コメント
「帰れ!」も嫌ですが…。
「いや、いや、余計なお世話だから」と言いたくなる。
突き詰めると「北に帰れ!」も、この比喩の一種だと考えられますね。
それは、韓国に対する場合も同じです。
むしろ、最近は、中国に対する論調でも感じます。
中国の高速鉄道事故の時、「それ見たことか!」という、論調があふれたのに対し、じゃあ、日本は福知山線脱線事故など、キチンと決着ついてないじゃないか?と、不快感を覚えました。
他人が劣っているから、自分が優れているという根拠にはならないんですよね。
きっと「北に帰れ!」という発言に感じる不快感は、その辺の心情を無自覚にこぼしているからなのでしょう。
自分の目で見て、デマに騙されないこと…
確かに、北朝鮮による“日本人拉致問題”は、断固許すことができない国家犯罪ではあります。しかし、日本が朝鮮民族の皆様に対して行った数々の野蛮なる行為・国家犯罪を直視し、深く反省することを忘れてはなりません。 韓日併合(植民地支配)・関東大震災後の日本人による在日朝鮮人の方々への大量虐殺行為・強制連行・従軍慰安婦…などなど日本国がいまだ、曖昧にしている枚挙に暇なき蛮行を忘れてはならないということです。
中国・南京市にある、鬼畜旧日本軍閥の蛮行を刻んである“大虐殺キ念舘”にわたし自身、足しげく通い、現地南京市のたくさんの被害者ご遺族の心の叫びにも似た、生々しい証言を聞いた経験から、ネトウヨや河村市長の主張している戯れ言は全て“捏造・妄想”であることを断言できます、わたしは…。朝鮮に対しての許されざる蛮行も根っこは全く同じなんですね…。人間は弱い生き物なんです、歴史に学び、痛烈なる反省をしなければ、同じ過ちを繰り返してしまうんですね…。田母神某やら石原知事・橋下市長の様な『核武装容認論者』が万雷の拍手・喝采を浴びる現在の日本をみれば明らかに反省が足りていないとわたしは考えます。 今更、言うまでもないことですが、西側諸国の権力体制側・商業主義一辺倒のマスゴミは真実を主権者国民に伝えないと考えて丁度いい塩梅になると確信しています。
やはり、自分の目で見て判断することや、歴史に真摯に向き合う大切さを、紅的彗星様のコメントと、秋原様のエントリーにより思い起こされた次第です。感謝です。
ネトウヨの勘違い
簡単です。
彼らは1947年まで日本人だったのです、大日本帝国が朝鮮半島を占領し、その後放棄したために。これは論を待ちません。
彼らは一部の日系外国人と同様に、合法的に永住権を手にしています。帰国するか否か、また永住資格により再入国するかは彼らの自由です。
日系人が在留国の人から「ジャップは極東に帰れ!」と言われようものなら即刻反日のレッテルを貼るであろう癖に、永住権を保持するコリアンの人達に罵声を浴びせる資格などありません。
更に更に
まず秋原さんに、この場を個人的な反省の場に使わせていただくことをお詫びします。
長くて鬱陶しいところもあるかと思いますが、ただ、このブログのコメント欄に居座っている者としてはやはり、コメント欄で表明するのが良いと思い、この場をお借りしました。ご容赦くだされば幸いです。
つい先日になりますが、わたしは橋下市長の「ポピュリズムとか衆愚政治とか平気で言う人は、民主主義の日本から出て北朝鮮にでも行ってほしい」という発言を引いて、
> 大阪市長自ら実演によります「○○は北朝鮮に帰れ!」でした。
と、揶揄しておりました。
その時のわたし自身の心性を率直に述べれば、自身への批判を許さない市長の自己矛盾に満ちた発言への呆れたような気持ちもありましたが、それ以上にその自己矛盾を嗤ってやろうという気分が強くありました。
他の場所でも反動的な言辞やそれを行う人に対して、「北朝鮮(この言い方もあまりよくないのでしょうね。すっかり人口に膾炙してしまっていますけど、本来は”朝鮮”でいいのではないかと思いましたので、以後そのように書きます)へ行けばいいのに」的な揶揄を返した事がおそらくあったろうと思います。
朝鮮の『悪魔化』は、確かにわたし自身においても相当進行していたようで、その時朝鮮をダシにすることに、疑問を全くと言っていいほど感じていませんでした。
ですが『日の丸君が代プチ問答集(12) 』での紅的彗星さんのコメントと、秋原さんの追記を読んで自身の無神経さと思慮の足りなさに、愕然としました。
『悪魔化』され、”絶対的な敵”あるいは”絶対に相容れないもの”として朝鮮が語られるたび、在日コリアンの中には何か言いたいと感じた人も当然いたはずです。ですが、殆どの人は何も言わなかった、というより言えなかったのではないか、と改めて思います。
朝鮮について、たとえ事実と違う事が語られていても黙っているしかなかった。それは拉致問題や核問題そのものの衝撃もさることながら、日本社会の中でマイノリティである事が、在日コリアンの人たちの上に重くのしかかっていたからではないでしょうか。
朝鮮を『悪魔化』する言説に対して、在日コリアンの立場から反論したり、疑義を呈したりすれば、それは自身のみならず在日コリアン全体への攻撃的な空気を助長する恐れがあって、在日コリアンの人々が口をつぐまざるを得ず、そしてわたしを含めたマジョリティ(つまり多くの日本人)はそれを当然の事として気に留めることすらなかったという、この構造にわたしは無意識に乗っかっていたように思います。平たく言えば朝鮮に対しては「何を言ってもいい」ような気になっていたのではないか、と。
それはある意味、在日コリアン全体が人質にとられているようなものです。自分たちの社会の中での立ち位置=マイノリティである事を常に念頭に置かねばならず、マジョリティを慮って息を殺すように口をつぐまねばならない。それが朝鮮の『悪魔化』や虚偽の流布を許してしまうとしても、そうせざるを得なかったのではないか。
在日コリアンの人々が常にそういう構造の中に置かれている事、社会におけるマイノリティの苦悩を、わたし自身頭で理解していただけで、実感を伴っていなかったように思います。結局、在日コリアンの人々が何も言えない事を十分に理解しないまま、わたしは朝鮮を揶揄することでその構造を維持強化=『悪魔化』に一役買ってきたのではないか、と自省しました。
もちろん在日コリアンの人々に対して「何を言ってもいい」と思っていたわけではありません。人と国家を一緒くたにするようなことはせず、あくまで国家としての朝鮮に対して批判したり揶揄したりするように努めていたつもりです。ですが、それはわたし自身がそうしているつもりであっただけで、それを聞いたり読んだりする在日コリアンの人々がどう感じているかについては、無頓着であったと言わざるを得ません。
このことに気づかせていただいた紅的彗星さんには深く御礼を申し上げるとともに、これまでのわたしのコメント等で朝鮮に対する揶揄をご不快に感じることがありましたのならば、深く謝罪申し上げます。
申し訳ありませんでした。
また秋原さんに対してましても、迅速かつ率直に自省の追記やエントリをあげられた誠実さに深く敬意を表させていただきます。同時にこの場での反省文(しかも長い)めいたコメントを投稿する事をお許しください。改めてお願いします。
また今後、朝鮮民主主義人民共和国に批判すべき点があれば批判したいと思います。
失礼しました。
>ohdedeさん
優れた国ニッポソが羨ましいだろうがおまいら入れてやんない、みたいな。
で、ネトウヨ達はその優れたニッポソとやらと自分を同一視してるわけで・・
ネトウヨのこの手の発言は私でも不愉快ですが、リベラル系の人間がネトウヨに対して「おまえこそ北へ行け。おまえにふさわしい」みたいな発言をしたときでも、ohdedeさんはやっぱりこの言葉の裏に優越感みたいな匂いがして嫌な気分になりますか?私は前からそれが何となく気にかかっていまして・・それでこんなエントリーを書いてみました
> 中国の高速鉄道事故の時、「それ見たことか!」という、論調があふれたのに対し、じゃあ、日本は福知山線脱線事故など、キチンと決着ついてないじゃないか?と、不快感を覚えました。
激しく同意
去年こんな皮肉をかきましたhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-741.html
で、中国が麻薬を運んだ日本人を死刑にするときは普段中国をこき下ろしてる輩がこのときばかりは大喝采です。どっちが独裁国家なんだと言いたくなりました
>青い鳥さん
紅的彗星さんの
「この様な差別が少なくない人々に受け入れられている背景には、朝鮮の『悪魔化』あります。
この『悪魔化』により、朝鮮は酷い国、何をするのか分からない国と言うのが『常識』とされ、その延長で朝鮮総連への弾圧や朝鮮学校への差別がまかり通っています。 」
このご指摘は非常に重要だと思いました。
私は過去日本が朝鮮に国家的犯罪を犯したからと言って、現在の北朝鮮の人権弾圧体制を批判するのを遠慮してはならないと思うのです。
でもその批判は、偏見に左右されない真っ当な批判でなければいけません。
北朝鮮は何を考えてるかわからない悪魔のような国という先入観で見たら、北朝鮮人は何をしでかすかわからない異質で不可解な宇宙人という見方をしてしまいます。彼らも同じ人間であることを忘れてしまいがちになります。この心理は異質な者はとにかく排除して安心しようという心理から死刑を連呼する心理にも似ているように思います。とにかく北朝鮮を排除することしか考えなくなってしまうんです。そこに暮らしている人々は普通の善良な人々なのに極端に言えば彼らが大虐殺されても「ああ、妙な民族がいなくなってよかった。」になってしまうんです。
戦前の日本だって生まれたときの教育で天皇陛下は神様で天皇陛下のために死ぬことが名誉だとたたき込まれていましたが、でも普通の善良な人間、よき父よき母、よき隣人であったことも確かなのです。
これを忘れると原爆を投下して一掃しよう、なんてことができるんじゃないでしょうか。
拉致が明らかになって以降、とにかく板朝鮮はこんなに悪辣なんだとヒートアップすること自体が目的化してるというか、もっと北を憎めるような材料はないかと探してる感じです。それで何か北のひどい実態が出てくると「ほらみろやっぱり」と拍手喝采で実は喜んでる。これじゃあ「悪魔化」そのものが目的化してるみたいです
もちろん日本の過去の罪は償わなくてはなりません。これもきっちりやらねば。
でもこれは日本人拉致と引き替えやじゃないし相殺も出来ない。両者には同時履行の抗弁権は存在しないと思います。それはそれ、これはこれ、です。
これエントリーにしようかしらん
文章下手なので伝わるといいのですが
いつの頃からか、見下すときに使うようになったんだと思います。
人種と思想の違いはあるんですが、ここにいらっしゃる方々が使う「ネトウヨ」という言葉は、非常に近いものを感じます。単純な思想の違いを指す言葉ではなく、見下したような言い方に感じるのです。(私自身もネトウヨだからかもしれませんが)
それが「差別の種」というか、始まりみたいな気がするのです。
皆さんは本当に、純粋な思想の違いという意味でネトウヨと使っているのでしょうか?
秋原さんへ
神話・伝承を事実として扱い、生身の人間を生き神として奉り(現人神・現御神でしたよね)、その言動を絶対としていたのですから。
今やここまでひどいのはアメリカのキリスト教右派位でしょう。
>観測霊さん
というか観測霊さんのコメントのほうが的確に書かれてるのはさすがです。もう一回まとめたいので、コメント拝借します(^^)
シャムさんへ
それから、君が代を強制する人間を軽蔑しています。
非民主的な思想を押し付けてくる人間を軽蔑しています。
ネトウヨの中でも特に野卑なことを言ってくる態度を軽蔑しているし
見下しています。
その上で、
以下、以前こちらのコメント欄で書いたことを再掲させていただきます。
人が人を批判、非難するとき、その対象は、
1、相手の考え方や思想、それに基づく言動
2、相手の人種、民族、国籍、国、出身地、門地、性別など
相手の先天的な属性および人の身体、生命、社会的地位、経済状況etc
こう分けられます。
人権弾圧、排外主義、差別主義、レイシズムに見られるのは、
1のみならず2なのです。
ここで、
1と2の決定的な違いが重要です。
1に対する批判は、相手の考え方や思想、それに基づく言動への
評価の問題になります。
2については、人がこの世に生命を授かったと同時にその人を
規定するもの、及びその人がこの社会で存在している有様に
関するもので、
これは、人にとってかけがえないものです。
つまり、これを蔑視、嘲笑、冒涜することは、
個人の出生にさかのぼる人の尊厳及び、
人がこの社会で生きている有様を汚そうとすることに
他なりません。
私は、思想及び考え方についての議論において、きちんと根拠を示しての
ものであれば、私の主張への批判、非難は私の考え方に対する
評価の次元の話であって、上述の2とは次元が異なります。
しかし、2に関するものであれば、それは許されざるものだと
思います。
>シャムさん
でも自分をネトウヨだと正直に話されたシャムさんにちょっと好感を持ってしまいました。
ネトウヨって大概自分はネトウヨではないと強弁するものなので。
>秋原さんへ…
仰る通りですね…。 まさに、それはそれ、これはこれですものね…。o(^-^)o
以前、マスコミが橋下徹氏の出自について余りに酷い報道をした時、秋原さんは、思想・信条・立ち場の違いを超え、マスコミの態度を痛烈に批判されました。あの時、秋原さんの筋・道理を貫く態度と勇気に感銘を受けました。
>両者には同時履行の抗弁権は存在しないと思います。それはそれ、これはこれ、です。
仰る通りですね…、社会の現象は、ことごとくに於いて複雑に絡み合い、白黒つけ難いことが多いものですよね…。わたし自身、“絶対矛盾的自己同一”の迷路に迷い込むことが多々あり、難儀することしきりですもの…。(。_゜)〃ドテッ!
やはり、誤解を怖れず、コミットする勇気を併せ持たないと“言論の自由”が死に絶えますものね…。間違った時は、率直に改める態度があれば、それで良いと思います。(^O^)/
表現は本当に難しいものですね。(。^p〇q^。)プッ
>ASさん
カルト信者には次のような特徴も見られます
皮肉なことに、カルトのメンバーたちはおたがいに、他のカルト集団に入った者を見下げている。すぐ、「あの人たちはカルトに入っているんだ」とか「彼らは洗脳されているんだ」とか認めてしまう。自分自身の状況から抜け出して自分を客観的に眺めることができないのである。
人のふり見て我がふり直せないのがカルトの特徴
常に戒めなければなりませぬな
勿論、北朝鮮にいる個人個人の存在を否定しているつもりはなく、非民主主義的なやり方を批判しているつもりなんですけどね…。でも、単なる憶測による北朝鮮像を出してきて、政治家を批判するのはよくないと今後自身を改める所存でござりまする。
そして、これは「国交がない」「情報が出にくい」という物理的理由だけではなく、情報を流す側が「意図的に限定」している可能性がある、ということを注意しなければなりません。
「北情報」は「事実」「デマ」拘らず全て政治利用される性質のものだからです。
「西側」(或は「南側」)から流れてくる情報は出来る限り精査し、それが困難な場合は「結論を急ぐな」というのが私のスタンスです。
これは「リビア革命」や「シリア民主化運動」に関する報道にも言えますが。(個人的には相当「胡散臭さ」「キナ臭さ」を感じています)
因みに、在日ブロガーによる「スパーゲームズワークショップエンターテイメント」というブログは参考になるかと(部分的には同意できない主張もありますが)
URL http://sgwse.dou-jin/Date/201201/1.html
それがまさに、差別と批判非難の差異です。
自分で変えられる要素を指弾するのが批判。
自分では変えられない要素をも論うのは差別です。
AGENさん、秋原さん
しかしこうなって来ると、何と非難するかが問題になってきますね(^^;)
「北の国に行けば?」があまりよろしくない、では何としましょう? 大日本帝国と変わらない体制の国が現存するわけですけど。しかも連中はその社会で権力側にいることこそが相応しい有様。
ASさんへ
私が先に述べた分類は、批判非難の場合分けではなく、
端的に差別と批判非難の違いとしたほうが適切ですね。
今後、機会があればそのように訂正して提示したいと思います。
有難うございます。
皆さんを擁護するわけではないですが
・ネトウヨの「北へ帰れ!」→潜在的な差別意識の現れ。
・リベラル派の「北へ帰れ!」→反民主主義的な言論へのアイロニー
と、受け止めてます。
言葉とは、前後の文脈で成立していますから、リベラル派の「北へ帰れ!」関しては、言葉尻を捉えるより、話題の流れを汲み取るようにしています。一方で、ネトウヨの場合、論理が飛躍しつつ「北へ帰れ!」と騒ぎ出しますね。
私自身は、北朝鮮や韓国に愛情はあっても、体制に対するロイヤルティーは持ちあわせてないので(日本に対しても同様ですが)、ネトウヨの「北へ帰れ」はムカッときても、リベラル派の「北へ帰れ!」はそうでもなかったりします。
追伸
別のブログで盛んに議論されたのですが、
この時も、シャムさんと同様の疑問を呈されたんです。
というのは、
在特会の言動に対して、人間のクズのやることだとか、
そういう強い口調で非難したことを取り上げて、それでは在特会と
同じではないかと言うわけです。
それから、在特会側のあらん限りの差別的罵詈雑言、聞くに堪えないレイシズムに
抗議して、朝鮮学校の関係者のある一人が、喧嘩腰で抗議した場面を取り上げて、
これが教育者のやることか?これでは在特会のことを悪く言えないだろうと。
そういった両者を同列に扱ってしまう事の間違いを明らかにするために
差別と批判非難の違いを明確にしておく必要性を感じています。
本来、こんなことはいちいち説明するまでもないほどの自明の事なのですが、
こんなことを噛み砕いて説明して置かないといけないほどに、
この国の大衆の人権の理解度というものは大分後退しているなと、
幼稚なものになっているなと、そしてそもそも、この国では人権に対する
きちんとした教育が疎かになってきたからこそ、こんな状況になってしまっているのだと感じています。
そして、このことは、マイノリティの問題のみならず、政治経済全般に通じていく大事なことなんですけどね。
ところが、人権という大事な視点で論じることを軽んじる人が多いようで、私などは先日、ある人から、
“人権家”などという意味不明なレッテルを貼られて苦笑してしまったしだいです。
ネガティブ・インフォメーションやスピンには心すべきとのご指摘、正に同感、その通りです。
同じ中東でも、王制独裁がほとんどのサウジアラビア半島諸国については批判的報道がされないのはなぜなのか。
これは国際報道がワシントン発のそれに偏っているからです。もっと視野を広げなければなりません。何のためのインターネットでしょう?
"人権家"という言葉の発言者より
私は、その場で思いついただけなのですが、そんな言葉を思いつた思考がどうのこうのとかの話が発生することは分かるのですが、まあ、それだけなのです。
私はあの場では誤読・曲解を説きたかったのですが、もう、その努力をする気力はありません。
何か気になって、このことについて考えてみたい方は、kojitakenさんのところや、フリスキーさんの該当のページをご覧ください。別に、ぜひ見ていただくほどのものではありませんが。
ohdedeさんへ
>・ネトウヨの「北へ帰れ!」→潜在的な差別意識の現れ。
>・リベラル派の「北へ帰れ!」→反民主主義的な言論へのアイロニー
>と、受け止めてます。
ネトウヨが『北へ帰れ』という時には、
右派の主張に対する批判をするだけで、反日のレッテルを貼られ、
日本人であることを否定されたり、日本に住むことを否定され、日本から出て行けという差別主義、排外主義に
基づいて発言されます。つまり、人権の否定。
一方、
リベラル派は、日頃のネトウヨの民族差別、ことあるごとに北に対する
敵意を煽ったり、リベラル側のアイデンティティを北に属させようとする
滅茶苦茶な言動を揶揄してのことであって、まさにohdedeさんのおっしゃる
反民主主義的、全体主義的言論へのアイロニーとして、そういうネトウヨこそが、
北の全体主義と似ていることをしているのだと指摘しての発言をしている
わけですね。
民主主義及び自由主義という点では、ネトウヨの主張を受け入れたのでは、
どんどん日本は全体主義的になってしまいますし、
このことへの警告という意味もあります。
真面目に今の日本は危ないところに来ていると思いますから。
なお、
ネトウヨは、『北へ帰れ』とは言っても、リベラルサイドは、
『北へ帰れ』とは言わないはずです。
『北へ帰れ』とは排外主義、差別主義に基づいたもので、
こんな表現をした時点でリベラルとしてはアウトでしょう。
一国への帰属意識、つまりナショナリズムはリベラリストが嫌うものの一つだからです。これが、ウヨが自由主義者や左派を「地球市民」などと揶揄する原因にもなっています。
(じゃあ「世界を一つの家族にしようぜ」とAKBに歌わせてる秋元康も地球市民なのかっての)
ちなみに、私は仕事や言葉の問題さえ何とかなればアメリカ市民になりたいとも思っています(国策の誤りを認める点など日本よりまだまともでしょうから)。
訂正
>AS様
>フリスキーさんの仰るとおり、リベラリストが「帰れ」とウヨを罵倒した例はないと思います、「行ったらどうだ」とは言っても。
すみません。
在日の立場からすると「北へ行く」=「北へ帰る」なので、完全に混同してました。
ご指摘の通り、リベラル派の方が「北へ行ってみたら」と「帰れ!」確かに、日本人からすると違いますね。
私がいいたかったのは、皆さんが仰る「行ってみたら」的なニュアンスで、おそらく「帰れ」を誤用してました。
でも、ご容赦ください。
祖父も従兄弟も北朝鮮に「帰国」してしまっている在日の立場だと、「行く」=「帰る」なんです。
たとえ、旅行に等しい、一時帰国で、日本に戻ってくるとしても、常に無意識に「帰る」と言葉を使ってしまうのはご理解ください。これは、私の父母も、北に親族がいる在日ならほとんど同じ感覚です。
「北の国に行けば?」があまりよろしくない、では何としましょう? 大日本帝国と変わらない体制の国が現存するわけですけど。しかも連中はその社会で権力側にいることこそが相応しい有様。
ニッポソに行きなさいとか、……大日本帝国時代に生まれるべきでしたねーーは流石にないですね。あの時代に生きて立派に育った人は何人もいるわけですし。その人たちに対して失礼でしょうね……元々、私批判ってあまり好きな方じゃないんですよね、やった後で気分悪くなるので(骨なしチキン)
>AGENさん
突き詰めるとメダパニになりそうなので、とにかくデリケートな部分がある問題ではできるだけ相手の立場に立って考えたいな、と気を引き締めたいと思っています
秋原様 皆様
でも大日本帝国の無条件の悪魔化や、「ニッポソ」などの侮蔑的表現はいいんですか?他国は貶めてはいけないが、自国は検証もなく無条件に否定するのは、リベラルの方々が最も嫌う、「自己と国家の同一化」とすら考えてしまいます。
もちろんここの住民の方々がすべからく極左で、「日本の崩壊=革命の近道」と考えていらっしゃるのでしたら的外れな指摘ですが・・・。
和民さんへ
goo辞書より
和民さんのコメント内にある「すべからく」を上記の意味で解釈すると意味が通らないのですが、もしかし「すべからく」を「すべて」の意味で使っているのでしょうか? それなら一応意味は通りますが、端的にいってその使い方は間違いです。
間違った日本語を使っていると和民さんが外国人の反日工作員に思われてしまうかもしれません(
私はそうは思っていませんよ、何しろ「和民」というHNをお使いになるくらいですから……)。
ですから、そのためにもう少し日本語の勉強をなさったほうがよろしいかと存じます(笑)
ユースケさん
改めまして本題の確認をさせていただきます。
自国の無条件の悪魔化はなぜ?
日韓併合の不幸な歴史を反省することは重要です。でも韓国朝鮮の人々を単に「かわいそうな人たち」と定義するのは、戦前の「日本人にしてやる」「日本名をやる」の裏返しで、根底に差別意識を感じるのです。「とりあえず謝っとけ」とか「ニッポソが悪いことをしました。」というのは極めて不誠実な態度ではないでしょうか?
親や先祖や国を大切にする韓国の人々は、「ニッポソが酷い事をしました。でも我々は善良です。」という日本人と友人になれるのでしょうか?
どのような情勢の中で日韓併合が行われたか、そこに崇高な理念はまったくなかったのか、他の選択肢はなかったのか、また本当に両国のために尽くした日本人は皆無だったのか。
あと、文章等誤用のご指摘は私個人としては大変ありがたいのですが、無学は自分自身で十分わかっていますし、あまり本題と関係がないので程々に願います。揚げ足取りもね(笑)
和民さんへ
>自国の無条件の悪魔化はなぜ?
この質問は誰に宛てているのでしょうか?
宛名と該当する具体的なコメントの引用を書かないと、誰も自分に対して言われていると思わないので、レスが返ってこないと思いますよ。
>「ニッポソが悪いことをしました。」
「ニッポソ」って私は「歴史修正主義者」やネトウヨの脳内妄想の中にしかない架空の国だと思っていたのですが、http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%CB%A5%C3%A5%DD%A5%BD
もしかして和民さんはニッポソ=大日本帝国の蔑称と考えていらっしゃるのでしょうか?
「北の国に行けば?」という言い方
憎むべきは北朝鮮の国家体制であって、民衆ではないでしょう。
>秋原さん
在日の方々への配慮を仰っています。「仲間」「同志」だと考えているからこその配慮でしょうか?でも罪を犯した(とされる)戦中の日本人へは、ただの一片の配慮も感じることはできません。
例えば、電車で痴漢をしたとしましょう。当然許されない犯罪ですが、「騙して電車に乗せたうえ、強姦殺人した。」と言われたら当然反論する権利はありますよね?ましてたとえ善意のつもりであっても、文化大革命・大躍進政策・チベット侵略などの「強姦殺人」の隠蔽工作を幇助しているとあってはなおさらです。
慰安婦問題について
戦中、韓国系日本人の女性は、「自らの意に反する形で」慰安婦となることを強要され、「二等国民であるという差別意識から」(本土日本人より)劣悪な環境での就労を強いられた。かつ日本の敗戦により、軍票で払われるはずだった労働報酬の多くは無効となり、日本兵あいての売春を行ったので戦後は激しい差別に晒されることになった。
以上が私の理解している、戦時慰安婦問題です。人道的見地から彼女らに補償を行うことには何の異議もありません。
しかし現在多くの韓国人の理解は、「挺身隊という名目で、また人さらいのようにして一般韓国人女性を徴用して慰安婦にした戦争犯罪」というものです。そしてあくまで政治決着を求めるなど、被害者不在の政治問題となってしまっています。
>ユースケさん
「ニッポソ」とはネトウヨ脳内の国?かつての「日の丸ウンコ問題」みたいな、言いようのない気持ち悪さを感じます。
和民さんへ
↑これって、私がリンクを張った先の定義は認めないってことでしょうか?
以前のコメントから和民さんが「ニッポソ」という用語を一般的な定義ではなく、オレ様定義で使っているように見受けられたので、
>和民さんはニッポソ=大日本帝国の蔑称と考えていらっしゃるのでしょうか?
という質問をしたのですが、答えていただけないようですね(笑)
ですが、上記のコメントから和民さんが「ニッポソ」を誤用していることは確実ですね、本当にありがとうございました。
ニッポソ
日本の近現代史を全否定しないと「歴史修正主義者」「ネトウヨ」と決め付け、「ニッポソ」という、語感からして侮蔑的な表現を使うんですから。ネトウヨ脳内の国ニッポソw
「ニッポソが侮蔑的というのはあなたの主観でしょ?」と言いますか?
「チョン」とか「シナ」という言葉を使うことと違いがありますか?
ウンコ日の丸を掲げて、「在特会の掲げる日の丸はウンコだと主張しているんですよ。」と強弁することと違いがありますか?差別はリベラルな人々の、最も嫌うことではないのですか?それとも差別してはいけない対象と、していい対象があるんですか?
和民さんへ
>誤用もなにも、正確に理解していると思いますよ。
とコメントされても、それは和民さんの主観に過ぎませんよ(笑)。
誤用そのものは単なる「無知」ですみますが、自らの誤用を認めないとなると「無知」ではなくて「不誠実」になってしまいますが、それでよろしいですか?
>日本の近現代史を全否定しないと「歴史修正主義者」「ネトウヨ」と決め付け、
私の認識では、日本の近現代史を全否定とまではいかなくても一部否定しているのは「歴史修正主義者」や「ネトウヨ」の方だと思っています(と言うか、これは「歴史修正主義者」や「ネトウヨ」の定義に関わってくるので一種のトートロジーかもしれませんね)。
>「チョン」とか「シナ」という言葉を使うことと違いがありますか?
はい、違います。「ニッポソ」は架空の国なので実在する民族や国を侮蔑しているわけではありません。
>ウンコ日の丸を掲げて、「在特会の掲げる日の丸はウンコだと主張しているんですよ。」と強弁することと違いがありますか?
これも、先程と同じ理由で「ニッポソ」とは無関係ですね。
>差別はリベラルな人々の、最も嫌うことではないのですか?それとも差別してはいけない対象と、していい対象があるんですか?
これは「歴史修正主義者」や「ネトウヨ」は差別されていると仰りたいのでしょうか?
少なくとも私は「歴史修正主義者」や「ネトウヨ」を差別などしていませんよ。単に彼(女)らの「反知性主義」と「不誠実」さに呆れているだけです(笑)。
そもそも差別とは先天的な属性(出自、身体的特徴など一生その人についてまわるもの)に対してなされるものです。
それに対して「歴史修正主義者」や「ネトウヨ」は先天的な属性ではありません。やめようと思えば今日からでもやめられます。
この点については、以下のブログをご参考までにご紹介します。
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/20756e729c82d9e125c59b645b9767b2
ニッポソ
また「ニッポソという言い方に、近現在日本に対する侮蔑的なニュアンスを感じる。」という、使用者のだれもががまったく意図していないことに対して、自らの主観により勝手に差別されている、侮辱されていると誤解していました。ここにつつしんでお詫び申し上げます。
最初に言いますけど、別にあなたがバカでも賢くても、また論争の勝ち負けも私にとってはどうでもいいんですよ。本質的な、真心のこもったご意見を拝聴したいです。
>差別していい対象としてはいけない対象があると考えているのですか?
この問いにネトウヨが何の関係が?
主に戦前戦中の日本軍属についてお聞かせ願いたい。
悪いことをしたのは事実なのだから、やっていないこと、確定していないことについても無条件で認めなくてはならないのか?検証もせずに「我々の祖先が悪いことをしました」という「とりあえず謝っとけ」という態度は極めて不誠実ではないのか?何でもかんでも国のせいにして、「国に騙されました、強制されました」という態度は、責任転嫁で甘えの構造ではないのか?
>ユースケさん
本題とは関係ありませんが・・・
>そもそも差別とは先天的な属性(出自、身体的特徴など一生その人についてまわるもの)に対してなされるものです。
「差別」と」「迫害」は別物だとお考えのようで。どうぞ、どんどん「歴史修正主義者」や「ネトウヨ」を攻撃して下さい。ただし私はあなたが「仏教徒」や「キリスト教徒」を「差別」するのなら決して賛同しません。
和民さんへ
この問いにネトウヨが何の関係が?
>日本の近現代史を全否定しないと「歴史修正主義者」「ネトウヨ」と決め付け、
という和民さんのコメントから、上記コメントの「差別していい対象」とは「歴史修正主義者」「ネトウヨ」のことかと私は解釈したまでです。
>主に戦前戦中の日本軍属についてお聞かせ願いたい。
>悪いことをしたのは事実なのだから、やっていないこと、確定していないことについても無条件で認めなくてはならないのか?検証もせずに「我々の祖先が悪いことをしました」という「とりあえず謝っとけ」という態度は極めて不誠実ではないのか?
このコメントの「悪いこと」とは具体的には何を指しているのでしょうか?
もし、「従軍慰安婦」への人権侵害の事を指しているのなら、事実認識の点で間違っています。「従軍慰安婦」への人権侵害は確定していないことではありません。
「無条件で認める」って「認める」の行為主体は誰なのでしょうか? 和民さんのこの文章からだとよく分かりません。日本政府のことでしょうか?
もし、日本政府のことなら、日本政府の態度は不誠実ですね。なぜなら、「とりあえず謝っとけ」どころではなく、しぶしぶ当時の人権侵害を認めながらも正式には謝っていませんからね(当時の官房長官河野洋平氏の談話だけで国会の決議はありませんから)。しかもその「河野談話」すらぶち壊しにするような発言を公人がたびたびしてますしね。
>何でもかんでも国のせいにして、「国に騙されました、強制されました」という態度は、責任転嫁で甘えの構造ではないのか?
これも具体的に何のことか私にはよく分かりません。いったい誰が、「国に騙されました、強制されました」という態度をとっているのでしょうか? また、その騙されたり、強制された内容は何なのでしょうか?
>>そもそも差別とは先天的な属性(出自、身体的特徴など一生その人についてまわるもの)に対してなされるものです。
>「差別」と」「迫害」は別物だとお考えのようで。どうぞ、どんどん「歴史修正主義者」や「ネトウヨ」を攻撃して下さい。
私は「差別」と「迫害」は人権侵害または人格攻撃という点では同じと考えています。
また、私がやっているのは「迫害」や攻撃ではなく、「歴史修正主義者」や「ネトウヨ」の「歴史の捏造」と「ヘイトスピーチ≒差別的発言」への「批判」です。「批判」されたくなければ、「歴史の捏造」と「ヘイトスピーチ」をやめればいいのです。私が「歴史修正主義者」や「ネトウヨ」はやめようと思えば今日からでもやめられるとコメントしたのはそういう意味です。
>ただし私はあなたが「仏教徒」や「キリスト教徒」を「差別」するのなら決して賛同しません。
私のコメントのどこをどう読めば、私が「仏教徒」や「キリスト教徒」を「差別」すると思ったのでしょうか?
ああ、おそらく「先天的な属性」にひっかかったんでしょうね。
確かに宗教は「先天的な属性」ではないですね、これは私の定義が狭すぎました。誤解を与えたようで謝罪します。
ただ、「キリスト教原理主義者」が唱える「創造論」は遠慮なく「批判」します(笑)
問題の本質
勝ち負けや優劣を競う気は一切ありませんのであしからず。あなたの勝ちでいいですよ。「私にはよく分かりません」とお考えでしたら論点ずらしをしてまで答えていただかなくとも結構です。理解できないままでいて下さい。私には「啓蒙してやろう」というほどの気概はないですから。
慰安婦問題について
戦中、韓国系日本人の女性は、「自らの意に反する形で」慰安婦となることを強要され、「二等国民であるという差別意識から」(本土日本人より)劣悪な環境での就労を強いられた。かつ日本の敗戦により、軍票で払われた労働報酬の多くは無効となり、日本兵あいての売春を行ったので戦後は激しい差別に晒されることになった。
以上が私の理解している、戦時慰安婦問題です。人道的見地から彼女らに補償を行うことに異論はありません。
しかし現在多くの韓国人の理解は、「挺身隊という名目で、また人さらいのようにして一般韓国人女性を徴用して慰安婦にした戦争犯罪」というものです。そしてあくまで政治決着を求めるなど、被害者不在の政治問題となってしまっています。
和民さんへ
えっ!!
ご自分がなんとコメントしたかも覚えていないのでしょうか?
2012.08.18 ( Sat ) 10:33:36 | 和民 | URL | Edit
北朝鮮の悪魔化を慎むべきだというのは、もっともなことです。
でも大日本帝国の無条件の悪魔化や、「ニッポソ」などの侮蔑的表現はいいんですか?他国は貶めてはいけないが、自国は検証もなく無条件に否定するのは、リベラルの方々が最も嫌う、「自己と国家の同一化」とすら考えてしまいます。
もちろんここの住民の方々がすべからく極左で、「日本の崩壊=革命の近道」と考えていらっしゃるのでしたら的外れな指摘ですが・・・。
↑これが和民さんのこのエントリでの最初のコメントです。
このコメントにはどこにも韓国政府が、従軍慰安婦を政治問題にしていることは書いていませんよ。
従軍慰安婦問題は、このエントリの主旨とは外れていますので、適切なエントリにコメントされるのがよろしいかと思います。