中高生にもわかる日の丸君が代プチ問答集(4)
- 2010/04/14
- 05:00
【問】 プチ問答集(2)の続きになりますが、もうすこし君が代と思想良心の自由の関係についてお尋ねします。
君が代を拒否する理由はわかりました。でも今では君が代から即戦前の天皇制ファシズムを連想するのはそんなに一般的ではないし、これを歌ったからといって、天皇主義軍国主義思想を持つように命令されてるわけじゃないです。だから君が代を斉唱することが思想信条の自由を侵すというのはちょっと大袈裟だと思うのですが。
それに歌うのは入学式と卒業式の時だけ。ちょっと我慢すればすむことなんだから目くじらたてなくてもいいのではないですか?
日の丸君が代から即戦前の天皇制ファシズムを連想するも人もいれば、さほどでもない、そんなことほとんど意識したことない、という人もいるでしょう。それは人それぞれ、様々な考え方があります。
長年日の丸君が代を事実上の国旗国歌として扱ってきましたから、「日の丸君が代は忌まわしい過去を連想させる」という考え方は大多数の世間一般的な考え方であるとまではいえないかもしれません。
しかし決してアナーキーで突拍子もない考えではありません。それは東京地裁が『国旗国歌法が制定された現在に於いても日の丸君が代は政治的宗教的に見て未だ価値中立的な存在となるまでにはいたっていない』と判示していることからも言えます(2006/9/21)
また、プチ問答集(2)でも触れましたが、1999年の政府見解により君が代の君は戦前と同じく天皇を指すとされたことから、国民主権に反し、国歌としてふさわしくないと抵抗を覚える人がいても、それは至極当然なことです。
気をつけて欲しいのが、もし戦前の軍国主義を連想しない人の方が連想する人より多数だったとしても、それで少数派の心情が無視されていい理由には決してならないことです。少数であろうが多数であろうが関係ない、「その人、一人一人」の思想良心の自由を守ることが大事だと憲法は言ってるのですから。
君が代日の丸に対する個人個人の思い、どのようにとらえるかは、その人の社会観、国家観に関わるものであり、人間の根幹的な部分をなすもの、まさに思想良心の自由どまんなかそのものです
よって、「今では君が代から即戦前の天皇制ファシズムを連想するのはそんなに一般的ではないから、君が代斉唱が思想信条の自由の侵害になるというのは大袈裟」というのは誤りです。
次にこれを歌ったからといって、天皇主義軍国主義思想を持つよう強要されてるわけじゃないから、思想信条の自由を侵されてるとまでは言えない、という点について考えてみましょう。
例えば、次のような例で考えてみましょう。
もしあなたが「イラク戦争で殺されたイラク人を嘲笑する歌を作ったから、おまえ歌え」と強要されたらどうでしょうか
私ならそんな歌を歌うのはゴメンです。
別に歌ったからと言って、実際にイラク人殺したりバカにしたりする行為しろを強要されるわけでも、イラク人を殺すことを肯定しろと迫られるわけでもありません。
けれどこんな歌を大勢で一緒に歌うのは、殺されたイラク人を冒涜してるようで、また、イラク戦争を支持してるようで非常に嫌な気持ちがします。だから歌いたくない。。この気持ちは尊重して貰いたいと思うし、尊重に値すると思います。
同じように、君が代を歌ってもそれで実際に戦前の軍国主義思想に転向しろと迫られるわけではありません
でも、歌えば軍国主義を肯定してるみたいに感じて気持ちのいいもんじゃない、大勢で一斉に斉唱する様はまるで戦前にタイムスリップしたみたいな気になる・・・等。
こういう気持ち、心情だって、尊重されるべき立派な思想信条の自由に含まれます。
ですから、「君が代斉唱しても軍国主義思想を強要されるわけではないから思想信条の自由を侵すというのは大袈裟」というのも誤りなのです
なお、式の時だけ我慢すればすむことなんだから、というのはちょっとどうかと思います。
合理的理由がないのに権利の侵害を甘受しなければならない理由は一つもありません。
入学式と卒業式、年に2回しかないから大したことではない、という人は、違う考えを持つ他人の気持ちや人権に対し、非常に鈍感な人だとおもいます
(つづく)
君が代を拒否する理由はわかりました。でも今では君が代から即戦前の天皇制ファシズムを連想するのはそんなに一般的ではないし、これを歌ったからといって、天皇主義軍国主義思想を持つように命令されてるわけじゃないです。だから君が代を斉唱することが思想信条の自由を侵すというのはちょっと大袈裟だと思うのですが。
それに歌うのは入学式と卒業式の時だけ。ちょっと我慢すればすむことなんだから目くじらたてなくてもいいのではないですか?
日の丸君が代から即戦前の天皇制ファシズムを連想するも人もいれば、さほどでもない、そんなことほとんど意識したことない、という人もいるでしょう。それは人それぞれ、様々な考え方があります。
長年日の丸君が代を事実上の国旗国歌として扱ってきましたから、「日の丸君が代は忌まわしい過去を連想させる」という考え方は大多数の世間一般的な考え方であるとまではいえないかもしれません。
しかし決してアナーキーで突拍子もない考えではありません。それは東京地裁が『国旗国歌法が制定された現在に於いても日の丸君が代は政治的宗教的に見て未だ価値中立的な存在となるまでにはいたっていない』と判示していることからも言えます(2006/9/21)
また、プチ問答集(2)でも触れましたが、1999年の政府見解により君が代の君は戦前と同じく天皇を指すとされたことから、国民主権に反し、国歌としてふさわしくないと抵抗を覚える人がいても、それは至極当然なことです。
気をつけて欲しいのが、もし戦前の軍国主義を連想しない人の方が連想する人より多数だったとしても、それで少数派の心情が無視されていい理由には決してならないことです。少数であろうが多数であろうが関係ない、「その人、一人一人」の思想良心の自由を守ることが大事だと憲法は言ってるのですから。
君が代日の丸に対する個人個人の思い、どのようにとらえるかは、その人の社会観、国家観に関わるものであり、人間の根幹的な部分をなすもの、まさに思想良心の自由どまんなかそのものです
よって、「今では君が代から即戦前の天皇制ファシズムを連想するのはそんなに一般的ではないから、君が代斉唱が思想信条の自由の侵害になるというのは大袈裟」というのは誤りです。
次にこれを歌ったからといって、天皇主義軍国主義思想を持つよう強要されてるわけじゃないから、思想信条の自由を侵されてるとまでは言えない、という点について考えてみましょう。
例えば、次のような例で考えてみましょう。
もしあなたが「イラク戦争で殺されたイラク人を嘲笑する歌を作ったから、おまえ歌え」と強要されたらどうでしょうか
私ならそんな歌を歌うのはゴメンです。
別に歌ったからと言って、実際にイラク人殺したりバカにしたりする行為しろを強要されるわけでも、イラク人を殺すことを肯定しろと迫られるわけでもありません。
けれどこんな歌を大勢で一緒に歌うのは、殺されたイラク人を冒涜してるようで、また、イラク戦争を支持してるようで非常に嫌な気持ちがします。だから歌いたくない。。この気持ちは尊重して貰いたいと思うし、尊重に値すると思います。
同じように、君が代を歌ってもそれで実際に戦前の軍国主義思想に転向しろと迫られるわけではありません
でも、歌えば軍国主義を肯定してるみたいに感じて気持ちのいいもんじゃない、大勢で一斉に斉唱する様はまるで戦前にタイムスリップしたみたいな気になる・・・等。
こういう気持ち、心情だって、尊重されるべき立派な思想信条の自由に含まれます。
ですから、「君が代斉唱しても軍国主義思想を強要されるわけではないから思想信条の自由を侵すというのは大袈裟」というのも誤りなのです
なお、式の時だけ我慢すればすむことなんだから、というのはちょっとどうかと思います。
合理的理由がないのに権利の侵害を甘受しなければならない理由は一つもありません。
入学式と卒業式、年に2回しかないから大したことではない、という人は、違う考えを持つ他人の気持ちや人権に対し、非常に鈍感な人だとおもいます
(つづく)
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