コメント
断じて許してはなりません…
歴史の捏造・隠蔽は、国家犯罪です。 昨今の日本の論調は、国際社会では受け入れられない“犯罪的論調”であり、サンフランシスコ平和条約を承認・受諾した日本政府の公式見解を根本から毀損せしめる蛮行にほかありませんし、何より、鬼畜旧日本軍閥と旧日本財閥の残虐極まりなき野蛮なる行為により、無念の死を遂げられた無辜の南京市民の御霊を冒涜し、ご遺族の心情を踏みにじる犯罪的行為であると、わたしは強く抗議します。わたしは、南京大虐殺について、北京市の清華大学や武漢市の武漢大学で、あらゆる資料を紐解くと共に、ご遺族の方々の証言(オーラルヒストリー)を直に聞き、南京大虐殺は確かにあったと確信しています。河村市長や今回の長崎の教育委員会の行為は、万死に値します。“ドイツ国民”が『ユダヤ民族大虐殺は無かった』というのに匹敵する、許されない蛮行です。 権力側による“平和教育の弾圧”に対し、わたしたちが鈍感になってしまっては、同じ悲惨極まる過ちを必ず繰り返してしまいます。橋下市長は“憲法9条”を破棄しようと血眼になっていますが、“平和の尊さ”を主権者が心に銘ずる必要がありますね…。まるで今の日本は戦争前夜の如くです。ハラワタが煮え繰り返ります。
秋原さん…いつも貴重な情報、ありがとうございます。
当時、貪るように本多氏の著書を読み漁りましたが、中でも「中国の旅」は特にインパクトがありました。
私がこの「百人斬りエピソード」を知ったのもこの「中国の旅」を読んでのことです。
世間的にも大きな関心を集めたこのルポルタージュは、それ故に(文藝春秋に代表される)右翼ゴロツキ雑誌の執拗な攻撃にあいました。
(こうしたリアクションが大きいほど、本多氏曰く「良い仕事をした」証しとのこと)
山本七平氏などは本多氏に噛み付いてはみたものの、逆に完膚無きほどに叩きのめされましたが。(詳しくは本多勝一著「殺す側の論理」を参照)
その後、「本文を改竄した」として鈴木某との間では訴訟も起きました(最終的には原告敗訴)
「百人斬り」否定派の最大の論拠は「物理的に百人も斬るのは不可能」というもの。
そう、記憶も新しいカワムラシやイシハラシの「南京大虐殺」否定の論拠です。
「三十万も無理」だの「二十万は多過ぎる」だの「せいぜい数万以下」だの、「百は無理」「五十がせいぜい」とか(笑)
「虐殺」そのものの否定が困難(というか不可能)だから、「部分的」否定によって「全体」を否定してみせる。
要は初歩的詭弁術ですね。
例えば・・・
東京で大雨が降った→でもごく一部の地域はは小雨程度だった→東京に大雨は降らなかった
という具合ですね。
残念ながら、この程度の詐術に対しても、一般的に「論理的思考」が苦手な日本人(近頃つくづく痛感してます)はコロッと騙されてしまいます。
そして、ハシモトのTV討論を観ても「ヤラレ」ちゃうんですよね。
「論理的思考」は訓練によってある程度鍛えられるものです。
今、この国に必要なのはその「訓練」かもしれませんねぇ。
中国で「南京大虐殺否定罪」規定提案
http://mainichi.jp/select/world/news/20120311k0000m030032000c.html
これは当然ですよね。やられた側ですから。
本来ならこれを含む、あらゆる“大日本帝国・帝国陸海軍肯定”が忌避されなければならないのに、それさえ“自由”の名の下に許されてしまい、原爆や都市空襲まで「仕方なかった」になっちゃう日本って……。
外国と大違い。
付け加えると
そう、記憶も新しいカワムラシやイシハラシの「南京大虐殺」否定の論拠です。
「三十万も無理」だの「二十万は多過ぎる」だの「せいぜい数万以下」だの、「百は無理」「五十がせいぜい」とか(笑)
「虐殺」そのものの否定が困難(というか不可能)だから、「部分的」否定によって「全体」を否定してみせる。
要は初歩的詭弁術ですね
他にも便意兵がいたからとかいう、「こっちが悪いんじゃなくて、あっちが抵抗したからわるい」という子供のイジメレベルの否定もありますね。南京であったのは便意兵狩り。指に煙草の火傷後があるとか、そんな理由で便意兵認定されて殺されて、後の世まで「便意兵」だからと言われ続けるのはむごたらしい事です。
長崎といえば、中国との交流も盛んだって言うのに……私は長崎はそういう事はしないだろうと思っていましたが、全くもってやるせない。
萎縮効果大です
五島列島の、学年生徒数20人という小規模の、先生生徒すべて顔見知りで心が通じ合う雰囲気の中学校でどんなことがおこったのでしょうか。新聞記事では処分の事実以外ほとんどわかりませんが、いくつかの事象がからまりあって今回の処分事件に至ったものと思われます。私の想像ですが、他事考慮があったかもしれません。修学旅行先をヒロシマにして平和学習をさせることが保護者あるいは生徒にとって腹立たしいことであったり、当該教員の日頃の「戦争反対」の態度が気に入らなかったり、校外での活動が気に入らなかったり……。
旅行の事前学習のための教材が100パーセント歴史的事実でないと使用してはいけないとなると、一般の観光旅行に近い形の修学旅行の教材はつくれなくなります。例えば、戦国武将にまつわる話などは人々の興味をひきやすいよう多分に創作や伝説をいれてアレンジされていますし、ましてや神話をもとにした旅行案内はどうなんでしょう(神話と人々との関わりは歴史研究の題材になりえますが、旅行前の学習にはむつかしすぎますし、神話を「話」としてとらえることが前提です。)。
“ヒロシマ”の学習の教材として百人斬りをとりあげたとのこと。百人斬りの話から、戦争時に人心のあれることをよみとり、それを敷衍してヒロシマナガサキにいたる、アメリカ合州国の大量殺戮のむごさに思い至らせるということですか。中学生にはすこしむつかしい思考過程に思われますが、先生の熱意でうったえることで、生徒たちは何かをつかんで旅行にのぞんだと想像します。
しかしながら、時には他事考慮が主目的で、重箱の隅をつつくように教材の「歴史的事実」論争までもちこまれるとつらいものがあります。
「歴史的事実」について。私が下手に述べると揚げ足をとられるかもしれませんが、朝鮮人強制連行を例にして考えます。戦時中、農耕をしていたり道路を歩行していたりしていた時に官憲がおそいかかり、拉致・拘束して、日本本土の工場へ連行してきた場合のみが「強制連行」でしょうか。家庭へ日本政府の手先の役をさせられている村役人が訪問し、出稼ぎして金儲けをしようという甘言や、うちの村から××人の割当があるのでぜひ協力をといわれたりして、日本の工場行きを納得させられた場合は「強制連行」でないのでしょうか。おそらく、日本各地の工場で仕事させられていた朝鮮人の方々は後者の場合が中心であったと思います(私の乏しい聞き取り経験などより)。後者は本人が最終的に受諾していますが、だからといって「強制」はなかったとは到底いえません。集合地に出頭してからは逃亡できないよう見張りもつけられました。工場でも外の世界との交流は禁じられました。「強制」という言葉を狭すぎる解釈で歴史の説明をするのでなく、広い意味での解釈をして歴史をみていくのがここでは求められます。ところが、一部の人が狭すぎる解釈などで「強制連行はなかったのに、なぜあったなどという学習をさせるのか」と迫ってくると消耗します。このように、「歴史的事実」論争は学習の本来からはなれたところに土俵がいってしまうと思います。「歴史的事実のみを教えろ」という声は、言葉のテロのように思えます。
言葉によるテロが到来した場合、フツウの教員はすぐに反論できず、息づまる状況になると思います。現役時の私などのような一般の教員にとって、個々の教材は、出版されている本(本多勝一さんの本など)を買い求めて自分がとくに感じた部分をコピーした程度であり、その本の著者や秋原氏のように論争に常にアンテナをはりめぐらせているわけでなく、反証や判例などをすぐに出せるほど賢くありません(私だけのことでしたら、ごめんなさい)。学校の雑用に追われ時間的余裕もありません。だから息づまるわけです。
外からの言葉によるテロが到来したら、学校の管理職や教育委員会は助けてくれるどころか、攻撃側にまわるでしょう。だいいち、学習指導の専門職である、教育委員会事務局の指導主事も含め、当該論争について以前に研究したことがない人がほとんどでしょうし、いざ論争がおきればまず先に双方の示す資料や論点を冷静にみようというレディネスをもちあわせていない人も大半でしょう。時の流れにあわせて行動することが中心の方々でしょう。20年前でしたら、「南京事件や朝鮮人強制連行問題を教材化する」といったら、「よいことだ」と言ったりした人たちでしょう(そのことを忘れてしまっているでしょう。)。職場の仲間も、たまたま、比較的考えのあう人があつまり組織化できる状況になったりしない限り、そんなに味方してくれない場合が多いと考えられます。
自分自身も学問的にやりあえるわけでなく、だれも味方してくれないとなると、萎縮するしかありません。他の仕事も多いし、「百人斬りを扱わなくても戦争の話はできる」と自分に言い聞かせたりして、教材をつくるのが面倒になってきます。授業中の生徒の私語が多かったり、戦争の話をしていて悲惨さに話している教員自身が感情をたかぶらせてしまっても生徒側はしら~とすること続くばっかりだったりしたりしたらよけいですが、「がんばって教材をつくっても、関心をもっているのは揚げ足とりをしようとする一部の保護者だけだ。もうやめよう。」となります。
今回の新聞記事にある先生は「手作り教材」でされていたようにみえますが、萎縮効果は出版社により発行されている副読本(例えば、『日本史図説資料集』といったもの)に先にあらわれます。副読本は、かつては、教科書のように文部省検定を経る必要もなく各学校独自で採択できるなど自由度が高いものでした。先生が授業でとりあげなくても、興味深い資料だったら、生徒が退屈なときにパラパラとめくって眼にするだけでも役にたつという面がありました。ところが、「新しい歴史教科者をつくる会」関連のような人たちが目をつけだしてからは様子がかわりました。出版社はもちろん企業活動ですから、採択してもらないとやっていけません。南京事件などの扱いは出版社も慎重になりますし、わずかでも触れた副読本の採択の是非に教育委員会が介入したりして、学校も採択に慎重になったりします。出版社もやがて倒産したりしてしまいます。あとは、各教員による手作り教材しかなくなります。ところが、各教員が生徒用プリントを作るときは、学校のパソコンで各人がIDを入力したうえで作成し、管理職の閲覧を経る必要がある場合すらでてきていると聞きます。もはやおわりですね。
私は大阪府下の学校勤務を長くして、一昨年退職しました。全国の教育をめぐる状況とくに大阪府の状況をみるにつけ、「荒波の前に退職できてよかった」と思っています。周囲からもそう言われることがあります。私がかつて高等学校での授業用に作成していた教材や授業を振り返るとき、「現在なら相当意見を言われ、場合によれば処分されるだろう」と思います(以前には大阪府教育委員会主催の研究会でも発表したこともあるのですが。)。儀式での君が代での起立もすることなく退職できました。ある府立高校で君が代斉唱時各教員の口元までしらべたという報道に接し、戦慄するのみです。現在は自身の偏屈さと家庭事情でずっと家にとじこもり、現役時の友人とも交流をしていません。そのこともあり、現在各学校でがんばっておられる先生方にどうお話したらよいかわからないことばかりです。ですので、あまり世間の議論に登場すべきではないと思いつつ、何度も秋原様のブログにコメント投稿してしまいました。申し訳ございません。
>元おちぶれ教員 様
貴殿のご指摘が平和教育で最も大切な要諦でしょうね…。あの悲惨極まりない侵略戦争が終り、86年が経過し、戦争を体験された方々が高齢になり、戦争が風化することが本当に怖いと常々思っています。平和の大切さ、戦争の悲惨さを学校教育で子供らに教えなければ、子供らが大人になったとき、戦争に対する嫌悪感がなくなり過ちを繰り返してしまうと思います。
学校教育の現場…確かに先生方は、大変なんでしょうね…。歴史の事象について、両論存在している場合は両論並記し、キッチリと子供らに教えるべきであると思います。
日本軍がアジア諸国に侵略したことは、歴史的事実であり南京大逆殺・百人斬りは確実に存在したというのはわたしの立場ですが、学校の教育の自由は尊重されなければならないと思います。学校で平和教育が弾圧・封殺されることがあってはならないと思います。
元おちぶれ教員 様の仰る通り、教員の皆さんが“萎縮”してしまうことが怖いですね…。勉強させて頂きました。有り難うございます。