コメント
(土屋は都立板橋高の卒業式で、日の丸君が代を拒否した卒業生達を「立ちなさい!立たんか!」と怒鳴りつけた前歴があります)
こういう連中に、青年将校気取りで改憲案とか立ててもらいたくない。
府立高校の卒業式で
国歌斉唱で、保護者席からこれに唱和する声は全く聞こえてきませんでした。これも民意ですよ。
スタジアムでサッカーの試合の前にサポーターたちが国歌を大声で歌う、それも民意ですよ。
同じ個人でも、使い分けてるの。
公の式典に、国歌斉唱を指示されても、大半の市民はいやな感じ、ってところなのよ。
スタジアムとは違うんよ。
わかってないんね、権力者さんたちは。
残念な来賓
当該ブログの9番のコメント「しかしルールよりも大切な事それをあなたは知っていますか?」は心にしみました。自分も気をつけたいです。
「ごめんなさい」という言葉はどこから出たのでしょうか?父母の方の話しにあるように、府議は3年の高校生に一度も関わりをもたなかったのです。西田府議は、大人を代表して言ったつもりなのでしょう。当選したから自分の考えが、大人を代表しているという不遜な気持ちは、橋下氏の「民意」に共通する考えです。
西田府議は、不起立があるかどうか校長に確認したと言っています。「わかりません」という校長の答えを、凶悪犯人が立てこもる現場の指揮官を持ち出して比較するに至っては、思わずこの府議の頭の中を疑ってしまいました。状況判断と内心の自由を同等においた、不見識な考えです。言わんとしたことは、校長は、教員の内心まで立ち入るべきだということでしょう。これはまさにファッショです。
西田付議は、不起立を社会の常識、社会のルールと言っています。いつ社会の常識、社会のルールになったのでしょうか?内心の自由を侵すことが常識となり、ルールとなる社会こそ、まさにファシズムの社会です。
卒業式は、卒業生が3年間を学校で生きた証を心にとどめる二度とない儀式なのです。不起立の先生の思いは、卒業生にも伝わっていたようです。卒業生にとっては、そんなことより日々学校生活を共にしてきた、先生やクラスの仲間との思い出を大切にしたいのです。
もし西田府議のご子息が、卒業式でこのような挨拶を聞いてどのように感じたか、ぜひ聞いてみたいものです。
その教師がおかしい
保護者の人たちは、橋下さんの民意がどうのこうのじゃなくて、巣立っていく生徒のために、粛々と卒業式をやってほしかったって事じゃないの?
本当に残念ですね。
これはどの程度の鬼がいたのか、そもそも鬼なんて存在したのか分かりもしないのに話を吹聴する様を嘲っている訳です。
大阪には今何人の人が暮らしていますか?
おそらく1%にも満たないたった1校の例をあげて「民意」とするのはあまりにも強引ではないでしょうか。
世の中にはもっと、ご自身に都合の良い事も悪い事もたくさん起こっています。
どうかもっと広い視野を持って、大人になって物事を見つめなおしてみてください。
この卒業式が行政の物でないように、あなたも為の物でもありません。
たった一つの出来事で大騒ぎをする前に、あなたが考えるべきこと、知るべき事はもっと沢山あると思いますよ。
あなたはご自分が出席を命じられている式典で、ご自分の意に反する事が行われていてもそれを(仕方なく・消極的に)受け入れるのですか?
この問題はそういう事ですよ。
思想良心の自由が絶対に保障されている憲法は全ての法令条例の上にある最高法規です。
そしてルールやマナーは他人を不快にさせないためのものです。強制され誰かを満足させるためにあるのではありません。
何に対しての「ごめんなさい」なのか、目的語がまったくはっきりしませんね。
これが詫び状のつもりなら、彼らが好きな民間会社では書き直しを上司から命じられるレベルです(笑)。
もちろん、政治家である以上「信念」も大事。
だからといってその信念に反することをしているからといって、その場で嫌みったらしい言い方をして
式の雰囲気をぶちこわしてもいいという話にはならないでしょう。
だいたい最後の最後に教師への憎悪を表明するのが美しい日本...
じゃなかった、「子どもが笑う大阪」の姿なのですかね?
まぁこんな大人というか議員の姿を見てあきれかえって笑っているかもしれませんが。
この高校の卒業生がそんな残念な大人にならないことを期待するばかりです。
国旗国歌の起立
世の中には、納得できなくともその会社や公共の場、果ては友人の家でのルールなどを守らなければならないのが常識です。そのルールが納得できないというのなら、その場に近づかないようにしましょう。
小さな政府
小さな政府論者(リバータリアンという方が正確か)で、国歌斉唱を強要するのはそもそも矛盾しています。
国家の干渉を嫌うのがリバータリアンであって、
それは別に経済関係(所有権、財産権、税金)だけでなく、思想などもそうでしょう。
さらにいうなら、(アメリカの)リバータリアンは軍事費の縮小や銃規制にも反対でしょう。
そういう本来のリバータリアンは、私は支持は出来ないけど共感できるところも半分くらいあります。
そういう意味では、国歌斉唱の強制など、国家の干渉をいとわない橋下にしろ渡辺喜美にしろ、河村たかしにしろ
“なんちゃって小さな政府論者”“なんちゃってリバータリアン”
としか言いようがないです。
社会主義国家を目指したい大阪維新の会とその信者には国外退去を望む。
いいか、ここは日本なんだよ。
日本国民なら式典では日章旗を仰ぎ見、君が代を歌わなければならないという規定がどこかにあるならそれをお示し下さい。
あなたのような方々に、何度でも申し上げましょう。
“思想・良心の自由は、これを侵してはならない。”――日本国憲法第19条
国旗国歌法は定義法です。“強制するものではない”とした小渕答弁がこれを如実に表しています。
Gfessさんへ
どこの「常識」なのか是非ご教授願いたいもの。
ルールは守るものと仰るが、仮にルールの制定者が無法者でしたらどうでしょうか。
例えばある家庭で、明らかに虐待とみられる行為が行われていたとして、それもその家庭の「ルール」だから黙っていないと駄目なんでしょうか、納得出来なくとも?
あるいは某国では麻薬密輸で死刑になった邦人も居ますね。
また時の為政者によって人としての尊厳を踏みにじられている人たちがいます。
そういったことも、その国でのルールだから黙って受け入れなければならないんでしょうか。
「ルール」の制定者は人間です。
ならば間違いがあって当然です。あるいは時が経てば時代にそぐわなくなっていったりするものです。
現に(私は支持しませんが)大阪市長の橋下氏を始めとした保守論壇の方々が盛んに、国の根底の「ルール」である、憲法を変えようと主張しているではありませんか。
どんな「ルール」であれ甘んじて受け入れよというなら、改憲などもってのほかとということになりますが。
時代時代で様々な「ルール」が作られてきました。そしてその多くは、不完全だったり、あるいは独裁的だったり、人の尊厳を踏みにじるものでした。
そしてそれをその時代時代の人が、団結し抗議し、時には戦って変えてきたのです。もちろん戦いに敗れたことも多々あったでしょう。
それが人の歴史です。
そうやってより良きものを求めていって現在に至るのです。
あなたの仰る通り、それを止めてしまえというのなら、あとは人は退化していくほかないでしょうね。
訂正
○、(アメリカの)リバータリアンは軍事費の拡大や銃規制にも反対でしょう。
元大阪府民からの伝言さんへ
しかし、アンチだからと言って彼らの人権を否定することは、
民主主義、自由主義、立憲主義の否定に他なりません。
気に入らないからといって“日本から出て行け”では、
在特会のようなカルト右翼と一緒でしょうに。
橋下徹も維新の会も日本から出ていけと主張するべきではありません。
日本に居て良いんです。
その上で批判するべきは批判するのです。
まず人権の初歩から勉強して出直してきなさい。
西田府議は、都立板橋高の卒業式で、日章旗君が代に表敬しなかった生徒たちを「立ちなさい!立たんか!」と怒鳴りつけた土屋敬之都議(民主党除名→日本創新党)と同じメンタリティの持ち主ですね。
こういう人に議員をやって欲しくない。
ちなみに土屋都議は都立七生特別支援学校性教育事件にも関与しています。
私はそのご意見には賛成出来ません。
ドイツが好例です。“戦う民主主義”を採るが故に、ホロコースト否定論者やネオナチ達に主張の自由はありませんし、規制の緩い外国でしか活動出来なくなっています。だからドイツはナチスが掌握していた過去と訣別したと認められたのではありませんか。
日本はこの点を曖昧にし、日中戦争中の残虐行為否定にまで“言論の自由”を認めてしまったが故に、今に至るまで大日本帝国の末裔やらに跋扈を許しているのです。
社会主義・共産主義の再考の必要性…
冷戦が終り、強欲資本主義が跋扈し、弱者排斥の風潮が世界を覆っていることに危惧するわたしは、本来の“社会主義・共産主義”を再考する必要があると思います。わたしは、社会主義・共産主義について深く研究したわけでもないんですが、日本の政治状況・閉塞状態をみるにつけ、資本主義二大政党制では、打開策は見い出だせっこないと思うのです。保守論壇などは、“マルクス・社会主義は死んだ”などと吹聴してますが、わたしに言わせれば“資本主義にもう未来は無い”と言いたいのです。
公正な富の再分配機構が礎となる日本社会を模索する必要がある様に思うんですがどうでしょう…。強欲資本主義容認論者の橋下市長が万雷の喝采を浴びる今の日本社会に恐怖を感じているもんですから…。o(^-^)o
ASさんへ
これを犯せば罰せられますが、それは法の規定に基づいて罰則の範囲で人権が制約を受けます。
さて、元大阪府民からの伝言さんの以前からの主張は、橋下徹は“左翼”だと
いうものです。(この点は全く同意出来ません)
そして、社会主義を主張するような奴は(橋下徹がそうだとはまったく思いませんが)、
国外退去することを望むというのが趣旨ですよ。
そして、ここは日本だという言葉で締めくくっています。
さて、
ASさんのおっしゃる、
>日本はこの点を曖昧にし、日中戦争中の残虐行為否定にまで“言論の自由”を認めてしま>ったが故に、今に至るまで大日本帝国の末裔やらに跋扈を許しているのです。
この言葉を元大阪府民からの伝言さんの主張に当てはめるならば、
『社会主義者の“言論の自由”を認めてしまったが故に、今に至るまで社会主義者の
末裔やらに跋扈を許しているのです。』
となりますが、それでOK??
私は、社会主義者でも共産主義者でもなく、資本主義の枠組みの中で
所得の再分配の強化をしていくべきだという立場ですが、いくらなんでも
国外退去の主張は人権の否定そのものだろうに。
なお、フランスで時期大統領の最有力候補であり、世論調査でもサルコジをリードしている
フランソワ・オランド氏は、自ら社会主義者であることを公言しています。
オランド氏の2012年1月22日の(パリ北方)ル・ブールジェにての
演説で、以下のように語っていることを村野瀬玲奈さんのブログにて知りました。
村野瀬さんのブログから一文を転載させていただきます。
(引用開始)
私は社会主義者です。私の左派としての思想は、遺産として受け継いだものではありません。明晰な意識で、左派の道に進もうと自ら決める必要があったのです。私はノルマンディ地方のむしろ保守的な家庭で育ちました。しかし、私の家族は教育を通じて、私に選ぶ自由を与えてくれました。私はそのことについて両親に感謝しています。私とは反対の思想を持っている父には、私のこの確信を強めることを援助してくれたことに感謝しています。
(引用終了)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3189.html
自由主義とはそういうものですよ。
違憲違法、反民主主義的、反自由主義的なやり方に対しては、
それぞれ法と民主主義と自由主義の趣旨に照らして批判するべきであって、
日本から出て行けではお話になりません。
気に入らない者に反日のレッテルを貼って日本から出て行けというのは
カルト右翼そのものです。
そんな主張をしていては、
仮に橋下を失墜させることに成功しても、第二第三のハシズムの台頭を招いて日本の民主主義と自由主義の後退に拍車をかけるだけです。
>フリスキー様…
所得の再分配の強化をしていくべきだという立場です…
わたしも同じ立場です。現在の日本経済や税制をみまするに、非民主的に過ぎると考えます。いま不況、不況と言われてますが、この原因は、フリスキーさんが、ご指摘してみえる“資本主義の枠組みの中で
所得の再分配の強化”がなされていないことが、大元にあると考えます。資本主義のルールを全く無視した不公正な経済システム・不公正な税制に日本社会(価値感も含め)が何の疑義もなく乗っかってしまっているところに“怖れ”を感じています。以前、わたし自身、都市銀行に籍を置いていたのですが、不良債権の貸し倒れ償却などの理由をつけ、有価証券評価益や莫大な手数料収入により、史上空前の経常利益を計上しているにも関わらず、大手メガバンク上位3行は、つい最近まで法人税をビター文として納付しなかった。これは日本の税制の非民主的なところのほんの一例ですが…。ジミンシュトウの二大政党は、財界・大銀行の応援団であるから不公正税制や莫大な大企業の約266兆円にも登る内部留保に切り込まず、庶民の暮らしに大打撃を与える消費税増税の大合唱…、やはり不公正に過ぎると考えます。フリスキーさんがご紹介されたフランスのお話は、興味あります…、日本では1980年以降、左翼の衰退著しく、
“所得の再分配”を主張することが、憚れる異常な状態が続いているところが、日本の不幸なところであると思います。わたしは、北欧諸国の様な“共生社会”を理想としています。フリスキーさんの“資本主義の枠組みの中”での再分配…は、資本主義と社会主義のそれぞれの長所を取り入れる理想型ですね…。そのためには、新自由主義;ネオコン・市場原理主義・“強欲”資本主義との決別は必要不可欠だと考えます。
秋原様…エントリーと無関係のコメント、お許しください…。(#^.^#)
私は愛人主義です(笑)
彼は社会党の議員ですから当然なんですけど(笑)、要するに、社会主義の考え方で資本主義を運営するというか、修正資本主義というか、社会民主主義というか、そういうことですね。なかでも、富の再分配を強く主張していることは、彼の演説からもよくわかります。強欲資本主義の弊害が全世界的に広がっている今こそ、全世界的に富の再分配が貧者のためだけではなく、富める者のためにも、そして社会全体のためにこそ必要だと思うので、フランスの今度の選挙で左派が勝利することが世界の立て直しへの強いメッセージになると考えています。
>ASさん
昨夜は早く寝てしまった上に、携帯から承認してるとどうしても見落としが出てきちゃって・・ごめんなさい
資本主義の枠内で再分配強化
>aさん
新自由主義の醍醐味、使い捨て労働に文句を言わず従順に従う労働者を育成するのが国旗国歌強制目的ですから
究極の自由を突き詰めると自由を自ら否定してしまうと言うアイロニーです
>Gfessさん
>別の「民意」の持ち主さん
転載させて下さい
転載ご承諾、ありがとうございました。
昨日の府議会教育常任委員会で、維新の府議は、即刻クビにしろ、職員会議の出席状況をチェックして報告しろと、猛々しく息巻いていました。
彼らが力を過信し、出過ぎやり過ぎをした時、すかさず反撃していくことが肝要です。戦略的不利を局地的有利の積み上げでひっくり返すしかないからです。この記事はタイムリーでした。
国歌斉唱「口動いてない」教員、校長がチェック
国歌斉唱「口動いてない」教員、校長がチェック
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120312-00001232-yom-soci
中原徹氏のブログ
http://ameblo.jp/nakahara-toru/
橋下市長率いる「維新」の府議発言に抗議
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120312-916471.html
維新府議、卒業祝辞そっちのけ…不起立教員批判
維新府議、卒業祝辞そっちのけ…不起立教員批判
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120313-00000155-yom-pol
そんなことすることが国歌を大事にすることなのか?
府議の挨拶と同様の本末転倒な対応で、この校長と教頭を得々と擁護する殿には×印を付けたいですね
野暮天!
中原氏は最近はやりの民間起用の校長先生のようですね。アメリカの資格も持つ国際的な弁護士さん。なるほど、いかにもエリートっぽい、秀麗なお顔立ちですね。しかし・・・
>私は、この職務命令が出された際に、起立は容易に確認できますが、斉唱(歌うこと)については、確認が難しいと思いました。確実に確認しようとすれば、誰かが起立しているすべての教職員の口元まで近寄って歌っているかを確かめないといけなくなりますが、これでは、せっかくの卒業式の雰囲気が台無しになり、生徒や保護者のための学校の卒業式としては相応しくないと考え、「どのようにして『斉唱』を確認すればよいか」につき教育委員会に相談しました。
>その結果、教育委員会からは、「遠目でよいので起立を確認しつつ、上を向いたり、下を向いたりなど、明らかに歌っていない教職員をチェックしてくれればよい」との指示を得ました。
(中原氏のブログより http://ameblo.jp/nakahara-toru/ )
この前、村野瀬玲奈さんのブログのコメント欄でも書かせていただいたのですが、江戸時代の君が代について書かれた興味深いブログエントリーを見つけました。
“隆達節”の『君が代』~江戸時代の「ラブソング」だった
http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/e/e79a18f00a40b5a794c9c8d5ecaf6bd9
君が代を国歌にすることを発案したという大山巌元帥も、百五十年後の未来に、このような無粋なことが起こるとは、夢にも思っていなかったでしょう。このようなことをする人は、昔は「野暮天」と呼ばれて軽蔑され、女性にも嫌われました。中原氏がいかに国際的なイケメンであってもこれでは台無しです。
唐突に、話を少し戻しますが
まるでインテリ左派への逆張りと対抗意識で全て動いているかのようです。
卒業式の国家斉唱に、教員の口の動きをチェックするほどの異常な拘りをみせるのもその一例かと。
このようなことで知識人からの批判をあえて買い、世の中に議論を巻きおこそうとしているのも見え見えです。
しかしながら、彼らの船中八策の行き着く先は国家社会主義もどきというのは、何だか皮肉な話なんですけどね。
これには相応の理由があり、原因は彼らの中にあるのですよ。
ついに自殺の強要まではじめてしまいました
「信念ある人間なら自決の覚悟」維新府議が教員を批判
2012年3月13日
大阪府立学校の卒業式で、府教育長らの職務命令に反して君が代を起立斉唱せず戒告処分を受けた17人の教員について、大阪維新の会の中野隆司府議は12日の府議会で、定年退職前の教員らが多かったことに触れて「そろばんはじいて退職金に影響ないんかという程度の信念」「本当に信念ある人間なら自決するぐらいの覚悟があるでしょ」などと発言した。
中野府議はキャリア約20年の元公立中学校教諭。戒告処分が退職金に影響せず、60歳以上が約半数(8人)だった点を指摘し、「ダライ・ラマさんがおられるチベットで中国が侵攻したときに何人の僧侶が自決したか」「年齢構成をみると、いかに信念のない人間の集まりであるかということがよくわかります」と主張。「(不起立は)即座に解雇というぐらいの強い態度を示すべきだ。議論を会派に持ち帰り、検討を加えたい」と述べた。
一方、松井一郎知事が入学式でも不起立だった教員は現場を外して指導研修させるべきだとの方針を示していた点について、府教委は、別の府議の質問に「(現場を外す研修は)懲罰的な取り扱いになりかねない」と慎重な姿勢を示した。(金成隆一)
これ、現代の日本の大都市の議員の発言です。決して明治維新前の日本の話ではありません。大阪維新って、明治維新の前の世の中に戻すということなのでしょうか。日本国憲法を守る気はさらさらないようですね。
>2割しかいない少数派の府民 様…
>「(不起立は)即座に解雇というぐらいの強い態度を示すべきだ。議論を会派に持ち帰り、検討を加えたい」
>日本国憲法を守る気はさらさらないようですね。
本当に驚きですね…。時代錯誤も甚だしい!。今日の参議院予算委員会での山下議員の質疑の時の委員会室の雰囲気にも、なんとも言えない嫌なものを感じました。山下議員が『思想調査アンケート』が、いかに日本国憲法に抵触する違法性をもったものなのかを真剣に、真摯に論じていたとき、他の議員の殆どが、まるで嘲笑しているがごときの態度で薄笑いを浮かべる始末…。わたしは、背筋が凍りつきました。
維新の会が調子に乗り、“自決”などと現代民主主義・法治国家の議員が口にすべきではない許されざる言動や、明らかに日本国憲法無視の数々の蛮行を、こともなげに看過する、今の日本社会にただならぬ“恐ろしさ”を感じます。
2割しかいない少数派の府民 さんは、昨年の大阪W選挙後に、『大阪の教育などが破壊されれば、立て直すのに途方もない年月がかかる…』(正確ではないかも)と、大変ご心配なさってみえましたが、恐ろしい予測が、現実のものになる可能性が高くなってきましたね…。
今まで長きにわたる自民政権さえ、成し遂げられなかった、“日本国憲法改悪”がヒョイト出の橋下ひとりによって現実になる雰囲気がありますね…。
君が代強制に、抗い、ご自身の思想信条と平和を守り抜かれる、大阪の教員の方々の勇気に、心から敬意をはらわさせて頂きます。
国際社会における日本の将来
このブログタイトルの下に中原氏はこう書かれています。
「僕は大阪府立和泉高等学校の現職の校長です。このブログを通じて、少しでも多くの方々が、教育を通じて国際社会における日本の将来を考えてくだされば幸いです。」
一方、橋下市長は、盟友、中原氏を次のようにフォローされています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120313-00000523-yom-soci
(以下上記より転載)
橋下市長、国歌斉唱で「口元を見るのは当然」読売新聞 3月13日(火)12時0分配信
大阪府立和泉高校(岸和田市)の卒業式で、中原徹校長が教職員による国歌斉唱の有無を口の動きでチェックしていた問題で、大阪市の橋下徹市長は13日、「府教委が起立して斉唱しなさいと職務命令を出し、中原校長は忠実に守った。口元を見るのは当たり前で、やっていない高校の現場がおかしい」と述べ、改めて対応を支持した。
市役所で報道陣の質問に答えた。中原校長は橋下市長が知事時代、民間人校長として公募採用された。
橋下市長は、府教委の生野照子委員長が「厳格すぎる」と異論を唱えたことについて、「命令を出して、トップがやりすぎだとはしごを外すのは許されないマネジメントだ。命令を出した重さを全く認識していない。責任感の欠如だ」と批判。「府教委は起立までさせて、歌わせる必要がないとルール化できるのかを問いたい」と語気を強めた。
(転載終わり)
>2割しかいない少数派の府民さん
>「信念ある人間なら自決の覚悟」維新府議が教員を批判
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201203130022.html
その府議の言い分も無茶苦茶ですね。「俺たちに逆らうなら、死ぬつもりで来い!」っていうことでしょうか。抗議自殺したチベット僧の例を挙げているが、それなら、自分たちをチベットを侵攻し、弾圧した中国政府になぞらえていることになります。その「自覚」があるってことなんでしょうか???特にこのところ、橋下氏をはじめ、彼らの言っていることはレベルが低すぎて、子どもが喧嘩相手に浴びせる屁理屈や罵倒以下に聞こえます。そして、やっていることはといえば、「いじめ」です。
私は外国の友人に、日本の「君が代問題」をメールで伝えるつもりでした。しかし、こんなバカバカしい話をどう書けばいいのかわかりません。このままでは「国際社会における日本の将来」は暗いと思います。原発事故による放射能汚染では、国を捨てるつもりなど、まったく起こりませんでしたが、万が一、このような人たちが本当に国政を握る日が来るなら(そんなことはありえないとは思っていますが、「想定外」のことは起こるものですので)若くもないし、お金もない私ですが、それでもこの国を出たいと思います。
こちらのリンク先でもある
記者会見を開いたようですが、ニュースでも取り上げられたようです。
こちらから
http://www.ktv.co.jp/news/date/20120313m/20120313l_hanpatu.asx
> 当に信念ある人間なら自決するぐらいの覚悟があるでしょ
では、あなたの信念のほどは如何に?と中野府議に聞いてみたいですね。
「信念があるなら命がけのはず→死んでいない→こいつらの信念はこの程度」という理路ならば、落選した維新の会の候補者の自殺率を調べれば、維新の会の「信念」のほどが分かるという事にもなりますからね。他者に死をそそのかすほどの信念が、橋下人気にあやかって維新の会に参加した人たちにあるとは到底思えませんけど。
ちなみに本当に自死して抗議する人が現れたら、この人たちとその支持者たちは「この狂信者どもめ!」と死んだ人を罵るのでしょうね。
橋下市長、国歌斉唱で「口元を見るのは当然」
(引用ここから)
大阪府立和泉高校(岸和田市)の卒業式で、中原徹校長が教職員による国歌斉唱の有無を口の動きでチェックしていた問題で、大阪市の橋下徹市長は13日、「府教委が起立して斉唱しなさいと職務命令を出し、中原校長は忠実に守った。口元を見るのは当たり前で、やっていない高校の現場がおかしい」と述べ、改めて対応を支持した。
市役所で報道陣の質問に答えた。中原校長は橋下市長が知事時代、民間人校長として公募採用された。
橋下市長は、府教委の生野照子委員長が「厳格すぎる」と異論を唱えたことについて、「命令を出して、トップがやりすぎだとはしごを外すのは許されないマネジメントだ。命令を出した重さを全く認識していない。責任感の欠如だ」と批判。「府教委は起立までさせて、歌わせる必要がないとルール化できるのかを問いたい」と語気を強めた。
(2012年3月13日12時00分 読売新聞)
(引用ここまで)
「ルールは守れ」というこの人が、「違憲ですよ」「法令違反ですよ」とツッコまれた時、「ルールが間違っている」と言ったことをわたしは絶対に忘れません。
この府立和泉高校なんですが…母校なんですよね…(^_^;)それほど帰属意識がないわたしですが、さすがに不快指数が5割増しです。とりあえず、校長に送る抗議文を推敲中。
ちなみに
>観測霊さん
観測霊さんの母校でしたか…、お心…お察し申し上げます。
全く仰る通りで、日本の最高法規である“日本国憲法”を足蹴にする不遜なる態度は許せませんね…。しかし、“口パク”を大のおとなが、教育現場のトップである校長が、真顔でチェックする姿を想像するに、なんとも滑稽ですね。何より戦前戦中の軍国教育を想起させ怖いですね…。
>大阪市の橋下徹市長は13日、「府教委が起立して斉唱しなさいと職務命令を出し、中原校長は忠実に守った。口元を見るのは当たり前で、やっていない高校の現場がおかしい」と述べ、改めて対応を支持した。
こんな低次元な瑣末なることに血眼になる橋下市長の態度は、先の最高栽の諌言を無視する公職につくものにあるまじき行為ですね。
> 市役所で報道陣の質問に答えた。中原校長は橋下市長が知事時代、民間人校長として公募採用された。
“公募採用”は、教育の政治介入を助長するものであり、橋下市長の様な独裁者がトップに就いた場合、その人物の匙加減ひとつで、不偏不党・中庸を旨とする教育が、あらぬ方向へ歪められる危険性を大いに孕んでますね。
ゆりひななさんたちの会の記者会見を見て
ご紹介のビデオ見ました。ゆりひななさんたち「発言する保護者ネットワーク from 大阪」の言い分、もっともだと思いました。「グローバル化に対応できる、国際社会に通用する人材の育成」みたいな言葉は、一見、とてもカッコイいい、今風のフレーズに聞こえます。(個人的には空疎な言葉だと思いますが)しかし、親御さんたちの願いは、昔も今も「それぞれの我が子が幸せな人生を送れるように」ということでしょう。そして、「学校はそのための力をつける場所」であってほしい、そう願うものではないでしょうか。会の方は、条例で言っている上記のような目標は「誰の目線(での発想)なのか?」という問いかけをされていました。私はそれを聞いた時、世間でよく言われる「優秀な人材の育成云々」というような物言いは、あくまで優秀な兵士(企業戦士、産業戦士)を育てて、彼らに戦争(経済戦争)をさせようという、大きな権力を持った人たちの側の発想で、個々の“兵士”やその親の視点に立ったものではなかったのだと気がつきました。
アーシュラ・ル・グィンの『ゲド戦記』の翻訳者として知られる清水真砂子さんは、かつて高校の英語教師でした。そのときのある思い出を、岩波ブックレットの『ゲド戦記の世界』の中に書かれています。(以下、前掲書、p.5~p.7より引用)
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たとえば、そのとき私の担任しているクラスの中に「低空飛行」をしていた生徒がいました。つまり何科目も赤点(不合格点)をとってしまうのです。親を呼び出すように上から言われて、そのとき私は、何も考えないで指示に従い、親御さんに連絡しました。
そうしたら、やってきたお母さんが、私が何も言いださないうちに「私はいい成績をとるために、息子をこの学校に寄こしたんじゃありません」と言われたんです。「息子の成績が悪いのはよく承知しています。うちは生活が大変だから、息子は『成績のいい妹を高校にやってくれ。僕は働く』と言いました・・・だけど先生、そんなことが出来ますか?」と。そしてこう続けられたんです。
「この子が中学を出ただけで暮らしていけるならば、何も高校に寄こすことはない。でも、この子は計算もちゃんと出来ないし、新聞だってちゃんと読めない。だからこの高校に寄こしたんです。成績は悪くてかまいません。でも、せめて税金の計算ぐらいちゃんとできて、新聞も読めるようにしてください」。瞬間、私はびんたを張られた感じがしました。あのときの衝撃は、いまだに忘れられません。
「おまえは何をしているのか」と私は自分に問いかけました。新聞を一行でも読めるようにしたか。英語を少しでも読めるようにしたか。いいえ、全然していないわけです。それをしないままに親御さんを呼び出して、三十一歳の私は偉そうに注意をしようとした。私はもう恥ずかしくて恥ずかしくて。それ以来、私は新聞を読むとはどういうことか、そもそも「読む」とはいったいどういうことかと、ずっと考え続けてきました。あのお母さんがいなかったら、私は何も考えずにきたかもしれません。
私はいま短大におりますけれども、では学生たちが新聞を読めているかと言ったら、読めていないんですね。ひょっとしたら教員も読めていないかもしれない。私自身も読めていないことがしばしばだと思います。
ものを読むということは―――こんな偉そうなことを言って恥ずかしいのですが―――、言うまでもなく、書かれているものを読むだけではだめで、何が書かれていないか、新聞だったら何が取り上げられていないかがわかって、はじめて読めたことになるんですよね。取り上げられているものだけを見て、新聞が読めたなんて、そんなことは言えないわけで、そのとき生徒のお母さんが言ったことは、そこまで含めてのことだったと思うんです。
お母さんはさらにおっしゃいました。「私は田んぼや畑に使う肥料の計算も何もかも自分でやってきました。夫は出来ないから、私が。でも、うちの息子に私のような嫁が来てくれるとは限らないんです。だからこの学校に寄こしたんです」・・・・ほんとうに教えられました。(岩波ブックレットNo.683 清水真砂子 『ゲド戦記の世界』より)
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ちなみに私は「優秀な人材」であったことはありません。「優秀な人材になるための競争」が嫌で、早くにそれから降りてしまった人間です。だからずっと貧乏だったし、将来の保障もたいしてありませんが、それでもこのようなことに気づけてよかったと思っています。
>フリスキーさん
額はわからないのですが、こんな報道がありました。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20120207-OYT8T00624.htm
ベテラン教諭より薄給…大阪の校長、待遇改善へ
. 橋下徹・大阪市長と松井一郎・大阪府知事が、府と市の2月議会に提案予定の教育基本条例案に盛り込む公立校長の公募を促すため、府教委が校長、教頭の待遇改善を図る条例改正を検討していることがわかった。
ベテラン教諭の月給が校長らよりも高い現状を問題視した橋下市長が、府市共通の課題として見直しを求めていた。実現すれば、「給与の逆転現象」を解消する全国初のケースとなり、府教委は「やる気のある若い校長を呼び込める給与体系にしたい」としている。
大阪府内の市町村立小中学校、府立高校などの教職員計約4万8000人の給与は、地方教育行政法などに基づき、政令市分も含め府が負担。給与額は、経験年数や勤務成績に応じて校長や教頭、教諭などの職務ごとに府条例の月給表で定めている。府内の公立校長の年収(55歳モデル)は、高校約970万円、小中約910万円。
府条例によると、教諭の月給上限は高校43万1900円、小中42万3100円なのに対し、経験年数の少ない校長と教頭の月給下限は、それぞれ高校42万8700円と33万6100円、小中では41万7700円と29万2500円。経験豊かな教諭より、若手の校長、教頭の月給が低くなるケースがあるという。
橋下市長は「ベテラン教員が管理職を追い抜いていいのか。校長、教頭の待遇を上げるべきだ」と指摘。府教委は、校長、教頭の月給表の下限を引き上げるか、校長、教頭の月給を教諭の上限より高く設定することなどを検討している。早ければ2013年度の条例改正を目指す。
(2012年2月7日 読売新聞)
およそ教育に携わったこともない、また携わる資格もないような傀儡人形をベテラン教師より高給にする方がどうかと思います。
そういえば役に立ってるんだか立ってないんだか意味不明の特別顧問の給与が高給なのと似てる感じ
ご都合主義極まりない橋下
情実、知事直接のコネ採用だった疑いを持たれてます。
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20120314-917122.html
> 風鈴草さん
口元チェックの記事をすでにご紹介いただいていたのに、こちらでも重複して投稿してしまっていおりました。ネタかぶりです。申し訳ないです。
中原校長がいる和泉高校ですが、ホームページを見に行くと「いかなる国際情勢の中でも生き抜く人材育成」を大上段に掲げています。
http://www.osaka-c.ed.jp/izumi/
この時点でわたしなどはげんなりするのです。わたしが在校時は「ぬるま湯」などと揶揄され、良くも悪くも大らかでのんびりした自由な校風で、それが楽しかったのですが…。
ちなみに来年度から「グローバルコース」なるものが新設されるとか。いつの間にやらこんなガツガツした学校になっていたのかと、愕然としました。
> 青い鳥さん
お心遣い、痛み入ります。
本当にこんな些末な、生徒にとっても学校にとってもさして教育的効果が望めない問題で労力を割いている暇があったら、生徒たちを見てよ、と思わざるを得ませんorz
> フリスキーさん
> 和泉高校の口元チェックですが、石原慎太郎の元で東京都ではとっくに行われていることです。何かと注目が集まる大阪ですのでニュースになりましたが、もっと早くこの異常事態が知られるべきでした。
ごもっともです。東京から遠く離れて鈍感であった当方としては、言葉もありません。ニーメラーの詩で言えば、わたしは教会が攻撃された!ひどい!と言っているようなもので、共産党員社会主義者、学校や新聞、ユダヤ人からすれば、「今さら何言ってんだ」という話ですよね。反省です。