コメント
とりあえず知人さまへ
>それからあの村上市議、妙なこというてはったわ
>保護者の意見を集めるのはいろんな方法があるけど、少数って意味やろな、「サイレントの声」いうてはったけど、
>そのサイレントの声を取り上げるには選挙しかないっていいはるんよ。
>少数意見をくみ上げるのは住民フォーラムでなくて選挙でってこと?
→これは多分『フォーラム』には反対する人ばかりが来るけど,来ずに『黙ってる人(=サイレント)』が選択制(という名の,実は統廃合)に反対か
と言えば,彼らの声(=サイレントの声)はそうではなく,選挙したら自分たち=維新が通るから,サイレントの声は選挙で(維新に賛成という形で)
反映されるんだよ,と言いたいのはないでしょうか?わかりにくいこと言って,煙に巻いてる気もしますけど。
つまり,今やってるフォーラム等は「一応は住民の意見を聞いた」という既成事実を作っておきたいがために彼が現区長にやらせてるだけでしょう。
反対者の意見に傾ける耳は持っていないのではないかと危惧(とほとんど確信)してしまいます(泣)。
実際フォーラムに行った私の知り合いの知り合いに,区長が「現状でうちの区としては別にさしつかえがあるわけではない」と言われたのをきいた方も
いるそうですし。結局,「学校の統廃合」の為に「選択制」を用いる,という「はじめから結論ありき」で進めて
いるのではないでしょうか。
↑これ(区長の発言)はまた調べることが可能なようなら,調べてみますね。
それから,法的には区長はそういうこと決めたりできないみたいですが,,,秋原さん,他のみなさま,詳しくご
存知じゃないですか?
ご存知なら教えて下さい。
失礼します
中立の立場から見ると、この問題が市長への好悪を絡めて議論されるケースが多い事は残念に思っています。
説明をする立場と云うこともあり、他都市の事例を色々と勉強しましたが、選択制以外にも様々な取組が全国で行われているにも関わらず、誰もが子供を通わせたい「魅力ある学校」がいまだに存在しない事を見ても、制度の改変がドラスティックに素晴らしい学校が誕生させる事はあり得ないと思っています。
ただ、言われているマイナス面についてもデータとしてはやはり見つからず、制度の賛否自体に保護者の関心が少ない事から見ても、単独では毒にも薬にもならない制度なのかな?との感想を持っています。
教育を単なる公共サービスと見る市民の増加が市長の認識を作っていると思うので、偉そうな事を言わせてもらえばこの状況を作ってしまったのも私たち市民だと思います。
ちなみに区長の法的権限については、確かに教育委員会に通学指定の権限はありますが、区役所がその業務を代行していて、予算執行に関しても市長に権限があるので、現実問題は市長に分があります。
現状は公募区長が区民の意見を取り込みやすい環境がなければ、フォーラムがアリバイ作りにしかならないのも事実だと思います。
以前村野瀬さんのブログで指摘した事ですが
ですが、それは官僚言葉でいう「検討します」(なにもしない)などではないですか。ハシゲはアイフル子会社の商工ローンでこのような悪のテクニックを身につけたのでしょう。s個にもともとあったハラスメント体質が合体したわけです。
中身がない奴ほど難しい言葉を使ってごまかそうとしているだけでしょう。そうする事で自分の正当性を主張したがるわけですから。そうして「王様は裸だ」と真実を暴かれて逆切れするわけでしょう。
>mimosaさん、亀レスですみません
仰るとおり、橋下市長の目的はあくまでも統廃合、選択制はその手段でしかありません。
統廃合するにしてもやり方がえげつないと思います。
普通、学校を統廃合する必要性があるとすれば過疎化で子どもの人数が激減した、と理由が考えられますが、橋下氏はわざわざ先生の勤務評価まで材料にして無理矢理人気校、不人気校を作り出し、それをもとに統廃合しようとしています。そしたら人口密度が高い学区の学校が廃校される可能性だってあるのです。子どもたちのことを思えば、そういう学校は不人気校だから廃校するのではなく、人気が出るようにてこ入れすべきなんです。でないと子どもたちは近くに通える学校をなくしてしまいます。
選択制を統廃合の手段に用いるのは「企業努力が足りない」「売れない商品は淘汰される」みたいな市場原理丸出しで、それこそこどものニーズを何も考えていないんです。
統廃合の手段として選択制をつかうえげつなさは、市場原理を持ち込んではいけないところにそれを持ち込み、結果、子どもたちのためにならないところあると思います。
Re: 失礼します>やぶさん 亀レスで申し訳ありません
> 説明をする立場と云うこともあり、他都市の事例を色々と勉強しましたが、選択制以外にも様々な取組が全国で行われているにも関わらず、誰もが子供を通わせたい「魅力ある学校」がいまだに存在しない事を見ても、制度の改変がドラスティックに素晴らしい学校が誕生させる事はあり得ないと思っています。
> ただ、言われているマイナス面についてもデータとしてはやはり見つからず、制度の賛否自体に保護者の関心が少ない事から見ても、単独では毒にも薬にもならない制度なのかな?との感想を持っています。
そうですね、選択制にしたからと言って良い学校ばかりになったという声は保護者から聞かれたことがないような。学校をよくする、より良い教育を目指す、という点において選択制は特に役に立ってるようには思えません。
選択制のメリットはイジメがあったときに学校を変われる、位しか思いつかないのですが、兄弟でも店員満杯で受け入れてもらえないという実情があったことを聞くと、必ず転校が認められるとも限らないでしょうし、それなら別にわざわざ選択制を取らずしても、そういう事情でなら転校は可という制度にすればいいだけなのです。
問題はmimosaさんのコメント返しにも書きましたが、選択制が廃校にする学校を選ぶ際の手段として使われてる、と言う点だと思うのです。
ところで、どうして橋下氏は学校を三分の一も廃校にしたいんでしょうね?
大阪の子どもの数ってそんなに減ったのですか?
それが大きな疑問なのです。
そしてもう一つの疑問、三分の一も廃校にして、その土地や建物をどうするんだろう、ということです。
橋下氏は黒字である地下鉄を民営化したがっています。黒字であるなら売る必要はないのに、何故民営化したがってるかと言えば、民間に高く売り払えるからです。民間に売ってしまったら公だからこそできるサービスがなくなってしまいます。パスもどうなることか。
このことを思うと、橋下氏はたくさんの廃校の跡地をそのまま公の所有地として住民のコミュニティの場として提供するのでなく、民間にいい値段で売り払うのではないか。むしろ、学校を売って金儲けするのが目的で廃校にしたがってるんじゃないか。
私にはそう思えてならないのです
> 教育を単なる公共サービスと見る市民の増加が市長の認識を作っていると思うので、偉そうな事を言わせてもらえばこの状況を作ってしまったのも私たち市民だと思います。
仰るとおりだと思います。
> ちなみに区長の法的権限については、確かに教育委員会に通学指定の権限はありますが、区役所がその業務を代行していて、予算執行に関しても市長に権限があるので、現実問題は市長に分があります。
では、区長に決定権限がある、というのは誤りなんでしょうか。決定権は教育委員会ってことですか?
> 現状は公募区長が区民の意見を取り込みやすい環境がなければ、フォーラムがアリバイ作りにしかならないのも事実だと思います。
本当に・・
>やぶさま,秋原さま
お伺いしたいことがありますので,2点,質問させてくださいませ。
>制度の改変がドラスティックに素晴らしい学校が誕生させる事はあり得ないと思っています。
>ただ、言われているマイナス面についてもデータとしてはやはり見つからず、制度の賛否自体に保護者の関心が
>少ない事から見ても、単独では毒にも薬にもならない制度なのかな?との感想を持っています。
→(1)「杉並区のように『選択制』にしたものの,後にとりやめた市区があった」と思いますが,それは,導入後にマイナス面が大きいとわかったからではないのですか?考え得るマイナス面が箇条書き程度でもあれば参考になると思いますが,それに関して「数字的なデータ」はないということでしょうか?
(2)「制度の賛否自体に保護者の関心が少ない」と言われる根拠は,どういった事実ですか?
もし「フォーラムに来る保護者が少ない」のが根拠でしたら,それはやはり,制度の賛否を決められるような「具体的なメリット,デメリット」が保護者に認識されていないからかも知れず,それらが認識されるよう,まずは *制度の説明,そして *その制度によるメリット,デメリット,を丁寧に提示していく必要があるのではないかと思うのですが…
そして,制度を選択制にしたからといって,『ドラスティックに』は素晴らしい学校の誕生には寄与しない,つまり,選択制にしたがゆえの
『こどもと保護者にとってのメリット』が,選択制にしたがゆえの『こどもと保護者にとってのデメリット』を上回らないのなら,
なぜ導入を急ぐのだろう?と,なおさらふしぎに思うのです(↑の知人さんに賛成)。
恐らく,為政者にとってのメリット=市立学校を減らして市の経費を節減する,という「陰のメリット」を重視していて笑,
そのメリットを子のメリットに優先して考えているのと,あとはやはり首長の橋下さんの考え(競争社会が最高)が大きく影響しているのとで,
その前に「こどもや保護者のメリットやデメリットをじっくり考えること」の重要性がかすんでしまっているのではないかと思えます(いぢわる?笑)。
ですから,
>中立の立場から見ると、この問題が市長への好悪を絡めて議論されるケースが多い事は残念に思っています 。
とおっしゃられましても…そのあたりが見えて来ている当事者としては,無理ないことでは?と私は思います。
そもそも学校を減らすことは,(選択制に絡めなくても)他の方法で可能だと思います。
例えば卑近な例で申し訳ないですが,昔,私の家があった(大阪市ではない)校区の場合,住宅地での人口増勢期(こどもが多く,小学校で1学年6-7,中学で同じく10以上のクラス数があった時)には,
小学校が次々できて行き,1つあたりの小学校の通学居住区が,どんどん狭く限定されていきました。
例えば,A小が分かれてA,Bの2つの小学校に,次にB小も数年後分かれてB,Cの2つの小学校ができたことがあったのです。
結局,A→A,B,Cになるまでに,10年くらいだったのではないかと…。
当時,学校の建設地や建設する学校の規模を決めるのにも,市(大阪市ではない)は時間をかけて計画的に学校を造っていったはずなので,
はじめから「10年で1→3」の計画の下でそうなったのかもしれません。
私の通ったのはB小でしたが,うちからは他のA小もC小もそれほど遠くなく,こどもの足で通える範囲でした(ただ『B小に通う子でB小から一番遠い居住区に
住んでいる子,がC小に通う*』のは。少々遠かったと思います。→でも,その後引越した他県では,↑の*以上の距離でも,同じ一つの校区内でした!
この例を頭に置いて,子の激減期になって学校の数を減らすことを考える必要が生じた場合,例えば『A,B,Cをまず2つに,そして1つに減らして行く』路線で,「近くの小学校群の中から,おだやかに学校を減らして行く方向」を,なぜ考えないのでしょうか?
この方向だと,例えば学校の地区委員等のPTAの役を決めるとき,選択制になった場合の問題点(=行きたい学校に行った結果,
「通学に1時間もかかる学校に子が行くと,親が役員をできない」等の『学校が遠いため,親が学校に関われない,先生が家庭訪問に行けない』状況は,
回避できると思うのです。 なんせ「ある狭い校区が,昔の子ならふつうに通っていた広めの校区に,また広がる」だけなのですから。
もちろん,上のA,B,Cの3小学校の場合,2つまたは1つ減らすのにどれを減らすかは,校舎の収容能力や設備,校舎の新しさや利便性,跡地の開発の可能性などを考慮して,ゼロから決めればよいと思います(必ず一番古いAだけを残す選択をしなくてもよいということ)。
地域や学校自体も,今は,昔はなかった,
◎登下校の「地域の人の見守り」のようなコミュニティの取り組みや,
◎災害時の,こどもの学校での受け渡しのシミュレーション(避難訓練) 等がある小学校が増えていると思います。
これら地域に根ざした具体的な方策についても,統廃合を機に近隣の小学校同士を比較し,制度等もそれぞれの小学校のよいところを集めて取り入れる等で,ドラスティック(劇的)にではなくても,徐々によい方向に変えて行くことは,不可能ではないと思います。
ということで,私も,秋原さんの言われるように「統廃合」ではなく「学校自由選択制に基づく統廃合」が問題だと考えています。
選択制だけでは毒にも薬にもならないのなら,むしろ真の狙いの「統廃合」に焦点を当て,統廃合を機会にそれぞれがますますよい学校になるような
工夫を考える方がよいのではないでしょうか。
秋原さんの知人さまが上↑のエントリーで言われている,
>教育の仕組みって、いっぺん変えたらおいそれと変えれへんし、かえたらあかん。教育は百年の計、ポンポンかえたら迷惑被るのは子供らや。
…
>義務教育やで?みんなに平等にな、ええ教育受けさせるんは国や地方の義務やで?
>どの学校選んでもちゃんとした教育受けられる学校にするんがほんまなんちゃうの?
は,本当にそのとおりだと思います。
ありがとうございます
>秋原さん
>[篏]選択制のメリットはイジメがあったときに学校を変われる、位しか思いつかない。[/篏]
現在検討されている選択制は入学前の一度きりの選択になります。入学後の転校については選択制の範疇ではないそうです。ただし現在でもイジメなどのケースでは学校の移動が認められています。
>[篏]ところで、どうして橋下氏は学校を三分の一も廃校にしたいんでしょうね? [/篏]
市長が原体験としてどこでどういった教育観を持たれたか分りませんが、現状の学校のあり方(もちろん市長のイメージする学校です)がお気に召さないのだろうと思います。もしかしたら学生時代の何かネガティブな思いからくる学校不信を自身の教育行政に反映しようとされているのかもしれません。
>[篏]橋下氏はたくさんの廃校の跡地をそのまま公の所有地として住民のコミュニティの場として提供するのでなく、民間にいい値段で売り払うのではないか。むしろ、学校を売って金儲けするのが目的で廃校にしたがってるんじゃないか。
私にはそう思えてならないのです[/篏]
そう思えますよね。学校を増やしたり減らしたりする事はあって当然だとは思いますが、市街地では私有地は「住民共有の財産」であって、それは未来の住民も含まれたものであるべきです。実際西区などの急激に人口が回復している地域で学校の受入れ限度が迫っている所もあり、そんな時にそう都合良く市街地の校区内に敷地があるわけないので、学校を設置出来るまとまった区画を市が保有しておく必要があります。現に校区外にしか敷地が無く、飛び地みたいに他校区の中に学校がある場所もあります。一度売り飛ばしてしまうと取り返しのつかない事態を招くので売却だけは絶対に避けて欲しいと私も思います。
ちなみに他都市事例をしっかり検証した訳ではないので、参考にはならないかもしれませんが、選択制が統廃合を産み出せた例も見当たりませんでした。この点、橋下市長のご希望には添えないと思っています。学校規模の適正化については、それ自体をテーマにまず話合いを始める事が正当な手順ですし、選択制によって小さな地域はより結束が強くなるので、余計こじれる要因を作るだけだと思うんですがご意見いかがですか?
>mimosaさま
ご質問ありがとうございます。
デメリットの数字的根拠ですが、メリットデメリットはたいてい同じ評価軸の両端ということもあり、こちらも見受けられませんでした。
慶応大学院の博士課程の方の論文で「学校選択制単独での地域内の学力」が正答率ベースで0.061ポイント高まったというものがありますが、この極端に少ない上昇を差して「毒にも薬にもならない」と表現しました。
地域とはこの場合「区」にあたりますが、実際のメリットデメリットは個人的なレベルで発生するので、指標も検証もなかったのではないでしょうか。
ちなみに、杉並区に限らず廃止や見直しについても大阪同様「首長の交代」が絡んでいます。杉並の場合山田宏氏の退場で山田色払拭の象徴化した案件とも云え、7割以上の反対があったアンケートにしても対象が、教職員とPTA役員対象だったそうで、公平性には欠ける処理だったと思います。
統廃合については手法として現場でどういうやり方をするかは慎重にしないと選択制でのメリットデメリット論争とは比較にならない激しい地域内論争に発展します。本当に統廃合が目的なら市長自身が罵声を浴びる覚悟で地域に出て来て頭を下げて廻るのが一番理解を得られる方法だと思います。
大阪は旧同和地区校からの生徒の大量流出が問題視され、越境入学が激しく忌避された経緯があり、その為に指定外就学の弾力運用すら厳しい制限がありました。実際はいじめがあって学校側で把握するくらいの状態でもなかなか転校まで至らない例が多かったので、このあたりの実際の環境を見直すきっかけにはなるかと思います。
現在の校区制度は昭和24年頃の大阪市の地域政策で始まったようです。地域振興会(連合)のエリアを現行の校区に近い線引きで行政が行ったのは、より統治しやすいサイズがこの大きさだったのでしょう。その流れのままに概ね各連合単位に小学校が移転統廃合されていき、港区では昭和40年代の初頭にほぼ完成した方式です。当時の行政の一方的な線引きが現在の市民自身のニーズに転化してきた経緯は非常に興味深いのですが、社会のあり方は完成など永遠にあり得ないので、今後は市民側にも権限を頂けるようになればと願っています。
私個人の意見として言えば、統廃合も学校のあり方も、橋下市長の登場以前にもともと問題点としてあったものです。市長はもともと目につく内容をテーマとしてつまみ食いされているだけなので、むしろお上を元々の問題解決に利用するくらいのしたたかさが大阪人としては正解なのではと考えています。
私自身これから一ヶ月間15校下での一般保護者対象の説明会で「区民説明員」として矢面に立たせて頂きます。
ここでのみなさんのコメントを読んだり私自身のコメントを書く過程で色んな事に気付いたりすることが出来ました。
どうもありがとうございました。
わすれもの
>[篏]「制度の賛否自体に保護者の関心が少ない」と言われる根拠は,どういった事実ですか?[/篏]
数字的な根拠はまだありませんが、私たちは区内の各校下PTAの実行委員会などに出席し、アンケートへの協力や一般保護者向けの説明会の開催を準備しています。
しかし各方面で非常に苦戦をしており、PTAの中でも現役の保護者がこの事自体に無関心だと必ず言われます。
私自身、この案件の担当者になる前は評論家気分でジャッジはしても、制度についての理解はほとんどなく、あの状態を「関心がある状態」だったとは思いません。
賛否を問うアンケートではちゃんと考えて結論を出して頂きたいと思いますし、そのためには自分の中で「本当にどうあるべきか」を考えて頂きたいと思っています。
実際にはそこまでの思いを持つ事は難しいのかもは知れませんが、賛否判断は一定の責任を持つ行為だとみんなに考えて頂ければ、2ヶ月程度事例を聞きかじっただけの私なんかが説明の重責を担う事も無かったのにと思います。
とにかく、どこに行っても現役の保護者は関心が無いと言われる事が私のなかでの根拠です。こんな答えで申し訳ありません。
間違い
市街地では市有地→○
でした。もうしわけありません。
私も,わすれもの笑
朝,上↑のコメントに,書いて行くのを忘れました。
>ところで、どうして橋下氏は学校を三分の一も廃校にしたいんでしょうね?
>大阪の子どもの数ってそんなに減ったのですか? それが大きな疑問なのです。
どうも「学校全体で12クラスない小学校」が市内で40校はあるそうです。つまり1学年2クラスはないと…と考えておられるようです(1/3には全然足りませんが)。
そうそう,彼は,最近(5月半ば〜),こどもらにとってのよい教育の条件として『学校の適正規模』を言い出しておいでのようですよ。
→http://blogos.com/article/39127/
最初は言っておられなかったけど笑…。
でも,それなら思い切ってそれだけでスジを通していただいて,人気投票のような選択制度を絡めず,近隣の小学校同士での統廃合の方を本気で考えていただきたいですが…。
とにかく,
*「近くに学校がない地域」ができたり,「遠くの学校に通わないといけないこども」ができたりするのが,一番l危惧されることですから,
そういう状況が起こることだけは避けていただきたいです。
→遠くまで行きたくても,健康状態(心身の状態)や家庭の事情で遠距離通学が物理的に無理な子もいますので。
選択制を採択するかどうかは,本来は教育委員会に権限があるようですが,例えば各区任せ(区長任せ?市長任せ?)で別々の採択でもいいのですかねえ?
でもそうすると,区により人気のある学校の数,人気のない学校の数に偏りができて,どうしても区によっては*の心配ができてくるのでは?
そうすると,意に添わないけどどこか遠くまで通わないといけない子がどうしてもでてきてしまい,やっぱり知人さんの言われる,同じ市内でも,個人や地区による当たり外れが問題になると思います。
でも市長が頭下げなあかんとなれば,無理かもしれない…かな?,かも??
大阪市の住民でもあられませんし,方向性を打ち出す(だけ)のが首長っていうことですのでねー。心配です。
<追伸>やぶさま,矢面に立たなければならないお仕事,本当にたいへんですね。ご無理をなさいませんよう…
お粗末な教育観からはお粗末な精神しか生まれません。
その演説を紹介した記事をトラックバックさせていただきましたが、次の一節をここにメモさせてください。
『学校といえば解放です。知識。学ぶことの楽しみ。発見の喜び。知的好奇心の感覚。これらは学校の持つ宝です。学校はこれらの宝をめざして、あらゆる若い意識と国のあらゆる子どもたちを教育する職務を負っております。
学校は、真の平等の場所です。機会の平等。それは、長所、努力、才能だけを区別の際の唯一の基準とする平等です。なぜなら、生まれや財産や偶然は階級を生じさせますが、学校はそれらをなくす、というのでなければ、少なくともそれらを修正する任務を負っているからです。
この平等は地域間の公正を必然的に必要とします。子どもがあちらではなくここで育ったら成功の機会が多くなるということは受け入れられません。学校とは、公正の武器です。そして、公正とは、いろいろな子どもたちの社会的共学ということです。あらゆる課題の中で、この高貴な課題に対して、学校は一世紀以上前から精力を傾けているのです。
学校をフランス共和国のすべての子どもたちの社会編入の場とすることは私たちの国家的な志のうちもっとも美しいものであり続けています。』
橋下が、公正とか公平とかいうことを今以上に捨て去って、学校をぐちゃぐちゃにして差をつけて競争させて教員を締め付ければ教育の質が自然に高くなると本当に考えているのなら、大阪は今後そのツケを子どもと社会全体で払うことになるでしょう。
橋下や維新の会を私たちが説得できないとしたら、一般の人にどうしたら橋下の間違いに気づいてもらうか...。難しいかもしれませんが、知恵をしぼってやるしかありません。
橋下批判だけでは足りないかもしれません。橋下の首相に対して、何か尊厳ある教育観を対置できればと思って、書かせていただきました。
失礼します
そうですね、教育観に多様性はあって良いのですが、私もオランドの発言には共感します。
フランスは建国の精神をかなり大事にするのでしょう。自由平等博愛の実現が永遠に国家テーマなのかもしれません。
日本の公教育が明治にフランスをモデルとした形作られたのは、もともと下級武士が多かった維新の元勲たちの切ない夢が投影されたからかもしれません。
なぜ、公教育が平等でなければならないかを、強く示唆された気がします。
機会あればぜひ使わせて頂きたい言葉でした。
>村野瀬さま(追加あり)
『(国策で)公立高校の学費がゼロになった際に,(大阪で)私学にかかる学費をゼロにすることで「フェアな」競争を促す』などというのは間違いであること,
そして『学校で勉強の理解が進まない子に手厚く対応すること』は正しいということ,を確認させていただいたような気分になり,なんだかホッとします。
フランスは誇り高い強い国のイメージがあり,学生時代にフランスの国とフランス人気質に関して書かれた本(舛添要一氏の著作だった)を読み,大きなショックを受けた記憶があります。私は,フランス語については,フランス語文を見て(→読んでとは言えないのが辛い笑),なんと読むのかわかる程度(=アルファベットの並び方と音との間の規則がおよそわかる程度)で,原典を読みこめるレベルではなく残念ですが,村野瀬さんとjeanvaljeanさんのサイトで,今後いろいろ勉強させていただこうと思います。よろしくお願い致します。
さて,学校でそのような「修正」が可能な教育をしようとすれば,やっぱり人手がかかると思います。
特に,学校の規模が大きくなると学校内での生徒,児童間の学力差も大きくなるので,時間と人手をかけて,継続して少しずつ差をつめる
という丁寧な教育が,学校内で必須だと思うからです。
例えば,一部の学校で行われている習熟度別授業も,「個人のレベルに合わせた授業」というねらいはいいと思うのですが,やはり個人の習熟度(=学力到達度)によって,その子の「目標となる到達点」が変わって来ますので,授業ではそのレベル別の到達点をめざして無理なく進める良い授業ができたとしても,問題となるのは「評価」の問題だと思うのです。
つまり,同じ学校では同じ教科書を使わなければならず,テスト範囲も同じ,テスト問題も同じになるので,結局,『普段の習熟度別授業ではそのレベルでの到達点をクリアしていても,定期テストで習熟度の高い子らが受けるテストと同じテストで評価されるため,やはり習熟度の低い子は「できない」という評価になってしまい』,その状態が継続されると,どうしても自尊感情が持てないままの生徒が生まれて来るように思いました。
たくさんある教科のうち,どれか1つでも得意な科目がある子や,クラブや生徒会等,勉強の他に活躍の場を持てて友人のいる子はいいのですが,そうでない場合,全ての教科が低い評価だと,生徒はどうしても無気力になってしまうのです。
私の勤務校では,習熟度別に評価の仕方を変えてみようということになり,例えば定期テストの問題を2種類作ったことがありましたが,2つの理由で長くは続きませんでした。
1つは,教師の負担面でもとても無理があったこと。
そしてもう1つは,習熟度が高いクラスと浅いクラスで問題を変えるのは問題がなかったのですが(高→発展問題,大学入試を意識した問題。浅→基本問題),中間のクラスへの対応が難しかった点です。
つまり,中クラスに発展問題を指定して解かせると,多くが浅いクラスの子らより悪い点を取ってしまい,(評価は素点でするため, ) 評価が(習熟度の浅い生徒らより)異様に低くなる場合が多く生じたりして…統一問題でないがために割を食う例が出て来たのです。定期テストの問題を変えると,やはり問題の難易度の差による調整が難しいといいますか…かといって,自由選択は,採点や成績処理面で問題が大きかったので,できませんでした。
→そもそも,習熟度別授業運営をするだけでも,習熟度の高いクラスと低いクラスとでは授業で使う教材が全く異なってくるので,授業の運営方法や用意する教材も変えなければならず,教師の負担はたいへん増えます。
橋下さんの批判だけではだめだ,もっと具体的に意見を出さないと…と本当に思っています。
そのためには,例えば教育政策の場合なら,特に学校関係者が教育現場の実情を明らかにし,理想とするシステムの形を提案する必要があるのですが,残念ながら,現場の先生は忙しすぎて,意見を出すどころか,それをまとめたり提起したりする暇すらない,というのが,(少なくとも学校教育に関しては)現状だと思います。
何か私にできることはないか…と悩む日常が続いています。
橋下徹とは
ですから一般人としての範囲で橋下徹を分析したいと思います。
まず彼は民意などどうでもよくて、ただ自己が暴れたいだけです。
彼は在特会にも通じるものがあると思います。在特会も大きい声を上げて注意されたら暴力振るいましたよね。非常に似ていると思います。でも殴りはしませんよ。
もっとひどいことしますから。
つまり橋下徹=極度のネトウヨということですw
冗談は置いておいて
彼は親だけに責任を取らせて自己の責任を逃れる
腹積もりなのは見え見えです。
がならなぜ知事となったんでしょうか?まったく理解できません。
責任を取りたくないならそもそも出馬する意味などありません。
親が学校で子に負える責任とは給食費を収める等のことであって、学校選択制の責任を取らせるのは卑怯極まっています。
それはそんな制度を作った橋下徹あんたの責任だろう。彼の中では民意で決定したから責任を取らせる、という答えができているのでしょう。
仮に誰も説明会にこなくても皆理解してくれたから来ないんだ!だから民意を聞いた!となるでしょう
つまりただの決定事項の通知です。
作ったものは責任を取らない。
ゆとり教育もそうです。ゆとり教育を受けた子を馬鹿にして作った者は責任なし。同じ手口です。
著作の中で嘘つきは政治家と弁護士の始まりと書いたそうですが彼は善管注意義務を知らないのでしょうか?
「委任を受けた人の、職業、地位、能力等において、社会通念上、 要求される注意義務」これが善管注意義務です。
もし弁護士が委任を受けたからと言って権利濫用すればどうなるかは言う必要等ありませんよね。
橋下徹は委任等受けていない!選挙で勝っただけ!と
居直るのでしょうが彼自身が
「選挙はある種の白紙委任」などと言っているのですからこれは委任と捉えている証拠です。
これは抑えておかねばなりません
彼は実父の死により母子家庭になった為、小学五年時に大阪に移り住んだそうですがならば弱者の気持ちがもっとわかるはずだと思うのですが…
最後に
平松前市長 「口当たりのいい言葉で橋下氏の催眠術にかかり、覚めた時にしんどい思いをするのは弱い立場に置かれた市民です」
長文すいませんでした。