも皮肉で倒錯した状況だと思います。
>観測霊様へ
【死刑否定の根本にある哲学を、ノルウェーの若者の手記に見てみる】
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/?mode=m&no=749&cr=05addd123d663a368cb5f5ce8d67b5d7
>何でもかんでも自己責任、社会的弱者に手をさしのべることを血税の無駄遣いと敵視する今の日本は、「愛と寛容」が欠如した殺伐とした空気が蔓延してますね。ノルウェーと日本、この哲学の違いはどこから来るのでしょう?
私が思うに、
日本は、本当の高度な民主主義をまだ自分たちの手で実現していません。ノルウェーのように「(民主主義の)システムは効果的に動いていて、 ほとんどの人々がその恩恵を受けてる。」状態ではありません。……拒み、逆行するかのような道(死刑維持もその一例)を進みたがるのではないかと思える
のです。
以上の言説は、死刑制度の存廃問題を考えるうえで、非常に貴重な視点を包含していると思います。 今、日本では“自己責任論”なるものが跋扈し、それを当然として多くの主権者である市民が受けとめているところに、日本の閉塞感の原因があるように思えてならないのです。 それと怖いのは、“人権”という大切な言葉が、リベラルを揶揄するのに利用されていることです。これは、民主主義において最も大切な“基本的人権”を自ら足蹴にする愚行であると考えます。
観測霊さん…、このまま日本があらぬ方向へ突き進むことにただならぬ恐れを感じている今日この頃です…。
まったく心に響きません。
>要するに“奴らを高く吊るせ”と言いたいわけですね。 もうあなたには何を言っても無駄だろうと分かりました。 他人の人権を蔑ろにする者は、自分の人権を同様に侵されても反論する資格はありません。 私が言いたいのはこれだけです。
質問は無視ですか?私一人させも説得できないんだったら死刑制度廃止なんて無理ですね。他人の人権を蔑ろにするとありますが、はっきり否定します、蔑ろにしていません。
追加の質問ですが、教えていただきたい。人権って死んだら無くなってしまうのですか?あなた方は被害者の人権を蔑ろにしているように見える。
まったく心に響きません。
コメントが長いですね。もう少し要点を絞って書かれたほうがよろしいですよ。
質問>国民感情を逆なでしているとは思わないのですか?
返答>個別事件ごとに、司法において、法に則り、粛々と審理すべきであると思います。 司法判断に“国民感情”を過度に持ち込むべきではないと考えます。 『被害者の感情からすれば「到底許しがたい、死をもって償え」ということになるのはある面では当然でしょうが、刑事裁判はあだ討ちではないのですよ。犯罪から社会を防衛するにはどういうことが必要かという問題です。 政治が悪くなるとどうしても仇討ち司法になります。これは刑法学では“応報刑主義”といいますが、国際的には少数説になってきました。しかし、日本の司法・立法は仇討ち主義になりつつあります。
政治の悪さを司法で解決しようというのは邪道です。』⇒【松本善明弁護士の言説】
↓
まず伺いたい。あなたは裁判員制度について賛成か反対か。
国民感情を過度に持ち込むべきではないとのことですが、今までが反映され無さ過ぎだったんじゃないですか?
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質問>そんなにノルウェーが良いですか?
返答>少なくとも、日本に比べ、民主主義・人権擁護、富の再分配に関しては、数段、優れていると考えます。14年もの長きにわたり自殺者数が三万人を超える格差社会に堕落した日本という国が、まともな国だと言えますか? “『偏り過ぎた』人権派”というより、今の日本は、“人権蹂躙に『偏り過ぎた』”国…というべきでしょうね…。 ただ、今、言えることは、一旦、死刑の執行を凍結し、犯罪被害者のご遺族を含め長い時間を費やし、全国民的議論をへた後、死刑存廃を判断すべきでしょう。人間の叡智でもって仇討ち感情を克服したいものです。 『わたしは殺されても殺さない覚悟と勇気を持ちたいのです。でないと人間をいとも簡単に殺してしまうから…。』 “ひとりの冤罪者を出すくらいなら、百人の犯罪者を取り逃がした方が、余程健全である…”by 青い鳥…、、、
↓
日本に比べ、民主主義・人権擁護、富の再分配に関しては、数段、優れていると考えますという根拠は?
デメリットを唱える異見も多数あります。
一例は、富の再分配を嫌ってノルウェーを出て行く高額納税者が多数いること。医療制度の問題等。
日本は、“人権蹂躙に『偏り過ぎた』”国ではなく資本主義のあるべき姿。共産主義は廃れています。
一旦、死刑の執行を凍結しっておかしいな。現行の法律で決まってるんだから粛々と進めれば良い。
あなた方は法律を軽視し守らない愚か者だ。
“ひとりの冤罪者を出すくらいなら、百人の犯罪者を取り逃がした方が、余程健全である…”by 青い鳥
その取り逃がした一人が100人を虐殺するかも知れませんね。
老婆心ながら、あなた様もコメントが長いので、もっと端的に書いた方がよろしいのではないでしょうか。
>老婆心ながら、「人権派っておかしい」とハンドルネームで主張しておきながら「人権がいらないのか」と問われたとたん、「偏り」を問題にするというのは、いささかみっともなく思えます。そもそもその「偏り」とやらもなんら説明がないので、当方としてはあなたの主観の表れとしか思えません。
↓
私はあなた方と違い頭が柔らかいので、自分が間違っていたと思えば考えを修正することができます。
あの表現では大多数の素晴らしい人権派を否定することになるため、訂正しました。
『偏り』の例は前述したはずです。
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>光市事件の弁護団について申し上げれば、被告人の主張を弁護し、被告人の利益を最大限守るのがそもそもの弁護士の法廷における役割です。以下略
↓
光市事件の弁護団は完全に戦略ミスだったじゃないですか。弁護活動ではなく、単なるへりくつ。
実際に法廷でも加害者は全く反省していないと一刀両断されていましたし、
自分が裁判員になっていたら死刑に賛成します。
今までの法廷が、国民感情が無さ過ぎたんだ。
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発言> 自分の主張に賛同する者以外は少しも認めないのですね。
返答>”少しも認めない”のだったらそもそもあなたのコメントは表に出されていませんよ(笑)
↓
その通りですね。一意見として聞いていただいてありがたい。
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発言> そもそも、そんな国際法に日本が縛られるのは嫌です。現行の国内法で十分です。
返答>国際人権規約は世界人権宣言を条約化したものです。これから脱退するという事は日本が世界中に「世界人権宣言を認めない」、平たく言い換えれば、日本が世界中に「我々は普遍的な人権など認めない=人権侵害をやりまくる」と宣言するに等しい行為なのですが、それで構いませんか。
↓
認めない=人権侵害をやりまくるというのは詭弁である。
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質問>爆破・乱射事件あったの知ってます?
返答>ここに来ている方は皆さんご存知だと思いますよ。
さて、あの事件の犯人はキリスト教原理主義かつ排外主義者で日本に強いシンパシーを寄せていたそうですね。 そんな”凶悪犯”=反社会的行為に及んだ人にシンパシーを寄せられてしまう時点で、日本が人権分野において後進的であると海外からも認識されている事が証明されているようなものではありませんか?。 ”凶悪犯”に親近感を抱かれてしまう国では死刑が維持されて”凶悪犯”は軒並み死刑、というのはなんとも皮肉で倒錯した状況だと思います。
↓
テロはキリスト教原理主義かつ排外主義者で日本のせいだと?
根本的な問題はノルウェーにあると思う。移民増加による失業率低下、犯罪率上昇等。
あなたの考えは偏り過ぎている。日本は今でも十分素晴らしい国だ。
こうゆう考えの方には、何を言おうと、“糠に釘・暖簾に腕押し”…聞く耳を持たれないと判断します。よって貴殿のご質問にお答えする気が起こりません…。
長文をあなたに批判されたくはないですね…、人様にものを尋ねる態度ではないですよ…、あなたの態度は…、
以上
管理人さんへ
全くそのとおりですね。私はアスペルガー症候群当事者のため、今回の不当執行強行に心から怒りを覚えています。一人は精神疾患、もう一人は再審請求準備をしていたわけです。
今回の犯罪を許すことは、あの山口県光市の母子暴行致死事件の被告人の元少年の執行に道を開くことになるわけです。この元少年も発達障がい当事者だった事実があるのです。そのことを含め、裁判は精神医学を無視してただ「被害者の感情」だけを優先し、あほな判決を垂れ流すのです。
ですが、被害者が何よりも望むのはこうした事件の再発防止ではないでしょうか。あなたに不当な文句をつけている愚か者どもはみんなそのことを忘れているのでしょう。感情で人を裁けといった段階で被害者や遺族は加害者になってしまうのだといいたいですね。
ついでに返す刀で。
自称「偏りすぎた『人権派っておかしい』」君、君はお粗末だ。君の暴言こそ世界中の人たちや我々の心に響かないし、逆に論破されている。
裁判とは何のためにあるのか。犯罪が何故起きたのかを分析し、再発を防ぐためにあるのであって、被告人の更生はその一部に過ぎない。君の暴言を一言で言えば、「木を見て森を見ず」だ。
国際法をしっかり勉強し、管理人さんにそれでもおかしいというなら国際法の立場から反論しなさい。それができないから君は私から上から目線で見下されているのだ。観測霊さんや青い鳥さんに君のお粗末な論は徹底的に論破されているのでここでは言及しないが、不用意な言い逃れはやめなさい。
まったく心に響きません。
反論出来ないということですね。
“糠に釘・暖簾に腕押し”とコメントされていますが、世論は死刑賛成派が多数を占めていることは説明いりませんよね?これからあなた方は私のような人とも議論していかなければならないんじゃないですか?自分の主張に賛同してくれなかったらシャットアウトですか。これではしばらく死刑制度は続きそうですね。
小野哲さん
>ついでに返す刀で。
自称「偏りすぎた『人権派っておかしい』」君、君はお粗末だ。君の暴言こそ世界中の人たちや我々の心に響かないし、逆に論破されている。
裁判とは何のためにあるのか。犯罪が何故起きたのかを分析し、再発を防ぐためにあるのであって、被告人の更生はその一部に過ぎない。君の暴言を一言で言えば、「木を見て森を見ず」だ。
国際法をしっかり勉強し、管理人さんにそれでもおかしいというなら国際法の立場から反論しなさい。それができないから君は私から上から目線で見下されているのだ。観測霊さんや青い鳥さんに君のお粗末な論は徹底的に論破されているのでここでは言及しないが、不用意な言い逃れはやめなさい。
↓
どこが論破されているんですか?皆、私の正論に返答できず逃げているじゃないですか(笑)
自分と主張の違うものを『お粗末』扱いとは、どこかの市長と似ていますね。
自分の職業の勉強が忙しく、国際法を勉強する時間はありません。一国民として意見を述べているのです。
国際法を知らなかったら意見を述べてはならないのですか?法律は国民の意見の集約によって作られるのではないですか?あなた方は法律を軽んじている愚か者だ。
上から見下しているとありますが、その言葉そっくりそのままお返しします。
まったく心に響きません。
まったく心に響きません。
あなたと私の違いは、私はちゃんとこの部分が納得いかないので響かないと理由を書いています。
子供の喧嘩じゃないんだから(笑)
一応、補足します
>では「日本は訴ったえずに泣き寝入りが多い」という根拠は?
これは失礼致しました。
http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010112001000445.html
性犯罪被害の相談4千件 「泣き寝入り」実態も
日本の強姦罪は女性被害者にしか適応されませんから男性被害者は被害届をだすのを止める、という話も聞きました(「性犯罪をなくそう」活動の中で男性被害者の方が「警察に届をだすなと言われた」経験を話していました)
また、日本の「強姦罪」の定義は挿入で接触ははいりません。この定義が各国によって違うので(性犯罪だけでなく)
数字だけで判断されるのは実態と違う場合がある、と言いたかったのです(あなたが定義が違うことを踏まえているか分からなかったので)
>なぜ日本『人』となるのでしょうか?
ASさんも話してくださってますが、海外において殺人以外にも死刑になった日本人に対して世論も政府もさほど騒ぎませんでしたので。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111217/chn11121711200000-n1.htm
日本人に死刑判決 中国 覚醒剤取引
>あなた方は被害者の人権を蔑ろにしているように見える。
?死刑反対だったらどうしてそうなるんですか?
冤罪の可能性を無視しているのはどちら?
私は死刑制度を支持するなら
「自分、家族、友人などが無実で死刑になっても受け入れる」
「死刑執行を死刑賛成の人の中から選ぶ」
ぐらいは覚悟するべきだと思いますね。でないと「自分の命より人の命は下」になりますから。
>私の正論に返答できず逃げているじゃないですか
いや、あなたが「自分は正論」ありきで話しているからですよ;コメントを見る限り「死刑制度」より「自分のプライド」を優先させているように思われます。
>その取り逃がした一人が100人を虐殺するかも知れませんね
つまり「とりあえず死刑にしておけ」と;
そのような痛ましい事件が起きた場合は「死刑にしなかったこと」ではなく「更生に失敗した」とみるべきなのです。
犯罪を減少させる最大の方法は「犯罪をうみだした環境の排除と改善」です。
でないと、後から後から同じような犯罪者が生まれてしまいます。
「死刑」というのは「後処理」にしかすぎないのです。
被害者も悲しみも憎しみも生まれてしまった後です。
下記参考にどうですか?
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-532.html
死刑FAQ「村野瀬玲奈~」様のブログ
まあ、無実で逮捕された時、人権派っておかしいさんのような人が裁判員がいない事を祈るばかりです;
(この記事へのコメントはこれで終わりにしますね。きりないから)
いえ、お気になさらないでください。
> 『偏り過ぎた』人権派っておかしいさん
お返事をいただきありがとうございます。
> 老婆心ながら、あなた様もコメントが長いので、もっと端的に書いた方がよろしいのではないでしょうか。
そうですね。以前から心がけようとはしているのですが、正確を期そうとするとどうしても長くなってしまうのが悩みの種です。
もっとも”端的”すぎるのもどうかと思いますけども。あなたも”端的”すぎたせいでハンドルネームを変えることになったのですし。
間違いを改めるのにためらいがないとおっしゃいましたが、それは”間違う”のにためらいがないのと紙一重ですよ。ひとの命と人権がかかった話なのですから、”間違えた。でも改めるから問題なし”では、いささか粗雑すぎる態度のように思えるのですが。
あと、誤りを認めるとおっしゃるのなら、誤っていたときは、詫びの一言くらい入れるものです。これは社会人としての礼儀の範疇ですよ。
さて、質問が前後するのですが、上記に関連するのでこちらを先に。
> テロはキリスト教原理主義かつ排外主義者で日本のせいだと?
少なくともあの事件については、容疑者はキリスト教原理主義で排外主義者であったことは、当人の証言やその後の捜査でも明らかになっています。そしてわたしはすべてのテロの原因が「キリスト教原理主義と排外主義にある」などとは一言も言っておりませんし、「日本のせい」だとも言っておりませんが。やはり言葉を尽くして、正確を期さないと誤解されるという事が分かりましたので、長文になりますがお付き合いください。
わたしはあなたがノルウェーの一連の事件を引き合いに出して、ノルウェー社会は「無理」や「ひずみ」が起きていて、「案外ノルウェー人に聞いたら日本の方が素晴らしいって言うんじゃないか」などとおっしゃるものですから、”そういっているのは一連の事件の容疑者の方ですよ”、と”端的に”申し上げたまでです。
で、これはあなたが「人権保護が先進的だという証拠がどこにあるのか。後進しているかもしれないじゃないか」などともおっしゃっていたものですから、「反社会的な犯罪に手を染めた容疑者から”シンパシー”を寄せられてしまう、日本のどこらへんが”素晴らしい”んですか?」という意味も込めて、あのコメントを”端的に”書かせていただいたのですけど、通じませんでしたか?”端的に書きなさい”とおっしゃるからには読解力に相当自信があるとお見受けしたのですけど。
わたしの書き方が悪いとおっしゃるなら、やはり”端的に”書くわけにはまいりません。申し訳ないですけどわたしには”端的に”あなたに理解していただくような文章を書くようなセンスも力量もありませんから、こういう人間と議論することになったら、それは運が悪かったとあきらめていただくほかありません。無理やり”端的に”書いて、そのたびにこうしてあなたの誤読を訂正していくのも面倒ですし。
議論を打ち切りたければどうぞ、ご自由に。”観測霊は書くことが長い”という理由で。もっともそれはあなたの長文読解力を疑わせるに十分な”自白”とさせていただきますけども(笑)
> 光市事件の弁護団は完全に戦略ミスだったじゃないですか。弁護活動ではなく、単なるへりくつ。
わたしはあの弁護団に戦略ミスがあるとしたら、それは”場外乱闘”への備えが甘かった点にあると思います。結果論ですが。
つまり法廷外での事件に対するマスメディアの報道に、弁護団が思った以上に法廷が引きずられていってしまった事に、弁護団も対応できなくなってしまったのでしょう。対応のしようあったとも思えませんけど。もちろんだからといってそれが正しい事ではありませんし、弁護団の法廷での主張を損なうものではありません。
と、こうやってちゃんと書かないとあなたに「弁護団の言い分が間違っていると認めた」と解釈されかねないという恐れがぬぐえませんので、あしからずご了承ください。
> 今までの法廷が、国民感情が無さ過ぎたんだ。
あの、わたしの述べた法廷の社会における役割について「返答できず逃げているじゃないですか」。繰り返しますが、法廷は国民感情を満足させるための場所ではありません。理由は先述しました。違うというなら、法的な根拠を述べてください。
> 認めない=人権侵害をやりまくるというのは詭弁である。
そう言い張る事こそ、詭弁ですよ。人権宣言を否定するという事はその宣言、人権の価値を認めないという事です。価値を認めないという事はそれを守る必要を認めないという事です。
人権の価値を認めず、それが守られないと宣言された社会で、どうやって個人の人権が普遍的に保障される(法の下の平等からいって当然の事です)のですか?人権宣言を否定したからと言って、人権を保障しないとは言ってないなどと言う方が、どう考えても詭弁でしょう。
以上、長文失礼しました。
死刑批判をすれば「国それぞれの法がある」。
死刑適用に日本では考えられない例がある国を挙げたら「日本はその国とは違う」。
これは議論や対話じゃない。論点のすり替え、有利な自陣に引き込もうとするディベートです。
日本の死刑は現在のところ殺人があった場合のみに適応されています。凶悪殺人の犯人を殺すことで、『加害者は命を奪われるほど、加害者のやったことは重かった』つまり、『それだけ被害者の人権は大切だった』ということを示している面もあると思います。死刑を科しているからといって人権を軽んじているということはないはずです。
死刑廃止フォーラムからも抗議声明が出ているのでメモ
>小野哲さん
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/modoshi.htm
その程度ならコメントする必要はありません
それから自称人権派くんへ。君は私の指摘に回答にならない暴言で返してきたが君がそうすればそれだけ君がバカだと自白しているに過ぎない。以前村野瀬玲奈さんのブログで同様の荒らしがあったが私は論破して撃退した。
君にもう一度警告する。国際法を勉強してからコメントしなさい、嫌ならコメントは止めなさい。もしコメントしたならば君は更に私やASさんに負けたという事だ。
>鷹司様…
わたしは、被害者・加害者を問わず、人権は存在すると思います。 実は、わたしもつい最近まで、鷹司様と全く同様の考えでしたが、“死刑制度存廃問題”に関わる様々な考えを学習したり、様々な方のお考えをうかがい考察していく内に、「やはり何びとも、人間を殺してはならないのだ…。」という考えに至りました。ほんとうについ最近です。この考えに至らせて下さった、秋原さんや村野瀬さんはじめ、こちらのブログのご常連の卓越したお考えをお持ちのコメンテーター諸兄に心から感謝しています。わたし自身が、殺人にくみしなくて済んだと…。仇討ち思想に洗脳されたままでしたら、わたし自身、人を殺していた可能性が“0”ではなかったかも知れないのですよ…。誰だって人を殺すことを好まないと思うんですよ…。 わたしは人間の知性と寛容さと勇気を信じたいんです。
わたしには、ふたりの娘がいますが、もしふたりの娘が殺されたら、正気ではおられないでしょう…、罪を犯した人間を殺したいと強く思うでしょう。しかし、わたし個人の感情は感情として、法律は法律として厳然と存在していて欲しいのです。あらゆる要因が複雑に絡み合い殺人に至ってしまったのだろうと、斟酌する知性を養いたいのです。怒り・復讐心を凌駕する“知の力”を身につけたいのですよ…。わたしが、この世の中で一番、憎むものは、核兵器と戦争です。ひとりとして殺してはならないと思うからです。反戦の信念を持つわたし自身が、人の命を奪う死刑制度に加担してしまったら、自分の信念に背くことになり、整合性がとれなくなってしまうのです。これが、わたしのささやかな矜恃なんです。鷹司さん…話が逸れてしまい申し訳ありません。ほんとうに死刑制度問題は難しい、悩ましい問題ですね…。わたしは、鷹司さんの考えを尊重します。わたしの考えをお示ししたまでです。わたし自身、皆さんの色んなお考えをお聞きし、深く考えたいのです。
>鷹司 さん
>『それだけ被害者の人権は大切だった』ということを示している面もある
人権について根本的に誤解をされてるのではないでしょうか。
殺人事件の被害者には名誉以外の人権はありません。
遺族と加害者に等しく人権はあります。
あなた方死刑肯定論者の主張は、刑法の処罰規定に「罪を犯した者はこれを罰す」の一文さえ定めてあれば十分だ、と言っているも同然です。ジャン・バルジャンを窃盗程度で終身禁固に処した前時代のフランスと同じ。
まったく心に響きません。
ここまでの印象は、ここの掲示板は狭~い『死刑廃止』村
身内で慰めあってばかりいないで、もっといろいろな意見を聞いた方がいいよ。
自分らの意見に賛同しない者を受け付けない姿勢は、某市長と変わりませんよ。
死刑制度存置を望む理由
日弁連が国民に軽蔑されているのは、役に立たない口先弁論に終始して、真剣に殺人を少なくすることを
考えてないからです。誠意が感じられません。
以下に、死刑制度存置を望む理由を述べさせて頂きます。
①死刑に殺人犯罪の抑止効果があることは、自明である。それは、日本の殺人発生率がEUより低いこと、
並びに死刑廃止後にカナダ、フランス、イギリスの殺人発生率が大幅に上がったことでも裏づけられた。
②日本の道徳感、「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」
に合致し、罪と刑罰の均衡がとれていることで、法制度に対する国民の信頼が得られている。
③死刑を宣告されることで、囚人は被害者に与えた死の恐怖を感じ、殺人の罪の深さに考えが及ぶ。
その反省を持った囚人こそ死刑に至る間、誠の人として生きることができる。その反省こそが遺族の
人たちが生きていく力と、死んだ人への償いとなる。その反省は死をもって完結する。
④「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という倫理観を人が失わないため
にも死刑制度が必要で、死刑制度を持っているということ自体が殺人の抑止力にもなる。
⑤日本が死刑制度を含めた道徳感で高い社会秩序、及び公共性をもつことは哲学的に注目されており、
キリスト教的な罪人を許す正義に対するアンチテーゼとして人類にとってその存在意義が大きい。
私は、死刑有りでいいと思ってる一人ですが
遺族と加害者に等しく人権はあります。
これは、死刑廃止派の共通認識になるんでしょうか?
大半の人達には、この考え方は冷たい印象を受けると思います。
「生きてる加害者には人権はあるが、死んだ被害者には人権などない!」という風に受け取るでしょう。(そのような意味での発言ではないとは思いますが)
死刑廃止を目指すなら、言い方をかえたほうがいいんじゃないですかね。確実に、支持されないし。
>シャムさん
> 『死刑廃止』村
世界的に見れば日本は「狭~い」『死刑存置』村の一員なんですけどね。
”日弁連は真剣に殺人が一件でも少なくなる方法を考えろ”さんがおっしゃってる「日本の道徳感」とか「日本の高い社会秩序」とか、完全に”おらが村”自慢ですよね(笑) 死刑のおかげでおらが村は平和です!という(笑)
> もっといろいろな意見を聞いた方がいいよ。
だから皆さん、あなたの意見を読んでレスをくださっているじゃないですか。あなたは碌に答えていませんけど。
http://bit.ly/dZ2gaw
死刑に関する様々な論考、ブログ記事へのリンク集です。
死刑廃止派の思考にはこれだけの蓄積があるのです。そのうちの多くは死刑存置派からの意見や疑問に対する回答という形で書かれています。よって死刑廃止派が「いろんな意見」に接していないというのは、あなたの「狭~い」観測範囲から得られたあなた個人の「狭~い」印象でしかありません。
「もっといろいろな意見を聞いた方がいい」ですよ。
あと、これは単純に興味からうかがうんですが最近書かれてるコメントタイトルが全部同じなのは、気に入っちゃったからですか?
こちらが何を言っても「心に響かない」と切り捨てられてしまうと、これはいわゆる”(∩゚д゚)アーアーキコエナーイ”と解釈すべきなのでしょうか(笑)
> 日弁連は真剣に殺人が一件でも少なくなる方法を考えろさん
はじめまして。
ハンドルネームに一言。
あなたも考えましょうね。他人にばかり高いハードルを課すのはあまり褒められた態度ではありません。
> ①
端的に申し上げて、それは間違っています。
(引用ここから)
死刑が他の刑罰よりも有効に犯罪を抑止するという説得力ある証拠は、科学的研究によっては一貫して得られていない。1988年に国連(訳注:国連犯罪防止・犯罪統制委員会)のために行なわれ2002年に改訂された、死刑と殺人発生率の関係についての最新の調査結果報告書の出した結論は「死刑のもたらす脅威やその適用が、より軽いと思われる終身刑のもたらす脅威やその適用よりもわずかでも殺人に対する抑止力が大きいという仮説を受け入れるのは妥当ではない」というものだった。
(引用ここまで ロジャー・フッド『世界の死刑』 オックスフォード・ユニバーシティ・プレス、第3版、2002年 230ページ)
実際には、その国の犯罪発生率と言うのは、国の内情で大きく変わります。そもそも”何をどのような犯罪としてカウントするのか”という基準すら違います。たとえば日本では痴漢行為は軽犯罪法違反、もしくは公然わいせつ罪として裁かれますが、同様の行為を”強姦”として裁く国もあります。ですので、単純に日本と他国を比較してもあまり意味はないのではないかと思います。
その上で申し上げますが、殺人事件に限らず、犯罪が起こる時というのは社会の様々な事情が複合されて起きるものです。裁判を傍聴すると、その加害者も被害者も、実に多くの背景を背負っているという事が分かります。ですから単純に死刑の存否だけで犯罪の増減を語るのは、社会統計学的にも適当ではありません。社会はそんなに単純ではありません。
繰り返しますけど、死刑が犯罪を抑止するという結果を得られた統計調査はありません。ですが死刑を廃止すれば犯罪を抑止できるという統計もありません。つまり死刑の社会における犯罪抑止効果は現在のところ”よくわからない”というのが、国連調査の当面の結論で、現在のところこれを覆すような調査はまだ出てきていません。
ですから死刑を廃止すると殺人が増える、と断言するのは間違いです。証明できない効果を根拠とするのは、一般的に”思い込み”と呼ばれる精神作用に属する行為だと思いますが。
念のために申し上げておきますけど、死刑廃止派は別に「死刑を廃止すれば犯罪が減る」などとは主張しておりません。死刑があろうとなかろうとそれだけで犯罪が増えたり減ったりはしない、死刑を犯罪抑止に有効と言うのは間違いだと言っているのです。その点ご理解ください。
あと、素朴な疑問なんですけど「高い道徳観や社会秩序を持つ日本人」は死刑と言う罰がなくなると殺人事件を増加させてしまうような、脆弱な倫理観しか持たない人たちなんですか?わたしも日本人ですが、そういう風には思えないんですけど。
わたしは「高い道徳観や社会秩序」というのは罰があろうとなかろうと、それが維持される精神性でこそ証明されると思うのですが。
> ②
その「日本の道徳観」の定義の根拠はなんですか?わたしは救済や寛容も日本の優れた道徳だと思いますけど。
悪人正機説を広く説いた親鸞上人の開いた浄土真宗は日本仏教の最大派閥になりました。あれは人を殺したら死んで償えという教えではありませんでしたよね?
> ③
そううまくいきますかね。死刑囚の中には、どうせ死ぬのだからと自暴自棄になって露悪的な態度を取る人も少なくないと聞きますが。あなたの論理によると、こういう人は殺すべきではないのですよね。だって反省を知らず、被害者へ思いを致すようなこともしていない、「誠の人」として生きていないのですから。
つまり反省をしなければしないほど刑の執行が引き伸ばされるというパラドックスが起こりますが、それでよろしいですか?
> ④
特定の倫理観を他者に強制することは法的にも物理的にも不可能ではないですか?あなたがそういった倫理観を持つことは否定しませんが。
あと、その倫理に沿うと、事故で人を死なせてしまった場合でも死んで償うべきという事になりますが、それでよろしいのですか?自動車事故などに代表されるように、故意によらず過失で人を死なせてしまう事もありますよね。そうした場合、必ずしも死刑に処せられるわけではないのは、現在の確定死刑囚の数(約130人)と、交通死亡事件数(2011年だけで4612人がなくなっています)を比較すれば自明ですね。
これらの事故の加害者も全員死をもって償うべきですか?
> ⑤
キリスト教徒が多いアメリカでは死刑を存置する州も多いようですけど(実質的廃止を含めた死刑廃止の州は15でむしろ少数派。それ以外の35州では死刑存置)。キリスト教だから死刑廃止、という理解は正しくないように思います。逆に仏教国だから、あるいは神道と言う独自の信仰があるから死刑存置と言う理解も正しくありません。仏教は不殺生を説くのが基本ですし、神道にも特別死刑と親和的な教義があるわけではありません(というか神道にはそもそも統一的な”教義”にあたるものがありません)ので。
あとアンチテーゼを維持するために死刑を存置しろと言うのは、議論としては倒錯していませんか。
http://bit.ly/HdViJ5
少し古い記事ですが、こんな意見もあります、というところでご紹介させていただきます。参考になさってください。
以上、長文失礼しました。
>日弁連は真剣に殺人が一件でも少なくなる方法を考えろ それは日弁連の直接の仕事ではありません
並びに死刑廃止後にカナダ、フランス、イギリスの殺人発生率が大幅に上がったことでも裏づけられた。
死刑に犯罪抑止力があると認められる統計は存在しません。かつて国連でこういう統計を取ろうと試みましたが結果は「因果関係は不明である」
>死刑廃止後にカナダ、フランス、イギリスの殺人発生率が大幅に上がったことでも裏づけられた
このような統計は存在しません。口から出任せは行けません。あるというなら出してください。
>日本の殺人発生率がEUより低いこと、
根拠はこれだけですか
犯罪の発生率の増減は社会情勢等様々な要因が絡んできますから死刑の存在だけにその理由を求めるのは非科学的と言わざるをえません
②日本の道徳感、「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」
に合致し、罪と刑罰の均衡がとれていることで、法制度に対する国民の信頼が得られている。
>「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」
別にこういう道徳観は日本に限ったことではなかったのですけど。
中国では麻薬や汚職で死刑、イスラムでは姦淫でも女性は死刑ですから「悪いことをしたら同等以上の償いをする」ですね。
で、それが残虐だと批判されてるのですから、再度「悪いことをしたら同等以上の償いをする」のが日本の道徳観だと繰り返してみても全然抗弁にはならないのがわかりますか?
また死刑を貸すことが必ずしも「被害者・遺族の痛みを汲み取る」事になっていないのが現状。それは既に過去記事に書いてあります
> ③死刑を宣告されることで、囚人は被害者に与えた死の恐怖を感じ、殺人の罪の深さに考えが及ぶ。
> その反省を持った囚人こそ死刑に至る間、誠の人として生きることができる。その反省こそが遺族の
> 人たちが生きていく力と、死んだ人への償いとなる。その反省は死をもって完結する。
せっかく反省しても殺しちゃうんなら意味ないでしょう。反省は立ち直るために行うんですから。
>その反省は死をもって完結する。
あなたの個人的美学を述べられても死刑を正当化する理由にはなりません
> ④「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という倫理観を人が失わないため
> にも死刑制度が必要で、死刑制度を持っているということ自体が殺人の抑止力にもなる。
だから抑止力になってませんって。
ちゃんと調べましょう。
⑤日本が死刑制度を含めた道徳感で高い社会秩序、及び公共性をもつことは哲学的に注目されており、
キリスト教的な罪人を許す正義に対するアンチテーゼとして人類にとってその存在意義が大きい。
>日本が死刑制度を含めた道徳感で高い社会秩序、及び公共性をもつことは哲学的に注目されており、
一体だれが注目してるんですか?
まあアムネスティや国連や国際人権委員会からずっと死刑を批判され続けてきてますから、こと死刑制度については世界から悪い意味で注目されてます。いい意味で注目されたことなどありません。現実を知りましょう
死刑廃止とキリスト教は全然関係ありません。ヨーロッパを中心が廃止されてるからと言って即キリスト教と結びつけたがるのは全く非科学的です。一体キリスト教の何が死刑廃止と繋がるのか論証してみてください。
>観測霊 様…
わたしは、無宗教・無神論者を自認してますが、法然上人・親鸞上人・蓮如さん・葉月上人は、大好きです…。関係のない横スレ、失礼しました……。(。_゜)〃ドテッ!
>『偏り過ぎた』人権派っておかしい というおかしな事を仰る方へ
> 『偏り過ぎた』人権派=光母子殺害事件の弁護団や秋原葉月氏です。
こちらが呼んだわけでもないのにあなたはわざわざ嫌いな人間の所に足繁く通ってくるのですね。随分屈折した趣味をお持ちのようですがそれはさておき。
>人権派すべてではなく『偏り過ぎた』人権派は嫌いです。
偏りすぎない人権派って具体的に誰ですか(笑)
というか『偏り過ぎた』人権派、という言葉自体があなたが人権について基礎的な理解を持ち合わせていないことの証明になっています。
> なぜEUの目を気にしなければならないのだ?
世界の評価を気にしないでやっていけるほど国際社会は甘くありませんよ。
それからEUの評価と国連、国際人権委員会、アムネスティなどの世界的人権団体の評価は同じです。
某国のように世界から非人権国家というレッテルを貼られたいですか?
それから日本は国際人権規約のB規約を批准しており、その批准国は定期的に国際人権委員会の査察を受ける義務を負っていますから、「日本は日本、外野にとやかく言われたくない」というのは通用しないんです。
後は観測霊さんと同じです。
ところであなたは観測霊さんのコメントを長文だと悲鳴を上げているようですが、あの程度でねをあげるようではこのコメント欄での議論は無理であることをお伝えしておきます
わたしも特別に宗教は持っていないのですが、法然上人や親鸞上人、行基さん、空也上人、鑑真和上が好きです(笑)
あとマザー・テレサやキング牧師、ヨハネ・パウロ2世、マハトマ・ガンジーも好きです(笑)
秋原さん…
死刑執行にあたり、日本では、死刑台の床を外すスイッチが3個設置され、刑務官3人が同時に押下し、刑務官の精神的負担を軽減しているそうですが、裁判員制度にも、その様な問題が生じるのではないのでしょうか…。裁判官は職務として粛々と判決に携わる訳ですが、市民は訓練も受けず、いきなり人間を絞首刑に処すか否かの、窮地に追い込み、その精神的負担たるや想像を絶するものが有るのではないかと考えるのです。その呵責に人生を終えるまで苛まれるのは、如何なものかと…。
PTSD(外傷後ストレス障害)…PTSDとは、凄惨で過酷な出来事により、人としての尊厳を損なわれるような体験を経験したり目撃したりすることで生じる、こころの病気です。大災害や戦争体験、犯罪被害、暴力・虐待行為など、強い恐怖感を伴う経験によって、耐え難い記憶がこころに刻み込まれます。忘れたくても忘れられない、こころの「外傷」ともいえるものなのです。アメリカの海兵隊の戦地からの帰還兵にも、多くみられ心のケアの問題が社会問題になっていると聞いたものですから…。死刑制度存廃問題を考える上で、大切な視点ではないかと思いましたので、コメントさせて頂きました。
また色々教えて下さいませ…、教祖様…(。^p〇q^。)プッ。
日本弁護士連合会
あなたが日弁連の主張を全く読んでいない事だけ分かりました。
日弁連には「死刑廃止検討委員会」という機関があります。ここが独自に意見を述べています。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty.html
お近くの方、いかがですか
http://korosuna.exblog.jp/17208179/
初日の案内はこちら
http://korosuna.exblog.jp/17269963/
京都シネマのほうはこちら
http://www.kyotocinema.jp/event.php#shikei
>観測霊
>まず①ですが。
日本と同レベルの生活水準、政治・治安が安定している国の死刑廃止前後のデータでないと
日本に適用した場合の参考にならないと考え、カナダ、フランス、イギリスを調べました。
私は次の具体的なデータから判断しています。
カナダのデータ 1966年 殺人罪死刑廃止 廃止前後の殺人発生率(10万人当たり認知件数)
1961年,62,63,64,65,66年 → 1.28,1.43,1.32,1.31,1.41,1.25
1967年68,69,70,71,72,73,74,75年→1.66,1.81,1.86,2.19,2.15,2.34,2.43,2.63,3.03
http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
フランスのデータ 1981年 死刑廃止前後の殺人発生率(10万人当たり認知件数)
1974年75,76,77,78,79,80,81年 → 2.94,2.99,3.28,3.67,3.44,3.82,4.19,4.02
1982年83,84,85,86,87,88,89年 → 4.59,4.95,4.95,4.53,4.37,4.12,4.60,4.57
http://www.moj.go.jp/content/000081718.pdf
England and Wales 1969年死刑廃止前後の殺人罪有罪件数
1965,66,67,68,69年→57,72,64,76,78人
70,71,72,73,74,75,76,77年→99,91,85,83,125,99,108,116人
http://www.moj.go.jp/content/000096625.pdf
◆死刑廃止後、殺人が大幅に増えていることがわかります。
次はそちらの番です。先進国で死刑廃止前後のデータで死刑廃止後、殺人が減った
具体的な数値データを出してください。日本に参考になるものですよ。
> ②
世論調査で85.6%が死刑やむなしの回答でした。その世論の考えは
「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」
との気持ちを持っていると私は考えます。
> ③
反省をしねいひともいるでしょうが、私は、無期懲役や終身刑を宣告されるより、死刑を宣告された
人のほうが反省すると考えます。
> ④
故意にひき殺したら、死刑でよいと思います。死刑にするには殺人の残虐性を考慮すべきと考えます。
死刑制度がなくなれば、その残虐な故意の殺人でさえ、命で償わなくて良いとなることに反対します。
>⑤
「キリスト教」とは言わず、「キリスト教的な博愛、許容」との意味です。
後、言葉足らずの部分を加えると、
・・・許す正義に対し、その死刑廃止国より殺人発生率が低い日本は、そのアンチテーゼとして・・・です。
>秋原葉月様
すみませんが上記の観測霊さんへのデータを見てください。
聞く前から「口から出任せは行けません」はいけませんね。
次はそちらです。上記データと同じレベルの死刑廃止後で殺人発生が減ったデータを出してください。
先進国のできれば1960年以降のものを希望します。データ以外の・・・言った。・・・報告は信用して
いません。
>②
必ずしもなっていない。・・私は多くの場合なっていると考えます。また、抗弁しているつもりはありません。
自分の率直な考えを述べています。
>③
死刑があったほうが、殺人者が真に反省することが多いと考えます。死刑にしなくても人は死にます。
誠の人になることに意味があります。また、死刑はべつに不当ではないので、正当化しようとは思いません。
>④
ちゃんと調べました。
>⑤
アムネスティって人権保護?それとも殺人幇助団体のどちらでしたかな?
すこし驚きですね。死刑廃止の人はキリスト教って聞くと、嫌うんですね。そんなに悪い宗教かな、
排他的だけど.
お返事をいただきありがとうございます。
いきなり呼び捨てにされるとは思いませんでしたが(笑)
しかし、こちらのコメントをまるで読んでおられないかのようなお返事には正直戸惑っています。
> ◆死刑廃止後、殺人が大幅に増えていることがわかります。
> 次はそちらの番です。先進国で死刑廃止前後のデータで死刑廃止後、殺人が減った
具体的な数値データを出してください。日本に参考になるものですよ。
”そちらの番”も何も…。
わたしは先のあなたへのコメントで、こう書きましたよね?再掲します。
実際には、その国の犯罪発生率と言うのは、国の内情で大きく変わります。そもそも”何をどのような犯罪としてカウントするのか”という基準すら違います。たとえば日本では痴漢行為は軽犯罪法違反、もしくは公然わいせつ罪として裁かれますが、同様の行為を”強姦”として裁く国もあります。ですので、単純に日本と他国を比較してもあまり意味はないのではないかと思います。
その上で申し上げますが、殺人事件に限らず、犯罪が起こる時というのは社会の様々な事情が複合されて起きるものです。裁判を傍聴すると、その加害者も被害者も、実に多くの背景を背負っているという事が分かります。ですから単純に死刑の存否だけで犯罪の増減を語るのは、社会統計学的にも適当ではありません。社会はそんなに単純ではありません。
よろしいですか?
まず国情が違う以上、単純な比較は意味がありません。
次に死刑廃止後に殺人事件が急増したり、あるいは減ったりしても、それが死刑廃止と相関関係にあるかは証明がされていません。あなたの挙げられたデータは”それらしい”相関を示していますが、それをすぐさま結論とするのは早計でしょう。なぜならば他の社会的要因によって殺人事件が増加したという可能性が全く考慮されていないからです。社会には無数の要因があり、それらをひとつひとつ検証することなく”それらしい”データに飛びつくのは科学的態度とは言えません。
そしてわたしはこうも申し上げました。
死刑廃止派は別に「死刑を廃止すれば犯罪が減る」などとは主張しておりません。死刑があろうとなかろうとそれだけで犯罪が増えたり減ったりはしない、死刑を犯罪抑止に有効と言うのは間違いだと言っているのです。その点ご理解ください。
秋原さんも同様のコメントをあなたへ向けて書いています。わたしなど、念のために、とわざわざ改行までしたのですから、お目に留まらなかったはずはないのですが、それに対するお返事がなぜ
> 次はそちらの番です。上記データと同じレベルの死刑廃止後で殺人発生が減ったデータを出してください。
になるのでしょう?
わたしも秋原さんも「死刑廃止後で殺人発生が減った」などと、この場で一度たりとも主張していません。主張してもいないことをさも主張したかのように、データを出せなどと言われましても、こちらとしては「何の話ですか?」としか返しようがありません。
…本当にわたしのコメントを読んでいただけました?
ちなみにアムネスティにしても「死刑廃止で犯罪が減る」などとは主張してません。あなたが引用されたカナダの例に従えば「死刑廃止国における最近の犯罪件数は、死刑廃止が悪影響を持つということを示していない」と言っているだけで、どこにも死刑廃止のおかげで犯罪が減ったなどとは書いていません。
> ②
死刑を肯定したらそれがすなわち「被害者・遺族の痛みを汲み取る」「悪いことをしたら同等以上の償いをする」という「日本の道徳観」に完全に同意したことになるんですか?
死刑を肯定している人だって濃淡はあると思いますけど。あなたがおっしゃる「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」=「人を殺したらとにかく死刑」という考えには共感しないけど、なにか酷く残虐な殺人事件が起きた時にのみ、犯人は死刑にするしかないのでは…というレベルの消極的存置派って結構多いと思います。
世論調査で85.6%と言うと、たぶんこちら(http://www8.cao.go.jp/survey/h21/h21-houseido/2-2.html)の図2をご覧になっての事だと思うのですが、これ質問の仕方が
1.どんな場合でも死刑は廃止すべき
2.わからない・一概に言えない
3.場合によっては死刑もやむを得ない
という聞き方になっているんですよね。1の非常に強い限定にくらべて3の条件が非常にゆるく設定されているのがお分かりになりますでしょうか。「どんな場合でも」と「場合によっては」では、そのニュアンスが全く異なりますね。「どんな場合でも」と言われると、よほど強い信念がない限り、「いや、どんな場合もというのは、極端すぎるかもしれない」と考えて、この回答を選びづらくなります。これは死刑存置に甘く、死刑廃止に厳しい設問だと言えますね。
またこの設問ですと死刑存置派の中でもあなたのような積極的存置派と「ないに越したことはないけど、ないと不安」のような消極的存置派まで、いっしょくたにされてしまいます。こういう粗雑な調査で、あなたの価値観を85.6%の人が間違いなく共有しているとは言えないと思いますが。なお、調査結果を詳しく読むと、死刑存置派の中にも「将来的には死刑を廃止してもいい」と考える人が一定(死刑存置と答えたい人のうちの34.2%)いる事が書かれています。
> ③
で、反省してから殺すのに意味があるというなら、反省しない人は殺せませんよね。つまり反省しなければそれだけ死刑を引き延ばすことができる=反省をしない、罪悪感の薄い犯人をこそ殺せないというパラドックスはどう説明されるのですか?
お返事がないという事は、反省した死刑囚から順次処刑、反省しない死刑囚は拘置、という方針でよろしいのですね?
それこそ「被害者・遺族の痛みを汲み取る」という「日本の道徳」にそぐわないシステムですね。
> ④
故意なら殺人事件でしょう。交通事故とは違います。
わたしは”事故”で人を死なせた場合も「同等以上の償いをする」=死刑でいいのかと聞いているんですけど。
ちなみに”故意”である事と”残虐性”は必ずしも相関関係にはありませんよ。故意でなくとも遺体を著しく損傷させてしまう場合もありますし(交通事故などは特にそうですね)、その逆もありえます。
そもそも現在の裁判でも殺人を取り扱う場合、その犯行の様態(残虐性や計画性、あるいは情状など)は十分判決の際に考慮されています。「死刑にするには殺人の残虐性を考慮すべき」と今さら言わなくてもすでにそうなっていますのでご心配なく。
> ⑤
ですから、キリスト教徒が他の信徒と比べて圧倒的に多いアメリカでは死刑存置が多数派で、キリスト教的価値観が必ずしも死刑の存廃には反映されないと申し上げましたよね。キリスト教徒が多い国、というのはつまりキリスト教的価値観が強く社会に反映されるという事ですよね。その社会で死刑が存置されているのというのは「キリスト教的な罪人を許す正義」の社会と、日本とは違う、というあなたの主張に真っ向から反していますよね。
> 後、言葉足らずの部分を加えると、・・・許す正義に対し、その死刑廃止国より殺人発生率が低い日本は、そのアンチテーゼとして・・・です。
ですから、単純比較には意味がありません。
ちなみにあえて単純比較いたしますと、死刑廃止国でキリスト教徒も多いスペインの治安は日本よりも良いようですよ。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2788.html
このグラフを見るとカナダでもフランスでもこの15年で治安が劇的に向上しているのが分かります。
死刑廃止したのに変ですね。どう思いますか?
死刑が犯罪を抑止するとお考えの方へ…
“日弁連は真剣に殺人が一件でも少なくなる方法を考えろ”
日弁連がそんな事を考える義務はありません。
それは政府(内閣府、法務省、厚生労働省など関係省庁)の仕事です。
根本的な矛盾があると思うのですが、死刑制度を支持する方々は自覚的であるのか、
こちらに寄せられたコメントを見る限り、判断がつきかねます。
また、死刑制度を支持する理由の中に「公権力に合法的に人を殺す権限を認めるべきか否か」
という観点が見られないのも気になります。
「個人が犯す殺人は許せないが、公権力の名において犯される殺人は認める」とは、
「お上のやることに100%間違いはない」という確信がなければ言えないことだと思うのですが、
死刑を支持する方々はそのように信じていらっしゃるのでしょうか。
私は過去を見ても現在を見ても、とてもそんな信念は持てません。
また、死刑廃止を主張すると判で押したように
「自分の家族が殺されてもそう言えるのか」と返されますが、
それだけでなく「自分が殺人を犯したら」「自分の大切な人が殺人を犯したら」
「自分が冤罪で死刑囚になったら」「自分の大切な人が冤罪で死刑囚になったら」まで
考えるべきではないのでしょうか。
すべての可能性に同じだけの想像力を用いていれば、
今のように沢山の人が死刑制度を支持できるはずはないと思うのですが。
死刑廃止が世界の潮流になっているのは現実です。
では、なぜ世界中でそうなっていて、どのような思想に基づいているのか。
死刑制度を支持される方々は、それを正確に知る作業をなさっているでしょうか。
ここの一連のやり取りの中でさえ、秋原さんや観測霊さんの文章をきちんと読まずに、
自分の脳内イメージの「廃止派」に向けて主張しているように見えます。
まずは知った上で、納得できない、賛成できない部分を具体的に指摘して
論じて頂かなければ建設的な議論にはならないと思います。
また、青い鳥さんが刑務官の背負う負担に言及されていますが、
作家の森巣博は「ご臨終メディア」という本の中で、
国民の多数が支持するから死刑制度を維持するというなら、
死刑の執行役を裁判員のように抽選で選ぶべきだと述べていました。
過激なアイデアですが、人が死ぬこと容認する主張を簡単にしてみせる人たちは
どこかで「我がこと」として考えていない点を鋭く突いていて、
長谷川如是閑の「戦争絶滅受合法案」に通じる批評精神を感じました。
“殺人を犯したら”だけではなく、“間違って人を死なせたら”でもありますね。
およそ全ての運転者(四輪は言うに及ばず、自転車に至るまで!)は“潜在的殺人犯予備軍”です。
>日弁連は真剣に殺人が一件でも少なくなる方法を考えるのは日弁連の直接の仕事では無いと言っているのにまだそのHNを使う方へ
すみませんが上記の観測霊さんへのデータを見てください。
聞く前から「口から出任せは行けません」はいけませんね。
驚きですね。
あなたが出してきたカナダのデータの引用先を読みましたか?
そこでは死刑廃止後殺人が減ってきた例としてカナダをあげているのですよ?
あなたがあげたデータ以後、殺人は減ってきているのです。
「死刑廃止国における最近の犯罪件数は、死刑廃止が悪影響を持つということを示していない。たとえばカナダでは、人口10万人当たりの殺人率は、殺人に対する死刑を廃止した年の前年である1975年の3.09件のピーク時から1980年には2.41件に低下、そしてそこからさらに減少している。死刑廃止から27年後の2003年には殺人率は人口10万人当たり1.73件、1975年よりも44パーセント低く、ここ30年間で最も低い割合だった。」
ちゃんと読みましたか?
フランスにしろイギリスにしろ、あなたが出してきたデータをみると、死刑廃止前からずっと増えてきてたのであって「死刑廃止後」に増え始めたのではありません。
このデータは法務省から引用してるようですけど、そこでも「因果関係は見られない」と書かれているのです。
どれだけ我田引水なデータの引用の仕方をしているのでしょう。
>>②
また死刑を貸すことが必ずしも「被害者・遺族の痛みを汲み取る」事になっていない
→・・私は多くの場合なっていると考えます。また、抗弁しているつもりはありません。
自分の率直な考えを述べています。
つまり根拠のない憶測ということですね。
>③
死刑があったほうが、殺人者が真に反省することが多いと考えます
これも根拠無し。だいたい、私は反省しても殺したら意味がないと言っているのに、「死刑があった方が反省する」では会話になっていないことがわかりませんか?
>死刑にしなくても人は死にます。
だったら死刑にする必要はありませんね
④は論外
⑤
>アムネスティって人権保護?それとも殺人幇助団体のどちらでしたかな?
これも論外。無意味な嫌悪感情や誹謗中傷は他所でどうぞ。
>すこし驚きですね。死刑廃止の人はキリスト教って聞くと、嫌うんですね。そんなに悪い宗教かな、
排他的だけど.
あなたの日本語能力には驚かされます。
いつ私がキリスト教を嫌いと言いましたか?
人の言うことを勝手にでっち上げるなら会話は成り立ちませんよ。
>ドロップさんへ…
今のように沢山の人が死刑制度を支持できるはずはないと思うのですが。
仰る通りですね…、このことは自戒を込めてのことですが、あらゆる事象を捉えるに際し、あらゆる可能性に想像力を巡らす感性を持つことが、真摯な態度であると思います。
>ここの一連のやり取りの中でさえ、秋原さんや観測霊さんの文章をきちんと読まずに、
自分の脳内イメージの「廃止派」に向けて主張しているように見えます。
ここ数日こちらのブログに立ち寄られる“死刑推進論者”の方々は、ひとつひとつ、丹念に理路整然とお応えになっている方に対する敬意が感じられません。わたし自身、つい最近まで、死刑制度について、“仇討ち的感覚”にとりつかれ、死刑存続は致し方ないのでは、という立場に在りましたが、秋原さん、村野瀬さん、観測霊さんはじめ優れた論客諸兄のお示しになる個別具体的且つ、社会科学的な論考に触れさせて頂き、死刑制度は廃止すべきと考える様になり、わたし自身が殺人に加担することを回避できたと今では、心から感謝しています。 社会の様々な事象は、様々な要因が複雑に絡みあっているのが現実で、その絡み合った事柄をひとつひとつ丹念に解いていく過程を大切にすることこそが、人類の人類たる所以であり、人類の叡智ではないかという考えに至りました…。
ドロップさん…、貴重なご示唆、感謝します。
まったく心に響きません。
今日も少し寝てから出勤です。
こんなに一生懸命働いても、殺人者に殺されたらその瞬間に俺の人権は無くなってしまい、殺人者の人権は守られる世の中になるのか?疲れているから文章がまとまらない。
ちなみにタイトルである『まったく心に響きません』は俺だってわかり易いからつけてる。これを変えてもいいなって思えるような熱い心に響くコメントを待ってる。
>観測霊様
>①を再度整理すると。
・死刑に殺人犯罪の抑止効果があるのは自明である(コギトエルゴスム)。
・カナダとフランスでは死刑廃止年の翌年から殺人発生率が上昇した事実がある。
・England and Walesでは死刑廃止年の翌年から殺人罪有罪者数が上昇した事実がある。
観測霊さんは他の社会的要因によって殺人事件が増加したという可能性が考慮されてないと言う。
死刑廃止派は別に「死刑を廃止すれば犯罪が減る」などとは主張していないと観測霊さんは言う。
私は、各国での統計で死刑廃止後の殺人の増大という、この明確な差の主要因は死刑廃止と考えます。
死刑廃止年が別々の3国に、他の要因が死刑廃止後そろって殺人が増えた原因となり、またその
要因が一過性でなく長い年数にわたり3国ともに影響すると考えるのは不自然と思います。
少し、注意点
無数の要因があり、それらをひとつひとつ検証することなく”とか、他にも・・「日本の道徳観」に完全に・
とかの類は嫌いです。相手の意見を否定する論法でしょうが、世の中のものは完璧に検証できない上で
互いに意見を出しているのに、この類のことを言い出すと、つまらなくなります。
>②
観測霊さんのおっしゃるとおりで、死刑存置の人の「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら
同等以上の償いをする」の認識に濃淡の差があると思います。
でも旧④は「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という倫理観が殺人を抑制する
と言っているのであって。人をあやめた人を全て死刑にしろとと存置派が皆、言っているわけではなく、これも
濃淡があるでしょう。私は特に、故意の殺人で残虐性があるものを死刑にしないのは、どの存置派も異議を唱え
罪と罰の均衡が取れてないことで法制度への信頼が得られないと考えます。。
>③
死刑を宣告された人で反省しない人がいるかもしれませんが、最後の日の朝、死刑執行が告げられた後、
死刑執行に至る間に全ての死刑囚は反省して「誠の人」となって死ぬと信じます。
死刑囚が反省し、誠の人になって死ぬことが、殺された人と遺族への償いになると考えます。
>④
前述しましたとおり、「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という倫理観が殺人
を抑制すると言っているのであって。死刑制度が別にイコールでなくても良いと思います。
要は、自分に対する倫理観は、殺人に対しより高いハードルを設けて殺人を抑制し、死刑制度への考えは
故意の残虐性を勘案したものを死刑にする考えで良いと思います。
私も観測霊さんの“「死刑にするには殺人の残虐性を考慮すべき」と今さら言わなくてもすでにそうなって
いますのでご心配なく”に同意して死刑存置を支持します。
>⑤
アミリカでは、キリスト教の「博愛」「許容」より自由主義(銃の自由、悪者を殺す自由)とテロ対策の考え
が勝つのでしょうかね。キリスト教の罪人を許す「博愛」「許容」の精神と死刑廃止派(観測霊さんはどっち
でしたっけ)の殺人者を殺さない(死刑にしない)考えの相違点を教えてもらいたいですね。
また、殺人発生率の単純比較が無理ならば、なおのこと日本の死刑制度を存置して、社会秩序が如何に構築さ
れているのか十分な検証が必要なのではと考えます。また、その成果を人類に役立てることが重要と思います。
犯罪比率が下がって良かったですね。でも死刑存廃との相関をみるのは殺人犯罪を見た方がよいかな。
カナダもフランスも死刑復活したらもっと、犯罪率と殺人発生率が下がるのに残念。
>秋原葉月様
>ちゃんと読みましたか?
カナダのデータで紹介したHP「死刑廃止と死刑存置の考察」は、非常に詳細に、出来るだけ客観的に
死刑存廃問題を取り扱っているもので、この問題に関わる人は知っててあたりまえのHPです。よく
読んでください。
あなたの反論はアムネスティの弁そのものですが、死刑廃止前の殺人発生率1.25~1.43に対し、あな
たの言うとおり死刑廃止後、1975年までに3.09まで上昇したのですよ。そしてあなたの言うとおり、
減少して2003年には1.73となったが、死刑廃止後の全ての期間で死刑廃止前の1.25~1.43より非常に
殺人が多いのですよ。小学校5、6年生でもこの算数は、理解できると思うけどね。
また、出典したHPでも同じ指摘をしてるでしょう。ちゃんと読みましたか?
それと、フランスとEngland and Walesのデータについて、私は事実の具体的データから判断しています。
・・・・が言っている。・・・のレポートがある。との類はその人たちの、フィルターが入ったものになるため
です。そこで、再度、死刑廃止で殺人が増加したデータを示します。アムネスティのように我田引水な
データの引用がないよう出典HPまで載せているでしょう。数字が事実を語ります。
カナダのデータ 1966年 殺人罪死刑廃止 廃止前後の殺人発生率(10万人当たり認知件数)
1961年,62,63,64,65,66年 → 1.28,1.43,1.32,1.31,1.41,1.25
1967年68,69,70,71,72,73,74,75年→1.66,1.81,1.86,2.19,2.15,2.34,2.43,2.63,3.03
http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
フランスのデータ 1981年 死刑廃止前後の殺人発生率(10万人当たり認知件数)
1974年75,76,77,78,79,80,81年 → 2.94,2.99,3.28,3.67,3.44,3.82,4.19,4.02
1982年83,84,85,86,87,88,89年 → 4.59,4.95,4.95,4.53,4.37,4.12,4.60,4.57
http://www.moj.go.jp/content/000081718.pdf
England and Wales 1969年死刑廃止前後の殺人罪有罪件数
1965,66,67,68,69年→57,72,64,76,78人
70,71,72,73,74,75,76,77年→99,91,85,83,125,99,108,116人
http://www.moj.go.jp/content/000096625.pdf
②日本の道徳感、「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」
に合致し、罪と刑罰の均衡がとれていることで、法制度に対する国民の信頼が得られている。
・私は多くの場合、死刑を貸すことが「被害者・遺族の痛みを汲み取る」事になっていると考えます。
>つまり根拠のない憶測ということですね。
「全国犯罪被害者の会」の人々の話、他にテレビ、本から得られる情報から多くの殺人被害者の
遺族が死刑を支持していることを知っています。
また、保険金殺人事件の被害者の兄が、あなたの嫌っていないキリスト教に洗脳され、殺人者の
死刑を支持していないが、その母親、弟、他に殺された2人の家族は死刑を支持していることも
知った上での考えです。
③死刑を宣告されることで、囚人は被害者に与えた死の恐怖を感じ、殺人の罪の深さに考えが及ぶ。
その反省を持った囚人こそ死刑に至る間、誠の人として生きることができる。その反省こそが遺族の
人たちが生きていく力と、死んだ人への償いとなる。その反省は死をもって完結する。
上の観測霊さんへの回答と重複しますが。
死刑を宣告された人で反省しない人がいるかもしれませんが、最後の日の朝、死刑執行が告げられた後、
死刑執行に至る間に全ての死刑囚は反省して「誠の人」となって死ぬと信じます。
◆死刑を宣告された人が、自分の死に直面し、自らの過ちを反省し、誠の人となった上で死ぬこと。
これが、殺された人と遺族への償いとなると考えます。
④「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という倫理観を人が失わないため
にも死刑制度が必要で、死刑制度を持っているということ自体が殺人の抑止力にもなる。
これを補足すると、「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という倫理観が
殺人を抑制すると言っているのであって。死刑制度が別にイコールでなくても良いと思います。
要は、自分に対する倫理観は、殺人に対してより高いハードルを設けて殺人を抑制し、死刑制度への
考えは故意の残虐性を勘案したものを死刑にする考えで良いと思います。
⑤アムネスティによる人権被害とキリスト教の話
これは①の殺人発生率を調べて分かってきたのですが、アムネスティは死刑廃止後の殺人に関するデータ
は調べているはずです。彼らが支援した死刑廃止後、殺人が増えて、多くの「人権」が被害にあっています。
◆もし、日本が死刑廃止した場合、殺人が増えることを彼らは分かっているはずです(違うと言い張るで
しょうが)、殺人を増加させる確信犯であり、①で殺人が増えても何も責任をとらなかった連中です。
これは、死刑廃止を支持する人全てに、大なり小なりあてはまります。
だから彼らは「死刑を廃止して殺人が減るとは言っていない」のです。
キリスト教を嫌っていないですね。では、あなたの死刑廃止の意見とキリスト教の犯罪者に対する「博愛」
「許容」との相違点を教えて頂けませんか。
大丈夫ですよ。私はどこかの連中とは違って、意見の重箱の隅の矛盾点をあげつらう無意味な弁法を使って
遊んでいるような、無能な人間ではありません。只、率直な意見を聞きたいだけです。
あなたが何を言おうが、国際人権B規約第2選択議定書は厳然として存在し、これは世界の趨勢です。
それに背を向けていい、日本は人権後進国でいいと仰るんですね?
自称人権派君へ
だが、君はありとあらゆる言い逃れに終始した。残念だが、コミュニケーション能力が欠落した君を相手にする暇は私にはないし、ここにいる常連さんも呆れている。
君は北朝鮮にでも移住するつもりかねといいたい。そこなら、考える必要はないのだろう。私はそんな世界など真っ平ごめんだ。そこには喜びも悲しみもないのだから。
そうした基本も分からない君は私や管理人に将棋で勝負を挑んでは王将をあっさり詰まれて負けなのに「勝負しろ」といっているだけだ。恥を知りたまえ。君の暴言こそハシゲや本村某には響いても全く我々や世界中の人たちの心に響かない。
AS様
私宛の質問かは不明ですが、意見を述べます。
私は、この死刑存廃の問題において、人権を守るというのは
殺人による人権被害を出来るだけ少なくすることと考えています。
殺人を少なくすることで、殺人を犯す人、その被害者、被害者の遺族、殺人者の家族
の人権被害を少なく出来ると思います。
殺人が少なくなる社会秩序をどのように構築していくかが人権を守ることになると思います。
その意味で、殺人発生率の低さが世界のトップクラスである日本が
人権後進国とは考えていません。
お返事ありがとうございます。
まず、本旨とは関係がありませんが
> 呼び捨ての件、すみません。様を付けたつもりで出し、後で気づきすぐ修正しようとしたけど方法が判らない。
わざわざありがとうございます。ご事情了解しました。しかし、訂正する方法がわからなくても、すぐ後に訂正のコメントを投稿するという方法もあったと思いますが(笑)
ちなみにコメントの訂正ですが、表示された投稿者の名前の横に “URL”と“Edit”という文字が見えると思います。そのEditをクリックしていただくと、コメント編集画面に移行しますので、そこで訂正した後再度投稿すればOKです。
> 死刑廃止年が別々の3国に、他の要因が死刑廃止後そろって殺人が増えた原因となり、またその要因が一過性でなく長い年数にわたり3国ともに影響すると考えるのは不自然と思います。
わたしのコメントを再掲しますね。
実際には、その国の犯罪発生率と言うのは、国の内情で大きく変わります。そもそも”何をどのような犯罪としてカウントするのか”という基準すら違います。たとえば日本では痴漢行為は軽犯罪法違反、もしくは公然わいせつ罪として裁かれますが、同様の行為を”強姦”として裁く国もあります。ですので、単純に日本と他国を比較してもあまり意味はないのではないかと思います。
その上で申し上げますが、殺人事件に限らず、犯罪が起こる時というのは社会の様々な事情が複合されて起きるものです。裁判を傍聴すると、その加害者も被害者も、実に多くの背景を背負っているという事が分かります。ですから単純に死刑の存否だけで犯罪の増減を語るのは、社会統計学的にも適当ではありません。社会はそんなに単純ではありません。
よろしいですか?
まず国情が違う以上、単純な比較は意味がありません。
次に死刑廃止後に殺人事件が急増したり、あるいは減ったりしても、それが死刑廃止と相関関係にあるかは証明がされていません。あなたの挙げられたデータは”それらしい”相関を示していますが、それをすぐさま結論とするのは早計でしょう。なぜならば他の社会的要因によって殺人事件が増加したという可能性が全く考慮されていないからです。社会には無数の要因があり、それらをひとつひとつ検証することなく”それらしい”データに飛びつくのは科学的態度とは言えません。
なぜ再掲したのかお分かりになりますね。あなたが新たにコメントされたことは、わたしのコメントをまるで踏まえていません。ですからコメントを再掲することで、あなたへの反論ができてしまうのです。あなたのコメントが議論において発展性を持っていない、言い換えればあなたは同じ事を言葉を変えて繰り返しているに過ぎないからです。
あなたがどんなに“不自然”と感じても「他の社会的要因によって殺人事件が増加したという可能性が全く考慮されていない」のであれば、それはあなた個人的な見解の域を出ません。そして個人的な見解を、普通は「社会的に明らかである」とは言いません。
> 少し、注意点
> 無数の要因があり、それらをひとつひとつ検証することなく”とか、他にも・・「日本の道徳観」に完全に・ とかの類は嫌いです。
まず「とかの類」と言われても解り辛いですし、嫌いですと言われても…。わたしはあなたの好みなんてそもそも存じ上げませんし、あなたの好みに沿って議論を進めなければいけない理由はありません。そしてそれを“注意点”などとして指示されなければいけない理由もありません。
わたしが明らかな事実の間違いや、議論において不誠実なところがあったならともかく。それともあなたの好みに沿わない質問をしたというのは、事実の誤りや議論における不誠実な態度に匹敵する過ちなのでしょうか?
> 世の中のものは完璧に検証できない上で互いに意見を出しているのに、この類のことを言い出すと、つまらなくなります。
ひとつひとつ申し上げていきます。
まず「世の中のものは完璧に検証できない」のは当然のことです。その上で可能な限りの検証を行なうのもまた当然のことです。「世の中のものは完璧に検証できない」からと言って、検証を疎かにしていいという事ではないでしょう。
社会の犯罪が増えているなら、その要因を詳しく検証しないとその対策も立てられないでしょう。目先の“それらしい”数字に惑わされて、本当の要因を見落とせば、せっかくの対策も見当はずれなものになりかねません。ですから社会にある無数の要因を、きちんと検証しないといけないと申し上げたのです。あなたの好みに沿うよりも、そちらを優先すべきと考えます。
次に「日本の道徳観に完全に…云々」と申し上げたのは、あなたの以下のコメントに対しての事でしたね。
> 日本の道徳感、「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」
に合致し、罪と刑罰の均衡がとれていることで、法制度に対する国民の信頼が得られている。
ここであなたは「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」が、「日本の道徳観」「国民の信頼を得ている」とはっきり仰っていますよね。ですからわたしは悪人正機説や、あるいは世論調査の回答にも揺れがあることを申し上げました。つまりあなたが挙げた「日本の道徳観」が、あなたが仰るほどに普遍的なものではない事を申し上げたまでです。
そして物事を二項対立的に捉える事と、物事を詳細に、厳密に分析したり思考したりする事は違うことでしょう。あなたはわたしが物事を単純二極化しているかのように「つまらない」などと仰いますが、わたしは死刑の問題を考えるときに厳密に考えたいと思っています。なぜなら人の命に関る問題だからです。そういう問題を「つまる」「つまらない」と、そういう次元で考えるべきでしょうか。
この点に限らず、あなたの最初のコメントが非情に大雑把だったために、こちらとしては詳細を質さずにはおれません。その詳細を質したら「その類は好きじゃない」と言われれば、こちらはあなたの意見を丸呑みするしかなくなります。それは卑怯な論法だとは思いませんか。
現にこちらが事細かく問い質したことで、あなたはご意見のいくつかを修正されていますよね?もし問い質さないまま、もしあなたの意見がそのまま死刑の基準だったら、どういう事になっていたか、少し想像をめぐらせてみてもらえませんか(現実にはありえないなどと思考停止するのではなく)。
> ②
> 人をあやめた人を全て死刑にしろとと存置派が皆、言っているわけではなく、これも濃淡があるでしょう。
いや、最初に死刑存置派を十把ひとからげに「日本の道徳感、「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」 に合致し、罪と刑罰の均衡がとれていることで、法制度に対する国民の信頼が得られている」と言っていたのはあなたの方ですよね。“日本の道徳観”とか“国民の信頼”とか、非情に広範なカテゴリを持ち出してまるで死刑存置派が一枚岩の信念を持っているかのように言っていたのはあなたの方ですよ。
それに対してわたしが死刑存置派の濃淡を指摘したのに、なぜあなたが「濃淡があるでしょう」などと、こちらに返してきてるんですか?なんだこれ(笑)
存置派にも濃淡があることなどこちらは承知の上ですよ。だからあなたの死刑存置派の揺れや葛藤=濃淡を全く無視した物言いに「おかしいですよ」と指摘したのですよね?なのになぜわたしが死刑存置派の濃淡を無視したかのように言われてるんですか?
改めて繰り返しますが、あなたはあなたが言う「日本の道徳観」が普遍的で国民に支持されている旨を発言されました。それに対してわたしは日本には別の価値観もあること、調査に現れた死刑存置派の揺れ=“「死刑存置派の濃淡“を指摘して、これが普遍性であるとする”あなたの“意見に疑問を投げかけたわけです。
それに対し「人をあやめた人を全て死刑にしろとと存置派が皆、言っているわけではなく」とおっしゃるのはご自分の発言の責任を、死刑存置派全体へ転嫁してしまっています。つまり、わたしはあなたの言っていることはおかしい、と指摘したのに、あなたは死刑存置派もいろいろいるから、と死刑存置派全体の問題にすり替えをしています。
それともこれは遠まわしな発言撤回の表明と受け取ってよろしいのですか?
> ③
>死刑を宣告された人で反省しない人がいるかもしれませんが、最後の日の朝、死刑執行が告げられた後、
死刑執行に至る間に全ての死刑囚は反省して「誠の人」となって死ぬと信じます。
あなたが信じるのは勝手です。ですが実際に死刑を宣告された死刑囚の反応は人それぞれですよ。そしてその表面上の態度がどうであれ、死刑に処されるまでの短い時間の間に、彼らがどのような心持でいたのかを検証するすべはもはやありません。なぜなら彼らはもう死んで、殺されてしまってこの世にはいないからです。あなたは刑務官か教誨師か、死刑囚に深く関るお仕事をされているのですか?どうしてそう「信じられる」のですか?わたしにはそのほうが不思議です。
だいたい確定死刑囚と言っても、彼らの事情はさまざまですよ。刑務官や教誨師との関りの中で、罪を悔い、反省の弁を述べる人もいますが、そうでない人も当然います。執行に際して錯乱状態になった死刑囚も一人二人ではありません。反省の弁を述べても「生きて償いたい」と述べる人もいますし、自身の無実を主張して再審を請求している人もいます。
死刑囚と関った人たちを取り扱った本やレポートはいくつもありますが、彼らが語る死刑囚の姿は本当に多種多様です。彼らも人間である以上、当たり前のことです。
そういう多様な人間が死を前にすれば“全て「誠の人」になる”という発想こそ、わたしにはあなたが「嫌い」と言った論法そのもののように思えますけど。あなたは多様な人間をあなた個人の“信じ”たい理想に押し込めてしまっているようにしか思えません。あなたの“信じ”たい理想の死生観を死刑囚に押し付けるのはあなたの傲慢ではないですか?
第一死刑囚の死が生きる力になるというのも、どうでしょう。とりあえずの一区切りとすることは可能でしょうが、それで被害者遺族が得る生きる力とはどんなものですか?犯人が死刑になったからと言ってそれが立ち直りの契機になる遺族ばかりではありません。死刑囚が多様なら遺族も多様です。
犯人の死が生きる力になると言う被害者遺族への押し付けは、被害者遺族にとっても迷惑でしかないのではないですか?
そして執行前に反省しようがしまいが、結局殺すのですね。
殺せば必ず反省する、というあなたの結論は非常にグロテスクに感じますが、では仮にあなたの仰るとおり執行をされる時には死刑囚は全て“誠の人”になるとしましょう。ではなぜ死刑は非公開で行なわれるのですか?反省して“誠の人”となって死んでいくのが被害者遺族の力になると言うのなら、その現場を被害者遺族に見せないのはおかしいでしょう。
> ④
>「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という倫理観が殺人を抑制すると言っているのであって。死刑制度が別にイコールでなくても良いと思います。
つまり「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」、「被害者・遺族の痛みを汲み取る」「悪いことをしたら同等以上の償いをする」という「日本の道徳感」は必ずしも守られる必要はないという事ですよね。
> ⑤
> キリスト教の罪人を許す「博愛」「許容」の精神と死刑廃止派(観測霊さんはどっちでしたっけ)の殺人者を殺さない(死刑にしない)考えの相違点を教えてもらいたいですね。
わたしは死刑はなくすべき制度と考えていますが、クリスチャンではありません。あと「博愛」と併記するならたぶん「寛容」が一般的でしょう。それはそれとして。
「教えてもらいたいですね」じゃないでしょう。
わたしは死刑廃止を「キリスト教的価値観」とするあなたの意見に事実でもって間違いを指摘したわけです。違うと仰りたいのなら、あなたも事実に基づいて反論すべきです。ちなみに先日モンゴルが死刑廃止議定書への調印を議会で可決しました。
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=1043
モンゴルはキリスト教が特に盛んな国とはいえないと思います。
死刑廃止国は完全廃止に限っても世界中で95カ国ありますが、必ずしもキリスト教を主たる宗教とする国ばかりではありません。
http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/abolitions&retentions.html
で、たぶんあなたはこのURLを引いて反論されるかと思います。
http://www.geocities.jp/aphros67/091000.htm
ですがこのページには「宗教人口統計は信頼性が低いというのは通説なのでこの点は留意すべきだろう(当資料によれば日本の96%が仏教徒となる)。あくまでも参考資料として見て頂きたい」と但し書きがある点を無視しないようお願いします。参考資料というのはあくまで補足資料という位置づけで、それ自体が結論や論拠となりうるものではない事もご留意くださいね。
あぁ、ひょっとして死刑廃止の”出自”におけるキリスト教の影響のことを仰っているのですか?
死刑廃止の基礎となるのは“人権”の概念であり、その出自はヨーロッパに求められます。その経緯から人権の概念や死刑廃止についてヨーロッパの主要宗教であるキリスト教の影響が大きいのは確かです。ですが、いまや人権も死刑の廃止もいわゆるキリスト教国に限らず世界中に広がっています。世界のそうした現状、変化を踏まえれば死刑の存廃を宗教的な価値観の問題に押し込めようとするのは無理筋だと思いますよ。
ちなみにキリスト教が現在よりも遥かに強い影響力を持っていた中世から近世のヨーロッパでは、しばしば凄惨な処刑法が流行していました。魔女裁判における火炙りやギロチン(断頭台)などが代表的ですね。これらは見世物扱いされ、執行時には見物人が絶えなかった=死刑がエンタテインメント化していたとも言われています。このようにキリスト教的社会規範の下でも死刑は起こりえます。キリスト教的価値観が死刑廃止につながると言うのなら、これらの歴史的事実は説明がつかないように思えます。
> なおのこと日本の死刑制度を存置して、社会秩序が如何に構築されているのか十分な検証が必要なのではと考えます。
で、検証の結果社会秩序に対して有用性が証明されなかったら殺された人たちは無駄死にではないですか。人を殺しておいて「意味がありませんでした」じゃ済みませんよ。検証をすると言うのなら、死刑は一時停止するのが筋でしょう。人の命を使う社会実験など非人道的との世界的な批判は免れませんよ。
> 犯罪比率が下がって良かったですね。でも死刑存廃との相関をみるのは殺人犯罪を見た方がよいかな。
スペインの例はスルーですか?で、犯罪比率が下がった理由は死刑と関係なく、殺人発生率は変わっていないというご主張なわけですね?じゃあ死刑がなくても治安を向上させることは可能で、しかし殺人は増加するという不思議な結論になるのですが、どういう経緯でそういう結果が出るのか、お分かりになりますか?それを示す資料をお願いします。もちろん死刑存廃以外の社会的要因も考慮された資料を希望しますね。
“逡巡”の価値を再考するとき…
>数字に惑わされて、本当の要因を見落とせば、せっかくの対策も見当はずれなものになりかねません。ですから社会にある無数の要因を、きちんと検証しないといけない…
この視点は、死刑制度に限らず、あらゆる事象を捉える過程において、非常に大切なものであると考えます。
犯罪を犯してしまい、冷静になり我れに帰り、心の底から反省し、一生かけて犯罪被害者のご遺族に償おうと気がついたとき、その先に“絞首刑”のみの選択支しか無いというのは、余りに残酷であると考えます。
ご遺族に誠心誠意赦しを求め、鮮烈なる怒りを鎮めることに一生をかける選択支を残しても良いのではなかろうかと…。
もう一点、死刑確定或いは、執行された後、“冤罪”だと判明した場合、社会はどう責任をとり、どう償うのか?…。
犯罪を犯したときに一時的な禁治産状態(心神喪失の状況)に陥っていて、公判中に治癒した場合どう判断すれば良いのか?…。
罪を犯してしまったひとの、幼少期からの家庭環境や病歴についてなどの精査の問題などなど、観測霊さんのご指摘された“無数の要因”を検証することを考慮すれば、とてもではありませんが、一刀両断に“絞首刑”などと言えるものではありませんし、きっと被害者ご遺族のご心情も複雑極まるものになるでしょう。勿論、被害者ご遺族の心のケアや、犯罪に関わる賠償の問題は、最優先に社会が手厚い支援をしなければなりません。
話しが横道に逸れますが、お許しを…。よく、橋下市長が「決定できる政治、多数の民意を得たわたしが、最終的に決める。」と言ってますが、この考えが、一番怖いと思います。ここには、“逡巡”(決心がつかなくてぐずぐずとためらうこと。しりごみすること。)が皆無だからです。
死刑制度問題は、最も大切な“人間の命の尊厳”が直に関わってくる大問題ですので、より慎重で広範な国民的議論が必要不可欠だと考えます。
“逡巡”の価値を今一度、見直したいです。
> 「自分の家族が殺されてもそう言えるのか」と返されますが、
それだけでなく「自分が殺人を犯したら」「自分の大切な人が殺人を犯したら」
「自分が冤罪で死刑囚になったら」「自分の大切な人が冤罪で死刑囚になったら」まで
考えるべきではないのでしょうか。
まったくそのとおりなのですが、死刑廃止派には「想像」を迫っておきながら、それを自分たちに向けられると、「想像」を拒む人もいそうです。
http://bit.ly/u9eZUS
> ■自分がいつか殺人を犯すかもしれないだろ!
犯しません。普通は加害者になることよりも被害者になることを心配します。
こういう粗雑な物言いが「死刑廃止論をフルボッコに論破する」というコピペとして流通していた事もあります(もちろん”論破”などできていませんが)。
この想像力の欠如、死刑を我が事(そもそも日本国民が総意で死刑を維持しているのなら、死刑の主体は間違いなくわたしたちです。死刑囚を殺しているのはわたしたちです)として考える事を拒否する人たちに対して、
> 死刑の執行役を裁判員のように抽選で選ぶ
というアイディアは、これに嬉々として参画したがる人たちを一定生み出しはしないか、という危惧も感じます。
『ご臨終メディア』はわたしも読みましたし、森巣氏のアイディアは死刑を存置する際の苦肉の策としてありかもしれないと、わたしも感じました。
しかし、死刑に対する社会感情は、もうそういうところさえ超越しつつあるのではないかという恐れを、最近強く感じるのです。「執行に立会いなさい」「執行ボタンを押しなさい」と言われれば、諾々と、あるいは喜んでそれに従う人たちが少なからず現れるのではないか、という恐れとも言い換えられます。
もし死刑に直接関与するのなら、死刑囚の首に縄をかけるのも、処刑後の死体をおろすのも、抽選された人たちがやらなければいけないようにすれば、多少はその嫌悪感を自覚してもらえるかもしれませんけど。
もちろんより考えなければいけないことは、そういう「嫌悪感」に日常的に晒されている刑務官の方々や、いつくるかわからない、しかしいつか確実にやってくる死の恐怖におびえながら孤独に過ごさねばならない確定死刑囚の人々の事だと思うのですが。
“国家の手で殺される”事を希望する彼らに、死刑が抑止力たり得ているかを、肯定論者の皆さんにお尋ねしたいものです。
>観測霊様
提示した意見は、以下の事実に基づいた、個人的意見です。
・カナダとフランスでは死刑廃止年の翌年から殺人発生率が上昇した事実がある。
・England and Walesでは死刑廃止年の翌年から殺人罪有罪者数が上昇した事実がある。
私は、各国での統計で死刑廃止後の殺人の増大という、この明確な差の主要因は死刑廃止と考えます。
死刑廃止年が別々の3国に、他の要因が死刑廃止後そろって殺人が増えた原因となり、またその
要因が一過性でなく長い年数にわたり3国ともに影響すると考えるのは不自然と思います。
>次に死刑廃止後に殺人事件が急増したり、あるいは減ったりしても、それが死刑廃止と相関関係にあるかは証明がされて
いません。
同じ国で殺人が急増したことの変化点検証が必要となりますが、この3国に明確なのは、死刑廃止と言う変化点です。
その他に、3国それぞれに、影響した変化点について何か意見はありますか。他の具体的な変化点(要因)について、意見はありますか。
カナダでは3倍近くになっており、何か他の要因が考えられれば教えて下さい。
ここで、私の嫌いな論法をあなたの意見に使うと
>次に死刑廃止後に殺人事件が急増したり、あるいは減ったりしても、それが死刑廃止と相関関係にあるかは証明がされて
いません。
→何を根拠に証明されていないといっているのですか、それは完全に証明されていないといえるのですか、
全く相関性はないと証明されているのですか。誰々が言っているなどどいう幼稚な根拠ではないでしょうね。
→このような相手の意見の部分証明の完全性を要求し合ってもつまらないでしょう。
②について
②日本の道徳感、「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」
に合致し、罪と刑罰の均衡がとれていることで、法制度に対する国民の信頼が得られている。
二つの道徳感に対する内容に対し→日本人全員がそうなのか「国民」を「全ての国民」と読み替えて、全ての国民なのか。
この二つの日本の道徳感に合致しているというのを→他に道徳感はないのか、なんていうのはつまらない。
→あなたの意見の返しとして、「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」の道徳感は
日本人はもっていないのか。わずかでも持っていないと、証明できるか。
→この二つの道徳観が普遍的でないと証明できるか・・・とかいってもつまらないでしょう。
>こちらはあなたの意見を丸呑みするしかなくなります。それは卑怯な論法だとは思いませんか。
別に丸呑みする必要はなく、普通に議論すれば良いと思いますよ。相手の意見を否定する論法をとらずに、ふつうに私は
こう思います。と意見を言えば良いのです。
②の件については・・その二つの道徳感に合致していても、日本には別の道徳感(宗教観?)「悪人正機説」などもあり
その考えの人には罪と刑罰の不均衡であり、法制度に対する信頼を持っていない。
と言えば良いのでは。
◆否定したり、否定させたりするのではなく、意見を出し合って、ジンテーゼを作り上げることに意味があると考えます。◆
また、②の法的な信頼(刑罰)の話と、④「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という倫理観
を勝手にくっつけて、刑罰制度=倫理観ではないではないか・・・って言うのはおかしい。初めから②と④をイコールとして
言っていないでしょう。
>「死刑存置派の濃淡“を指摘して、これが普遍性であるとする”あなたの“意見に疑問を投げかけたわけです。
②に普遍性があるとかこちらは言っていない。また、人々の意見に濃淡があるのは普通ですし、初期前提に挙げないことが
特に問題とは思いません。ヤクザの因縁に近いのでは。
>それともこれは遠まわしな発言撤回の表明と受け取ってよろしいのですか?
また、つまらない相手の意見を否定させることを主眼にしている発言ですね。サドの気があるのですか。
②と④の関係は次のように、説明を加えたと理解してください。
④は「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という倫理観が殺人を抑制すると言っているの
であって。死刑制度が別にイコールでなくても良いと思います。
要は、自分に対する倫理観は、殺人に対しより高いハードルを設けて殺人を抑制し、死刑制度への考えは
故意の残虐性を勘案したものを死刑にする考えで良いと思います。
>そういう多様な人間が死を前にすれば“全て「誠の人」になる”という発想こそ、わたしにはあなたが「嫌い」と言った論法
そのもののように思えますけど。
私が嫌っている論法は上記に示した例のごとく、人の意見を否定するところを主眼として、枝葉をつけて、その完璧性、普遍性を
吟味する論法を嫌っているのです。私の意見は、
「死刑を宣告された人で反省しない人がいるかもしれませんが、最後の日の朝、死刑執行が告げられた後、
死刑執行に至る間に全ての死刑囚は反省して「誠の人」となって死ぬと信じます。
死刑囚が反省し、誠の人になって死ぬことが、殺された人と遺族への償いになると考えます。」
これは私の意見であり、だれかの意見を否定するためのものではありません。あなたが、死刑囚が死の間際でも反省せず
「誠の人」にならないで死んでいくと言っても、それ自体を否定するものではない。私はこう考えると意見を言っているのです。
死刑囚は残虐な殺人犯罪の責任、つまり刑罰として、日本に住んでいる上でのルールにおいて、殺されるのであって、私が死生観を
押付けて殺すわけではないので、傲慢ではないでしょう。
また、多くの遺族が死刑を望んでる事実を知っていますので、押付けではないでしょう。
>④はさっき説明したので、⑤
>わたしは死刑廃止を「キリスト教的価値観」とするあなたの意見に事実でもって間違いを指摘したわけです。違うと仰りたいのなら、
あなた も事実に基づいて反論すべきです。
「キリスト教的な博愛、許容」の考えが死刑廃止の考えに似ているといっているだけで、死刑廃止を「キリスト教的価値観」などど
決め付けた覚えはないですがね。そして、なんでイチイチ反論しなければいけないのかも不思議ですね。なんで相手の意見を
否定しあう議論しか出来ないのか。あなたがそのような腐った環境・境遇にいることに哀れを感じます。
→相手を打ち負かそうとする議論しか出来ない(一部の馬鹿弁護士のように)なら、一般の人に軽蔑されるだけですよ。
そちらが死刑廃止の考えは「キリスト教的な博愛、許容」の考えと違うというから、普通にどこが違うんですかと聞いただけでしょう。
あなたが、その違いは言えません。でもキリスト教徒が少ない国でも、死刑廃止になっている事実があるから、キリスト教価値観が
死刑廃止につながるとは言えないとの返事ですか。
別にキリスト教徒でなくても、「キリスト教的な博愛、許容」に似ている死刑廃止に同意してもおかしくないと思いますがね。死刑廃止
の考えはキリスト教徒でしか受け入れられないほど、ろくでもないものなんですかね。死刑廃止がキリスト教徒が多い国から広がった
のも事実ですし、犯罪者を許す点で「キリスト教的な博愛、許容」に似ていると思いますよ。
確かに、キリスト教が300年近く、魔女狩りや異教審判なでの冤罪処刑を繰返したので、その反省と、本来、キリスト教の教え「博愛、
許容」が重なって死刑廃止の考えがキリスト教徒の多い国にまず広がったと考えます。
>検証の結果社会秩序に対して有用性が証明されなかったら殺された人たちは無駄死にではないですか。人を殺しておいて「意味が
ありませんでした」じゃ済みませんよ。検証をすると言うのなら、死刑は一時停止するのが筋でしょう。人の命を使う社会実験など
非人道的との世界的な批判は免れませんよ。
以外ですね。こんなに想像力が無い人とは思いませんでした。自分の都合の良い面しか見えないのでしょうか。死刑を廃止して、殺人
が増えた事実がどれだけあると思っているのか。①のカナダ、フランス、イギリスだけでも数千件の殺人が増加したのに、全く停止し、
死刑を復活させて、検証しないで、その人々を殺しておいて知らんふりをしている人々、特に死刑廃止を支援したアムネスティは人間
の屑の集まりですね。
いや、人間の屑といったら、屑に申し訳ないほど無責任で、ろくでなしと思います。
自分たちの「人権」の考えを押付け、多くの人を殺して、多くの人の「人権」を台無しにした連中を非難するほうが先ですね。
自分たちの利己、エゴによって殺人が増え、多くの人が死んだことを、少しは考えて反省することができないのですか。
日本は世界トップクラスの殺人発生率の低さがあり、全く有用性が確認されていない死刑廃止をすることは考えらないと言うことです。
スペインの件は、スペインが死刑を廃止した前後5年位のデータがないと判断できないと言っているの、なに勝手に言葉を作って
自己陶酔しているのか、結局、そちらは、政治・経済・治安が安定した国での死刑廃止前後で、殺人が減ったデータが出せない
んで難癖つけているだけでしょう。
★相手の意見を否定して、何かを論証させて、それに枝葉を付け加えて矛盾点を突こうとすることが見えすいていますね。
弁論のための弁論では、死刑廃止村には通用しても、一般の人の共感は得られませんよ。
あなたの目的は、白黒つけたり、相手を論破したりすることですか。
それとも、死刑廃止の意見を自ら率直に述べて、説明することですか。
品格のない、もの言いは、しない方が宜しいかと…
→相手を打ち負かそうとする議論しか出来ない(一部の馬鹿弁護士のように)なら、一般の人に軽蔑されるだけですよ。
議論するに際し、議論する相手に敬意をもって臨むのが、最低限のマナーであると考えます。この表現は、真摯に議論してみえる方の人格・尊厳を著しく貶めるものであり、議論を傍らで見聞きしている方にも、不快感を与えるものと考えます。
議論の最低限のマナーを身につけられることと、この言葉を浴びせられた、観測霊さんに対し、誠心誠意、謝罪されることをお勧めします。
自称「真剣に日弁連は殺人が一件でも少なくなる方法を考えろ」君へ
でなかったら、観測霊さんや青い鳥さんに散々論破されても自説をここまで繰り返さないわけでしょう。いいでしょう、あなたはせいぜいそう振舞っていなさい。
あなたの思想が正当だと言うのなら、私のようにブログでも立ち上げて意見を述べて居ればいいのです。あなたは負け犬だから、青い鳥さんや観測霊さん、管理人である秋葉さんにきゃんきゃん吼えているだけです。
あなたを見てくると惨めに見えてきますな。私はあなたのような人間に哀れみすら覚えますよ。このブログで明らかになったように、死刑はもはや時代遅れの刑罰なのです。その事実を認めないで被害者感情ばかりに依存するお粗末な論をぶちかますことはそれだけ自分の意見に自信が持てないのです。自分の頭で考えてそういえるのですかな?
あなたの顔はどこにあるのですかな。私に答えなさい。ですが、長いコメントでお茶を濁すのなら論外です。そうする段階であなたは私に負けたと言うことです。それが嫌なら、コメントはしないことをお勧めしましょう。
>日弁連の直接の仕事ではないと何度も言っているのに未だに理解できないコメンターさんは議論のとば口に立てない方のようです
> ・カナダとフランスでは死刑廃止年の翌年から殺人発生率が上昇した事実がある。
> ・England and Walesでは死刑廃止年の翌年から殺人罪有罪者数が上昇した事実がある。
>
> 私は、各国での統計で死刑廃止後の殺人の増大という、この明確な差の主要因は死刑廃止と考えます。
> 死刑廃止年が別々の3国に、他の要因が死刑廃止後そろって殺人が増えた原因となり、またその
> 要因が一過性でなく長い年数にわたり3国ともに影響すると考えるのは不自然と思います。
やれやれ、あなたは議論のイロハすらわきまえてらっしゃらないのでしょうか?
あなたのその個人的意見には全然根拠がないと言っているのにまた同じ内容を繰り返し書いてどうするのですか
カナダにおいて死刑廃止だけが殺人事件の増加だというなら何故その後減少していったのかについて私は尋ねましたがそれはスルーですか。
イギリスにおいても死刑廃止する前から殺人事件は増加しており、死刑廃止をきっかけに増加したわけではないと言ったのもスルーですね。
いくら「個人的見解です」なんて書かれてもそれが根拠レスである限りあなたの妄想でしかないわけで、それをここに百回書こうが議論において何の説得力も持たないのですよ。
殺人事件の増減の理由が死刑の存否だけなら、日本は一貫して死刑があるのに何故殺人事件の発生率が増減するのですか。それこそ死刑の存否以外に様々な社会的要因がある証拠でしょう。しかし何がどう作用して殺人事件の発生率が増減するのかを確定はできません。そんなこと確定できた学者などいません。なのにあなたは確定できるのですね。素晴らしい能力をお持ちのようで。
あなたはこちらが言ったことを無視して根拠のない個人的な思い込みを繰り返しているだけ。議論の仕方も知らないようではもはや会話する価値もないとしか言いようがありませんね。
状況証拠のみでの、死刑判決と裁判員の負担を考えたい…
>死刑はもはや時代遅れの刑罰なのです。その事実を認めないで被害者感情ばかりに依存するお粗末な論…
仰る通りで、時代遅れの“仇討ち思想”に執着する思考は、お粗末で法治主義に著しく反するものですね…。
今日も、残念な死刑判決がありました…。
【木嶋被告に死刑判決=全事件有罪、「非道な犯罪3度」―さいたま地裁】
http://news.mobile.yahoo.co.jp/news/view/20120413-00000019-jij-soci.html
……(一部抜粋)……
時事通信 [4/13 12:10]
首都圏連続不審死事件の裁判員裁判で、男性3人を殺害したとして殺人と詐欺などの罪に問われた木嶋佳苗被告(37)に対し、さいたま地裁(大熊一之裁判長)は13日、求刑通り死刑の判決を言い渡した。判決は殺人3件を含む全10事件で有罪と認定し、「極めて重大かつ非道な犯罪を3度も繰り返した」と厳しく指弾した。弁護側は一部の詐欺事件を除き、無罪を主張していた。
不審死は被告による殺害を裏付ける直接証拠がなく、検察側が積み重ねた状況証拠を裁判員らがどう評価するかが最大の焦点だった。……(中略)…………
検察側の状況証拠に基づき認定した。
……(一部抜粋終り)…
検察側の提示した状況証拠のみによる、判決は疑問に思います。“推定無罪;疑わしきは罰せず”の原則を全く無視した判決だと思います。
加えて、当該裁判は約100日間、公判が開かれ、6名の市民が裁判員として、死刑判決に携わりました。 裁判員の皆さんは、審理内容について守秘義務が生じます。更に、今回の様な状況証拠の積み重ねによる死刑判決を出し、死刑執行後、“冤罪”が判明した場合の裁判員の皆さんの精神的負担たるや、想像を絶するものと考えます。裁判員の皆さんが、人生を終えられるまで呵責を背負わなければならないと考えるに、極めて残酷ではないのか? 百歩譲り、無期懲役刑に留めておけば、再審無罪の可能性があり、裁判員の方々の精神的負担は、軽減されると思います。
冤罪により、失われた時間をどう償うのかということも重大問題ですね…。名張ぶどう酒事件も冤罪の可能性が高まり、被告人が高齢にも関わらず、再審開始の決定が、まだなされていない。このような事態も現実に起こっていることを考えるに、冤罪により失われた時間、人生を誰が、どう償うのか?。これは重要な問題であると考えます。 ましてや死刑執行後、冤罪が判明した場合は、とり返しがつかなくなります。
袴田裁判然り、冤罪の可能性が皆無でない限り、死刑制度は廃止すべきでしょう。
お返事ありがとうございます。
まぁ、どんなハンドルネームをつけるのも基本的には自由だと思いますが、ASさんや秋原さんがご指摘のとおり、それは「日弁連の直接の仕事ではない」事は、わたしも指摘しておきます。
> 提示した意見は、以下の事実に基づいた、個人的意見です。
なるほど、あくまで個人的なご意見という事ですね。では犯罪の増加が死刑廃止と相関関係にあるかは証明がされていなくても、”あなた個人にとって”のみならば問題ないのでしょう。ですがそれは社会的事実性や、科学的妥当性を放棄するという内なる”信仰”の告白をされたという事でよろしいのでしょうか。
だって、こちらの指摘は全部無視なさって、自分はこう思うからこうなんだ、という事ですよね。
ではあなたが述べられた
> 死刑を廃止して、殺人が増えた事実がどれだけあると思っているのか。
というご意見も、あくまで個人的意見であって、事実性や科学的妥当性はなく、あなた個人の中で完結しているあなたの思い込み、と言う事になりますけど。だとしたらそれを根拠に特定の団体を「屑と呼ぶには屑に失礼」などと、公然性をもつこういう場で誹謗なさるのはやめたほうがよろしいですよ。
> 他の具体的な変化点(要因)について、意見はありますか。
特にありません。
なぜならわたしのそれらの国々の当時の社会状況についてほとんど無知だからです。こういうものはネットで調べればでてくるものでもないですし。ですからよく解らない状態で適当な事をいうわけにはまりませんし、言う必要も認められません。
もしかしてご自分の知る範囲で、死刑廃止しかめぼしい要因がないから、死刑廃止が要因に違いない、とお思いなのですか?ご自分の知らない社会事情があったかもしれないとはお考えになれませんか?それともお考えになりたくないのですか?
あと秋原さんがあなたの資料についてあげた質問はどう説明なさるのでしょう。秋原さんに答えて差し上げてください。
> 何を根拠に証明されていないといっているのですか、それは完全に証明されていないといえるのですか、全く相関性はないと証明されているのですか。
わたしはこう言いました。
死刑が犯罪を抑止するという結果を得られた統計調査はありません。ですが死刑を廃止すれば犯罪を抑止できるという統計もありません。つまり死刑の社会における犯罪抑止効果は現在のところ”よくわからない”というのが、国連調査の当面の結論で、現在のところこれを覆すような調査はまだ出てきていません。
平たく言いますと、死刑が犯罪の抑止の効果があるという証明ができなかったというのが国連調査の当面の結論で、それを覆すような調査はないわけです。あなたがこれを覆したいのなら、自分はこう思うという個人的意見を繰り返したり、あるいは可能性はゼロじゃないという悪しき相対主義に陥る事なく国連調査を覆すだけの総合的で広範囲の地域における調査結果を探してくるか、ご自分で行うしかありません。それをしないで「個人的意見」を繰り返されても、正直当方としては困惑するよりありません。国連調査の結果を捨てて、あなたの「個人的意見」の方を採用する根拠がないからです。
ロジャー・フッドの『世界の死刑』はお読みになりましたか?これはオックスフォード大学教授による国連調査をまとめた本です。少なくとも「自分がこう思うからこうなのだ」というあなたのおっしゃりようよりはまだ信頼にたるとわたしは思いますよ。
> 二つの道徳感に対する内容に対し→日本人全員がそうなのか「国民」を「全ての国民」と読み替えて、全ての国民なのか。この二つの日本の道徳感に合致しているというのを→他に道徳感はないのか、なんていうのはつまらない。
> この二つの道徳観が普遍的でないと証明できるか・・・とかいってもつまらないでしょう。
いや、あの、ですから、つまらないとかそういう問題なのですか?死刑存置派にも濃淡がある、「この二つの道徳観が普遍的でない」ことはご自信もお認めになったじゃないですか。それをつまらない、の一言でばっさり切り捨てられるのですか?
> 別に丸呑みする必要はなく、普通に議論すれば良いと思いますよ。相手の意見を否定する論法をとらずに、ふつうに私はこう思います。と意見を言えば良いのです。
ええ、ですからこうして「あなたの意見はおかしい」とわたしの意見を申し上げているんですけど。あれ、相手に意見に対する否定的意見は、意見として認められないんですか?
あとご自分の意見に対して詳細を質したら「好きじゃない」と来て、今回は「否定するな」でしょう?あなたの言うとおりにしようとすると、わたしはあなたの意見を丸呑みするしかなくなるんですけど。それが嫌だから、あくまで詳細を質し続けているわけで。
> ②の法的な信頼(刑罰)の話と、④「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という倫理観を勝手にくっつけて、刑罰制度=倫理観ではないではないか・・・って言うのはおかしい。
なるほど、法的な刑罰と倫理観は別だと。
ですが、当初②で『日本の道徳感、「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」 に合致し、罪と刑罰の均衡がとれていることで、法制度に対する国民の信頼が得られている。』とおっしゃって道徳が法制度への信頼につながっていると、法的な刑罰と道徳観(倫理観)をリンクさせて話していたのはあなただったと記憶しているのですが。
> ②に普遍性があるとかこちらは言っていない。また、人々の意見に濃淡があるのは普通ですし、初期前提に挙げないことが特に問題とは思いません。ヤクザの因縁に近いのでは。
わはは(笑)ヤクザまがい呼ばわりされたのは初めてです(笑)
普遍性など主張していないとおっしゃるのなら、どうして「日本の」とか「国民」とか「一般の人」とか多数の人や社会集団をいちいち持ち出されるのですか?それはご自分の意見が自分以外の多数の人にも同意されるもの=普遍性を持つものとして主張されたかったからではないのですか?
ですからわたしはそのように解釈したのですけど。あくまで個人的なご意見とご自分から(こちらからはそれ以前から指摘していましたけど)仰りだされたのは、4月12日の書き込みからですよね。最初からそのつもりで書かれていたのだったら、いささか遅すぎるのではないかと。
文章だけのコミュニケーションは正確を期さないと相手に意図が伝わりづらいですよ。個人的なご意見とおっしゃるのなら、最初の書き込み時にそのような但し書きをされるべきでしたね。
> 死刑制度が別にイコールでなくても良いと思います。
わかりました。では新たに質問です(やっとこの質問ができる…)。
では制度としてではなく、事故で人の命を奪ったときは「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という個人的な倫理観に則って、自裁すべきですか?
> 人の意見を否定するところを主眼として、枝葉をつけて、その完璧性、普遍性を吟味する論法を嫌っているのです。
完璧性など求めていませんし、普遍性を要求したのはあなたが「国民」とか「日本」とか広範なカテゴリを持ち出してきたからです、と説明しましたよね。つまりあなたのご意見を論理的に敷衍すると、こういうことになりますけど、それって普遍的ですか?といろいろ申し上げたのですよね?議論の流れを把握されてます?
この論理的に敷衍するのを「枝葉をつけて」などと言われると、正直困ってしまいます。だって、あなたのおっしゃる事をそのまま社会に適用したらこういう問題点がありますよ、という指摘はなぜしてはいけないのですか?少なくともこちらが言ってもいない事をさも言ったかのように言ってそれを批判したり、言ってもいない事のデータを出しなさいと迫るよりは、遥かに議論の発展に資すると思いますけど。
> 私はこう考えると意見を言っているのです。
> 日本に住んでいる上でのルールにおいて、殺されるのであって、私が死生観を押付けて殺すわけではないので、傲慢ではないでしょう。
いえ、そうではなく。あなたの個人的な意見でもって、たとえ死刑囚であったとしても他者の内心を勝手に規定する事を「傲慢」だと言っているのです。何かに対して、どう思うかというのは個人の自由でしょう。
考えてみてください。他人があなたの内心を良く知りもしないのに、「君はこう思ってるんだろう。なぜなら私がそう考えたからだ」などと言われたら、「ちょっと待ってくれよ」と言いたくなりませんか。
たとえば。たとえばですよ。わたしがここであなたに「ネチネチ突っ込みを受けてイライラしてるんだろう。本音は『細かいことはどうでもいいから死刑囚なんてみんな殺せばいい』って言いたいんだよな。なぜそう思うかというと、わたしがそう考えたから」なんて言ったらどうします?十中八九あなたは「ふざけるな、お前に何がわかる」と思うのではないですか?
あなたが処刑される確定死刑囚に対して”信じ”ているのは、つまりそういうことですよ。被害者遺族に対しても同じです。たとえ死刑を望んでいても、死刑にされたらそれが「生きる力」とやらにするか、できるかというのは個々の被害者遺族の内心の問題です。それを外野から「死刑にしてやったんだから元気が出るだろう」みたいに言うべきではありません。光市事件の被害者遺族である本村氏も死刑の確定に対して「嬉しい気持ちはない」と記者会見で明言していますよ。
長いので、いったんここで切ります。
続きは次のコメントにて。
> 真剣に日弁連は殺人が一件でも少なくなる方法を考えろさん
> 「キリスト教的な博愛、許容」の考えが死刑廃止の考えに似ているといっているだけで、死刑廃止を「キリスト教的価値観」などど決め付けた覚えはないですがね。
え。
> ⑤日本が死刑制度を含めた道徳感で高い社会秩序、及び公共性をもつことは哲学的に注目されており、 キリスト教的な罪人を許す正義に対するアンチテーゼとして人類にとってその存在意義が大きい。
っておっしゃってたじゃないですか。これを「似ているといっているだけで、死刑廃止を「キリスト教的価値観」などど決め付けた覚えはない」というのはさすがに苦しくないですか。「人類にとっての思想的価値」まで主張する文脈で”キリスト教的”などと言ったらそれは「キリスト教的価値観」(もしくはそれに基づく)と解釈できますよ。これはさすがにちょっと酷いと思います。
人類の思想的価値として「キリスト教的な罪人を許す正義に対するアンチテーゼ」なんて言い方をしておいて、「死刑廃止の考えはキリスト教徒でしか受け入れられないほど、ろくでもないものなんですかね」という物言いは、完全に自家撞着を起こしていますよ。
> なんでイチイチ反論しなければいけないのかも不思議ですね。
だってあなたの書き込みには疑問点が多いんですよ。書き方が大雑把で危なっかしいですし。放っておくと、それを是認したのかと思われるのが不安なんです。これでも随分文章を削っているんですけどね。
> なんで相手の意見を否定しあう議論しか出来ないのか。あなたがそのような腐った環境・境遇にいることに哀れを感じます。
わはは(笑)どうもありがとうございます(笑)ですがご心配には及びません。ご厚意には感謝します。ですがこちらの環境を良くご存知でもないのに「腐った」などとおっしゃるのが「傲慢」だと申し上げました。わたし個人はともかく、わたしの周囲の人々を貶めるようなことは言わないでください。以後気をつけてくださいね。
さて、わたしは”批判”をしているつもりだったのですよね。否定と批判は似ているようで違います。Yahoo百科事典でも引いてみてください。わたしはあなたの意見を否定していますが、それは事実と異なる点があるからですし、論理的におかしいところ、前後矛盾するところもあるからです。なにも無根拠にあなたの意見を否定しているわけではありません。そしてできればそういった疑問の数々をあなたに解消していただきたいと思っています。
> 相手を打ち負かそうとする議論しか出来ない(一部の馬鹿弁護士のように)なら、一般の人に軽蔑されるだけですよ。
ほら、またそうやって「一般の人」なんて広範なカテゴリを持ちだして、ご自分の意見に普遍性を持たせようとなさってる。そもそも「相手を打ち負かそうとする議論しか出来ない」という前提がまず間違っていますけどね。
> そちらが死刑廃止の考えは「キリスト教的な博愛、許容」の考えと違うというから、
『「キリスト教的な博愛、許容」の考えと違う』なんてわたし、一言も言ってませんけど。いわゆる”キリスト教国”でも死刑存置の国はあって、「キリスト教的な博愛、許容」が必ずしも死刑廃止につながるわけではない、とは申し上げました。
キリスト教徒が他の信徒と比べて圧倒的に多いアメリカでは死刑存置が多数派で、キリスト教的価値観が必ずしも死刑の存廃には反映されない
ときちんと申し上げてますよね?わたしのコメント、ちゃんと読んでいただけてます?またこちらが言ってもいない事をさも言ったかのように仰いましたね。これで2回目ですよ。
> こんなに想像力が無い人とは思いませんでした。自分の都合の良い面しか見えないのでしょうか。
秋原さんにご自分で示した資料の疑問点を尋ねられてもそれに答えられないあなた自身の事を、もろに直撃する批判ですよ。いわゆるブーメラン発言というやつですね。
そしてわたしもこの質問をあなたにそっくり返させていただきます。それはあなたが「死刑は犯罪抑止に効果がある」というあなたの個人的意見に「都合の良い面」しか見ていないせいでしょう。人命を社会実験に使う事の問題にまったく無頓着なほど想像力がない人とは思いませんでした。ある制度の社会的効果を調べる目的で人を殺すという事がどれほど非道な事か、お分かりになりませんか。それは「ドイツを浄化する」という名目でユダヤ人やロマ、障害者や同性愛者を迫害したナチス党と極めて近い事ですよ。さすがに死刑推進派の中でも、そんな考えが主流だとは思いたくありません。
正直に申し上げて、背筋が凍る思いがしました。
> 自分たちの利己、エゴによって殺人が増え、多くの人が死んだことを、少しは考えて反省することができないのですか。
あなたの「個人的意見」でしょう?それにしたがって反省する必要など誰にもありませんよ。
> スペインの件は、スペインが死刑を廃止した前後5年位のデータがないと判断できないと言っているの
なんで前後5年に限るんですか。その数字の根拠は何です?どうして社会的影響を5年という短期でしか見ないのですか?ちなみにスペインの死刑廃止は1978年です。
まぁ所詮は単純比較上のお話ですけどね。
> 結局、そちらは、政治・経済・治安が安定した国での死刑廃止前後で、殺人が減ったデータが出せないんで難癖つけているだけでしょう。
わたしのコメントを再掲しますね。
死刑廃止派は別に「死刑を廃止すれば犯罪が減る」などとは主張しておりません。死刑があろうとなかろうとそれだけで犯罪が増えたり減ったりはしない、死刑を犯罪抑止に有効と言うのは間違いだと言っているのです。その点ご理解ください。
秋原さんも同様のコメントをあなたへ向けて書いています。わたしなど、念のために、とわざわざ改行までしたのですから、お目に留まらなかったはずはないのですが、それに対するお返事がなぜ
> 次はそちらの番です。上記データと同じレベルの死刑廃止後で殺人発生が減ったデータを出してください。
になるのでしょう?
わたしも秋原さんも「死刑廃止後で殺人発生が減った」などと、この場で一度たりとも主張していません。主張してもいないことをさも主張したかのように、データを出せなどと言われましても、こちらとしては「何の話ですか?」としか返しようがありません。
…本当にわたしのコメントを読んでいただけました?
ちなみにアムネスティにしても「死刑廃止で犯罪が減る」などとは主張してません。あなたが引用されたカナダの例に従えば「死刑廃止国における最近の犯罪件数は、死刑廃止が悪影響を持つということを示していない」と言っているだけで、どこにも死刑廃止のおかげで犯罪が減ったなどとは書いていません。
だからなぜそうやってこちらが言ってもいない事をさも言ったかのように言ってデータを出すようになどと要求なさるのですか?ちっともわかってないじゃないですか。
> あなたの目的は、白黒つけたり、相手を論破したりすることですか。それとも、死刑廃止の意見を自ら率直に述べて、説明することですか。
目的、と言われましても。
まず第一にあなたの議論について、疑問点を解明したい。
その上で死刑存置派の人と話したい。
この二点ですかね。白黒つけようなどとは思っていません。そういう決着がふさわしい話題ではありませんし。現在のところ主に第一段階でてこずっていて、第二段階が進んでいませんけども。
はい、以上です。
長文失礼しました。
最後に蛇足ながら、追記。
今、ふと疑問に思ったのですがまさか、「個人的意見」と言っておけば否定されたり批判されたりしない、あるいはしてはならないなどと考えておられるのではないですよね?
一応確認しておきますけど、個人的な意見を持つのはもちろん自由です。あなたにもわたしにも、いえ世界中の人に思想信条の自由というものがあります。ですが、それはなにか意見を”表明”しても否定、もしくは批判されない権利とは違います。そんな権利は世界中誰にもありはしません。
自分だけしか見ない日記帳なんかに書かれているだけならまだしも、あなたはこのコメント欄という多くの人の目に触れる場所で、ご自分の考えを表明されているのです。そこで異なる考えの人から(特にあなたはこのエントリに対して反対の立場で書き込みをされたのですから)、批判的なコメントがあることくらい当然予測しておくべき事でしょう。
「否定ばかりするな」とおっしゃられても、あなたの意見に批判すべきところがあればわたしはします。ここでのあなたの意見に一度でも物申してしまったわたしの責任としてそうするのです。結果としてあなたの意見に賛成できない点が多ければ否定、批判ばかりになってもそれは仕方がない事です。
ここでは、わたしとあなたは対等です。あなたに「否定ばかりするな」といわれても、それに応じるわけにはいきません。もし応じてしまったらそれはもはや議論ではなく”接待”でしょう。
わたしはあなたの自尊心を満足させるためにあなたと話しているのではありません。ブログコメント欄での議論はサービス業でもなんでもないのです。管理人である秋原さんを差し置いてわたしが言うのもなんですが、そこは理解してください。
マスコミ報道によりバイアスがかかる危険性…
つい先日も京都四条通りで、歩行者数人を巻き込む悲惨な事件がありましたが、当該車両の運転手の男性が、電柱に衝突し死亡しましたが、男性は病歴があり、事故後その疾病が発症したと思われる状態(白目を剥いて泡を吹く)にあったとのことです。この事件の場合、運転中に病歴の当該疾病の発症があり、事故に至ってしまった可能性がある訳です。この事件も発生した当初、報道を見ていて、この運転手の男性が故意に歩行者数人を轢き殺したのではないかと思わせる感じがしました。
死刑制度存廃を考えるにおいて、マスコミ報道などについての影響も大切な視点のひとつとして捉える必要があるのではないかと考えます。
法と証拠
これは、法と証拠により、あらゆる刑事事件を審理する上で最も大切な態度を示したものであると考えます。
マスコミや世間の風潮に流されることなく、法と証拠により客観的判断で事件を冷静な目で審理し、少しでも疑義が生じた場合は、推定無罪の原則に則るべきであると考えます。 よく死刑判決を受けた被告人の弁護を担当される法廷代理人の方々が、世間の批難の的になる場面に遭遇しますが、これは法治主義の視点からも恐ろしいことです。やはり、死刑制度は、“魔女狩り”や“仇討ち”などの感情に支配され易い社会においては、廃止するべきと考えます。 “冤罪”をうまない為に百人の真犯人を逃しても、致し方ないとする態度に拠りたいものです。冤罪による死刑執行は許されません。
観測霊様、秋原様、青い鳥様、小野様
「日弁連は真剣に殺人が一件でも少なくなる方法を考えろ」にそれほど反論しなくても?
それは直接の仕事でない・・・別に間接的にも十分考慮して、日弁連の仕事に活かして欲しいですね。
反論するほど、日弁連は殺人を減らすことは何も考えず、金儲けのための弁護しかしてないように見えますね。
これ以上、議論しても、同じ内容の繰り返しで、そちらから死刑廃止の有効性を示す説明が出ないようですね。
掲載されないコメントもありますから、時間の無駄ですね。
こちらが提示した①~⑤に対し、そちらか出た意見をまとめると次の内容くらいで。
①死刑廃止後に殺人発生が減るとは言っていない。死刑廃止後に殺人が増えたのは、他の理由を検証する必要がある。
しかし、死刑を廃止して殺人が増えても、死刑を復活させて死刑有無の影響を検証するつもりはなく、殺人が増えても
責任は感じない。
②日本の道徳感には、「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」以外もある。
③囚人が死刑の至る間に反省して、「誠の人」になるという考えは傲慢だ。
→ならば、死刑に納得・希望する殺人者もいる中、死刑廃止で殺人者の人権を守れると考えるのも傲慢だね。
④「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という個人的な倫理観は殺人罪とは関係ない過失
致死の場合、どうするのか。
⑤「キリスト教的な博愛、許容」が必ずしも死刑廃止につながるわけではない。
もう少し、死刑廃止する人の中には、死刑廃止するだけの根拠、有効性を訴える意見があるのかと、
微かな期待もあったのですが、やっぱり何もないようですね。
少なくとも、私が出した①~⑤に対して、それは違うと否定するだけでなく、死刑を廃止するとこのような有効性
があると、対極の意見が出てくれば良いのだが、いくら促しても、なにも出ない。
法務省の「死刑の在り方についての勉強会」でも死刑廃止の考えは、国際的潮流、冤罪、殺人者の人権保護と
ありきたりの説明で、全く死刑廃止に対する不安に対し、答えないので、その正当性(正義)は認められなかった。
日本の刑罰制度を変えたいと思うなら、死刑廃止の有効な改革案を出して、国民の不安を除かないと無理でしょう。
その改革案も出せず、死刑廃止の有効性も説明できないようではダメですね。
この死刑廃止村で不平、不満を並べたてて、仲良く、慰めあっていてください。
「メディア・パニッシュメント」ですね。
特にワイドショーや週刊誌が、“持ち上げておいて後で落とす”悪癖がある事で知られています。
本質を見極める目…
>「メディア・パニッシュメント」
この言葉を初めて知りました。いつも教えて頂き感謝です。
しかし、日本のメディアの低俗ぶりには、呆れ返るばかりです。“北”バッシングといい、“ハシズム”礼賛といい…。どうしたものでしょう…。 “北”のミサイルと言われるものを批判する資格が、核兵器を大量に保有する常任理事国に有るのか?…。「お前が言うな。」という話です。 日本は被爆国として、全世界に核廃絶を粘り強く、訴え続けるべきです。日本のメディアは、“北”バッシングに明け暮れてますが、アメリカ・中国などの大国に対しても、“核兵器を持つな!”と堂々と主張すべきと考えます。
メディアに流されず、ことの本質を見極める目を養いたいものですね…。
“情報”まで…
>日弁連云々さん、あなたとの不毛なやりとりはこれで最後です
「日弁連は真剣に殺人が一件でも少なくなる方法を考えろ」にそれほど反論しなくても?
ではあなたもされてはどうでしょうか。あなたのお仕事とは直接関係ないかもしれませんが、直接関係無い日弁連にやれと請求するんだからあなたも請求されたって文句は言えませんよね?
> 反論するほど、日弁連は殺人を減らすことは何も考えず、金儲けのための弁護しかしてないように見えますね。
いかに実務を知らないかよくわかります。刑事弁護で金儲けなんかできませんよ。刑事は大物政治家みたいな特殊な事例でない限り金儲けできないんです。金儲けしたい弁護士は民事しかやりません。
> これ以上、議論しても、同じ内容の繰り返しで、そちらから死刑廃止の有効性を示す説明が出ないようですね。
観測霊さんのコメント全然読んでないでしょう。観測霊さんはもうすくなくとも2回は「死刑廃止が犯罪発生率を下げるなんてことは言ってない。こちらが主張してないことを勝手に主張するようなことはすべきでない」とおっしゃってるのにまた同じ事を繰り返しましたね。こういうことをなさるからあなたは議論の相手する価値がなしと判断するのです
それ以下は何を言ってるのか日本語として意味不明です。
ハンドルネームを戻されたのですね(笑)
基本的なところは秋原さんがおっしゃってくださっていますけど、例の光市事件の弁護団なんて、全員手弁当もしくは持ち出しでやってるんですよ。
> これ以上、議論しても、同じ内容の繰り返しで、そちらから死刑廃止の有効性を示す説明が出ないようですね。
うーん、それはこちらの台詞と申しましょうか(^_^;) このまま続けていてもあなたは同じことを繰り返すばっかりで、死刑の有効性を「自分がそう思うからそうなんだ」以上に説明できないようですね、としか。
あの、改めて確認しておきますけど、議論の流れとしてはあなたが「死刑は犯罪抑止に有効」と主張されたので、わたしや秋原さんや小野さんや青い鳥さんが「そんな事実はない」と反論したのですよね。
わたしに限って言えば、わたしがしていたのは「死刑廃止の有効性(何に対しての?)」の証明ではなくて、「死刑は犯罪抑止に有効」というあなたへの反論だけです。あなたへの反論としてはそれで十分ですよね?だって何度も申し上げている通り、「死刑の存否が社会の犯罪率に対して有為な影響を与えるという事は証明されていない」というのがわたしの主張なわけで、そのために「死刑廃止の有効性(何に対しての?)」の証明をしなければならないというのは、論理的に成り立たないでしょう?
良くも悪くも影響がないっていう主張なのに、影響がある(有効性がある)と証明しなければいけないって、ちょっと意味が解りません(笑)
もしかして「死刑廃止の有効性(何に対しての?)」が知りたかったのですか?
だったら最初からそう言ってくださればよかったのに…(^_^;)
軽く申し上げておきますと、死刑廃止は「こうすればこう良くなる」というより、悪い状態を取り除くという側面の方が強いんですよ。社会の中の悪状況を取り除くことで、結果的に社会を改善するというもので、「有効性」というのとは少しニュアンスが違う、とわたしは考えています。
> 少なくとも、私が出した①~⑤に対して、それは違うと否定するだけでなく、死刑を廃止するとこのような有効性 があると、対極の意見が出てくれば良いのだが、いくら促しても、なにも出ない。
…促されていたのか…(笑)
すみません、ここに一番驚きました。あれかな。「死刑廃止で犯罪が減ったというデータを出せ」あたりかな。あれについては「そんなこと言ってません」で終わったと思っていました(^_^;)
改めて申し上げておきますけど、「死刑廃止で犯罪が減るなんて誰も言ってません」。これ、3回目ですよ?
まぁ、さすがにわたしも大人げなかったな、と反省するところもありますので、あなたとの議論(時々会話になっていなかったようにも思うけど)はこれまでに。
長らくありがとうございました。
池乃めだか君かね?君は…
>時間の無駄ですね。
アッハハハ~。君は池乃めだか君かねぇ~。
(吉本新喜劇での名物場面のひとつ…。池乃めだかさんが、喧嘩で強かボコボコの目に遭ったすぐ後に、負け惜しみよろしく「今日のところは、これくらいにしといてやろう。」とスクッと立って去ってゆく…。)
秋原さん、観測霊さん、小野哲さんから完膚なきままに論破されたにも関わらず、負け惜しみよろしくの執拗な食いさがりは、はたから見ると貴殿の惨めさが、尚一層目立ちますゾヨ…。以前、どう説得しようとも“まったく心に響かない”と執拗なまでに惨めな食いさがりの醜態を見せつけられた御仁がみえましたが、クリソツですね…。以前“AS”さんが記されましたが、ディベートの域を出ない不毛な議論に陥るものは、労力・時間の無駄遣いで虚しさのみが残るだけです。
>ありきたりの説明で、全く死刑廃止に対する不安に対し、答えないので、その正当性(正義)は認められなかった。
秋原さんや観測霊さんが、あなたの質問に対し、真摯に微細に応えてみえるにもかかわらず、あなたのその物言いは、駄目ですよ、あなたのその態度は、自分から議論を吹っかけておきながら、反論ができないとひと様の労力や割いた時間を足蹴にする不遜なる態度です。議論相手への敬意を微塵も感じられませんよ…。
>この死刑廃止村で不平、不満を並べたてて、仲良く、慰めあっていてください。
失礼千万な物言いですね…。少なくともこちらのブログのご常連の皆さんは、ものごとを論理的・科学的に深く掘り下げ真摯な態度で、人間の命の尊厳などについて探求されておられますよ…。不平・不満など見たことありません。
実を言えば、わたし自身、死刑制度については、何の疑念も持ち合わせていなかったのですが、こちらのブログに出会い、勉強するうちに、死刑制度は廃止するべきと考える様に、つい最近変わってきたんですよ…。今では感謝しています。 こちらのブログの“死刑制度”に関するエントリーと、コメントを熟読されることをお勧めします。きっと心が揺さぶられると思います。
自称「日弁連は真剣に殺人が一件でも少なくなる方法を考えろ」君へ
この前のコメントでデットボール気味のコメントをしてしまい不快感を与えたことをお詫び申し上げます。
次に、自称「日弁連は真剣に殺人が一件でも少なくなる方法を考えろ」君。
君は私の最後の警告を無視してあの暴言を吐いた。
もう、君を相手にする価値はない。君を見てくるとイソップ童話の『すっぱい葡萄』を思い出す。キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去るという話だが、君はそのキツネにそっくりだ。
観測霊さんや青い鳥さん、秋葉さんに完膚なきまでに論破され、私にからかわれた程度であんな暴言では、君は私たちの理論の正しさを身をもって証明してくれたことを意味する。私は真の卑怯者である君から卑怯者呼ばわりされたことに感激すらしている(皮肉だがね)。死刑存続村でさぞかしぬくぬくとお粗末な言論ばかりしてきたから、我々に反論されて慌てているだけに過ぎない。
そのほかについては私は君を名指しで批判するコラムを書いているのでじっくり見て、メールフォームから感想でも寄せたまえ。もっとも、返事は期待していないのだがね。
それで返事をするなら、ブログのコメント回答できっちり回答して差し上げるが君の嘘百篇には荒らし投稿とみなす。真実から目をそらすなと言うことを最後に君に警告し、君への最終回答としておこう。
ごめんなさい。前回コメントで終わりにと思いましたが、ひとつだけ追加です。
> ③囚人が死刑の至る間に反省して、「誠の人」になるという考えは傲慢だ。
→ならば、死刑に納得・希望する殺人者もいる中、死刑廃止で殺人者の人権を守れると考えるのも傲慢だね。
わたしが「傲慢」と言ったのは他人の内心をあなたが勝手に決めつけていることについてですよ。問題の位相をずらしても反論にはなりません。平たく言えば、話をすりかえないでください、という事なんですけどね。
あなたは勘違いされているのかもしれませんけど、人権というのはたとえ本人がいらないといっても剥奪されるようなものではありません(刑罰上、一部制限されることはありますが。これを殺してしまうと”剥奪”とたいして変わらない、というのがわたしが死刑に反対する理由の一つです)。たとえ「奴隷にしてください。奴隷になりたいです」と頼む人がいてもその人を奴隷にしてはいけないのです。「殺してくれ」と頼まれても、その人を殺してはいけません(いわゆる”尊厳死”についてはまた別の観点がありますが、ここでは置きます)。人権とはあなたが考える以上にずっと強固で尊重されなければいけないものです。そして死刑囚がたとえ死んで償いたいと言っても、国家としてそれに応じてはいけないと言うのが死刑廃止の考え方です。
なぜなら近代国家とは、わたしたちがそれぞれの権利を付託する事で成り立っているからです。社会契約説の基礎ですね。わたしたちに「人を殺す権利」はありません。よって国家にも「人を殺す権利」はない、ありもしない権利を国家が付託される事などありえない、というのがわたしが考える死刑廃止の原則です。
死刑囚の死んで償いたいという意志を無視するから死刑廃止は傲慢だとおっしゃるのなら(もともと国家制度なるものはたいてい傲慢なものではありますが)、死刑もまた同じように、あるいはそれ以上に傲慢です。被告の意志の如何によらず、その命を奪うのですから。よって死刑廃止だけをことさらに傲慢と批判することはできないはずですね。それとも死刑囚が「生きて償いたい」と言ったら、死刑囚の意志を尊重して死刑を免除してもらえるのでしょうか?それもまたひとつの方法ではあろうかと思いますけどね。
ちなみに、わたしは罪を犯した人が死んで償いたいと考えるのまで否定した覚えはありません。極端な話、死んで償えると思うなら死刑などなくても本人が自裁すれば済む話です。ぶっちゃけた話、死刑の存否など、本当に死んで償いたいと考える人にとってはたいした問題ではないのです。死刑廃止がそうした「本当に死んで償いたい」人の意志をくじく事はできません。自殺を法律で禁じることは、事実上不可能なのですから。
もちろんわたしはそういった死んでする”償い”を償いとは認めたくありませんが、「死んで償いたい」という人の意志は、哀しい事ですが、死刑が廃止されようとその人次第でいくらでも現実にできます。しかし逆はどうですか?生きて償いたいという人の意志は、死刑によって断ち切られます。死刑がなければどちらの人の意志も現実にできます。
今は罪に対して傲岸であっても将来的に更正して、罪を自覚して被害者や遺族に償いたいと考えるようになるかもしれない可能性も死刑は断ち切ります。その可能性を「更正はありえないと」断じて殺してしまう死刑という制度は、人間の可能性というものに対してあまりに冷酷でありすぎると、わたしには思えるのですけどね。
そしてあなたが勘違いしているのは死刑とは死刑囚が自裁する事ではありません。国家権力によって、彼らは殺されるのです。同じように罪を認めていても自裁と死刑では全然意味合いが違います。
死刑になる時、死刑囚は皆「誠の人」になるなどとおっしゃりながら、あなたはひとの生死というものに対して謙虚さが欠けているように思えます。そんな事を議論を通じて感じました。
今度こそ以上です。どうも失礼しました。