教育基本条例だけでもおなかいっぱいなのに、これでもかとまずいデザートを口に詰め込まれる気分です。
ということで三つ目のコメント採用記事。
またまたやらかしてくれていますね。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120222-OYT1T00501.htm
(引用開始)
橋下市長、小中学生の留年検討…尾木直樹氏提案
大阪市の橋下徹市長は22日、小中学生が目標の学力水準に達しない場合、進級を認めず留年させることを検討するよう市教委に要請したことを明らかにした。
同日開かれる市教育委員との意見交換会で協力を求める。義務教育課程での留年は法的には可能だが、実際の運用はほとんどない。
市役所で報道陣の質問に答えた。橋下市長は、教育評論家の尾木直樹氏が学力の底上げ策として、小中学校での留年を提案していることに賛同する考えを示し、「学んだかどうかに関係なく進級させることで、かえって子どもたちに害を与えてしまっている。理解できない子にはわかるまで教えるのが本来の教育だ」と述べた。
義務教育での留年は、現行法でも学校長の判断で可能だが、学校現場からは「子どもへの精神的影響も大きい」との声がある。
(2012年2月22日13時14分 読売新聞)
(引用終了)
ところが提案したとされる当の尾木直樹氏はこういってます。
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201202230030.html
(引用開始)
尾木ママ、機械的に留年は反対 「私の考えと真逆」
2012年2月23日
教育評論家・尾木直樹さんの読売新聞(一部地域発行)のインタビュー記事の提言を受けて、橋下徹大阪市長が目標の学力レベルに達しない小・中学生を留年させることを検討するよう市教委に求めたことをめぐり、尾木さんは22日、朝日新聞の取材に「一律の線引きで子どもを下の学年に落とす運用には反対」と懸念を示した。
尾木さんは、自らの提言について「一人ひとりの子どもの個性に見合った教育を重視する観点から、本人や保護者が希望した場合には柔軟に留年も認めてよいという趣旨」と強調。まずは個人別の時間割り導入や少人数授業などの取り組みを先行させることが前提で、そのうえで留年するかどうかを各家庭で選べる仕組みにすべきだとした。「一定の学力に達しない子どもを機械的に留年させる考えなら私とは真逆。安易な運用は競争主義を生むし、子どもの学習意欲をそぐ」と注文をつけた。
22日、市長は教育委員と意見交換会を開き、委員からも「子どもに劣等感を生む」などの懸念の声が出た。これに対し市長は「学力到達度の低い子は、進級しても授業が理解できない」「わからない授業を延々受けさせると(子どもは)ぐれますよ」と述べ、元の学年にとどめ置く方法ではなく、不得意な教科に限って下の学年で学ぶ「科目別留年」や、学力の到達度が低い子どもを集めて数週間、下の学年で教わった内容を集中的に復習させる特別学校を設置することもできると話した。(阪本輝昭)
全然、話が違うじゃないですか!「留年」と言う言葉に刺激を受けて、話の中身は全く聞いていなかったってことですね。尾木ママにとっても迷惑千万この上ないでしょうね。
自分の都合のいい話だけをつまみ食い。ここでもバカ殿クオリティ爆裂です。
教育は結果が出るのに時間がかかる。教育はその子どもにとってはやり直しがきかないから失敗できない。だから思いつきでポンポン試すわけにはいかない。
そういう趣旨の内田樹教授のエントリーを転載させていただいたことがあります。
●教育は最小の効率で作られる商品ではない~「内田樹の研究室」より転載
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-815.html日経新聞で橋下氏は
http://goo.gl/jLqQK「(理解できなくて)苦痛な授業を毎日受けている子どもの事を考えると、解放してあげるべきだ。留年が当たり前になり、『ちょっと下へ行ってこいよ』という風土にしていくのが新しい教育スタイル」
と述べていますが、尾木ママの「留年」という言葉にビビッときて飛びついただけ。それを新しい教育スタイルとして打ち出していいのかどうか、教育の専門的見地から熟考を重ねて出た発言とは思えません。
橋下市政下ではおそらく「○点以下は一律留年!」というような切り方がなされるものと思われます。でなければ、実施例はほとんどないとはいえ、法的には可能な小中学生の留年をわざわざ「新しい教育スタイル」として打ち出す意味がありませんので。
日本では同学年のまとまりが同時に進級していくことが大前提です。義務教育の次は高校、高校の次は大学、大学の次は就職、決められた順番通り年代レールの上を乗っていくことを求められます。その善し悪しは別にして、それが現実です。せいぜい猶予が認められるのは大学に入るまでの2浪くらいのもの。
また、義務教育時代の子どもにとって学校とは、勉強する場というだけではありません。学校教育は掃除など生活態度を指導したり、部活や運動会や文化祭といった行事にも重きを置きます(だから日本の先生は仕事が多岐にわたってものすごく負担が大きいです。以前頂いた
元おちぶれ教員さんのコメントがとても参考になります)
日本の子どもにとって学校、特に自分の属する学年は自分の帰属する社会そのもので、非常に大きなウェイトを占めます。
そんな環境では、留年は子どもにとっては自分の居場所から切り離されることを意味します。その疎外感とショックは子どもにとって大人が想像するより大きく、学校に行かなくなる可能性も大きいのではないでしょうか。
また小中学生の段階での留年は今の教育環境ではドロップアウトのレッテルを貼られやすくなります。
小中学生の留年は大学生の留年とはワケが違うと思います。
以前フィンランドでは留年が当たり前であることを紹介しました。小中学生でも留年はあります。
しかし、フィンランドでは学校はあくまでも「学ぶところ」であって「生活指導の場」ではないので、先生も生徒の服装や喫煙に対して「生活指導」したりしません。学校行事も日本みたいに多くはなく部活もないようです。
日本とは違って横並び意識も先輩後輩といった観念もないし、同学年への帰属意識も薄そうで、日本の学校とはかなり感覚が違うと思います。
また、日本と違ってフィンランドには「受験」も「競争」もありません。大学に行くのも受験はないです。(だから日本の受験戦争や塾産業が理解できないようです)
そのまま大学へ行く子もいますが、高校を卒業して一旦就職した後、自分の道を探すのに大学に入り直すのがむしろオーソドックスなようです。フィンランドでは日本のように「規定の年代レール」に乗ることを要求されないのです。
つまり年齢関係なくいつでも学びたいときにとことん学べるという教育環境です。
(余談ですが、学校はあくまでも「学ぶところ」という教育環境は、日本のような受験戦争というシステムがないから成り立つのではないかと私は思います。日本のように受験を頂点とするシステム下で学校を「学ぶところ」だけに特化させると、学校が今以上に激しい競争の場になってしまいそうな気がします。)
フィンランドで小中学生でも勉強を理解できなかった子どもは留年してしっかり学び直すというのが「子どもにとって親切なシステム」になっているのは、日本とは教育環境が違う所によるものが大きいと思います。
このような違いを無視して留年だけを積極的に取り入れても、かえって子どもを傷つけるだけで有害ではないでしょうか。
子どもの心理面に悪影響が大きいのではないか、という批判の他、次のような批判もあります。
http://goo.gl/YFwyc
福嶋隆史@ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
橋下氏の言う「留年」制は、発達障害児とその親たちを困惑させ苦しめるだけ。精神遅滞、境界知能、広汎性発達障害、高機能広汎性発達障害、ADHD、LD、発達性協調運動障害、あるいは非虐待児。そういう子をどう判別するつもりなのか、と思う
安易な留年導入は、こういう細かくデリケートな問題にも個別にしっかり対応できるとはとても思えません。だから「教育の現場」から批判がおきているのです。
橋下氏は「教育行政に責任を持てるのは首長しかしない」として首長による大幅な政治介入を押しきろうとしています。
しかしこれは教育について造詣が深いわけでもない「現場を知らない」人間が、教育に携わってきた現場の声を処分で威嚇して黙らせ、自分の趣向でお気軽に「実験」できるようにすることなんだと、この小中学生の留年提唱を聞いてつくづく感じました。
そういう意味でも首長に教育目標を設定されたくないものだと思います。
ところで留年と言えば、私的には憲法が全然わかってない橋下氏に、法学部に戻って憲法を理解するまで留年することをオススメしたいと思います(笑)
(橋下がぜんぜん憲法をわかってないのも、全て憲法9条が原因だと思いますw)
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