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死刑制度がもたらす錯覚
無実の人間でも殺せる死刑制度
映画『インタープリター(通訳)』だったか、ニコール・キッドマンの主演のやつだが、その中で、被害者遺族と犯人を乗せて小舟で沖に出る。犯人には石がしばりつけてある。そして犯人を舟から落とす(落とすのは第三者か?)。さて遺族はどうするか?という話ね。ほおっておけば死ぬから、犯人を助けるには飛びこんでロープを切る。もちろん映画は遺族にロープを切る事をすすめている・・・。憎しみから自由になって生きた方がいいに決まっているのだが・・・、もちろん憎しみを生き甲斐にする人がいてもいい。もちろんその場合でも、個人の憎しみが利用されて社会の進歩を止めてしまうものなら、そのおかげで無実の死刑囚が処刑される世の中では、そんな憎しみなどクソ食らえだ。
▼飯塚事件の無実の死刑囚・久間三千年さんは処刑された。死刑制度の支持者・擁護者は、それでもしかたがないと納得しているのであろうか?
▼テロ国家イスラエルには通常犯罪に対する死刑制度はないが、もしそれがあったなら、いったい何人の無実のパレスチナ人が裁判後に処刑されていたのであろうか?
▼ イラク侵略の戦争犯罪人、120万人のイラク国民殺戮の戦争犯罪人ブッシュ、ラムズフェルド、ブレア、小泉などにも私は死刑を求めない。
▼「釣り合いをとるためには、死刑に処せられる犯罪人は、自分の犠牲者に、あらかじめ恐るべき死を強制する日を予告し、そのとき以後、相手を何ヶ月もの間、自分の意のままに監禁しつづけた人間でなければならないだろう。そこまで極悪非道な人間は、通常は見られない。(『ギロチン』アルベール・カミュより、注:『死の影の谷間から』ムミア・アブ=ジャマール/今井恭平訳/現代人文社より孫引き)
▼八海事件で3度の死刑判決を受けた無実の死刑囚・阿藤周平さんは言う―─「1人でも無実の可能性がある人を処刑するくらいなら、有罪の人間が死刑を免れてもいい。どうしてそう考えられないんでしょうか」(『冤罪File』No.05)。
>檜原転石さん
死刑の是非と冤罪防止はまた別の次元の話、だとか、
交通事故で死者が出ても自動車輸送そのものをなくそうという話にはならないのに、何故死刑ではそういう話になるのか、
というおきまりの反論がありますね
私は現状、死刑を規定通りに執行すべきと考えます。
日本には終身刑がありません。そして司法が定める死刑が確定した場合、法務大臣は『死刑を法に則り執行する義務』があります。
日本では、自衛隊の最高司令官である総理大臣と省庁再編で出来た防衛大臣、そして法務大臣のこの三人は、法治国家日本において『殺人』を職業あるいはその一部としている公僕です。彼らが法を破るのは民主国家としても法治国家としても成立しません。
死刑が嫌なら法改正を行うのが筋ではないでしょうか。『公務を行わない公務員』は罷免されるべきですし、私は仮釈放なしの終身禁固刑はあってしかるべきだと考えます。むしろなぜ存在しないのかが不思議でなりません。
しかし、いつもこの制度について思い悩んでいます。
>被害者や遺族は死刑を望むに決まっている、とういう決めつけがすごいですね。
殺人事件の公判では、ほとんどの被害者が、「極刑を望みます。」と陳述している現実があります。
このことをどのように考えればよいのかが悩ましいのです。どのような言葉を被害者にかければよいのか分からないのです。
死刑は正しくない制度だという正論を説得力をもって伝えられるだけの力が私にはないのかもしれません。
>未熟者さん
被害者にどのような言葉をかけたらよいのか、それはたしかに難しいです...。
でも、たとえば、核兵器の被害者、特に広島・長崎の原爆被害者がおこなっている社会運動は、「爆弾を投下した戦闘機の操縦士を殺せ」、「命令を下したその上官を殺せ」、「そのまた上官に相当する大統領を戦犯として死刑にせよ」というものではなく、「核兵器廃絶」というものであるという事実が、はたして死刑制度が正しいのかどうか真剣に思い悩む人たちに一つの方向を示してくれるかもしれません。
「おきまりの反論」に対しての反論など
だいたい「死刑の是非と冤罪防止はまた別の次元の話」と考える時点で、それは愚か者の結論なので、無実の死刑囚の処刑に対しては、ほとんどの死刑支持者は黙り込むだけでしょう。多分、死刑制度の付随的被害者だと納得しているのでしょう。
そういえば橋下徹もこの話題にも出てきて・・・、以前こんな主張を書いたことも。
戦争犯罪人には甘く、一般凶悪犯には極刑をと叫ぶ大衆の情動をドイツのダルフ・ジョルダーノが指摘している。[ナチ犯を告訴するのはやめろ、ドイツの裁判所でナチスの審理をするのはやめろ―─一体だれが金を出しているんだ。・・・免罪を求める声はナチ犯だけを対象としている。「集団的情動のその6」の信奉者たちは・・・]、一般凶悪犯には死刑の導入さえ要求するのだそうだ。([、]部は『第二の罪』(白水社)の引用。)
もちろん「ナチ犯にも死刑を?」と問えば、彼ら彼女らがキョトンとするのは明らかだ。
テロ国家アメリカのアフガン侵略・イラク侵略に全面的に協力してきた日本国民はアフガン国民・イラク国民100万人以上の虐殺の共犯者である。私のように反対してきた人間にもその罪はある。まあそれでも罪の重さを勘案してブッシュを死刑に!、小泉を死刑に!と私も叫ぶことができる。少なくと日頃そう叫んでいる人間のみが、一般凶悪犯に対して死刑を!と叫ぶことの方が道理に叶っているのは自明だろう。
ところが世間というかテレビを代表するメディアは全く違う。極悪人ブッシュや小泉のウソ八百を垂れ流すのみで、そう極悪人に荷担しながらも、一般凶悪犯裁判では加害者を標的にリンチ報道を繰り返すのだ。不幸にも遅れた日本低国には死刑制度があるから、ドイツと違っておおっぴらに暴徒に犯人を殺せ殺せと煽れるのだ。お笑いなのはそれに呼応して馬鹿弁護士=橋下徹も登場して、暴徒の情動を刺激し、日本裁判制度をぶち壊しにかかるのだ。