麻生邸ツアーで逮捕された三人が無事釈放されました。まずはこのことを喜びたいと思います。
不当に拘束された三人の方々、救援会の皆さん、お疲れ様でした。
youtubeの反響が予想外であり、さすがに多くの抗議声明を無視できなくなったからだと思います。
あの映像を撮った方、GJ!
やはりマスコミはこの釈放についてはあまり詳しくは報道していません。
例に漏れず、濡れ衣だったことはいまいち世間に伝わらず(警察の寛大な処置と誤解されがち)
警察官がどんな違法行為をしたかはほとんど伝わらず。
救援会ブログから、警察のとんでもない行いを抜き出してみます。
取調官伊藤と佐野が日々の生活のことや心の悩みを綴った日記を押収し、そこに記されている彼の鬱の原因となった出来事を、わざと本人の目の前で読み上げるなどして精神的苦痛を与えている。さらに本人に対して「国の世話になっているのだろう」、「おまえは病気じゃあない」、「生活保護を申請していて兄妹にやらせていいのか」などと執拗な嫌がらせを行っている。
オリの外に出て別の部屋で取り調べを行うときは、手錠をし、腰に縄をつなぐといった変態行為をやらされています。
※取調の間は手錠も腰縄も外すのが原則です。
昨日11月3日、碑文谷署につづいて原宿署でも激励行動を行いました。
しかし…
私たちの輪に対し、「ゴミを拾え」などと言いつつ私服刑事が割り込んでくる、というパターンが、最近よくあります。
この日もそれで割り込んできた私服がいました。それでさらなる不当逮捕などされたらたまったものではありません。ので、「拾うから(あなたも)出てけ」と追い出したのですが…
このデカは私たちに対し、捨てゼリフとして
「この乞食が!」
などと、きわめて悪質な差別言辞を弄してきたのです…
(中略)
当然に私たちは、即座にこの差別デカを厳しく糾しました。するとこのデカ、何を思ったか、なかまの1人にエルボーを入れてきたのです。なかまは一瞬の不意打ちをよけられず、喉にモロに入ってしまい、しばらくの間声が出なくなってしまいました。
渋谷事件に限らず取調に名を借りた警察に拠る人権侵害は枚挙にいとまがありません。冤罪と言われる事例では、これが法治国家かと疑いたくなるような事が平然と行われます。富山の氷見事件や志布志事件で警察が何をしたか・・
不思議なのですが、彼らはこんな事をしていて、人として純粋に良心の呵責を感じないのでしょうか?自分が間違っているという自覚はないのでしょうか?たまたま性格の悪い人間が警察官になってしまっただけなのでしょうか?
彼らは上司の命令で仕方なく嫌々違法な人権侵害をしているにすぎないと思いたいのですが・・・
やはり組織と言うものは個人の考えや良心など押し殺して麻痺させることができるのでしょう。
組織的に人権侵害を行うことをいとわない警察での人権教育は、どうなっているのでしょうか?次のような報告がありますので一部引用させていただきます。
http://blhrri.org/info/koza/koza_0014.htm
第206回国際人権規約連続学習会(2000年4月19日)
世人大ニュースNo.213 2000年5月10日号より
警察官に対する人権教育の課題
警察官の教育システムは警察教養規則によって定められており、大きく分けて警察学校での学校教育と、警察学校以外の主に職場で行われる一般教育がある。ここで行われる教育内容の問題点としては、94年の日弁連人権大会報告書で次の3点が指摘されている。
第1が人権教育の欠如。警察学校のカリキュラムの中には「法学」として「国民の権利及び義務」という科目はあるが、憲法で認められている国民の基本的人権の尊重という教育はほとんどなされていない。特に少年、外国人、障害者、部落出身者等の社会的弱者・少数者の人権についての教育は皆無といえる。
第2の問題点は偏向教育である。警察学校のカリキュラムの「外勤警察活動3」には「共産主義運動」「労働運動」「大衆運動」の科目があるが、ここではこれらの運動を敵視するような徹底した反共思想の教育がなされている。
そして第3が教育についての秘密主義で、警察では警察学校の教育内容はもちろん、カリキュラムや使用している教材さえも公表していない。これについて日弁連も警察庁に申し入れを行っているようだが、その内容は秘密とされているのである。
以上のように人権教育が欠如し、徹底した反共思想のもと労働・大衆運動を敵視するような教育を受ければ、それらに関わる国民に対してより一層強力な捜査をしても構わないという考えになることは十分に推察できる。実際に革新政党や労働運動に対する弾圧だけでなく、反原発・反公害運動、その他の大衆運動に対する強権的な取締まりや人権侵害が多くみられるが、警察官への偏向教育や人権教育の欠如がその原因の1つとなっていると考えられる。そもそも、警察は中立公正、不偏不党でなければならないと警察法第2条は定めている。このように警察が警察官教育のなかで人権を無視し、特定の政党、労働・大衆運動を敵視するような教育をすることは、民主警察の理念に反するというべきであるだろう。
(中略)
しかしご存知の通り、国際人権自由権規約に対する日本政府報告についての98年の規約人権委員会最終見解では、警察の人権への配慮、人権教育の不十分性等について勧告を受けている。
やっぱりここでも国連からの勧告の無視(T▽T)。古い言い方ですが、「権力の手先」になるよう教育されているわけで、この国の刑事司法の闇は相当根が深いものがあります。
三人の釈放を喜んでばかりも居られません。
警察はちょっと手をひっこめただけで、また必ず同じ事をします。特別公務員暴行陵虐罪で告発して刑事責任を追及していくとともに、国会でも取り上げて、広く国民にも警察の実態を投げかけて欲しいと思います。
[追記]
村野瀬玲奈さんのエントリーにharepandaさんが、毎日新聞社に押しかける右翼集団はデモではないのか、というコメントをされてました。
そのとおり、警察は右翼を取り締まりません。労働運動などのデモに比べれば非常に甘いです。それは日常でもあのやかましい右翼街宣車は、がなりたい放題なことでもわかるでしょう。法を恣意的に運用する良い例ですね、迷惑防止条例とかに絶対触れそうなものですが。
かなり前の記憶ですが、警察官への教育の中で「右翼が言っていることには一定の理解を示す必要がある」と教えていると聞いたことがあり、凱旋右翼に甘いのもさもありなんと納得したことがあります。
人権を無視し、特定の政党、労働・大衆運動を敵視するような教育をされていたのでは、人権をうったえ、貧困を訴え、なんとか社会を誰もが住みやすくより良いものにしていこうとする人間にとっては、残念ながら、警察は脅威でしかなくなります。
冤罪の被害者となった人々はもちろん、起訴に至らなかったけれど被疑者として事情聴取や任意の取調を受けたことのある人々の多くは、それまで警察にもっていたイメージや信頼が完全に崩れたと、怒りを口にします。
自衛隊もですが、警察だって戦前のおいこら警察のDNAを受け継いでいるのです。
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