コメント
>鍵コメント提供者さん
ゴメンナサイ!!
転載させて下さい
堺からのアピールもご紹介下さって感謝にたえません。
ん~
ただ、私なんかもそうですが、法にあまり明るくない人間からすると、「立つ立たない云々が問題」ではなく、小学生視点から見た時に「国歌斉唱という学校内での規律の中で座ったままの先生が子供達の眼にどう映るか」という点が問題な気がします。
小さな頭で考えた際の単純思考で「ルールを守らなくてもいい、先生だってルールを守ってないじゃん」となると思いますがいかがでしょうか。
また、海外の法と比べるというのもおかしなもので、法の抜け道、矛盾、おかしな点などは前から多々指摘されているかと思います。
そもそもの「国歌斉唱を押し付ける」という「そのものが間違っているという点」では考えさせられますが、正すべきはその押し付けであり、日本全国の学校で、規則的な意味を背負っている昨今、それを個人の意思で行なわない」というのもどうかと思います。(前途した通り、法の観点から見ればおかしな点もあるかと思いますが)
少なくとも私自身、「特に国歌に思いいれもなく、信仰もないですが、思想の自由を理由にこの様な行動に出る先生がいる学校に息子を通わせたくはない」ですね。
先生の取るべき行動(戦う相手)が間違っている気がします。
反ハシズム派
今回は、「違憲じゃないし、条例違反程度で辞めろ」といったのが問題なのでしょうか?
たしかにそれだけ見ればその程度で辞める必要はないと思いますが、
この人は児童・生徒を教育する教育職員ですよね。
そのような人が、児童・生徒のお手本となり、尊敬しうる教諭になりえるでしょうか?
この君が代問題は、憲法には違反していないとして、条例には違反しているようです。
児童・生徒に例えるなら、
髪を染めたり、学校に携帯電話を持ってきて授業中に触ったり、制服があるけど私服で登校してみたり…
どれもこれも憲法には全く違反していないと思います。
そして、多分「校則」には違反していると思います。
学校は勉強だけを教えるはずではないはずです。
このような児童・生徒に対して、この先生は、教育(指導?)できるのでしょうか?
憲法には違反していないし、自分の考えがあるならそれを通せば良い!
それが例えば全体の和を乱すとしても!
という教育になるのでしょうか?
個人的な思想をとやかく言うつもりはありませんが、
それを個人的にではなく、公の場で主張する。
なんとなく一般社会でも許されないことのような気がしますが…
条例・規則・校則…があるのであればそれを違反すれば何らかのペナルティは当然だと思います。
それが口頭注意なのか免職なのかはわかりませんが。
自分が児童・生徒ならこの先生を見習ってやりたい放題やるだろうなぁ(笑)
でも親だったら自分の子どもをこの先生には任せたくない。
でも、なんだかクビにならないことがわかっててやってるような気がします。
そんなずる賢い先生なら
それこそ「クビ」にして欲しい。
目指すのはヒラメ人間ですか、自立する人間ですか
あなたは自分の子に「自分の頭で考えろ」と言い聞かせた事はありませんか?
今回の件はそれと真っ向から反します。
“上部に従っていれば間違いはない”と思い込む人間の養成につながるのですよ。
盲目的に“上部に従った”結果、何が起きたかは歴史が明らかにしています。
シェアさせていただきました。
なんとなく一般社会でも許されないことのような気がしますが…
条例・規則・校則…があるのであればそれを違反すれば何らかのペナルティは当然だと思います。
それが口頭注意なのか免職なのかはわかりませんが。
自分が児童・生徒ならこの先生を見習ってやりたい放題やるだろうなぁ(笑)
でも親だったら自分の子どもをこの先生には任せたくない。
でも、なんだかクビにならないことがわかっててやってるような気がします。
そんなずる賢い先生なら
それこそ「クビ」にして欲しい
一つ質問。教師が起立しないことで、卒業式の進展になにか、不具合が生じるでしょうか? 確かにどこか間の抜けた卒業式にはなりますが、それだけです。指摘されるようになったのは、極右翼の石原慎太郎都知事が言い出したからで、それ以前は立つ教師がいてもいなくても卒業式に不具合はなかったのですよ。
>自分が児童・生徒ならこの先生を見習ってやりたい放題やるだろうなぁ(笑)
私がその児童、生徒の教師だったら、やりたい放題する理由を問いますね。もしも、それが他人や生徒自身に害を及ぼすものなら止めるし、そうでないなら、話し合いますね。
少なくとも校則だからって理由で縛っても生徒は納得しないでしょうし、それが普通です。
子を持つ親としてさんへ
>制服があるけど私服で登校してみたり…
>どれもこれも憲法には全く違反していないと思います。
>そして、多分「校則」には違反していると思います。
君が斉唱強制は、“~しなければならない”という
作為を要求しているわけですが、
その要求の“内容”に問題があるんですよ。
内容の如何を問わず、上が決めた規則だから何が何でも従えでは、
それは全体主義国家ですよ。
公務員であっても、
内容の如何によっては職務命令を拒否したり、政府の政策に対して
デモをしたりストライキを敢行することがあるのが世界の民主主義国家では
普通のことなんです。
公務員が職務命令を拒否とかストなんて信じられない?
でもそれが世界では普通にあることなんです。
ましてや国歌斉唱の強制をしているのは世界の民主主義国家で日本だけです。
異常なことなんですよ。
あなたは子を持つ親として、成熟した民主主義国家にお子さんを送り出したいですか?
それとも、
規則だからといって、その内容も問わず何が何でも従わないといけないという
人権後進国にお子さんをお送りしたいですか?
どっちですか?
私は後者は嫌だなあ。
そう言う意味で、不起立をした教諭たちの動機には、民主主義国家としての
明るい未来を子供たちに与えたいという気持ちが大いにあると思いますね。
戦前の日本のように、宮城遥拝や君が代斉唱、御真影の奉戴を学校に強制し、
教育の内容を事細かに政治が統制し、教師の教育の自由を徹底的に奪って
社会を全体主義、軍国主義化して人権を奪っていったような社会に二度と
子供を送り出してはいけないという強い思いがあっての
不起立だったと思いますね。
そういう教師の思を、卑近な校則違反と同一視するのは見当違いというものです。
まず教師を批判する前になぜ歌わないのか、立たないのかという動機について、
あなたは本の一冊でも読んでみたら如何ですか?
歌わない教師っていうのは、教育熱心で子供思いで、仕事熱心な人が多いんです。
人一倍に教育に情熱を持っていて、生徒からも保護者からも慕われている人が
多いんです。それ故に信念から立たないんです。
ことしの大阪府立芦間高校の卒業式において、維新の会の西田薫府議会議員が
挨拶の場で、起立しなかった教諭を糾弾して、大顰蹙を買いました。
生徒も保護者も問題にしたのは、教諭ではなく、西田議員の側なんです。
PTAからも抗議を受けました。
例えば、河原井純子教諭の『学校は雑木林』など読まれてみると良いですよ。
この問題を考える上で名著だと思いますし、
強制肯定派の人だって、まず歌わない教諭の動機を知るべきです。
先入観と偏見で人権を踏みにじることに加担するのは愚の骨頂です。
彼女がいかに生徒を思い、保護者たちからも信頼を受けて日頃の職務に熱心に従事してきたか、君が代問題ではありませんが、土屋たかゆき都議たちや産経新聞がいかにそれを踏みにじるようなことをしてきたかがよくわかりますから。
職を賭しても貫く信念…
わたしは、“君が代起立斉唱”の強制という権力側の理不尽極まる暴力に職を賭してでも抗う先生方の勇姿に、『君たちを決して戦場へ送らないぞ!!!君たちの命を体を張って守るから…。』という並々ならぬ、覚悟を感じます。子供たちもそれを感じとることでしょう…。
子を持つ親さんへの追伸
私がブログでも書いたことなのですが、引用させて頂きますと、
教員の本来的な職務は、 担当する各教科の知識をきちんと伝授し、 生活指導や部活動における指導などと
合わせて生徒の資質を伸ばし、 進路指導にあたっては生徒の将来を きちんと考え、また 壁にぶつかったり、
悩める個々の生徒の声を聞いて、ともに 考え、よりよい方向に導いていくことにあると考えています。
つまり、教師と生徒との関係性においてなされるところに
教師の任務の本分があるのであって、 言い換えれば、生徒との関係で、
生徒の教育を受ける権利を満たすところに本分があるのであって、
卒業式などの儀式の場において、 すべての参列者が立場の違いに関係なく
個々人として国旗国歌と向かい合うと言う儀礼的行為は、 教師の本来の任務とは異なる性質のものではないかと考えるのです。
学力という点に限った話でも、いわゆる有名進学校では、ナショナリズムを強調するような教育はしていないと思いますし、
右翼系の学校は総じて学力レベルが高いとは言えない学校ばかりです。
日の丸、君が代を強制化することと生徒の教育レベルの向上との相関関係はまったくないどころか、逆行すると思いますよ。
ですので、
>自分が児童・生徒ならこの先生を見習ってやりたい放題やるだろうなぁ(笑)
>でも親だったら自分の子どもをこの先生には任せたくない。
>でも、なんだかクビにならないことがわかっててやってるような気がします。
>そんなずる賢い先生なら
>それこそ「クビ」にして欲しい。
その教師が日頃どのように教師として子供たちと接しているのか、子供の資質を伸ばしているのか、
子供の抱える問題と向かい合っているのかという点を無視して、子供の思いもわきまえず、
卒業式の君が代斉唱強制という民主国家として極めて非常識な命令に不服従の態度を
取ったという一点でクビにして欲しいなどと訴えるのは、
子を持つ親として非常に愚かにして、不見識です。
こんな馬鹿なことを言う大人が日本に増えているとしたら恥ずかしいことです。
私は、日本の子供たちに明るい未来を残したいので、強制には大反対だし、
あなたのような愚鈍な大人にだけはなりたくないという思いが強まるばかりです。
言葉は悪いですが、率直に申しまして、
あなたは、
”肉屋を賞賛する豚”のような人ですね。
>名無しさん、子を持つ親としてさん
もしご存じなら親御さんからお子さんに説明されてみたらいかがでしょうか。
わけを聞けば先生達の抵抗を一律に「先生達ルール違反してもいいんだ~、じゃあボクも~」とはならないと思いますよ。それほど子どもは愚かではありません。もし幼くてそのとき理解できなくてもやがて成長と共に理解できるようになるでしょう。それでいいのではありませんか?
もしれっきとした理由ある抵抗も全て杓子定規に「ルール違反」の判を押すなら、不正に対する抵抗は不可能になります。労働者の正当な権利であるストライキもできなくなってしまうでしょうね。だからちゃんと説明してやればいいのだと思います。
>名無しさん追加
勘違いされてるようですが、法と比べてるんじゃなく、判決を指してるのです。
リンク先にバーネット判決始めいくつかの判決がのっていますからどうぞ。
アメリカの裁判所は国旗国歌を強制されない自由全ての国民がを有していることを確認しています。アメリカで弁護士資格がある人なら当然こういう判例も知ってるはずで、そこで示されている人権感覚を学んでいるはずなのに、このざまはどういう事か中原さん、と言いたいわけです。
>徳山 環 さん
そこ違う
不起立が違憲ではない、のではなくて、条例が違憲なのです。
恐らく、九条を普通あり得ない解釈をして自衛隊を合憲としてきたことが主な原因なのでしょうが、日本人は憲法を著しく軽視するヘンテコな感覚を持つ人が多く思います。
憲法というのは最高法規であり、法律の上位に位置します。条例というのは法律の下位にあるもので、憲法に反しない範囲で法律が定められ、法律に反しない範囲で条例が定められます。勿論例外は何にでもあり、同じく問題になっている公務員の給与(活動を制限する代償)や選挙活動が制限されています。
憲法→法律→条例
例外というのは薬の副作用みたいなもので、ないに越したことはないが、効用と副作用を比べて効用が大きいと判断して存在します。
憲法というのは国の根幹であり、人で言えば脳や心臓などなくてはならないもので、これを交換すれば別の人間になる、という部分です。法律は重要な臓器、条例は血管や筋肉でしょうか。
何か問題があるから、条例で憲法に反した規則を定める、というのは、怪我で以前のように活躍できなくなった運動選手に、文字通り命懸けの治療をさせるようなものです。そして思想信条の自由を制限し奪う方向の治療が症状を改善した事例は、殆どない(私は知りません)ことは言っておく必要があります。
>秋原様
前にもお書きした通り、私には専門的な知識もなく、それもなしにこのような場に書き込ませて頂いてる事を恥ずかしくも思っております。
無知な人間であるが故に海外の法の話などを付けたのは失敗でした。申し訳ありません。
子を持つ親としてさんとは意見にして違いますが、私が書きたかった事はやはり、この一点です。
>それほど子どもは愚かではありません。もし幼くてそのとき理解できなくてもやがて成長と共に理解できるようになるでしょう。それでいいのではありませんか?
私自身、小さい頃(小学生時代)は所謂、いたずら大好きの「典型的な糞ガキ」の部類に入る人間でした。
それを振り返り、今では理解できる事も当時は目に写る世界が全てだったな、と懐かしく思います。
この先生が取った行動に対し、子供達の目には十人十色、様々に写る(解釈する)ことでしょう。
疑問に思い、親や先生に聞く子もいるかもしれません。
友達同士で噂し合い、話のネタにする子もいるでしょう。
しかし、「中には規則を破った、と受け止める子もいるかもしれない」と短絡的に受け取るかもしれない中でのこの行動はどうなの?というのが私の疑問です。
その場に親が居合わせれば、子に説明するでしょう。疑問に思えば、先生のところへ理由を尋ねに行くでしょう。
「規則となっている事自体がおかしい。」
→君が代という国歌を考えれば、その様に思います。
しかし、その場(幼い子供が多数見ている中での)でのストライキ的な行動はやはりいかがなものかと思います。
青い鳥さんがおっしゃってる
>わたしは、“君が代起立斉唱”の強制という権力側の理不尽極まる暴力に職を賭してでも抗う先生方の勇姿に、『君たちを決して戦場へ送らないぞ!!!君たちの命を体を張って守るから…。』という並々ならぬ、覚悟を感じます。子供たちもそれを感じとることでしょう…。
そうでしょうか?私の幼少期を振り返り、当時の自分がそう思ったとはとても思えません。
「規則となってしまっている事に対し戦う」のではなく、「規則に対し戦う」というのは小さい頭で考えるには少々難しいものだと思います。
本件は中学校でのことです。小学校での事案ではありません。
そんなに小さい子が出席しているとはとても思えませんがね。そもそも中学校卒業式の行なわれている時間は小学校でも授業中です。
>フリスキーさん
合わせて生徒の資質を伸ばし、 進路指導にあたっては生徒の将来を きちんと考え、また 壁にぶつかったり、
悩める個々の生徒の声を聞いて、ともに 考え、よりよい方向に導いていくことにあると考えています。
つまり、教師と生徒との関係性においてなされるところに
教師の任務の本分があるのであって、 言い換えれば、生徒との関係で、
生徒の教育を受ける権利を満たすところに本分があるのであって、
卒業式などの儀式の場において、 すべての参列者が立場の違いに関係なく
個々人として国旗国歌と向かい合うと言う儀礼的行為は、 教師の本来の任務とは異なる性質のものではないかと考えるのです。
激しく同意です。
教育に介入してくる政治家さんってなんか学校を子供が大人として成長する場ではなく、国に都合のいいロボットとしてプログラミングする場としか見ていない気が致しますね。
>名無しさん
先生も親も真摯に説明を尽くした上でもしそのように受けとめる子がいても、それはそれでいいと思うのです。
世の中見た目だけで白黒簡単に区別がつくことばかりではありませんもの。
大切なのは、自分の頭で考え、自分の言葉で批判できる子どもを育てること、それが教育の要ではないでしょうか。私は是非この問題について子どもに自分の頭で考えてもらいたいと思います。
どうも日本の教育は「これが正しい解答ですからこう思いなさい。こう覚えなさい」と結論をおしつけ一つの型にはめようとする傾向にあると感じます。最初から用意された正解を鵜呑みにすること、それは自ら自由に考え、自由に発言する力を奪っているように思います。
私は君が代強制は許されないし不起立の処罰は誤っていると確信をもっていますが、その結論を子ども達に説明しても押しつけるつもりはありません。子ども達が各自自分で考え自分の意見を持つべきです。
自分の頭で考え自立した人間になるために、子どもが迷ったり紆余曲折することを恐れてはいけないと思うのです。
それに、先生が犯罪を犯したとなれば「先生がこういうことをしてもいいのか」という話になりますが、君が代拒否は犯罪じゃありませんし、名無しさんが心配されるほどマイナス要因は実際にはないと思いますよ