コメント
負けと考えた時が負け。
葉月教祖、私、一生教祖の教えについていきます!メイド姿でクレヨンしんちゃんの物まねをする教祖が夢に出てくるまでがんばります!
ちゃんと壺も買って、メイドの土産にします!
...大阪には、橋下にも松井にも投票しなかった人が数十万人いることを忘れてはいけないですね。希望を失ってはいけませんね。
天の声が聞こえたような
お呼びになりましたか?
はい、わずかとはいえまだ反ファシスズムの人間は存在します。私には西谷文和様のような行動力はないのですが、例え小さな声でもあげていきたいと思っています。村野瀬様、本年も何卒よろしくお願いします。
2割しかいない少数派の府民 様…
ハシズムの台頭は、一過性の“流行り病い”の様なものであると、わたしは確信してます。
新自由主義・市場原理主義の嵐により傷め付けられた、生活保護受給者を労れない政治などは、早晩、化けの皮が剥がれるに決まってます。 大切な未来ある子供達を戦場に送らないとの一心で、平和教育に心血を注がれてみえる数多くの良心的な教職員を抱える日本教職員組合を目の敵に袋叩きにする様な、危険窮まりない独裁者の末路は、たかが知れてます。 “天網恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず”、悪事は永くは続かないものなんですよ…、お天道様が見過ごす筈ございませんもの…。
公務員を袋叩きにする様な“共生社会”に逆行する様な妬み・ソネミの“負の感情”が支配する社会は早晩崩壊するのは歴史の必然です。他人の幸福を心から願うことのできる社会の実現を願うばかりです。
2割しかいない少数派の府民 様…、貴殿は、わたしたちの希望の光りです…。今後の明るい大阪のため、なお一層のご活躍に期待させて頂きます。(^_-)-☆
>村野瀬玲奈さん
え、まだですか?
壺は2割しかいない少数派の府民さんに在庫全てお求めいただいたので切らしているのですが、
実は、壺なんかよりももっと霊験あらたかな印鑑があるのですw・・・・|_(-w-)b
>青い鳥様
>ハシズムの台頭は、一過性の“流行り病い”の様なものであると、わたしは確信してます。
確かにそうなのかもしれません。しかし、かつてファシズムという“流行り病い”が治癒するのに、どれだけの血が流れたことでしょう。すでに化けの皮なんて剥がれているにもかかわらず、そんなことも無視して大阪では扇動政治が続いています。大阪も滅茶苦茶になるまで“流行り病い”は治らないのではないか、と思っています。私はすでに大阪は手遅れ、多少ましなほうに傾いても少なくともここ10年で多くのものを失うのではなのではないかと言う思いが強いです。またしてもといわれるかもしれませんが、まだファシズムに犯されていない地域の皆様に、賢明なご判断をしていただきたいと思っています。
>2割しかいない少数派の府民 様…、貴殿は、わたしたちの希望の光りです…。
おだてても何も出ませんよ・・・あ、今ならブログ主様から
冗談はさておき、私はたいした力もない平凡な(ちょっと天邪鬼な)府民に過ぎませんよ。同じ府民でも観測霊様たちのような知性あふれる人こそ希望の光にふさわしいですよ。
と他人に押し付けてしまいましたが、もしかすると「○○は希望の光」、と言っていること自体、ファシズムに犯されている兆候なのかも知れません。民主主義とは英雄崇拝ではなく平凡な人間の衆議こそよしとする考え方なのですから。
すみません、せっかくおだてていただいたのに、ついこんなことを自戒の意味も込めて書いてしまいました。このあたりが天邪鬼たる所以です。もしご気分を害されたならお詫び申し上げます。
ということで、本年もお見捨てなくいただければ幸いです。
> 青い鳥さん
なにやら呼ばれたような…と思ったら、なんとも過分なお言葉をいただきまして(^_^;)
知性、と言われると自分には縁遠いよなぁ、と遠い目をしてしまう観測霊です。基本的にわたし、ツッコミ体質なだけなんですよね(笑)
ちなみに当方には秋原さんより下賜されました霊験あらたかな掛け軸が(以下略)
と、冗談はさておき、誰かを「希望」と感じることについて、少し。
> 「○○は希望の光」、と言っていること自体、ファシズムに犯されている兆候なのかも知れません。民主主義とは英雄崇拝ではなく平凡な人間の衆議こそよしとする考え方なのですから。
という2割しかいない少数派の府民さんのお言葉に全面的に賛同します。その上で、たとえばここで秋原さんの記事や皆さんのコメントを見て元気付けられたり、気づかされたり、勉強させてもらったりすることで得られる「希望」というのは確かにあると思うのです。
ここでは「希望」を「志向する社会への希望」という前提で話を進めますが、それは”とにかく強いものが勝てば大概うまくいく”と考える新自由主義的な弱肉強食の世界ではなくて、もっとお互いに傷つけあわずに済むような、ちょっとでもマシな世の中を少しずつでも目指していくという方向こそ、自分たちが選ぶべき道じゃないのかという考えを確認する、あるいは新たにすることで湧いてくる「希望」です。
平たく言い換えれば「世の中まだ捨てたもんじゃないし、まぁもう少しだけ投げださずにやってみようか」って気分ですよね(笑)
そうして得た「希望」を誰か任せにしてしまうのは「ファシズム」あるいは「英雄」を志向するのと変わらないわけで、そうならないためには思考する事と、声をあげることを辞めないようにすることが大事かなと。
どんなに「いい政策」でも、それに対して誰もツッコミが入れられなかったり、待ったがかけられたりしないのはやはり危ないわけです。なぜなら人は間違うから。これは全人類の経験則ですよね(笑) で、いつ間違うかわからない以上、常にチェックとツッコミは必要なわけです。
そしてツッコミを入れられる人間が多数とは限らない。だから民主主義社会ではどんな少数意見であろうと、無視したり弾圧したりするべきでないのだと思います。わたしたちは常に思考して発言していかないといけなくて、これはこれで結構しんどいんですけども、やらないわけには行かない。
個人的には「ツッコミは民主主義社会の義務だ」と確信しておりますけども(笑)
同じように「希望」を持ったことで気持ちを新たにしても、その希望について思考し、声をあげることが大事だと思うのです。声をあげれば議論が起きます。議論が起きれば、互いの思考が問題点や新しい視点に気づくかもしれない。
そうして議論を重ねていけば、同じ方向を向いている人、向いていない人とでも少しでも連帯していくことができる、合意点を見つけることができるのだと思います。それは「ファシズム」を下支えするのではなく、より「マシ」な社会を自分たちの声で造っていくためのちからになり得るのではないでしょうか。
長々と書いて思い至ったのは、「希望」というのは、個人の中で完結させちゃいけないものかもしれない、という事です。自分の中で「希望」をしまい込んでしまったり、誰かに丸投げして終わってしまったりしたら、誰もその「希望」にツッコミを入れる事ができなくなってしまいます。そうではなくて「希望」を出発点にして、それを口に出して議論して考えてを繰り返して、初めて「希望」は現実の政策になるわけで、言ってみればわたしたちには自他の「希望」にこそツッコミを入れていくような思考と言葉が必要なのだと思います。難しいですけど。
でもその議論の中で、「希望」を新たにしたり、新しい「希望」が得られる事もあると思います。
そういう意味で議論の中で「希望」を与えてくれる人たちを「希望の光」と、個人的に位置づけるのはありかもしれません。でもそれはその人を「英雄」にしてしまうものであってはいけないでしょう。それは思考も発言も議論も放棄するものですから。
以前秋原さんが書かれたように「英雄を必要とする国は不幸」です。そこでは英雄にさせられてしまってたった一人ですべての責任を負わされてしまう人も不幸ですし、その人にすべての責任を負わせて自分たちの権利と責任を放棄してしまう多くの人たちも不幸です。
秋原さんは英雄ではないし、わたしもコメンターの皆さんも違います。そうあるべきではなし、そうするべきでもない。でもその上で、互いに互いを対等な「希望の光」として、連帯していくことは可能だと思うわけです。
まぁ、言うほど簡単なことではないですが(^_^;)、そうなれたらいいですね的な「希望」として…。自分も偉そうにいえるような人間ではありませんのに、口幅ったいことでお恥ずかしいです(^_^;)
ありがとうございます(v^-゜)
>観測霊様…
おふた方とも、適切なアドバイスを頂きまして、ありがとうございます…(^人^)
わたしも秋原葉月様の、霊剣灼かな“壺や掛け軸”の御利益に肖りたいものです、、アハッ(^O^)/
そういえば、故筑紫哲也さんが生前述べられてました…『民主主義は非常にまどろっこしく、面倒臭く、いらいらする時もあります。だから安心できるのです。…』と…。
やはり個人に丸投げすることは、非常に危ういことなんですね…。わたしは秋原葉月さんや、このblogの常連の論客の皆さんに色々と教えられています。だから尊敬の念を抱いているのです。言い方が適切ではなかったかなぁ…、アハッ(^^ゞ やはり観測霊さんが記された通りだと思いますね…。健全な民主主義は、不断のチェックや突っ込みによって収斂・洗練されてゆくものなのかも知れませんね…。 小泉純一郎氏や石原慎太郎氏、橋下徹氏がこんなにも人気を博する異常な現在の状況も深く冷静な目で、科学的に考察、分析する必要がありそうですね…。ひと昔前の日本なら、“揺り戻し”なる現象がまま見られたものですが、小泉劇場型政治からこっち…揺り戻しの気配も感じられない…、経済も然り、だいたい資本主義経済はおおよそ、8~10年周期で好不景気を繰り返すものと相場が決まっているのですが、ブラックマンデー、バブル崩壊以降、長期間不景気のままです…。やはり資本主義経済の終焉に差し掛かる兆しではないかとわたしは考えています。ネオコン・市場原理主義経済は歯止めがなく、大資本家の欲望にまかせた暴走列車の如くで実体のないマネーゲーム・博打経済だから行き詰まるのは当然の帰結なんですね…。ここで従来とは全く違うパラダイムの経済システムの模索をする絶好期であるという捉え方も大切であると考えます。大資本家も、資本主義の限界は充分に理解しているが、今まで己が信望してきた資本主義経済の終焉など口が裂けても認める訳にはいかない…そう今、膠着状態なんですよ…。今の経済を民主的経済にドラスティックに変革するチャンスであると思います。まずは庶民の暮らしに安心と安定をもたらすことを優先的に実行するべきでしょうね…、あとはじっくりと腰を据えて国民的議論を…と、いきたいもんですね…。
http://os7.biz/u/FLIwY
(引用ここから)
ビル購入費訴訟に橋下市長「選挙で落とせば…」
耐震性を十分調査しないまま、大阪市住之江区の旧WTCビル(現・大阪府咲洲さきしま庁舎)を購入して大阪府に損害を与えたとして、市民団体「おおさか市民ネットワーク」のメンバーら82人が12日、松井一郎知事を相手取り、前知事の橋下徹・大阪市長に同ビルの購入費や移転費など96億3000万円を返還させるよう求める住民訴訟を、大阪地裁に起こした。
訴状などによると、橋下市長は知事時代、府本庁舎(大阪市中央区)を同ビル(55階建て、256メートル)に全面移転する構想を表明し、一昨年6月、市側から約85億円で購入した。しかし昨年3月の東日本大震災時に壁など約360か所が損傷し、専門家から揺れに対する弱さを指摘されたため、全面移転を断念。現在は第2庁舎として使われている。
今回の提訴について、橋下市長は報道陣に「議会で議論し、賛成を得たが、たまたま震災で問題が生じた。将来のことまで予測できない。移転反対の人たちは選挙を通じ、僕らを落とせばよかった」と話した。
(2012年1月12日12時07分 読売新聞)
(引用ここまで)
要は勝てば官軍、ということらしいです。ていうか府議会の反対を押し切って購入したくせに、責任だけは府議会と折半ですか。いいご身分で、としか言いようがないです。
しかし、この言に従うと「結果責任は負わなくていい」という事になるんですが…。
http://os7.biz/u/clh9v
(引用ここから)
大阪市長選挙及び大阪府知事選挙における投票管理システムの不具合に係る選挙管理委員会の見解表明に対して
平成23年11月27日に執行された標記選挙における投票管理システムの不具合に関する選挙管理委員会としての見解が表明された。
選挙管理委員会は独立した委員会であり、市長の権限外であることは十分認識しているが、市民を代表する立場にある市長としての見解を申し上げる。
今回のシステム障害は、市内の広範囲にわたって受付処理の遅延が生じたことで、投票せずに帰られた方も相当数おられるなど、有権者の投票行動に大きな影響を及ぼすことになったものである。この点、選挙管理委員会としても、有権者の信頼を大きく損なったことについての結果責任は重大であると認識しておられる。
しかしながら、最終的には、再発防止の対策と事務局職員への厳重注意という措置にとどまっており、明らかに甘すぎる対応と言わざるを得ない。
市民目線から見て、また民間企業に比べて、公の組織は結果責任を問われるということについての認識が甘い。とりわけ今回の事案は選挙制度の根幹に関わる重大なものであるとともに、選挙結果にも影響を及ぼしかねない問題であることをふまえ、厳正な対応が必要であると考える。
平成23年12月28日
大阪市長 橋下 徹
こちらでは「結果責任」の取り方が甘いと選挙管理委員会を批判しておられます。いや、素晴らしいダブスタぶりに当方頭痛が治まりません。
酔っ払いの戯言で申し訳ないですが
>> 「○○は希望の光」、と言っていること自体、ファシズムに犯されている兆候なのかも知れません。民主主義とは英雄崇拝ではなく平凡な人間の衆議こそよしとする考え方なのですから。
>という2割しかいない少数派の府民さんのお言葉に全面的に賛同します。その上で、たとえばここで秋原さんの記事や皆さんのコメントを見て元気付けられたり、気づかされたり、勉強させてもらったりすることで得られる「希望」というのは確かにあると思うのです。
すみません。不覚にも涙してしまいました(マジです)。正直書いた本人も「何をキザなことを」をというご批判を覚悟してあえて書いたのですが、私以上に発言の趣旨をご理解いただける方がいらっしゃることが改めて証明されたことに、本当に涙してしまいました。
それにしてもバカ殿の跳梁振りにはあきれるばかり。土曜日の朝日新聞朝刊に載っていたのですが、バカ殿は小中一貫特進校とほざいているのですが、なんとそのうちの一校は自身の出身校を選んだとのこと。理由はなんと自分はその地区の路地裏まで知っているからとのこと。こういうのって普通は露骨な利益誘導だと思うんですがねぇ。
(すみません、誤字脱字がひどすぎるので修正しました)
訴訟対策?
松井知事、大阪府庁「美術館転用」に改めて意欲
読売新聞 1月15日(日)19時42分配信
大阪府の松井一郎知事は15日、府庁本館(大阪市中央区)の活用策として、「歴史的価値のある建造物なので、美術品を展示し、建物と両方観賞してもらえる観光スポットとして使いたい」と述べ、大阪市が計画する近代美術館への転用に改めて意欲を示した。
転用の前提となる咲洲(さきしま)庁舎(同市住之江区、旧WTCビル)への移転については、「国の中央防災会議の結果を見て決定する」としつつ、橋下徹知事時代に否決された全面移転条例案の府議会への再提案を検討することを明らかにした。
美術館への改修費については、「(府と大阪市の)2つの役所で予算を足したら、200億円プラスアルファで非常にいい整備ができる」と、府市共同で負担するアイデアを披露した。
最終更新:1月15日(日)19時42分
まあ、アイデアとしては悪くはないですが。
結局のところなんとしてもWTC購入を失政にしたくないのでしょうね。中古不良物件購入という大失政を隠すために、何としてでも移転を実現しなければならないのでしょうね。
だいたい、122億円を予算の無駄として中止した施設に、さらに約80億円もの負担を増やすことが許されるのでしょうか?しかも大阪市の所有物である美術品の収容施設について、何で大阪府知事が口出しできるのでしょうか?
WTCを使うということは、それだけで血税の無駄遣いということ。大阪市の財産に口出しする前に、大阪府の知事として負の遺産の整理をまずやるべきでしょうに。もちろん、負の遺産を作った人の責任追及もお忘れなく願いたいものです。
>2割しかいない少数派の府民さん
楽しい新年会から酔って帰ってきたところで、すぐに寝ないでこのブログを読みに来るとは、ドSメイドさまの忠実なしもべですねw
いえ、真面目に、2割しかいない少数派の府民さんのような方の発言は本当に貴重だと思います。これからもご発言に期待しています。
>松井知事、大阪府庁「美術館転用」に改めて意欲
「なんとしてもWTC購入を失政にしたくない」としても、咲洲にみんな移転したとして、その後で地震でも来て建物が倒壊して死傷者が出たらどう責任を取るつもりなんでしょう、と単純に思います。府議会では、府議会議員は徹底的に質問して言質をとっておくべきですね。「地震で咲洲庁舎がさらに損傷、倒壊などして死傷者が出たら、どう責任を取るつもりか。あるいは責任を取らないつもりか。責任を取らないのなら、責任を取らないと明言しなさい」と。
もしも地震が起きるなら、せめて建物に誰もいない夜間になってほしい、と心から祈ります。
>皆様へ
頼りない管理人ですが、どうぞこれからも切磋琢磨しながら連帯して併走していけるブログになりますよう、どうかよろしくお願いいたします。
AfternoonCafeは皆様
今後とも皆様が
当Cafeオーナーの不肖、私、美形メイドで時々信者に壺を無理矢理買わせるドSの教祖秋原葉月に
跪きなさい!
(笑)
>観測霊さん
アクセスもあがりそうな気がしますw
>2割しかいない少数派の府民さん
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/9e5795ff807ac74ba3f42256259238f0
「もし、この訴訟の終結前に、大阪府と大阪市が統合して大阪都になれば、一つの法人格となりますから、大阪市から大阪府が旧WTCを購入して大阪府が損害を被ったという問題がなくなり、この訴訟は訴えの利益がない、ということになるかもしれません。
スピード感満載の橋下氏と維新の会の「大阪都構想」には、尻に火が付いている橋下氏の裁判逃れの思惑もあるのでしょう。この裁判で大阪府が負け、大阪府が橋下氏に100億円近くを請求することになったら、彼は破滅なのですから。」
(引用ここまで)
都構想を急ぐのはこんな思惑もあるのかもしれません。
にしても、失態を隠すために職員の命を平気で危険にさらすって、どういう暴君だか、秋原顔負けのドSですね
恐縮です。もう、ただひたすらそれだけ(^_^;)
蛇足かもですが、「議論の中に希望がある」というのが書きながら考え至ったことなのです。それは違う意見の人とも話し合えるという希望であり、合意点が見つけられるという希望であり、暴力によらず話し合いでこそ問題は解決されるという希望です。もちろんどれも必ず、というわけではなく”可能性としての希望”ですが、議論を放棄して人の尊厳や命を奪うやり方よりは絶対にマシであると確信しています。
> 秋原さん
ははーorz
しまった、これではドSメイド様に跪くというより、ドSなお姫様にひれ伏す感じに!(笑)
> こういうダブスタをまとめておいて、バカ殿・華麗なるダブスタ遍歴でも作りましょうかw
期待しています(笑)というか、すごい大変そうです(^_^;)だって、あの人は発言するたびにブーメランだったりダブスタだったりしますから、実質的にすごい詳細な橋下語録になりそう(笑)
この日にふさわしい話ではないかもしれませんが
実は震災の2日前の日曜日に神戸に出かけていて、きれいな神戸の夜景を見ながら帰宅したのを覚えています。そのたった2日後の朝にいきなり起こった大震災でした。震源から遠かった私の家でも大きな揺れが起こり大変なことが起こったことはすぐに直感しました。そして、時間がたつにつれテレビに映し出される現実。自然界では2日なんて誤差のうちにも入りません。もしかしたら自分があの真っ只中にいたかもしれないと思うと、見ているうちに慄然としました。2ヵ月後くらいに復旧した鉄道で神戸を通過したとき、街のいたるところにひしゃげた建物(それも結構しっかりしたつくりに見えるビル)があるというありえない光景が広がっていました。あれから17年もたつんですね。今では表面上は震災の傷跡は消えつつあるようですが、未だに解決していない問題もあるようで、まだ震災は終わっていない実態が報道されていますね。
さてこの震災で私たちが学んだことのなかに、
・防災拠点の重要性
・埋立地の液状化の問題
・震災時に孤立化しやすい人工島
があったと思います。この教訓から学べば、人工島に建てた耐震性のない高層ビルを、防災拠点とすることなどもっての他というしかない愚策であることは火を見るより明らかなことのはずです。にもかかわらず、大阪ではそのような中古不良物件に府庁を移転しようと必死になっている勢力が存在します。そしてついにはこんなことを言い出しています。
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001201170003
「咲洲庁舎周辺で防災拠点も」 松井知事
2012年01月17日
松井一郎知事は16日、咲洲(さきしま)庁舎(大阪市住之江区)への本庁舎の全面移転について、報道陣に「事務所として機能を果たせるとわかれば、しっかり使いたい」と述べ、防災拠点に不向きな場合も、別の防災拠点を周辺に設けて全面移転をめざす考えを示した。
松井知事は新年度、咲洲の耐震補強策を検討する専門家会議を設置。国の中央防災会議が夏までに示す巨大地震のシミュレーションを基に庁舎利用に必要な補強策を検討し、全面移転の可否を最終決定する方針。
大きな揺れで損傷するなど、防災拠点に不向きと判断された場合も「咲洲周辺でも防災拠点を考える」として移転をめざすという。
一方、全面移転後に府庁本館(大阪市中央区)を近代美術館とする松井知事の構想について、大阪市の橋下徹市長は「122億円でしょぼい美術館を造るよりも、府庁本館の方が良い」と評価。ただ「(市に美術館用地を売却した国からの)違約金の話もある。しっかりと検討する」と述べた。
防災拠点としての機能を含めて府庁舎にするためWTCを購入したはずなのですが、なぜか役立たずの不良中古物件へ強引に移転するために新たな防災拠点と称して更なる血税の垂れ流しをするという本末転倒にもほどがあるトンデモぶり。この権力亡者たちには過去から学ぶということも、税金のまともな使い方も理解が出来ないのですね。
大震災の追悼の日にというのに、ふさわしくない話になってしまったかも知れませんね。改めて震災で命を落とされた方に、哀悼の意を表したいと思います。合掌