コメント
人間の尊厳…
お亡くなりになった奥様とお子様のご冥福をお祈りするばかりです。
マスコミの報道姿勢には問題がありますし、わたし自身も人間の尊厳について、深く考えなければならないと改めて強く思いました…。
国際法違反の暴挙、そしてむなしさしかない
理由は北京ルールズで示されているように青少年の死刑を禁じた国際法に明確に違反しているからです。さらに、被告人には反省を免除すると言う体たらくです。
本村の求めている反省など絶対にありえないと私は断言します。被告人が死刑になった場合、本村はむなしさしか残らないのがオチです。
また、最後の部分にも同感です。被告人は発達障がい当事者だったことが明らかなのに、それを省みないのは情けない。おそらく、弁護団は再審請求に踏み切る可能性が濃厚でしょう。
私もテレビ朝日の犯罪には腹が立ちました。忍者バリアを使っていますのでフィルタリングによる制裁を実施しています。読売新聞も犯罪に加担しそうだなとは思っていましたが朝日新聞もやらかしたのですか。失望感しか残りません。
いっそのこと、新聞社の記者全員はアムネスティインターナショナルに研修に行かせるべきでしょう。
法医鑑定書と事実認定の矛盾は結局スルーされたのですね。
法医鑑定書からは殺害が故意ではなく「傷害致死」であった可能性、赤ちゃんの死因が「床に叩き付けた」事ではない可能性があるとの事です。
http://os7.biz/u/F6FYX
http://os7.biz/u/SMcof
http://os7.biz/u/Xinul
http://os7.biz/u/80D3o
しかしこういった法医鑑定書も、被告が未成年で精神的に未熟であるという鑑定も、被告の反省も、更生の可能性もいまや価値を持っていないようです。そこでは事実関係を究明した上で、その事実にのっとって刑を法によって確定するという罪刑法定主義の原則よりも「だからどうした。あいつが二人を殺した事には変わりがないじゃないか」という叫びこそが重視されているように感じます。
確かに凶悪な犯罪であり、被害者の方の苦しみは想像を絶する者だとも思いますが、これじゃあ人間としての存在その物を抹消されたも同然です。
朝日新聞の今日の朝刊では、唯一反対した裁判員の方が挙げていた根拠が乗っていました。これ、読んで少しでも疑問に思う方が増えれればなぁと思います。
まったく心に響きません
幼少の頃に虐待を受けている人だって、まともに成長している人はいる。そんな言い訳など通用しない。
罪のない人を殺したんだから罰を受けるべきである。
そもそも少年法も改正しなければならない。
自己責任
同じような境遇にあっても結果は人それぞれ。
環境の責任を認めるような発言はいかがなものか。
何やら体のいい妄想や屁理屈をタラタラと・・・
やったことはやったこと。
こういう屁理屈捏ねて食い下がる行為は、不幸な境遇でも真当に生きてる人に対する侮辱でもある。
賛同できない
〉彼が罪を犯すことになったおおもとの原因は彼の不幸な生い立ちにあります。
私達社会は一人ひとりの生い立ちにまで責任を負う必要があるのでしょうか?事は大小あれ、犯罪を犯した人それぞれに事情はあるでしょう。それを考慮したうえで、していけない事はしてはならないのです。その一線を越えたらOUTなのです。法治国家である日本は被告人に裁判を受ける権利を与えました。
世界の多くは死刑制度が無いといいますが、その多くの国は日本より治安がいいですか?発展途上国において、人の命は日本人の我々が考えるより価値がありません。自己防衛できない人は問答無用で殺されるのです。
私には守らなければならない愛する家族がいます。傷つける者は決して許したくありません。
虐待され、心の成長が止まってしまうような人生を彼に与えた罪は誰が償うのでしょうか?
誰かが償う必要があるのでしょうか?このような犯罪が無い社会にしたいですね。既に起こってしまった犯罪の被告人を校正するさせることよりも、世間に存在する犯罪予備軍に対し犯罪を起こさせない仕組みを作る事の方が論議されるべきだと思う。
>幼少の頃に虐待を受けている人だって、まともに成長している人はいる。そんな言い訳など通用しない。という趣旨のコメントを書き込まれた方々へ
このエントリーはマスコミが実名報道する理由が「重大事件であり元少年も成年に達したため」ならまだしも「更生、社会復帰への配慮が必要なくなるため」なのはおかしいのではないかということを述べています。
後段で彼の生い立ちについて述べたのも、子供のころから家族社会に排除され続けて、人生の最後でまで「君はどうでもいい、いらない存在だから反省する必要もないよ」と扱われたのでは、かれにとって人生とは何だったのだとろう、ということがいいたくて書いているわけで、「死刑が彼の罪にふさわしいかどうか」という観点からは書いてません(近々書きますけど)
したがって、更生、社会復帰への配慮が必要なくなるためという実名報道の理由づけはどうなの、という観点からはだれも書き込みせず、「生い立ちなんか関係ない、人を殺した以上死刑だ」では、記事に関係なく自分の言いたいことだけ言いに来た、いささかでピント外れなコメントだとは思われませんか?
二つ目
ついでにいささかピント外れのコメントにもお答えしておきますと、
刑法66条で裁判官はあらゆる事由を情状酌量の材料にすることができます。
もちろん処々の事由を情状酌量事由として採用するかどうかは裁判官の自由裁量ですが、生い立ちも情状酌量事由の一つであることに学説も判例も異論はありません。
ところが皆さんが書いている「幼少の頃に虐待を受けている人だって、まともに成長している人はいる」、これは生い立ちを情状酌量事由としてあげたときすべてに通じる反論となりますから、生い立ちを情状酌量事由にすることをやめろと言ってるに等しいわけです。
しかし先ほども述べたように、生い立ちを情状酌量事由からはずすなんてことは学説、実務ともに認められることはないでしょうね。
以後幼少の頃に虐待を受けている人だって、まともに成長している人はいる」と書き込みしようと思っている方は刑法66条の酌量事由から被告人の生い立ちをはずすべきという法解釈はなりたつか、という観点からお書き込みください。それが発展的議論というモノです
是正できない日本社会
ある意味で、少年の母親は社会によって殺されたといえるのではないでしょうか。そして13年前の事件で少年は罪を犯した。社会に対して復讐をした、と。復讐以外の道を取らざるを得なかったのは、彼の教育がきちんとなされていなかったからではないか。社会全体で考えなかったがゆえに起きた事件ではないでしょうか。
そして、今回の判決。罪を犯した者は死ねという復習によって幕を閉じる。更正の余地がない? 拘置所は何か、更正させる為の努力をしたのか? または、もっと彼が罪を犯す以前。きちんと彼が立ち直るような努力を社会はしていたのか? そういう事も総合して考えるべきでしょう。
それはどうでしょうか
彼より不幸な生い立ちの人はたくさんいるでしょう。それらの人が皆、人殺しをしましたか?
それを反面教師として普通の人より心豊かに暮らしている人もたくさんいるでしょう。
人を殺してはいけないなんて小学生でも知っています。彼は普通の人殺しではありません。
裁判官も言ったように、断罪されるべき罪を犯したのです。普通の人であれば事件後には反省
をしますが、彼はでうでしたか?
このような評論を出すのは考え物です。確かに氏名の公表には問題があるかもしれませんが、
彼を擁護するような事はゴメンです。
>名無しさん、サイドカラムで大文字でハンドルをお願いしてるのですけど
こういう物言いはつまりこういう事ですよね。
「劣悪な環境でもまともに成長する人もいるのだから、お前もそうしろ。たとえ劣悪な環境にあっても甘えるな。”こちら側”に援助や救済を求めず、自力だけで這い上がって来い」
「まともに成長している」人をダシにして、劣悪な環境に抗いきれずに挫折した人を攻撃し、かといってじゃあその劣悪な環境を改善する事はしない。なぜなら「劣悪な環境でもまともに成長している人がいる」からー。
それは結局虐待を受けている人たちが負っている格別の社会的負荷(誤解を恐れずに言えば、彼らは社会的なハンデを負わされている状態です)を、被害者個人の責任に押し込めることにしかなっていないのではないでしょうか。
虐待からのサバイバーは”感動”するための消費物ではないし、日本の民生部門の貧弱さを放置していい言い訳にしていいわけでもありません。
「幼少の頃に虐待を受けている人だって、まともに成長している人はいる」という言葉が、実際にサバイバーに対して、どれほどのプレッシャーとなっているのか、今少し考慮されてもいい気がします。
元少年に死刑判決を下した要因は
いやいやいや。
私も
「刑法66条で裁判官はあらゆる事由を情状酌量の材料にすることができます」
とは思いますが今回の、俺は「生まれもった不幸な生い立ちを免罪符にして逃げるから悪いことしてもいいんだよ」ともとれる手紙を友人に送っている元少年には、情状酌量を考慮されても今回の判断はやむを得ないところだと思います。
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>彼の子ども時代といえば、幼少から父に虐待を受け、唯一自分を愛してくれた母は自殺し、その無残な遺体を目にした彼の精神の成長は止まってしまいます。
被告は、犯行後友人に「私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」という手紙を出しています。
つまり、自身の置かれた環境のせいにして逃げるから、いくら悪いことをしてもへっちゃらだよということです。
これが自身の置かれた環境のせいで精神の成長が止まり 満足に善悪の判断ができなかったため、殺人を犯してしまったとされる人の言葉でしょうか?
免罪符があるから何をしてもいいんだよと自覚している言葉でしょう。
彼の周りの環境には同情する余地があると思いますが、それを免罪符にできるとして犯罪を犯したことに対しては同情する余地はこれっぽっちもないでしょう。
罪を問いたければ問えば?
犯人の母親の自殺に憤りを感じるなら母親、もしくは母親を自殺に追い込んだ者を
探し出し追及すれば良いでしょう。
犯人の境遇に同情し誰かに償わせたいならばその者たちに償わせれば良いのです。
簡単なことです。
犯人と会ったこともない、不特定多数の人たちに罪をなすりつける必要はありません。
物事をおおげさにする人ですね
実名報道に関してはそんなにショックを与えられる事でもない
ネット上では既にバレテいましたし(旧姓でしたが)
物事を重大に考え過ぎですよ
彼は強姦目的で襲って女性を死なせ、乳幼児を床に叩きつけ死なせた
そして友人にその事に関して反吐の出る様な内容の手紙を出した
ただそれだけ…年齢で死刑回避出来る理由にはなりえない
先も書いたけど、人間18年どころか15年生きているだけでもやってよい事と悪い事の区別は付けられる知識は得られる国ですよ、日本は
周りから教えられるというより、自分が周りから学ばなければいけないと思う
少なくともこの国は、どんな環境であっても表向き人殺しが是となる事は無いという位は中学生でも理解する
18年生きて精神が未熟だというなら、あと何年生きれば未熟じゃなくなるというのだ?
俺個人の見解ならその見込みは無い
可能性はゼロじゃないという人もいるだろうが
もし再犯した時、その罪は誰が償うのですか?
その犯人に情状酌量出した裁判官ですか?
その犯人を弁護した弁護士ですか?
そのどちらも反省なんかしていません
『仕事だから』
それを言い訳にして自分の罪から逃げるでしょう
そうして社会に見捨てられた憐れな被害者は増えていく…
ま、アレだ…加害者にも同情すべき点はあるだの、守られるべき権利はあるだの
それが通用できる罪にも限度はある
誰かの権利を奪った者に、自分の権利を守る資格は無い
許される限度がある事を知って下さい
少なくとも、読んでて気分の悪くなる記事でした
…まあ、このコメントを読んで気分を害する人もいるでしょうがね
被告と弁護人を叩き、批判したい人達は
周りから教えられるというより、自分が周りから学ばなければいけないと思う
あのね、教育って子供が勝手に学んでくれるもんじゃないだけど。馬鹿か、あんた。だったら、学校いらないでしょう? 殺人、暴力は駄目。そんなの15でも分かる? だったら、少年の母親はどうして自殺したのか? そこには想像を絶する暴力があったでしょう。それを身近に見てきた少年が、暴力いけません! という事を学べたと思います? ただ、そんな言葉聞いているだけだったら、彼にとっては「綺麗ごと」にしか映らなかったと思います。
上からただ、算数の公式、英単語、古典の文法のごとく、「やってはいけないこと」という風に丸暗記させられても「やってはいけないこと」は身につかないでしょう。それは、彼の境遇を考えていない偽善者の言葉です。
> てんのんぱぱさん
はじめまして。
> 元少年には、情状酌量を考慮されても今回の判断はやむを得ないところだと思います。
あの手紙については被告は「乗せられて書いた」のではないかと弁護士は推測していますし、今は本村氏や被害者にわびる気持ちも口にしていますが。彼は反省しつつあるとは言えませんか?
未熟な認識の持ち主であった少年が、事件を起こし、裁判や弁護士とのやり取りを経て、認識を改めていく、というのはそれほど考えられないことではないと思うのですが。
> あおいさん
はじめまして。
> 罪を問いたければ問えば?
秋原さんはそういうことを言っているのではありません。
彼が父親に虐待されていたとき、母が父からDVを受けていたとき、なぜそれを助けるシステムが彼のそばになかったのか。母がDVから逃れられていたら、母は自殺しなかったかもしれない。彼が虐待から救出されていれば、彼の精神年齢は齢相応に成熟していたかもしれない。もしかするとこんな事件は起きずにすんでいたのかもしれないう。そういう事を問題にしているのです。
それは結局、この国の民生部門が極めて貧弱であるという現状に帰するものです。そしてその社会を作っているのは我々自身です。そのことを考えなければいけないのではないでしょうか。
子どもが虐待にあっていても、家族からDVを受けていても、そこから彼らを助け出すためのシステムが十分ではないのです。わたしも市の民生委員をしている知り合いがいますが、ボランティアどころか、持ち出しで出費のほうがかさんでしまっているといいます。本来これは国や自治体が責任を持って専門家を養成・組織して体制を整えておくべき部門です。
ですが、現在この国はそういった場面においてきわめて消極的であるどころか、もともと貧弱な民生部門を隙あらば縮小しようとさえします(大阪の橋下市長は府知事時代、男女共同参画青年センターという、女性のための支援施設を縮小しようとしました。結局は撤回したようですが)。
結局この国はDVや虐待に苦しむ人の救済には熱心ではないのです。そういう社会が、この事件の大元の下地を作ったとも言えるのです。
「劣悪な環境でも事件を起こさない人もいる。事件をおこすのはそいつが甘えているからだ」
あなたはそう言いたいかもしれません。ですが、社会にいるのは劣悪な環境にあっても清く正しく生きていけるような強い人間ばかりではないのです。そういった人たちがこの本件のような悲惨な事件を起こさないためにわたしたちがしなければいけない事があるのです。
いいですか?
「同じ事件を二度と起こさないために」考えうる対策、うっておける対策はすべてうっておく。それがこの事件で失われた命を無駄にしないために、被害者たちを守れなかったわたしたちが、やらなければならない事です。
被告を死刑にしてそれで済ませてしまったら、同じ事はこれから何度でも起こりますよ。
> NNさん
はじめまして。
> 18歳ってそんなに未熟な精神だとは思わないな
彼の精神は実年齢よりもずっと幼い状態で成長が止まっている、という鑑定はご存じないですか?そういう状態の被告に実年齢だけで「未熟ではない」という判断をしてもよいものでしょうか?大体、一定年齢に達したら自動的に人間が成熟するわけがないでしょう。一人ひとり生育環境は異なります。人間一人ひとり、それぞれ異なった成長過程があるのです。○歳で成人という線引きは、社会の都合による便宜的なものでしかありません。
> 実名報道に関してはそんなにショックを与えられる事でもない
> ネット上では既にバレテいましたし(旧姓でしたが)
その事(ネットではバレていた)自体が問題だとは思わないのですか?実名と顔を晒されれば、万が一社会に戻った時にも不利に働くでしょう。更正の可能性を摘んでいるのは、他ならないあなたのような人たちですよ。
それともどうせ死刑になる凶悪犯だから晒しても構わないとお考えなのですか?
あなたは彼の事件の担当判事ですか?
いったい何の権利があって「どうせ死刑だ」などと勝手に判断し、彼の更正の可能性を阻害しているのですか?
実際に死刑になるんだから結果的に問題ない?いいえ、再審の可能性は残されています。
あなたたちが勝手に刑罰を判定できるのなら、この国は私刑が横行する不法国家と言うことになりますが、それでよろしいですか?
> 物事を重大に考え過ぎですよ
この事件では被害者が二人、そして彼が死刑になるか否かで三人の人の命にかかわる問題です。人の命が懸かっているのに、いくら「重大に考え」てもいい問題です。それを「重大に考え過ぎ」ですか。
あなたにとって他人の命はその程度の価値しか持っていないのですか?
> 彼は強姦目的で襲って女性を死なせ、乳幼児を床に叩きつけ死なせた
法医鑑定書では「床に叩きつけて死なせた」証拠はありません。また当初から強姦目的であったかは不明です。あなたがおっしゃったのはすべて検察側の言い分です。被告側はまったく違う主張をしています。
結局あなたは被告側の言うことを「嘘に決まっている」という前提で見ている、結論ありきで被告の死刑回避などそもそも検討さえしていないでしょう。
> そして友人にその事に関して反吐の出る様な内容の手紙を出した
> ただそれだけ…年齢で死刑回避出来る理由にはなりえない
にもかかわらずこんなことを言う。
自分が公正に事件を判断しているように見せたのでしょうけど、被告はこの手紙について「乗せられて書いたのでは」と弁護士は説明していますし、現在では本村氏や被害者にわびる気持ちを吐露してもいます。彼は反省しつつあるとは考えないのですか?
反省など嘘に決まっている?
じゃあなぜ、その友人に当てた手紙の内容だけは頭から全部信じてしまうんですか?彼が手紙に書いたことがすべて本心で今もそれが変化していないとあなたが判断した根拠は何ですか?あなたは死刑ありきで、「いかに被告が死刑に値するか」について都合の良い情報をつまみ食いしているに過ぎません。
> 可能性はゼロじゃないという人もいるだろうが
> もし再犯した時、その罪は誰が償うのですか?
彼が償うのです。当然でしょう。
同時に彼が再犯を犯してしまうのなら、それは彼の社会復帰プログラムに問題があったという事です。
彼の罪は罪として問う。これは当然のことです。誰もそれを否定していません。ですが社会の側にも彼を受け入れる責任というものがあります。
たとえばとある罪で服役した人が社会に戻ってきたとき、社会がその人の過去の罪を理由に、就職や居住などの場面で不利な扱いをすれば、当然その人は生活できません。結局、その人は食うために窃盗を働くか、不遇をうらんで社会に暴力を向けるか、どちらにしろ違法な行為に手を染めざるを得なくなります。ここでその人個人を責めるだけでは不十分であることが分かりますか?
社会がその人を受け入れなかったからこそ、その人は犯罪に走らざるを得なくなった。であるなら、社会の側にかつて罪を犯した人が帰ってきてもそれを受け入れるだけのシステムができていないと、結局社会自体に害が及ぶのです。それとも、犯罪に手を染めるくらいなら餓死しろとでも主張されますか?
社会復帰のシステムを整えることは、犯罪歴のある人のためだけではなく、社会にとっても無用の事件を抑止し、社会を平穏に保つためにも重要なことなのです。「憐れな被害者」をださないための安全装置なんですよ。
再犯は犯人個人の問題でもありますが、社会の問題でもあるのです。
> そのどちらも反省なんかしていません
あなたはエスパーですか?
なぜ反省していないと断言できるのですか?被告や弁護人とあなたは直接あった話したりしたのですか?もしそうならそこでどんな話をしましたか?そしてどういう根拠でそういった結論にたったのですか?説明していただけませんか?
私は彼への死刑は当然だと思いますが
もし、弁護団が彼の幼少期の環境ではなく、真摯な謝罪の気持ちを全面に押し出していれば死刑は避けられたのではないでしょうか。
おそらく、弁護団は彼に「君が悪いのではない。育った家庭環境が悪かっただけだよ。」とでも言ったのでしょう。だから、彼の手紙には謝罪の気持ちが書かれておらず、環境を盾にして逃げると書かれていたのではないでしょうか。
あるいは加害者について論じるのが一種の禁忌的な風潮になっているのも。
そりゃあこの掲示板に書き込んでる人でも、その意見の内容に関わらず、事件の当事者になれば加害者を憎み極刑を望むでしょう、私だってそうです。
被害者感情を汲み取り共感するのは、人間の感情としてごくごく当たり前のことでしょう。
ですがそれだけで済ませることが本当に社会のためなんでしょうか、自分たちのためになるのでしょうか、本当に被害者のためになるんでしょうか。
ただひたすら「犯罪者には死をもってその罪を償うのが当然だ」と人として当たり前の感情に依り述るだけの人たちより、加えて加害者の置かれていた環境や、また加害者の償いや更正のあり方、さらには命のあり方など自分なりに考えて意見を述べられている方のほうが、よっぽど事件に真剣に向きあい被害者のことも大切に出来ているんじゃないかと思えてなりません。
加害者を憎むだけに終わってしまう、被害者とその遺族の方々はともかくとして、私たちがそれだけで終わってしまうのはあまりにその事件を軽視していることになりませんか。
犯罪者を憎むことは誰にだって出来ます。
その誰にだって出来ることをして、それだけで満足していませんか?
私も含め、まずそうやって自分に問い直し改めてみることから、本当に犯罪に、被害者に、加害者に向きあうことが始まるのではないでしょうか。
常々思っていることを書かせて頂きました。長々と拙文失礼しました
>くたに様…
その誰にだって出来ることをして、それだけで満足していませんか?
私も含め、まずそうやって自分に問い直し改めてみることから、本当に犯罪に、被害者に、加害者に向きあうことが始まるのではないでしょうか。
はじめまして、青い鳥といいます。
貴殿のご指摘に賛同させて頂きます。 わたしは、死刑制度の存廃問題について、自分の立場を、未だに決められないでいます。(結構な齢を重ねてますが…。お恥ずかしい限りです。)“After noon Cafe”さんや、“村野瀬玲奈”さんのブログで、いろいろと勉強させて頂いているところです…。
わたしが今、大変に心配しているのは、日本社会の劣化により、人心が荒廃し、人間の命の尊厳が軽んじられていることです。今回の本村さんの事件の様な本当に残念なことが、多発するであろうことが懸念されます。 よく「社会のせいにするな!。」などといいますが、昨年などみますと自殺者数が30,514.名で14年連続で3万人を超えてしまいました。交通事故による死亡者数が5000~6000/年であることを考えると異常だとしか思うほかないです。社会があらゆる面で劣化してきたことが原因(社会のせい)であることは明らかであると考えます。それが端的に表れてしまったのが、秋葉原での白昼の連続殺傷事件です。
本村さんの事件も、秋葉原の事件も“人間の命の尊厳をなによりも大切にしなければならない”という人権教育や平和教育を日本社会が総力をあげて行い、経済格差のない安定した社会の維持に努めていれば、防ぐことができたかもしれないと考えます。本村さんが、いみじくも記者会見で述べられた…『この事件の関係者の全てが“敗者”です。』との言質のなかにそのことが包含されていると思います。くたに様のご指摘通り、わたしたちは、被害者・加害者あるいは事件と向き合い、不幸を繰り返さないためにも真剣に深く熟考する必要がありますね…。 石原都知事や橋下市長の様な“核武装容認論者”などは、人間の命の尊厳を歯牙にもかけない“鬼畜”であると思うと同時に、わたし自身も死刑制度存廃について迷っていること自体、“鬼畜”であるかも知れない…。 『絶対矛盾的自己同一』の迷路に入ってしまいます。トホホ…。(。_゜)〃ドテッ!
私に「犯罪を起こさせない仕組み」って、いったいどういうものだろうと考えた。
あらかじめ刑務所に入っておくこと?
ロボトミー手術を受けること?
「厳罰」は、私にとっては何の意味もない。
結局、生きとし生けるすべての人=犯罪予備軍にとって、それは「社会のあり方」でしかないのではないでしょうか。
え、「わたしは「犯罪予備軍」なんかじゃない」って?
なるほど、これは本当に「生きにくい社会」だ。
ところであなた、ほんとうに生きてますか?
“十年一昔”どころではないのだ
1980年代以降の18歳は、60年代70年代、更には戦中の同世代に比べれば明らかに精神的・人格的に未熟です。
学園紛争の様子を当事者が述べた本でも読んで下さい。『叛逆のバリケード――日大闘争の記録』辺りがお勧めです。
Cafe
一方シャムさんもおっしゃっていますが弁護団の訴訟戦略如何によっては死刑を免れた可能性があり、弁護団の訴訟戦略、記者会見によるアピールなどが世間の厳罰感情を逆に惹起し、死刑廃止はおおきく後退したとも感じています。国民の厳罰感情は本件訴訟の判決にも影響を与えたのではないでしょうか。
本訴訟での弁護のあり方が世間の訴訟を見る目、弁護士を見る目に一石を投じ、死刑制度に関する国民世論にも影響を与えたことも記憶されるべきですね。
“殺されたから殺せ”では解決にならない
確かにそれはあるでしょうね。
アメリカでも陪審を泣かせた(情緒に訴えて成功した)方が勝ち、というような話を伝え聞いています。
しかし、こんな言葉もあります。私は積極的死刑廃止論者であり、好きな言葉です。
「殺されたから殺す、それではいつまで経っても終わりはない。
自分達は人間だ。
相手がケダモノみたいな奴でも、こちらまでケダモノに成り下がる必要はない」
アニメ「闘将ダイモス」に登場する、主人公の台詞です。
この考え方は、戦争のみならず、死刑を問う場合にも使えると思います。共に国権で人命が奪われるのですから。
まったく心に響きません
ただ、私のコメント以降、趣旨違いのコメントばかりじゃないですか。そもそも、今回のブログ内容自体がマスゴミの上げ足取りで、ピント外れです。もっと本質的なことを皆さん議論したいのではないでしょうか?
とりあえず反論ですが、
1.実名報道について
少年法を改正して実名報道すべきです。時代に合わせて法律を改正すべき。「更生、社会復帰への配慮が必要なくなるため」←この発表に違和感を覚える感情は理解できますが、そこまで重要だと思いません。理由なんてとってつけたようなもので、重要なのは公表するかしないか。指摘するポイントが本質とかけ離れています。
2.生い立ちも情状酌量事由
今回のケースで言えば、最高裁の判断は情状酌量の余地なし、国民感情においても情状酌量の余地無し。死刑反対者の長文・抽象的屁理屈コメントが並んでいますが、死姦して財布とって子供を殺す…生い立ち?年齢?関係ないです死刑です。社会に必要ありません。
法律に感情は持ち込むべきではありません。
ところで……
被害者遺族から見ると、自分達に落ち度がない限り、あらゆる殺人・致死事件の加害者は“死刑にしても飽き足りない”というのが現実だと思うんですが。
”国民感情が刑罰を決定する”事が肯定的に語られるのは危険な事だと思います。極端な話、「”国民感情”さえ許せば微罪であろうと死刑にできる」わけで、それはもはや法治国家とは言えないと思います。
”法の支配”も”法の下の平等”も不要、というならそれも主張の一つでしょうが、それを主張する人は社会からいかに差別的な扱いを受けようとも「不公平だ」と言うべきではないでしょうね。
1を知って2を知らない
>ASさん
「ダイモス」wikipediaで調べましたが、その番組で1番の悪党である敵異星人のタカ派大元帥は自分の殺した人間の遺族に殺されてます。
「殺しあうのは下っ端同士」「本当に憎み、倒すべき敵は他にいるのだ」という意味で言ったんでしょう、その台詞は。「悪人を殺す」事自体は「ケダモノになる」とはみなしていないのです。
そのアニメの主人公自体、地球を侵略してきた敵を抹殺しています。あなたの引用した台詞は死刑廃止の根拠にはなりません。
ではお尋ねします。
刑罰って、何のために科されると思いますか?
本人を矯正し更生させるためですか? 被害者(殺人・致死事件においては遺族)の報復感情を満足させるためですか?
これは刑事法学(矯正関係分野)上の有名な命題です。
ちなみに、誰もを納得させる解答は未だに出ていません。名だたる法学者達の間でも真っ二つに分かれています。
あとね、あなたのおっしゃっているシーンは単なる復讐です。復讐は文明社会においては許されません。
「”国民感情が刑罰を決定する”事が肯定的に語られるのは危険な事」かどうかは私には分かりません。
当初の投稿では手紙の件は差し戻し高裁判決、最高裁判決に決定的に効いたと思います。また側面的に当該事件から噴出した厳罰感情にも裁判所は配慮したことから国民感情も判決に間接的に影響したとは思います。
一方死刑廃止の観点からは、「死刑廃止を望む”国民感情”」により刑罰のあり方が変わって行くことは重要なはずです。
まあ判決と法制度をごっちゃにしている話ですね。判決に影響があるほど死刑廃止に世論の支持が集まれば法制度も変わるということです。
お返事が遅くなって申し訳ありません。
> 一方死刑廃止の観点からは、「死刑廃止を望む”国民感情”」により刑罰のあり方が変わって行くことは重要なはずです。
まあ判決と法制度をごっちゃにしている話ですね。判決に影響があるほど死刑廃止に世論の支持が集まれば法制度も変わるということです。
なるほど、その辺りわたしも厳密に区分けして考えていなかったように思います。
フランスでは死刑存置が多数だったにもかかわらず、バダンテール法務大臣(当時)の主導によって、死刑が廃止されたという経緯がありますが(廃止後は廃止賛成派が多数になっていたと記憶しています)、可能であるなら国民の多数の支持によって廃止されるのが、確かに望ましいですよね。
実名報道
しかし、この法律は矛盾がありすぎて無理があります。
かつてホームレス殺人事件で、犯行が同級生だったのですが、一人はまだ20歳になっていなかったがもう一人は20歳だった。
少年Aと実名で記事になっていました。
この二人の違いは誕生日が違うだけです。
少年犯罪もすべて実名報道すべきです。
実名報道しないから犯人逮捕にならないケースもあります。
名無し投稿くんへ
理由は一つ、名無し投稿だからです。また、犯罪報道で実名を報道して何が効果になったのでしょうか?所詮見せしめ程度に過ぎません。
君はその段階の真実を知らないからお粗末な暴言に終始するのです。ネットを卒業して社会に関する本をじっくり読まれますようおすすめします。
優れた指摘だと思います
虐待されて心の成長が止まってしまった。ならば私も私の兄も犯罪者予備軍ですか。
全く狭い価値観で恥ずかしい事を書く人ですね
かの豊臣秀吉も指が六本あった奇形児で義父とは仲が悪く虐待されたと言われています
心の成長は止まりません、歪んだ成長をしたというだけ。
下地が悪ければ確かに育ちは悪いかも知れませんが屑は成長しないよね~と書いてると
私はそのように感じました
書いてる事は綺麗に纏めてある文章ですよ、ですが貴方の偏見が記事から散見出来ます
虐待を受けた側として言います。不愉快です
しゅりあんさんへ
秋原さんは虐待を受けた人間皆が犯罪予備軍なんて全く書いてません。
そうでなくこの光市の事件で云えば、この少年(当時)が犯罪を犯すに至った経緯にそういった要素も強くあると考えられているだけです。
世の中1か0が2択じゃないです。
様々な人の意見を聞いてみて下さい。
あなたの仰る通り、『○○』といった経験をした人間が犯罪を犯すという明確な判断基準は存在しません。
ですが、その事件背景にあるものを丁寧に読み取って、次に活かせることを模索するという行為は二度とこのような悲惨な事件を起こさないために大切なことです。
本当は私は悪人ですと札をぶら下げた「悪人」が居てくれたらわかりやすいですが、残念ながらそうではありません。
また犯罪者を当事者以外の者が過剰に責め立ててもまたあまり意味は成さないものです。
少なくともこちらのブログの一読者として述べさせて頂ければ、秋原さんは安易に人にレッテルを貼って切り捨ててしまうようなそんな浅薄な方ではありませんから。
落ち着いて、どうか悪い方にではなく、良い方にるべく読み取るようにお願いします。
はじめまして。
> 虐待されて心の成長が止まってしまった。ならば私も私の兄も犯罪者予備軍ですか。
いいえ、そうではありません。「心の成長が止まってしまった」からこそ、その事情を斟酌すべきだと秋原さんは言っています。「虐待されて心の成長が止まってしまった」から罪を犯したのだなどとは一言もおっしゃっていません。
> 屑は成長しないよね~と書いてると
私はそのように感じました
逆です。彼には成長の機会が正当に与えられなかったり、損なわれたりしてきたのだから、それを保障する義務が社会の側にあるという事です。それは彼自身が犯した罪とその重さを自覚するためにも必要なプロセスです。
要するに秋原さんは彼には変化=成長の余地があるとおっしゃっているのです。
そもそも成長が止まったとは烏滸がましい、人は日々進歩します
止まったと決めてかかり彼の尊厳を一番無視してるのは自分達だと解りませんか?
人は生まれ出てから決断の連続を嫌でも強要されます
日々の生活において寝る寝ない食べる食べない、これ全て決断です
毎日考え生きている人間の成長が止まるなど言語道断
彼を一人の人間として見るならば粛々と刑の執行を見守るのが筋です
機会など与えなくても人は前に進みますからね、生きている限り常に考えている生き物ですよ
それと選択肢の話しですが結果は1でしょう
選択肢は∞です、導かれる答えは∞から選択された1です
そして他者が見るのは無限では無く1である事をお忘れなく
またこうして書くのは結構な事かと思いますが
本田技研工業創業者の宗一郎は次の言葉を残しています
「行動なき信念は無価値である」と
彼を考察して次が起こらないようにと真剣に考えるのであれば書くより動く事でしょうな
今も虐待は貴方達の住まいからそう遠くない場所で起きていますよ
見えているが見てないだけです
駝鳥の平和と申すそうですが、それにならぬよう願っていますよ
しゅりあんさんへ
例えば1つ、何かしらの主張をちっとも動かないであーだこーだいって口だけでするのは無意味だということを仰っているようですが、確かにある意味その通りではありますが、全ての意思表明に即時行動を伴なければならない(何故かある一定の思想集団にこの手の主張が多い)というのなら、我々は一切の主張を行うことが出来なくなります。
あなたが書き連ねた言葉の一つ一つが自身にも返ってくることをお忘れなきよう。
これ以上やっても不毛か、やめましょう
右だろうが左だろうが、ただ祖国日本を愛していると信じてますよ
天皇陛下万歳、日本国万歳
>しゅりあんさん
あはははは
No title
そんな悪しき前例を作ってもらっては困る
それならば、後々「俺も不幸だから殺してもいいんだ」とか「未成年のうちに犯罪を犯しまくろう」など
犯罪の増加を煽るだけだ。確かに、加害者の生い立ちは同情せざるを得ない部分もある。しかし、どんなに苦しい環境でも精一杯真面目に生きてる人たちだってたくさんおり、この記事はそれらの人物に対する侮辱だ。しかも、これは法の下の平等に反する。もし、これで減刑になるならば普通の生い立ちの人や裕福な家庭の環境の人は厳罰化されるのか?この記事に、賛同する人たちは、この国の美しく善良で健全な誇り高い心を持った人物による厳罰化が現在の犯罪減少につながったことをしらないのか?私は、人権という名目の名の下犯罪者がのさばり治安が悪い国より、犯罪者の人権が蹂躙されもと真面目で健全な魂の人が幸福で安心してくらせる国に住みたい。第一、それが許される許されるならば本村さんだって、不幸な目にあったのだから犯罪は許されるという理論になる。
しかし、それは許されない。それが、許されるのならば犯罪は増える一方だ、それならば犯罪者を厳罰化し見せしめのために殺されても仕方がないと私は思う。
社会復帰されちゃ困る
表面だけ更生してまた人を殺したらどうするのか?
社会復帰してあなたの隣に住んでも良いのか?
自分には関係ないから綺麗事を言うんだろ?
死刑にしてもしなくても良いから、死ぬまで社会に出してはいけない。