今朝のエントリーでは橋下氏の「実績」について書いてみたので、今回は彼の「大衆を喜ばすパフォーマンス」の番です。
こんな動画をみつけました。短い動画ですので、どうぞご覧ください。
VIDEO 書き起こしてみましょう。
僕は権力者で、知事職はすごい権限がありますから、38歳という若さでは当然判断を誤るかもしれない。その予防策として徹底して批判というか、意見をもらうということをやらないと。自分の判断が狂ったことで、府民にとてつもない迷惑をかけてしまう。 徹底して議論する、なあなあにしないことによって初めて良い解決策が出る。
いいこころがけですね。
では実際橋下前知事を批判した人はどうなったでしょうか?
橋下氏の職員宛の配信メールの内容が不適当だと批判した女性職員に対して口頭で厳重注意処分を下しました。
http://www.j-cast.com/2009/10/09051410.html?p=all また、都構想など橋下氏や維新の政策を批判する職員の「追放」も公言しました。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-184588-storytopic-3.html 個人的にでも都構想に反対の意見を持つことを禁じ、都構想への批判、反論を一切封じています。
このように、一切の批判、反論は受け付けず、それに対し処分を下すという橋下氏の態度は一貫しています。
W選翌日に、市役所に出勤した際にマスコミのインタビューに応じ「僕の考えている民意とは違う」「二重行政はよくわからない」(そりゃそうでしょう、都構想自体橋下氏自身プランが未定でわかってないんだから)という発言をした市職員に対しては、それが誰かを突き止め、「反省の弁」を述べさせることまでしました。まだ市長に就任する前にです。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111210/lcl11121012550000-n1.htm この発言はおよそ「市長を批判する」と言う域にまで達していないと思われるのに、それさえ処罰の対象とは、反論どころか一切の疑念を抱くことさえ許さぬ恐怖政治というのがふさわしい粛正ぶりです。
一体どこが
「38歳という若さでは当然判断を誤るかもしれない。徹底して批判というか、意見をもらうということをやらないと」 なのでしょうか?
(追記:そういえばWTC、議会の批判や反論を聞き入れなかったから、とてつもない大赤字にして府民に迷惑をかけたんですよね?)
徹底して議論する?
マニフェストにもなかった君が代条例を出してきて強行採決したのは橋下氏がトップを務める維新の怪ではなかったでしょうか?「多数決で勝てばいい」の強行採決は「徹底した議論」から一番遠い所にあります。
自分の気に入らない少数意見は切り捨て、「選挙で勝ったんだから自分の言うことが民意。それがいやなら選挙で勝てばいい」とことあるごとに強弁するのは、議論の尊重とはおよそ相容れません。
初めて知事に当選したときに口にした殊勝な謙虚さなど微塵もありませんね。見事な手のひら返しです。
さて、このように自分への批判は絶対に許さない、批判を口にする人間は袋だたきにしてやる、というショーを大衆に見せるのがやっぱり大阪市長の職務なのかなぁ、と思ってしまうのが1月15日のテレビ朝日の「報道ステーション」でした。
これについて、広原盛明教授と村野瀬玲奈さんのエントリーをお持ち帰りさせていただきましょう。
◆広原盛明のつれづれ日記
ハシズムを増長させる「政治討論番組」、(大阪ダブル選挙の分析、その8)http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20120120/1327009962 大阪ダブル選挙から2カ月近く経過し、このところ松井知事と橋下市長の過激な言動にはますます磨きがかかってきた。内容を吟味すれば、「憲法無視・法律違反の連発シリーズ」といったところだが、マスメディアがまともな批判をしないのでまるで言いたい放題といったところだ。大阪維新の会がこれほどメディア業界に甘やかされているところを見ると、「ハシズム」が意図的に野放しされているとしか思えない。問題は「それがなぜなのか」ということだろう。 先日(1月15日)、朝日テレビで橋下市長と山口二郎氏(北大教授)の討論番組があった。だが、その中身は「ディベイト」というよりは「汚いバトル」そのものだった。山口氏自身は、かって小選挙区制導入の太鼓を先頭に立って叩いたり、民主党の政権交代に際しては舞い上がってベタホメするなど、とかくその時の政治権力の意向に沿って行動する尻軽のタレント学者だ。しかし、今回の大阪ダブル選挙に限っては珍しく「反ハシズム」の一陣に加わった。 それが橋下市長の気に障ったのだろう。とにかく番組では、初対面の山口教授に対して敵意をむき出しにして攻撃に次ぐ攻撃に出た。それも論戦ではなくて個人攻撃が中心だ。橋下氏の攻撃の特徴は、周知のごとく自分の意見や主張を批判するものは誰であろうと容赦なく敵視し、相手の人格までも全否定するというものだ。それも「私情」を交えたレベルの個人攻撃だから、言葉も態度も品性を欠くことおびただしい。下劣そのものだ。この番組を見ていた遠方の友人がメールで次のようなコメントを送ってきた。 「日曜日、テレビをみていたら大阪市の橋下市長と北大の山口教授の話が聞けました。橋下市長の早口でまくしたて、相手に考える余地を与えない話し方と、答えられないことに対する馬鹿にした話し方がなんとも言えない感じがしました。相手に考える隙をあたえず、本人の言っていることをきちんと考えられないほどのテンポ、すごいですね。おかしなことを言ってもわからないほど、相手に時間を与えません。相手に対する非難というか、馬鹿にしたような感じとか、あれが今の若者に受けるのでしょうか。若者の間に現在の社会を破壊したいという願望のある者が少なからずいるということですから、ああいうタイプがいいのかもしれませんね。でも、あの話術はすごいとしか言いようがありません。田舎者のノンビリにはついていけません」 全く同感だ。私もこの番組は、「テレビというリング上での“レフリーのいない殴り合い”」としか思えなかった。NHKの政治討論番組のように司会者(解説委員)が見るから強引に出演者の発言を規制するのも嫌だが、キャスターやコメンテイターが「レフリー」としての役割を果たさず、討論の「ルール」もないのであれば、腕力が強い「反則技」の常習犯が勝つに決まっている。これではフェアーな討論番組とは到底言えない。 だが恐ろしいことは、面白半分の視聴者が「これが討論番組だ」と思ってしまうことだろう。タレント時代の掛け合い番組ならまだしも、現在は公的存在(公人)である橋下市長に対して、テレビ局が視聴率を取るためにだけ「自由に喋ってください」という約束でもしていたのなら、これは政治討論番組としては自殺行為に等しいといわなければならない。 このままでは山口教授ならずとも橋下市長との「討論番組」に出る人は今後いなくなるだろうし、お相手するのは大阪維新の会の顧問の面々など「同じ穴のムジナ」だけになってしまうのではないか。そうなれば番組は「ハシズム宣伝」の場となり、政治世界の劣化がますます進むことになる。確固とした政治的見識と民主主義的教養を備えたキャスターを起用し、かつ討論のルールを事前に番組出演者に了解させない限り、この種の醜いバトルはこれからも無くならないからだ。 (引用ここまで)
橋下氏は自分以外の人間を敵味方の2種類に分け、敵とみなした山口氏を徹底的に晒すことを目的で来ているわけですから、建設的な議論など成立する余地がありません。ましてや番組自体が「公平中立なレフリーを置かない」状態で橋下氏に肩入れしているのですから、フェアな議論になりっこありません。
◆村野瀬玲奈の秘書課広報室
自治体首長の仕事は、テレビ論争で勝ち誇ることではない。 (報道ステーション2012年1月15日、「橋下徹vs山口二郎」)http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3143.html (引用開始) 動画と「セロン」の書き込みを見て思ったことは、これは「政治はどうあるべきか」を第三者のジャーナリズムの目で検証する「報道番組」ではなくて、「テレビ上で勝ち誇る芸」を持っている者に思う存分芸をさせる「いじめエンターテインメント番組」だということです。ですから、山口氏が言い負けたように見えるのも演出通りということになります。 結果的に、山口氏はそのことを理解していなかったことになります。北海道大学所属の山口氏は、うちの記事、『橋下徹式言論「テクニック」の舞台裏 (中島岳志氏、マガジン9)』で紹介した、中島岳志・北海道大学准教授にあらかじめ話を聞いたとは想像しますが、「大衆迎合主義と世論操作の弁論術がはびこっている現場」(?)を充分に見ていなかったことは否めません。 いえ、この「対決」で「負けた」山口氏をなじりたいのではありません。なぜなら、「橋下市長に迫る!日本をどう変える?」って字幕が出ていることからもわかる通り、テレビ局からして橋下に負けているからです。 「大阪をどう変える?」ならまだしも、「日本をどう変える?」ですよ?単に一地方自治体の首長にすぎない橋下に日本全体を「献上」して、「どうぞ閣下のお好きなようになさってください」って媚びへつらっているのですから。橋下を出演させて独演会をさせると視聴率が取れるとテレビ局は知っているからです。橋下人気、大したものです。 こんな状況では、橋下に「負けた」と感じない方法はただ一つしかありません。(注意!「橋下に負けない方法」ではありません。橋下に負けたと感じない方法、です。) それは、橋下の軍門に下って橋下の言うことこそが自分の考えだと信じること、橋下に取り入ることだけです。だから、「議論に負けることが嫌い」な人々は橋下に吸い寄せられることになります。視聴率命のテレビ局は、橋下の言うことを「検証」するふりをして無条件に宣伝する番組の作り方をすることになります。 つまり、本当に橋下に負けているのは、橋下政治や橋下の論争テクニックに深くツッコミをいれないまま橋下にすり寄っている者全般、簡単に言えば橋下支持者ということになります。橋下に本当に負けているのは、自分では大した努力もしないで勝つ快感に酔いたい者なのです。そういう者は、橋下支持者だから橋下に論争で負けていないように見えるだけです。 もちろん、本当に橋下に負けている者の中には、こういうテレビ朝日のようなテレビ局も含まれます。 山口氏はわが身を犠牲にしてそのことを示してくれたことになります。お疲れ様でした。 (引用ここまで)
垂れ込み部屋の私のコメントもついでに。
(私のツイート) ツイッターを見ると今朝のテレ朝はバカ殿が山口氏を「学者は世間知らず」という中傷を一方的にまくし立てるだけで議論という体ではなかったようだ。彼はまともな議論をするつもりなどもちろん最初からないだろう、まともな議論では自分が負けることは彼は重々知っている(続) posted at 16:46:52 彼の目的は議論ではなく公開処刑だ。視聴者に自分が勝利したという印象さえ与えることができれば公開処刑は成功だ。かれは大学教授相手でも弁護士相手でも今後もそういう姿勢で処刑に臨んでいくだろう。学者は「まともな議論」には慣れているけど、こういう低次元のまくし立てには慣れていない(続) posted at 16:47:11 だから今後彼に論戦を挑まれたまともな学者は、「バカがちゃんとバカに見えるようなあしらい方」を学んでおいて彼に対峙しなければいけないと思う。絶対に。でなければ世間は彼に軍配をあげる。勝てば官軍だ。彼に勝たせてはいけない posted at 16:47:38 一番いけない対応は「彼は話にならない、好きに勝利宣言してれば?」と肩をすくめて立ち去ることだと思う。バカ殿は相手が呆れて試合放棄することも想定内だ。今の世間はこれで彼は勝利したと判断する。それを放置するのは結果的にニーメラー警句を無視してるのと同じ効果をもたらすと思う (ここまで) そもそもバカ殿翼賛TV局でバカ殿の取り巻きどもに集団リンチにあうだけの不公平な「討論会」にでることがいいのかどうか私にはわかりません。 ただ、もし出るならば、お茶の間で彼の信奉者をこれ以上増やすことだけはしてはならないと思います。 どうせ端からまともな議論など無理だと覚悟を決めなければいけません。 (略) あと、こちらのツイートの一部を。 http://twitter.com/#!/k049118 k049118 元官僚R.S. そして、橋下は議論をしない。特に論理的な議論に対して「空論」というレッテルを貼り、相手方の意見はもちろん議論自体の重要性をも否定する。橋下は自分が説得されるということを認めない。相手方との妥協点を探る努力もしない。ただの二者択一、自分に従うか否かである。 橋下のしていることは「政治」ではない。もちろん、民主主義でもない。「宗教」しかも他の神を認めない不寛容で排他的な「一神教」の世界である。橋下は「政治家」ではない。「政治」を「宗教」の方法により破壊する邪悪で卑俗な「新興宗教」(維新の会とか自称している)の「教祖」である。 今日のテレビ朝日の橋下市長対政治学者・山口二郎の討論なるものはテレビ朝日が作り上げた橋下プロパガンダ番組である 山口教授は、議論をし、論理的に相手を説得し、自分の考え方を理解させようとする。しかし、橋下の方には議論する意思すらない。橋下は、論理的な説得過程ではとうてい山口教授の敵ではない。だから山口の議論から「現実を知らない空論」と切り捨てる。 橋下氏は山口教授と妥協点を探る意思も最初からない。学者として討論のルールに則って議論を進める山口教授と最初から議論する気もなく、ましてはそのルールを守ることなど全く念頭にない橋下とでは、話がかみ合うはずがない。 説得を試みる山口教授と最初からそんな議論する意思すらない橋下。これを橋下は「現実」が「空論」に「勝利」したと大声で宣伝する。この番組はもともと茶番であり、橋下が勝ったように見えるように仕組まれている。山口教授は「犠牲の羊」に選ばれただけである。 (ここまで)
さて、このテレ朝での公開処刑、もとい、議論で、どんな実りが得られましたか?
橋下支持者にとっては「反抗する憎たらしい学者をとっちめてやった」という「快感」が得られたことでしょう。
で、その快感は、政策の内容を明らかにし、改善するのに役に立つのでしょうか?
橋下氏の政策の具体的にどんな点が長所でどんな欠点があるのか、こういう大事な所は、山口氏をけなして「勝利宣言」するだけの「議論」の中では何も明らかになりません。
つまり、「観劇してる間は楽しいけど終わったら何も残っていないパフォーマンス」「政治ごっこ(by玲奈さん)」でしかありません。
私たちはこんなパフォーマンスが政治だ思わされていてはいけないのです。
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