(2007/7/5)【過去記事】冗談じゃない自民党憲法改正案
- 2008/01/21
- 11:54
憲法改正については改正反対、あるいはこんな形で改正すべしとの意見が色々あると思う。
だが、結局改正案を出せるのは政府だけなので、実際の改正案はどんなものか、実物を検証することにした。
で、見た感想
これは「改正」の範囲を逸脱した「破壊」と言う
まず目玉の9条
現在のものと並べて比較してみよう。
少々長いですが
現行法
第2章・戦争の放棄
9条
①.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない
改正案
第2章・安全保障(※名称が変わっている)
9条
①.同上
②.削除
9条の2(新設)
①.我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
②.自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
③.自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動の他、法律の定めるところにより、国際平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
④.前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。
ここでまず9条をめぐる憲法解釈を紹介しとこう
a説〈自衛隊違憲説〉
およそ戦争は「自衛の為」という大義名分の下に行われることから、9条は一切の戦争を否定し、一切の戦力不保持を宣言したもの。
従って自衛隊は違憲
b説〈自衛隊合憲説〉
個別的自衛(正当防衛)は明文化されるまでもない天賦自然の権利であるから、9条はこの権利まで放棄するものではない。
つまり9条1項は「国際紛争を解決する手段」としての戦争を放棄したのであって、正当防衛たる自衛まで放棄したものではない。
2項が戦力不保持としたのは1項の目的を達成するためだから、1項が自衛を否定してない以上、自衛の為の戦力保持を禁じるものではない。
よって専守防衛が限度の戦力保持はOKという結論が導き出される。(注:ちょっと不正確です)
この様に自衛隊をめぐる9条の解釈は二つに別れるのだが、
a説からすれば集団的自衛権など論外だし、b説からしても、自国が侵害されてないのに他国とともに実力行使する集団的自衛権は、自然権たる正当防衛の範囲は超えたものと言わざるを得ない。
つまり、どうしたって現行憲法下では集団的自衛権は無理無理なのだ。
こうして、9条2項は戦争地帯に自衛隊を出さないという歯止めをかけ、日本の戦争参加をストップさせる役割を担ってきた。
ところが、改正案はこの9条2項を取っ払ってしまった
それだけでなく、9条の2を新設して自衛「軍」を設ける、とまで言っちゃったのだ
更に、この自衛「軍」は、本来の自衛以外に「国際社会の平和の為に国際的に協調して行われる活動を行う」し、緊急時の公の秩序維持の出動までオケである。
要は、改正案が通れば、今まで禁じられてきた集団的自衛権の行使が解禁になり、自国の正当防衛以外の戦争に参加することが可能になる。
これがどういうことか具体的に想像してもらいたい。
「国際社会の平和と安全」とはもちろん、オレ様なアメリカがワガママを通すときの常套句であることは周知の事実。
国連がダメと言っても「国際平和と安全」のためイラク戦争に突入した。
見事なディーバっぷりだ。
そしてそれを盲目的に支持してきた小泉氏の口実が「国際協調」
今でさえその対米追従ぶりは情けないのに、集団的自衛権行使禁止のタガがはずれたらどんなことになるか、火を見るよりあきらかだ
アメリカの命令一つで誰が反対しようと今度は武器を持っての為、戦いに馳せ参じるのだ。
だってに追従することこそが、国際協調なんだモン
そしてそのとき軍人は、どんな非情な命令にも従わなければならない。女子供を撃てと言われたら撃たねばならないのだ(アメリカ兵のイラク人虐待を思い出して欲しい)
もし国内でそれに対する大規模な反対運動がおきたらどうなるか。
「公の秩序維持」の名目で、自衛軍が国民に銃を向けることも可能なのだ。
(だいたいどこの国でも治安維持に名を借りて、政府に反対する国民を黙らせるのが歴史的な常套手段だ。戦前なら治安維持法)
つまり、自国の自衛でなくとものアメリカ要求どおり戦争参加できるようにすること
これがまさに今回の改正の真の目的なのだ。(だからアメリカはうるさいほど9条改正を要求している)決して「特アからの侵略」に備えるためではない(笑)
その態勢をがっちり整える為には憲法の原理である平和主義をひっくりかえさなきゃならないし、国民がガタガタ文句言わないようにしなきゃならない。
つまり、自由と民主主義の理念は後退させなきゃならない。
よって、9条と併せて前文が大幅に書き替えられ、人権規定も変質させらていることにも注目
まず前文について
引用すると長くなるのではしょるが、
今の非暴力平和主義を謳った文章は全文削除
そのかわりに国民に愛情と責任感と気概をもって国を支える責務を科している。
これはもうサプライズ(古)だ
憲法には譲ることのできない三本柱がある。主権在民、基本的人権の尊重、平和主義、がそれである。
そのうちの一本を真っ二つに折って廃棄処分にしてしまった
その上近代憲法の大原則である立憲主義まで変質させてしまっている。
そもそも憲法とは、国家権力側が国民の自由や人権を侵害しないようにその力の行使が恣意的にならぬよう制限するという性質を持つ。
つまり国民の方から国家権力側に「これは守れよ」と突き付けるものなのである。
従って憲法の名宛人は「国」であって「国民」ではない。遵守の義務を負うのは国民ではなく国家側なのだ
(これは第99条の遵守義務第条に現れている。99条は当然の理を示したにすぎない確認規定といえる)
憲法とはこのような特徴を持つ。
権力制限規範―これが憲法の本質である。
ところが、改正案はといえば、前述した様に、
前文が高らかに謳った平和主義をごっそり削除
代わりに
『日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもってみずから支え守る責務を共有』する。
おーまいがっ
国の方から国民に向かって遵守を要求している。
国家側でなく、国民を縛る行為規範にしちゃっているのだ
しかもこんな愛国心みたいな国民の内面に属することまで国家が踏み込んで、コントロールしようとしている。
責任感と気概をもって国家を愛そうがどうしようが、それは個人の勝手だ。大きなお世話である。
こういうことは個人が自分の意思で決めることであって、絶対に国家権力に強制されるべきものではない。
これはもう全く憲法のベクトルの方向を180度変えちゃって、憲法の本質を壊してしまった。
そして憲法の三本柱の一つである人権規定でも変質させられている。
元々基本的人権尊重の理念と平和主義の理念は密接に繋がっている。
人間の尊厳が侵害される最大の場面が戦争だから、平和主義が後退すればまた人権尊重も後退傾向になったっておかしくない。
現規定と改正案をちょっと比較して見よう。
現12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又は国民はこれを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う
改正12条
(~濫用してはならないのであって、まで同)自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しない様に自由を享受し、権利を行使する責務を負う。
この二つの違いを説明するのに、まず人権というものの性質、及びその限界を指す「公共の福祉」の意味を簡単に説明してみる。
基本的人権の性質は憲法が端的に述べている。
即ち、
人間は全て等しく個人として尊重されるべきであり、人間の尊厳は何より大事にされなくてはならないという考えに基づいて生まれた基本的人権。
これは長い人類の歴史の中で、多年にわたる自由獲得の努力すえに勝ち取った成果であり、侵すことのできない永久の権利である(11条97条参照)
それは、成文法の制定により国家から授かる権利などではなく、成文法を待たずして存在する人類共通の理により認められるものである。
だから国家が権力濫用して侵害することは決して許されないし、何よりも尊重されるべき存在である。
これが人権の普遍的な性質である。人間が歴史の中で獲得した叡智と言っていい。
従って、制限するならば、どうしても制限が必要とされる場合に限らなくてはならない。
それはどういう場合かというと、人権同士が衝突して、その調整が求められる場合である(ex.言論の自由vs名誉を侵害されない権利など)
これが「公共の福祉」のもっとも基本的な意味だ(それだけではないけど)
誤解されがちだが、「公共の福祉に反しない限り、権利尊重される」とは、多数者や全体の利益に反しない範囲内で権利が認められる(常に全体の利益が優先する)、という意味ではない(これでは公共の福祉の名目で安易な人権制限がされる恐れあり)
「公共の福祉」とは、基本的には他人の人権と衝突する場合に相互の人権の調整を計る「公平の原理」のことを指す。
ところが、改正案では人権の普遍的な性質を変質させてしまった
「公共の福祉」概念は捨てられ「公益及び公の秩序」に反しないように権利行使せよ、とされている。
公益及び公の秩序は人権より上位の存在との位置付けだ。
つまり、他人と権利の衝突が問題にならないケースでも、「公益」が存在すれば常にそれを優先して人権制限するのが認められるということだ。
例えばアメリカがまた世界の反対を押し切ってどこかの国と戦争を始めたとしよう。
当然忠実なポチ日本はアメリカの戦争に嬉々としてついてゆく。
国内でそれに反対する人々が現れる。
すると国は、国に反対する不都合な人間を「公益及び公の秩序」の名に於て弾圧できちゃうのだ。
これ、どこかで見た様な…
そう、
大日本国帝国憲法
「臣民ハ法律ノ範囲内ニ於イテ」権利を有するという規定だ。
国の利益は臣民の人権よりも上だ。
人権なんてものは「この範囲内ならいいぞ、認めてつかわす」と国家が温情で与えてやるものにすぎない。
これが戦前の考えだ。
だから治安維持法、国家総動員法などの法律で、思想の自由なぞゼロといっていいほど弾圧することできたのだ。
この帝国憲法の規定に一歩逆戻りしてちかづいてるんじゃないですか?
日本国憲法は人権を格調高く進歩させたのに、またぞろそれを後退させようってのは看過できることではない
おまけに次回からはもっと簡単に憲法を変えれるよう議員の三分の二の賛成から半数の賛成で良しとし、改正のハードルをさげている。
まだまだこういうきな臭い方向に憲法を変えてくやる気満々だ。
その他、政教分離や地方自治規定も後退した内容になっている(詳細は割愛)
私は記事の最初でこれはもう"改正"ではないと言った。
「改正」には限界があるのだ。
手続きさえ踏めば中身は好き放題変えていいというものではない。
憲法が一番大事としている原理原則は変えられない。それを変えない範囲内でのみ96条の改正は認められる。
でないと憲法は自身の存在の自己否定を認めていることになり、それは矛盾だからだ。
なのに自民党改正案は憲法の大前提である立憲主義を変質させ、三つの原理原則のうちの平和主義、基本的人権の尊重という二つを変質させている。
これはもう改正の域を超えた憲法の"自殺"だ。
自殺させたあげく、戦前の亡霊の面影をやどらせようとしている。
よくもまあ、こんな恥も外聞もない草案を作ったものだ
どの位恥知らずかというと
「あの国はどうやら〈改正〉の意味とか立憲主義の意味、人権の重みやその性質、といった近代法の初歩すら知らないらしいぞ
それで〈先進国〉だってんだからなぁ」
「やっぱり日本てその程度だよなぁ」
と諸外国から嘲笑されても仕方ない位なのだ
こんな政府が私達の代表だなんて…
ああ、恥ずかしいし、ムカつくわ!
(2007/7/5)
だが、結局改正案を出せるのは政府だけなので、実際の改正案はどんなものか、実物を検証することにした。
で、見た感想
これは「改正」の範囲を逸脱した「破壊」と言う
まず目玉の9条
現在のものと並べて比較してみよう。
少々長いですが
現行法
第2章・戦争の放棄
9条
①.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない
改正案
第2章・安全保障(※名称が変わっている)
9条
①.同上
②.削除
9条の2(新設)
①.我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
②.自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
③.自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動の他、法律の定めるところにより、国際平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
④.前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。
ここでまず9条をめぐる憲法解釈を紹介しとこう
a説〈自衛隊違憲説〉
およそ戦争は「自衛の為」という大義名分の下に行われることから、9条は一切の戦争を否定し、一切の戦力不保持を宣言したもの。
従って自衛隊は違憲
b説〈自衛隊合憲説〉
個別的自衛(正当防衛)は明文化されるまでもない天賦自然の権利であるから、9条はこの権利まで放棄するものではない。
つまり9条1項は「国際紛争を解決する手段」としての戦争を放棄したのであって、正当防衛たる自衛まで放棄したものではない。
2項が戦力不保持としたのは1項の目的を達成するためだから、1項が自衛を否定してない以上、自衛の為の戦力保持を禁じるものではない。
よって専守防衛が限度の戦力保持はOKという結論が導き出される。(注:ちょっと不正確です)
この様に自衛隊をめぐる9条の解釈は二つに別れるのだが、
a説からすれば集団的自衛権など論外だし、b説からしても、自国が侵害されてないのに他国とともに実力行使する集団的自衛権は、自然権たる正当防衛の範囲は超えたものと言わざるを得ない。
つまり、どうしたって現行憲法下では集団的自衛権は無理無理なのだ。
こうして、9条2項は戦争地帯に自衛隊を出さないという歯止めをかけ、日本の戦争参加をストップさせる役割を担ってきた。
ところが、改正案はこの9条2項を取っ払ってしまった
それだけでなく、9条の2を新設して自衛「軍」を設ける、とまで言っちゃったのだ
更に、この自衛「軍」は、本来の自衛以外に「国際社会の平和の為に国際的に協調して行われる活動を行う」し、緊急時の公の秩序維持の出動までオケである。
要は、改正案が通れば、今まで禁じられてきた集団的自衛権の行使が解禁になり、自国の正当防衛以外の戦争に参加することが可能になる。
これがどういうことか具体的に想像してもらいたい。
「国際社会の平和と安全」とはもちろん、オレ様なアメリカがワガママを通すときの常套句であることは周知の事実。
国連がダメと言っても「国際平和と安全」のためイラク戦争に突入した。
見事なディーバっぷりだ。
そしてそれを盲目的に支持してきた小泉氏の口実が「国際協調」
今でさえその対米追従ぶりは情けないのに、集団的自衛権行使禁止のタガがはずれたらどんなことになるか、火を見るよりあきらかだ
アメリカの命令一つで誰が反対しようと今度は武器を持っての為、戦いに馳せ参じるのだ。
だってに追従することこそが、国際協調なんだモン
そしてそのとき軍人は、どんな非情な命令にも従わなければならない。女子供を撃てと言われたら撃たねばならないのだ(アメリカ兵のイラク人虐待を思い出して欲しい)
もし国内でそれに対する大規模な反対運動がおきたらどうなるか。
「公の秩序維持」の名目で、自衛軍が国民に銃を向けることも可能なのだ。
(だいたいどこの国でも治安維持に名を借りて、政府に反対する国民を黙らせるのが歴史的な常套手段だ。戦前なら治安維持法)
つまり、自国の自衛でなくとものアメリカ要求どおり戦争参加できるようにすること
これがまさに今回の改正の真の目的なのだ。(だからアメリカはうるさいほど9条改正を要求している)決して「特アからの侵略」に備えるためではない(笑)
その態勢をがっちり整える為には憲法の原理である平和主義をひっくりかえさなきゃならないし、国民がガタガタ文句言わないようにしなきゃならない。
つまり、自由と民主主義の理念は後退させなきゃならない。
よって、9条と併せて前文が大幅に書き替えられ、人権規定も変質させらていることにも注目
まず前文について
引用すると長くなるのではしょるが、
今の非暴力平和主義を謳った文章は全文削除
そのかわりに国民に愛情と責任感と気概をもって国を支える責務を科している。
これはもうサプライズ(古)だ
憲法には譲ることのできない三本柱がある。主権在民、基本的人権の尊重、平和主義、がそれである。
そのうちの一本を真っ二つに折って廃棄処分にしてしまった
その上近代憲法の大原則である立憲主義まで変質させてしまっている。
そもそも憲法とは、国家権力側が国民の自由や人権を侵害しないようにその力の行使が恣意的にならぬよう制限するという性質を持つ。
つまり国民の方から国家権力側に「これは守れよ」と突き付けるものなのである。
従って憲法の名宛人は「国」であって「国民」ではない。遵守の義務を負うのは国民ではなく国家側なのだ
(これは第99条の遵守義務第条に現れている。99条は当然の理を示したにすぎない確認規定といえる)
憲法とはこのような特徴を持つ。
権力制限規範―これが憲法の本質である。
ところが、改正案はといえば、前述した様に、
前文が高らかに謳った平和主義をごっそり削除
代わりに
『日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもってみずから支え守る責務を共有』する。
おーまいがっ
国の方から国民に向かって遵守を要求している。
国家側でなく、国民を縛る行為規範にしちゃっているのだ
しかもこんな愛国心みたいな国民の内面に属することまで国家が踏み込んで、コントロールしようとしている。
責任感と気概をもって国家を愛そうがどうしようが、それは個人の勝手だ。大きなお世話である。
こういうことは個人が自分の意思で決めることであって、絶対に国家権力に強制されるべきものではない。
これはもう全く憲法のベクトルの方向を180度変えちゃって、憲法の本質を壊してしまった。
そして憲法の三本柱の一つである人権規定でも変質させられている。
元々基本的人権尊重の理念と平和主義の理念は密接に繋がっている。
人間の尊厳が侵害される最大の場面が戦争だから、平和主義が後退すればまた人権尊重も後退傾向になったっておかしくない。
現規定と改正案をちょっと比較して見よう。
現12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又は国民はこれを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う
改正12条
(~濫用してはならないのであって、まで同)自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しない様に自由を享受し、権利を行使する責務を負う。
この二つの違いを説明するのに、まず人権というものの性質、及びその限界を指す「公共の福祉」の意味を簡単に説明してみる。
基本的人権の性質は憲法が端的に述べている。
即ち、
人間は全て等しく個人として尊重されるべきであり、人間の尊厳は何より大事にされなくてはならないという考えに基づいて生まれた基本的人権。
これは長い人類の歴史の中で、多年にわたる自由獲得の努力すえに勝ち取った成果であり、侵すことのできない永久の権利である(11条97条参照)
それは、成文法の制定により国家から授かる権利などではなく、成文法を待たずして存在する人類共通の理により認められるものである。
だから国家が権力濫用して侵害することは決して許されないし、何よりも尊重されるべき存在である。
これが人権の普遍的な性質である。人間が歴史の中で獲得した叡智と言っていい。
従って、制限するならば、どうしても制限が必要とされる場合に限らなくてはならない。
それはどういう場合かというと、人権同士が衝突して、その調整が求められる場合である(ex.言論の自由vs名誉を侵害されない権利など)
これが「公共の福祉」のもっとも基本的な意味だ(それだけではないけど)
誤解されがちだが、「公共の福祉に反しない限り、権利尊重される」とは、多数者や全体の利益に反しない範囲内で権利が認められる(常に全体の利益が優先する)、という意味ではない(これでは公共の福祉の名目で安易な人権制限がされる恐れあり)
「公共の福祉」とは、基本的には他人の人権と衝突する場合に相互の人権の調整を計る「公平の原理」のことを指す。
ところが、改正案では人権の普遍的な性質を変質させてしまった
「公共の福祉」概念は捨てられ「公益及び公の秩序」に反しないように権利行使せよ、とされている。
公益及び公の秩序は人権より上位の存在との位置付けだ。
つまり、他人と権利の衝突が問題にならないケースでも、「公益」が存在すれば常にそれを優先して人権制限するのが認められるということだ。
例えばアメリカがまた世界の反対を押し切ってどこかの国と戦争を始めたとしよう。
当然忠実なポチ日本はアメリカの戦争に嬉々としてついてゆく。
国内でそれに反対する人々が現れる。
すると国は、国に反対する不都合な人間を「公益及び公の秩序」の名に於て弾圧できちゃうのだ。
これ、どこかで見た様な…
そう、
大日本国帝国憲法
「臣民ハ法律ノ範囲内ニ於イテ」権利を有するという規定だ。
国の利益は臣民の人権よりも上だ。
人権なんてものは「この範囲内ならいいぞ、認めてつかわす」と国家が温情で与えてやるものにすぎない。
これが戦前の考えだ。
だから治安維持法、国家総動員法などの法律で、思想の自由なぞゼロといっていいほど弾圧することできたのだ。
この帝国憲法の規定に一歩逆戻りしてちかづいてるんじゃないですか?
日本国憲法は人権を格調高く進歩させたのに、またぞろそれを後退させようってのは看過できることではない
おまけに次回からはもっと簡単に憲法を変えれるよう議員の三分の二の賛成から半数の賛成で良しとし、改正のハードルをさげている。
まだまだこういうきな臭い方向に憲法を変えてくやる気満々だ。
その他、政教分離や地方自治規定も後退した内容になっている(詳細は割愛)
私は記事の最初でこれはもう"改正"ではないと言った。
「改正」には限界があるのだ。
手続きさえ踏めば中身は好き放題変えていいというものではない。
憲法が一番大事としている原理原則は変えられない。それを変えない範囲内でのみ96条の改正は認められる。
でないと憲法は自身の存在の自己否定を認めていることになり、それは矛盾だからだ。
なのに自民党改正案は憲法の大前提である立憲主義を変質させ、三つの原理原則のうちの平和主義、基本的人権の尊重という二つを変質させている。
これはもう改正の域を超えた憲法の"自殺"だ。
自殺させたあげく、戦前の亡霊の面影をやどらせようとしている。
よくもまあ、こんな恥も外聞もない草案を作ったものだ
どの位恥知らずかというと
「あの国はどうやら〈改正〉の意味とか立憲主義の意味、人権の重みやその性質、といった近代法の初歩すら知らないらしいぞ
それで〈先進国〉だってんだからなぁ」
「やっぱり日本てその程度だよなぁ」
と諸外国から嘲笑されても仕方ない位なのだ
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