コメント
あらためて考えると
作り上げられた「維新の会=改革」「その他=既得権益」という図式を最後まで突き崩すことができなかったという
ことだと思います。
なぜそうなってしまったのかは、私たちも反省が必要かもしれません。
橋下の「改革」に対するオルタナティブな改革の方向を、政策としては持っているのに、府民多数に浸透を広げることができなかったということは
検証しなければならないと思います。
私も、然るべき意見具申を行うつもりです。
昔の私もそうであったように、
「独裁者だろうが金権政治家だろうが、良い政治をするのがいい政治家だ」という考えの人も
残念ながら少なくないと思います。
そういう人たちには、より「良い政治」を提示して、橋下らの「良い政治」の虚妄をあばくことを
もっと進めるべきではなかったかと思います。
因みに映画の議長もジェダイは反逆者であり、今まで共和国を操ってきた張本人だとして、粛清していきました。まあ、なんでもかんでも映画と現実を一緒にしちゃいけないんでしょうけれど、どうも被るというかスケープゴートの本質をついているような感じがしました。
>公務員を民主主義と独裁を引き替えてもいいと思うほど憎悪するのか。
大阪の役員で「民意に反対する者は辞めてもらう」とか、試験で成果の出ないクラスの教師を辞めさせるとか。http://www.asahi.com/politics/update/1128/OSK201111280191.html
果たして本当に民意なのかって疑います。反対者がいてこそ政治は成り立つんじゃないかとも思いますし、教師に問題があるかどうかに関しては、そう感じるのは保護者の筈で、保護者が意見を出して改善させるなりすればいいことだと思います(確か大阪にはそういうシステムがあったはず)。そんなしょっちゅう(なのかはまだわかりませんが)先生がいなくなったり、変わったりしたら「民」である子供にも悪影響ですからね。
http://www.asahi.com/politics/update/1113/OSK201111130016.html?ref=reca
ーー知事選に立候補した維新の会幹事長の松井一郎氏(47)も並び、「子どもたちが住み続け、働く場所があり、幸福を感じられる大阪にしたい」と訴えた。
失笑物です。
真の敵は何か?…。
>…秋葉原を行き交う人々ではなく、派遣労働の規制緩和をした政府、そして彼をいいように搾取し続ける企業が一因を作ったことに間違いないでしょう。
前にも秋原さんが怒り心頭に記されました…、若い人が、就活鬱になり自ら命を絶つ…。こんな酷い社会に無理して出て行かないで…と。この異常事態を日本人が真剣に認識し早急に手立てを打たないことには、見当違いの妬みやソネミの負の感情が沸々と際限なく込み上げ、人心が荒廃し、共生社会など実現不可能になってしまうんですね…。わたしは妬みの原因は、異常な格差社会にあると思います。怒りの矛先が間違っているのですよ…。1%の富裕層(大企業、財界)が富の再分配をしない為に、盤石な社会保障制度に回すべき資金が不足し、ツケを庶民が払わされる(消費税増税など)という理不尽な構造にメスを入れないと何も変わらないんですよ。 繰り返しになりますが、北欧諸国では、富裕層が社会保障を維持させる為に積極的に応分の負担をしているんですね…。 現実に出来ている国があるのに、日本ではそれをやろうとしない。 日本の殆どの政治屋は、メガバンク(わたし自身、長年、都市銀行に籍がありましたから熟知しています…)、大企業などの大資本家から多額の袖の下をせしめているために、真の敵を隠し、庶民の暮らしを安定させる法律を作らないんですね…。 新自由主義の嵐が吹き荒れ、「小さな政府論」が大手を振って跋扈してますが、これが庶民の暮らしや安心を傷めつけている大元、元凶なんですね…。 アメリカの軍需産業を救済する思いやり軍事予算や多額の戦闘機などの武器購入予算などは、大切な血税をドブに棄てている様なものなんですよね。 やはり真の敵をあぶり出さないと、第二、第三のハシモトが、繁殖し、ニッチモサッチモいかなくなりますよ…。住民福祉や平和教育の大切な担い手である公務員(教員含め)のバッシングは、「豚が肉屋を喝采する。」(秋原さんのパクリ)様なもので、自分で自分の首を絞めているに等しい愚行なんですね…。
今後とも、秋原さんの真相をえぐる良質な記事やコメントに期待させて頂きます…。(^_-)-☆
中道中派
今回の選挙結果は公務員がどうというより、今の大阪が貧しいからなだけではないでしょうか?
また、こちらでよく見かける「民間が異常なだけだ」という考えにも違和感を覚えます。
労働価値なんて絶対的なものではないのですから。
行政に携わる者として恥ずかしくない姿勢と勉強量で職務に励むだけです。怠惰な人間は辞めるべきだという考えも変わりません。民間も含めモラルハザードだらけで馴れ合いのムラ社会大阪を治療するには、外科的な手術しかないのでしょう。
皆さんのおっしゃる「正しい」政治をするには、人が多すぎるのだと思います。
その点に関しては諦めています。
こういう言葉があります
確かナチズムから生まれた言葉のはずです。
橋下氏は「私に逆らう者は全員解雇だ」と早速発言しました。確実に、橋下氏は言葉通り実現するでしょう。そして、多くの人達は冒頭の言葉の通り、橋下氏が自分に逆らった人達を次々に解雇する姿に感動し、英雄とみるでしょう。
大阪、いや日本国内の人達は、早く「ハシズム」が取り返しのつかない悲劇を招くことに気づいてほしいです。
>て、多くの人達は冒頭の言葉の通り、橋下氏が自分に逆ら>った人達を次々に解雇する姿に感動し、英雄とみるでしょ>う。
ツィッターで暴れている人が何人もいます。
今度は大阪市営バスを狙い撃ちです。なぜか京都の人間もいます。
年収が800万円だとかいうことが気に入らなくて「300万円以下にしろ」と喚いています。
こういう手合いも遠回しであろうがきちんと言うべきですね。
大阪市職員の皆様へ…
間違った外科手術で、患者を死なせては何もなりませんけどね…。
大阪市職員の皆さんは、飛んでもない市長が就任してしまい心からお悔やみ申し上げますが、日本国憲法第25条を遵守すべく生活保護受給者および申請者をお守り頂く様、心から切にお願いしますネ。 労働意欲があるにも関わらず再就職できずにおられるたくさんの非正規労働者の皆さんをはじめとする新自由主義の犠牲者の方々の最後の命綱である生活保護制度を法に則り適切に運用し、橋下市長の脅迫に屈することなく、市民の命を守ってくださいね…。市長命令より日本の最高法規である日本国憲法が優先されますので…。大阪市職員組合におかれましては、橋下市長が命ずる市職員の不当解雇などに対しては、法的措置を講ずるなど、市職員の皆さんの思想・信条・良心の自由及び身分保障を守り抜いてください。多分、橋下市長はケツを捲って、国会へ逃げていかれると思いますので、あと少しの我慢でしょうが…。(^_-)-☆
違和感
本当に血を流さなければ、民主主義の大切さは伝わらないものなのでしょうか?「血を流していないから」わからないというのは、何か得も言われない違和感を感じてしまいます。直接は関係ないかもしれませんが、「他国は血を流しているのだから、日本もそれにならうべきだ」と称して軍事貢献の道を開いたときのような感覚に襲われています。
それに血なら、先の戦争で国内外を問わず大量の血が流れています。たとえどのような経緯であれ、今のこの国の民主主義だって多くの人の血の上に成り立っているのではないでしょうか。
非礼を承知で敢えて申し上げますが、「自分たちの血を流して勝ち取った民主主義ではない」からというのは、民主主義の大切さを伝えられない今の日本人全体にとっての言い訳でしかないのではないでしょうか。
「血を流す」という言葉に過剰に反応しているのかもしれません。何をケツの青いことを言ってるんだといわれるかもしれません。独裁者を勝たせた大阪府民に言う資格はないのかもしれません。私もブログ主様のおっしゃりたいことは分かるつもりです。でも「血を流す」ことに価値を求めてしまうことに対する違和感を書かずにはいられませんでした。
(もしこのコメントがブログ主様の意図を理解していないとお考えでありましたら、承認を却下していただいても結構でございます)
>2割しかいない少数派の府民さん
ということはきっと2割しかいない少数派の府民さんもお察しくださってると思います。
では普通に「上から与えられた民主主義である」と書けばいいものを、何故「自分たちの血を流して」という表現にしたか、それはどこかで血を流すことに価値を置いているのではないか、というところに違和感を持たれたのではないかと想像しますが、どうでしょうか。
私としては「血を流す」ことに価値を置いたからわざわざこう表現したのではなく、「上から与えられた民主主義」を表現する時によく使われる言い回しの一つなので使っただけなのです。特に意図はありません。
でも言葉、文章というものは、一旦発せられたら書いた本人の主観とは切り離した評価をうけるべきものです。
私としては「上から与えられた民主主義」と言う言葉に訂正しても言いたい趣旨は全く変わりませんし、誤解を招き、ご不快にさせることは本意ではありませんので訂正いたしました。
もしまだ違和感をお感じになるようでしたら、どうぞ遠慮無く仰ってくださいませ。
>2割しかいない少数派の府民さん・追伸
>秋原葉月様
>「自分たちの血を流して勝ち取った民主主義ではない」というのは、単に「戦後、上から与えられた民主主義である」と全く同義で使いました。
はい、重々承知していました。それでもなおこのようなことを申し上げたのは、「血を流す」ことに価値を見出すことは、「血を流させる」側に正当性を与えてしまうことになってしまうのではないかという想いがあるからでした。「戦争が文明を発展させる」というのが、その際たるものでしょうか。今でも、何かにつけ「血を流させる」ことで権力を誇示しようとする人間はいますよね。そういった論理を肯定してしまうような気がしてしまうのです。
どうも、ダブル選挙以降、発想が後ろ向きになっているのかもしれません。何を平和ボケをと言われるかもしれませんが、私は何かにつけて争いごとを吹っかけるような人間でいるより、平和ボケとののしられるほうがよほどいいと思っている様な人間ですので。
こんな奴ですが、今後ともお見捨てなければ幸いです。