<どうして日本では国旗国歌論争がタブー視されるのか> この問答集シリーズも、もう11回目になります。最近は問答の形式からちょっと外れちゃってますが、お許しください。
今回はjeanvaljeanさんから頂いたトラバから、フランスでの国歌論争です。これを読んで、日本ではまともに国歌論争が為されないのは何故かについて考えてみたいと思います
フランスにおける国歌についての議論http://billancourt.blog50.fc2.com/blog-entry-635.html フランス国歌ラ・マルセイユについての議論を紹介している、フランスの中学4年(日本の中3)の教科書「市民教育」を見つけました。 何の気兼ねもなく、自由に自分の意見を述べる社会、それを中学生の教科書に載せて、生徒に考えさせる社会っていいですね。 どこかの国では、選挙によって自分は民意を得たといって、市民の意見に耳を傾けることなしに、問答無用の行政措置で市民(教師)の良心の自由を侵している社会もあります。議論を尽くす社会こそが、真の民主主義社会ですよね。 -------------------------------------------------------------------------------- 資料「ラ・マルセイエーズの色を塗り替えることが必要」 フランス国立図書館館長のDominique Jamet の意見 「時代錯誤で、仰々しく、好戦的だ。フランスを象徴する歌は、一般大衆には理解が難しい表現で、できるだけ多くの首を切り、できるだけ多くの腹をえぐることしか語らない。[…] それは充分に妥当なものだろうか、充分に心地よいものだろうか?フランスが与えたいと思う、そして与えるべきであるイメージに充分に合致しているものなのだろうか?[…] ラ・マルセイエーズの色を塗り替えることが必要である」。 元共和国大統領スポークスマン、パリ大学学長のMichèle Gendreau Massaloux の意見 「ラ・マルセイエーズは、自らの歴史を語る言葉とともにフランス人の記憶に、遺産に属するものです。[…] しかしそのメッセージには、それがつくられた時代が刻まれています。連帯そして平和という私たちの理想に合致するものではありません。したがって、今日の世界における私たちの国の価値を最もふさわしく表現する、他の言葉で書かれるのは悪い考えではないと思います。それは、私たちの時代の、ひとつのマルセイエーズです」。 資料ラ・マルセイエーズに触らないで欲しい ヨーロッパ議会代議士シモーヌ・ヴェイユの意見 「私たちの国家は、私の記憶そして私の文化の一部です。[…] したがって、その歌詞が現在の状況に対応せず、いくつかの不都合があったにせよ、それを変えることなど私には想像できません。新しい国歌がどんなものであっても、2世紀ものあいだラ・マルセイエーズがフランスそして数世代のフランス人にとって象徴であったという事実にもとづいた、情緒的な役割をもつことはできないでしょう」。 元文化大臣で代議士のFrançois Léotard の意見 「ラ・マルセイエーズのいくつかの荒々しい歌詞が、どのように時代精神に影響を与えうるのか、私は知らない。しかし私は私たちの国歌に、ほんのわずかな歌詞も、たとえそれが句点であろうが、変えることを望まない。私にとってラ・マルセイユは、一つの歴史的記念碑であるのだ」。 国歌についての意見をつきあわせてみよう 1.資料における発言者の、ラ・マルセイエーズに対する批判はどのようなものですか? 2.反対に資料における発言者は、どんな理由で、ラ・マルセイエーズの歌詞に愛着をもっていますか? 3.あなたは、なぜ国歌が今日においても、討論の論点になると思いますか? -------------------------------------------------------------------------------- ラ・マルセイエーズに対して、フランス国民はこう判断する。(2005年に行われたアンケート) (質問)あなたは、ラ・マルセイエーズのいくつかの歌詞を変えることに賛成ですか?反対ですか? 賛成 28% 反対 72%
どうでしょうか?
こうやって国歌について歯に衣着せないで議論したって何もおかしくはないですよね?
君が代について、まず、事実として、君が代はどういう歴史を負っているのか。その歌詞の意味は何なのかを学ぶこと。その上で、
・君が代をどう思うか。
・たとえ国歌が君が代でなく違う歌であっても、国歌を強制すると言う行為自体どう思うか。
などなど、卒業式で君が代を歌う当事者は先生や生徒なのですから、こういう議論が学級や職員会議で思う存分なされてもいいはずです。
でも現実はこういう議論をすることさえタブー視されています。
何故でしょうか?
それは、
君が代の歴史をしっかり学べば、嫌でも菊のタブーと戦前の日本の軍国主義がいかに国内外の人権蹂躙したひどいものであったかに深く関わらざるを得ないからだ と思います。
日本と言う国は、菊のタブーが絡むときにその反動的な本性を最もよく現します。
学校の歴史の授業では、天皇を頂点とした軍国主義ファシズムが国内外でどれだけ思想良心の自由や言論の自由等の基本的人権を無残に蹂躙したか、どれほど酷い弾圧国家だったか、決して深くは学習しません。
これは、同じく敗戦までファシズム国家だったドイツと決定的に違うところです。 ドイツではファシズムへの反省から学校では徹底的に自分たちの負の歴史を学びます。
しかし日本は逆です。受験にも出ないのでほとんどさらっと流してしまいます。戦前の天皇制ファシズムがどんなであったかの歴史的事実を深く学ばせないので、歴史修正主義者の「従軍慰安婦などいなかった」「南京大虐殺はなかった」という世界から失笑しか買わない大嘘がつけいる隙が生まれてしまいます。
この国の支配的な勢力はともすれば日本の負の歴史を覆い隠そう、美化しようとしてきました。古くは教科書問題や靖国参拝問題、慰安婦への謝罪と保障、最近では大使館前の慰安婦像建立や、河村氏の「南京大虐殺はなかった」発言で大もめになっていることなど、戦後60年以上たってるのに、いまだに日本の歴史修正主義的態度はずっとアジアの不信を買っています。
歴史修正主義者は表向きの数こそまだ少数派ですが、
実は歴史修正主義こそがこの国の根深い本質だ と私は考えています。
自民党が出してきた極右政党のものとしか思えない政権公約や、その延長線上にある維新の怪の「思いつきが即決採用されちゃった♪」という「船中八策」、更にそれの斜め上いく東のバカ殿こと石原氏の「憲法破棄」発言
そういう目も当てられない激しく反民主主義的、反人権的な政権公約ばかりが出現することを許してしまう空気が、何よりこの国の根深い病理を物語っています。
国旗国歌の強制問題についてじっくり自由に議論すると言うことは、国が隠したがっている日本の負の歴史に国民一人一人が正面から向かい合うということです。 そうすれば、君が代強制はやはりおかしいのではないか、歴史修正主義もおかしいのではないか、日本は実はあまり民主主義国家とは言えないんじゃないか、と考える国民も増えてくるでしょう。 過去の負の歴史と正面から向かい合うことは、民主主義教育の第一歩です、ちょうどドイツがそうであるように。(ちなみにドイツはナチス時代の国歌に使われた歌詞は封印されました) でも
このエントリー でも述べたように、戦前のメンタリティと相似した思考停止のメンタリティをなんとしても強化したいので、日本という国が戦前から連綿と持ち続けている反民主的、反人権的、ファッショ的な本性をむき出しにしてきます。だから君が代を強制したい人々の態度は議論すらタブー視する問答無用の高圧的態度になるのです。
日の丸君が代問題は、全ての問題に通じる深い根本的な病理の象徴だと私は思います。
フランス人に「日本では国歌について議論することすらタブーなのだ」と言っても、何故そんなことがタブーになるのか到底理解してもらえないでしょうね。
イギリスでも理解してもらえなかった ように。
なぜなら、今の日本みたいな全体主義国家のような事態はフランスやイギリスではあり得ないからです。
フランスでマルセイエーズの歌詞を変えた方がいいと考えているのは30%足らずのマイノリティです。
でも、もし仮に万が一、日本のように「職務命令だからマルセイエーズの歌詞が嫌でも何でもとにかく歌え」と公務員や教員に強制する条例が制定されようとしたら、間違いなく大規模な抗議行動がおきるでしょう。そして市民は間違いなくその抗議行動を支持するでしょう。
一方、我が日本ではこんな感じです。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120302/lcl12030223040002-n1.htm 国歌の不起立教職員17校20人に 大阪府立学校 2012.3.2 23:03 大阪府教委は2日、府立学校の卒業式の国歌斉唱で、同日昼までに終了した107校のうち、17校20人の教職員が起立斉唱しなかったと発表した。残る府立学校105校の卒業式は、3月16日までに行われる。 府では昨年6月、学校行事で公立学校の教職員を対象に、国歌の起立斉唱を義務付ける条例が成立。府教委は条例成立後、初めて迎える卒業・入学式シーズンを前にした今年1月、教育長名で全府立学校の教職員に対し、起立斉唱を指示する職務命令を通知した。 条例に罰則はないが、府教委は職務命令に違反して起立しなかった教職員には、戒告などの処分を検討している。 2月の定例府議会には、同一の職務命令に3回違反した場合の標準的処分を、免職と規定した職員基本条例案が提案されており、可決されれば、4月の入学式以降、これらの規定が適用される見通し。松井一郎知事は「入学式でも同一人物が同じ行動をとった場合、現場から外すべきだ」との認識を示している。
いや、ほんと、比較してみると日本の異様さがよくわかりますね
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