橋下氏は先日のツイートで、例の「独裁発言」についてこう釈明していました。
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/130805202470174720
@t_ishin 橋下徹
私の独裁発言は、このような事をするには、つまり権力を有している体制と対峙するには、こちらにも力が必要という現実的な認識を示したまでです。我々の権力の行使は市民に向けていません。常に役所組織、公務員組織、教員組織など体制側に向けています。
うわっ!
私のブログのサイドカラムに「ニーメラーの警句」が常時掲載してあるのですが、これ、ブログ「opeblo」の「逆ニーメラーあるいはニーメラーのすすめ」ど真ん中です
◆
opeblo■逆ニーメラーあるいはニーメラーのすすめ
http://d.hatena.ne.jp/opemu/20110609/1307557705
(引用開始)
我々が攻撃しているのはあなた方ではない、彼らなのだ、だからあなた方が不安に感じたり、問題視する必要はない。ニーメラーさんのコピペの「私」は、「攻撃されているのは自分ではなかったから何もしなかった」わけですが、「攻撃されているのは府民(自分)ではないのだから、何でもないでしょう?」と「私」に問いかける様なこのツイートは、「逆ニーメラー」「ニーメラーのすすめ」とも呼べるのかもしれません。
教員も大阪市役所の職員も議員の人達も、その殆どが大阪府民であるわけですが、上のツイートを見ると、さも彼らは府民ではないかの様です。(時々観測気球的な発言をするとしても、)大多数の府民を攻撃すれば支持を失いますから、今後も「ナチス」の攻撃は少数者に向かって行われるのでしょう。そして、その攻撃に選ばれた少数者は「府民」から除外され、大多数の人達に対して「攻撃されるのは府民ではないのだから、問題ない」と「ナチス」は言う。
もし、表現規制の強化がされる時が来るとするなら、橋下知事はこの様にツイートするのではないでしょうか。「一部の特異な趣味を持つ人達の行動に枠をはめる議案。府民に義務を課す案件ではありません」と。そして、晴れて表現規制条例は早々に改正され、殆ど橋下知事の人気は低下しないのでしょう。大多数の府民にとって、「一般府民と公務員は違う」のと同じ様に、「一般府民と一部の特異な趣味を持つ人達は違う」わけですので。
(引用ここまで)
だいたい、統治者(権力)が対峙して権力を向ける相手は常に被統治者(市民)であって、公権力が同じ公権力に向かって「権力を行使する、対峙する」なんていう構図はありえません。常識でしょう。
橋下氏が自分の権力を向けているのは役所組織、公務員組織、教員組織などの「体制、権力」にではありません。
公務員一人一人はそこで働く一市民、一労働者でもあります。橋下氏が牙を向けているのは役所や学校で働く「労働者、市民」に対してであることが、条例の中身をみればよくわかります。
その攻撃の矛先は少しづつ他の労働者、市民に向かってくるのは容易に想像できます。
これも古典的な分断手法ですね。
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