沖縄密約開示判決ー岡田外相は控訴すべきではない
- 2010/04/11
- 02:21
胸のすくようなまっとうな判決に拍手をおくりたいです。
裁判ってのはこうでなくっちゃいけません。これでこそ、三権分立のチェックアンドバランスが働いたと言えます。
最後には司法が正しい判断をしてくれるだろうという信頼は、私達が政府や地方公共団体などの公権力の誤りに抗議し働き掛けていくとき、大きな勇気を与えてくれます。
新聞記事をいくつかメモしておきます。
沖縄密約訴訟の判決要旨
東京地裁が9日言い渡した沖縄密約訴訟判決の要旨は次の通り。
【密約の成立】
▽財務省文書の作成経緯と意義
沖縄返還交渉で日本政府は「米国から沖縄を金で買い戻す」という印象を国内で持たれたくないと考え、日本が米国に買い取り資産の対価を支払うなどの交渉内容は、佐藤・ニクソン共同声明には盛り込まないことになった。交渉で資産の対価の支払いなどに合意し、大蔵省の柏木財務官と米国のジューリック財務長官特別補佐官が1969年12月、イニシャルで署名し文書が完成した。
文書は沖縄返還協定に基づき米国に支払う3億2千万ドルを上回る財政負担を、国民に知らせないまま実施することを米国と合意していたこと(密約)を示し、政府として存在や内容を秘匿する必要があった。日本の財政負担の大枠はこの文書で決まったといえ、極めて重要性が高い。
▽外務省文書の作成経緯と意義
米国が沖縄返還費用を負担しない基本的立場を議会に報告していたことから、佐藤首相、愛知外相、福田蔵相了承の下、軍用地に使っていた沖縄の土地の原状回復費用400万ドル、米国短波放送の日本国外への移転費用1600万ドルをそれぞれ、買い取り資産の対価を含めた3億ドルに上乗せして米国に支払うことになり71年6月、愛知外相らが了承し、吉野外務省アメリカ局長とスナイダー駐日米国公使がイニシャルを書き込み文書を完成させた。
文書の内容には原状回復費用や移転費用が含まれており、国民に知らせないままこれらを費用負担すると米国との間で合意していたこと(密約)を示すもので、政府としては秘匿する必要があった。沖縄返還交渉の難局を打開した経緯を示す外交関係文書として第一級の歴史的価値を持ち、極めて重要性が高い。
【争点に対する判断】
▽本件文書の存否
原告らは外務省や財務省が本件各文書を保有していたことの主張立証責任を負うが、過去のある時点に職員が文書を作成・取得、両省が保有したことを原告が主張立証した場合は、保有状態がその後も継続していることが事実上推認され、廃棄や移管で保有が失われたことを両省が主張立証しない限り、本件不開示決定時点で文書を保有していたと認められる。
外務省は71年6月ごろ、財務省は69年12月ごろ本件各文書を保有。外務省は2005年12月ごろ、同省の行政文書ファイル管理簿から件名に「沖縄」を含む65~76年作成のファイルを抽出、沖縄返還交渉に関する計308冊を特定した。北米1課の事務官5人で調査したが、本件文書は存在しなかった。財務省は本件訴訟の提起後、「沖縄」の文言を含む行政文書ファイルなどが存在した全部局での交渉関係の行政文書探索や、文書担当者からの聴取をしたが、文書の廃棄や移管の記録は発見されなかった。
そもそも本件文書については秘匿の必要性や内容の重要性という特質を考慮するならば、保管先とおぼしき部署への機械的・事務的な調査だけで発見されるような態様で保管されているとは考えにくい。両省は沖縄返還に際する支払いの日米合意は沖縄返還協定がすべてだと主張し、文書の内容を否定していた。そのような立場の者が探索しても精度や結果の信用性には一定の限界がある。歴代の事務次官ら関与した可能性がある者に対して、取り扱いや行方を聴取することが求められ、こうした調査をすることで初めて十分な探索をしたと評価できる。
外務省保有文書はもともと条約の締結交渉に関する一切の文書として、永久に保存するとされている。両文書とも仮に既に廃棄されているとすれば、両省の相当高位の立場の者が関与し、組織的な意思決定がされていると解するほかなく、これらの調査で具体的状況が明らかになるはずだ。
よって、両省は合理的かつ十分な探索をしたとは言えず、保有が失われた事実は認められない。両省は文書を保有しており、不存在を理由とした不開示は違法だ。
▽義務付けの訴え
本件不開示処分はいずれも違法で取り消されるべきだ。そして、各文書には情報公開法が定める不開示事由はなく、開示決定をすべきことは明らかで、開示義務付けの訴えは理由がある。
▽国家賠償請求
本件文書の背後にある事実関係の一部は沖縄返還交渉当時から、沖縄密約問題として取りざたされてきたもので、原告らは問題を当初から追及してきた。原告らが求めていたのは、密約の存在を否定し続けていた政府や外務省の姿勢の変更であり、民主主義国家での国民の知る権利の実現だ。
ところが外相は密約は存在せず、密約を記載した文書も存在しないという従来の姿勢をまったく変えず、文書の存否の確認に通常求められる作業をしないまま、漫然と不存在という判断をし、原告らの期待を裏切った。国民の知る権利をないがしろにする外務省の対応は不誠実で、原告らが感じたであろう失意、落胆、怒りの感情が激しいものだったことは想像に難くない。
財務相の行為の違法性を判断するまでもなく、原告らそれぞれに10万円の賠償などを求める国家賠償請求には理由がある。
朝日新聞社説:沖縄密約判決―背信繰り返させぬために
沖縄現代史の研究者や毎日新聞の元記者らが沖縄密約をめぐる文書の公開を求めた裁判で、東京地裁は全面開示を命じる判決を言い渡した。
国は「文書を保有していないので公開できない」と主張した。これに対して判決は「文書があるかどうか十分に探したとは評価できない」と述べ、国の態度を「知る権利をないがしろにし不誠実」と強い言葉で非難した。
「文書がない」として公開に応じないケースは少なからずあるが、判決は、一定の条件がある場合は「ないことの証明」を行政側がしなければならないと指摘した。今後の情報公開の武器ともなる貴重な判断だ。
政権交代後、政府は広範な調査をしたが、問題の文書は見つからなかった。裁判の進行の都合でその事実は判決に反映されていない。
判決は文書について「第一級の歴史的価値があり、領土問題を抱える日本の外交交渉にいかすことができる」などと評価した。外交機密を盾に真実を隠し続けてきた歴代政府の行為が、国民と歴史に対する背信以外の何物でもないことを改めて銘記したい。
あるはずの文書がない。適切に管理されていない。年金記録の紛失や肝炎患者リストの放置など、幾度も繰り返された問題だ。役所の立場を守るために廃棄した疑いのある例すらある。そんな政府をだれが信用するだろう。
その反省のうえに昨年6月、公文書管理法が成立した。作成・保存・移管・利用それぞれの局面で共通ルールを定め、順守状況を定期的にチェックし改善する仕組みを導入した。歴史的に重要な文書はすべて国立公文書館などに移すことも盛り込まれた。
ただ肝心なのはそれを使う人間の姿勢だ。文書の量は膨大で、チェックにも限界がある。公務に携わる一人ひとりが「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」との認識と緊張感をもつ必要がある。
意識改革が求められるのは政治家も同様である。民主党はかつて文書管理の重要性を指摘していた。だが政権の座についた後は、政務三役会議の議事録をはじめ、政権の意思決定の過程を検証できる記録の作成や公開に後ろ向き、あるいは無頓着だ。
国会で追及を受け、ようやく枝野幸男行政刷新相が対応し始めたが、「政治主導」の看板が泣くというものだ。
情報公開と文書管理は民主主義を支える車の両輪である。「地域に権限を」と唱える地方自治体も、文書管理の面で中央に負けぬ責任を全うしなければならない。
その責任を負う相手は、いま目の前にいる納税者や有権者だけではない。記録を残すことは、将来の国民に対する説明責任を果たすことでもあると、自覚して取り組んでほしい。
毎日新聞社説:「密約」開示判決 徹底して再調査せよ
「そのまま受け入れることはないと思う。控訴の可能性を検討する」「調査の結果、外務省に(該当の文書が)ないことは明白だ。それ以外の答えはない」と表明しました。
http://megalodon.jp/2010-0409-2127-49/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100409-00000103-jij-soci
簡単に言えば、裁判所は
・通り一遍探しただけで、なかったなんて簡単に言うな、もっと徹底的に探せ
・こんな大事な文書がなくなるなんて、外務省のトップが絡んで組織的に隠蔽をはかったとしか考えられない。
・どうしてもないというのなら、本当にないことを証明しろ
と国に命じたのですが、岡田外相は
「だって探したけど見つからなかったんだもん。ないものはないとしか言えないもん」と不満なわけです。
政権交代前、民主党はそれまで自民党がひた隠しにして「ない」と言い張ってきた密約の存在を暴くことを国民に約束していたはずです。
ところがいざ政権を握ると、トーンダウン、
アメリカの公文書や佐藤元首相邸から見つかった核密約文書など、密約の存在が否定できなくなっても政府はこれといったアクションもおこさないし、
日米間の密約問題に関する「有識者委員会」は、1960年の日米安保条約改定時に結ばれた『討論記録』は核持ち込みの密約ではないという詭弁を弄するし、
岡田外相は、「日米安全保障条約を改定した岸内閣、沖縄返還時の佐藤内閣は、相当苦渋の決断をしたと思う。批判することは簡単だが、当時の指導者として、ある意味評価している」と、密約締結した当時の政府に妙にものわかりがよくなっちゃったり、
密約の存在は「学者の論争に任せたらいい」なんて放り投げちゃったりするし(これ、イラク戦争の検証は「将来の課題だ」というのとおなじですね)
岡田外相は控訴などすべきではありません。
もしこの判決が自公政権時代に出ていたら、野党民主党は「政府は控訴すべきではない、この判決を受け入れるべきだ」と言ったことでしょう。
ここでも書きましたが、
佐藤元首相のノーベル平和賞の返上
かつて密約はないと言い続けた歴代自民首相や関わったと思われる官僚などを、片っ端から国会で責任追及する
西山記者に正式に謝罪する
徹底した再調査や国会で参考人招致を行い、ないならないでいつどのように破棄されたか明らかにする。
もし文書が破棄されていたなら、破棄を指示した外務省官僚に責任をとらせる
などなど
これらができなくてどこが「官僚主導」から「政治主導」でしょうか。
そして、政府は非核三原則の堅持を表明し、アメリカにも「持ち込まない」ことを遵守させ、できれば非核三原則を法制化して欲しいと思います。
何度も書きますが、「核密約は存在しました。以上」でうやむやに決着させて幕引きするのは、密約の存在を暴いた歴史的意義を全て反古にする許されない行為だと思います。
- 関連記事
-
- 密約に広義も狭義もないでしょう (2010/04/15)
- 沖縄密約開示判決ー岡田外相は控訴すべきではない (2010/04/11)
- 沖縄密約の存在が確定したのだから、政府や国会は徹底的な責任追及をして欲しい (2009/12/24)