コメント
例によって逆切れですか
さて、この「VOICE」とうい番組は平日18時台の関西ローカルのニュース番組ですが、この時間帯のローカルニュースを遡ると、関西地区で初めて誕生したワイドニュース番組「MBSナウ」にたどり着きます。この番組、平松前市長が番組開始から18年にわたってキャスターを勤めていた番組でした。あるいはこんなところにも、逆切れの原因があるのかもしれませんね。
ネトウヨと同じ精神構造…
以前、秋原さんがお示しになられた、ネトウヨの精神構造に酷似してますね…。「脊髄に触れ、反射的に反応してしまう。」ネトウヨの反応そのものですね…。
自分たちのとんでもな思想の色眼鏡を通し、そぐわないものに対しては、理不尽にも徹底的に弾圧を加える。正当な批判に対しても、頭に血が登ると制御できず、あの金切り声で逆上し、理屈の通らない詭弁を弄する。まさに幼児の駄々そのもの…、まだ幼児は可愛げがあり、微笑ましいのですが、徹さんは大の大人…、洒落にもならない…。彼の言動を見聞きしてますと、誠にもって“不粋”といいましょうか、野暮ったい醜態を晒して憚らない御仁に思え、見てるこっちが、げんなりし、彼が哀れに思えてきます。批判に真摯に耳を傾け、反省すべきは反省し、軌道修正するのが、大人の所作・立ち居振る舞いであると、わたしは思うのですが…。アドルフ・ヒトラー(独裁者)下衆(げす)そのものですね…。 わたしは彼の顔をみたり、声を聴いたりするたびに憂鬱になります、生理的に受け付けないんですね…。わたしにとって彼は、“日の丸”“君が代”“核兵器”“軍国主義”などと同じく、憎しみの象徴でしかないのです…。
はじめまして
だとしたら、決して彼(ら)には政権の座に就いて欲しくないです。
>02/18 12:47 By: URL 様…
こちらのブログでは、殆どのコメンテーターの方々が“維新の怪”をご使用になられておられます。あと、“バカ殿”もその類いですね…。流行語大賞に輝く日も近いでせう…。 (。^p〇q^。)プッ
悪趣味な揶揄と受け取られかねないからやめたほうがいいとは思うのですけれどね。
落ちこぼれゼロ法
にジャーナリストの堤未果さんが警告
していましたね。彼女が去年刊行した
「社会の真実の見つけ方」という本に
この番組と同じ内容が詳しく書いてあります。
キャスターは橋下が怖いんでしょうね、
一般論に逃げて自分の意見をいうのは
避けてますね。情けない。
教員免許まで改革が必要なんでしょうか?
いくらなんでも競争論理を導入したら不正が横行するって教員の倫理が底辺であった証拠。
法律でどうこうする前に教員の質向上を最優先にしておかなければ・・・。
つまり教員免許の見直しが必要ということでしょうか?
でもできれば教員の人には聖職者の意地を見せてもらいたいです。
河野洋平氏を「紅の傭兵」とブログに書いて恥じない、産経新聞の阿比留某よりは益しだと思いますが。
今後の判断は秋原さんに委ねます。
そもそもの前提がおかしいです
ですから「改革の為の対案をだせと言うのはおかしい」と言う事の方がおかしいです。
また逆に「民意なんて関係ないね。改革なんてしないよ」と言うなら、それこそ“独裁”の謗りを免れないと思われます。
たとえ市民が望んでも
たとえ民意であったとしても、やるべきではないこともあるのです。
失敗の先例がある教育改革を持ち込まれ、教育難民化した住民が雪崩をうったように他県に流出したらどうなるでしょうか?
逃げた住民が橋下氏に投票した人だったらどうしますか?
それに、被害をうけるのは票を投じた住民だけとは限りません。
橋下氏に投票しなかった人、そして将来大阪市民・大阪府民になる人もまた被害をこうむることになるのです。
その中には、大阪市民・府民になることを自ら選べなかった人も含まれるのですよ。
何も大阪市民・府民に生まれたくて生まれたわけじゃないという子どもたちが、これからもこの世に出てくるのですから。
“かぼちゃ”さんへ
右派の人達って、「革命」は嫌いなくせに、「維新」「改革」はお好きですね。
古くは二・二六事件の青年将校達に始まり、近年では小泉シニアも。
本質に何の差があるんでしょうか。
>かぼちゃ様…
「橋下さん、もう破壊は、やめなさい…。」と諌めているんですね…。(^_-)-☆
そもそも論
(別に右でも左でも無いです、教育が好きなだけです。それでも教育学や心理学には自己流をかざすネト住民や政治家よりも精通してる自信はあります)
まず驚いたのは、日教組の偉い人(校長先生とか教育委員会の要職の人は実際、この辺の人でした)はふつうに優秀です。頭もいいし、教育熱心で人望も厚い。そもそも優秀だから出世するわけですから。
日教組って悪の権化みたいに言われてたし、狂人の集まりじみたイメージでしたので、ちょっとバイアスかかってたなあ、て思いました。
あなたも信じないなら何らかの形で教育に関わるといいです(けっこう簡単ですから)。そしたら意外なぐらいまともなおじちゃんたちです。
一方で橋下さんも好きです。努力家で頭もいいし、ちょっと小賢しいけど憎めない。
彼のやりたい手法はいわば明らかに「学校の進学塾化」です。また神奈川桐蔭学園や智弁和歌山のような中高一貫私立のような専門化(全国大会出場と東大2ケタの両立)です。
これってどっちが正しいの???
で言うとどっちも正しいと思う。
そもそも文部官僚も教員も真っ当な有名大を出た頭のいい人たちで、教育熱心なわけですから。子どものことをどうでもいいよ、と思ってる人はいない(この辺が一般の公務員と違う気がする。手当ての出ない部活動に毎日、土日ももちろん、またあいさつ運動などの課外活動や自主的な勉強会に積極参加する教師は多いですよ。18時になったから帰る、みたいな人は殆どいませんでした。)
やり方が違うだけでどっちかが間違ってるとは思いません。個人的には首長がボスなんだから、まずはボスの言うことを聞くのが正しいかな、と思う。
そもそも大阪は意外と公立王国で、公立の教師のレベルや生徒のレベルが低いってことは無い。
一部の地域が低いのはある(でも都市部ならどこもそういう地域あるものだ)
だから改革を支持するのも、一部の人がちょっと二の足を踏むのも分かる(例えば彼の母校の北野は毎年50名は京大に行かせる。でも京大に行く事を至上の喜びにしてるわけじゃないのも、改革が失敗したら100名200名を行かせるどころか、日比谷のようにいつか0名になる危険性すらあるのだ。)
方向性としては凄くいいと思うし支持しますけど、2極論にせずに、一丸で取り組んで成果を上げて欲しいですね。
子ども第一と思えば、出来ると思いますし。
橋下維新に子供をアホにされないために!「市民のための教育戦略」を提案するよ (3)
岸本先生は文部省や保守政治家から見ればまったくもって文字通りの「日教組教師」だった。しかし岸本先生の業績は誰にもケチのつけようがない。
先生は数多くの教育論を書き、講演を行い、また小学館と組んで子供のための学習教材(『ドラゼミ』)なども作られ、後進を育ててこられた。
橋下徹が大阪府知事時代に教育委員として起用した陰山英男も岸本門下であるし、彼の教育論も基本的には岸本先生のスタンスを継承している。
橋下は教職員組合を執拗に攻撃しているが、「日教組教師」の研究成果を認めざるをえなかったわけである(@∀@)
余談ですが
確かに北半分、特に左上(現第1学区。橋下氏の出身校の北野はここに属する)はそうですね。
けど右下(現第3学区)は昔からそうでもないですよ。
因みに私はこのエリアの出身です。
だから公立王国と言われてもさしたる実感はありません。
志望校による人気格差が割合大きい地域だったので、希望の公立高校にちょっと届かないから一ランク下げるというのをいやがって、不合格覚悟で受験する子も結構いました。
また、合格圏の公立が希望するランクと開きがある場合、一ランク上の私学を専願受験する人も珍しくなかったです(これは将来の大学受験を考えてのことです)。
かつて公立人気が高かったのは、授業料が安かったことももちろんですが、私立の共学校が極めて少なかったというのも大きいかと思います。
やっぱり男女別学よりは共学のほうに心惹かれますから。
ともあれ、私はここまで橋下氏が教育にこだわる理由がわかりません。
大阪府の高校入試制度自体、昔から競争原理はきっちり働いていると思っていますから。
内申点と筆記試験の割合もほぼ半々でしたしね。
やっぱり公立王国学区の育ちだから、今の公立の状況に苛立っているんでしょうか?
同じ大阪府民であった私とは、かなり感覚の違いを感じます。
そういうこともあるせいか、「何をさておいても教育が最優先」と言わんばかりの大阪維新の会の姿勢は、果たして府民がどこまで共有しているのかについて、私は疑問に思っているのです。
どなたか、
2つの反論がちょっと意味不明すぎてもやっとしてるのですが。
どなたか、何とかならないでしょうか。
それから八甲田山の例えなどは設定が恣意的すぎてイカサマの類に近づいています。
割り引いて読まれたほうがよいかと思います。
例えば市の現状をクレバスに向かって行軍している状態とし、「改革」を右か左どらか(どちらが良いかはわからなくとも)への方向転換に例えれば結論は逆に、、、等々。つまらない話で申し訳ありません。
あと、anさんを支持します。
悪くしようとしている人はほとんどいない、
と考えられないものかとつくづく思います。
あと、庇うわけではないけど、橋本さん確か保護者と生徒の評価を基準にうんぬん言ってたような。
あとデメリットも「100点満点な方法などない」って言ってましたが、これはデメリットには当てはまらないかw
どちらにしても、普通自分の案を悪く言いませんよ。自分の案を通したいならね。多分成功、失敗よりもまずはやってみるという㈱カヤックみたいな精神なんじゃないかなぁ。
橋本さん派でもなんでもないけど、民間企業で働いてる者にとってみたら、橋本さんごく普通のことしか言ってないのだが・・・うちの会社なんて数字数字ばっかりで毎日終電まで帰れないしボーナスも無ければ残業代も出ねぇで、クビにすっぞとか言われんだからヨォ・・・トホホ
民間も同じ
↑コメントはそれこそ社会を知らない空論ですね。
無茶なノルマや実態に即してない成果主義やったら数字上の帳尻あわせやズルに手を染めるのは古今東西、職業問わずですよ。
加ト吉、メルシャン、NECと上場企業が手を出した循環取引なんて競争原理の賜物じゃないですか。 ちなみに80年代の超大型倒産として安宅産業がありますが、止めを刺したカナダでの石油取引以外にも社内奨励金を確保するために名目上の売上高を上げる赤字取引を大量に行ってダメージを受けたことは有名です。
改革と維新は全くの別物ですよ。
改革とは今までシステムを壊して新しい物にする
維新は改革によって壊されたシステムを今までのシステムに戻すという意味があり真逆の事象です。
明治維持は今までの徳川政権から朝廷への政権返還です、徳川政権が正道のように見えますが、徳川政権が改革政権として朝廷から政権を移譲された経緯を忘れてしまって
維新を使うため、維新=改革と勘違いするのです。
橋下氏もそこを勘違いしているものと見ています。
大阪の学力が全国平均より遥かに低くくブービー賞の現状を見たとき、せめて平均までに学力を引き上げるために、何をすべきかを考えずに
イデオロギー論争していてもどうしようもないと思います。
結局、去年10月の案は何が変わったのか?
>落ちこぼれ法案によってアメリカの教育界がどうなったのかの現実を知らなさすぎます。
アメリカの教育界の現実は、現地の人にしかあまり分からないと思うけど、あなたが現実を知っていると思った根拠は何だろうか。
学習しないバカ
これも同じ結果を生むだけ。
知事時代になんにも出来なかったもんが、何が出来ようか
問題解決
かぼちゃさんへ
>かぼちゃ様
橋下市長は、“改革”と言いながら、実のところは、“改悪”をしているから、今より悪化させるべきではない…。と反橋下陣営の皆さんは、ご主張しておられるのだと、わたしは思うんです。市職員の思想調査アンケートなどは、日本の最高法規である“日本国憲法”を踏みにじる暴挙であり、日本国憲法を遵守すべき首長がやってはならない暴走・蛮行なんですね。これは“改革”なんて言える代物ではないとわたしは断じます。“破壊”は改革ではないのですね。『破壊・改悪をやめなさい』と法曹界などの各界が諌めているのであり、対案など示す必要性がないとわたしは考えます。橋下市長は、日本国憲法改悪を企んでいます。国会の2/3の同意がないと日本国憲法をさわれないのですが、橋下市長は、過半数で“改悪”できる様に企んでいます。こうゆう“蛮行・暴走を許すな”と反橋下陣営は主張しておられるのだとわたしは思います。
「橋下さん、もう破壊は、やめなさい…。」と諌めているんですね…。(^_-)-☆
MT
生まれによる固定化は挙げられていますが、日本では所得階層と居住区域でリンクしていない(大阪の場合は西成区がありますが、近隣へのアクセスがよく1時間未満でその他区域の学校に通える。また、西成区の特殊性を鑑みて重点的に補助がなされる方向。)ので、社会状況の違いを無視してそのまま結論を持ってきたものに現実妥当性は乏しいと考えられます。
ハシゲを抑えなければ日本は滅びる
そのハシゲが国民の根幹たる教育に愛国心を押し付けると言うことはもってのほかです。愛国心を語る前に沖縄県の米軍基地集中問題を真っ向から語り、アメリカに米軍基地を無条件でテニアン・オーストラリアに移設するよう迫るべきではないでしょうか。
さらに防衛庁による組織ぐるみのジミントー候補への支援という犯罪行為への批判もしないお粗末さ。そんな国のどこに愛国心をもてるのでしょうか。アイヌ民族への差別的対応をつい最近まで放置してきた子の国のどこに愛国心を感じられるのでしょうか。アジアの人たちへの戦争責任を一度も詫びないこの国のどこに愛国心を感じられるのでしょうか。
事実に基づき、私は愛国心を押し付けられたくはないのです。日の丸や君が代がアジア支配のツールとして使われた事実を見れば、今回の条例などやってはいけないのです。法律に精通している弁護士ならなおさらでしょう。
>鍵コメント提供者さん
動画は印象操作のお手本
Voice動画について
橋下がやろうとしていることとミシェル・リーのやったこととはかなり隔たりがある。橋下は基本的に保護者の判断を取り入れろと言っている。自分が気に入らない奴を首にするとか、具体的な教育内容を自分で決めるとかは言ってない。これは別のローカル番組でも明言してた。
大阪府教育基本条例案については、基本理念と人事のことしか書いてないペラペラなもので、大した中身はない。そのこと自体は批判に値するかも知れないが、懲戒・分限処分を丁寧に列挙式にしていたら条文数が増えただけの話を "Punishment! Punishment! Punishment!"と言われてもw 動画中の教育学者が大阪の教育の現状と条例案の中身をどこまで精査して発言したのか。
アメリカの落ちこぼれゼロ法も一定の評価はある。必ずしも全てが失敗だという評価ではない。
加えて、橋下は自分が間違っていると悟ったら変わり身が早いから、自分のやりたいようにやって失敗が明らかになりそうになった時点ですぐ改めるよ。それじゃあ遅い?いや、橋下がいなければもっと遅くなるね。いつになるか分からない。これまで数十年の大阪を見てきて断言出来る。橋下を除いては、教育を改革するなんてこと自体不可能だった。
正しく批判的であろうとする余り、極端な例を出して印象操作というのはVOICEの平常運行。みみっちい憤懣本舗はオモロいけどね。
反論
今、私は大阪府知事ではなくて、大阪市長です。当時とは状況が変わっています。それに、市長職は、知事職よりも権力が小さいです。したがって、私も方針を変えなければならないのです。当然のことです。私のご意見に不満なら、大阪府知事なり大阪市長なりにあなたが当選してから文句を言ったらどうですか。笑
...あ、ちなみに、「私のご意見」とは、絶対敬語ですwww
違憲違法ではないマスメディアの橋下批判と、違憲違法と批判される橋下政治
>メディアは批判することが仕事だから批判は良いんだけど、今回は度を越している。
橋下氏にとって、批判していいのは、朝日新聞とのインタビューで言った、「維新」とか「船中八策」などの名前だけなんでしょう。笑
だけど、マスメディアが為政者を批判することについて、違憲とか違法とかいう意見が法曹界から出たことはないですよね。一方、橋下氏がやっていることには違憲とか違法とかいう指摘が法曹界から出ているのにね。橋下氏の政策の方こそ度を越しているのです。
>小野哲 様…
>国民の根幹たる教育に愛国心を押し付けると言うことはもってのほかです。……>日の丸や君が代がアジア支配のツールとして使われた事実を見れば、今回の条例などやってはいけないのです。法律に精通している弁護士ならなおさらでしょう。
全く同感です。大賛成です。橋下が行う諸々の蛮行は、“真の敵”を隠蔽し、日本を戦前・戦中の様な暗黒社会に引きずり込む心積もりであろうことを示していると、わたしは考えます。それは“日の丸”・“君が代”の強制から、教職員の分限免職、思想弾圧のアンケート調査へと続く一連の反動的な動きを見れば明らかです。“日本国憲法”を無視・蹂躙する「首長の日本の最高法規である日本国憲法を遵守する義務」をかなぐり捨てる、橋下の許されざる行為を見過ごす、今の日本社会にとてつもない恐怖を感じます。
決めつけとポジショントーク
ようするに教師を含む公務員は民意は関係ないということですか?
>橋下案は評価として愚劣なことには変わりないんですがね。
誰の評価ですか?
一方的な意見を既成事実とするのはどうかと、、、
まあ、このサイトは公務員らの地位保全運動を主な意見にしてるんならそれもいいと思いますがね。
>ちゃんみよ様…
>橋本さん派でもなんでもないけど、民間企業で働いてる者にとってみたら、橋本さんごく普通のことしか言ってないのだが・・・うちの会社なんて数字数字ばっかりで毎日終電まで帰れないしボーナスも無ければ残業代も出ねぇで、クビにすっぞとか言われんだからヨォ・・・トホホ
こうゆう、非人間的な企業の横暴(もはや暴力ですね…。)から、労働者を守る大切な組織が、橋下市長が目の敵とし、叩き潰そうとしている“労働組合”なんですね…。あともうひとつ…、橋下市長は大切なものを叩き潰すことを企んでいるんですよ…。それは、“日本国憲法”です。日本国憲法は基本的人権を守る大切な最高法規なんですね…、ちゃんみよ様が勤務してみえる様なブラック企業の横暴から労働者を守るのが“日本国憲法”なんですね…。 橋下市長は、その様なブラック企業などを是認する「新自由主義・市場原理主義者」なんですね。常々、橋下市長は言います…。「グローバル社会に対応できる子供をつくる…。」と…。この非人間的な強欲資本主義社会を民主的な人間の尊厳を大切にする“共生社会”に変革しようという思想・哲学が欠落している様に思えますので、わたしなどの左翼は、橋下さんを非難するのです。橋下さんが攻撃している“公務員”の皆さんや、わたしの様な貧困で打ちのめされている市民が、連帯・団結して“真の敵”をあぶり出し、闘うべきであるとわたしは考えます。北欧諸国は、日本と同じ資本主義社会でありますが、“揺り篭から墓場まで”と言われる程に、微に入り細の社会保障制度があるのです。北欧諸国は、民主的闘いや連帯により、“共生社会”を勝ち取ったという歴史的事実が厳然とあるんですね…。わたしたち日本人も、そこのところを冷静に深く熟考する必要があるのではないかと考える次第です…。
メリットデメリット
他国が既に実践し失敗だったと判断した物と同じ事をするメリットとはどういうものでしょうか?問題教員が体罰や犯罪をした教員の事を指すなら今のままでも対応できますし。条例案では知事が教育委員を罷免したり教育目標を設定できるみたいですが、知事が変わる度に内容が変わる可能性がある教育が子供の為になるんでしょうか?私にはデメリットにしか見えません。
また、メリットデメリット以前に大阪の教員基本条例案は違法の可能性があると指摘されていましたよね。
この条例の主旨は黙って従え、従わない奴は罰するという物のようなので、対案を求める前にまずはその上位の法にあたる法律に沿って修正するのが筋ではないかと思います。
日本への警告
今日の教育情勢を読み解く鍵 ~日本への警告 5~
http://us-education-today.blogspot.com/2011/05/5.html
公教育における「公」と「私」の境界の不透明化 ~日本への警告 6~
http://us-education-today.blogspot.com/2011/05/6.html
公立学校の解体 ~日本への警告 7~
http://us-education-today.blogspot.com/2011/05/7.html
それにしても、(教育政策に限らず)過去に諸外国で不評や失敗をもたらした政策でも、それを目新しいものとして支持してしまう人たちがいるのが残念です。その気になれば、ネット記事や書籍などで、そうした外国の過去の失敗例を知ることは可能ですが、自分の周りを見ても、日々の生活に追われて、そんなことは思いもつかない人が多いのが現実です。こちらのエントリーで紹介された報道番組のように、マスコミがもっと積極的にそうした事実を知らせてくれれば良いのですが。
ついでと言ってはなんですが、最後のリンクのコメント欄にあるKaoru Miyazawaさん(ブログメンバーのお一人のようです)のコメントの初めの部分を以下に引用します。
>3年前からアメリカ東部の大学で教育学のコースを教えはじめ、クラスでもNCLBのことを話している。そしてどのクラスでもまだ高校を卒業したばかりの若い生徒たちに同じ質問をされる。「NCLBの意図は理解できません。どうして既に経済格差、社会的な差別に苦しんでいる人たちに更に制裁を加えるようなことをするんですか?どうして苦しんでいる人たちを助けないんですか」。かなり的を得ている問いだ。同時に彼らの純粋な熱い思いが伝わってくる。
公立高校の入試自体はずーっと昔から競争原理はきちんと働いていると何度いったらわかるのだろうか。
そんなに橋下が良ければあんたのところにくれてやる。
誰もうちの首長になってくれと言わないとこをみると、ああやっぱりなと思うけど。
私学無償化のせいで大阪の受験生は努力しなくなったね。
公立落ちのプレッシャーもないし。
それ以前に高校受験した世代が大損したから不公平だな。
政権交代で高校無償化がなくなったらどうする?
大阪はそれでも私学無償化続けるのかよ。
とても参考になりました。
「(橋下氏はバイトして通学費稼いで遠くへ通えって言ってましたね)」とありますが、一応、橋下は「交通費くらいは出しますよ」と言いながら、「通学費くらいは稼げばいいと思いますけどね」と言っています。
「自分で稼いだらいい」という発想自体、呆れるものではありますが、批判する場合は、相手の発言を捻じ曲げたと取られないような書き方をした方がいいと思います。
日本への警告 続き
チャータースクール主流化の問題点 (日本への警告8 / 加速するチャータースクール推進運動4)
http://us-education-today.blogspot.com/2011/06/8-4.html
また、上記エントリーにリンクがある、こちらもなかなかわかりやすくて興味深いエントリーです。
現代アメリカ教育を支配する価値観 ~市場型教育改革を考える①~
http://us-education-today.blogspot.com/2011/01/blog-post_18.html
・・・・(以下、上記のブログより、一部を引用させていただきます)・・・・
「生産性、パフォーマンス、効率、データ、アカウンタビリティー、産業、マーケット、市場、大量生産、競争、需要と供給、イノベーション、ヒューマンキャピタル、デリバリーシステム、顧客、消費者、オペレーター、マネージャー、フランチャイズ、マーケティング、ブランディング、レバレッジ、リスク、マーケットシェア、利益…。
ビジネス用語?勿論。でもこれらの用語は市場型教育改革の用語でもある。」
Geiger, A. (2010) “Words matter: Children are human beings, not market products.”
今日のアメリカ教育事情には危機感を感じずにはいられない。教育は上記のようなビジネス用語で溢れかえり、「落ちこぼれ防止法」 (No Child Left Behind) が求めるスタンダード&アカウンタビリティーシステムの構築によってそれを煽っているのはアメリカ政府に他ならない。国の教育システム全体が一つの巨大市場、そして唯一の通貨は学力テストの点数といった感じだ。
しかし、これは今に始まったことではない。今日のアメリカに蔓延する市場型教育改革の礎を築いたのは、「落ちこぼれ防止法」 より約20年も前である1983年、レーガン大統領政権のアメリカ教育庁長官諮問機関であったNational Commission on Excellence in Educationが発表した一つのレポートだと言われている (Falk, 2000; Labaree, 1997; Noddings, 2003)。 『危機に立つ国家』 (A Nation at Risk) と名付けられたこのレポートは、アメリカの学生の学力低下と教育の質の低さをドラマチックに描写し、それがもたらすであろう世界市場における国家失墜の危機を訴えた。これにより、
「生徒の学力 = 国の世界市場における競争力」(原文太字)
という認識がアメリカの民衆に植え付けられ、「教育の目的は国の競争力向上のために生徒の学力を伸ばすこと」、という一つのディスコースができあがった。
『危機に立つ国家』 がきっかけとなり、アメリカは教育改革の渦に包まれていった。これらの改革は、市場原理に基づき、規制緩和、民営化、インセンティブなどのビジネスコンセプトを次々と教育に取り入れていった。しかし、注意すべきは、これらの 「改革」 が全て同じディスコースの中で行われていること、今なおその狭い価値観から抜け出せていないことだ。
・・・(引用終了)・・・
教育における競争原理に関して
何年か前か忘れてしまいましたが、堤未果さんの講演を聞いたことがあります。アメリカの教育制度で露骨な競争原理が持ち込まれ、それが結局は貧困層の教育機会を奪い、そして教育機会を奪われた若者に対して、軍が奨学制度を誘いとして入隊を勧誘していく手法を具体的に話されていました。徴兵制がなくなったアメリカでは、それは兵士を集める重要な手段であり、そのために競争原理を強力に推し進めたと考えられ、それによってアフガニスタンをはじめとする戦争を遂行していきました。もちろん兵士集めを競争原理の目的として公言していたわけではなく、競争により国際社会で勝ち抜く優秀な人材を育てることを建前としていました。橋下氏の教育に関する言動を見ていて、いつも堤さん講演を思い出していました。橋下氏がやろうとしていることは、アメリカの教育の競争原理強化の施策とほとんど同じであるし、建前理念も全く同じです。堤さんは橋下氏が出てくる以前から、アメリカの教育制度の現状と照らし合わせて、日本の教育制度が同じ方向に行こうとしていることに警鐘を鳴らしていました。つまり橋下氏の教育改革は決して新しいものではなく、以前から着々と推し進められようとしてきたものと変わりありません。それは中教審のころから言われてきたことであるし、それに対してどの子も確実な学力を身に着けることができる教育への要望と対立して、どっちつかずの状態で日本の教育は混迷してきたのかもしれません。それに対して橋下氏は、強引に教育を競争原理に持っていこうとして、そのために権限、権力の集中を試みています。それが橋下氏の教育基本条例に他ならないのであり、彼がやろうとしていることは「教育改革」ではないと思います。
ほかにもいろいろと書きたいことがあるのですが、文章に自信がありませんし、時間もないので終わりにします。へたな文章でごめんなさい。
>2012.02.18 ( Sat ) 16:52:19の名無しさん、ハンドルをお願いします
橋下氏のクソ教育委員会、オ○ニー弁護団、オ○ニー新聞よりいいと思いますが。
それから、名無しさんのようなコメントはたびたび頂きますのでつぎのようなテンプレでお返しすることにしています
橋下氏は権力者です。市民は権力者をユーモアを交えて風刺する権利があります。「維新の怪」も風刺です
詳しくはこちらをお読みください。
◆村野瀬玲奈の秘書課広報室
要人をユーモアで批判する権利は正当なもの。(フランスのサルコジー人形と、日本のリアリティ・ツアーの麻生人形)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-963.html
逆に権力者が「クソ教育委員会」などという下品な言葉遣いをするほうが問われてしかるべきかと思います。
>かぼちゃさん、おそくなりました
おかしいですね、市長選では教育基本条例などほとんど争点に上らなかったので、知らずに投票した有権者も多いと思いますが。
橋下氏に投票した人は彼の政策すべてに賛成しなければいけませんか?
あなたに投票はしたけれどその政策はいらない、ということもできませんか?
代表制度ってそういうものではありませんよね?
ましてや橋下氏に投票しなかった人の言い分は押してはかるべしです。
そういえば一昨年民主党が大勝したとき、民主党のマニフェストの目玉だった子供手当に対しネットで「そんなのはばらまきだ、やめてしまえ」という声が多く出ました。
かぼちゃさんによれば
「子供手当やります」という事で国民から支持を受けた人間が多数当選したのですから「子供手当を実行せず現状維持」というのは、そもそも選択肢に入れるのは間違っている
ということになります。
で、子供手当に反対した人々は「対案」は出したのでしょうか?
公務員は民間企業従業員ではない
地方公務員法第27条を御確認下さい。公務員の身分保障が定められています。
橋下は大阪市の教職員を、この規程に拘束されない特異な存在、私学の教員レベルにしようとしているのですよ。
一部の私学で、校長や理事長の恣意により教員が解雇され、地位確認要求の訴訟沙汰に発展している例さえあることをご存じないんですか?
子供たちにとってのメリットでなければ意味は無い
はたして橋下市長の望まれる“メリット”とは、どのようなものなのでしょうか?
こちらの「“しょう”のブログ」さんで、堤未果さんによる講演、「アメリカの競争教育から大阪をみる」の内容が紹介されていました。
教育基本条例案に関わる講演 ~米国の現実に学べ~
http://plaza.rakuten.co.jp/shchan3/diary/201112110000/
>教育基本条例案で大きく揺れる大阪の仲間から、「アメリカの競争教育から大阪をみる」という講演会の報告をいただきました。米国の現実に基づいた話で、非常に説得力のある内容だと感じています。以下に転載しますのでぜひご一読ください。
>風鈴草さん、お返事が遅くなってて申し訳ありません
またじっくりリンク先を読んでエントリーにてご紹介させていただくこともあるかと思いますので、そのときはよろしくお願いいたします。
今年の衆議院選挙が独裁者橋下を止める最後のチャンスか
その目指すところは彼が公言しているように独裁者である。最近ではさすがに大衆受けが悪いと考えてか、決定できる民主主義と言い換えているが、同じことである。大阪都構想、道州制などは彼とその取り巻きが支配を広げるために作り出したものである。大学の先生がメリット、デメリットなどを検討して発表しているが、そんなことをする意味のあるものではない。
賢い彼は、米国の横槍が入らないよう、船中八策にて米国に隷属することを表明したが、実際に大阪をとり、関西をとり、そして天下をとったら、日本のヒトラー(独裁者)で満足するとはとても考えられない。
今年行われるとうわさされている衆議院選挙が彼を止める最後のチャンスになるかも知れない。彼を放言癖のあるおもしろいおろかものと軽んじてはいけない。ヨーロッパを戦禍の渦に巻き込んだヒトラーも最初は貧乏絵描きにすぎなかった。手遅れにならないうちに橋下氏には政治の舞台から退場してもらうべきである。
(補足)
思想調査、教育基本条例など、彼が繰り出す手品の一つ一つを批判するのも大切であるが、それだけでは、手品師(橋下氏)が繰り出す手わざに踊らされることになる。手品師の本質(独裁)を見抜き、すべてはそれを達成するための手段や方便であることを理解すべきである。
はじめまして。
いささか遅まきですが、まず動画はご覧になったのでしょうか?
〉 橋下がやろうとしていることとミシェル・リーのやったこととはかなり隔たりがある。
リー教育長の政策と橋下市長の政策に差異がある事が、両者の共通点がない、あるいは少ない事を証明するものではありません。
“成績”の悪い学校は廃校、“成績”の悪いクラスの先生は免職。これを懲罰的に行うという点が動画で問題にされていて、その点において両者の問題意識と解決手法は極めて共通点が多いという事でしたね。保護者の意見とか、そういう事を問題にしてはいません。動画はきちんとご覧になりましたか?
〉 大阪府教育基本条例案については、基本理念と人事のことしか書いてないペラペラなもので、大した中身はない。
はい。そのこと自体が批判に値します。なぜならその薄い内容でもって子どもたちの将来に大きくかかわる教育政策を行いことは無謀であるし、子どもたちに対しても無責任極まりないでしょう。
〉 懲戒・分限処分を丁寧に列挙式にしていたら条文数が増えただけの話を "Punishment! Punishment! Punishment!"と言われてもw
内容が薄いにもかかわらず、懲罰規定だけが事細かに書かれていたら、普通はこの条例の性格、主旨、目指すところが教員の懲罰にあると解釈するのは自然なことだと思いますが。「薄い内容」の条例の中でそれが重点的に書かれていたら、条例の主目的がそこにあると考えるのがそんなに不自然なことでしょうか?
〉 動画中の教育学者が大阪の教育の現状と条例案の中身をどこまで精査して発言したのか。
現状がどうであっても教員を懲罰で縛り萎縮させ、市場原理的に学校や先生を淘汰していく事が、本当に子どものためになるのでしょうか?教育の市場化が正当化される「大阪の教育の現状」とは、具体的にどのような状況を差して仰っているのでしょうか?
ラビッチ教授は“現状”の如何によらず、この教育基本条例は問題があると指摘していると思えますが。
〉 アメリカの落ちこぼれゼロ法も一定の評価はある。必ずしも全てが失敗だという評価ではない。
「学力は向上した」と動画内でも紹介されています。しかし一方で貧困層が教育から排除され、教育がテスト対策主体になり、不正行為が横行したという、「学力の向上」というメリットを台無しにするようなデメリットも紹介されていました。メリットデメリット双方に言及しています。動画はきちんとご覧になりましたか?
〉 加えて、橋下は自分が間違っていると悟ったら変わり身が早いから、自分のやりたいようにやって失敗が明らかになりそうになった時点ですぐ改めるよ。それじゃあ遅い?
はい。「我々は間違った。同じ過ちを犯すべきでない」という先人の知見を無視して問題のある政策を推し進めてしまったら、後でそれを改めたとしてもその被害者となった子どもたちにとっては遅すぎます。
その時に忠告があったにもかかわらずそれを”わざわざ”推進した橋下市長やその支持者たちは、彼らに対していったいどんな責任が取れるというのでしょうか?
大阪とアメリカの状況が違うというなら、どこがどのように違うのか、そしてその違いがどのような理路でアメリカとは違う結果を大阪にもたらすのか、説明する責任は政策を推進する橋下市長側にあるはずです。しかし、一連のツイートで橋下市長がその説明責任を果たしているでしょうか?
〉 これまで数十年の大阪を見てきて断言出来る。橋下を除いては、教育を改革するなんてこと自体不可能だった。
そう断言される根拠はなんですか?
現場の教員からは長らく生徒への目が届きやすい少人数学級、副担任制、専科教員の充実、心身障碍のある生徒のためのバリアフリー化、彼らを専門知識と技術をもって担任できる専門教員の育成などなど…教育に関する改革案が多数挙げられてきました。それらすべてが教育レベルの底上げを目指したものです。それこそ何十年にもわたってです。それをことごとく無視してきたのみならず、逆行してきたのが文部省、文部科学省、そして大阪府です。その流れの中に橋下府知事、そして橋下市長もいます。
彼の施政下で教育関連予算はどうなったかご存知ですか?身分不安定な講師の定数を増やしたり、私学経常費助成を削減したり、府立高校の統廃合を進めるなど、底辺層切り捨てともいえる経費削減の一方で、習熟度別指導などのエリート教育には多額の予算を計上しています。これと併せて福祉医療関連予算の大幅削減が行われ、貧困層は一層経済的にも学力的にも追い詰められていると言っていいでしょう。
簡単な算数の問題です。ある集団の中で平均値を上げようとするなら、多数を底上げするのと、少数の上位者をさらに引き上げるのと、どちらがより効果的でしょうか?
子どもの学力の低下を憂えるふりをしながら、彼らのしていることは学力の低い生徒の切り捨てでしかありません。
あなたは動画を印象操作だと批判されましたが、そのあなたの批判こそ根拠に乏しく印象操作的であると思えます。
どなたか、無学な私にお教えを
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120225-00000592-san-soci
(引用開始)
教育条例「早期成立を」市民団体が勉強会 教職員組合側は「阻止」採択
産経新聞 2月25日(土)23時22分配信
大阪府の松井一郎知事が2月定例府議会に提案した教育関連条例案をめぐり、早期成立を求める市民団体の勉強会が25日、大阪市内で開かれた。大阪市の橋下徹市長も市議会にほぼ同じ内容の条例案を提出する方針で、勉強会には「教育基本条例案」をまとめた橋下氏率いる大阪維新の会の議員も参加、成立を求める要望書を採択した。
一方、大阪教職員組合も同日、市内で開かれた臨時大会で特別決議を採択し、教育現場の“政治的中立性”を守るため、条例案撤回を求めていくことを確認した。
勉強会では、元埼玉県教育委員長で明星大学の高橋史朗教授が講演。「子供の最善の利益は自律の精神。価値観の強制はいけないという、誤った教育は改める必要がある」と述べた。
また、パネルディスカッションでは、維新府議団の今井豊幹事長が「教育現場は政治的イデオロギーが深く持ち込まれすぎだ」と組合側を批判。保護者の声を反映させることをうたった条例の成立に意欲をみせると、出席した現職教員や元小学校長からも、早期成立を求める声が上がった。
一方、共産党系の大阪教職員組合は同日、市内で臨時大会を開き、「戦後教育を真っ向から否定する条例案」などと批判。大阪市内の府立高校の女性教諭(53)は「橋下市長の政策はやりすぎで絶対に許せない。条例案はその代表的なもので、撤回を検討してもらいたい」と話していた。
(引用終了)
>子供の最善の利益は自律の精神。
えーっと、自律の精神って、つまるところ自分の行動原理を自分で考えて実践するってことですよね。なのに
>価値観の強制はいけないという、誤った教育は改める必要がある
っておっしゃられているのですが、価値観の強制って自律の精神の対極にあるものだと私は思っていました。
価値観の強制で、自律の精神を教えることができるという論理が私にはさっぱり理解できません。ぜひご教示願えないでしょうか。
それとも理解できないのは全て憲法9条が原因だと思っていいのでしょうか?
>2割しかいない少数派の府民さん
>2割しかいない少数派の府民さん
あるいは、彼は「ネトウヨコメント分類学」
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-category-27.html
の研究対象、被験体として扱った方がよいように思います。
たった1分差で連続コメントとは、さすがの連携プレイw
>いいえ、ツボを買わないのが原因ですw
え、壺なら以前在庫すべて押し付け・・・じゃなかった下賜していただいたはずですが。壺の重みで床がぬけそうなんですが、まだ信心が足りないのでしょうか?
>村野瀬玲奈様
「現場を知らない」というレベルでは語れないほど論理破綻してると思うのですが・・・。
もしかしたら、てっちゃんなら論理的に解説してくれるの
かな?
冗談はともかく、あまりの論理の破綻ぶりに正直、頭がクラクラしています。
茶
アメリカが失敗したとする数字の根拠はあるでしょうか?
茶
http://p.tl/h7-q
ここを見ても明らかなように、大阪の学力は悪いです。
どの数字を根拠として「改革の必要性にせまられていない」と言っているのですか?
根拠となる数字を出してください。
そんなバカなことすれば失敗するのは当たり前。
で、大阪教育基本条例のどの部分を見て、大阪では優秀な先生を首にするなどという心配をするのですか?
橋下氏のどの発言を見て、大阪では優秀な先生を首にするという心配をするのですか?
茶さんへ
>そんなバカなことすれば失敗するのは当たり前。
>
>で、大阪教育基本条例のどの部分を見て、大阪では優秀な先生を首にするなどという心配をするのですか?
>橋下氏のどの発言を見て、大阪では優秀な先生を首にするという心配をするのですか?
とのことですが、「優秀な先生」とは「だれ」に対して優秀な先生なんでしょうか?
この場合、たとえ「生徒」に対して優秀でも、「橋下市長」や「校長」「保護者」に対して優秀でなければ首を飛ばされます。
逆を言うと「生徒」に対してはとことん失格な教師でも「市長」や「校長」に対して優秀なら残るということです。
結果としてできるのは「平目(上の顔色しか見ない)」教師ばかりということとなり、そんな状態の組織がうまくいくとは思えないんですけどねぇ…
結局被害を受けるのは本来一番に考えなければならないはずの「生徒」ということになると思われますが、茶さんの見解や如何に?
茶
教師にもいろいろいろいろあるという話ですね。
A:本当に優秀な先生
B:校長にゴマをする駄目な先生
C:校長と衝突する優秀な先生
D:校長に嫌われる駄目な先生
現状は『D:校長に嫌われる駄目な先生』は首にできない。
橋下案では『D:校長に嫌われる駄目な先生』は首にできる。
なんと素晴らしいことだろうか。
だいたい、ゴマをすったくらいで駄目教師が生き残れるなんて考えるのは世間知らずです。ゴミのような知識しか持っていない証拠です。ゴミのような知識から導かれた結論はやっぱりゴミ。あなたの出した結論もやっぱりゴミ。
競争原理が働く所ではそういう者は淘汰されます。
だいたいアメリカは失敗したというビデオありましたが、『ゴマをすった先生が生き残った』みたいな話は全く出てきていません。あなたの脳内妄想を論拠に考えを導いているだけですよ。
『アメリカの轍をふむな』というビデオがあがっているんですから、アメリカでゴマをすった先生が残ったという証拠を提示してください。
この人は兵庫県の阪神地区住民かな。
つい近年まで高校入試が総合選抜だったから、大阪府の入試制度がうらやましかったのでしょう。
それゆえ大阪の教育を破壊したい気持ちはわからんでもないけど、余計な口は挟まないほうがよいでしょう。
因みに橋下教育「改悪」のおかげで大阪の教員志望者は他県に取られまくっています。
これぞ競争原理というやつですねw
橋下のせいで大阪は一人負け。
税収も減り続けて失業率もナンバーワンになってしまったし。
強制わいせつもいつしかトップに踊り出て、ひったくりワーストワン返り咲き。
一体どうしてくれるんだよ!
茶さんへ
Cの区分の人たちは選択に迫られます。
・Cのままでいて、首を飛ばされるか?
・Bに移って保身を図るか?
(つまりは生徒の事を考えないで、上司(この場合校長ですね)におもねるか?)
本来、生徒のことを考えれば、Cのままというのがよいはずなのですし、理想を追い求めればCからそのままAというのが理想ではありますが…人間そんなにうまくいくものじゃありません。リソースには限りがあります。どうしても「優先順位」をつけることになります。
後人間は機械ではないので、「楽に」点を稼げる生徒にリソースを傾けて、いわゆる「落ちこぼれ」には最低限の労力で扱い、平均点が出るテストのときにはその生徒を欠席させるというのも手段としてはあるということも頭に入れてからこの問題を考えないと痛い目に見ますよ。
(これに関しては、1960年代に日本で実績があるので調べてみてください)
>茶さん
そのうえで、「優秀な先生」と「駄目な先生」がそれぞれどのくらいの比率でいるのか、「駄目な先生」についての研修制度などはあるのかどうか、そういうことを正確に述べることができて初めて、地に足がついた議論といえるのです。
以上の理由で、私があなたの「先生」なら、あなたの『論文』には合格点はつけませんね。
だけど、そもそも、先生になるには、大学で必要な教育を受けて、教育実習だってやって、教員採用試験を受けてくるわけですから、そんなにひどい人はいないはずなんですよ。ひどい人がいたとしたら、その責任の半分は、そういう人を採用した学校側、あるいは教育行政側にあるというべきでしょう。
ちなみに、橋下氏は、弁護士としては、あるいは、行政責任者としては、「駄目」です。理由は、このカフェでの議論に参加している人はみなさんすべてご存知です。^^
地に足がついた議論ですか?では、私が村野瀬玲奈さんを採点してあげます。
・そもそもアメリカが失敗したという数値的データがあるのか?
・それの原因はまともに分析されてるのか?
・競争原理は民間の会社にもある。社長にごまをすったダメ社員が生き残っているのか?
こういう事を考慮に入れて、論文を提示してください。さて合格点取れるかなw
> そんなにひどい人はいないはずなんですよ。
ニュースくらい見ろ、ゴミのような知識から導かれえた結論はやっぱりゴミ。だからあなたの出した結論もやっぱりゴミ。ひどい人がいないなんてとんでもない。わいせつ行為のニュースなんてかなり多い。
> その責任の半分は、そういう人を採用した学校側、あるいは教育行政側にあるというべきでしょう。
女生徒の胸を触った先生がいても、教育行政が悪いんだから首にするなとw自分の子供をそんな学校に通わせたいのか?
> ちなみに、橋下氏は、弁護士としては、あるいは、行政責任者としては、「駄目」です。
あなたの考える駄目な理由を、あなたの考えるプライオリティの高いものから順に3つあげてください。地に足がついた議論がしたいのなら。採点してあげます。
『この人は兵庫県の阪神地区住民かな。』
そう推測できる理由があるのですか???脳内妄想と現実の区別が付かないだけのように思えます。
> 大阪の教員志望者は他県に取られまくっています。
脳内願望と現実の区別が付かないだけのように思えます。きちんとしたソースを出してください。妄想から導かれた結論はカス。『元大阪府民からの伝言さん』の出した結論もやっぱりカス。
もしそういう人がいたとしたら
あなたの子供はそういう人に担任になってもらいたいですか?
>鍵コメント提供者さん
教えていただいたリンク先を後ほど張り直そうと思います。
私はメアドを公開していませんし、広く発信するならそれが一番かと思います。もちろん削除されてしまう恐れはありますが・・。
ところで頂いたリンク先の管理人さんでいらっしゃるのでしょうか?もしそうでしたら、そちらにもひとことお礼に伺いたいのですが。どうぞよろしくお願いいたします。
> Cのままというのがよいはずなのですし、
これが分からない。校長と衝突する状態を放置するのがなぜいいの?
>茶さん
これが分からないというのは『どういう事例を想定してこんな主張をしているのか?』ということなので、具体的事例を分かりやすく3つくらい出してください。
はじめまして。
素朴な疑問で申し訳ないんですが、ひとつだけ。
> PISAを見てもアメリカが失敗しているとは思えない。
(2012.02.26 ( Sun ) 10:37:03)
> そんなバカなことすれば失敗するのは当たり前。
(2012.02.26 ( Sun ) 11:01:34)
いずれもあなたの書き込みですが、結局アメリカの「教育改革」は”成功”だったんですか?”失敗”だったんですか?
わずか20数分の間に評価が逆転しているように見えるのですが。
>茶さん
質の低い先生が本当にそんなに多いとしたら、個々の先生の資質を問題にすることもわからないでもありませんけど、それよりもむしろ、教員選考のあり方やそもそもの教員養成のあり方に問題があると考えることがそんなに間違っているとは思えません。そういう意味で前のコメントを書きました。
それから、私があなたに指摘したのは、あなたがここで主張していることがあまりにあいまいなので、言葉の定義をはっきりさせて具体的に丁寧に論証的に話をすべきだということです。一方、この問題について私自身はあなたに対して何も主張していません。なぜ、私があなたの質問に答えて指導を受けなければならないのかわかりません。
あなたとしては、私にうまく切り返したつもりなのでしょうけど、私があなたの質問に回答しないことをあなたがいくら罵倒しても、あなたが「自分の主張したことを具体的に、丁寧に、論証的に説明できていない」という事実は全く変わりませんので、そこはご理解ください。
で、私が仮にアメリカの教育学、教育心理学、教育行政学、教育方法論などの分野の学会誌からいくつか論文をひいてきたとして、あなたはそれをきちんとこのテーマの研究分野の中に位置づけて評価・解説してくれるのでしょうか?ということは、あなたは教育学者ですか?
あなたにこのテーマについて教わってもいいんですけど、それは、あなたが私より見識が広くて深いと私が確信することができなければ無理です。十分な見識がない私ですが、私にも先生を選ぶ権利はあると思います。そして、今までのあなたのここでの主張を見ていると、あなたを私の先生にする気には全然ならない、そういうことです。だからあなたの主張について「合格点はつけない」と申しました。
おわかりいただけたかなあ?
茶さんへ
極論でいうと、校長は生徒に害のあることをせよと命じた場合
・唯々諾々としてやるのか ・・・ B
・反抗して、生徒のための事を行うのか ・・・ C
のどちらかを選べということなんですよ
例として
・落ちこぼれの指導をしないで、できる生徒だけを指導して、落ちこぼれには、テストのときに欠席にさせるというのか
・落ちこぼれに集中的に指導をして、できる生徒はそれなりの指導を行うかという話だと思うのですが…
労力的に言うと、前者のほうが圧倒的に「平均点」は上がります。
(落ちこぼれは、欠席にさえすれば「平均」の標本の外ですから)
でも、生徒にとってはどちらが良い教師だと考えます?
あと、村野瀬さんへの質問なんですが、
> ちなみに、橋下氏は、弁護士としては、あるいは、行政責任者としては、「駄目」です。
の具体的な理由としては私があげれるのは行政責任者(特別職公務員)としてですが、ただ1つで(ただし致命的ですが)
憲法第99条を明白に無視をしている
以上ですね
>茶さん
アメリカが失敗したとする数字の根拠はあるでしょうか?
落ちこぼれゼロ法が施行されたのは2002年です。
ではそれ以前とそれ以後、アメリカの学力はどうなったか調べてみましょう。
PISA調査による2000年、2009年のアメリカの順位の推移です。
読解力
・総合読解力 15→17
・情報の取出し 15→25
・解釈 15→22
・熟考・評価 11→10
数学的リテラシー 19→31
科学的リテラシー 14→23
明らかに学力低下していますけど、何を根拠に失敗してるとは思えない、などと仰ったのですか?
>鍵コメント提供者さん
ところで、一度はらせていただいたのですが、せっかくの貴重なモノなので、やはり外しておくことにしました。
内容を全記載したリンク先をはってありますので、それでしばらくは十分かな、と。
ほとぼりさめた頃にはらしていただいていいでしょうか?
>こっぱなお役人(北方在住)さん
>橋下氏は、弁護士としては、あるいは、行政責任者としては、「駄目」です。
これは何も「法的に」ダメだと言うことだけではないと思います。
政治センスがまるでダメ
大阪起死回生策が道頓堀プールですよ、トホホです。
WTCでは住民訴訟が起こされましたし。
交通局の職員給料いきなり4割カットですよ、こんなカットのされ方したら暮らしていけません。民間でもないんじゃないですか?
> 十分な見識がない私ですが、私にも先生を選ぶ権利はあると思います。
> 十分な見識がない私ですが、私にも先生を選ぶ権利はあると思います。
あのさあ、橋下さんがやろうとしている事はこういう事だよw
生徒にも先生を選ぶ権利はある→生徒から選ばれない先生は首。
だから、保護者や生徒からの評価を重要視してるんだよ。
> 落ちこぼれゼロ法が施行されたのは2002年です。
> ではそれ以前とそれ以後、アメリカの学力はどうなったか調べてみましょう。
> PISA調査による2000年、2009年のアメリカの順位の推移です。
> 読解力
> ・総合読解力 15→17
以下省略
2000年にテストしたのは32ヶ国、2009年にテストに参加したのは65ヶ国ですよ。順位だけ見てどうするんですか。あなたは頭が悪いですね。もっと分かりやすいデーターの方がいいようですね。連邦教育省がNAEPの結果を根拠にNCLB法は成果を出しているという結論を出しています。これなら理解できるでしょ。
校長と教師が対立した場合に、なぜ「校長が悪で教師が正義」みたいなケースしか考えないんですか?例えば「国歌で起立」問題で一部の教師と校長が対立しましたが、一般市民は「卒業式の国歌斉唱でちゃんと起立しろよ」と思っているというアンケート結果をどこかで見ましたよ。
『・落ちこぼれの指導をしないで、できる生徒だけを指導して、落ちこぼれには、テストのときに欠席にさせるというのか
・落ちこぼれに集中的に指導をして、できる生徒はそれなりの指導を行うかという話だと思うのですが…』
↑教師がこういうおかしな教育をして校長が注意するとか、そういう事は考えないのですか??
> 憲法第99条を明白に無視をしている
橋下氏には敵が多いが、誰も裁判起こさないね。憲法違反が確定したら、すごいダメージが与えれるのにね。きっと『裁判起こしても勝てない』と分かっているんだろうね。
> いずれもあなたの書き込みですが、結局アメリカの「教育改革」は”成功”だったんで> すか?”失敗”だったんですか?
連邦教育省がNAEPの結果を根拠にNCLB法は成果を出しているという結論を出しているんですよ。これを超える説得力のあるデータが提示されない限り『成功』と言うしかないでしょうね。
> そんなバカなことすれば失敗するのは当たり前。
これはテレビで『金節約のために良い教師を首にする』という旨の話があり、それに対して発言しているのですが、まず基本的事実としてアメリカでは国が教育にかける費用は増えています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo7/shiryo/07100513/008/009/001.gif
どこかの地方自治体がおかしな事をしたという事はひょっとしたら事実かもしれません。アメリカも広いですからね。失敗と言っているのはそういう極々一部のおかしな事をしてしまった所に対してです。
『駄目先生に習う生徒の存在』その視点が決定的に欠けているから、「女生徒の胸を触った先生」を出せばその部分を理解してもらえるかなと思ったんです。そういう先生に自分の子供の担任を受け持ってもらいたいですか?
まず、これに答えてください。
女生徒の胸を触る駄目先生を排除するべきなのか、放置していいのか。そこからスタートしましょう。
『女生徒の胸を触った駄目先生』は、排除すべきなのか、放置すべきなのか。
排除すべきなら、その理由も添えて下さい。
◆駄◆目◆先◆生◆は◆排◆除◆す◆べ◆き◆な◆の◆か◆ど◆う◆か。
> 私があなたの質問に回答しないことを
回答しないのであれば、合格点は付けれませんねw
茶さん
失礼千万な言葉ですね。議論以前の問題ですよ。いくら自分と思想・信条・意見が違うとは言え議論の相手方に敬意をもって議論に臨むべきと、わたしは考えます。 この言葉をみて貴殿の品位・品格を疑いました。
自分の主張を展開するとき、その議論の場を設けて頂いた方(Afternoon Cafeの秋原さん)に敬意をはらうことは、最低限のマナーだと思います。
今年の市内マラソン大会は参加者が1000人で、僕は500位だった。
僕の順位は250位→500位に下がったので、僕は遅くなったんだなぁ。
こういうのは何と呼べばいいんですかね?
お返事ありがとうございます。
つまり、部分的には失敗があったかもしれないが、全体としてみれば成功だったという評価なのですね。
しかしその根拠が「連邦教育省がNAEPの結果を根拠にNCLB法は成果を出しているという結論を出している」というのはどうなんでしょうか。当該法の導入の携わった教育学者のラビッチ教授は「失敗だった」と明言していますし、風鈴草さんご紹介の「アメリカ教育最前線」というブログではアメリカの大学院で教育学を専攻する人たちによって落ちこぼれゼロ法が批判されています。動画の中でも教師や生徒による同法への批判が少なくありません。
連邦教育省は落ちこぼれゼロ法を主体的に推し進めている当事者です。当事者の「自己申告」を成功の根拠とするのはいささか公正さを欠くのではないでしょうか?
たとえば東電は去年の3月から「原発事故は収束に向かいつつある」と「自己申告」し続けていますが、それ全面的にが信じられるかというと、もちろんそうではありませんよね。当事者の自己申告に対して第三者の冷静な検証が必要なのは当然です。
推進した側が「成功だ」と言っているんだから成功だとするしかない、というのはいささかナイーブに過ぎると思うのですが。
連邦教育省からすれば自分たちが推し進めた政策を、いまさら失敗だったとは言いづらいのではないですか?実際に問題は起きているのですから、そのくらいは割り引いて「成功」という自己申告を読むべきだと思います。
> まず基本的事実としてアメリカでは国が教育にかける費用は増えています。
張られた資料を見る限り、GDP比ではほぼ横ばい状態のようですが…。
たぶんこのコメント欄でわたしが大阪の教育関連予算について書いたので先回りされたのだと思いますが、わたしが問題にしたのは予算の”額”ではなくて、その”使い方”です。教育予算がどれだけ大きくても、それがエリート教育や貧困層の切り捨てに使われるのならば、わたしはその予算を批判します。
あと、老婆心ながら付言しますと、資料を張るときはその出所がはっきり分かるように、画像だけ張るのではなく、その画像のあるページのURLを張った方がいいと思いますよ。
茶さんへ
校長が善の場合は、現行の規定で間に合っているからです。
もともと、懲戒に関する規定については、内規(訓令とも言います)で定められてます。
村野瀬さんへの質問であった『女生徒の胸を触る駄目先生を排除するべきなのか、放置していいのか。』という疑問に関しては、人事権者(この場合は「教育委員会」)が事情を調査の上、「口頭厳重注意」、「文書厳重注意」、「訓告」(ここまでがいわゆる『矯正措置』で懲戒ではないですが、人事考課には反映される)、「戒告」、「減給」、「停職」、「免職」(この4つがいわゆる『懲戒処分』で受けると人事記録に記載され、退職金の減額を受ける)のうちの妥当と思われる処分を受けることとなります。
この処分は当然ながら、行政処分なので異議の申し立てもできますし(私らであれば「人事院」、地方公務員の場合であれば「人事委員会」もしくは「公平委員会」)、この異議が通らなければ裁判に訴えるのも可能です。
この点に関しては、「故意」なのか「過失」なのかで話は全然変わりますし、その時の事情(言い争いに割って入るためにさわらざるを得なかった等)によって、結果は変わるということは理解できますでしょうか?
逆に茶さんに質問です。
上記のとおり、内部統制に関しては、「内規」で十分なものをなぜ橋下氏は条例化しようというのでしょうか?
私が思うに、橋下氏は公務員を自分の使用人と勘違いしていて、逆らった職員を処分しようとしたら、人事委員会に横やりを入れられたので、条例化しようと思ったように感じますね。
(条例化すれば、その条例が違法と裁判所に認定されない限りにおいては人事委員会といえど口は出せないので)
>茶さん
あなたがすべきことは、あなたの使っている言葉の定義を正確に示したうえで、あなたの言ったことにあいまいなところがないように言葉を尽くして説明しなおすことです。私があなたなら、そして、私が教育学上のテーマを丁寧に誠実に検証するという態度を持っているならそうします。
で、あなたがどうしても「ダメな教師」について検証したいのであれば、「ダメな教師」をどう客観的に検証可能なように定義するか、というところから話は始まるのです。そうしたら、「ダメな教師」なんて一概に断定することが難しい作業だということに気づくと思いますよ。仮に、「ダメな教師」なる概念を客観的に定義できたとして、そのような者がどのくらいいて、そういう教師の指導力を上げる取り組みとしてどのようなことを考えられるか、...というふうに私なら考えますけど。
あなたは、「ダメな教師」という概念をまだ定義できていないのです。ですから、そんなあなたからいくら議論(?)を挑まれてもお答えするかいがないのです。
で、あなたは『女生徒の胸を触った駄目先生』って、ずいぶんスケールの小さい、論じがいのないあなたの「土俵」をつくりました。だけど、そんな例だけがあなたの議論の対象なんですか?前のコメントでも書きましたけど、そういう例があれば、それは犯罪か教員の非行ということで扱うべきもので、それだけ言えば十分ではないですか?そういう例が大阪で採用した教員の何パーセントいるのか私は知りませんが、それ以上長々と議論する必要を感じません。
というわけで、あなたの言うことに答えましたので、あなたの立論の甘さや言葉の定義のあいまいさや検証の不十分さを私が指摘したことにあなたは答えられていないという事実が残りました。
あなたが、知識や論理的思考力が発展途上なのに、ただ相手をやりこめて気持ちよくなりたいというだけの人ではなくて説得力でアピールしたいのなら、私の指摘にこたえて、自分の主張を正確に、丁寧に言いなおしてみたらどうでしょうか。そこから意味のある議論が始まるのだとは思いませんか。
2/28/22:03:49 の家具コメント提供者さんへ
>2/28/22:40:01 の鍵コメント提供者さんへ
>茶さん
では、2009年のアメリカの順位より上位にいる国で2000年には参加していなかった国を外して順位を見ることにします。それなら2000年と同じ条件で比べることになりますから文句ないでしょう?
総合読解力 15→13(2位↑)
アクセス取り出し 15から19(4位↓)
統合解釈 15から17(2位↓)
熟考・評価 14から6(8位↑)
数学リテラシー 19から22(3位↓)
科学リテラシー 14から15(1位↓)
総合読解力と熟考・評価の2部門では上がったものの、残念なことに、アクセス取り出し、統合解釈、数学リテラシー、科学リテラシーの4部門で軒並み下がっていますね。
橋下氏は教育の目標を「グローバルな競争を勝ち抜く」ことにおいていますが、これで落ちこぼれゼロ法は学力の世界で「グローバルな競争を勝ち抜く」のに効果あったと言えますか?
第一アメリカは日本の成績より下のままですよ?日本は常にアメリカより上位にいるわけで、むしろ、なぜ日本が日本より下位でPISA調査でも特にかわり映えしないアメリカの真似をする必要があるのですか?私にはわかりかねます。
ところで
>もっと分かりやすいデーターの方がいいようですね。連邦教育省がNAEPの結果を根拠にNCLB法は成果を出しているという結論を出しています。
・・って、数字も示さないのにこれが「分かりやすいデータ」???
もう少しきちんと内容を書いていただくかソースを示していただかないとこれだけではなんとも判断しようがないのですが。
あなたは私に「数字の根拠」を求めたのですから、少なくともあなたも数字の根拠を出すべきじゃないんですか?
それとも数字の根拠って観測霊さんに示した教育費のことなのかしら?
「あなたは頭が悪いですね。」とのあなたの言葉がブーメランになりませんよう。
さて、もう一つ肝心なことに触れましょうか。
教育というのは決して「数値に表れる学力」だけで推し量れるものではありません。人格形成も大事な教育分野の一つです。そして、すべての子供に分け隔てなく教育が行き渡ることも不可欠です。子供の立場に立った場合この二点は外せません。
落ちこぼれゼロ法はこれらの点において決定的な失敗だったのですよ。それは動画(削除されちゃいましたが)をごらんになっていればわかることなのでここでは繰り返しませんが、茶さんはこれをどうお考えになっているのでしょうね?
ついでにもうひとつ。
> 連邦教育省がNAEPの結果を根拠にNCLB法は成果を出しているという結論を出している
国内統一テストの成績なんて、”テスト対策”に時間を割けば嫌でもあがります。その分”創造性”などが犠牲になっているとラビッチ教授も指摘していますね。
たとえば分数の割り算の概念を理解できなくても分数の割り算は解けます。ひっくり返してかければいい、とだけ覚えていれば、テストで点を取ることは可能なわけです。
ですが、それは”テストで点を取る能力”であって”学力”ではないのではないでしょうか?
それに秋原さんもご指摘のとおり、教育には”学力”向上以外にも人格形成、社会的能力(他者と協調したり、あるいは対立したときにそれを解決する能力)を育てるという役割もありますし、それがすべての子どもに行き渡るということも大切なことです。
そもそも”成果を出している”ならPISA調査でもう少し上位にいてもよさそうな気もしますけどね。確かに参加国が増えて単純に順位比較はできないにしても、”成功”と言えるだけの効果は、少なくともPISA調査を見る限りにおいては出ていません。
これで”成功”と評するのはいささか無理があると思います。
”教育にかける費用”が増えていたとしても、”学力”面でさえ費用対効果が上がっていない時点で”失敗”と評されても仕方がないのでは?
管理人様へ
政治家さんの「政策」に関する批判は(法令に抵触してるかなという場合を除いて)しないようにしてるんです…処分怖いので(苦笑)
(私の処分前科…口頭厳重注意1回(交通事故(物損))、文書厳重注意1回(闇専(というか自分のあみだ運の悪さですね…分会レベルで役員の年数長かったので))…OTZ)
まあ、大阪の殿の場合は憲法第99条(公務員の憲法擁護義務)をはなから無視してるようなので(じゃなきゃあんな調査しないし、こんな条例考えない)その点を言ってみただけです。
私はNCLB法は「成功している」と言ってますが、NCLB法に対してそんなに調べた訳ではないです。政策にはだいたい賛成する人と反対する人がいます。賛成する当事者が「成功だ」と言っても駄目なように、反対している当事者が「失敗だ」と言っても駄目なんです。だから数値データであるNAEPの結果には説得力があるし、個人がいくら批判してもその論拠となるデータがないのなら「数値データ」には勝てないのです。
> 張られた資料を見る限り、GDP比ではほぼ横ばい状態のようですが…。
GDP比を見ると5年間で2割以上アップですよ??ひょっとしてグラフの見方が分からないのでしょうか??
お話になりません。
> 校長が善の場合は、現行の規定で間に合っているからです。
君が代起立問題を見て「現行の規定で間に合ってる」と考えたのですか???いったいぜんたいどういう考えなんですか?業務時間内に選挙運動したりとか、そういうのも「現行の規定で間に合ってる」と判断してるんですか?
それから『わいせつ教師』の話ですが『排除できる/できない』を聞いているのではないです。『排除すべきか否か』を聞いているのです。そういう教師を担任に持った生徒がかわいそうだろってことです。求めているのは生徒からの視点です。
> 内部統制に関しては、「内規」で十分なものを
業務時間内に選挙運動すれば「内規じゃ駄目」って判断されるでしょ。
たぶんあなたは私が何を言っているのか何一つ理解していない。
ただ1つ、答えてください。
『女生徒の胸を触るわいせつ教師』は『排除すべきか否か』
『排除できる/できない』を聞いているのではないですよ。『排除すべきか否か』です。
今回のPISAのようなデータを扱うための統計的手法はおそらく高校生の時に習っていると思うのですが、この感じだと説明しても理解してもらえないと思います。ということでPISAの話はもういいです。
「連邦教育省によるNCLB法の評価」ですが、こんなの連邦教育省、NCLB、NAEPで検索すればいいだけで、それは小学生レベルの能力があれば十分にできるのでうっかりソースを示し忘れました。すみません。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo7/shiryo/07100513/008/002.htm
ここを見ると500点満点で18.5点あがっている事例などが見れます。
『反対の立場の人』が『失敗だ』と言っても、論拠となるデータが無いなら全く説得力を持ちません。それに動画は Youtubeにありますよ。動画見ましたが論拠となるデータは『個人の感想』だけでしたよ。
それから、今の日本だって『数値に表れる学力』だけを求めている部分はありますし、橋下氏の掲げる教育改革ではそこも改善されると思いますよ。「もっと保護者の声を聞きましょう」という方針がありますから。
> たとえば分数の割り算の概念を理解できなくても分数の割り算は解けます。
> ひっくり返してかければいい、とだけ覚えていれば、テストで点を取ることは可能なわけです。
では、その理由を説明してみてください。
> 教育には”学力”向上以外にも人格形成、社会的能力
橋下氏の教育改革は『保護者の声を聞け』ですよ。それが何で人格形成軽視につながるんですか?
> それがすべての子どもに行き渡るということも大切なことです。
駄目教師が担任だと、すべての子どもに行き渡りません。橋下氏が問題意識を持っているのは、まさにそこです。
> 内部統制に関しては、「内規」で十分
闇専を体験していて、その上で「内規で十分」なのですか?言ってることがむちゃくちゃです。
もっとおおらかになっていただけませんか
学校に期待するものが多ければ多いほど、現在の大阪・日本の学校をめぐる各種報道にいらだちをおぼえられること、想像できます。教員をしていた者として、責任の一端はあるかもしれないと思い、心を痛めています。
さて、ここで本題のVOICEで報道されたアメリカの教育改革については、私は資料も持ってませんし、学習もしていませんので、語ることは遠慮させていただくことをまずお詫びします。学校のあり方もかなり日本と違うと思いますし、部分的な資料のみで大阪の教育と比較するのはよくないと考えます。私の、限られた、高等学校・養護(支援)学校教員の体験のみからの話をさせていただきます。
たしかに、学校教員のなかに、生徒からも保護者からも教員仲間からも「すこしひどいな」と思われる人はいます。声は小さい上に本を棒読みするだけの授業をする、理不尽なことを求めて居丈高にしかりとばす、必要と思われる以上度をこして休暇をよく取り(有給休暇は権利ですが)自習が目立って多い、などです。これらの教員については、はじめ教員仲間で直してもらうよう求め、それでもあらたまらない場合は校長等がその人に向き合ってもらうしかありません。茶様がひきあいに出しておられる「女子生徒の胸をさわる教員」は、「こっぱなお役人(北方在住)」さんが記されているように、もちろん懲戒の対象ですし、場合によっては刑事訴追を受けねばなりません。
しかしながら、大多数の教員は子どもたちのために毎日がんばっています。こっぱなお役人(北方在住)さんが記されているように、「Cランク」の教員も目立たないところでがんばっています。学校の教員の仕事は多種多彩で、それぞれの教員がどこでがんばり生徒の役にたっているかの詳細は、校長はもちろん、仲間の教員ですらもわからないことがあります。一方、部活動のチームを全国大会出場できるほどきたえた著名な教員が、当該学校の全ての校務でがんばっているかというと、そうでないこともあります。教員たちの共同作業の場に部活動指導が多忙としてあらわれないなどです。各人の発揮できるエネルギーは限度がありますから、当然です。
100人の生徒がいたら、100通りの個性・生育環境があります。教員にも個性があります。親分肌の教員があう生徒もいたら、教室の隅で話してくれる教員に親しみを持つ生徒もいます。ぶっきらぼうの教員であっても、社会にそんな人がいることを生徒が知るような役にたつかもしれません。学校は社会の縮図です。
教育の成果なんてそう簡単に出ませんし測れません。テスト点数のことだけでしたら、観測霊さんが記されているように、特訓し続けたらやがてすこし向上するかもしれませんが。(それが定着するかは別問題で、つい先日も「大学生の多数が平均の意味を理解していない」と報道されていました。)しかし、例えば遅刻常習の生徒にあらためてもらうなど、案外にむつかしいです。毎日朝家庭訪問をした教員の話も聞いたことがありますが、大変な労力ですし、訪問を止めればまた遅刻欠席の連続になる場合もあります。授業中のおしゃべりを止めさすのもむつかしく、時には、常に授業中騒がしく進行の邪魔をした生徒がテストでは一番よい成績なんてこともあります。テストで点数を取られると、その生徒への制裁的なことはしにくくなります。ついでに言えば、思想教育について。私がかつてした授業の教材をもし維新の会の方がご覧になれば、目をむくかもしれません。(新聞記事などの寄せ集め程度でしたよ。念のため。)しかしながら、残念なことに、私の教育力はごく小さく、授業を受けたときに「こんな教材で話をする先生もいるんだ」的に思った程度で、卒業後忘れ去られていると思います。学校以外に情報源はたくさんありますし、特別に設立された宗教系の私立学校でなければ、教員の思想は多種で、(もちろん特定思想を鼓舞する授業なんてだれもしていませんが)一部の教員の力で生徒を洗脳なんてとてもできません。早い話、大阪府立高校では、かつて、全労連系の大阪府立高等学校教職員組合が高い組織率でしたが、卒業生たちは各種公職選挙で全労連系の候補者に投票しているんでしょうか。
現在の日本の学校は、生徒たちにとって生活の場であり、多種の友人・教員と出会い、毎日過ごしています。そんななか、教員の仕事を「評価」し、時には免職となると、ギスギスしてきます。(大阪ではすでに評価育成システムでギスギスしています) 一部の生徒や保護者が教員の行動のうちの一部をとりあげて大きくすること、全人格を否定するような意見もでてきます。教員側は「よい評価を得るためによい成果を報告せねば」とよく勉強する生徒に手をかけて有名校に合格させ、それを大きく成果と報告し、勉強の不得手な生徒は放置し、留年になっても「自己責任」とそしらぬ顔をしたりします。学校長自身も評価されますが、部下の教員に「指導」した実績をつくるため、学習指導案を作らせ意見を言います。もと体育科専攻の校長が社会科の授業の指導案の細かいことに意見を言ったりします。教員は、授業の本来あるべき姿の模索から離れ、意見を言われないような指導案を「書く」ため、生徒のいる場から離れ、職員室でパソコンに向かいます。
気にいらない教員を免職したり、自分から辞める方向にもっていったとします。代わりの人材は次々と出てくるのでしょうか。新任研修のための費用やロスはどうなるのでしょう。
まあ、そんなこんなで、維新の会の方々が教育の現状をうれえて教育二条例、職員基本条例を成立させてがんばっても、学校はよい方向にはいかないでしょう。もっとおおらかになってほしいです。とげとげしい社会だからこそ、よけいに子どもたちがおおらかに学べるように教員たちががんばれるよう世間はおおらかな視点で見守ってほしいと思います。
秋原様。また長文を連ねてしまいました。申し訳ございません。原発事故のその後のことが不安な毎日ですが、こちらも気がかりで。
茶さんへ
読んでいてとても不愉快で,あの言葉があるだけでげんなりしてしまい,後に続くあなたの意見を真摯に読んで考えようという気がなくなってしまいます。
あなたはよいことを言われているかもしれないのに,相手(読み手)がそうなると,発信者としてあなたもとても残念ではないですか?
ということで,ご自分の人格を底まで落とすような暴言は,吐かない方が賢明かと思います。
それに,(「自分のためにならないから」という理由以前に)これはマナーの次元のひととして基本的なことなので,
それができない自分は恥ずかしい人間だと気づいて,心構えと態度を改めてから土俵に上がって下さい。
もちろん,ご自分の意見は変えたくないなら変えなくてもいいのですから,どうかけんか腰にならないで下さい。
それにしても,この『相手を尊重しない』姿勢は,『いつもけんか腰』ともども,あなたの心酔する?彼の姿勢とまったく同じですね!
ナットクです~
相手を尊敬できなくても,相手を尊重することはできる,し,そもそも相手のあること(議論,政策等)なら特に,相手を尊重しようとすべきです。
相手に同意できなくても,相手を理解することはできるかもしれない。もしそれすら無理でも,理解しようとすることは可能だと思います。
ps;
秋月さん,うっかりしていて申し訳ありませんでした。
この人が橋下派である事だけ分かった
誰も裁判を起こさないのは、まだ法令になっていないからです。「違憲審査」ってご存知ですか?
日の丸君が代を至上とする判事に当たらなければ、違憲無効判決が出るでしょうね。
本音をぶつける事によって村野瀬玲奈さんの『十分な見識がない私ですが、私にも先生を選ぶ権利はあると思います。<<中略>>あなたを私の先生にする気には全然ならない、』こういう本音を引き出せたんです。橋下さんも同じ事言ってるんですよ。生徒にも先生を選ぶ権利がある。ダメ教師を先生にする気は全然ならない。観測霊さんの本音も引き出せました。『すべての子どもに行き渡るということも大切なこと』。橋下さんも同じ事言ってるんですよ。駄目な先生だと『すべての子どもに行き渡らない』と。本音をぶつけるというのはそういう事なんです。
それから私のけんか腰と橋下氏のけんか腰は全く違いますよ。あれは彼の策です。『大阪を復活させる』という彼の目的のための高度な策ですよ。
>茶さん
歴史的に移民が多く、多様な人種や民族で構成されるアメリカの学校では、人種、所得、英語の習熟度などによる学力格差が課題とされてきました。NCLB法は、本来、こうした格差を是正し、「どの子も置き去りにしない」ことをねらいとした法律です。しかし、テストの成績次第で学校予算を変更するなど、説明責任を強調するあまり、学校現場に混乱がもたらされました。たとえば、AYPを達成するために、学力の低い生徒に州統一テストを受験させなかったり、虚偽の成績を報告したりした事例が明らかになっています。また、すべての子どもにひとつの基準をあてはめ同じテストを受けさせることは、文化的な多元性や障がいをもつ児童生徒への配慮に欠けるという批判もあります(※これは全米州議会協議会調査報告が指摘しています)そのため、NCLB法は、本当に支援が必要な子どもたちを排除し、「多くの子どもたちを置き去りにした」と指摘されています。
はたして、アメリカの子どもたちの学力は、こうしたテスト漬けの生活によって実際に向上したのでしょうか。マサチューセッツ州を例にとると、確かに州統一テストの結果では飛躍的な向上が認められるといいます。しかし、PISA2003とPISA2006の結果を比較すると、アメリカの順位が大きく上がっているとはいえません。また、州統一テストの成績が良い生徒が、必ずしも大学進学適性試験であるSATの成績が良いとは限りません。人種や民族による学力格差にも大きな変化は見られず、むしろ格差が固定する傾向にあるとする研究もあります。
(以上、「第2章 教育改革の国際比較」『未来をつくる教育ESD 持続可能な多文化社会をめざして』明石書店、2010年、p.39)
NCLB法について論ずるときに二つ論点がありますね、整理しましょう。
1.本当にアメリカの子供全体の学力は向上したのか
2.教育格差を強化してしまったのではないか
1.について
あなたは
>今回のPISAのようなデータを扱うための統計的手法はおそらく高校生の時に習っていると思うのですが、この感じだと説明しても理解してもらえないと思います。
といってますが、PISAの順位表を見てアメリカのNCLB法がアメリカの子供全体の学力が世界の中で際だって向上したわけでないことを読み取るのに、なにやら難しい統計手法などわざわざ用いる必要はありませんよ。誰にだって一目瞭然でわかることですし、上の論評を読んでいただいてもおわかりになるように、PISAでの順位が変わり映えしないことは私個人が指摘したことではなく既に一般的に指摘されていることなのです。
あなたは
>反対の立場の人』が『失敗だ』と言っても、論拠となるデータが無いなら全く説得力を持ちません。動画見ましたが論拠となるデータは『個人の感想』だけでしたよ。
といっていますが、PISAでの資料は十分論拠となるデータです。勝手にのデータがないことにしないでください。
それから動画で失敗だったと述べてる「個人」はその辺の素人さんではなく、NCLB法を作るのに関わった教育学者です。つまりよかれと思ってNCLB法を作った教育専門家ですからちゃんと根拠に基づいて「失敗だった」といってるわけで「単なる感想」ではないことをお忘れなく。そして彼女同様、失敗だったといっている教育専門家が多いこともお忘れなく。
さて、本題。
あなたのご指摘通り、連邦教育省は2006年5月に発表したメモで2005 年7月に公表された全米学力調査(NAEP)の結果である小学生の読解と数学の学力が史上最高レベルを記録し,学力格差も縮まっている事例を挙げてNCLB 法は成果を出している、としています。
で、その具体的数値としてあなたは文科省のリンク先をあげているわけですね?
あなたはそこを見て「ここを見ると500点満点で18.5点あがっている事例などが見れます。」などと書いていますが、よく見るとこう記述してあります。
「1992年から2005年の間に、第4学年と第8学年の読解力と算数は学力が向上した。しかし、12学年の読解力では、若干減少がみられた。数学では、基礎標準以上が60パーセントに達し、全米の平均得点において,第4学年の場合,1992年から2005年の間に500点満点で18.5点,第8学年でも10.7点の伸びであった。英語においてはほとんど変化は見られなかった。」
茶さん、いいとこ取りして書くのは感心できませんね。
では、連邦教育省の自画自賛にも関わらず、
・どうしてPISAでアメリカの順位が変わり映えしないのでしょう?
・どうして州統一テストの成績が良い生徒が、必ずしも大学進学適性試験であるSATの成績が良いとは限らないのでしょう?
との疑問が残ります。
これは観測霊さんが指摘されたことが原因だと思います。
「国内統一テストの成績なんて、”テスト対策”に時間を割けば嫌でもあがります。その分”創造性”などが犠牲になっているとラビッチ教授も指摘していますね。
たとえば分数の割り算の概念を理解できなくても分数の割り算は解けます。ひっくり返してかければいい、とだけ覚えていれば、テストで点を取ることは可能なわけです。
ですが、それは”テストで点を取る能力”であって”学力”ではないのではないでしょうか?」
これは観測霊さんやラビッチ教授だけでなく他の専門家も指摘するところです。
「NCLB の下で,ジルー(Henry A. Giroux)が簡潔に仮定したように,この国の教師たちは,知性人というよりも彼らの教科についてのテクニシャンであるように主に訓練される場所へ逆戻りするであろう。換言すれば,大抵の教師は,――特にNCLB カリキュラムの下で――彼らがティーチする台本どおりの内容に極めて焦点を当てさせられるので,彼らがティーチするアカデミックな学問や広い世界に関して費やす時間がほとんどないであろう。彼らは,ティーチングを,世界を改善する道具としてではなく,生徒たちがよりよい標準化された点数を取ることを支援する道具としてみなす。」
教育省が自画自賛するように本当に学力が上がったのなら、州統一テストとは別の土俵であるPISAやSATがでも好成績が示されるはずです。ところがPISAではアメリカの成績は変わり映えしないし、州統一テストが好成績でもSATの成績が良いとは限らない。
それはなぜか。
それは、先生がクビや閉校になる可能性を恐れるあまり州統一テストで良い点数をとる「技術」だけを生徒に訓練させた結果、真の学力はさほど身につかなかったからだという指摘が専門家からなされているのです。
NCLB法は、「州統一テストにおいて点数をとること」にはある程度成功したと言えるかもしれません。その点においては教育省のいうことも間違いではないでしょう。
しかし、残念ながら「真の学力向上」という面においては「成功だった」とは言い難いようですね。
普通、一定の成果を出すためにある政策がとられた場合、特に成果が認められないなら失敗だと評価されるものです。あなたは最初のコメントで「PISAを見てもアメリカが失敗しているとは思えない。」と仰っていますが、逆ですよ。学力が著しく下がらなくても「あげることができなかったら」失敗だったと評価されるのが普通なのです。控えめに言っても「成功とは言えない」
わかりますか?
もう一つ、NCLB法が教育に市場原理を持ち込み、良い点を取らないとクビや閉校で脅したため、州統一テストで先生による不正がされるようになってしまいました。果たしてそれが子供たちに良い教育環境と言えますかね?
以上の点を踏まえて、前回のコメントで質問したことをもう一度お聞きします。お答えいただけなかったので。
日本より成績が下位の国でとられた政策~しかも成功していない政策を、どうしてわざわざ真似しなければいけないんです?
2.について
あと、真の学力向上にさほど寄与できなかった上に、教育格差を広げたのがNCLB法です。これは明らかに失敗です。
アメリカの学校はNCLB法でこうなったのです。
「テスト重視が芸術,問題解決,創造性,学習と発見に関連する喜びを犠牲にし、テストのための絶え間ない訓練と練習は,学習遅滞児をさらに置き去りにした。」
「市場原理を持ち込み低学力の学校を閉鎖させたため、低所得者層の住む地域の子供は置き去りにされた(これは本文中にも書きましたが)」。
すべての子供に分け隔てなく教育が行き渡ることも「教育の成功」と言えるためには不可欠ですが、結果的に教育格差が広がった。これは明らかにNCLB法の失敗です。
教育基本条例下でもNCLB法のように教育格差は広まるでしょう。学区撤廃・学校統廃合でNCLB法と同じようなことをやろうとしてるのですから。
現に橋下氏は、「バイトして交通費を稼げ」という「教育下層の切り捨て発言」をしているのです。
前回のコメントでした質問をもう一度言葉をかえて聞きます。これについてもお答えいただけませんでしたので。
あなたは教育格差をお好みですか?教育基本条例でそういう状態が強化されても良いとお考えですか?
もし教育格差が広まることをよしとされるなら、あなたはこれ以上教育について語る資格はないと断言させていただきます。
>それから、今の日本だって『数値に表れる学力』だけを求めている部分はありますし、橋下氏の掲げる教育改革ではそこも改善されると思いますよ。「もっと保護者の声を聞きましょう」という方針がありますから。
今の日本だって『数値に表れる学力』だけを求めている部分はありますし
・・って、真の学力や人格形成とかはなおざりにされちゃう教育がお好みですか?世の中の保護者はそんなの求めてないと思いますよ。
NCLB法下のアメリカのようにテストで良い点を取るだけが教育とお考えならあなたの教育観は実に貧しいですね。
橋下氏の掲げる教育改革ではそこ(「そこ」っていうのは数値に表れる学力だけを求めることを指してるんでしょうね?)も改善されると思いますよ。「もっと保護者の声を聞きましょう」という方針がありますから。
・・って、呆れてモノが言えません。「もっと保護者の声を聞きましょう」という方針って、先生をクビにするためのチクリの場面だけの話じゃないですか。
観測霊さんが指摘されたような真の学力や人格形成にも重きを置く教育が、すべての子供に分け隔てなく行き渡ることこそ保護者の求める「改革」でしょう?でもそういう方向じゃないですよね、教育基本条例は。だから条例の実態を知った保護者から順次「教育基本条例はごめんだ」という声が上がってきているのです。
本当に保護者の声を聞く気があるのなら、なぜ保護者からの「条例反対」の声を聞かないのですか?矛盾してますね。
長くなりましたので、是非ともお答えいただきたい質問だけピックアップしときます
1.日本より成績が下位の国でとられた政策~しかも成功していない政策を、どうしてわざわざ真似しなければいけないんです?
2.あなたは教育格差をお好みですか?条例でそういう状態が強化されても良いとお考えですか?
おまけで横レス
こっぱなお役人さん宛
>それから『わいせつ教師』の話ですが『排除できる/できない』を聞いているのではないです。『排除すべきか否か』を聞いているのです
村野瀬玲奈さん宛
>『女生徒の胸を触るわいせつ教師』は『排除すべきか否か』
『排除できる/できない』を聞いているのではないですよ。『排除すべきか否か』です。
そんなこと聞いてどうするんですか?それ、教育基本条例の是非とは全然関係ないですよね?
だって、村野瀬玲奈さんも仰ってるように、わいせつ教師など教育基本条例がなくたって対処できますし、現に今までだってわいせつ教師がクビになった、なんてニュースは何度となくお目にかかってるじゃないですか。教育基本条例がないとわいせつ教師をクビにできないというなら論じあう価値はありますが、教育基本条例なんかなくてもちゃんととんでもない教師はクビにされてる以上、
>わいせつ教師を排除すべきか否か
というあなたの質問はここでは全く無意味です。
こんなこと小学生レベルの能力があれば十分に理解できると思うのですが。
>あれは彼の策です。『大阪を復活させる』という
>彼の目的のための高度な策ですよ。
そんなこと言ったら、ヤクザのケンカ越しも、
目的のための高度な策ということになるでしょうね(苦笑)
特に権力者が喧嘩腰は、まずいだろう。
第一、喧嘩腰を目的として肯定したとしても、
その結果としての大坂府復活を、彼は府知事時代になんら挙げることなく、
府政を放り出したでしょうに。
結果を出せない喧嘩腰は、余計にタチが悪いです。
> たしかに、学校教員のなかに、生徒からも保護者からも教員仲間からも「すこしひどいな」と思われる人はいます。
> 声は小さい上に本を棒読みするだけの授業をする、理不尽なことを求めて居丈高にしかりとばす、
> 必要と思われる以上度をこして休暇をよく取り(有給休暇は権利ですが)自習が目立って多い、などです。
> これらの教員については、はじめ教員仲間で直してもらうよう求め、それでもあらたまらない場合は
> 校長等がその人に向き合ってもらうしかありません。
こういう先生がのさばっている現状をどう考えるのですか?自分の子供は、こういう先生に担任になってもらいたいですか?
全ての人に質問したいです。
> 「Cランク」の教員も目立たないところでがんばっています。
これに関して橋下氏は『校長に対しても外部の評価を取り入れることで悪校長を排除』みたいなの目指してるよね。なぜ「悪校長の下でひっそりと頑張る」みたいな方向を目指してしまうのかさっぱり分からない。
> それぞれの教員がどこでがんばり生徒の役にたっているかの詳細は、校長はもちろん、
> 仲間の教員ですらもわからないことがあります。
これは無茶苦茶でしょ。遊びじゃないんだから。直接の上司は部下がどんな作業項目抱えているのか概要くらい把握してないと駄目でしょ。遊びと勘違いしているとしか思えない。
> 社会にそんな人がいることを生徒が知るような役にたつかもしれません。学校は社会の縮図です。
例えばあなたの娘がレイプされたら『社会にそんな人がいるって知ったね』なんて呑気な事を言うんですか?『声は小さい上に本を棒読みするだけの授業をする先生』に習う生徒の目線が全くありません。
> 例えば遅刻常習の生徒にあらためてもらうなど、案外にむつかしいです。<<長いので省略>>
そういうのは改善案を出して橋下氏に直訴すればいいんです。はっきり言って変わるチャンスは橋下さんがいる間だけですよ。どういう案を出せばいいのかに関しては難しいですが、ヨーロッパの教育に日本流アレンジした案を目指すのがいいと思います。おそらく『問題生徒専門の教師を各学校に4~5人配置』みたいな形になるのではという予感があります。橋下氏は守銭奴と見られているフシもありますが、彼が行なってきた事を見ると必要だと思った所にはド~ンと金使います。
> 常に授業中騒がしく進行の邪魔をした生徒がテストでは一番よい成績なんてこともあります。
> テストで点数を取られると、その生徒への制裁的なことはしにくくなります。
そこがおかしい。『他の生徒の勉強の邪魔をしたので君は退学です。さようなら』これでいいんです。教育には時には厳しさも必要です。あなた書いてますよね。『学校は社会の縮図だ』って。
> ついでに言えば、思想教育について。
国歌斉唱で起立しない先生は、『太平洋戦争が~』とか言わないんですかね?教材がまともだから問題なしという判断は、どこか抜けていますよ。それから『洗脳は無理』というのも話がずれています。あなたの子供は『国歌が太平洋戦争が~』とか言う教師に担任になってもらいたいですか?
> 教員の仕事を「評価」し、
このあたりからやっと本題に入ったようですね。教員の仕事の評価なんて大昔からしてるじゃないですか?
> 時には免職となると、ギスギスしてきます。
ギスギスするのは『正しい評価は難しい』という話であり、『正しい評価が行えるアイデア』を考えて橋下氏に直訴すればいいんですよ。
> 一部の生徒や保護者が教員の行動のうちの一部をとりあげて
ここらへんはず~っと『正しい評価は難しい』という話であり、橋下氏の思惑としては『全員の保護者の意見を聞いて、一部の極端な意見は切り捨てる』そういうのを目指していると解釈しています。
> 学校長自身も評価されますが、
◆ここが橋下氏の改革の最大の弱点ですね。大阪府立学校条例を見ると学校長は教育委員会が評価をする。で、『年に1回学校に顔を出す』レベルの現状の教育委員会には、まったくその能力が無い。ここで表面的な評価をすると全部が歪んでしまう。この部分は教師たちが連携して考えて橋下氏に良いアイデアを伝える必要があると思う。ヨーロッパの方法を改善したようなものでいいと思う。
> 子どもたちがおおらかに学べるように
理不尽なことを求めて居丈高にしかりとばす先生がいて、どうやっておおらかに学ぶんですか??
茶さんのコメント見てると
>こういう先生がのさばっている現状をどう考えるのですか?
ゼロとは言いませんがのさばってもいません。見てきたような嘘は言わないように。
>『他の生徒の勉強の邪魔をしたので君は退学です。さようなら』これでいいんです
これは単なる教育放棄。教育とは子どもを辛抱強く育てること。こうやって生徒を簡単に廃棄する人には教育を論じる資格はないと言えますね。
茶さんへ
(私の「闇専」の内容は当局側(上司)に時間中に呼ばれて説明を受けていたことなので、呼ぶときに「休暇取ってから来い」と言ってよとは思いましたが、まあ、処分内容には納得しています)
あと、「業務時間内に選挙運動すれば「内規じゃ駄目」って判断されるでしょ。」って、調査の結果事実と確定すれば処分うけますよ…「内規に基づいて」…内規だろうと条例だろうと非違行為は非違行為、処分を受けます。
(それにこの場合は地公法の関係もありますから、調査は厳重に行われるでしょう…ちなみにこの件に関しての調査結果は出てないということも忘れずに…「推定無罪」は行政処分にも適用されます)
私が考えるのは「なぜ条例化」するのか?です。
公務員にしてみれば、内規であろうと条例であろうと規則は規則、重さは変わりません。
(ただ、人事委員会では内規の場合議会の承認を得ていない(得る必要がない)ため、それが著しく公正に欠くものであれば処分の取り消しをしますが…)
ただ内規と条例で1つだけ違うのは「条例は議会の承認を得ないと変更できない」という1点のみです。
あと
>それから『わいせつ教師』の話ですが『排除できる/できない』を聞いているのではないです。『排除すべきか否か』を聞いているのです。
とのことですが、『女生徒の胸を触る駄目先生を排除するべきなのか、放置していいのか。』との設問だけでは判断のしようがありません。理由としては、その状況、「故意」もしくは「過失」の確認、そのほか斟酌すべき事情がこの設問では全く判りませんから…
(ちなみに刑法犯に該当して、「起訴」されればたとえ裁判で無罪でも戒告以上(=懲戒)確定です。また執行猶予が付いたとしても禁固刑以上で「失職」になります)
勇気ある教職員を尊敬します。…
わたしは、そうゆう先生に子供の担任になって頂きたいですね…。平和の尊さや、人間の命の尊厳・人権の大切さを教えてくださる教員の方々を心から尊敬します。橋下市長のイエスマンの如くに教育に競争原理を持ち込み、点数第一主義・他人を蹴落としてでものし上がろとする子供を育てようとする教員には失望します。天下の悪法“教育基本条例”の“君が代起立斉唱の強制”に抗い、『時代錯誤の暴力』に直面してもご自身の信念を曲げない教職員の方々の勇気を心から尊敬します。そうゆう先生に教わった子供は将来、平和をこよなく愛する人間になると確信します。間違っても、石原慎太郎さんのように、障がい者差別・民族差別を平気でやり、『核武装をせよ』などととんでもない思想をばらまいて憚らない異常な人間にはならないと確信します。河村名古屋市長の様に、『南京大虐殺は無かった。』などという公人として許されない歴史の捏造をする人間には決してならないでしょう。わたしが子供の頃は、教職員組合に加入されてみえる教員がたくさんみえて、わたし自身、殆どの教員の方々に大切にされ温かみのある教育を受けれたことを、感謝しています。わたしの人生の宝物と言っていいほどです。
その1
いろいろ書かれていますが、まずは1回大阪府教育行政基本条例と大阪府立学校条例を読んで下さい。テストのテの字も書かれていません。
テスト漬けみたいな教育はさじ加減みたいなのが難しいというのは私も認識しています。NCLB法でさじ加減みたいなのが成功したのか失敗したのかは勉強してないので分かりませんが、連邦教育省のデータ以上の説得力のあるデータが提示されない限り『成功した』としか言えないというのが私のスタンスです。少なくとも番組VOICEで1学者が論拠も示さずに『失敗した』なんて言うのは全く説得力を持たないです。
日本は学者が『原発は絶対安全だ』なんて言っていたので事を経験しているので、そこは理解してもらえると思っています。
> 障がいをもつ児童生徒への配慮に欠ける
橋下氏に「障害者への配慮をしてくれ」と言って何かアイデア考えて直訴すればいいでしょ。そこは橋下氏も考慮するでしょ。彼は頭がいいから。『ここの道路が工事中です』を見て家まで引き返そうとするような態度が多いよね。道路が通れなかったら、通れる道を探して進めばいいんだよ。
> PISA2003とPISA2006
PISAの結果は統計的手法を見ないと見えてこないのでいいです。説明する気も起きない。
> 州統一テストの成績が良い生徒が、必ずしも大学進学適性試験であるSATの成績が良いとは限りません。
そんな『例外が1個ありました』みたいのは全然説得力を持たない。
> 人種や民族による学力格差にも大きな変化は見られず、むしろ格差が固定する傾向にあるとする研究もあります。
格差が固定しないという研究があったら君はその結果を鵜呑みにするのかね?
> NCLB法について論ずるときに二つ論点がありますね、整理しましょう。
このあたり話を続けていてもいいんですが、
・いくらここで証拠を出しても VOICE番組内の捏造みたい話を出している話は全く変わらない。
・そもそも大阪府教育行政基本条例と大阪府立学校条例にテストのテの字も出てこない。目立つのは『保護者の評価』
> 1.本当にアメリカの子供全体の学力は向上したのか
これはまともなデータと言えるものが連邦教育省のものしかない。
「○○だと思う」という感想文レベルのものはデータと言えない。
従って今のところ向上したと言うしかない。
> 2.教育格差を強化してしまったのではないか
個人の感想文レベルで『格差が強化した』みたいな話ばっかり出されても、判断のしようがない。
確か連邦教育省がテストのデータを分析して「格差は小さくなった」という結論を出していたはずだし、
それ以上の説得力のあるものが出てこない以上『格差は小さくなった』と言うしかない。
> PISAでの資料
そんなの voiceで出てこないじゃん。
その2
Ravitch氏は教職員組合の強硬派ですよね。原発学者が『原発は絶対安全です』言っても駄目なんですよ。
> 茶さん、いいとこ取りして書くのは感心できませんね。
そんなの引用先見れば『すごく増えた、ちょっと増えた、大して変わらず。全部平均するとちょっと増えた。』
みたいのすぐに読み取れるし、全文引用する必要性が全くないじゃないですか。
ただ、目的の箇所を見つける目印として、すごく増えた部分を引用しましたが。
> 「国内統一テストの成績なんて、”テスト対策”に時間を割けば嫌でもあがります。
あなたはテスト勉強をした事がないのですかね?テスト対策に時間を割いて、テストの点数を取るんです。
そういう勉強は今の大阪でも行われてると思いますよw
> たとえば分数の割り算の概念を理解できなくても分数の割り算は解けます。ひっくり返してかければいい、とだけ覚えていれば、テストで点を取ることは可能なわけです。
じゃあ、その理由をあなた説明してみて下さい。
現在大阪では、その創造性豊かな教育があり、『分数の割り算をひっくり返す』理由も教えているみたいな事を言っているようにしか見えません。
ぜひ答えて下さい。『分数の割り算は、なぜひっくり返すの?』
> それは”テストで点を取る能力”であって”学力”ではないのではないでしょうか?」
『分数の割り算は、なぜひっくり返すの?』
あなたはこれに答えれなかったら、『秋原葉月は学力はありません』と言うんですね。
さあ、答えて下さい。『分数の割り算は、なぜひっくり返すの?』
> これは観測霊さんやラビッチ教授だけでなく他の専門家も指摘するところです。
原発の専門家が『原発は絶対安全だ』と言っても駄目なんです。
その論拠こそが大事なんです。
> この国の教師たちは,知性人というよりも彼らの教科についてのテクニシャンであるように
そんな感想文みたいなのいくらあげても駄目です。
その感想文の結論を出した論拠を見るべきです。
> 州統一テストで先生による不正がされるようになってしまいました。
そんなの「カンニングがあったからテスト廃止」と同じレベルの話だよ。
その3
・・・そういえば、これににた政策はアメリカ以外にでも行われていたような。
『テストで点が悪ければ首』じゃなくて『駄目教師は首』
大阪府教育行政基本条例と大阪府立学校条例見るとテストのテの字も出てこないんだから、
『ダメ教師は首』の政策を取っている国を出すべきなんだよね。
> どうしてわざわざ真似しなければいけないんです?
真似してないよね
> 教育格差を広げたのがNCLB法です。
何か説得力のあるデータを示せないのですかね??
感想文レベルの論拠しか出してこないので、非常に話がしにくい。
> すべての子供に分け隔てなく教育が行き渡ることも「教育の成功」と言えるためには不可欠ですが、
橋下氏は『駄目教師に教わる生徒には、まともな教育が行き渡っていない』という考えのようですよ。
それは私も同意です。
> 教育基本条例下でも
大阪府教育行政基本条例と大阪府立学校条例に変わりましたよ。
> 学区撤廃・学校統廃合
いやいや。今まで『テストの点重視』と叫んでたのに、急に関係のない『学区撤廃』とか言い出しましたね。
それに今の日本でも田舎で学校の統廃合なんて山のように起きているよ。
> 現に橋下氏は、「バイトして交通費を稼げ」という「教育下層の切り捨て発言」をしているのです。
いやいやいや。遠距離の通学なんて日本中であるよ。私の広島の親戚に貧乏な高校生がいるけど通学に1時間くらいかかっているけど、それでも何とか交通費出してるよ。広島は「教育下層の切り捨て」してるんですか?
> あなたは教育格差をお好みですか?
『駄目教師に教わる生徒』『普通の教師に教わる生徒』には、確かに教育格差が生まれます。
ダメ教師を首にして教育格差を無くしていくのは大事です。
ちょっと一休み
笑ってしまった。ここでの「のさばる」の意味は、どう見ても「大手を振っている」的なものしか無いと思うんですが・・・
つまりゼロでは無い=のさばるって事ですよ。
見てきたような嘘は言わないように。
>『他の生徒の勉強の邪魔をしたので君は退学です。さようなら』これでいいんです
まあ、これは確かに極端な言い方でしたね。
『点数の良い子が悪いことしても罰せられない』という態度に対して、
そこは厳しく罰すればいいんだよと言いたかっただけで、
ちょっと休憩
> 私の闇専の処分も、「内規」に基づいて行われています。
いや、処分されたからいいとか、そういう話をしているのではありません
『闇専(というか自分のあみだ運の悪さですね…分会レベルで役員の年数長かったので』
あみだ運とかそういう考えに至ってしまうような状況を
根本的に変える必要があるでしょ。
>茶さん
「のさばる」という言葉の意味を勝手に変えて使っておられるようですね。
正しい意味を辞書で確認しましょう。
わがもの顔で振る舞う。勢力を振るう(大辞泉より)
言葉の意味を勝手に変えないようにしてください。。
それともゼロでなかったら常に我が物顔で勢力をふるってることになるわけですか?
大阪の学校では学校に一人いるかいないかの妙な教師が教室で大手を振ってるのが現実なわけですか?
いかにあなたが現実の教室を知らないか、空想だけで喋ってるかよくわかるというものです。
> >『他の生徒の勉強の邪魔をしたので君は退学です。さようなら』これでいいんです
>
> まあ、これは確かに極端な言い方でしたね。
> 『点数の良い子が悪いことしても罰せられない』という態度に対して、
> そこは厳しく罰すればいいんだよと言いたかっただけで、
どうもあなたは日本語を正しく使うことができないようですね。それでは会話は成り立ちません。
秋原さんが、すでにがっつり説明してくださっていますので、よくお読みになってください(上のコメントを読む限り、まじめ読んでおられないようですが)。わたしが今更言葉を重ねるよりも、ずっとあなたにとって有益だと思いますよ。
この上言う事はあまりないかと思ったのですが、一応申し上げておきます。
> 政策にはだいたい賛成する人と反対する人がいます。賛成する当事者が「成功だ」と言っても駄目なように、反対している当事者が「失敗だ」と言っても駄目なんです。だから数値データであるNAEPの結果には説得力があるし、個人がいくら批判してもその論拠となるデータがないのなら「数値データ」には勝てないのです。
PISAの数値データを「もういいです」とシカト宣言した方のお言葉とは思えませんね(笑)
まず、どうでもいいことなのですが、接続詞が変です。前段では「自分の意見は駄目かもしれないが、観測霊の意見も駄目だ」と仰っているように読めます。しかしそこからご自分の利を示そうとされるのなら、「だから」ではなく「しかし」が適当です。国語教育って大事ですね(笑)
そして、あなたが仰る「数値データ」では、アメリカの落ちこぼれゼロ法の有効性を証明できないと先のコメントで申しあげたはずですが。
言いましたよね。全国統一テストの点なんて試験対策に時間を割けば嫌でも上がるって。にもかかわらず、PISAでのアメリカの成績は目に見えて伸びているわけではない。そしてその事によって創造性の育成が疎外されているというラビッチ教授の言葉も引いたはずですが。
> GDP比を見ると5年間で2割以上アップですよ??ひょっとしてグラフの見方が分からないのでしょうか??
> お話になりません。
・まず二度目の指摘になりますが、わたしは茶さんに対する初めてのコメントにおいて、アメリカの教育関連予算額の多寡についての話など一切してませんでした。あなたが脈絡なく持ち出してこられた話題です。その上でわたしは「アメリカの教育予算は減っている」あるいは「増えていない」などと申し上げたことは一度もありません。「GDP比では”ほぼ”横ばい」ときちんと申し上げているはずです。ひょっとして日本語の読み方がお分かりになられないのでしょうか??
・いきなり「2割りアップですよ??」などと言われましても、こちらとしては「はぁ、そうですか。それがなにか」としか返しようがありません。
そもそもあのコメントでわたしが言いたかった事は前半部分です。当該部分は、あなたが「予算が増えている」などと言い出したのでお答えしたまで、わたしの議論の本旨にはあまり関係がありません。
そしてわたしは教育関連予算の多寡ではなく”使い方”をこそ問題にしていると、書いたはずですが。
議論の本旨と関係のないところをことさら持ち出して、勝手に勝ち誇り「話にならない」と相手を罵倒するのはおやめになったほうがよろしいと思いますよ。
・そして5年間で2割増というのはそのとおりですが、GDP比に対して1%前後で推移している、つまり「ほぼ横ばい」である事もまた事実です。グラフの解釈があなたと同じでないからといって「話にならない」というのはいかがなものでしょうか。あのグラフを「GDP比に対して1%前後で推移している」と解釈してはいけない理由を説明してくださいませんか?
わたしは茶さんからすれば「話にならない」レベルの相手ですので、懇切丁寧に分かりやすくお願いします。
・そもそもなぜGDP比で予算を見るかといえば、その国の総合的な経済力に対して、その分野がどの程度の重要性を認められているかという形で、その国の政治指針があらわになるからです。あなたの提示した資料を見る限り、アメリカ連邦政府はあの5年間、教育に対してGDP比にして1%前後の予算しか割いていない事を示しています。5年前と比べて何割増えているとか、そういう次元で読むべき資料ではないはずなのですが。
つまりあなたは四重の意味でこちらのコメントを読み違えています。
申し訳ありませんが、もしまともに話をしたくなくてわざと読み違えているのであれば、最初からそういっていただけませんか。わたしも不毛な論点そらしに延々と付き合うほど暇でもないので。
> では、その理由を説明してみてください。
分数の割り算をたとえにきちんと説明していますけど。
あのですね、あのたとえ話は「たとえ概念を理解しなくても、解法さえ教えれば問題は解ける。果たしてそれは”学力”と言っていいのか」という意味合いで出したものです。なぜひっくり返すのかを理解してなくても、実際にひっくり返してかければ答えは出てしまうのです。それと同じように、たとえば「鎌倉幕府の歴史的意義」を理解してなくても鎌倉幕府は成立が1190年前後(諸説あるようです)で源頼朝が立てた武家政権ぐらいを記憶しておけば、テストで○はもらえてしまいます。
そういう問題を解くことに特化したテクニックをいくら習得しても、それは”学力”ではなく、”テストで点を取る能力”でしかない、という事です。
いいですか?体系的な理解や、概念を理解する事をせず、問題を解く小手先の技術ばかり身につけても意味がない、と申し上げているのです。分数の掛け算はそのたとえ話として出したものなのに、ここで「ひっくり返す理由」を聞いてくる意味が本当にわかりません。人の話の揚げ足をとってやろうという意思しか伝わってこないんですけど。
それとも本当に日本語の読み方がお分かりにならないのでしょうか?もしネイティブ言語が日本語でないならば、その旨仰ってくださいませんか?こちらも可能な限り対応しますので。
さて、要は問題の意味が分からなくても、解法のテクニックさえ身につければ、問題は解けてしまうのです。いわゆる「受験テクニック」というやつです(今は言い方が違うかもしれませんが)。塾や予備校で習いませんでしたか?時間内にすべての問題を解くためには、機械的に問題の解法をあてはめていくこうしたテクニックが非常に効率的です。
たとえば1から100までの整数をすべて足すといくつになるか、という問題があるとします。普通は1から順に足していくという手順をとりますが、実は1+100=101、2+99=101、3+98=101、というように101が50個あると気がつくと、この問題はあっという間に解けます。
この気づきが学習では大事なのです。子どもたち同士で考えあい、話し合い、気づいたときに”解った”という実感、他者の思いがけない解法を知らされた時の驚き。そういった体感が子どもたちの学習の財産になるのです。先生がはじめから全部教えてしまっては感動も台無しです。ですが、先生が全部教える方が、時間は圧倒的に短くすむのです。
さて、テストの成績を重視し、テスト対策に時間を割きたいとき、先生はどちらの方法を選ぶと思いますか?当然後者です。そしてそうして育成されるのは”学力”と言えるのか、”テストで点を取る能力”に過ぎないのではないかと、既に申し上げています。
> 橋下氏の教育改革は『保護者の声を聞け』ですよ。それが何で人格形成軽視につながるんですか?
まず大前提として、今の学校が『保護者の声を聞』いていないというのはどこの情報ですか?あなたに学齢期のお子さんがいらっしゃるなら、先生に会って話したいことがある、と学校を訪ねて御覧なさい。授業中や早朝深夜などといった非常識なタイミングでない限り、先生はあなたに会ってくれて話を聞いてくれますよ。「保護者対応」はいまやどこの学校でも重要な問題です。学校や先生に不満があってやってくる保護者、電話をかけてくる保護者と、どのように信頼関係を築いていくか。この信頼関係の下に、家庭と学校で協力したり連携したりして、子どもたちへの教育がなされるのですから、当然の事です。
改めてお尋ねしますが、学校が保護者の声を聞いていないというのは、何を根拠にそう仰っているのですか?お答えください。
第二に。橋下氏の教育改革は『保護者の声を聞け』だけではありません。
本当に動画をご覧になったのですか?
秋原さんも何度も指摘されているように、問題となっているのは「学力」が低いクラスの先生を解任したり、ひどいときは学校ごと廃校にしたりする教育の「競争至上主義化」です。教育基本条例の骨子はむしろこちらですよ。学区撤廃や府立高校の統廃合などもこの流れの上にあるものです。基本条例の流れを追っていれば、当然知っているはずの事ですよ。
競争の中、「成果が上がっていない」とみなされれば職や学校が失われるとなれば、先生も生徒もテスト対策に比重をおくようになるのは当然でしょう。そして時間というリソースは有限です。どこかを重視すればどこかが薄くなる。当たり前の事です。
そしてどこが薄くなるかといえば、数字に表れない分野です。生徒の人格形成や、生活指導、あるいは芸術文化の分野がそうです。そんなところにちからと時間を割くよりも、テスト対策をしないと学校そのものが失われてしまうかもしれないのですから。
そういった環境下で『保護者の声を聞け』と言われても、まずはテストの成績が第一で、それ以外は基本的に後回しになりますよ。容易に想像がつく事です。
あなただって営業成績が悪ければクビだ、といわれたらひたすら営業に励むでしょう。事務仕事を放置して山積みにしてでも、家庭を顧みなくてでも、一件でも多く顧客を得ないと生き残れないのですから。
それとも学校の先生にだけは「あんたがクビになってもいいから人格形成に力を注いでくれ」と要求するのですか?そんな仕事をだれがやりたがりますか。
印象だけで現状を語り、精神論でそれを何とかしようとするから無理が出るのです。
> 駄目教師が担任だと、すべての子どもに行き渡りません。橋下氏が問題意識を持っているのは、まさにそこです。
先生同士を競争させるシステムに固執するから「行き渡らない」のですよ。そこが勘違いの大元です。競争すれば学校はよくなるなんて幻想です。
先生や学校同士の競争をやめさせ、複数担任制を導入するか、一学年全体を十人前後の先生で協力して指導に当たるようにすれば、たとえ「駄目教師(定義が不明ですが)」にあたったとしても、”別の先生”というルートがあります。これは子どもや保護者にとっても安心できる制度です。
実際あるんですよ。ある生徒はA先生の言う事はてんで聞かないけど、B先生の言う事なら素直に聞く、という事が。これは指導力よりもむしろ相性の問題です。こういうとき、A先生がB先生に頼んでその生徒を指導してもらう、という事ができるのです。しかし先生同士が競争関係にあると、A先生はB先生に協力をあおぎづらくなります。なぜなら「指導力が足りない」と判断されるかもしれないという恐れが生じるからです。
クラスをトラブルが生じたとき、校長先生に頼んで教室に入ってもらい、先生はトラブルの対処に集中する、という事もできなくなります。校長に助けを求めるなど自分が指導力がないことを申告しに行くようなものですから。指導力不足と判定され、それが何年か続けば失職します。
教員評価制度はそうやって教員同士の連携や協力を断ち切ってしまうのです。これは現場の先生から直接聞いたお話ですが、この制度は「みんながんばった」が認められない評価システムなのです。常に誰かが低評価に追いやられなければいけない仕組みになっています。そんな中で自分の弱みを見せる事は、自らの職と尊厳と生活を危うくする事です。そんな危険を冒すよりも、その生徒の指導は諦めて、クラス全体のテストの点を上げることに注力したほうが、マシだという事になりかねません。先生だって人間です。家族もあり生活もある。自分の信念に準じて失職できる人などそうはいません。
わざわざ先生たちをそういう極限状況下に追い詰めて、なおかつ清く正しく、失職も恐れずに振舞えというのは、もはやただのいじめです。
橋下氏の教育改革はわざわざ先生と子どもたちをクラスという密室に閉じ込め、そこからの離脱や逸脱が許されない状況を作っておいて、その状況に耐えられなかった人を「駄目教師」「落ちこぼれ」と断罪して、切り捨てるものです。
そしてあなたもそうした信念をお持ちのようですね。
> 『他の生徒の勉強の邪魔をしたので君は退学です。さようなら』これでいいんです。
あなたは自分の子どもがそう言われたらどうしようとか、想像することさえしないのでしょうか。それとも他府県にお住まいだから、他人事として無責任に仰っているのでしょうか。
改めてうかがいたいのですが、あなたは本当にこんなシステムが、教育の最大の受益者である子どもたちにとっていいシステムだと思っているのですか?
> それから私のけんか腰と橋下氏のけんか腰は全く違いますよ。
けんか腰だという自覚がおありだったんですね(笑)
これは単純に好奇心でお尋ねするのですが、たとえ意見が違うとはいえ、ひと様のブログにお邪魔するときに、そういった態度では非礼に当たるとか、大人げないなとは考えませんでしたか?
いつもご苦労様です。
茶さんのコメントを読んだり、レスを書いたりしていると、「足止め効果」という言葉が浮かんできますねぇ(^_^;)
http://os7.biz/u/1UOkp
(引用ここから)
まともな議論とまでは思わなくても「ややこしそうな話だな」とか「ちゃんと勉強しなきゃ見極められないな」とか「あとで読む」などという態度保留の反応が引き出せたら、それは歴史修正主義側に有利にはたらきます。ほっといたら通説を受け入れて敵に回るはずの人に中立の立ち位置に止まらせたわけですから。こういうのを僕は「足止め効果」と読んでいます。
さすがに「韓流好きの人のルーツには朝鮮人が混ざっている可能性が大」なんていう戯れ言で態度保留の反応なんて引き出しようがないだろうけど、上のように「それなら自分のルーツは~」と言わしめた時点である意味勝ちなのである。ルーツについて一瞬でも考えさせたという意味では。このような、何らかの態度をとらざるを得なくさせるというものを、「第二種足止め効果」とでも呼ぶことにしよう。
(引用ここまで)
> 平和の尊さや、人間の命の尊厳・人権の大切さを教えてくださる
フランスでは平和を軽んじ、人間の命の尊厳を軽んじてるんですかね?フランス国歌歌詞の一部です→『敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ!』別にフランスが特別なわけではなくて、国歌の多くが『敵・血・屍・戦い・砲弾・戦場』みたいな感じなんです。そのあたりは以下のサイトに綺麗にまとめてあります。
http://www.d4.dion.ne.jp/~hanami2/day/sekaikotuki.htm
それに比べて日本の国歌の歌詞は(解釈は複数ありますが)『天皇の治世が長く続くように』です。『敵・血・屍・戦い・砲弾・戦場』なんてどこにも出てきません。
> 平和をこよなく愛する人間になると確信します。
フランスは暴力に溢れた国なんですかね?
> 河村名古屋市長の様に、『南京大虐殺は無かった。』などという公人として許されない歴史の捏造をする人間には
無かったんですよ。
パワハラの報道も有りましたね。パワハラの末に自殺された自衛隊員の
御家族が訴訟を起こされましたね。
そういう自衛隊員の存在を持って、自衛隊は、セクハラ隊員が
のさばっているとんでもない組織だってことでOK?
茶さんの論法で行くとそうなりますよ。
東京大学法学部の気鋭のA教授が痴漢で捕まって失職したことは記憶に新しいですが、
以前は京都大学法学部でもセクハラで失職したその道の世界的権威とされる
Y教授もいました。
そもそも、人間の集団である以上、程度の差こそあれ、
問題を抱えている人がゼロの組織って私は聞いたことが
無いですね。だから、それで良いとはまったく思いませんが、
あなたの論法で行くと、
あらゆる組織は、問題を抱えた人間がのさばっているということに
なりますね。
秋原さんご指摘のとおり、あなたは日本語の使い方を間違えています。
忌野清志郎の名曲に『僕の好きな先生』というのがありますが、
ああいう教師の存在も、落ちこぼれゼロ法案や橋下の教育改革に
かかると、最低評価の対象となって分限免職とかされそうですね。
いやー、殺伐とした教育現場になりそうで、薄ら寒くなります。
のさばるにはまかり通るという意味もあるんですよ。
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E3%81%AE%E3%81%95%E3%81%B0%E3%82%8B
> 言葉の意味を勝手に変えないようにしてください。。
言葉の意味を変えているんじゃなくて、言葉には複数の意味を持つものがあるんですよ
>茶さん
・大手を振る(おおでをふる)
1.歩くときに両手を大きく振る。
2.他人に遠慮せずに堂々と行動する。
3.当然のように罷(まか)り通る。誰にも憚(はばか)らずに行なう。
[動ラ五(四)]
1 「通る」「通用する」を強めていう語。わがもの顔で通る。堂々と通用する。「あんなことが―・るとは世も末だ」
これなら意味が理解できるでしょ。
ゼロではないってことは、それが通用しているってことだよ。
>茶さん
セクハラ自衛隊員は処罰されるよね。下手したら首だ。
声は小さい上に本を棒読みするだけの授業をする教師はどうだよ?
>茶さん
>
> セクハラ自衛隊員は処罰されるよね。下手したら首だ。
> 声は小さい上に本を棒読みするだけの授業をする教師はどうだよ?
だからそういう教師をナントカするのに教育基本条例なんかあらたに設けなくても対処できると何度説明すれば・・・
茶さん
やたらと投稿を分けすぎなんです。
それがマナーだと思いますよ。
こんな初歩的な事から言わないといけないのか・・・
だから『処罰できるできない』なんて話じゃなくて、
『処罰すべきか否か』なんだよ。
駄目教師に教わる生徒が可愛そうだろ?
1年間ず~っとつきあうことになるんだぞ。
>茶さん
>
> だから『処罰できるできない』なんて話じゃなくて、
> 『処罰すべきか否か』なんだよ。
ではそれについて教育基本条例ではなんと規定してるんです?
『処罰すべきか否か』なんだよ。
処罰すべきか否か、ではなくて、「処罰される」んですよ。現実にされてもいます。
セクハラをする教師を処罰すべきか否かなんてのは、セクハラが実際認定されたのならば考えるまでもないでしょう。
その4
そもそも、今見るべきは『教育基本条例』でなくて『大阪府教育行政基本条例』と『大阪府立学校条例』。
それに、そこには『テストのテ』の字も出てこない。
もしこれ以上『教育基本条例』と言うなら、あなたはこれ以上この件について語る資格はないと断言させていただきます。
> ・・って、真の学力や人格形成とかはなおざりにされちゃう教育がお好みですか?
いやいや、ちゃんと読んで下さいよ。
橋下氏の掲げる教育改革ではそこも改善されると思いますよ。「もっと保護者の声を聞きましょう」という方針がありますから。
橋下氏の掲げる教育改革ではそこも改善されると思いますよ。「もっと保護者の声を聞きましょう」という方針がありますから。
(ちゃんと読んでもらえるように2回書きました。)
> テストで良い点を取るだけが
『大阪府教育行政基本条例』と『大阪府立学校条例』には『テストのテの字も出てこない』
目立つのは『保護者の意見の尊重』
> 先生をクビにするためのチクリの場面だけの話じゃないですか。
どこをどう読んでいるんですかね?
あ、君は『大阪府教育行政基本条例』と『大阪府立学校条例』を読んでないんでしたね。
失敬失敬w
> 観測霊さんが指摘されたような真の学力や人格形成にも重きを置く教育が、すべての子供に分け隔てなく行き渡ることこそ保護者の求める「改革」でしょう?
まったくその通り!!しかし駄目教師ではそれができない。それが橋下氏が問題視している点だ。
その5
あのさあ、大阪でかいんだから反対する保護者が1名2名いてもおかしくないよ。
もうちょっと説得力のあるデータを出せないのかね?
> 本当に保護者の声を聞く気があるのなら、なぜ保護者からの「条例反対」の声を聞かないのですか?矛盾してますね。
一部の特殊な声は無視する方向みたいですよ。そうしないとモンスターペアレント問題が解決できないですから。
> 1.日本より成績が下位の国でとられた政策~しかも成功していない政策を、どうしてわざわざ真似しなければいけないんです?
『大阪府教育行政基本条例』と『大阪府立学校条例』にはテストのテの字もでてこない。
したがって真似していない。ダメ教師をクビにするというのは、ヨーロッパの他の国でも行われている。
それは調べてみる。イタリアは確実にそうだが、他にもそんな国があったはず。
> 2.あなたは教育格差をお好みですか?条例でそういう状態が強化されても良いとお考えですか?
『駄目教師に習う』のと『良い教師に習う』のでは確かに教育格差が生まれる。
だから、ダメ教師を首にしてその部分の格差を無くすのは良いアイデアだと思う。
> そんなこと聞いてどうするんですか?それ、教育基本条例の是非とは全然関係ないですよね?
> だって、村野瀬玲奈さんも仰ってるように、わいせつ教師など教育基本条例がなくたって対処できますし、
おまえはアホか。『対処できるかできないかを聞いているのではない』と言っている質問に対して、何で『対処できます』って答えが返ってくるんだ・・・
言いたいのは『駄目教師につきあうはめになる生徒は可哀想だろ』って話だ。
だから駄目教師は排除しないとねって話だ。
今見るべきは教育基本条例ではないです。
> いろいろ書かれていますが、まずは1回大阪府教育行政基本条例と大阪府立学校条例を読んで下さい。テストのテの字も書かれていません。
↑10回声に出して読んでください
茶さん…
というのも社会人であればいやというほど経験する「白でもなければ黒でもない状態」というのに耐えられないという風に見えます。
あなたが既定する「駄目教師」に対しては、指導や矯正とかは無しで排除しかないと?
完全主義や潔癖症もいいですが、度を超えると「社会が壊れます」よ。
(これは一般論としての「社会」と、あなたの内面世界としての「社会」の両方の意味です。つまりこのままいくと心療内科のお世話になるのではと危惧しているということです)
後、フランス国家「ラ・マルセイユ」はあれはもともと革命歌ですから血生臭くて当たり前…それでフランス人は暴力的とかいうと…村野瀬先生か管理人さんあたりにフルボッコにされます。後国歌の強制に関しては村野瀬先生のサイトが詳しいので、それをよく読んで、理解して、それから話したほうがいいと思われます。
後、「国旗国歌法」制定時の国会答弁を見ていれば強制ということは絶対言えないんですがねぇ…
(以下国会会議録より抜粋)
145 - 衆 - 本会議 - 41号 平成11年06月29日
○内閣総理大臣(小渕恵三君) 御法川英文議員にお答え申し上げます。
国旗及び国歌の法制化の趣旨についてお尋ねがありました。
日の丸及び君が代は、長年の慣行によりまして、それぞれ我が国の国旗と国歌であるとの認識が広く国民の間に定着していると考えられることから、本年二月の時点では、特に法制化することは考えていない旨答弁いたしたものであります。
しかしながら、よくよく考えてみて、我が国は成文法の国であること、また諸外国では国旗と国歌を法制化している国もあることなどから、二十一世紀を迎えることを一つの契機として、これまで慣習として定着してきた国旗と国歌を成文法で明確に規定することが必要と考え、法制化を図ることといたしたところであります。(拍手)
国旗及び国歌の法制化と、学校における国旗及び国歌の指導についてのお尋ねがありました。
学校における国旗と国歌の指導は、児童生徒が国旗と国歌の意義を理解し、それを尊重する態度を育てるとともに、すべての国の国旗と国歌に対して、ひとしく敬意を表する態度を育てるために行っているものであります。このような、学校における国旗と国歌の指導の重要性にかんがみ、今後とも、これまでと同様に適切に実施することといたしており、今回の法制化に伴い、その方針に変更が生ずるものではないと考えております。
残余の質問につきましては、関係大臣から答弁させます。(拍手)
(ここまで抜粋)
と、つまり平成11年時点での指導方針を変更しないと行政府の代表者が国会の本会議で明言してるんですよ…ちなみに国会答弁ってものすごく重くて、しかも法律のように時点での変更ができないのでこの答弁に沿ったことしか本来はできない「はず」なんです。
>茶さんへ…
貴殿は、南京事件は無いと記されましたが、とんでもない暴論・歴史の捏造だとわたしは考えます。
河村市長は謝罪し、発言を取り消すべきであると考えます。
【NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺】
http://m.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&client=mv-google&v=iA
中国政府は、「南京大虐殺は日本帝国主義が中国に対する侵略戦争で犯した残虐な行為で、確証がある。 国際社会でも定論もあり、疑う余地がない」と強調しています。
日本の外務省も、「名古屋市長の発言は個人的な見解で、日本政府の立場を代表できない。歴史問題における日本政府の立場が変わっていない。過去、日本が行った殖民地支配と侵略は多くの国、特にアジア各国の人民に大きな損害を与えたことは明らかです。」とコメントを発表しました。中日両国間で“鬼畜旧日本軍閥”により虐殺された南京の人々の被害人数については、認識の違いはあるものの、南京大虐殺の存在そのものは、両国が認めています。河村名古屋市長の言う、「南京大虐殺はなかった」発言は、国際的な認識・歴史的事実を隠蔽・捏造する許すことができない首長として絶対に発してはならないものです。発言を取り消し、反省するとともに、中国人民の皆様に対し深く謝罪すべきです。
ドイツでは、ナチスのユダヤ人大虐殺について否定する言論を発するなどすると処罰されます。日本も“ヘイトクライム禁止法”や“南京大虐殺否定論発言及び核武装容認発言禁止法”なるものを制定して欲しいものです。 日本は戦後国際復帰するときのサンフランシスコ講和条約で、極東軍事裁判の判決を全面的に認める宣言をしています。
極東軍事裁判自体には別の面から見てもいささか問題があると思いますが、それも含めて南京大虐殺事件の死者は20万人だった(中国側とわたしは30万人と主張)と認めているのですから、これ以上蒸し返さないことが国際的なルールです。(日中歴史共同研究では人数に違いがあるものの南京事件の存在を認めていますよ。そのものを無かったとする暴論は許してはなりません。)
国際上の基本的なルールも知らない首長が揉め事の種をつくってもらっては本当に困りますね。
わたし自身、1990年代のはじめ、約5年間、仕事の関係で、北京に居を構え、南京市へも幾度となく足を運び、歴史の証言;オーラル・ヒストリーを直接、中国の皆さんからうかがいました。“南京大虐殺がなかった”と日本人が言うたびに、ハラワタの煮え繰り返る怒りが、込み上げるのです。
茶さん…、一度、中国を訪ねられ、日本軍閥の蛮行の犠牲になられたご遺族の心からの悲痛な叫びをお聞きになるとよろしいかと存じます。皆さん涙ながらに語られます。筆舌に尽くし難い悲惨窮まるものばかりです。 石原慎太郎などが、“支那・三国人”などと口走るたびに、『中国の方々の心痛を斟酌する感性もないのか!!!』と、怒りがこみあげてきます。
>観測霊さん
茶さんのでたらめ加減がだいぶ明らかになってきたので(と言っても絶対本人は認めないでしょうけど)そろそろうち切ろうかと思っていたところです。
結局
1.日本より成績が下位の国でとられた政策~しかも成功していない政策を、どうしてわざわざ真似しなければいけないんです?
この質問に対する答えはひとつは、
教育基本条例はNCLB法を真似していない、ということらしいです。
その根拠は「テストのテの字も書かれていないから」つまりアメリカの州統一テストやNAEPみたいなのが定められてないから、条例はNLBC法を真似てない、と言うことらしいです。
教育基本条例(今は二本立てでだいぶ文言も巧妙になっていますけど、面倒なのでこのまま行きます。)とNCLB法が何故そっくりと言われてるか、茶さんは全然理解していないことがこれで明らかになりましたね。
とにかく先生を縛り上げてちょっとでも反する先生をどんどん罰する方向に持って行ってること
生徒、学校に競争原理を強いること
この二点がNCLB法の本質です。
教育基本条例は二条例に分かれてからも
「知事が教育委員を業績いかんで罷免する、違法の規定もなくなっていません。命令通りにならない教職員を免職にする規定も残りました。これは今年一月に「君が代」の起立斉唱に関して最高裁判所が下した判決に反します。また、府立高校の統廃合や学区撤廃など、競争原理を導入する条文もそのままです。」(http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/3449254.html)
つまりNCLB法と本質が変わってないのです
州統一テストみたいなテストを条例で定めてるかどうかは本質的なところじゃないんです。全国統一学力テストというものも既にありますし、業者の模試だってある。橋下氏は実際それを見て大阪の成績に激怒したんですから。
第一、茶さんは、二条例にわかれてからも条例のあちこちに法律に違反した規定があることを知らないのかしら?違法な規定を含んだ条例を支持するってそれだけでお里が知れるというものです
もう一つは、
あくまでNCLB法は効果があった、と言いたいようです。
でもPISAに関しては
>PISAの結果は統計的手法を見ないと見えてこないのでいいです。説明する気も起きない。
だそうですよ。
これ、PISAの結果は無視したいってことですよね、本音は(笑)
どんな難しい統計的手法を使ってもいいですから、私としてはあのPISAの統計からアメリカの子どもの学力が向上した、ということを証明して見せて欲しいんです。だって、それが証明できなかったらNCLB法は失敗ってことなんですもの。
しかしそれをしない一方で「成果あった」の「数値的根拠」として持ってきたのが文科省のHPのたったあれの数字だけってどれだけお粗末かつご都合主義なんだか。
で、茶さんはこの文科省HP先の該当部分を
>そんなの引用先見れば『すごく増えた、ちょっと増えた、大して変わらず。全部平均するとちょっと増えた。』
みたいのすぐに読み取れるし、全文引用する必要性が全くないじゃないですか。
と仰ってるんだけど、「全部平均するとちょっと増えた。」って、大して効果なかったって事じゃないの(爆)?
肝心の(アップしたのは)「テストで点を取る能力”であって”学力”ではないのではないでしょうか」と言う指摘には「じゃあ分数の割り算は、なぜひっくり返すのか説明しろ、できなかったらお前はバカだ」ですもん、話をそらすにもほどがあります。あ、これ、また非承認のコメントのでなかで繰り返してました。
それからよく「VOICEでは言ってない」とか仰ってますけど、大阪教育基本条例とNCLB法との酷似は何もVOICEが言い出したことではないんです。前から指摘されてましたよ。それが初めて報道されたってだけなんです。
例えばこちら
http://blog.goo.ne.jp/kimigayo-iran/e/96f955c137f18e674767430e7ad0766a
2.あなたは教育格差をお好みですか?条例でそういう状態が強化されても良いとお考えですか?
これに対する答えは
>何か説得力のあるデータを示せないのですかね??
感想文レベルの論拠しか出してこないので、非常に話がしにくい。
つまり、教育格差が強化されたという証拠はない、と言いたいようです。
データを示せないのかって、PISAのデータは出しても無視するくせに(苦笑)
いや、南京大虐殺はなかった、を思い出しましたよ。
それこそVOICEをちゃんと見てない証拠ですね。
というか、NCLB法は教育格差を生むためのものと言っても過言ではない法律でした。堤未果さんのルポ「貧困大陸アメリカ」に詳しく書いてあるので省きますが、ようは教育格差で切り捨てられた子どもを軍にリクルートする「経済的徴兵」だったんです。これはNCLB法の「常識」
茶さんはこういう常識をご存じないようです。
>橋下氏に「障害者への配慮をしてくれ」と言って何かアイデア考えて直訴すればいいでしょ。そこは橋下氏も考慮するでしょ。彼は頭がいいから
もうこれは橋下氏マンセーの「信仰の告白」以外何者でもないですね。まるで維新の怪の方みたいな発言です(笑)私はとてもそんな信仰は持てそうにないです。平気で憲法違反の思想調査という人権蹂躙をやる人をとても信用できません。
さて、観測霊さんにも茶さんからの返事が来てますが、これがまた非生産的な今までの蒸し返しばかりです。猛既に茶さんの過去コメントでお目にかかったモノばかりですので、コメントオープンにする必要はないです。
ああ、ひとつやや新しいことを書いてました。
>保護者の視点が決定的にかけている。もう一度書く。
あなたの周りの保護者は、子供を『駄目教師』に教えてもらいたいんですか?
そして教師の評価は『保護者目線重視』です。テストで全員100点でも
『保護者が駄目』と言えば駄目なんです。
で、クビにするのがいいそうです。
この「保護者の密告」の弊害は既に指摘されまくってるのに、知らないんですねえ・・。どうして先生の評価は保護者の評価が絶対的に正しいと言い切れるんでしょうね?
それに、「保護者の視点が決定的にかけている。」と断言しちゃってますが、本当に学校を知らないとしか言いようがない・・・もし教え方が下手すぎて目に余る先生がいたら、保護者からクレーム行って、その先生は担当を外されたりすることもあるのが「現実」なんです。なのに自信満々で「保護者の視点が決定的にかけている。」と断言しちゃってますよ。
ここまで学校の現実を知らない方が何を言っても説得力なしです。
たとえば非承認のコメントの中にこんなのがあります。
> しかし先生同士が競争関係にあると、A先生はB先生に協力をあおぎづらくなります。
民間の会社では普通に従業員同士競争しているが、協力もしている。
それができないという教師は給料を下げればいい。
プロ野球の選手でも、チームメイト同士で競争しているし協力もする。
社会はそういうもんだ。
> 教員評価制度はそうやって教員同士の連携や協力を断ち切ってしまうのです。
それは甘え。民間の会社では競争と協力を普通に行っている。
あ~あ、学校の現場と民間の会社をいっしょくたにしちゃってます、いかに「現場を知らない」かを白状してるようなものですね。
もう一つ言っておくと
>> 観測霊さんが指摘されたような真の学力や人格形成にも重きを置く教育が、すべての子供に分け隔てなく行き渡ることこそ保護者の求める「改革」でしょう?
まったくその通り!!
いつ橋下氏がこんな教育目標掲げました?
橋下氏は「グローバルな競争に勝ち残る人剤を育成する」のを目標としてます。真の学力や人格形成にも重きを置く教育が、すべての子供に分け隔てなく行き渡ることとは真逆なのに、それも理解できないとは・・。
茶さんへ
>もうちょっと説得力のあるデータを出せないのかね?おまえはアホか。『対処できるかできないかを聞いているのではない』と言っている質問に対して、何で『対処できます』って答えが返ってくるんだ・・・
茶さん、あまり見苦しいのでコメントします。
一点目、
ここは他所様のブログです。そこでは少なくとも敬語を使うことが礼儀です。社会常識です。あなたの表現は、あなたが社会人として失格であることを証明しています。
二点目、
議論とは、互いに理を尽くしておこなうものです。自分の考えが通らないからといって感情的になったとき、あなたは議論の土俵からおりたことになります。
三点目、
議論の表現方法は、議論の質を決めるのです。すなわち「おまえはアホか」は、その程度の議論の質しかもちえないことを暴露しているのです。
>jeanvaljeanさん
じつはその指摘、先に青い鳥さんもmimozaさんもしてくださってるのです。ところが茶さんは完全に無視を決め込んでいます。jeanvaljeanさんで3人目。でも無視することでしょう。
おまけによこすコメントは既に過去にコメントしたモノの蒸し返しや、この人絶対学校の現場知らないよね、というコメントばかり。「とんでもない教師がのさばっている」等々、学校の現場を知らず妄想に基づく論は聞くに値しません。
ですから以後彼のコメントは非承認です。
橋下ユーゲント
>それは甘え。民間の会社では競争と協力を普通に行っている。
他者のブログにおける言葉遣いを散々複数の人から注意されているのに、
それを改めようとせず、居直ってエスカレートさせる茶さんこそが、
甘えています。
こんな社会常識を踏まえられない人に、教育を語る資格は無いと断言させて
いただきます。
そして、平然と教育現場における“排除”を言ってのける。
これじゃ、ヒトラーユーゲントの亡霊を見ているかのようです。
こんな人が今の社会に増えているんですかね。
だとしたら民主主義の危機に面していると真面目に思いますね。
>フリスキーさん
それからこれも凄い
>> 本当に保護者の声を聞く気があるのなら、なぜ保護者からの「条例反対」の声を聞かないのですか?矛盾してますね。
一部の特殊な声は無視する方向みたいですよ。そうしないとモンスターペアレント問題が解決できないですから。
うわー!教育基本条例に反対する保護者を特殊なモンペア扱い!
> 「女生徒の胸を触る教師」
> 「あなたの娘がレイプされたら」
を挙げておられますが、これらは犯罪でしょう。
取り締まるのは警察、裁くのは裁判所の仕事です。
一方で
> 理不尽なことを求めて居丈高にしかりとばす
> 声は小さい上に本を棒読みするだけの授業をする
これらは犯罪でもなんでもありません。
しかもこれらは研修や訓練で矯正が可能な問題です。
これらを同列に並べて、そのどちらも「1回大阪府教育行政基本条例と大阪府立学校条例」で対処しようなどとおっしゃる。条例は刑事罰を定めるものではありませんし、罪でもない事で人から職を奪うのは逆の意味で犯罪”的”行為です。
これらを恣意的に使い分けるので、結果的に「俺定義の”駄目教師”は全部学校から叩き出」していいのだという主張になってしまっています。ご自分でも勘違いされているのか、それともわざとそういう風に議論を進めているのかは解りませんが。
しかもそれで生じる問題や最終的な責任は「橋下氏が何とかしてくれる」で済ませてしまっていますから、これは確かに「信仰の告白」ですし、議論に臨む態度として、教育、ひいては子どもたちに対しても無責任極まりないと思います。
平たく言うと、まぁ、ひどいです(笑)
>茶さん>観測霊さん
茶さんって教師が毎年何人やめてる、あるいはやめさせられているか知らないのでしょうね。セクハラ行為をすれば、真っ先に教育委員会に届けられて、辞めさせられてしまいますよ。あまりに理不尽な事を言うのも同様。
私は以前、特別支援のクラスの教師があまりにも酷い暴言を吐くので、校長に訴えでた事があります。教育委員会まで話が進んで、その教師は結局厳重注意を受けました。
教員の自殺率とか調べて見てください。教師は決しておいしい職業ではないです。
>平たく言うと、まぁ、ひどいです(笑)
同意です。
青い鳥様へ
あなたの指摘どおりですね、自国の先住民族を踏みにじっている者たちが愛国心を叫ぶ滑稽さは笑えます。アイヌ民族や在日コリアン、沖縄の人たちにも歴史や誇りはあるのです。
それを一律に日の丸君が代で語ろうと言うのは無理な話です。ハシゲという男はそうした誰でも分かる常識が分からないおバカなのです(クイズヘキサゴンがお似合いでしょうが)。
>小野哲様…
本当にハシゲやイシハラの台頭著しい現在の日本社会の“右傾化”には、もうウンザリです…。
ひと昔前の日本では彼らの様な極端な軍国・差別主義パラノイアは、忌避されたものです。イシハラ若き日、東京都知事選に出馬したとき、美濃部亮吉革新知事に大差をつけられ敗北したのですが、今や万雷の喝采を受ける始末…。当時(1970年代)の日本はバランス感覚が優れていて、国政選挙では毎回“揺り戻し現象”がみられましたが、今はそれがありません…。“右”へ振れ切ったまま戻ってきません。日本共産党や社民党などの護憲陣営は、存続の危機に直面しています。比例定数80削減されたら、護憲陣営が絶滅してしまいます。マスゴミも民意の切り捨てを推進する始末…。“日本国憲法”がなくなれば、人間が生きられない国になりそうで背筋が凍ります…。小野哲さん…どうすべきでしょう、わたしには、なかなか妙案が浮かんできません…。 (-.-;)
マスゴミ
教育基本条例には反対だがマスゴミが嘘で世論を誘導するのはよくない。この番組は本当にひどかった。
「VOICEの例の番組はデタラメだ」という指摘が存在します。
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秋原葉月氏は騙されている:意識的に虚実を混ぜる「VOICE」は報道番組か?
http://blogos.com/article/32688/
VOICE「米国流教育改革の“落とし穴”」は視聴者に仕掛けた「落とし穴」
http://blogos.com/article/32878/
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これに対する反論はあるでしょうか?
テレビ番組の真贋は良く分かりませんが、例えば『ジャマイカ高校で民間の学校が授業を始めている』というのが嘘なら、番組の信用度は地に落ちます。
話は変わりまして、「特に改革の必要性にせまられていない」と書かれていますが、なぜそのような判断をしたのでしょうか?問題のある教師がゼロでないことは多くの人が認めていますし、そのような教師に習う子供への悪影響はあると思います。『特に改革の必要性にせまられていない』と判断した理由を教えてください。
話は変わりまして、塾は完璧な競争にさらされています。(『○○大学進学率○%』など)秋原葉月の心配が本当なら、塾へ通っている子供はボロボロの悲惨な状況になりそうですが、そうなっていません。これは一体どういう事なのでしょうか?
質問への回答、よろしくお願いいたします。
北村氏がブログに書かれている「Hillside Arts & Letters Academy」はおそらくこれの話だと思います。
http://insideschools.org/high/browse/school/1657
>検索すれば直ぐ判る通り、1988年の英国教育改革法(「サッチャー教育改革」)や2001年のNCLB法(「落ちこぼれゼロ法」)に就いての賛否両論はありますが、「失敗だったと認めた」調査結果は見当たりません。
サッチャー教育改革の柱とされた学校選択制と全国共通学力テストの導入。テストの結果を公表し、平均点が高い学校へ生徒を集中させ、点数が低い学校は廃校させるという教育への市場原理の持ち込みです。その結果、人気校周辺の地価高騰を招き、人気校には富裕層しか通えなくなるなど所得による教育格差の拡大につながりました。実際、2008年、イギリス下院の報告で、学力テストが教育を歪ませたという警告が出されています。弊害が明らかになる中、統一学力テストの導入に一貫して反対してきたスコットランドだけでなく、独自の学力テストを実施してきた北アイルランドもテストの公表を廃止、イングランド同様全国テストを実施したウェールズも2006年には全テストを廃止しました。つまり、既にイギリスの4つの地方のうち3つでサッチャー教育改革の目玉であった学力テストは廃止されています。そして、残ったイングランドでも、ボイコットをする学校が相次ぎ、2010年時点では大幅に縮小された「全国学力テスト」を細々と続けているだけです。この事実こそが「失敗だったと認めた」何よりの証拠ではないでしょうか。
例によって欝な書き起こし バカ殿逆上必至の記事です
(引用開始)
落ちこぼれゼロ 夢の果て
大阪市の橋下徹市長が、矢継ぎ早の教育改革を打ち出している。教育をサービスととらえて保護者や子どもに学校を選択させ、選ばれなかった学校を統廃合して学力低下に悩む現場を立て直す構想だ。米国でも似た施策が進む。ブッシュ前政権が10年前につくった「落ちこぼれゼロ」法。教育から格差をなくすという理想を掲けて学校に競争と淘汰を導入したが、成果が上がらず見直しを攻める声が強まっている。どこでつまずいたのか。
大阪に先行10年 NYI50校淘汰
1月、ニューヨーク・ブルックリンの高校で開かれた教育委員会の傍聴席は、「Disaster Decade(厄災の10 年)」と大書きしたパネルを待った教員、保護者ら約200人で埋め尽くされた。
議題は、学力が上がらない公立学校8校の閉校。プッシュ政確が貧困世帯の低学力対策として導入した「落ちこぼれゼロ」法による措置だ。
テストで選別
同法は学カアップにノルマを課し、果たせない学校は退場させる。具体的には3~8年生(日本でほ小3~中2)に毎年英語と数学のテストを受けさせ、各学校は、12年後に「良」を取る生徒が100%になるよう目標を設定。2年連続で目標達成に失敗すれは、保護者は子どもを転校させることができる。4年連続で失敗なら教職員総入れ替え。5年連続なら、閉校か民間委託。ダメな学校は淘汰され、落ちこぼれはいなくなる-はずだった。
ところがプルックリンの会議では、議事説明に傍聴席からブーイングが飛び、笛が鳴った。高校で体育を教えるクリス・ゲイリーさんは 「この10年、市はテストの数字を基に教師を責めるばかり。貧困家庭の子どもの状況は何も改善されていない」と怒る。
参考人として意見発表した5人の子どもの母キム・アービィさんは、「学校はテストのための勉強ばかり」と不満をぶつけた。
毎日同じCDを流して単語書き取りと計算ドリル。英語と数学の授業が増え、音楽、美術、体育は削られた。「子どもは機械的な学習に飽き飽きしている」
市当局は、州のテストで「良」を取った子が2002年は30%だったのが、10年間で英語が44%、数学が57%になったと胸を張る。だが教職員組合ユナイテッド・フェデレーション・オプ・ティーチヤース(UFT)ほ「達成率が上がったのは州のテストが難易度を下けた結果」と反論。国のテストの成績は横はいだからだ。
弱者置き去り
学力が上がったかどうかの論争が統く間に。学校の統廃合は着実に進んだ。
UFTによると、市内の公立小中高校1750校のうち、テストの成績などが基準に達しない150校が閉校になった。市内の全教職員の4分の3にあたる6万6千人が、定年に加え、強制的な配置転換や激務によるうつなどで退職。統廃合対象になったジョン・デューイ高校の教師エリザベス・ボウイスさんは「教師たちは追い立てられ、疲れ切っている」と嘆く。
校区が抱える貧困地域の子は、中南米移民の子で英語の読み書きができなかったり、勉強よりアルバイトを選んだりする。「スペイン語を授業に採り入れ、欠席がちな子には毎朝電話。できることは何でもしている。でも教師の努力だけでほ限界がある」
閉校した学校の校舎には、民間財団の寄付などで市民が運営するチャータースクールが入った。小規模の手厚い教育で生徒の成績は高い。だが校区の子を受け入れる義務はなく、校区外からも志願者が集まり高倍率の抽選となる。成績の上がりにくい障害児や英語が読めない子の入学を断る学校も多い。貧困地区ほど公立学校が激減し、チャータースクールからもはじかれた子が校区外への通学を強いられる矛盾が拡大している。
予算かけ細やかな教育を
「大阪は大変なことになってるわね」。ニューヨーク市立大学のダイアン・ラピッチ教授は開口一番、そう言った。ブッシュ政催の教育調査官。大統領から「すべての子どもに基礎学力を付ける」という理念を聞いたときは感激したという。 「でも現実はそうはいかなかった。」。4年後から反対に転じ、橋下徹市長がすすめる大阪の教育改革にも関心を持っているという。
学力テストによる学校・教員評価と公教育の縮小は「グローバル教育改革連動(GERM)」と呼はれ、この10年でオーストラリア、韓国、台湾はど環太平洋の先進地域に広がりを見せている。大阪の改革も「典型的はGERMですね」。背景には、新興国に産業基盤が移り経済が停滞することへの焦りがあり、競争による学力向上を目指すのが共通点だ。
教授は、米国での失敗の理由を二つあける。
一つは、学力の低い子ほど、最寄の学校で、家の事情も知る慣れた先生に教えてもらいたがる現実を無視したこと。落第と判定された学校でも、転校を希望する保護者は数%。全国の学校を歩くと「僕の点が悪いせいで学校がなくなるの?」と多くの子に聞かれた。「学校のランクづけは下位の子の自尊心を傷つけ、やる気を失わせた」
もう一つは,ノルマを果たせない学校の改善支援がうまくいかなかったこと。教育技術を学んだ優秀な教師を送り込み、テストの点を上げる反復練習を繰り返した結果、一時的に点は上がった学校もあった。だが長続きしなかった。大学入学時に科学や歴史の基礎知識が足りない子も増えた。「テストのための教育が広がり、かえって自分で考える力を失わせてしまった」
法律の成果もあった。「一斉テストで、人種や性別による学力格差の現状を明らかにしたことはよかった」。だがその格差を是正するには、予算をかけて教員を増やし、きめ細かい多様な教育をする以外にない。「競争による学校や教員の淘汰は行き詰まる。それがアメリ力の教訓です」
米国の教育政策に詳しい篠原岳司・滋賀県立大准教授は、格差の是正に目を向けた同法の理念は否定すべきではないという。「現実には理念を生かし切れなかった。橋下さんには、子どもにどんな学力をつけたいのか、どう人と予算をかけて支援していくのか、全体像を描いて見せてほしい」
オバマ政権転換
批判の高まりを受け、オバマ大統領はエ1月24日の一般教書演説で「テストのための教育をやめよう」「もう教員を責めるのはやめよう」と宣言した。教員確保や、学区ごとの福祉・教育支援に予算を付け始めている。
(阿久沢悦子)
米国と大阪の教育改革の類似点
学力テスト
米国 学校別に結果を公表。保護者はそれを基に学校を選択
大阪 保護者が小中学校を選べるよう、学校別に結果を開示
教員評価
米国 テストが4年連続で目標に達しない場合、教員を総入れ替えする
大阪 保護者の申し立てや校長の評価で、不適格教員を現場から外して研修
学校統廃合
米国 5年連続で目標に達しない場合や卒業率が低い学校は閉校
大阪 3年連続で定員割れした府立高校は再編整備。小中学校でも学校選択制を導入し、選ばれなかった学校は統廃合も考慮
留年
米国 テストが標準に達しなかい子は低学年から留年させることができる
大阪 小中学校で、学力不足の子の留年を検討
教育委員会
米国 シカゴ、ニューヨークなど大都市で教育委員会を市長直属に
大阪 教育の基本計画は首長が教育委員会と協議して作る
バウチャー
米国 テストが2年連続で目標に達しない場合、塾や家庭教師に使えるバウチャー(券)を支給
大阪 所得が低い地区の子の保護者に、塾や習い事に使うバウチャーを支給
(大阪の改革項目は教育基本条例案や橋下徹市長の発言による)
(2012年3月4日 朝日新聞大阪版14版 第3面より)
(引用終了)
まず間違いなくバカ殿・バカ殿翼賛会・バカ殿信者は逆上しますね。
さて個人的に気になった点
>市内の全教職員の4分の3にあたる6万6千人が、定年に加え、強制的な配置転換や激務によるうつなどで退職。統廃合対象になったジョン・デューイ高校の教師エリザベス・ボウイスさんは「教師たちは追い立てられ、疲れ切っている」と嘆く。
教育現場のブラック企業化が一気に進んでいると言うことですかね。そういえばバカ殿が顧問に起用しようとした人にもつい先日、新入社員に過酷な労働を強制し自殺に追い込んで裁判に負けた上、反省もしていないブラック企業の会長がいましたね。
>貧困地区ほど公立学校が激減し、チャータースクールからもはじかれた子が校区外への通学を強いられる矛盾が拡大している。
そりゃそうですよね。競争を煽って民間に任せちゃえば、業績アップ(この場合、テストの成績)の足かせになる低学力の子供を受け入れないと言う経営判断になってしまいますよね。いくらバウチャーを配ったところで民間の学習機関が受け入れないと言う選択をすれば、ただの紙切れ以外の何者でもないことになりますよね。配ったバウチャーの印刷代もバカ殿のお嫌いな血税の無駄遣いってことになります。で、民間の学習機関が受け入れなかった子供の教育はどうするおつもりなんでしょうか?落ちこぼれゼロ法と違うと言うのなら、当然このことは考慮に入ってるんですよね?
“茶”氏の人となり
3行超えの文章は読めない書けない。要するに2ちゃんねらー、かつネトウヨです。
「改善の必要なし」の解釈について
というのも,現状でも校長や教育委員会に教師の悪行や教師への不満を訴える保護者はいるし(つまり生徒は先生に問題があった場合,黙ってなくてよい),それで調査が入って実際処分を受ける教師もいる。
また,多くの学校は「学校自己評価制度」に伴い,生徒(+保護者)対象に授業アンケートを行っているため,生徒と親の生の声を反映させる機会は,一昔までとは違って,今でもあります。
大阪は,それでも伝えられないくらい,ひどい教師ばかりが教えているんですか??さらなる工夫程度のことで
は対処できないくらい??
ということで,私も,この上,管理職でもない人が教師を「首にできる」ところまで,条例で決める必要はないと考えますし,そもそもその妥当性が怪しいと思っています。
というのも,学校の教師の仕事は教えることだけではなく他にも多々校務があり(元おちぶれ教員さんの記事参照),教えることが他の校務より苦手でも,他の校務で学校運営他に大きく貢献している場合もあるかもしれないのに,それらを理解していない人=保護者が教師をクビまで持っていけるというのは,おかしいと思うからです。
予備校講師は教える力のみで評価され,雇用継続かどうかを判断されてしまうのかもしれませんが…。
長くなってすみません。話を先頭部分に繋げますと…
だから,秋月さんのあの記事を読んだ時,個人的にはその箇所は気にならず,スルーしてしまいました。
後でブロゴスの意見欄の『改善の必要がないとは何事か!』という書込みを読むに至り,秋月さんも,もしかしたら珍しく失言されたかもと思ったりしましたが…。
子を持つ親としては,改善,して欲しいですよ,大阪の教育。少人数授業とか複数担任制度で,やっぱり一人一人目が行き届くようにして欲しいと思っています。
学校にはいろんな子が来ていて,中には親が出稼ぎに行っていて学校に来ることに努力がいる子もいたりして,そういう子に手がかかるから,ということもありますが,例えば学習面に限った場合も,宿題を提出しても,検印だけ押され(つまり提出したことにはなっ)てるが中は見てない,てことが提出した本人はもちろん,ちら見した親にもわかる状態で宿題が返ってくるのは,こどもにしてみれば意欲が減退すると思うので…。
でも現実には,今のクラス規模に今の教員数だとそのチェックだけでも大変なので,もっと先生を増やして丁寧に見てもらえるような制度にしてもらえたらいいなあと思います。
そんなわけで,2割しかいない少数派の府民さんの労作(書き起こし。ありがとうございます!)の記事内の,
滋賀県立大の先生の
「どう人と予算をかけて支援していくのか」や,
オバマ大統領の
「テストのための教育をやめよう」
「もう教員を責めるのはやめよう」との宣言と,
教員確保や、学区ごとの福祉・教育支援に予算を付ける政策
は,子を持つ親である私の心に,とても響きました。
大阪でも,いえ,日本どこでも,教育の方向性はこうあって欲しいです。
遊塊さん,秋月さん,秋月さんご本人の回答の前に私見を述べてしまってごめんなさい。
お返事が遅くなってすみません。
http://togetter.com/li/264293
ウィスコンシン州での落ちこぼれゼロ法との戦いについて
「落ちこぼれゼロ法」の問題点は、このように教育現場から数多く挙げられ、批判されています。
ここでは学力の向上が中心の話題となりましたが、わたしは「落ちこぼれゼロ法」の最大の問題点は教育を軍のリクルートに積極的に利用し、貧困層を学費や進学を餌に軍へ引き込んでいくシステムを構築した点にあるといえます。
アメリカ連邦政府としては軍への”志願者”を大量に確保できた時点ですでに”成功”しているのです。しかしこれは教育として”失敗ではない”といえるのでしょうか?
秋原さん、2割しかいない少数派の府民さんもご指摘の通り、PISA調査において、アメリカは際立った結果を残しているかと言えばそうではありませんし、「落ちこぼれゼロ法」は貧困層の教育や教員の心身の健康を著しく破壊しています。
これを”失敗ではない”と言うのなら、貧困層の教育からの排除も、教員の心身の健康も「教育の成否においてはとるにたらない事」という価値判断がされたとしか思えません。
人を大事にしない、できない教育を”失敗ではない”と強弁する人に、はたして教育を語る資格があるのか、とわたしは考え込まざるを得ません。
あと、遊魂さんご紹介の北村隆司氏の記事ですけどラヴィッチ教授を「素性の判らない」「"自称"教育学者」と揶揄し、かと思えば二本目の記事ではその権威を認めつつも(北村氏に誠意があるなら、一本目の記事で「素性が判らない」などと揶揄したのをまず、ラヴィッチ教授と読者に訂正し、謝罪すべきでは?このように、他社には厳密な報道の検証を求めながら、自身の錯誤に対しては寛容な人を、わたしはそもそもあまり信頼できません)政治的な立ち位置を問題にして、その言い分が偏っていると避難するなど、批判するにあたって秋原さんの元記事をきちんと読んでいるのかさえ怪しく、また他者を「政治的な色」でもって「信用に足らない」と評するなど、ご自身の「政治的な色」こそが顕わになっていて、正直読んでいられません(^_^;)
挙句の果てにジャマイカ高校について「多発する校内犯罪で被害を受ける真面目な生徒を救済するため」と廃校を正当化していますが、校内が荒れているからと言って、その学校をつぶしていいというのは明らかに論理が飛躍しています。学校が荒れても、潰されても、最大の被害者そこの生徒たちであるはずなのに。すべきことは学校の秩序を回復し、真面目な生徒と同時に荒れている生徒にも学習権を確保する事です。北村氏の議論からは「荒れている学校はめんどくさいから潰しちゃえ」という乱暴な結論しか見えてきません。
「卒業率が90%」についても「50%を超えた年はありません」と否定していますがこれも数字的な根拠が示されていません。
「最近はモデルとなる卒業生がいない」という批判も、なんだかな、と。学校が過去卒業した有名人を誇る(○○氏の母校というように)のは珍しい事でもなんでもありません。ジャマイカ高校にだけそれが許されないのはなぜでしょうか。
総じて、批判のための批判という印象がぬぐえません。
ジャマイカ高校の校舎を利用しているのが私立校ではなく、公立校だという指摘が正しかったとしても、それが「報道全体を根底から覆す」レベルの錯誤とは思えません(もちろん報道に間違いがあるのなら訂正するのは当然ですが)。後に入ったのが公立校であろうと、ベテランの先生が解雇され、パート教員が導入されているという現実とはなんら矛盾しません。教育が競争原理に基づいて行われる弊害をこそ、報道もこの記事も問題にしているのであって、ジャマイカ高校の後に入った学校の資本が公的なものか私企業によるものかというのは、本質的な問題ではないと思えます。
事実であるなら「民営化」の例として引いたのはよくないので訂正すべきだとは思いますが。
> 「全部平均するとちょっと増えた。」って、大して効果なかったって事じゃないの(爆)?
「落ちこぼれゼロ法」のおかげで500点満点で平均点が18.5点あがってる、との事ですけど、5教科であるとすると1教科あたり伸びた平均点は3.7点です。
…3.7点という数字は、わたしにはテストの難易度しだいで生じる誤差に見えなくもないのですが、この3.7点という数字に、上記で挙げ、秋原さんや2割しかいない少数派の大阪府民さんが指摘された問題点に見合う「成果」だとは到底思えないのです。
この3.7点のために子どもたちが遠距離通学を強いられ、先生たちが職を失い、心身を病み、地域から教育が消えなければならなかったとしたら、何とも重い3.7点です。
>> 『保護者が駄目』と言えば駄目なんです。
> どうして先生の評価は保護者の評価が絶対的に正しいと言い切れるんでしょうね?
まったくです。生徒が「先生をやめさせないで」と頼んでも聞く必要はないという事でしょうか。それに保護者の要求を丸呑みするのが「いい先生」の条件だとしたら、複数の保護者の要求が対立した場合、先生はどうすればいいのでしょうね?
あと、先述しましたけど、先生は保護者の話を聞きます。現場を知らない」というよりは「自分の知らない事は存在しない」というスタンスなのかもしれないです。
>> 民間の会社では普通に従業員同士競争しているが、協力もしている。
民間では数年連続で最低評価が付いたからと言って免職になったりはしないんですよ…(^_^;)要するに、大阪府・市は”民間では”とは言えない、”民間ですらあり得ない”領域に突入しつつあるという事ですね。
あと、スポーツ選手と同じというなら、プロスポーツ選手レベルの高額報酬を年俸制で与えるべきではないでしょうかね(笑)
橋下氏やその支持者の方は絶対に認めないでしょうけど(笑)
> 遊魂さん
> 塾へ通っている子供はボロボロの悲惨な状況になりそうですが、そうなっていません。これは一体どういう事なのでしょうか?
ブログ主の秋原さんではありませんが、参考までに、お答えします。
まず、塾と学校は違うものです。公教育である学校と、受験競争の勝ち抜きを目的とした教育産業である塾を同列に語れませんし、語るべきではありません。社会における役割が似ているようで全然違います。
塾は自由意思で入るものですが、公教育である学校は、大人の子どもに対する「教育の義務」として存在するものです。
特に日本の場合、学校教育に人格形成もゆだねている部分が大きいのですが、塾ではそういった人格形成は基本的に求められていません。
ちなみに塾で「ボロボロの悲惨な状況」に陥っている子は、確実にいます。塾で勉強についていけず、ドロップアウトしていく子は決して珍しくありません。それは「自由意思による選択の結果」として受け止められ社会的に問題になっていないだけです。社会的に問題になっていないからと言って、そういった状況に陥る子どもがいない事の証明にはなりません。
橋下市長や維新の会の学区撤廃や教育バウチャー制度への志向は、公教育にこうした「自由意思による選択」を持ち込み、その結果を塾同様に「利用者」である子どもや保護者に押し付け、公教育の責任を放棄しようとするものでもあるのです。
ブログ主さんも結論を決めてるだけでは?
学力テストを実地することと
教員を査定することと
それが
「ダメ学校の烙印を押され閉校される学校は低所得者層の地域に多く、そういう地域の子ども達は行き場を失っていきます」
というのは論理の飛躍の典型です。
学力テストを行ってる地域は大阪以外に多々ありますが
現在のところ低所得層~、というのは聞いたことがありません。
そもそも日本とアメリカでは経済環境が違いすぎるでしょう。
低所得層が集まってしまうのは、教育環境というより社会環境に影響されるもので、この主張には無理があります。
このような報道は、香山リカのようなもので、非難されても仕方ないような気がします。
はじめまして。
僭越ながら、反論をいくつか。参考になさってください。
> 論拠としてアメリカの意見というのは弱いな、というのが第一印象ですね。
イギリスでも同様の問題が生じています。しかもそれはアメリカよりも10年先行し、アメリカと同様の経緯をたどっています。維新の会の教育政策がそれと類似していたら、二の舞、同じ轍を踏むことを懸念するのは当然ではないでしょうか?
> 「ダメ学校の烙印を押され閉校される学校は低所得者層の地域に多く、そういう地域の子ども達は行き場を失っていきます」
> というのは論理の飛躍の典型です。
残念ながら、これは飛躍ではなく事実です。
家庭の経済力が子どもの学力と相関関係にあるという調査が、文部科学省の専門家会議で報告されています。2009年の事です。
http://bit.ly/as4Pcp
お茶の水女子大学委託研究・補完調査について
http://bit.ly/yKFGuq
年収の多い家庭の子どもは学力が高い~学力と経済力の関係をどう考えるか
http://bit.ly/c5XZtg
子どもの貧困対策としての教育
単純に考えてみても、経済力が低い世帯は、高い世帯に比べてそもそも住むところが制限されます。要は家賃や地価の安いところにしか住めません。一方、経済力がある世帯は多少家賃や地価の高いところでも生活の利便性を優先して(駅が近いとか)住むことができます。ですから放っておくと、その地域には似たような経済力の世帯が集中することになります。
ここで、まず経済力による「住み分け」が起きることがわかると思います。
次に子どもの教育費です。経済力が低い世帯では、子どもの教育費に割けるお金がそもそも少ないです。日々の生活を維持することが優先されますから、子どもの塾代などにお金を回せないのです。
一方で、経済力がある世帯では子どもの教育費にもお金をある程度割くことができます。子どもを塾に行かせたり、習い事をさせたりできます。
つまり子どもの教育環境に、世帯の経済力によって差が生じるのです。
するとどうなるでしょうか?
経済力の低い世帯が集まる地域の学校は、相対的に学力の低い子どもが多い傾向となり、逆に経済力のある世帯が集まる地域の学校の子どもたちは比較的高い学力を示す傾向となります。もちろんなかには例外的な子もいるでしょうが、全体的な傾向としてはこの通りになると思います。
さて、橋下市長は学力テストを行い、成績の良い学校には予算を多めに回し、そうでない学校は予算を減らす、というような方針を示したこともあるように、学力テストの結果を基準に学校を格付けしていくことを目指しています。
学校間で競争をさせ、それぞれが切磋琢磨することで教育の質が向上していく、という論理です。ですが、本当にそううまくいくのでしょうか?
学力テストを行うと、当然成績の良し悪しが現れます。ここで先ほどの「経済力が近い世帯は集中しやすい」「経済力のある世帯は子どもの教育にお金をかけられる」というふたつの条件を思い出してください。
こういう条件下で学力テスト行えば、当然「経済力のある世帯が集中する地域の学校ほど成績が良い」という傾向が現れてきませんか?
結果、経済力が低い世帯が集中する地域の学校は、低い成績をつけられ、しまいには統廃合の対象となります。つまり「ダメ学校の烙印を押され閉校される学校は低所得者層の地域に多く」なり、学校がなくなれば「そういう地域の子ども達は行き場を失っていきます」 。
これは競争以前の問題です。子どもたちから学びの場を奪ってよい法はありません。
ここまででブログ主である秋原さんの議論が「論理飛躍」ではない事が分かっていただけたと思います。
さらに申し上げれば、学校がなくなった地域の子どもたちが教育を受けようと思えば、より遠くの学校へ通わざるを得なくなります。この長距離通学は、子どもたちから体力と時間と意欲とお金を奪います。
長距離を毎日移動すれば当然その間の時間は移動で体を拘束されますし、体力も消耗します。車や電車をつかえばお金がかかり、それらは家計を直撃します。経済力がもともと高くはない世帯ですから、保護者は仕事を増やすか、家計をさらに切り詰めるか、どちらにしろ生活の余裕を失います。
余裕のない生活はひとを近視眼的にさせ、希望的な将来展望を描きづらくなり、保護者と子どもの意欲をそいでいきます。子どもと保護者が接する時間は必然的に減少しますし、経済的な苦境は保護者の精神をすり減らせ、世帯内の雰囲気も悪化するかもしれません。
もちろん経済力が低い世帯も、安穏と教育が失われるのを待ってはいません。経済的な負担を押して転居をしたりすることもあるでしょう。ですが転居することもできない、貧困世帯はその地域に取り残されます。
結果、教育が失われた地域に、貧困層の子どもたちが取り残される、という事が起きてくるのです。もちろん社会は彼らを放っておくわけにはいきませんから、なんらかの補助や手当を行わなければいけません。すると本来歩いて行ける地域にあった学校に通っていればいらなかったはずのコスト(交通費など)が発生します。
教育の競争原理化はかえって教育にかかるコストを増大させるのでは、という懸念も生じるのです。
この理路を否定するためには、一連の流れ、傾向を押しとどめ世帯間の経済格差や、子どもたちの学力格差を是正する積極的な施策が必要不可欠ですが、維新の会の教育政策を見るかぎり、そういった是正のための政策は考えられていないようです。
これは日本とアメリカやイギリスの文化や経済環境の違いなどとは関係なく、資本主義下における自由経済で教育を競争原理にさらせば、どこでも必然的に起きる事です。
第一、PISA調査などで上位にある国では、こんな競争原理的な教育政策を取っていません。見習うのならば、そういった国々の教育政策であるべきではないでしょうか。
http://amzn.to/x97JyA
〉 このような報道は、香山リカのようなもので、非難されても仕方ないような気がします。
この一文は意味不明ですね(^_^;)
信憑性がないとおっしゃりたいのなら、そうおっしゃればいいだけで、香山氏の名前など必要ないように思いますが。
>名無し中毒さん
朝日にもわかりやすい記事が出ておりますのでどうぞ拡大してお読みください
http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/3618274.html
そもそも・・
些末な論争が中心で本質的なところが抜け落ちてませんか。
誰の為にやるのか、何の為にやるのか、まずは考えましょうよ。
その上で反対という事であれば、橋本案の問題点をつくのではなくて、
どうすればいいのか?を議題とすべきだと思います。
そちらの方が建設的の様に思いますが、如何でしょうか?
>ぬさん
まず、橋本案の最大の問題点の一つは、子供の意欲が大きく削がれる点にあります。子供は自分のテストの点数の事だけを考えるようになり、他人がどうなるかまで、気を配らない、あるいは焦りから、進んで蹴落とそうとする子が出る可能性もあります。
教育指導論の話になりますが、生徒が荒れず、成績もいいクラスというのは、生徒同士による自治が出来ている事で成り立ちます。何か問題があったら、その問題を起した当人同士で考えるのではなく、クラス全体で考える事ができる教室。
その為の案は色々あるでしょうが、私は特別支援学級の子を一人、クラスに入れることを提案します。ぬさんは障がいのある子が一人、クラスに入ったらそれだけでクラスが成り立たないとかお考えになるでしょうけど、障がいのある子はクラスのどんな子よりも弱く、助けを必要とする存在です。子供達がその子を見て、自分に何か出来ないかと自然に考えるようになると思いませんか? その子を助けるためにクラスが一致団結し、問題解決の為にまとまっていく(その為には教師も行動しないといけませんが)、すると自然クラスは安定し、お互いの勉強でも助け合うようになると私は考えます。以前、そういうクラスを見たことがあるのでね。
しかし、私の体験談とか聞いてもまるで信用ないでしょうから「五体不満足」という本を読む事をお勧めします。教科書に載る位有名で素晴らしい話です。
>秋原さん すみません、PCが不調で、コメントをさっき送って失敗しました。もしも、届いていたらどちらか削除してください。
ここはひとつ橋本氏擁護の立場から長文投下(推敲してません。ごめんね)
>メリットばかり強調してデメリットを指摘しないのは橋下>氏の方でしょう。
の部分。橋本さんにそれを「返してあげる」のはいいんですが...いやいやw「そのまま」返しちゃだめでしょ?その前に”反橋本派”の方々も橋元さんに言葉を返す前にその言葉の意味を咀嚼した上、理解した上で、自分の何が批判されてるのか?「メリットばかりいってないでデメリットも明示しろ」という指摘を真摯に受け止める必要があるのでは?と思いました。
そしてそれを双方ともに「お前たちはいいことしか言わない」「お前たちは悪いことしかいわない」という指摘を反駁する必要があるわけで「橋本さんがそれ(デメリットを明示しない態度)をつらぬいてるんだから私たちもやる必要はないよね」って通用しませんよ。はっきり言って橋本さんもあなた方も卑怯者だよと私は思います。....橋本さんがいってるのはこういったところでは?とも思うんです。(彼自身が卑怯者の領域に足を突っ込んでることに自覚があるかどうかはしりませんがwそこは支持者目線で多少はひいき目にみてあげようと思います。そして私も卑怯者の仲間入りw)
平たく言えば「お前もやってねえじゃねえか」と憤ったところで君がすべきことをしてないのは事実は覆らないだろ?ということ。そういう態度が双方にあるという状況。.....話が進むわけがないですよね
なんというか「橋本こそメリットばかりしかいってないじゃないか!」と憤る前に自分の姿勢も省みられたほうがよろしいのではと感じました。橋本さんがデメリットをあまりどころかほとんど提示しないことは事実(笑)ですけどねw
私が聞きたかったのは改革無し、現状のままで目の前にある問題は解決できるのか?という展望と現状のままでいくことの「メリット」なんですが、それが聞けなかったというか読み取れなかったのは残念です。あるメリットとあるメリットの軽重を比較することと、あるデメリットとあるデメリットの軽重を比較することは本質的にいっしょなので、お題にあがってるような文言を攻撃する必要性もあったのかなぁとも疑問に思いました。ただ橋下さんを口撃したかっただけ?
....いったい何を明らかにしたかったのかはわかりませんが、私が聞きたかったのはどちらの選択がより多くのメリット、多くの人間を結果的に幸せにするのか?だけなので。ただただ残念です(これは僕のニーズに記事があわなかっただけの話でブログ主さんに責任はありません)
話しを元に戻しますが...個人的に、橋本さんは「改革しないと問題は解決しないという立場」でと思ってますが,このあたりにいらっしゃる反橋本派の方々は平たくいえば「解決すべき問題など存在しない。なので改革の必要もない」というかたがたなのかな?と感じました。だから対案を出す必要すらないという主張もできるのかなと。.......まぁまぁな、で、あ、れ、ば、ますます議論の入り口からお互い間違ってるのかなぁと思いますし、かみ合うわけがないのも理解できるなぁと感じました。いやはや勉強になります。
....私がこのブログから得た教訓は「共通した価値観を持たない者同士の議論では双方の価値観が相対化してしまうことにより「必ずそれをしていい理由」が見つかるし かならず「それをやってはいけない理由」も見つかるんだなぁーと。(人を殺しても良い理由は理屈を突き詰めれば必ず見つかるし、ころしちゃいけない理由も必ず見つかる)っていう点ですかね。
双方がこんな状況にいるなかで、あなた方が橋本さんを論理で言い負かすことは不可能でしょうし、橋本さんもあなた方のような人たちを論理で負かすのは...まぁ無理でしょうね。
いやはやブログ主様、なかなか読み応えのある文章でございました。ちょっと楽しい時間をありがとう。では、失礼。
通りすがりの休暇中地方公務員
うなづける部分もありましたがあなた様の主張そのものに関しては1mmも同意できる部分はなかったことを付け加えておきます。そしてこの私めのくだらない書き込みをみてらっしゃるであろうあなた様においてもそうでしょう。
....どこの部分が?はここではさしたる問題ではないではありません。私にとってもあなた様にとってもね。
私はあなた様の主張、その翻意を促すつもりで書き込んだわけでもないですし、その必要があると思っておりません。
ただ、ひとつ、私がこれらの記事をみて前回のレスポンスにて主張しました「この記事からえた教訓」の実例として
私にとっても、あなた様にとっても「こういう人間」とはいつか、実務の場で、選挙の場で、議会の場で間接的にぶつかりあうのだと、そしてその先にはそれが望む望まざるにかかわらず、社会への影響力をもって「結果」が影響を及ぼしてくると、要は、民主主義がまかりなりにも実装されたこの日本社会が生み出す「結論は」自体、それは”ある程度”は尊重してもらえればということです。....政治家がやりたいこと、それを否定する人間も大勢いれば否定する人間も大勢いる。じゃあ誰の言うことを聞けばいいのか?合議制の起こりにはこんな葛藤もあったことでしょう。そしてそれはこれからも続きます。終わった選挙、負けた相手を指差し、いつまでもぶつくさぶつくさいってるあのおっさんみたいな態度は、みててあまり気持ちの言いものではありません。
長くなりましたが、願わくば、心の片隅においておいてもらえればなぁと淡い期待を抱きつつ、今度こそおさらばしようと思いますwでは。
つのつの
そもそもヴォイスの記事はいくつかの捏造があったようですね。
「やらせ報道」であるといってもよいかもしれません。
話の筋を作って記事を書くのはある程度はしょうがないですが、都合の良い内容や恣意的な選択によってかなり歪められてしまっています。
「やらせ報道」であるといってもよいかもしれません。
話の筋を作って記事を書くのはある程度はしょうがないですが、都合の良い内容や恣意的な選択によってかなり歪められてしまっています。
ここの記事で取り上げられてるアメリカの落ちこぼれゼロ法の問題点については、朝日新聞でも取り上げられていますよ。オバマ大統領は、批判を受けて方向転換を考えておるようですし。イギリスでも同様の問題が起きてることは他の方もおっしゃっていることですよ。
>2割しかいない少数派の府民さん
この朝日の記事画像は削除されてしまったので、ここに書いてくださって本当に助かりました!
阿久沢記者、いい記事書かれますね。
バカ殿もVOICEで切れたので今回は黙ってるようです。
この調子でマスコミがどんどん暴いてくれると嬉しいのですが
>mimosaさん
ちょっと言葉足らずだったかな?
保護者の立場から、本当に親が望む「改革」はどういうものなのか、教育基本条例はいかにそれに逆行しているかを地に足をつけて具体的に訴えていくのってとても大事だと思います。
橋下氏はこういう保護者の「民意」こそ聞くべき。
>名無しさん@ニュース2ちゃん さん
NCLB法の破たんは教育基本条例とは関係無しにかなら前から言われていた事実です。堤未果著「貧困大陸アメリカ」をお読みください
つのつの
批判側と批判される側療法にインタビューをせず、一方の意見だけを取り、それによって結論を出してしまっている、というところでしょう。
「報道番組」として見るのならこれは及第点以下です(エンターテイメントとしてならありでしょう)
例えば大阪市バスの給与問題にしても、平均年齢が高いという点、定められた内規に基づいて手当てなどが払われた結果であるという点、バス業務の必要性、これらの批判された側からの反論をインタビューした上でのものでなければなりません。
批判している相手に反論・発言の場を与えず、一方の側からの情報のみを持って糾弾するというのは暴力に近いです。
(今回のケースでも反論者に発言の機会を与えられていれば幾つかの事実誤認や報道内容の恣意的な選択に関しては正されていたでしょう。)
その意味で今回の番組には問題があったと思っています。
当然ですが実際に報道後に反論の機会を与えられず一方的に非難された教育学者からの反論も出ていますし、追放送が必要であると思います。(それで名誉の回復が完全になされるかどうかはわかりませんが)
特にテレビ報道の力は余りに大きく最低限の公平性は担保されなければなりません。
http://ameblo.jp/terada1963/entry-11193112575.html#main
それにしてもここまで偏向しなければ、満足に反論できない反橋下派にはあきれてしまいますね。
>ななしさん
それからあなたの言い分は既出です