コメント
ミュージシャンは持ち出しも多いはず
知り合いに、「プロ」のジャズマンがいるのですが、楽器やそれらのメンテナンス・消耗品などは個人の持ち出しです。おそらく、オーケストラもそうでしょう。
私自身も楽器が趣味なので解るのですが、楽器なんてほとんど「財産」ですから。仕事になる「音」を維持し続けるためにどれだけお金がかかるか…。
その他に、練習場所の確保(バンド練習意外で、個人練習も必要、スタジオの確保や自宅の防音、練習によっては録音が必要な場合もありその機材の確保など、楽器を弾く事自体にお金がかかる)ステージに立つための衣装など、相当、持ち出しが多いはずです。
そう考えると、オーケストラをやっているほとんど方々が、かなり苦労されていると思われます。
知恵袋にもある通り、音楽をやっているほとんどの人が、「兼業」です。
もちろん、本番や練習のために時間の制約もあるわけで、「兼業」できる仕事も限りがあるでしょう。
音楽講師などはまだ、音楽に近いだけましでしょう。
知り合いの「プロ」のジャズマンは、パート事務として、私の勤務先で働いていました。
橋下氏に言わせれば、「実力がないから」ということでしょうが、そもそも、実力を伸ばすどころか、“芽”を育てる環境すらぶち壊してるわけですから、「何言ってんだ!?」って感じです。
首長の資格ナシッ!
>橋下氏は知事時代、「行政や財界はインテリぶってオーケストラ(が大事)とか言いますが、大阪はお笑いの方が根付いている」と発言。
橋下徹は自分を何様だと思っているんでしょうかね…?。彼の文化に対する造詣の無さには、呆れ返りますね。文化の発展に尽力してみえる方々の生活を破壊する蛮行ですね。橋下徹は、大阪を対立構図に染め、更に人間に潤いを与え、教養を培う大切な文化・芸術を根絶えしにする、とんでもない人間ですね…。ひょいと出の青二才に、古くから営営と築かれてきた文化芸術が、一瞬にして壊される…。何とも恐ろしいですね…。最後の砦である議会も親衛隊で占められる…何としたものか…。
大阪が殺伐とした文化のない都市にならないことを祈るばかりです…。
自分の理解できない文化は潰れてしまえって、ネット上の荒らしと同レベルですよ。全く。
彼は芸術にコンプレックスがあるにちがいない
文化は行政が育てるものではないことは確かにそうですが、バックアップするのは行政の仕事のはずです。(でも大阪から国際的な演奏家が登場したら態度を一変させるかもしれませんね)
人間は行政が育てるものではないので生活保護や各種手当てなんて全部カットなんてことになるかもしれませんね。
福祉は行政が育てるものじゃないとか言い出しそう
福祉関係とかも(すでに削減されていますけど)手当てとか支援は一切打ち切りで「やりたければ、無償のボランティアですべき。そんなのに血税を使えるか!」とか言い出しそうな気が致します。福祉関係は全部、募金とボランティアのみとか。
たとえば進学率・就職率の悪い高校に投じるお金は、「金を生み出さず」「ムダ」だから潰してしまえ、ということになるのではないでしょうか?
高校・大学で知識や視野を広げ、また感性や態度を磨くことが、その人の人生にとってお金に代えられない価値があるということは考えもしないでしょう
(以前に府立大学に対して取った態度から考えても、彼はお金にならない教育・学問には本当に価値を認めず「自己満足」とまで言っています)
そして、技術もなく知識も乏しく、十分な就職口があるわけでもない「中卒」で多くの子供を社会に放り出すことを「無駄をなくし、子供たちをぬるま湯から出すのだ」と誇るような気がします。
Re:
このままでは世界はおろか、日本国内ですら大阪の子供は他所へ出たらやっていけなくなるんじゃないか、などとふと考えてしまいます。
余談ですが、橋下氏をはじめ維新の議員や関係者には、大学生活を関西圏以外で送り、その後若くして地元に戻ったという経歴の人が結構目立ちます。
人には色々事情があるので出戻りを頭から否定するわけではないのですが、学生時代ずっと関西だったという、大阪によくあるパターンの人が維新では逆にあまり目立たないので。
彼らの言動や行動パターンのヒントとなるものが、このような経歴に何か関係あるんじゃないかなと、私は時折感じていますが、うがち過ぎでしょうか。
為政者にとって文化は恰好のアピール材料のはずなのに
>たしかヒトラーも画家を目指していて挫折したことで絵画にコンプレックスがあったんじゃなかったですかね。橋下さんも音楽でなにか挫折があったのかもしれません。小学校の時のリコーダーがだめだったとか…。
評価するわけではないですが、ヒトラーの場合、映画監督のレニ・リーフェンシュタールを発掘し「民族の祭典」という、「芸術という観点」からは、一応、傑作と評される映画を作らせているわけですから、ヒトラーなりに文化対する造詣はあったという意見は少なからずあるようです。
※レニ・リーフェンシュタール(Wikipedia)
http://goo.gl/rxtJH
もっとも、その一方で、当時の前衛芸術をことごとく弾圧し、それらの芸術家がアメリカに逃れることで、戦後、アメリカが世界文化の中心となっていきます。
アメリカ政府も、「ナチスに勝利した自由の象徴」とすべく、冷戦下のプロパガンダとして積極的に利用するわけですが…。
(アメリカ文化特有の「自国政府を批判する自由」も、この頃に発展するのがアメリカの面白い所です)
要は、目ざとい為政者にとって、文化の成熟度というのは、自らの正当性をアピールする恰好の材料になるわけで、イシハラ氏でせえ「オレは文学者で文化人だ!!」鼻息荒く無駄遣いするのに、ハシズムにはそういう香ばしさすらないあたりに「B」級政治臭がプンプン漂ってきます。
文化とは
確かに一理あるとは思いますが。
大阪の場合は、経済悪化は首都東京に本社企業、大企業を持ってかれたのが大きいので、東京一極集中ファシズムとも言うべき現体制をやめさせれば解決するでしょう。首都東京は文化的にも芸術的にも潤っているようですけど、首都だからこその都市繁栄があってこその発展があるのでしょう。お笑いの殿堂の国立演芸場まで国立という東京の土地柄ですし。
いち都市だけが大金持ちになっても、日本全体にとっては文化的、芸術的ではありません。それより根こそぎ持っていったものを半ば強引にでも大阪に返してやれば、それで文化や芸術が成り立つのなら、返したほうがいいいいです。
とはいえ東京一極集中ファシズム打倒は無理ですね。東京一極集中ポピュリズムとも一体ですから。これを批判することすらマスメディアも許さないでしょうし。東京一極集中独裁には困ったものです。
うーん、じゃあ海外オーケストラってのは楽器の整備、購入は一切してないんですね? いやはやすごい。 スタジオを借りての練習とか一切なし。ぶっつけ本番! なるほど、これならお金かからないね!
――市長殿がWTCの購入とかしなければねえ(ボソ
Re:
それすらしようとしないで飼い殺しにするのはなぜなんだろう?
オーケストラしかり児童文学館しかり。
たとえ自分が嫌いなものや興味のないものでも、他所へもっていかれるのは気に入らないんじゃないのか、橋下氏は。
何ともちいさい男だな。
こういう傾向は橋下氏に限らず、しばしば見られますよね。
「オレの気に入らない思想や政治は消えていい」
「オレに気に入らない国や民族は消えてなくなるべき」
「オレの気に入らない表現は撲滅すべき」
ただ、こういう人たちはいざ自分たちの思想や表現に危機が及ぶと「思想信条の自由、表現の自由を守れ!」「弾圧を許すな!」と声高に叫んだりもしますが(^_^;)
> アマチュア市民さん
はじめまして。
> 保存されたり、資金を他に頼っていてはもうそれは生きた文化ではない。
では、世界遺産に指定されるような建物や街並み、文化なども保存の必要はない、と?文楽や歌舞伎も消えるに任せろと?法隆寺も奈良の大仏も合掌造りの集落も日光東照宮も原爆ドームも屋久島も朽ちたり荒れたりするに任せておけと?それはそれで一つのご意見でしょうけど…それってどうなの?とだけ申し上げておきます。
> shigehisaさん
はじめまして。
> もしこの記事の様な事を書かれるならば実際に批評されるだけでなく当人として市長選に立候補し自分の理想を実行すべきです。
えーっと、つまり政治家でない、政治家になろうとしていない人間は政治に口を出すべきではない、意見を述べるべきではないという事ですか?
すみません、じゃあ新聞もネットメディアも政治に関しては一切言及不能になりますし、あなたの「補助金については、余裕があれば出すべきものだと思います」という発言もすべきでないという事になりますけど、それでよろしいですか?
わたしは御免です。
大阪フィルの公式ブログより
◆大阪フィルのブログ
私たちはこう考えています!
http://osakaphil1947.blog66.fc2.com/blog-entry-312.html
余談ですが「大阪市さま」という表現をとらざるを得ない立場に追い込まれているのが悲しいです。
ご無沙汰しております。
> なるほど、これならお金かからないね!
あとひとつ、「公演をしない」ことです(笑)会場借りるのにもお金かかりますからね(^_^;)
http://www.bunka.go.jp/1aramasi/pdf/24_bunkaseisakubukai_siryou_4.pdf
http://www.yamashita-yoshiki.jp/column/column/1273531351.html
財政難の中で文化予算だけが聖域となるわけにはいかないにしても、
収益性や、まして個人的な興味の有無だけで論じることではありません。
自国の伝統芸術を軽視し、文化環境を貧しくして平気な人に、愛国心など語る資格はないと思います。
この件に関し、ネットを見る限りでは
「商業ベースに乗らない文化なら消えて当然」と言ってのける人が少なくないようです。
仮にこれが、アニメ・マンガ・ゲームに矛先が向かなければ
あとはどうでもいいと考えている人が多いためだとしたら、
そうしたジャンルだって、様々な文化や芸術が受け継がれた先に育ってきたのだから、
文化の多様性を軽視して、商業ベースに乗らないなら消えてよし、などと言っていたら、
どれも似たようなコピーのコピーだらけになって、
結局全てが貧しくつまらなくなっていきますよと言いたいです。
(偏見というご指摘もあるでしょうが、文化を商業性や収益性のみで断じようとするのは、
複製芸術にしか興味のない人の発想という気がするのです…)
>観測霊様
>ただ、こういう人たちはいざ自分たちの思想や表現に危機が及ぶと
>「思想信条の自由、表現の自由を守れ!」「弾圧を許すな!」と声高に叫んだりもしますが
日頃は「生活保護は甘やかしだ」「死刑はどんどん執行しろ」
「日の丸・君が代強制は当たり前」という声で溢れているヤフーのコメント欄が、
東京都のマンガ規制条例が問題になった時だけ、
「思想と表現の自由を守れ!」という書き込みで一杯になったのがまさにそうでしたね。
せめて、自国の文化振興の予算削減に賛成しながら、反韓流を叫んだりなどしないことを願います。
>shigehisa様
>もしこの記事の様な事を書かれるならば実際に批評されるだけでなく
>当人として市長選に立候補し自分の理想を実行すべきです。
「文句があるなら選挙に出て勝てばいい」という論法については、
過去に話題に上っていますので、下記の記事やコメントを是非お読みください。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-779.html
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-793.html#comment4737
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-793.html#comment4769
橋下さん、優れた音楽家には助成しています。
センチュリーの生演奏を、お聴きになられたことがありますか?
なぜこのオケが公演を出来ているのか不思議でしたが、謎が解けました。
私はお金を出して二度と行きません。
一度聴いて、そこまでして残すべきか判断してください。
プロの音楽家のことは、音楽文化を愛する人たちが頻繁に聴きに行ってささえるべきでしょう。
何もしないで保存だけ、というのは文化が高いという看板が欲しいだけのようにも思えます。
演奏活動をしてうれしいのは、熱狂的なお客様にお聴きいただき、「この演奏ならもっと払ってもいい」と言われるくらい満足してもらうことです。
橋下さんは音楽家では無いですから、なにが優れた音楽なのかは音楽家の判断にゆだねると思います。
コンクールで受賞するなど成果があり成長を期待できる府内の某音楽組織へは新たな補助金を出してくれました。
もちろん縁故など全くありません。
どの組織かは、迷惑をかけるといけないので書きませんが、マスコミがきちんとそういうところまで報道してくれるといいのですけれどもね。
いつも橋下氏に関する記事を興味深く読ませていただいています。
今回、少々思うところがあったので、意見を述べさせていただきます。
橋下氏の文化切り捨てを批判されていますが、記事の内容自体には非常に同意できます。
ただ、少し広げた話をしますと、一体どれを公的機関が保護すべき文化・芸術とするのだろうかという疑問を持ちました。
一括りに文化・芸術と言っても、これまで権力者に庇護されることで生き残ってきた物もあるし(能など)、庶民の間で親しまれて続いてきた物もあります(民謡など)その他、日常の生活様式も「文化」と言えますし、若者に好まれるサブカルチャーも文化と言えます。
その中でも、今残っている所謂「洗練された」伝統芸能や伝統芸術というものは、かつての権力者層が好んだ芸術ですよね。そこには、権力者による文化・芸術の取捨選択があった。
それゆえに、私は今の平等かつ多様化している民主主義社会で特定の芸術を公的機関が支援することに無理があるように感じてしまいます。
少し乱暴な言い方をすれば、本当に人々に支持されている文化・芸術であれば、支援無くしても存続していけると思うし(興行収入等で)、支援しなければ存続できないような文化・芸術を公的資金で支援する正当性がよくわかりません。(現代社会の主役である市民に選ばれなかったということだから)
文章が下手でややこしい言い方になってしまいすみません。
私自身は文化や芸術は必要なものだと思いますし、例えばよくある「文化芸術都市」も素敵な響きだと感じます。
ただ、同時に文化や芸術という言葉がマジックワード化することも問題だと思うのです。
長文失礼いたしました。
tate様へ
>ただ、少し広げた話をしますと、一体どれを公的機関が保護すべき文化・芸術とするのだろうかという疑問を持ちました。
文化芸術、特に「芸術」においては、単純に政治や経済によらない、歴史や風俗、人類学、宗教など様々な学術的観点からの批評が必要になります。過去、現在に関わらずです。
あらゆる立場、見識からの議論を持って、文化・芸術を支援・保護すべきであって、決して「経済」だけに偏重し、首長の独断で行われるべきではありません。
>ただ、同時に文化や芸術という言葉がマジックワード化することも問題だと思うのです。
しかし、橋下氏が「民意」や「利益」や「採算」で、ナタを振るう事は自体、逆説的に、芸術をマジックワードとして利用していると考えられませんか?
>少し乱暴な言い方をすれば、本当に人々に支持されている文化・芸術であれば、支援無くしても存続していけ
>ると思うし(興行収入等で)、支援しなければ存続できないような文化・芸術を公的資金で支援する正当性が
>よくわかりません。(現代社会の主役である市民に選ばれなかったということだから)
今年、東京国立博物館で「写楽展」をやってましたが、展示作品の多くがが海外所蔵作品だったそうです。
個人蔵もあるでしょうが、メトロポリタン美術館など海外の公的機関の所蔵品がかなり多かったとの話です。
実際、同じ版から刷った絵でも、国内より海外所蔵の方が、保存状態が良く当時の発色に近いというのが、この展覧会の目玉でした。(浮世絵は大変デリケートで、保存にコストがかかるそうです。)
海外の美術館が公的資金で、丁寧に保存してくれたからこそ、我々が「本来の写楽」を見れたわけです。
ちなみに、ブロマイド・チラシ的な消費物であった浮世絵に、芸術的価値を見出したのは、ゴッホやセザンヌ、モネなど19世紀~20世紀初頭のフランス画家たちです。
(もともと、日本からの輸入品の包装紙として使われていた浮世絵を見たフランス人が、それら絶賛し、ゴッホらに広まったというい話もあります。)
当のゴッホなどは、存命中ほとんど絵が売れず、弟の支援で活動していたのは有名な話です。
かなり、極端な例ですが、優れた文化・芸術作品が必ずしも「常に市民に選ばれ続けている」とは限りません。
繰り返しましが、「経済」や「政治」だけで文化・芸術が成立するわけではありません。
特に、日本は学術的な観点から文化芸術を保護・支援していこうという動きが弱いと見受けられます。
(浮世絵を例にあげましたが、海外の研究に比較して、日本独自の研究が遅れていいるという指摘もあります。)
橋下氏のようにバッサリ切り捨て、芽を摘み取ってしまっては意味がありません。
こういった、動きが多方面に波及すると、芸術を志そうという人材にも影響をあたえるでしょうし、この分野で国際的な遅れをとり続けるでしょう。
ohdede様へ
レスありがとうございます。
>文化芸術、特に「芸術」においては、単純に政治や経済によらない、歴史や風俗、人類学、
宗教など様々な学術的観点からの批評が必要になります。過去、現在に関わらずです。
>あらゆる立場、見識からの議論を持って、文化・芸術を支援・保護すべきであって、決して
「経済」だけに偏重し、首長の独断で行われるべきではありません。
私もそう思います。
>しかし、橋下氏が「民意」や「利益」や「採算」で、ナタを振るう事は自体、逆説的に、芸術を
>マジックワードとして利用していると考えられませんか?
考え方によってはそうなるのでしょうか。
しかし、やはり「文化」という言葉のマジックワード化は橋下氏のみではなく、文化芸術を保護すべきだと考える人の間に顕著に見られるのです。
文化・芸術というと無条件に良い物だと考えがちなのは、文化を保護すべきだと考える側だからです。
また、「写楽展」のお話は、それ自体は素晴らしいことだとわかります。見に行った人の心も豊かになったことでしょう。私も見に行きたかったです。
しかし、それは娯楽とは何が違うのでしょうか?通常、娯楽には公的組織からの支援は出ないことが多いです。芸術と娯楽の線引きはどこにあるのでしょうか。
>かなり、極端な例ですが、優れた文化・芸術作品が必ずしも「常に市民に選ばれ続けてい
>る」とは限りません。
感覚的にはよくわかります。
しかし、民主主義社会の主役である市民の手で存続できない(選ばれない)優れた文化とは一体何なのでしょうか?
私は橋下氏のように「経済的側面」を理由に文化政策を切り捨てることの単純さに疑問を感じています。
しかし、それに反対する理由が「文化・芸術は保護すべき素晴らしい物だから」というだけでは、おそらく橋下氏側を説得することは出来ないだろうなぁとも思います。
また、個人的には、非常に多様性のある文化・芸術の中で、特定の物にだけ公的組織(公権力)が肩入れし、正統性を認めると言うこと自体に違和感を感じているのですが、ややこしくなるので省略します。
tateさんへ
>(選ばれない)優れた文化とは一体何なのでしょうか?
>私は橋下氏のように「経済的側面」を理由に文化政策を
>切り捨てることの単純さに疑問を感じています。
>しかし、それに反対する理由が
>「文化・芸術は保護すべき素晴らしい物だから」というだけでは、
>おそらく橋下氏側を説得することは出来ないだろうなぁとも思います。
要するにですね、文化政策の本質というのは、“文化の民主化”なの
だと思います。
封建時代までは、芸術作品を生み出す芸術家を庇護したのは、
王侯貴族でした。
モーツァルトしかりベートーベンしかりワーグナーしかり。
そして、
芸術作品を享受するのも王侯貴族をはじめとする支配層に限られて
いたわけです。
大多数の大衆は、芸術とは縁遠い人生を送らざるを得なかったのです。
市民革命を得て、民主主義社会が成立し、成熟にしたがって、
単に政治経済のみならず、文化においても民主化がなされていった
わけです。
つまり、一般大衆も等しく優れたシンフォニーや絵画を享受することが
出来るように開放されていったのです。
そのために美術館や音楽ホール、美術大学や音楽院を公費で作って、
公費で奨学金制度を設け、芸術家の養成を支援し、同時に市民が
芸術作品の享受を出来るようインフラとして政策によって
実現されていったのです。
文化大国とされるフランスでは、美術館鑑賞もオペラ鑑賞も安いチケット代
で見ることが出来るのはそれだけ文化政策に豊富な予算をつぎ込んでいる
からであり、それは市民の文化的生活に資するものなのです。
市民の力だけに頼ったのでは、芸術作品を享受できる機会を持つという
文化的生活において、市民の利益を守ることが逆に出来なくなって
しまうというところに文化政策が要請される大きな理由でもあるのです。
ですから、
文化政策は、芸術家サイドのためだけでなく、市民の利益でもあるのです。
Re:
あれは吉本興業という一企業色が強すぎて、すでに上方のお笑い文化とはいえないですから(松竹芸能さんとかはどう思われているんでしょうね)。
廃止するか、さもなくば補助金なしにしてWTCに移転すればよかったんですよ。
大阪はお笑い供給過剰ですから、もういいでしょう。
それよりも美術や音楽にもっと力を入れましょう。
お坊っちゃまが下品ぶったり悪ぶったりしてもカッコ悪いだけですよ、橋下さん。
追伸
>(選ばれない)優れた文化とは一体何なのでしょうか?
それだと、教育や学問の世界にも当てはまってしまいますね。
中学までは義務教育ですから公立学校があるのはよしとして、
高校以上は、義務教育ではないのだから、公費に支えられないと
存続できない教育とは一体何なのでしょうか?
さらに、大学や研究所では公費がつぎ込まれて各分野の
研究が支えられていますが、
工学系であれば産業とリンクしていきますから実学として経済的な
利益に結びつきますが、
人文系の分野のように金銭に還元できない価値を生み出す研究について、
公費をつぎ込む理由は一体何なのでしょうか?
とか、そういう疑問に繋がってしまいますね。
芸術であれ学問であれ市場原理によって淘汰されてよしとする尺度に
馴染まない創造性や英知の世界が人類の財産として大事にされる国と
そうではない国とでは、一体どちらが豊かな社会と言えるのでしょうかね。
Re:
ウケるものばかりに集中投資していると、それらが駄目になったときに一気に衰退しますので。
私見ですが大阪はこれで失敗を繰り返しているように思います。
家電関連に、あるいは金属加工に過集中して坂道を転げ落ちてしまった地域があるように。
産業だけでなく文化もまた然り。
お笑いたこ焼きタイガースでは、そうそう何年も引っ張れるものではありません。
選択と集中は、実は大阪には向いていないように私には思います。
>tateさん
逆にお聞きしますが、何故予算をカットしないで欲しいという切実な願いを無視してまでオーケストラや文楽の補助金を削らねばならないのでしょう?大阪市はそこまで貧しくないはずですよ?
フリスキー様、秋原葉月様へ
貴重なご意見ありがとうございました。
>秋原葉月様
私はあまり財政に詳しくないので、予算面での専門的な見解を述べることはできませんが、一応回答させていただきます。
秋原様は大阪市は貧しくないとおっしゃいますが、少し大阪市のホームページで調べてみたところ、確かに他の政令指定都市と比較して財政が不健全かというとそうは言い切れないところもあります。しかし、大阪市の税収は全体的に減少傾向にあり、また生活保護受給人員数も増加しつづけています。これを考えれば決して余裕がある状況とは言えないのではないでしょうか。
そもそも、私は大阪市の個別の事業について、これをカットすべきだ、という意見ははじめから持っていないのですが、もしカットすべきだという立場に立つとすれば、「増え続ける社会保障費に回すべきだから」という回答になります。(あくまで私個人の意見です)
ただ、ここで勘違いしていただきたくないことは、私は前回、前々回のレスでは単純に秋原様の記事を読んで思ったことを述べたまでであり、大阪市のオーケストラや文楽といった個別の事情についての意見を持ち合わせているわけではありません。
どちらかというと私が言いたかったのは、文化行政は大事だというけれど、なぜ大事なのかが文化保護派によって説明されていないことや、数多くある文化に優劣をつけて、公権力が肩入れすること対して疑問を感じるということなのです。
これは文化を育むことの大切さを否定するものではありませんし、むしろ一般市民にとっての文化とは何かを考え直す運動だと思っています。
私からのレスはこれ以降控えたいと思いますが、私の意見の真意をご理解いただければ幸いです。
参考URL「大阪市財政の現状について」
http://www.city.osaka.lg.jp/zaisei/page/0000123546.html
>tate様(脱線・長文申し訳ありません。)
>しかし、やはり「文化」という言葉のマジックワード化は橋下氏のみではなく、文化芸術を保護すべきだと考える人の間に顕著に見られるのです。
>文化・芸術というと無条件に良い物だと考えがちなのは、文化を保護すべきだと考える側だからです。
確かに、そうかも知れませんね。
それでも文化・芸術を切り捨てる側も然りだと思います。
すごく、乱暴な言い方をすると
否定する側「よくワカラン金にもならない芸術などいらない」
肯定する側「よくワカラナイけど素晴らしい芸術をまもろう」
と、なるのでしょうか?
多分、教育のあり方にもよるのでしょう。
例えば、学校教育で教師から情報として「モナ・リザ」の概要を一方的に教わることはあっても、「何故モナ・リザは傑作なのか?本当に傑作なのか?」というような議論をする機会はほとんどないでしょう。
欧米では、文化・芸術を学ぶ時、生徒間でこういった議論をさせる事は頻繁にあるようです。
私は、かつて、芸術系の専門学校に通っていて、在学中いくつか展覧会の運営にボランティアとして参加していました。
中には、海外から芸術家を招待する展覧会もあって、それら欧米の作家からみると、日本人が自分たちの作品を、「よくわからないもの」と簡単に結論づける事も、手放しに「すばらしい」と有難がる事にもかなり違和感を抱いたそうです。
私自身、若い時、あるロシアの芸術家から「キミは何故、私の作品について、キミ自身の意見を述べない」と面と向かって言われた事があります。(かなり目からウロコが落ちる思いをしました。)
>芸術と娯楽の線引きはどこにあるのでしょうか。
>民主主義社会の主役である市民の手で存続できない(選ばれない)優れた文化とは一体何なのでしょうか?
文化・芸術が「何であるのか?」が重要なのではなくて、文化・芸術が「どうあるべきか?何をすべきか?」が、重要なのだと思います。
言い換えれば、文化・芸術は、娯楽でもあり、学問でもあり、風俗でもあり、宗教でも、哲学でもあるなど、人間の活動のあらゆる要素を含有するわけで、それらから文化・芸術を語ることもできるし、文化・芸術がそれらについて語り、時には働きかけることも可能なはずです。
そして、その時によって、自然と市民によって選ばれるものもあれば、保護すべき性質のものあるはずです。
だから、ある側面を持って、容易に一方を選択し、一方を切り捨てられるものではないと思います。
「ガンダム」の富野由悠季監督は事あるごとに、アニメ業界を志す若者に対して「アニメ・漫画ばかり見ないで、文学作品を読め」と訴えます。
作り手の立場で、「一見、分かりやく、明快な娯楽作品」を作る場合であっても、多様な文化・芸術を理解する力がなくては、人間を表現できない―。と言いたいのだと思います。
橋下氏の行動は、若者や子どもからこれらの文化・芸術に触れる機会を奪い、将来にわたり影響を与えかねません。
私の持論としては、どのような立場の文化・芸術であっても、可能な限り、存続・保護に務めるべきだと思います。
それが、後生に生まれてくる文化・芸術の豊かさにつながるからです。
(話がそれた上、長文で申し訳ありません。)
音楽家です
橋下さんの言動に、あきれるばかりの日々の中でこのブログを偶然見つけました。
私はプロの音楽家ですが、正直とても厳しい現状です。
私の知り合いも多数、楽団に所属してましたが 数年前の橋下さんの改革により、何人もが職をなくしました。
まだ若手ならともかく、家族を養っていた人も多数います。
芸術家として長年頑張ってきていた人が、急に何もかもなくし社会に出されたとき、会社の面接に行っても「音楽家が何ができるの?」と面接さえしてもらえないこともあります。
この不景気ですから。普通の大学に行っても職がない人が多数。仕方ない事だと思います。
ですが、本当に芸術を無くしていいのでしょうか・・
芸術なんてお金の無駄。
なんて思い始めたら、この国は本当に根っこが腐った国になってしまいます。
演奏活動の中で、子供たちの輝く顔、お客様が涙を流しながら活力を得てくれる姿、心から喜んで下さる姿を、幾度となく見てきました。
だからこそ、私達演奏家は、副業を持ちながらも 一生懸命がんばってこれたのです。
あんな風に否定されると、心の底から残念でなりません。
今後、ますます私達芸術家にとって厳しい日々になるでしょうね。
芸術も文化も分からない人が、人の上に立つ。
ひどい世の中になりました。
このブログ、応援しています!
>tate様
文化は人間らしい生活に必須のものであり、全ての人が文化を享受できる環境を作ることは国の仕事に含まれます。
蒸し返しになりますが、どうしても違和感を抑えられないので私見を述べさせて頂きます。
>本当に人々に支持されている文化・芸術であれば、支援無くしても存続していけると思うし(興行収入等で)、
>支援しなければ存続できないような文化・芸術を公的資金で支援する正当性がよくわかりません。
>(現代社会の主役である市民に選ばれなかったということだから)
「公的支援を受けている文化=支援されなければ消えてしまうほど、
今や誰にも相手にされていない文化」というのはあなたの思い込みです。
「文化に対する公的支援=延命治療」のように決めつけないでください。
tateさんにとって縁の薄い、興味のないものであっても、他の人にとってそうとは限りません。
私は文楽もクラシック音楽も鑑賞する習慣はありませんが、
それらを愛する人も少なくないこと、新たな文化を生み出すインスピレーションとなってきたことは知っています。
「市民」の中には様々な人が含まれていること、今現在の商業的なニーズだけでなく、
歴史を未来へ受け継いでいく責任まで考えて頂ければと思います。
ルーヴル美術館だって予算の大半は国費ですが、「だったらそんなものは要らない」とお考えになりますか?
素朴な疑問ですが、「支援しないと存続できないものを支援する理由が分からない」なら、
あなたにとって「支援する理由のあるもの」はどんなものなのでしょう?
>しかし、それは娯楽とは何が違うのでしょうか?通常、娯楽には公的組織からの支援は出ないことが多いです。
>芸術と娯楽の線引きはどこにあるのでしょうか。
ohdedeさんの仰る通り、線引きなど不可能ですし、
娯楽か芸術かで支援の線引きがされている訳でもありません。
国立演芸場では漫才や落語や手品が上演されていますし、
コメディやミュージカルを上演する公立劇場もあります。
商業性と多様性のバランスという観点で考えることだと思います。
>若者に好まれるサブカルチャーも文化と言えます。
>また、個人的には、非常に多様性のある文化・芸術の中で、特定の物にだけ公的組織(公権力)が肩入れし、
>正統性を認めると言うこと自体に違和感を感じているのですが、ややこしくなるので省略します。
公的な助成を「権力による正当性のお墨付き、肩入れ」と捉える発想に違和感があります。
支援の対象になっていない活動が、そのことを理由に「異端」「二流」と蔑まれたり
弾圧されるような現実があるわけではないですよね?
また、「伝統」や「古典」と呼ばれるものだけに支援対象が限定されているわけではありません。
映画やアニメ、現代演劇にも助成は行われていますし、この先も時代によって変化していくでしょう。
>文化や芸術という言葉がマジックワード化することも問題だと思うのです。
「財政難」がマジックワード化することの方が、遥かに巨大な暴力となる可能性を持っており、私は心配です。
>私は橋下氏のように「経済的側面」を理由に文化政策を切り捨てることの単純さに疑問を感じています。
>しかし、それに反対する理由が「文化・芸術は保護すべき素晴らしい物だから」というだけでは、
>おそらく橋下氏側を説得することは出来ないだろうなぁとも思います。
劇作家・演出家の平田オリザは「芸術立国論」という本の中で、
フランス芸術活動振興協会(AFAA)の官僚たちの語る論理をこのように要約しています。
「ルイ・ヴィトンやシャネルが売れるのは、フランスが文化国家だというイメージを維持しているからだ。
その文化イメージは、直接的にブランドたちが築いているわけではなく、
フランスが、最先端の芸術作品をいまも生み出し、世界に発信し続けることによって維持されるのだ。
だから、先端的な芸術を保護、育成し、それを海外に紹介するのは、
フランス共和国の国益にかなった行為なのだ」
私は同様の論理を日本でも主張できると思います。
(そこに「カジノじゃそれは無理でしょう?」とも付け加えたいです)
世界的な経済危機は海外でも文化行政に逆風となっており、
大英博物館が開館時間の短縮を検討しているなどという報もありますが、
文化に公的な助成を行うこと自体を否定するなど、日本以外ではあり得ないでしょう。
文化予算だけが聖域というわけにいかないのは分かります。
しかし「真っ先に切られるべきムダ」のような決めつけは短慮です。
フリスキーさんは公教育を例えに出されていましたが、
この問題は文化・芸術観だけに留まらず、「公共性」をどのように考えるかという問題なのかもしれません。
>秋原様
ツイッターでは「命とオーケストラなら命だろ」というような呟きも目にしました。
どこにそんな二者択一の状況があるというのでしょう…。
はじめまして。
> センチュリーの生演奏を、お聴きになられたことがありますか?
> なぜこのオケが公演を出来ているのか不思議でしたが、謎が解けました。
> 私はお金を出して二度と行きません。
おっしゃっている意味がよく解りません。日本センチュリー交響楽団の演奏を聴いたことでどういった謎がどのように解明されたのでしょうか。そしてそれがどうして「二度とお金を出して行かない」という結論につながったのでしょうか?
…まぁ、要は「あまり上手くないのに、補助金をもらって運営されているのが問題だ」というようなことがおっしゃりたいのだと思いますが…。以下、この理解を前提としてお話を進めます。違いましたら、適宜ご指摘ください。
わたしは日本センチュリー交響楽団の演奏を聴いたことはありませんし、クラシック音楽にそれほど興味があるわけでもありません。ですが、クラシック音楽が非常に長い歴史と研鑽を経て現在あるという事は理解しているつもりです。それはつまりそれだけ長きにわたってクラシック音楽が人々に愛され、親しまれてきたことの証明でしょう。
繰り返しますが、わたしはクラシック音楽に強い興味を持っているわけではありません。ですが、わたしが興味がないから消えていいとは思いません。
演奏の仕事をしています。さんは、少し勘違いがあるように思います。あなたは「日本センチュリー交響楽団」に対して言ったのでしょうが、ここで問題になっているのは大阪市の「文化支援のための補助金」そのものが消えてなくなりかねないという危惧です。
別の音楽団体にお金が移るかどうかも怪しいのです。橋下市長には「前科」がありますから。大阪フィルへの補助金6300万円はカットされた後、それは別の音楽団体にわたったのでしょうか?答えはNoです。カットされたっきり。経費削減の足しにされただけで、別の音楽団体や文化団体へ移譲されたというわけではないのです。
仮に「日本センチュリー交響楽団」があなたのおっしゃるように「お金を払うに値しない」演奏しかできなかったとして、その補助金がより技術の高い別の音楽団体や文化団体にわたらなければ、それこそ文字通り「大阪からオーケストラが消えてしま」います。演奏をお仕事にされているのに、それでもかまわないのですか?
また「お金を払うに値しない」というのもあなたの個人的な感想ですよね。たとえばあまり上手くない演奏だったとしても、これから上手くなるかもしれないでしょう。将来性をかんがみて保護をするというのも補助金の正当な根拠になるでしょう。一度の演奏の上手い下手が補助金支給の基準のすべてではないと思います。
> プロの音楽家のことは、音楽文化を愛する人たちが頻繁に聴きに行ってささえるべきでしょう。
たしかにそういう側面も必要でしょうが、それがすべてですと、経済的に一定の余裕のある人しか「文化を支える」ことができくなってしまいます。低所得者には文化など必要ないという事でしょうか?
国や自治体が文化を支えれば、鑑賞費用を下げることができ(すべてを自分たちでやろうとすると必然的に観客の負担が大きくなるのは当然です)、低所得者を含めた多くの人にとって鑑賞の敷居が下がります。鑑賞をきっかけに芸術を志したり、あるいは芸術を支えようとする(平たく言えばファンになる)人もいるのですから、文化の裾野を広げる意味でも、国や自治体が文化事業や団体に補助をすることは意義があるのです。
> 何もしないで保存だけ、というのは文化が高いという看板が欲しいだけのようにも思えます。
何もしない、という決めつけはよくないと思います。多くの演奏家は日々練習に取り組んでいるのだと思うのですが。
> コンクールで受賞するなど成果があり成長を期待できる府内の某音楽組織へは新たな補助金を出してくれました。
橋下市長に限らず、国や自治体の文化事業支援とはそういうものです。野放図にお金をばらまいているわけではなく、当然補助金を出すのが妥当であるかという「審査」があります。審査の結果補助金を失う団体もあれば新たに得る団体もあるでしょう。しかし、今回憂慮されているのはその「補助金」そのものがなくなり、どこの団体にも支払われなくなるのではないかという事です。
殊に文楽の方は深刻です。橋下市長の個人的な趣味に合わないからと言って経済的な命脈を絶たれかねないのですから。個人的な好き嫌いで文化の息の根を止めるというのは、「文化破壊者」と称しても余りある蛮行だと思いますけども。
以上、失礼しました。
Re:
公立学校という公共施設の稼働率を大幅に落としてしまったわけだから、全くもって非効率極まりない。
私学無償化の対象範囲を低所得者層に限定すればいいんです。
浮いたカネを文化や芸術に充てよう。
(私学無償化は私立高校側の負担も大きいが、府側の負担も当然あるので)
まあ市長になってもまた同じく非効率なことを繰り返すんだろうな、この人は。
ご無沙汰しております。
> 東京都のマンガ規制条例が問題になった時だけ、
> 「思想と表現の自由を守れ!」という書き込みで一杯になったのがまさにそうでしたね。
はい、まさにそういう人たちも念頭にありました。(^_^;)
あの問題のときは、「思想と表現の自由」を自分たちだけが最大限享受し、他人にはそれを許さないことを素朴に信じている人が条例反対の人たちの中にも少なからずいることを知って愕然とした記憶があります。わたしも条例には反対の立場でしたので。少女マンガやレディースコミック、ボーイズラブをこそ取り締まれ、などと自分の興味のない分野を「生け贄」にして自分たちの好きな表現だけの延命を図ろうとするような主張も少なからずあって、余計に。
基本的人権とか法の下の平等とか、こんなにも定着していないものなんだなぁ、と。こういう傾向は実は日本の社会ではわりと普遍的なことで、橋下市長だけが特別に問題だとも言えないのではないか、と思いました。
暗澹たる気分になりますが(=_=;)
文化を生み出すのは並大抵の事じゃない。
作り手の立場で、「一見、分かりやく、明快な娯楽作品」を作る場合であっても、多様な文化・芸術を理解する力がなくては、人間を表現できない―。と言いたいのだと思います。
そう言えば、14歳からのハローワークという本でも「漫画家やゲーム製作者になりたいなら、漫画を読んだり、ゲームをするよりも文学作品を読んだ方がいい」と書いてありましたね。ひとつにはohede様の仰られる通りだと思います。漫画の娯楽性を引き出すには緻密なプロット立て、設定の練りこみが必要。それがない作品は「どこかの漫画で見た、聞いた事のあるような」パクリ作品になってしまうからですね。
余談ですが、ハリーポッターが売れ始めた当初、ハリポタと似たり寄ったりの設定(ようはパクリですね)の小説が出版社に持ち込む人が多数いたとか。当然全部却下されたようですが、文化を生み出すのがどれだけ難しいかという一面ではないでしょうか。
>あとひとつ、「公演をしない」ことです(笑)会場借りるのにもお金かかりますからね(^_^;)
あぁ、なるほど。そうやって節約を。ん?すると、海外の人はどうやって文化を発信しているんだかって事になりますねw
東京都条例の時だけ自由平等を叫ぶ。成るほどそうですね。私も反対の立場ですが、反対している人達の中には、妙な違和感を感じる人もいますね。
>tateさん
> どちらかというと私が言いたかったのは、文化行政は大事だというけれど、なぜ大事なのかが文化保護派によって説明されていないことや、数多くある文化に優劣をつけて、公権力が肩入れすること対して疑問を感じるということなのです。
> これは文化を育むことの大切さを否定するものではありませんし、むしろ一般市民にとっての文化とは何かを考え直す運動だと思っています。
本文中にもありますが、
橋下氏は知事時代、「行政や財界はインテリぶってオーケストラ(が大事)とか言いますが、大阪はお笑いの方が根付いている」と発言。大フィルへの年約6300万円の府補助金を2009年度から全額カットしたわけで、決して社会保障に回すお金が足りないからではないのです。文楽もしかり。
何故文化保護が大事かと言えば、これも本文中に書きましたが、こういう文化芸術はそもそももけるための商業ではないから、もともと採算がとれないものだから。でもすたらせるわけにはいかないものだからです。
数多くある文化に優劣をつけて、公権力が肩入れすること対して疑問を感じる、とのことですが、私には彼の好みで文化に優劣をつけて予算を削減しているようにしか見えないのです。
>AGEN様 観測霊様
こちらもご無沙汰です・
>漫画の娯楽性を引き出すには緻密なプロット立て、設定の練りこみが必要。それがない
作品は「どこかの漫画で見た、聞いた事のあるような」 パクリ作品になってしまうから
ですね。
だからこそ、「金にならない」だけで、切り捨てるわけにはいかないのです。
>自分の興味のない分野を「生け贄」にして自分たちの好きな表現だけの延命を図ろうと
するような主張も少なからずあって、余計に。
>東京都条例の時だけ自由平等を叫ぶ。成るほどそうですね。私も反対の立場ですが、反
対している人達の中には、妙な違和感を感じる人もいま すね。
韓流報道も、都条例も、今回の件も根っこの所で、通底するものがあると思います。
>あとひとつ、「公演をしない」ことです(笑)会場借りるのにもお金かかりますからね(^_^;)
>あぁ、なるほど。そうやって節約を。ん?すると、海外の人はどうやって文化を発信しているんだかって事になりますねw
あえて、真面目にレスするとしたら、YouTubeやニコニコとかいかがでしょうか?
地方のオーケストラや文楽など、コンテンポラリーな文化がそういう所に進出するのもありだと思います。
もっとも、動画を撮るにしても、コストはかかるわけですが…。
でも、行政がアテにならないとしたら、オルタナティブな所でやっていくしかないわけで…。
>通りすがりの音楽家さん
さぞかし大変なこととお察しいたします。
>芸術なんてお金の無駄。
なんて思い始めたら、この国は本当に根っこが腐った国になってしまいます。
>芸術も文化も分からない人が、人の上に立つ。
ひどい世の中になりました
本当にそう思います。
しかも彼は切られた人の痛みをともにしようという気持ちは決してありません。
芋掘りを楽しみにしていた幼児を不必要に泣かせたことをはじめとして、彼は血も涙もない冷酷な仕打ちをいくつも行ってきました。
恐ろしいのは彼のそういう冷酷な所行を拍手喝采する人々が少なからずいるということ、文化芸術をないがしろにするのは人心の荒廃を招く良い例だと感じます。
厳しい環境にいらっしゃることでしょうが、今後とも私たちに心を癒す音楽を届けてくださいますよう、私からもエールを送らせてくださいませ。
子供達には生の本物の芸術に触れる機会をあたえてやりたいですね。
舞台も生で見ると、演じられる度に微妙に違ったりします、二度と同じ舞台はないんです。
音楽も生オケはやっぱり違います。
そういう生の本物にふれあえる機会を国や地方公共団体が確保しあげないといけないんです。
>なにが優れた音楽なのかは音楽家の判断にゆだねると思います。
>コンクールで受賞するなど成果があり成長を期待できる
>府内の某音楽組織へは新たな補助金を出してくれました。
>もちろん縁故など全くありません。
大フィルというのは、朝比奈隆が手塩にかけて育てた
大阪どころか関西を代表するオケであり、日本でも有数のオケです。
そこに勝る音楽組織とはどこなんでしょうね?
>どの組織かは、迷惑をかけるといけないので書きませんが、
>マスコミがきちんとそういうところまで
>報道してくれるといいのですけれどもね。
いやいや、補助金が出ているのなら情報公開されているはずですし、
隠す必要などまったくありません。迷惑ってどんな迷惑なんですか。
はっきりいって演奏家って自称されていますが、文面を読む限りは信じ難いものを感じました。
国民の声こそが大事。それが民主主義のルール
>茶さん
おかしい。
そんな人が何を訴えても駄目だと思う。
文化分野のことなら補助金は当たり前っておかしいです。
そんなに大阪が良いなら、現状、金銭で困っている大阪を助ければ?
言ってること、やってることまちがってますよ。
あと、やたら例え話が出てくるが
例えは例えでしかなく、現状の日本では価値感が合わない。
Re: おかしい。>名無しさんHNをお願いします
文化というものをこれっぽちも理解していないあなたに哀れみを感じますね
おっしゃる通り
私も、固有の文化や芸術を大切にしない国は、亡びると思っています。他国と差異がない国には、何の魅力もないからです。コストカットで経済効率を上げるというような「目の前のエサ」には人は惹かれるものです。しかし、文化や芸術は、目の前ですぐに効果が出たりといった類のものではありません。目に見えないもの、といってもよいでしょう。目に見える利益だけを追い求め続けた結果、本当に大切なものを失ったことに後になって気づく・・・ということを繰り返してはならないと思います。
しかし・・・人々のレベルも下がったのではと思います。そうした文化や芸術の良さを感じられる感性・知的教養などが失われたことも、「ハシズム」の一因ではないかと思います。