コメント
みんなが気軽に散歩がてらに…(^-^*)/
大飯原発のある福井からの“風”の通り道に岐阜市があるんですが、またぞろ福井で過酷事故が起こったら、福島から避難されてみえた被災者の方々が、どんな思いをされるかと思うと…。
>日本では、人権教育、民主主義教育が実にお粗末なため、デモは憲法で保障された国民の最も大切な基本的人権であるということすら知らない人が多いのです。
一昨日の官邸前大規模デモが、日本人がデモというものを見直し、自分たちの意見をこのようにアピールする権利は何よりも大切なものであると考え直すきっかけになることを、私は強く希望しています。
同感です…。
先の首相官邸デモは、何人くらい参加したのでしょうかねぇ…。
一つの意思を共有するデモ
デモとストは、いつかは自分もやるときが来るという意識がフランス人にあるんですね。フランスの伝統としてしっかりと根付いています。車も進入禁止ですから、参加者は安全にデモに参加できます。そして一つの意思を共有している気持ちになります。連帯が生まれます。
昨年6月12日、パリでも脱原発デモhttp://billancourt.blog50.fc2.com/blog-entry-477.html#moreがありました。
「政治的」
新聞社の事業のマラソン大会だって車線規制をして、営業車には「迷惑」だろうに、そうした商売のことは誰も言わないで政治的主張だと、迷惑論を言い始めるんですよ。
どうも日本社会って、政治忌避という政治性があるようです。ニコンも。重重プロジェクトの写真は政治的だとかぶつぶつ言っているというし……。
誰がやるかよりも
市民団体のデモにしても「何処の市民だよ」とか
「ゴネ得」と身内のネトウヨみたいに噴き上がる恥知らず
もいますから。
それと「政治家をどれだけ巻き込むか」という宮台真司の
弁は頷けました。
先の官邸前デモは共産党の志位委員長や井上議員も参加者の
前に姿を見せていました。
民主党の議員もいましたが、自民党は誰もいなかったですね。
私たちがデモをしなかった理由
私が高校を出るころには私自身も含めて同世代の人たちのほとんどは、政治には特に関心を持っていなかったと思います。幼い頃、全学連のお兄さんやお姉さんたちが激しいデモを行っていたのはテレビで見ていました。当時、我が家に同居していた、私より13歳年上で、東京の短大の幼児教育科に通っていた大人しい従姉までが「今日は友達に誘われてデモに参加してきたの」と興奮気味に話して、私の両親に心配されていたのをかすかに覚えています。
しかし、そのあと、浅間山荘事件のような過激派の暴走や、極左グループによる爆弾テロやハイジャック事件などが起こるにつれ、「左翼は怖いもの、素人は政治運動などに関わっていはいけない」というようなイメージがだんだんに出来上がって行ったような気はします。
また一方では、社会全体が経済的に豊かになって来て、若い人でも高価なブランド物を身につけたり、気軽に海外旅行へ行ったりが出来るようになりました。学生でも、休み中の沖縄旅行や北海道旅行くらいは当たり前で、昔なら、庶民にはなかなか手の届かなかった「留学」も夢ではなくなって来ていました。正直なところ、「生活のために政府に物申さねばならない」などということが、もはやあるとは思えなかった時代でした。もちろん、当時も沖縄は米軍基地で悩み続けていたはずだし、原発に反対する人々がいるのも、少しは聞こえていたような気はしますが、そうしたことはしょせん、その地域だけの問題で、遠く離れた自分たちとは関係のないことのように感じていました。それよりは少しでも「いい会社」へ、よい給料とステータスを与えてくれる会社へ入れるかどうかが、女性の場合は(男性と同じ条件で企業内で働き続けるのはまだまだ難しかったので)よい条件を持った男性と結婚できるかどうかが大きな関心事になって行きました。
以前、元津田塾大教授で現在は沖縄にお住まいのダグラス・ラミスさん(奥様は沖縄の作家、知念ウシさんです)の『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』の一節を読んで、ふと思い当たり、こちらでも引用させていただいたことがありますが、この前の時は短い時間でもあり、相手のお二人の方にそのことまで紹介することはできませんでした。
(平凡社ライブラリー C・ダグラス・ラミス著『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』より、以下引用)
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所得倍増論は政府によって一九六〇年に提案されたが、それはもうひとつの、もっと奥行きのある豊かさを目指していた思想の代替物として、つまりその運動をつぶす武器として提案されたことを忘れてはならない。六〇年安保闘争が目指した豊かさには、経済的豊かさだけでなく、平和、民主主義(職場での民主主義も)、社会的平等、正義なども含まれていた。所得倍増論、つまり、社会の豊かさはGNPによって計られるものだという、貧弱な豊かさを求める論理は、当時の民衆闘争に対する政府の答えだった。
そして所得倍増論はイデオロギーとして著しい成功を収め、主流の常識となった。もっと深みのある豊かさへの思想は完全につぶされてしまったわけではないが、社会の片隅へと追いやられた。
「それは理想としてはいいかもしれないが、なんだかんだ言ってもお金を稼がなくちゃね」とか「いやだけど、仕事だから仕方がないよ」など、私たちがよく耳にするこのようなセリフは、「所得につながることにのみ現実性がある」という、経済発展論の発想である。
私はこういう位置づけに対して疑問を投げかけるためにこのタイトルを選んだ。
--------------------(引用終わり)
試しにデモに関わる若者像をyoutubeで探してみました。
60年安保闘争 - 1959 (昭和34年)
http://www.youtube.com/watch?v=u_GMWYHb8pU&feature=youtu.be
(この時は私も生まれていませんでした)
昭和43年(1968年)新宿騒乱事件・昭和44年(1969年)東大安田講堂占拠事件
http://youtu.be/ON5hqsBEBcw
(この時はまだ幼い子供でした)
1980年 (昭和55年)東京の若者たち (原宿・竹の子族)
http://youtu.be/jslBNqKd11I
(動画に出てくる若者たちとだいたい同世代です。でも私にとって原宿は、実際の距離というよりは心理的にちょっと遠くて、この頃は実際に行ったことはありませんでした。ほんとうは、こんな風にやってみたいような気持ちは結構ありましたけれど。w )
それにしても新宿騒乱事件、安田講堂事件から竹の子族の出現までがわずか10年くらいだというのが、今見るととても意外でした。安田講堂の頃のような暴力的なデモの時代が良かったとは思えませんが、しかし、この変わりようには該当世代の一人でありながら、ちょっと唖然とします。あの若い方が納得するような説明は、私にはまだ出来そうにありません。
>風鈴草さんへ…
>六〇年安保闘争が目指した豊かさには、経済的豊かさだけでなく、平和、民主主義(職場での民主主義も)、社会的平等、正義なども含まれていた。
>所得倍増論はイデオロギーとして著しい成功を収め、主流の常識となった。もっと深みのある豊かさへの思想は完全につぶされてしまったわけではないが、社会の片隅へと追いやられた。
いずれも鋭い指摘ですね…。わたしは、丁度‘60年安保の年の10月に生まれ、もうすぐ孫が産まれる予定です。いやはや、いつまでも若いつもりが…(笑)
確かに、我々の世代は“団塊の世代”の一回り後の世代で“ノン・ポリシー”が多かったです。わたしの伯父が、たまたま“赤旗”の記者をやってたもんですから、一族の殆どが“左向き”に洗脳されました。(笑) が、若い頃は、毎日、ワクワク感がありましたよ…。わたしは強欲資本主義反対論者ですが、池田ハヤト元首相の打ち出した所得倍増は、賛否両論ありますが、わたしは評価します。日本の経済基盤を作ったからです。イデオロギーの対立もありましたが、右・左とも表向きは対立してましたが、内心互いに強敵・ライパルとして敬意は払ってたと思うんですよ…、日本共産党の徳田球一(沖縄の代議士)は、吉田茂元首相と国会では互いに一歩も引かず火花を散らしていたが、議会を離れれば、互いに人間性・人間味を認め合っていたなどの逸話があります。民主的経済の視点が決定的に欠落している現在の日本は、異常に過ぎますね…、日本社会がギスギスし過ぎています。社会全体に寛容さや人間味が、なさすぎると思うんです。一昨日の官邸のデモは、20万人規模だったとか?…、安保以来の規模ですよ…、この怒りを“人間性回復”・“共生社会構築”の起点にならないものかと、期待を寄せているんですが、どうでしょうかねぇ…。
風鈴草さん…、また楽しいお話、期待させて頂きます。またデモにご参加される様ですが、羨ましいですよ、脱原発の息吹が体感できるなんて…、今日、大飯原発が臨界になったそうですが、この運動の輪が広がれば、原発を臨終にもっていけると信じてますよ…、がんばりましょう。(^O^)/
ですが現在の脱原発デモは福島の被災者を傷付けこれから生きていく人々にスティグマを植え付け、何の解決にもならないばかりか有害な行為だと思います。
在特会のデモと同じくらい腹立たしい。
いい加減原発は科学技術の問題であって、それに対してデモは有効ではない事を理解して下さいませんか。脱原発デモは地震反対、台風反対と言っているのに等しい愚かしさです。
そんな事をしている間に時間を取られて、本来人間の努力で何とでもなる筈の経済問題や労働問題を後回しにしている。あのように差別的な脱原発運動を支持しておられる方に人権を語られてもちゃんちゃらおかしいです。
日本は上下社会だと思います
下のものは上にいるものに絶対服従
会社では部下は上司に、学校では生徒は先生に、家庭では子供は親に、後輩は先輩に
絶対服従
全ての関係が従属関係で出来ています
だから基本相手の言ってる事や意思を聞こうとしないです
ただ上の存在である自分の望んだとおりに実行しろ
警察官は国民を管理する側で国民より上ですから当然従属
意思疎通を図って互いに理解しあう事を極端に嫌います
意思疎通を図ろうとするとヒステリー的に反発します
従属関係は確かにスムーズに進むと言う事何でしょうけれど
意思疎通を嫌うのは人間として存在できているのか
人権以前の問題です
従属の要求ですが、国家と国民との間だけの問題じゃないですね
日本は上下社会だと思います
下のものは上にいるものに絶対服従
会社では部下は上司に、学校では生徒は先生に、家庭では子供は親に、後輩は先輩に
絶対服従
全ての関係が従属関係で出来ています
だから基本相手の言ってる事や意思を聞こうとしないです
ただ上の存在である自分の望んだとおりに実行しろ
警察官は国民を管理する側で国民より上ですから当然従属
意思疎通を図って互いに理解しあう事を極端に嫌います
意思疎通を図ろうとするとヒステリー的に反発します
従属関係は確かにスムーズに進むと言う事何でしょうけれど
意思疎通を嫌うのは人間として存在できているのか
人権以前の問題です