ほぼ一ヶ月のご無沙汰です。
お休みしていた間も拍手をたくさんいただき、感謝しています。
これからまたぼちぼちと、数日に一度ほどのペースで書けたら、と思っていますので、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
昨日、足利事件の再審で無罪判決が出ました。
検察は上訴権の放棄という健気な姿勢?(苦笑)をアピールしています。
世間的には、めでたしめでたし、菅谷さんお疲れ様でした、という受け取られかたをするのかもしれません。
裁判官も全員起立して菅家さんに頭をさげたそうです。
ニュース的には美味しい絵になるでしょう。
しかし判決要旨を読む限り、再審無罪判決として到底評価できるものとは言えません。
というのは、この判決は、
①何故何もしてなかった菅谷さんが自白するに至ったのか
②このような冤罪を再びおこさないようにするにはどうすればよいのか
その考察が一切なされていないのです。菅家さんの自白についての評価も、その任意性を否定せず、証拠能力を否定していません。
即ち、
a.公判中に検察官が特に必要性のない取調を行ったことは、当事者主義、公判中心主義の趣旨に反するものの、その次の公判は公正中立な裁判官や、弁護人の面前であるのだから公判における自白の証拠能力に問題はない
b.捜査官は取り調べに於いて犯人のDNAと菅谷さんのDNAが一致したことをつきつけ、菅谷さんは自白に至った。結果的にその鑑定は誤りだったものの取調の段階では捜査官はその鑑定が客観的証拠だと評価していたのであるから、菅家さんの自白は任意性が否定されるような違法な自白ではない
c.森川検事が行った起訴後の取り調べも主に本件ではなく別件について行われ、別件との関連で本件の取り調べに及んだのだから、取調は違法と言えない。
とどめに最後では「菅家氏の自白は、それ自体として信用性が皆無であり、虚偽であるということがあきらかであるというべきである」と述べるにとどまり、任意性についてはなんら触れられていません。
つまり、裁判官は『菅家さんの自白は任意性に問題はないが、信用性がないのだ』と言ってるにすぎず、
捜査側に虚偽の自白を強要されたものであって自白に任意性はない、という弁護側の言い分は全て認められなかったに等しいのです。菅家さんは捜査側に嘘の自白を強要されたのではなく、任意に嘘の自白をしたとでもいうのでしょうか?
だいたい、警察に虚偽の自白を強要されないのに、なにが悲しくて自分が犯人だと嘘をつく必要があるのでしょうか?そんな人間がどこにいますか?常識で考えればわかることでしょうに
これでは結局、たまたま菅家さんが(警察に強要されたのではなく)任意に「自分がやった」という嘘を言ってしまったため、不幸な結果になってしまった特殊なケースにすぎないと、問題を矮小化してしまいかねません。
このように、この無罪判決は、
密室で精神的に追い詰め自白を迫る事実上の拷問ともいえる現在の取り調べ方法に付いての問題提起も一切なく、取り調べ可視化を後押しするものになっていません。
また、自白の任意性の判断基準についても何の指摘もありません。
菅家さんは、任意の事情聴取の段階で刑事達にかなり怖い思いをさせられたことが後々まで尾を引きずって、公判で傍聴席に刑事がいれば怖くて本当のことも言えなかったと述べています。
他人から強く言われると反論できないという性格の持ち主であれば、恐怖心に拘束されて虚偽の自白を維持してしまうことは十分にありえます。それを従来の判断基準を出ないままで任意性ありとしてよいものでしょうか。
a~cで裁判所が示した自白の任意性の従来の判断基準は見直されるべきです。
裁判官は
「菅家さんの真実の声に十分に耳を傾けられず17年半の長きにわたり、その自由を奪う結果となりましたことを、この事件の公判審理を担当した裁判官として、誠に申し訳なく思います」
と言い、菅家さんに頭を下げました。
マスコミはここを大きく取り上げていますが、
ほんとうに反省しているのなら、何故菅家さんの真実の声に耳を傾けられず冤罪をつくってしまったのか、その原因について厳しく分析しなかったのでしょうか。また何故、捜査機関の言い分ばかり鵜呑みにする自らの体質について何の言及もないのでしょうかとてもでないけれど、裁判所が何らかの教訓を得ているとは思えません。
何でも頭を下げれば済むというものではありません
以前私は
このエントリーで、
「何故足利事件という冤罪がつくられたのかを徹底的に追及し、白日の下に晒すことが次の冤罪を防止するのに繋がります。再審にはそうした社会的な意義があると思います。」
と書きました。
菅家さんも、何故自分がこんな目にあってしまったか、その原因を徹底的に明らかにし、二度と冤罪を作らないようにしてもらいたいというのが願いでした。
この判決はそうした再審判決の持つ意義に応えていません。
無期懲役という重大事件の再審であり、おりしも取調の可視化問題も絡んで社会から注目を集めていたにもかかわらず、
とにかく
検察、裁判所がそろって、冤罪を産む構造の解明に背を背けて、幕引きに向けて全速力でダッシュした、中身スカスカ腑抜けの判決だと酷評しておきます。
【追記】
この足利事件はDNA鑑定が間違っていたといういわば‘動かぬ証拠’が出てきました。ですから、いかにして虚偽の自白を強いられ冤罪が作られるのかそのメカニズムの究明をしなくても、新DNA鑑定だけで確定判決をひっくり返せるものだったので、殊更冤罪のメカニズムを究明する必要にせまられなかったと言えるでしょう。
すなわち、裁判所は、冤罪の構造を深く切り込むことからうまく逃げたのです。
中日新聞から識者のコメントを引用しておきましょう。
再審に詳しい一橋大法科大学院の村岡教授は「虚偽自白のメカニズムが解明されると期待した分、非常にがっかりした。」とため息をつく。
判決は自白の理由を「DNA型が一致したとの結果を告げられたことが最大の原因」とし、「強く言われるとなかなか反論できない菅家さんの性格・・・」とも述べた。
村岡教授は「菅家さんはDNAのことなんか理解してなかったろうし、まして性格のせいとはとんでもない。原因は捜査側にあることを見逃している」と憤る。その上で誤判を検証する制度として、「第三者機関」の設置を提案する。
佐藤弁護士も「なぜ誤った鑑定がまかり通ったのか明確にしていない。裁判所には限界がある」
と指摘しています(上記中日新聞より)
日弁連は第三者機関である「誤判原因究明委員会」の設置を求める意見書を採択しました。
この制度改革についてはまた改めてエントリーにしてみたいと思っています
- 関連記事
-
スポンサーサイト