コメント
北朝鮮の国歌
結構いい歌詞だし、メロディーもキレイでかなり人気のある歌です。
そのためか、国歌を拒否したり侮辱するというのもあまりないようです。
何度か行ったことがありますが、国歌にたいしての態度が悪いから処罰されるというのは聞いたことがありません。
朝鮮の『悪魔化』
ブログをいつも興味深く拝見させていただいております。
私は、日本で生まれ育ち、朝鮮学校を大学まで出た在日朝鮮人3世です。現在も朝鮮学校に子供を通わせている学父母でもあります。
人権や民主主義の理念を貫き守ろうとする秋原様の姿勢にいつも感服しています。
しかし、今回の記事で一つだけ「そのままにしてはおけないな」と思った点があります。
それは、朝鮮での国歌の強制について憶測のみで、「国旗国歌に敬意を払わない態度をとれば処罰されるであろう事は想像に難くないです」、「強制しようとするのは中国、北朝鮮のような非民主国家だけ。」とされている部分です。
これは、国やマスコミが総力を上げて行っている「朝鮮の『悪魔化』」に加担するものに他ならないからです。
朝鮮学校に対する無償化排除や補助金停止などの不当性についてこちらでも多く取り上げていただき非常にありがたく思っていますが、この様な差別が少なくない人々に受け入れられている背景には、朝鮮の『悪魔化』あります。
この『悪魔化』により、朝鮮は酷い国、何をするのか分からない国と言うのが『常識』とされ、その延長で朝鮮総連への弾圧や朝鮮学校への差別がまかり通っています。
また、日本の軍備増強や米軍基地の正当化、そして草の根ポピュリズムに利用されている面もあります。
処罰が規定されている法令や実例などについて批判するのであれば、どれほど酷いものでも厳粛に受け入れるつもりですが、具体的な処罰規定について分からなかったのであれば、処罰があると言う前提で言及されるのは私にとっては受け入れ難いものです。
こちらのような良心的なブログが、『悪魔化』に明確に反対される事はなくとも、今後は加担するがない事を、愛読者のひとりとして願ってやみません。
ほかに『悪魔化』とは関係ない事ですが、ウィキペディアの「国歌を歌える人民も少ないといわれている。」の部分のソースが「弓狩匡純 『国のうた』 文藝春秋、2004年」と言う事ですが、信頼に足るものだとは思えません。
実際にサッカーワールドカップでの映像で、在日3世である鄭大世選手が涙を流しながら歌っている姿が全世界に放映された事もあります。在日ですら歌えるのに本国で歌える人が少ないというのは普通に考えたらありうる事ではないと思います。
初めてのコメントがこの様なかたちになってしまい残念ですが、今後ともこちらのブログを楽しみにしております。
>紅的彗星様
私も朝鮮高級学校出身ですが、確かに国歌=「愛国歌」に関しては、誰でも歌えるように教育うけている上に、「国旗国歌に敬意を払わない態度をとれば処罰される」こともは無いどころか「寛容」ですらあります。
しかし。、一方では、少なくても、私が通学していた、1980年代までは、金親子の肖像や、「金日成将軍の歌」や「金正日将軍の歌」に対する忠誠心は苛烈に問われました。
私は、“朝鮮学校が批判する、日本の軍国主義と変わらない”という考えから、「金日成将軍の歌」の強制に“意見”を唱えただけで、何時間も職員室に監禁される懲罰に等しい“指導”を受けたことあります。
1980年代当時は、「愛国歌」よりも、「金日成将軍の歌」や「金正日将軍の歌」の方が、より敬うべきものとして「強制され」記事にもあるように「第二国歌」として機能していました。
現在の所はどうか判りません。
少なくても、今の大阪市以上に“シビアな環境”だったのでは?と考えます。
そういった体験から、「日の丸君が代問題」というのは、非常にセンシティブな議題という印象を持っています。
感謝します。
拙い指摘を受け入れていただいて記事を訂正していただき、感謝します。
私個人としては、日本での国旗国歌の強制に反対するのに、現在の状況が良く分からない朝鮮での扱いについて詳述する必要性を感じませんし本国での情報も持ち合わせておりませんので、ohdede 様への返信をもって、この件についてのコメントを終わりたいと思います。
> ohdede 様
私も1980年代に高校・大学時代を送りました。
私自身は幸いにも強制されたと感じた事も周りでそのような事が起きた事も有りませんでしたが、ご経験された事は過去においては十分にありえた事だと思います。
しかし、法令によって強制される「今の大阪市以上に“シビアな環境”だった」とは、私自身は考えません。
現在の朝鮮学校の式典の状況については、子供が幼稚園に入ったばかりなので、たいした情報はありません。
今年度の入学(入園)式では開始時に「愛国歌」が流されましたが、それだけでした(斉唱はなし)。見た限りでは全員起立していました。
教師や生徒達に強制が有ったかどうかは分かりませんが、父母達の間ではそういう事が有ったと言う話題は今までされた事はありません。
他の行事(運動会、学芸会など)では、愛国歌が流される事も国旗が掲揚されることもなかったと記憶しています。
> ohdede 様
法令じゃなく、コモンセンスだから「シビア」に感じました。
返信、ありがとう御座います。
当時、大人たちから言わせれば、私は「異端児」だそうで…。
(微妙に厨二臭があったのかも知れません)
しかし、私がシビアと感じたのは、私を“指導”した教師や大人たちのあり方に対してです。
少なくても、大阪市の条例に関しては、このブログのように議論する余地もあるし、“異”を唱える現場の教師もいる。
しかし、当時の朝鮮学校、少なくても朝鮮総連系の大人たちは、金親子を批判することはおろか、体制に疑問を持つことすらタブー視する。考えようによっては「思考停止」していたように、見受けられます。
(今考えると、それが、在日コミニティの「和」を乱さない手段だったのかも知れませんが。)
そういった、大人たちが、論理的根拠もなしに、ただ、妄信的に「金将軍の歌」を歌わなければいけない、と、「教育」する。学校にはそんな教師しかおらず、大多数の父兄すらそれに同調する。それらに疑問を挟むと「異端」扱いする。
法的な強制もなしに、コミニティ間でコモンセンスが傾いていく状況は、かなり「シビア」だと思いますがいかがでしょう?
>紅的彗星さん
ところで、現在の朝鮮学校のご様子だと、大阪の公立の学校よりはるかに民主的じゃないですか!
橋下市長は金総書記の肖像画を撤去しないと無償化しないなんてこといってましたが、そんなこという資格はありませんね。橋下市長の方がはるかに独裁的なんですから
私は大人達から見たら「良い子ちゃん」だったかも知れませんので・・・(汗
>法的な強制もなしに、コミニティ間でコモンセンスが傾いていく状況は、かなり「シビア」
たしかにそうですね。
しかしそれは、コミュニティ内で真摯に向きあって解決して行くべき問題ではないでしょうか。
ですから、上から法令によって強制される状況の「シビア」とは、どちらが厳しいとかではなくて別問題と言うか性質が違うように思います。
>秋原葉月 さん
私の子供が通ってる朝鮮学校でのほんの一コマですし、大阪の公立学校での様子は報道などでしか知りませんので、比較してどうかと言う判断は差し控えたいと思います。
ただ、ohdedeさんのおっしゃってるコモンセンスの問題は、あの頃とは比較にならないくらいに改善されたとは思いますが、完全に払拭されたとは言い切れないと思います。
これからも、もっと素晴らしい学校にするために、学父母として、何より同胞として頑張るつもりです。
ただ、無償化適用するとか補助金を出すとかは、学校が素晴らしいかどうかとは別問題と言う事も付け加えておきます。
どうでしょう
ですから、上から法令によって強制される状況の「シビア」とは、どちらが厳しいとかではなくて別問題と言うか性質が違うように思います。
どうでしょう?
「解決」のために手を挙げて子どもに、暴力に近い“指導”をする状況が健全でしょうか?
法令も何もない状況下で。
あきらかに、子どもの権利が剥奪されてませんか?
それに、大阪市の問題と、全く別の性質とは思えませんが。
少なくても、「日の丸君が代」を強制すべきという意見と、当時の私の周辺の大人たちの意見には、同質のものを感じてしまいます。
補足
子ども心に、「歌うことに疑問を挟んではイケナインダ…。」と思いましたが、結局、高校を卒業するまで、疑問が晴れる事はなかったです。
願わくば、大阪市でこのような光景を目にすることがないよう、祈るばかりです。
>ohdedeさん
もちろん子供の権利が剥奪されていた事は否定しませんし、その意味では全く別の性質ではないでしょう。
コミュニティ内で完全に「思考停止」していたのであれば、「今の大阪市以上に“シビアな環境”」と言うのも当てはまるでしょう。
しかし、現在は(私の考えでは)改善されています。
と言う事は、「完全な思考停止」ではなかった事になります。
考え方、感じ方の違いかもしれませんが、内部の努力に改善できる状況の方が、外部から法令によって強制される状況より、まだましだと思うのです。
>紅的彗星様
>しかし、現在は(私の考えでは)改善されています。
と言う事は、「完全な思考停止」ではなかった事になります。
>考え方、感じ方の違いかもしれませんが、内部の努力に改善できる状況の方が、外部から法令によって強制される状況より、まだましだと思うのです。
そうですね。
子供の頃のトラウマで少し、ムキになっていたかも知れません。
情念だけで「過去どうだった」訴えるより、改善された現在のあり方で評価するべきですね。
(ただ、ものすごく当時の朝鮮学校と、橋下氏のやり方がダブってみえるんですよね…。)
逆説的に「改善した」といえるまで、これだけの歳月がかかった事を考えると、仰るように法令で強制する事のほうが、シビアと言えるかも知れません。
>ohdedeさん
残念ながら過去は変えられないので、真摯に受け止め反省や分析しながら、現在そして未来をどうするかを考えていけば良いと、私も思います。
渡邊芳之先生@ynabe39の「市民に歌を歌わせるのが好きなのはたいてい社会主義国家。」
帯広畜産大学の渡邊先生による一連のツイートのまとめです。社会主義者の方々からは「全体主義と言うべき所で、なぜ社会主義があげられているのか」と不評ですが、そこを除けば国歌を歌う事を強制する事の不合理性が、要領よくまとまっていると感じました。