コメント
確かに子どもに政治活動を強制するのはどうかと思いますが、子どもが政治的な発言をしたり、政治的な主張の場にいるだけで反射的に「子どもを政治利用しているに違いない!彼らは強制されているだけ」と解釈するのってどうなの?と思います。子どもが政治的に振舞ったり、政治的主張をするわけがないとでも思ってるんでしょうか。
それって子どもを主体的な存在として認めないって事ですよ。彼らが彼らの意志であの場にいたとしたら、これほど侮辱的な事はないです。子どもが政治に興味持ったり、社会の問題にコミットするのはいけない事なんでしょうか?そうやって政治的な場から子どもを排除しておいて、いざ20歳になったら政治的に振舞えとか無茶振りにもほどがある(^_^;)
こういうのって「子どもは無垢でいて欲しい」願望とか、子どもが出てこられるとそれだけで反論不能になっちゃう思考停止とか、要するに「子どもが政治的に振舞うことに付き合うのがメンドクサイ」って事なんじゃないのと邪推してしまいますが(^_^;)
>観測霊さん
だとしたらこれほど子供を馬鹿にした失礼な話はありません。
自分たちは何も悪くないのに家族や友達、地域という共同体がばらばらに引き裂かれる体験をしたらどんな子供だって「学校の友だちとみんなで安全な場所に避難したい」と切実な願いを抱いて、それを国に訴えたくなりますよ。それとも子供達は本当は集団疎開なんて言わされただけで別にどうだっていいと思っている、とでも?
それでは子供というものは恐怖も憤りも、こうあって欲しいという望みも感情も持たない唐変木だと言ってるのも同じです
田中龍作さんが詳しく書いてらっしゃるのでURLを貼っておきます。
http://tanakaryusaku.jp/2011/08/0002800
>秋原葉月 さん
秋原葉月さん 、あなたは子供の質問にちゃんと答えられます?
田中龍作ジャーナル、ご紹介いただきありがとうございます。
http://os7.biz/u/7FYjG
http://os7.biz/u/4YIA9
http://os7.biz/u/AhsGV
動画もいくつか見ました。少なくとも4人の子どもたちは、小難しい話をしている大人たちの話を必死に理解しようとしていたし、自分の言葉で話していたと思います。
これらを見れば彼らが「心にもない事を言わされている」とは到底思えないですよね。
> 自分たちは何も悪くないのに家族や友達、地域という共同体がばらばらに引き裂かれる体験をしたら
まったくですね。子どもでも大人でも親しい人や土地から引き離されてしまう事は農地や食料の汚染に匹敵する「被害」なんですよね。深刻さの度合いでは全然変わらない。彼らがそれを守ろうとするのは当然だし、大人はそれに真摯に答える義務があると思います。
> 日本人さん
はじめまして。横レス失礼します。
> 子供の質問にちゃんと答えられます?
この子どもたちの質問にちゃんと答えるためには、それにふさわしい責任と権限と知識がある人が出ていく必要があったでしょう。でもこの内閣府、文科省、保安院の面々10人には、それがそもそも欠けていました。だから子どもたちの問いに「まともに答えられない」のはある意味当然なわけです。
「まともに答えられない」のは、こういう面子を子どもたちの対応にあててしまう政府の姿勢そのものの問題を指してもいます。こうした子どもたちの問いに、責任と権限と知識のある人間が出て行けない、出さない事自体が「子どもたちの主張にまともに答えられない」という事だと思います。
> 観測霊 さんへ
しかるべき人が出るべきだったということですね。
政府要人らを非難するのは私も同感です。
しかしそこに集中砲火してもまったく無意味。
非難すべきは危機対策がまったくなっていない
今の民主党の体制であると思います。
ちょっと前までは「自衛隊は暴力装置だ」
という者がいましたね。
また、事業仕分けで自衛隊の予算を削ってしまったり、
スーパー堤防を批判したことも記憶に新しいです。
つまり今の民主党はまったく危機管理や国防意識がない政府です。
ではそんな政府を選んだのは誰でしょう。
国民である私達ですよね。
時の流行にのってこんな民主党政府を選んでしまった
私達にも責任はあると思います。
本来責めるべき人たちとは
政治に無関心な国民、平和ボケした大人たち
だったのではないでしょうか。
なるべくしてなった結果、
のように思うのです。
同感です。「子供が偉そうに・・・」ていう意見はよく聞きますけど、じゃあ何も発言しないのがよいことなのか?と思いますね。
たとえ、大人からみて、子供がわかってないで発言しているとしても、それならそれで、大人はきちんと答えてあげないといけないと思いますね。でも、原発はむしろ大人の方がわかってないような・・・。
>日本人さん
横すれ失礼します。
ちょっと前までは「自衛隊は暴力装置だ」
という者がいましたね。
これって間違ってますかね?暴力を暴力で解決するのが、自衛隊や警察なのでは。
> Editさんへ
確かに暴力です。
その言葉自体は正論です。
でも見解の違いなんですかね。
「自衛隊は暴力装置だ」という言葉を聞いたとき、
私には「自衛隊は悪だ」と聞こえたのです。
つまり自衛隊をけなした言い方に感じたのです。
この発言、誰が聞いてもそう感じたのでは?
だから周りから批判が出たのではないかと思いますが。
まあ、あの発言を耳にしたときの
感じ方の違いなんでしょうか。
Editさんはそう聞こえませんでした?
Editさんだって仮に賊に襲われそうになり
警察官に助けられた場合
暴力装置に助けられたとは言いませんよね。
↑AGENさんへの間違いです。
すいません。
返信ありがとうございます。
ご理解をいただけたようで嬉しく思います。
> 非難すべきは危機対策がまったくなっていない
> 今の民主党の体制であると思います。
> 時の流行にのってこんな民主党政府を選んでしまった
> 私達にも責任はあると思います。
そうですね。秋原さんも記事を挙げてらっしゃいますけれども、今回の事故周辺地域の放射線被害に対して、政府の動きはあまりに遅いし、大雑把できめ細かい対応など望むべくもありません。児玉龍彦氏の告発で始めて知ったのですが、「南相馬の子どもたちは、毎日100万円かけて線量の高い地域へ通っている」と知ったときは、わたしも頭を抱えました。
民主党政府の対応に不十分な点は多く、批判は大いにされるべきだと思います。
ことに現在繰り広げられている代表選挙ですが、おそらく誰が代表となっても現政権以上のことができそうにはない、というのがわたしの印象です。菅首相にも批判されるべき点は多いですが、それに輪をかけて自民党も一緒になった”菅降ろし”はひどいものでした。
現首相を批判しながら、”菅”以降のビジョン、ことに原発を今後どうしていくのかと言う日本のエネルギー政策について、民主党でも自民党でも誰一人として責任ある言葉で語ろうとしないというのは、これだけの原発災害を前にして、本来ならありえない事です。
繰り返しますが、確かに民主党の対応はひどいものが多いです。そして、そんな彼らを選挙で選んだのはわたしたちです。その責任がわたしたちにあるというのは、確かにそのとおりです。
ですがそれが政府や民主党、自民党をはじめとした野党の国会議員を免責するかと言えばそんな事はありません。彼らはわたしたちから諸権利を「信託」され、給料をもらってその仕事に従事する人たちです。彼らにはわたしたちの「信託」に答える義務と責任があります。ですから、今回の震災や原発事故対応について、わたしたちの「信託」に応えられないのであれば、その経緯を説明してわたしたちに理解を求め、その上で「信託」に応えられなかったことの責任を負わなければなりません。また原発事故については一義的な責任が東京電力に帰せられるのは当然の事で、彼らが批判の対象となる事は当然の事と思います。
もちろん悪罵を浴びせるだけでは何も解決しません。自分たちの要求、要望を伝え、彼らの責任においてそれに応える事を求めていかなければ、状況は改善していかないでしょう。
民主主義社会において、確かに最終的な責任は選挙権を有する国民にありますが、それは失政の結果を社会生活上で被る(つまりダメな政策によって生活が苦しくなったり、酷い時には弾圧や戦争の被害を受ける等)という結果責任を自動的に負うようになっています。もちろん道義的に責任を感じる事は自由ですし、それは大切なことだと思います。ですが、だからといって失政による生活上の被害を甘んじて受け入れなければならないわけではありません。わたしたちは「信託」に応えなかった政治家を批判し、政策の変更を求め、それがかなわなければ不支持を表明して選挙で彼らを落選させたり、辞職させることができます。それが民主主義社会において選出された代表者=議員が負わなければならない責任です。
選挙で選ばれる議員はわたしたちの生活を容易に左右しえる権限をもっています。ですからその権限によって、わたしたちが生活上の被害をこうむったならば、彼らにはその権限を有する資格がないものとして、彼らをリコールや選挙によって交代させることができます。
民主主義社会と言うのは選挙だけをやっていればいいのではなく、自分たちが選んだ議員がちゃんと「信託」に応えているかを監視し、必要であれば彼らを交代させたり政策の変更を積極的に求めていかなければ機能しません。
ですが、現在の日本では一票の格差が是正されなかったり、投票率が低かったり、政治的な要求を掲げて社会運動を行うことが「プロ市民」などと揶揄の対象になったりと、総じて以上のような民主主義社会における基本的なメカニズムが有効に機能していません。
それを政治的な関心の低さ、という言葉でまとめることも確かに可能でしょう。また、わたしたちが「見る目がなかった」と反省し、責任を感じる事はとても重要です。それが今後同じ間違いを繰り返さないための第一歩となりますから。ですがわたしたちが責任を感じることと、議員たちの責任のとり方は別の問題です。わたしたちにわたしたちの責任があるように、彼らにも彼らの責任があり、それは果たされなければなりません。わたしたちが責任を感じることによって、彼らを免責する必要はないのです。
ですからわたしは自省しながらも、今回の震災と原発事故について民主党政府を大いに批判すべきだと思います。
ちなみに日本のエネルギー政策の決定過程において、以下のような事実があります。
(2002年にエネルギー政策基本法が自民党によって制定されて以降)エネルギーの需給に関する基本的な計画である「エネルギー基本計画」を定めることとされている。この基本計画は,経済産業省資源エネルギー庁の総合資源エネルギー調査会の答申に基づいているが,この調査会のメンバーの多くはエネルギー業界と経済界によって占められてきた。
しかも,この総合資源エネルギー調査会から答申された基本計画は,ほぼそのまま国のエネルギー政策として決定されてきた。つまり,エネルギー政策という国家的重要政策が審議会だけで調査・審議され,国会の審議を経ることなく,国会への報告のみで済まされ,決定されてきたのである。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/52th_keynote_report091105_2.pdf (191ページ)
つまり、国民のあずかり知らない内輪の話し合いだけで、原発推進という「国策」が推し進められていたのであって、これについて第一義的に責任を負うのは何も知らなかった国民ではなく、この「エネルギー基本計画」を策定し、推進してきた歴代政府(自民党も含みます)でなければ筋が通りません。
ただ一方で、おそらく自民党政権下で今回のような原発事故が起きた場合、情報はもっと隠蔽されていたであろうし、首相が”脱原発依存”を口にすることもできなかったろうことを思うと、わたしはそれでも政権交代に一定の意味を見出すこともできると考えています。
> AGENさん
> 「子供が偉そうに・・・」ていう意見はよく聞きますけど、じゃあ何も発言しないのがよいことなのか?と思いますね。
> たとえ、大人からみて、子供がわかってないで発言しているとしても、それならそれで、大人はきちんと答えてあげないといけないと思いますね。でも、原発はむしろ大人の方がわかってないような・・・。
同感です。子どもは黙って大人の言う事をきいていていればいい、なんていうのは単純に大人の側の対話の放棄でしかないです。藤波心さんへの反発も、似たような動機によるところが大きかったんじゃないかなと推察します。
以上、長文失礼しました。
>観測霊 さんへ
>わたしたちが責任を感じることと、議員たちの責任のとり方は別の問題です。
>わたしたちにわたしたちの責任があるように、彼らにも彼らの責任があり、
>それは果たされなければなりません。
まったくそのとおりです。
観測霊さんみたいに政治に関心を持ち、真剣に考えている人の
文章は説得力がありますね。
私の周りには政治にまったく関心がない人たちばかりです。
たまーに政治の話をするときは
政治家の揚げ足とりやスキャンダルといった
くだらない低レベルの会話です。
まるで芸能人に対する扱いとおんなじです。
>国民のあずかり知らない内輪の話し合いだけで、
>原発推進という「国策」が推し進められていたのであって、
こわいですよね。
しかしこれだけではないんです。
今までもいろんな法案が国民に知られないうちに可決しています。
たとえば個人情報保護法や裁判員制度。
私の勉強不足かも知れませんが国民に是非を問う間もなく、
知らない間に施行されていたって感じなんですが。
まあ、これらの法律はさほど悪影響はないようなのでよかったのですが。
観測霊さんのおっしゃるように政治家は
わたしたちから諸権利を「信託」されています。
だから知らない間にこのような法律が施行されても仕方のないことなのでしょう。
しかし最近、愚民やだめ政治家を見ていると民主主義そのものに限界を感じます。
託す方も愚か、託される方も愚か。
そんな国民と政治家の民主主義って何なのでしょうね。
ちょっとこわいなって思います。
いつもいつもお返事が遅れる管理人で申し訳ありません
初めまして。
「暴力装置」についてひとこと説明させてくださいね。
「暴力」という言葉のニュアンスから否定的な印象を受けられるのだと思いますが、「暴力装置」というのはマックス・ウェーバーが著書『職業としての政治』の中で、軍隊や警察など物理的な力を行使しうる組織をさす学術用語として使ったものです。学術用語ですから否定的な意味も肯定的な意味もない価値中立的な呼び名です。「立法府」とか「行政府」という用語と同じです。
自衛隊は間違いなく暴力装置なので(これは自衛隊は悪だ、という意味はこれっぽちもありません。)仙石さんは謝る必要なんかなかったのです。
>しかし最近、愚民やだめ政治家を見ていると民主主義そのものに限界を感じます。
託す方も愚か、託される方も愚か。
そんな国民と政治家の民主主義って何なのでしょうね。
ちょっとこわいなって思います。
民主主義って形式的な意味での民主主義と実質的な意味での民主主義があって、形式的な意味での民主主義というのは選挙で代表を選び、その代表達が多数決で物事を決めていくという単なる手続き、方法を指します。
これに対して実質的な意味での民主主義は、話し合いを尽くして決定事項の内容を理にかなった納得のいくものいしていくことです。それについての情報が隠すことなく公開され、私たち国民が批判的にチェックすることができることも必須です。
国会や地方議会でろくろく話し合いもせず強行採決で法案を通してしまう「多数の横暴」「少数意見の抹殺」は、形式的には民主主義の形をとっていても実質的には民主主義とは言えませんね。
私が恐れているのは、今の時代のようにどっちを向いても閉塞感いっぱいの社会になると、人々が何もかもぶちこわすような新しい強力なリーダーを欲するようになることです。
ヒトラーがそうでしたね。
世界恐慌にあえぐドイツの国民達の前に現れたのはアーリア人の優越を説き、ユダヤ人排斥を掲げるヒトラーでした。彼は選挙によって圧倒的多数の支持を得ました。民主主義の手続きを経て合法的にナチズムは誕生したのです。
ファシズムというのは民主主義のシステムのなかから生まれる鬼子です。いつでも選挙や多数決で多数をしめる勢力が正しいわけではないのです。
今、これと同じやり方で圧倒的な支持を得て勢力を拡大しているのが橋下氏率いる大阪維新の会です。
彼がどんどん支持を得るのはヒトラーがどんどん支持を得ていった経緯と酷似しています。
どうせなにやったってだめなんだと投げやりになることは独裁者誕生を待ち望む心理に変わっていきます。今の日本はそういう状態なので、私はそれにとても危機感を覚えるのです。
秋原葉月さんへ
秋原葉月さんのご意見、違和感を感じる部分と同感した部分がありました。
>「暴力装置」というのは・・・・
学術用語ですから否定的な意味も肯定的な意味もない価値中立的な呼び名です。
学術用語とは知りませんでした。
マックス・ウェーバーや社会学の世界でもその用語は常識的かもしれません。
ですが、一般の人はマックス・ウェーバーなんか知りません。
「自衛隊は暴力装置」という発言は世間では
どうしても自衛隊を否定したイメージに聞こえます。
AGENさんにしたのと同じ質問ですが、
助けてもらった警察官に、管理人さんはあえて「暴力装置に助けていただいた」と言えますか?
自衛隊の父を持つお子さんに、
管理人さんは「たしかパパの職業は暴力装置だったっけ」とあえて言えます?
>仙石さんは謝る必要なんかなかったのです。
そうでしょうか。
学術用語的には正論かもしれませんが世間の常識ではありません。
謝る必要はないということであれば、学術用語を知らなかった国民がいけないことになります。
ほんとうに国民が全員、学術用語をそこまで知らなければならないのでしょうか。
>「多数の横暴」「少数意見の抹殺」は・・・実質的には民主主義とは言えませんね。
>多数をしめる勢力が正しいわけではないのです。
そのとおりと思います。
だからこそ愚民が大半を占めるような国家では本来の民主主義が行えないとわたしは思うのです。
ところが今の日本国民は愚民があまりにも多いと思います。
そしてまた「政治ばなれ」や「平和ボケ」はなかなか直らないでしょう。
そういう愚民だらけの日本を見ていると、本来の民主主義は今の日本では限界を感じるのです。
託す方も愚か、託される方も愚かではとうてい無理でしょう。
フリスキー
はじめまして。フリスキーと申します。
さて、
暴力装置に関してですが、
仙谷発言は以下のものですね。
「暴力装置でもある自衛隊はある種の軍事組織でもあるから、
シビリアンコントロールも利かないとならない」
まったくその通りですよ。
逆に日本人さんにお聞きしますが、なぜ軍事組織はシビリアンコントロール
の元に置かれないといけないのですか?
それは、まさに“暴力装置でもある”からですよ。
人を殺す、モノを破壊する装置を有する巨大組織ですから、万が一でも暴走したら
えらいことになります。だからシビリアンコントロールの元に置かれないと
いけないのです。世界の常識です。
ちなみに、自民党の国防族の重鎮、石破茂氏も、2009年に以下のように
明言しているのです。
>国家という存在は、国の独立や社会の秩序を守るために、
>暴力装置を合法的に独占・所有しています。
>それが国家のひとつの定義だろうと。暴力装置というのは、すなわち軍隊と警察>です。日本では自衛隊と
>警察、それに海上保安庁も含まれます。
さて、日本人さんは、この石破発言も問題ありと思います?
フリスキー
はじめまして。フリスキーと申します。
さて、
暴力装置に関してですが、
仙谷発言は以下のものですね。
「暴力装置でもある自衛隊はある種の軍事組織でもあるから、
シビリアンコントロールも利かないとならない」
まったくその通りですよ。
逆に日本人さんにお聞きしますが、なぜ軍事組織はシビリアンコントロール
の元に置かれないといけないのですか?
それは、まさに“暴力装置でもある”からですよ。
人をkillする、モノを破壊する装置を有する巨大組織ですから、万が一でも暴走したら
えらいことになります。だからシビリアンコントロールの元に置かれないと
いけないのです。世界の常識です。
ちなみに、自民党の国防族の重鎮、石破茂氏も、2009年に以下のように
明言しているのです。
>国家という存在は、国の独立や社会の秩序を守るために、
>暴力装置を合法的に独占・所有しています。
>それが国家のひとつの定義だろうと。暴力装置というのは、すなわち軍隊と警察>です。日本では自衛隊と
>警察、それに海上保安庁も含まれます。
さて、日本人さんは、この石破発言も問題ありと思います?
フリスキーさんへ
私は「自衛隊や警察は暴力だ」ということは最初から否定していませんよ。
>シビリアンコントロールの元に置かれないといけないのです。
これについても批判した覚えはないのですが。
お手数ですが読み返してくださればわかります。
石破茂氏の発言、私は知りませんが、誤解を招くような会話の流れであれば、
仙石氏と同様、非難すべきと思っていますよ。
誰が発言したかなんか、ではなく何を発言したかでしょ?
「暴力装置でもある自衛隊は・・・・・」
という言葉は皆さんみたいにある程度の知識があれば
マックス・ウェーバーの学術用語だとピントくるでしょう。
また、学術用語を知らない人でも、もともと自衛隊反対派の人が聞けば
仙石氏の言葉は、流して聞けるでしょう。
しかし私は学術用語は知りません。
自衛隊反対の立場でもありません。
だからといって自衛隊が軍隊であることも否定していません。
シビリアンコントロールも否定した覚えはありません。
自衛隊が時には暴力になることも否定してません。
私が言いたいのは暴力という言葉が一人歩きするような言い回しでは
結果的に自衛隊を否定していると同じ、ということです。
もっとも、自衛隊嫌いな人たちは悪という意味をこめて「自衛隊は暴力装置」と発言するでしょうが。
不思議に思っています。
私に意見を下さった方からは、知識や概念などを教えてくれます。
でも皆さん、誰も私の質問に答えてくれないんです。
・・・助けてもらった警察官に、「暴力装置に助けていただいた」と言えますか? ・・・・
フリスキーさん。この質問、そんなに難しいですかね。
皆さん、難しいですか?
あなたと同じく日本人のフリスキーです
こちらこそお返事を有難う御座います。
まず、
あなたの以下の認識について一言。
>自衛隊反対の立場でもありません。
>だからといって自衛隊が軍隊であることも否定していません。
>シビリアンコントロールも否定した覚えはありません。
>自衛隊が時には暴力になることも否定してません。
この点は、私と同じ認識のようですね。
私は、アンチ自衛隊の立場では御座いませんので。
その上で、私は、仙谷発言についてはまったく問題が無いものと
認識しています。この発言を撤回した仙谷は、政治家として
説明責任を放棄した無責任な態度を取ったものと思い私はその点を
批判します。つまり、政治家は自らの言動について開かれた場において
“説明責任”を有しています。もし“暴力装置”という発言が誤解を
招いたのならば、学術用語であることに遡って、シビリアンコントロールの
必要性を説明するために用いた表現であることを毅然として主張して
いけばよかったのです。そのような説明責任をきちんと果たさず
しかも撤回するなど、無責任でいい加減な態度だったと批判的に捉えて
います。
それと、国会という国政について論ずる場において、社会学や政治学の
用語及び知見を用いることがそんなに不適切なんですか?
社会科学の知見というものは実際の政治経済のシーンにおいてフィード
バックされてこそ生きたものとなります。
それとも、
日本人さんは、社会科学というものは象牙の塔に篭っているべきで
学会や学術書の中でのみ完結していればいいというお考えなんですか?
私はそうは思いません。憲法学であれ政治学であれ経済学であれ社会学であれ
そこで探求されてきた知見は十二分に実際の社会経済の舞台において
生かされ、議論されていくべきですね。
ましてや国会は国権の最高機関ですよ。
そういう場で社会科学の知見を持ち出したことがどうして問題なんでしょう。
そこでこそ論じられるべきです。人類の知的ストックをそういう場で
生かさなくてどうするの?
そして、問題にされるべきは、批判を受けたあと、
一般人にも解る様に、“暴力装置”の意味を解き明かして毅然とした
態度で説明責任を果たさなかった仙谷にあると思いますね。
ちなみに、
この発言は、自民党議員サイドから批判の声が上がりまして、
それにネット上でも保守系の人たちが同調したのですが、
石破茂がその前年に同様に“暴力装置”という表現を使っていたことが
判明するや否や、急速に批判の勢いは収束してしまった感があったんですけどね
もはや、
“暴力装置”という用語は、議論にさえならない類のものだと思いますよ。
与党の人も野党の人も、これからは堂々と使うべきでしょうね。
>でも皆さん、誰も私の質問に答えてくれないんです。
>・・・助けてもらった警察官に、
>「暴力装置に助けていただいた」と言えますか? ・・・・
>フリスキーさん。この質問、そんなに難しいですかね。
>皆さん、難しいですか?
ぜんぜん難しくないよ。(苦笑)
石破さんも、仙谷さんも、国政について客観的に論じる公的な場で
表明した認識ですよ。
犯罪の現場で助けてくれた警察官に対するお礼を言うシーンとは
全然違います。
あなたTPOって言葉を御存知かな?
>日本人さん
この「暴力装置」の件に関しては、こちらのブログ内で既に記事が立っていますので、
まず、そちらとそれに続くコメント欄をお読みになってはいかがでしょうか?
日本人さんと同じような違和感を感じた方のコメントもありますし、
特に観測霊さんの長文コメントは参考になると思います。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-552.html
>学術用語的には正論かもしれませんが世間の常識ではありません。
謝る必要はないということであれば、学術用語を知らなかった国民がいけないことになります。
ほんとうに国民が全員、学術用語をそこまで知らなければならないのでしょうか。
仙石氏の「暴力装置」発言は参院予算委員会中の
自民党議員の質問に対する答弁の中で出てきたものです。
別に一般国民に向けての演説で使われたわけではなく、
テレビカメラが入っていたとしても、あくまで政治家同士の討議の場において、
常識レベルの政治学用語が使われたのだ、ということは踏まえて頂ければと思います。
>日本人さん
(さすがに自衛隊出身の佐藤議員が知らなかったのはまずいと思いますが)
「暴力装置」という言葉が価値中立的な学術用語であることも、自衛隊が暴力装置であることも、シビリアンコントロールが必要なこともお認めなのに、
>暴力という言葉が一人歩きするような言い回しでは
結果的に自衛隊を否定していると同じ
とういのはおかしいのではありませんか?
私には日本人さんは単純に「やっぱり暴力装置って言葉が気に入らない」と仰ってるようにしか見えないのですけれど。
>・・・助けてもらった警察官に、「暴力装置に助けていただいた」と言えますか? ・・・・
とのことですが、誰もそんな使い方する必要性を感じないんじゃありませんか?
たとえば「明日、先生に宿題渡しなさいね」と言うとき、わざわざ「明日、教員公務員(教師の正式名称)に宿題渡しなさいね」とは言わないでしょう?
専門用語を使った楽しい会話
植物学者「ちょっと、Piper nigrumの粉末をとってくれないかな。」「えーと、この胡椒ですか?」
化学者「そこの塩化ナトリウムの壜をこっちにください。」「はいはい、食塩。」
人相の悪い男「おい、メチルモルヒネの錠剤をよこせ。」「...普通に咳止め薬って言ってくださいよ。ぶっそうな。」笑
皆さんお答えいただき、ありがとうございます。
誰も言わないですよね。言う必要もありません。
この質問の趣旨はなぜ暴力装置と言えないのか、を考えたとき、
社会通念では暴力装置=否定的な表現であり、
一般では浸透しないということを言いたかったのです。
秋原葉月さんへ・・・・・・・・・・・・
>私には日本人さんは単純に「やっぱり暴力装置って言葉が気に入らない」
と仰ってるようにしか見えないのですけれど。
秋原葉月さん、そのとおりピンポンです。
もう少し弁護させていただければ、
暴力と自衛隊を結びつけた専門用語は国民は受け入れられないんです。
ほとんどが「自衛隊は暴力装置?なんだこの政治家は!」ぐらいしか思わないです。
つまり政治家や学者の感覚と国民の一般感覚は違うということです。
よって、いくら「公的な場で表明した言葉だ」、といっても
ほとんどの国民は理解してくれないんですよ。
そんな国民に「暴力装置は本来は正しい言葉」とゴリ押しする気にはなれません。
そのゴリ押しをしなかった仙谷氏は勇気ある撤回をしたと思います。
今回の騒動は政治家同士の討議にもかかわらず自民党議員の批判をマスコミが取り上げ、
保守が騒ぎ、問題に発展・・・・ って流れですよね。
騒ぐべき話ではなかった、ということでしょう。
でも「暴力装置」の意味を国民が理解できる日が来るでしょうか?
忘れたころにマスコミが「また暴力装置と発言!」などと騒げば、
知らない国民はそのつど騒ぐのではないでしょうか。
フリスキーさんへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>国会という国政について論ずる場において、社会学や政治学の
>用語及び知見を用いることがそんなに不適切なんですか?
国民にわかりづらければ不適切です。誤解のないわかりやすい用語を使うべきです。
>憲法学であれ政治学であれ・・・・・議論されていくべきですね。
議論だけではだめです。国民に理解されなければなりません。
国民にわかってもらうのも議員の大事な責務です。
>ましてや国会は国権の最高機関ですよ。
だからこそ老若男女に出来るだけわかりやすい国会でなければ、彼らには政治が見えなくなります。
>そういう場で社会科学の知見を持ち出したことがどうして問題なんでしょう。
専門用用語を用いることは必然性があるためやむを得ません。
しかし専門用用語のオンパレードでは国民はついていけません。
シビリアンコントロールという言葉すらわからない社会人もけっこういます。
そもそも政治に興味ない人も大半です。そんな国民を前にして、「学術的に正しい、はい、おしまい」
ではますます国民と政治家の距離が開くでしょう。
ましてや自民党議員でさえ暴力装置は学術用語とは知らなかったらしいとのこと。
つまりこの概念はもともと国民には誤解されやすく、かなり専門的であり、
説明するにはエネルギーを要する言葉なのです。
>ぜんぜん難しくないよ。(苦笑)
>犯罪の現場で助けてくれた警察官に対するお礼を言うシーンとは全然違います。
>あなたTPOって言葉を御存知かな?
私の質問お答えいただき感謝です。フリスキーさんも社会通念では暴力装置という言葉は
印象がよくない、理解しがたいということを認めているわけですね。
フリスキーさん、この騒動、国民目線で見ていますか?
ちょっと上から目線ですよ。
フリスキーさんのコメントはすべて単なる知識であり
国民側の感覚がないことにお気づきですか?
皆さんへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思い出してください。
この会話は震災被害を受けた子供達の質問に
おろおろした態度の政府を非難をしたことから始まっています。
そのとき我々は子供目線、国民目線で政府を非難したはずです。
しかし話がそれ、暴力装置の話題になったとたん、
フリスキーさんをはじめ皆さんはたちは一気に、
学者や政治家、知識人の立場になってしまいました。
残念です。
私は子供達のような単純な質問をしました。
するとフリスキーさんからはTPOも知らないのかと苦笑されるコメントさえ出ました。
まるで自分たちは学術的には絶対真理を言っているのだと言わんばかりです。
悲しいです。
自衛隊と暴力装置という単語をつなげることに違和感を感じてしまう国民の感性。
この感性を無視しての学術的主張は国民目線の意見ではありません。
みなさんにはわかってほしい。
正論は正論、でも国民目線は忘れないでくださいね。
ここはそのような皆さんの集まりと思っていたんですが。
皆さんお答えいただき、ありがとうございます。
誰も言わないですよね。言う必要もありません。
この質問の趣旨はなぜ暴力装置と言えないのか、を考えたとき、
社会通念では暴力装置=否定的な表現であり、
一般では浸透しないということを言いたかったのです。
秋原葉月さんへ・・・・・・・・・・・・
>私には日本人さんは単純に「やっぱり暴力装置って言葉が気に入らない」
と仰ってるようにしか見えないのですけれど。
秋原葉月さん、そのとおりピンポンです。
もう少し弁護させていただければ、
暴力と自衛隊を結びつけた専門用語は国民は受け入れられないんです。
ほとんどが「自衛隊は暴力装置?なんだこの政治家は!」ぐらいしか思わないです。
つまり政治家や学者の感覚と国民の一般感覚は違うということです。
よって、いくら「公的な場で表明した言葉だ」、といっても
ほとんどの国民は理解してくれないんですよ。
そんな国民に「暴力装置は本来は正しい言葉」とゴリ押しする気にはなれません。
そのゴリ押しをしなかった仙谷氏は勇気ある撤回をしたと思います。
今回の騒動は政治家同士の討議にもかかわらず自民党議員の批判をマスコミが取り上げ、
保守が騒ぎ、問題に発展・・・・ って流れですよね。
騒ぐべき話ではなかった、ということでしょう。
でも「暴力装置」の意味を国民が理解できる日が来るでしょうか?
忘れたころにマスコミが「また暴力装置と発言!」などと騒げば、
知らない国民はそのつど騒ぐのではないでしょうか。
フリスキーさんへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>国会という国政について論ずる場において、社会学や政治学の
>用語及び知見を用いることがそんなに不適切なんですか?
国民にわかりづらければ不適切です。
誤解のないわかりやすい用語を使うべきです。
>憲法学であれ政治学であれ・・・・・議論されていくべきですね。
議論だけではだめです。国民に理解されなければなりません。
国民にわかってもらうのも議員の大事な責務です。
>ましてや国会は国権の最高機関ですよ。
だからこそ老若男女に出来るだけわかりやすい国会でなければ、
彼らには政治が見えなくなります。
>そういう場で社会科学の知見を持ち出したことがどうして問題なんでしょう。
専門用用語を用いることは必然性があるためやむを得ません。
しかし専門用用語のオンパレードでは国民はついていけません。
シビリアンコントロールという言葉すらわからない社会人もけっこういます。
そもそも政治に興味ない人も大半です。
そんな国民を前にして、「学術的に正しい、はい、おしまい」
ではますます国民と政治家の距離が開くでしょう。
ましてや自民党議員でさえ暴力装置は学術用語とは知らなかったらしいとのこと。
つまりこの概念はもともと国民には誤解されやすく、かなり専門的であり、
説明するにはエネルギーを要する言葉なのです。
>ぜんぜん難しくないよ。(苦笑)
>犯罪の現場で助けてくれた警察官に対するお礼を言うシーンとは全然違います。
>あなたTPOって言葉を御存知かな?
私の質問お答えいただき感謝です。
フリスキーさんも社会通念では暴力装置という言葉は
印象がよくない、ということを認めているわけですね。
フリスキーさん、この騒動、国民目線で見ていますか?
ちょっと上から目線ですよ。
フリスキーさんのコメントはすべて単なる知識であり
国民側の感覚がないことにお気づきですか?
皆さんへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思い出してください。
この会話は震災被害を受けた子供達の質問に
おろおろした態度の政府を非難をしたことから始まっています。
そのとき我々は子供目線、国民目線で政府を非難したはずです。
しかし話がそれ、暴力装置の話題になったとたん、
フリスキーさんをはじめ皆さんはたちは一気に、
学者や政治家、知識人の立場になってしまいました。
残念です。
私は子供達のような単純な質問をしました。
するとフリスキーさんからはTPOも知らないのかと
苦笑されるコメントさえ出ました。
まるで自分たちは学術的には絶対真理を言っているのだと言わんばかりです。
悲しいです。
自衛隊と暴力装置という単語をつなげることに
違和感を感じてしまう国民の感性。
この感性を無視しての学術的主張は
国民目線の意見ではありません。
みなさんにはわかってほしい。
正論は正論、でも国民目線は忘れないでくださいね。
ここはそのような皆さんの集まりと思っていたんですが。
日本人のフリスキーより日本人さんへ
高い精度で人を殺傷し、建造物物を破壊する機能を有しています。
そしてそしてその兵器を効率よく使いこなすための訓練をされた
組織が軍事組織であるわけです。
これは侵略ではなく国防のために使われるものであっても、
その機能においては、代わりありません。
軍事組織が有している“機能”を言い表す用語として、
“暴力装置”として表現されることが、
日本人さんはお気に召さないわけですね。
それは、あなたの心象の問題でしょう。
しかし、あなたが気に入らないからといって、
多くの国民が気に入らないという根拠はどこにありますか?
あなたは石破茂という人がどういう人か知っていますか?
元防衛庁長官で、自衛隊の強化、日米同盟の深化の論調に立つ
国防族の重鎮です。
その彼が、きちんと自衛隊の性質について、“暴力装置”であると
公的な場で表現しているのです。
その上で、石破さんは自衛隊の意義を強調しているのです。
ですから、この言葉は決して軍事組織を否定するものではなく、
価値中立的な用語であることは明白です。
この言葉の意味を知らない人が、暴力という部分に条件反射的に
反応したのならば、そこをきちんと説明すればよろしいだけです。
そもそも、学術用語以前に、日常用語のレベルに立っても、
暴力装置という表現は、軍事組織の持つ側面をよく言い表していると
思いますよ。
だからこそ、これが暴走しないようにシビリアンコントロールの元
きちんと管理されていなければならないのです。
現に、軍部の暴走や軍事クーデター、軍事独裁政権といったものが
民主主義を破壊していく過程というものが近現代史をみれば、
いくらでも現れています。日本においてもお隣の韓国においても、
ミャンマーにおいても、タイにおいても、例を挙げればキリがありません。
軍部が有する“暴力装置”ゆえに、これがいったん暴走して、
シビリアンコントロールのタガがはずれると、もはや誰も止めることが
出来なくなってしまい、民主主義は停止し、すべては軍部の言いなりに
なってしまいます。
こんなことを民主主義社会を堅持していくのであれば許してはなりませんね。
ですから、軍事組織は適切に政治的にも文民の管理化に置かれていなければならないのです。
安全保障において軍事組織がもつ意義を認める立場からも、歴史的にも明らかな、
それが有している諸刃の剣という面をきちんと目を逸らさず把握した上で、
これを適切にコントロールしていく。
そこを理解するうえで“暴力装置”という表現を使うことは、まったく
理に適ったものだと思いますよ。
それと警察官に関するTPOについて補足を。
警察官は拳銃を所持していますね。
拳銃の機能は何ですか?
人を殺傷するための武器です。
これは厳然たる事実です。
だからこそ、警察においてはこの管理に極めて
重い責任と義務が課されているのです。
しかし、
犯罪の現場で自分を救出してくれた警察官に対して
お礼を言う時に、拳銃の機能とこの管理責任について
言及することには何の意味もありません。
なぜならば、
お礼を言う場だからです。
自衛隊においても一緒です。
東日本大震災において救出作業にあたってもどってきた
自衛隊員にねぎらいの言葉をかけるとき、
暴力装置云々に言及することにはまったくの無意味です。
なぜなら、震災時の救出作業にあたるという任務においては
暴力装置という側面とは違う側面において自衛隊が出動
しているからです。
さて、もう一度、仙谷発言を振り返りましょう。
仙谷が言っているのは、
「暴力装置でもある自衛隊はある種の軍事組織でもあるから、
シビリアンコントロールも利かないとならない」
日本語読解の問題です。
“でもある”ですよ。
つまり、側面として“暴力装置でもある”
といっているのです。
至極当然の表現といわざるを得ません。
そもそも、この用語を使うことに抵抗がある国民が多数派だという
根拠はどこにあるの??
あなたは抵抗があるゆえに、多数派の国民が抵抗があるという
決め付け、印象操作をしるように思いますね。
いいですか?
主語を明確にしましょう。
暴力装置という用語を使うことが気に入らないのは、
ここでは、国民一般ではありません。
“あなた”です。あなた個人です。
ところが、
あなたは、あなたが気に入らないゆえに、
勝手に国民の多数派が気に入らないという風に、
“国民”という主語を勝手に持ち出しているのです。
違うというのならば、
根拠を挙げてください。
フリスキー@日本人より追伸
日本人さんが言いたいことはこういうことかな?
暴力装置という用語があることは理解した。
また、
そういう側面があるということも認める。
↓
しかし、自分はこの言葉を政治家が公的な場で
言うことは不適切だと考える
↓
そう考える自分は、日本人だ。
そう考える自分は、日本国民だ
↓
だから、日本国民全般もそう考えているんだ。
まさか、そんな風に考えているのかな?
少なくとも私は日本人で、日本国民だけど、
まったく件の発言が不適切だとは考えていません。
また、
そう考える自分の意見が日本人を代表するものだとも
思いません。
私は私の考えにおいて自分の意見を表明した。
そして、
あなたの表明する意見の主語は、“国民”ではありません。
“あなた”なんです。
あなたは、民主主義の機能不全を憂いていらっしゃるようですが、
ならば、なおさらのこと、
主体性をもって、自分の意見を表明し、主語を勝手に摩り替えないことが
大事です。
自立した個人によってこそ健全な民主主義は営まれていくはずですから。
日本人というHNを持つあなたへ
>フリスキーさん、この騒動、国民目線で見ていますか?
>ちょっと上から目線ですよ。
>フリスキーさんのコメントはすべて単なる知識であり
>国民側の感覚がないことにお気づきですか?
>悲しいです。
>自衛隊と暴力装置という単語をつなげることに
>違和感を感じてしまう国民の感性。
>この感性を無視しての学術的主張は
>国民目線の意見ではありません。
ということは、
日本人さんにかかると、軍事組織について
暴力装置という表現を使うことに違和感を感じてしまうことが、
“国民の感性”ということになりますね。
では、
違和感を感じない国民の感性は無視ですか?
暴力装置が学術装置であることを知っていなくても、
日常用語としてのレベルからも、軍事組織が暴力装置としての
側面を有していることを了解する国民の感性は無視ですか?
いつから、『国民の感性=暴力装置に違和感を持つ感性』
になったの?
勝手に決め付けないでくださいね。
つまり、私が言いたいのは国民と十把一絡げにくくって、
まるであなたの主張が国民全般の意見であるかのように
印象操作することは誠に不誠実だということ。
いいですか?
ここで議論しているのは、あなたと秋原さん、あなたと私、
あなたとAGENさんなどです。
個別具体的な人間同士の対論をしているのです。
私が上から目線をしているという印象をあなたが持ったようですが、
それは、私があなたに対して上から目線を持っている印象を与えて
いるのであって、私は決して、この議論において国民全般に対する
批判など一切しておりません。
私の批判は、仙谷やあなたなど具体的な人物を指しています。
あなたも、批判の対象は具体性をもっているはずです。
ところが、あなたは、自分の主張について、突然、
国民などという曖昧模糊とした対象を持ち出し、
まるで自分の立場が、国民全般の意見であるかのように
転化し始めた。
あなたは、言葉遣いにおいては、きちんと敬語を使われていますが、
論法においては、誠に不誠実で卑怯な態度です。
さあ、こういうと、また上から目線だと言われるかな?
どう思われようが御自由ですが、ただ一点だけ確認させてもらいます。
あくまでこの議論における私の批判の対象は、
“日本人というHNを持つあなた”です。
国民という抽象的存在ではありませんので誤解なきようお願い申し上げます。
フリスキーさんへ
しかし、あなたが気に入らないからといって、
多くの国民が気に入らないという根拠はどこにありますか?
>“国民”という主語を勝手に持ち出しているのです。
違うというのならば、根拠を挙げてください。
>そもそも、この用語を使うことに抵抗がある国民が多数派だという
根拠はどこにあるの??
国民という根拠を出せ、と言われれば
日本国中を聴き歩かなければなりませんね。
根拠を示せないので国民という言葉を訂正します。
今回の地震で自衛隊の美談が話されていた頃、
会社で誰かが思い出したように仙石氏のことを持ち出し、
珍しく政治の話になったことがありました。全員仙石批判でした。
友人や知人らもそうでした。
また今思えば暴力装置の本当の意味を知っている人は一人もいませんでした。
そんな程度です。
しかし私の知りえる範囲では例外なく全員仙石批判であったこと、
本当の意味を知っている人がいったい全国で何人いるのかということ、
それになぜ世間ではあんなに物議をかもし出したかということ、
根拠とは程遠いと思いますが、この背景が私にはありました。
それらを総合すると世間では「暴力装置」は違和感がある、
とみるのは自然なことと思いますが。
まあ国民とまで言い切ることは大げさにしても。
>あなたは石破茂という人がどういう人か知っていますか?
・・・価値中立的な用語であることは明白です。
この言葉の意味を知らない人が、暴力という部分に条件反射的に
反応したのならば、そこをきちんと説明すればよろしいだけです。
説明してもわかりませんよ。
少なくても私の周りの人にはですけど。
けっして頭の悪い連中ばかりではありませんよ。
というかけっこう会的地位も高い人たちですが、
この人たち政治にまったく興味ないんです。
>日本語読解の問題です。
“でもある”ですよ。
つまり、側面として“暴力装置でもある”
といっているのです。
と熱弁されてもねえ・・・・、
国民全員がマックス・ウェーバーや社会学を理解し、
暴力装置の意味も理解しなければなりませんねえ。
>あなたは、あなたが気に入らないゆえに、
勝手に国民の多数派が気に入らないという風に、
“国民”という主語を勝手に持ち出しているのです。
あなたは抵抗があるゆえに、多数派の国民が抵抗がある
という決め付け、印象操作をしるように思いますね。
印象操作までいわれれば、それこそフリスキーさんの決め付けといいたいです。
国民と言う言葉を使ったばっかりに誤解させてしまった私もいけませんが。
>主体性をもって、自分の意見を表明し、主語を勝手に摩り替えないことが
大事です。自立した個人によってこそ健全な民主主義は営まれていくはずですから。
おっしゃるとおりですね。
まあ誤解も解けていただいたと思いますので、
一言よろしいですか?
フリスキーさんは自分の意見に自信をもっておられるようだけど、
ちょっといこじになってません。絶対非を認めようとしないんですもん。
自分の文章、振り返っててみて下さい。全て私は正しいの一点張りです。
余裕がないと言うか、感情的というか、
私はシビリアンコントロールを否定していないと何度も言っているのに
その話を何度も持ち出します。
私の例の単純な質問で言いたかった、「社会通念では暴力装置は悪だと認識されており
くつがえせないもの、つまり社会通念では暴力装置はそもそも悪という印象があるから
TPOが必要になるんでしょ」といってもあとからTPOをぐだぐたと説明してみたり。
知識に追いつけない人も大勢いるから、その領域から出て少しは国民目線で
コメントしてほしいといってもこれでもかといわんばかりの知識のオンパレード。
こっちが気を使ってしまいますよ。
あえて質問よろしいでしょうか。
暴力装置という言葉・・・・・
いわゆる国民目線で聞いたとき、
どんな印象があるとフリスキーさんはお考えですか?
いわゆる国民ですよ。難しい理論や学術用語に縁のない、
フツーに生活しているサラリーマン、主婦などです。
そして説明すれば本当に理解できる人たちなのかしら。
説明すれば将来一般的な言葉になるのかしら。
説得は出来るかもしれませんが納得するかしら?
フリスキーさんのお考え興味あります。
>日本人さんへ
誰も言わないですよね。言う必要もありません。
この質問の趣旨はなぜ暴力装置と言えないのか、を考えたとき、
社会通念では暴力装置=否定的な表現であり、
一般では浸透しないということを言いたかったのです
了解しました。
日本人さんが暴力装置=否定的な表現であり、 一般では浸透しない、という感触を持たれたのは、やはりご友人がみな仙石さんの暴力装置発言を否定していた、という体験に基づかれるところが大きいのでしょうか?
日本人さんのご友人が例外なく仙石批判であったのは日本人さんもおっしゃる通り、「暴力装置」が学術用語であることをご存じなかったことがひとつの大きな原因のような気がします。もし機会がありましたら、あれは学術用語だということを伝えてみてはいかがでしょうか。それでもみなさん反発なさるのかどうか・・案外「そうだったの、じゃああながち仙石さんが悪いわけでもなかったのか」という反応が返ってくるかも・・ちょっと知りたい気もします。
>暴力装置という言葉・・・・・
いわゆる国民目線で聞いたとき、
どんな印象があるとフリスキーさんはお考えですか?
いわゆる国民ですよ。難しい理論や学術用語に縁のない、
フツーに生活しているサラリーマン、主婦などです。
そして説明すれば本当に理解できる人たちなのかしら。
説明すれば将来一般的な言葉になるのかしら。
説得は出来るかもしれませんが納得するかしら?
横レスになっちゃいますが、そうですねぇ、確かに学術用語だと知らなければ過激な印象は受けると思います。
でも私が想像するに、仙石さんがあの場で謝罪するのではなく、暴力装置という言葉は過激に聞こえるかも知れないが単なる学術用語に過ぎず否定的な意味はないこと、そして過去に石破さんも使用していることをはっきり反論していたら、マスコミの扱いも全然違っていたでしょう(当時マスコミの扱いは仙石さんに否定的なニュアンスでした)そしてワイドショーで政治評論家が「あれは仙石さんにかみつく方がおかしい」と解説してれば、国民(フツーに生活しているサラリーマン、主婦など)は十分納得したんじゃないかと思います。フツーの国民はマスコミやナントカ評論家っていう権威に弱い傾向がありますから。
それに石破さんが自衛隊は暴力装置と言ったときは誰一人として問題にしなかったのに、同じ事を仙石さんが言ったら大騒ぎ、では不公平だと思うのですが、その点はいかがでしょう?
>説明してもわかりませんよ。
少なくても私の周りの人にはですけど。
けっして頭の悪い連中ばかりではありませんよ。
というかけっこう会的地位も高い人たちですが、
この人たち政治にまったく興味ないんです。
なるほど、だから
>そういう愚民だらけの日本を見ていると、本来の民主主義は今の日本では限界を感じるのです。
そういう「愚民だらけの日本」では真の民主主義が実現するのは無理だといらだちと失望、あきらめの気持ちを感じてらっしゃるのですね?
これ、多分日本人さんだけが感じてることじゃないと思います。いわゆるリベラルと呼ばれる人々なら誰もが感じたことはあるんじゃないかな、正直、私も時々投げ出したくなります。でも投げ出しちゃったらそれこそ福島の子供達に申し訳が立たないじゃないですか(^^)
>正論は正論、でも国民目線は忘れないでくださいね。
正論さえ言っていればみんながついてくるわけではありません。かえって独善的だと嫌われて離れていってしまうことは現実の世界では起こることですね。
せっかくの美味しい料理も食わず嫌いされては元も子もありません。まず興味を持って一口でも食べてもらわなければ何も始まりませんし話になりません。そういう意味で「国民目線を忘れず」まず一口食べていただく工夫は大事だと思います。特に現実の政治活動の世界では。
が、なかなかブログでは時間も限られてますし難しい面はあります。
秋原葉月さんへ
涙が出る思いです。
>なるほど、だから
>>そういう愚民だらけの日本を見ていると、本来の民主主義は今の日本では限界を感じるのです。
全文を通してここまで私のきもちを察していただいたこと、本当に感謝です。
>日本人さんのご友人が例外なく仙石批判であったのは日本人さんもおっしゃる通り、
「暴力装置」が学術用語であることをご存じなかったことがひとつの大きな原因のような気がします。
もし機会がありましたら、あれは学術用語だということを伝えてみてはいかがでしょうか。
ぜひそうしてみます。
私も理解した一人ですから誰かわかってくれる人いるでしょう。
こうしてコツコツと行動しないと暴力装置の誤解は解けないんですね。
いろいろありがとうございました。
秋原葉月さんへ
ご質問お答えし忘れました。
>それに石破さんが自衛隊は暴力装置と言ったときは誰一人として問題にしなかったのに、
同じ事を仙石さんが言ったら大騒ぎ、では不公平だと思うのですが、その点はいかがでしょう?
不公平と思います。
そもそもマスコミは不公平ですもん。
>日本人さんへ
言い訳になっちゃうんですが、面と向かって会話するのならともかく、ブログの記事を書いたりコメント返したりってかなり時間と労力をとられるので、自分の言いたい正論を述べるだけで精一杯、ってところはあるんです(^^;
よろしければまたお立ち寄りください。
日本人さんへ
>会社で誰かが思い出したように仙石氏のことを持ち出し、
>珍しく政治の話になったことがありました。
>全員仙石批判でした。
>友人や知人らもそうでした。
その友人、知人の会話をここで出されてもまったく検証不可能です。
いくらでも作り話も出来てしまいます。
その会話を私が現場で聞かない限り、
コメントのしようがありません。
ですから、他者の見解を引用するのであれば、具体的にだれそれが
どういうことを言っていたのか?
それを示すことが議論においては大事だと思います。
私は、石破さんの例を紹介しましたね。
彼は、『軍事を知らずして平和を語るな』という著作でもはっきり以下のように述べて、自衛隊、警察、海上保安庁などをあげて暴力装置として規定しています。
『国家という存在は、国の独立や社会の秩序を守るために、
暴力装置を合法的に独占・所有しています。
それが国家のひとつの定義だろうと。暴力装置というのは、
すなわち軍隊と警察です。日本では自衛隊と警察、
それに海上保安庁も含まれます。』
もう一つ、紹介しましょう。
池田信夫という評論家をご存知ですか?
この人は、経済的には徹底した新自由主義者、小さな政府論者、
政治的にも改憲論者で右に位置する人で特にネット上では一部の右派の人から
人気がある人です。その彼でさえ、
『仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」という国会での発言が
問題になって撤回したようだが、撤回する必要はない。
自衛隊はれっきとした軍隊であり、軍隊とは暴力装置に他ならない。
これに抗議している自民党は、
自衛隊を災害救助隊だとでも思っているのか。』
このように明言しているのですよ。以下のURLで確認してみてください。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51501855.html
あなたも、他者の意見を紹介したいのならば、
誰がどういうことを言ったのか?
検証可能なように、きちんと示してくださいね。
でないと、私はその発言の真意や真偽を確かめられませんので。
>>あなたは石破茂という人がどういう人か知っていますか?
>> ・・・価値中立的な用語であることは明白です。
>> この言葉の意味を知らない人が、暴力という部分に条件反射的に
>>反応したのならば、そこをきちんと説明すればよろしいだけです。
>説明してもわかりませんよ。
>少なくても私の周りの人にはですけど。
世間だとか、国民だとか、周りの人とか、どうしてあなたは
転化するのですか?
あなた自身はどうなのですか?
あなた自身はこの用語を理解できないのですか?
議論において主体になっているのはあなた自身です。
理解できない人がいるのならば、
その理解できない人は誰で、その誰がどういうことを言っているのか?
検証可能なように示してください。
>自分の文章、振り返っててみて下さい。
>全て私は正しいの一点張りです。
>余裕がないと言うか、感情的というか、
>私はシビリアンコントロールを否定していないと
>何度も言っているのに
>その話を何度も持ち出します。
私は自分が正しいと思っていることを根拠を示して
語っています。正しいの一点張りも何も、
私が正しいと考えていることを主張しているのですから、
そのことのどこに問題があるのでしょうか。
あなたは、あなたの正しいと思うことを主張し、
私は、私の正しいと思っていることを主張する。
しかし、
大事なのは根拠ですね。
その根拠について今まで語っているのです。
で、
私が感情的になっているというのならば、
私の主張のどの部分が感情論なのか、
どの部分がロジカルではないのか、指摘してもらわないと
話になりません。
>あえて質問よろしいでしょうか。
>暴力装置という言葉・・・・・
>いわゆる国民目線で聞いたとき、
>どんな印象があるとフリスキーさんはお考えですか?
>いわゆる国民ですよ。難しい理論や学術用語に縁のない、
>フツーに生活しているサラリーマン、主婦などです。
まず、その質問の仕方に異議を唱えさせて頂きますね。
“国民目線”といったときの“国民”って誰を指すのですか?
“いわゆる国民”って誰?
>難しい理論や学術用語に縁のない、
>フツーに生活しているサラリーマン、主婦などです。
学術理論や学術用語に縁の無い人はごまんといますが、
その一人一人が、同じ人では決してありません。
フツーに生活するといったときの“フツー”って何?
どうして、あなたはそうやって“国民”の名の下に
十把一絡げにくくろうとするのですか??
そこが問題なんですよ。
その上で、あえてお答えしますが、
仮に、“暴力装置”という社会科学の用語を知らなくても、
軍事組織が有する兵器、例えば、自動小銃であれ、手榴弾であれ、
迫撃砲であれ、スマート弾であれ、戦車であれ、高い技術と精度で、
人を殺傷したり、建造物を破壊するための機能を持っていることは
わかりますね。
そのために作られたものです。
ですから一般人がこれらを持つことは厳しく禁じられ、反したものには
厳罰を受けます。
そして、軍事組織は、これらの高い殺傷能力を持つツールを大量に有し、
これを最も効率的に機動的に使いこなすべく訓練され統率された
組織なのです。
この世界において、軍事組織ほど短時間に大量の人を殺し、建造物を
破壊する能力を有している組織は他にありません。
ですから、シビリアンコントロールによって管理されていなければ、
その有する破壊力ゆえに、いったんタガが外れると暴走する。
それを誰も止められなくなる。
民主主義を停止、破壊する自体にもなる。現に近現代史を概観
するだけでもそういう事例はこの国の過去を含めて数多あげられる
わけです。
ですから、軍事組織がいざというときに発揮する組織的な破壊力を
指して、“暴力装置でもある”と捉えることは、
学術用語以前に、一般的な言葉の意味内容においても、
私は、適切な表現だと理解していますね。
だから、
あなたが、“国民””国民”と主体を持ち出すのならば、
学術用語であることを知らなくても、違和感無くこの表現を受け入れる
国民の存在をあなたは無視するのですか?と問いかけたのです。
もう、
“国民”などという曖昧な主体を持ち出すのは結構ですので、
あなたならあなた、私なら私、誰そらなら誰それ
という風に、主張の主体を明確にした議論を心がけるべきでしょう。
返信をいただきありがとうございます。
お返事が遅くなってすみません。
> 私の周りには政治にまったく関心がない人たちばかりです。
確かに「誰がやっても同じ」「選挙に行っても何も変わらない」と政治に絶望して、無関心に陥っている人もいますが、同時に日常会話において政治の話題が”タブー”的な扱いを受けている面もあるのではないかと思います。
先の書き込みでも少し触れましたが、今の日本では日常的に政治の話をする社会的な土壌が育っていないように思います。周囲の人間との一体的な空気、対人関係を荒立てないことを重視するためか、もっと単純に政治的な主張をもっていることが格好悪いという価値観があるのか、友人知人と政治的な話をすることをお互いに避けているようなところがあるのではないでしょうか。
しかし、それは「政治的なことに関心が低い」事と必ずしもイコールではありません。この空気は主張が対立する可能性のある話題を口にすることに対して非常に抑圧的に作用しますから、例え本人が政治に関心があっても、それを話題にする事を避けたり、あるいは話題に上っても無関心を装ったりと言うことがありえると思います。
政治家のスキャンダラスな話題しかしない人でも、内心では政治的な主張を抱えているかもしれません。あるいはスキャンダラスな話題で冗談に紛らわせながら、政治に対する思いを語っているのかもしれません。スキャンダラスな話題からも、政治を語れることがあると思いますから、あまり悲観的に過ぎることもないと思います。もちろん、相手方の拒否感が明白な場合、政治的な話題を押し付けるのは、基本的にはあまり誉められたことではありませんが(笑)
> しかし最近、愚民やだめ政治家を見ていると民主主義そのものに限界を感じます。
こちらについては秋原さんが代返していただいたので、そちらをご覧ください。
わたしも現在の日本の民主主義は総体としてひどい状況だとは思いますが、それは秋原さんが仰るように「形式的な民主主義」に留まっているからで、たしかに「形式的民主主義」は限界かもしれませんが、今後わたしたちは「実質的な民主主義」を目指していかなくては、と思います。
それから「暴力装置」についてですが
>私が言いたいのは暴力という言葉が一人歩きするような言い回しでは
と仰いますが、その「一人歩き」を避けるためにも、仙谷官房長官(当時)は、きちんと「暴力装置」という言葉の出自と意味を説明すべきだったと思います。この点、秋原さんが仰るとおりだと思います。
>正論は正論、でも国民目線は忘れないでくださいね。
お言葉は重く受け止めたいと思いますが、「『暴力装置』という言葉が価値中立的な学術用語であることも、自衛隊が暴力装置であることも、シビリアンコントロールが必要なこと」を、「一般の国民はそんな事知るわけがない」と理解を拒否するのが、唯一正しい姿勢だとは、わたしには思えません。
今回の原発事故に際して、さまざまな専門的な用語や単位が連日報道に乗るようになりました。この事故がなければシーベルトとベクレルの違いなど知らないままだった人も多いのではないでしょうか。まさに「一般の国民はそんな事知るわけない」事だったのですが、連日の報道に接して正確な知識を身につけた人も多いと思います。専門性や学術知識を理解する力を国民は、きちんと持っていると考えることはできないでしょうか。
日本人さんは
> 託す方も愚か、託される方も愚か。
というお言葉で日本の民主主義の現状を憂いておられます。わたしは愚民という表現は好きではありませんし、国民が愚かだとしてもわたしもその愚かな国民の一員だという意識がありますから、国民を批判するというのがどうも苦手なんですけれども(国民批判をしてはいけないとは思いません。国民批判をタブー視する考え方は問題が多いと感じていますので。批判するべきときは批判したいと思っています)、難しい学術用語は国民は知らなくて当然という前提や、その学術用語の意味や出自を政治家が説明するのは不要であるという判断が、その「愚か」さを構成する一要因になってはいないかと言う疑問は感じました。日本人さんは「愚か」だから「一般の国民はそんな事知るわけない」とお考えのようですが、わたしは逆です。「愚か」だから解るまいと、知識や理解から遠ざけられるからこそ「愚か」になっていくのだと思えるのです。
国民目線と言うのは大事な事ですが、国民目線がすなわち無知であり、知的に怠慢であることとほぼ同義であるという前提には違和感を覚えます。
仙谷官房長官(当時)が発言を引っ込めたことを評価する視点もあるでしょうが、それでは国民は「『暴力装置』という言葉が価値中立的な学術用語であること、自衛隊が暴力装置であること、シビリアンコントロールが必要なこと」という理解からは、結果的に遠ざかってしまったとしかわたしには思えません。
一般の国民にわかりづらいというのなら、わかりやすいように説明するのが政治に携わる側の仕事であって、そのためにこそ官僚の頭脳を動員すればいいものを、説明を放棄し発言を撤回してしまえば、国民にとってはなんだかよくわかんないことを政治家が言って、さっさと撤回したという印象しか残らないのではないでしょうか。そういった事の繰り返しが政治不信を招く大きな要因になるし、国民の知的な怠慢、民主主義に対するネグレクトを許してしまうことにもなるのではないでしょうか。
少なくとも学術的用語でもある言葉の説明を放棄して、その言葉への理解から国民を遠ざけることが、民主主義社会の政治家の姿勢として正しいとは、わたしには到底思えないのです。
最後にご質問をいただいた
> 助けてもらった警察官に、「暴力装置に助けていただいた」と言えますか?
についてですが、わたしもそんな言い方はしません。わたしの言葉でそれを説明するならば、そういう状況でお礼を言うのはわたしの個人的な感謝の気持ちを、助けてくれた警察官と言う個人に対して伝えるという、個人対個人の極めて限定された場面で発せられる言葉だからです。
当然、民主主義社会を構成する組織としての警察機構を語る時とは、用いる言葉が異なります。
言い方を変えるなら、わたしがお礼を言いたいのは、助けてくれた警察官個人にであって、組織としての「暴力装置」たる警察機構にお礼が言いたいのではありません。
わたしは日本の警察機構に一定の信頼を置いてはいますが、同時にそれが批判されるべき多くの問題を抱えた組織であるという認識も持っています。手放しに賞賛はできませんし、なにより組織というのはあくまでシステムであって、感謝と言う個人的な感情の対象にはなりえない、またはしてはいけないと考えています。
社会的なシステムは大事です。ですがそれは社会に住む人々の個々の生活を支えるために重要なのであって、システムそのものが大事なわけではありません。システムはあくまで手段です。
無機物や概念的な存在にフェティッシュな愛情を持つことをわたしは否定しませんが、そういった愛情は時に対象に対する批判や非難を受け付けなくしてしまいます。
市民の信託によって「暴力を合法的に独占している社会組織」=「暴力装置」が、一切の批判や掣肘を受けないことの危険性は秋原さんやフリスキーさんがご指摘のとおりです。ですからわたしはそういった組織への親和的な感情を持つことを意識的に避けています。そうした感情が「暴力装置」に対する批判的視点を鈍らせることを恐れているからです。
以上、長文失礼しました。
引き合いに出していただき、恐縮ですm(__)m
> 政治家同士の討議の場において、
> 常識レベルの政治学用語が使われた
そうなんですよね。あそこで世耕議員が食いついたことにこそ、わたしにはよく理解できなかったのですが(^_^;)
「え?なんでそこに食いつくの?」みたいな。
> 村野瀬さん
> 「おい、メチルモルヒネの錠剤をよこせ。」
笑わせていただきました(笑)いいですね、これ。いつかどこかで使いたいです(笑)
日本人より
お返事ありがとうございました。
>政治家のスキャンダラスな話題しかしない人でも、内心では政治的な主張を抱えているかもしれません。
そうですね。
確かに会社の中では政治や宗教の話はタブーですから。
あきらめず接点を探していきます。
>その学術用語の意味や出自を政治家が説明するのは不要であるという判断が、
その「愚か」さを構成する一要因になってはいないかと言う疑問は感じました。
日本人さんは「愚か」だから「一般の国民はそんな事知るわけない」とお考えのようですが、
わたしは逆です。「愚か」だから解るまいと、知識や理解から遠ざけられるからこそ
「愚か」になっていくのだと思えるのです。
私もそうでなければなりませんね。
しかし現実の周りの人間を見ていると・・・・
政治に興味持たせるのはハードル高いなあと思ってしまいます。ハイ。
以前ある知人に政治に興味を持てと強くいったら、
それ以来関係が悪くなってしまいました。そんなことも影響してるのかなあ。
>助けてくれた警察官個人にであって、組織としての「暴力装置」たる警察機構にお礼が言いたいのでは
ありません。そうした感情が「暴力装置」に対する批判的視点を鈍らせることを恐れているからです。
ちょっと残念ですが私と意見が違いました。
>システムそのものが大事なわけではありません。システムはあくまで手段です。
システムについてはそのとおりだと思います。
しかしそのシステムに助けられたのだから単純にその存在価値はありがたいと私は思うのですが。
私、単純ですかね。
観測霊さんはそのシステムが暴走する危惧をお考えなのかと思います。
ただ危惧することと感謝することとは分けたいと思うのですが、甘いのかなあ。
システムに感謝したいからシビリアンコントロールが必要なんです、
といえばわかっていただけれるかしら。
いろいろやり取りさせていただき為になりました。
またご理解とご意見頂きありがとうございます。
また何かのテーマで意見交換したいですね。
そのときはよろしくお願いします。
・・・・・フリスキーさんへ
結局、私を信用していないと言うことですね。
しかし別の方達は私のことを信用していただき
私の言いたいことを理解していただきました。
私が言い表せなかったことまで代弁していただきました。
でもフリスキーさんって揚げ足とるだけでした。
そして知識のごり押しワンパターン。
そしていつも自分は正しい。
何度も言いますが、
シビリアンコントロールの熱弁を繰り返したところで私との議論の論点ずれていますよ。
何度も知識から離れなさい、といっているのに意味がわからないようで。
その点、秋原葉月さんは
>正論だけ述べて自己満足に陥る、というのは私のようなブログを書いていると
たびたび陥りやすい罠なのです。
そのことにあらためて気づかせていただき、こちらこそありがとうございました。
とお礼までしていただきました。これこそ人徳です。知恵です。
たしかにフリスキーさんは知識はありますが知恵がないようで。
申し訳ありませんが感情的な発言を続けられるなら議論はこれ以上できません。
フリスキーさんからのコメントはもう結構です。
あしからず。
フリスキーさんと日本人さんの議論を読んでいたのですが、
日本人さんの物言いには少し腹に据えかねるものがあります。
日本人さんはこのように書いてます。
>でもフリスキーさんって揚げ足とるだけでした。
直前のレスでのフリスキーさんからの疑問には一切答えず、
なぜ「揚げ足取り」の一言で済ますのですか。
>“いわゆる国民”って誰?
>フツーに生活するといったときの“フツー”って何?
フリスキーさんのこれらの問いかけはあなたにとってどうでもいい話なのですか。もしそうだと思えるのなら、なぜそう思えるのか第三者の私にもきちんと納得できるように書いてください。
それとも「揚げ足取り」と書いているところをみると、表現が不適切だった、という認識なのでしょうか。本当はどう表現したかったのか、“いわゆる国民”、“フツー”を例に 第三者の私にもきちんと納得できるように書いてください。
また、
>そしていつも自分は正しい。
だそうですが、日本人さん自身、フリスキーさんらの主張を、
>正論は正論
と認めているじゃないですか。正論なのにどうして非を認めなければいけないんですか。
議論の流れから見て、
おそらく日本人さんは秋原葉月さんのように、
「暴力装置」という言葉の意味を理解できない周囲の人間をどう説得すればよいかアドバイスが欲しかったのではないかと思われますが、
フリスキーさんは別にあなたの親でも教師でもありません。
アドバイスしなければいけないいわれはありません。
そもそも、周りの人間に理解してもらえないのは、あなたの責任じゃないですか。逆ギレもいいところです。
>たしかにフリスキーさんは知識はありますが知恵がないようで。
日本人さんには知恵があるんですか。
知恵は秋原さんから授かったものでしょ。
自分に知恵がないくせによくそんな偉そうなことが書けますね。
それと国民目線とおっしゃいますが、自分や周囲の人間がわからなかったといって、他の人間もわからないと決まっていると根拠もなしに断言するのはやめてください。極めて不愉快です。
どうもどうも。返信が遅れてしまいましたが、横槍にも拘らず返信ありがとうございます
>でも見解の違いなんですかね。
「自衛隊は暴力装置だ」という言葉を聞いたとき、
私には「自衛隊は悪だ」と聞こえたのです。
つまり自衛隊をけなした言い方に感じたのです。
この発言、誰が聞いてもそう感じたのでは?
だから周りから批判が出たのではないかと思いますが。
まあ、あの発言を耳にしたときの
感じ方の違いなんでしょうか。
AGENtさんはそう聞こえませんでした?
AGENさんだって仮に賊に襲われそうになり
警察官に助けられた場合
暴力装置に助けられたとは言いませんよね。
既に他の方々がおっしゃっているので、まあ同じ事を言う事になるのですが。
警察に助けられてお礼を言う場合に、警察が暴力装置であることを述べる事とは違うと思いますよ。
例えるなら爆弾みたいなものですかね。
鉱山で障害物を取り除くのにダイナマイトは必須アイテム(詳しくないので、今どうだかわかりませんが)。しかし、その扱いには細心の注意払わなければ大惨事に繋がる。
自衛隊が扱っている戦闘機にしろ、自動小銃にしろ戦車にしろ、それが兵器であり、人を殺傷する物である事は日本人さんも理解していると思います。暴力的な側面があるという事を指して“暴力装置”と呼んでいるわけで、別にだからといって自衛隊の存在を全否定しているという事には繋がりません。
今回の大震災では救助活動や原発を冷却させようと必死に行動しているそういう側面もあるわけですから。
しかし、兵器を所持しているというのも事実で、だからこそちゃんとした管理下におかないといけないって事じゃないかなぁと。
長文失礼しました。
日本人さんへ
そのためには論拠が必要です。相手もまた然りです。
ですから、議論において大事なのは論拠です。
さて、
>申し訳ありませんが感情的な発言を続けられるなら
>議論はこれ以上できません。
>フリスキーさんからのコメントはもう結構です。
>あしからず。
私は先の投稿でも申し上げましたが、私の投稿につき、
感情的な発言とは、どの部分ですか?
ちなみに感情論とは、論理や知識を離れて、喜怒哀楽のような
感情を根拠とした主張をすることです。
私は、私の主張についての論拠をならべく理路整然と主張することを
心がけ、
また、
あなたの主張のおかしいと感じる点についても論拠を挙げて批判し、
また質問もさせて頂きました。
ところがあなたから帰ってくる返信は、
「悲しい」だの、
「フリスキーさんは知識はありますが知恵がないようで。」
だの
感情的な発言をしているだの、
「知識から離れなさい」だの
「私を信用していない」だの、
「揚げ足取りをしている」だの
そんな反論にもならないものばかりです。
いいですか?
私はあなたの質問に対して論拠をあげて答えました。
論拠をあげて批判もしました。
こういった国政に関する議論については、あなたの嬉しいとか、悲しいとか、
信用していない云々とか、そういう感情はどうでも良いんです。
それよりも、議論に求められるのは、あなたの主張の
根拠となる部分の論理構成です。ロジックです。
重要な点なので、繰り返し申し上げます。
議論においては大事なのは、双方ともに論拠をロジカルに構成して
相手に主張することなのです。そのために必要な知識も引用することは
有効です。
その点を、よく御再考くださいませ。
参考のご意見
さて、これはブログ主であられる秋原さんに
参考意見をお聞かせいただければ
大変有り難く存じます。
日本人さんより、
『その点、秋原葉月さんは
>正論だけ述べて自己満足に陥る、
というのは私のようなブログを書いていると
たびたび陥りやすい罠なのです。
そのことにあらためて気づかせていただき、
こちらこそありがとうございました。
とお礼までしていただきました。
これこそ人徳です。知恵です。
たしかにフリスキーさんは
知識はありますが知恵がないようで。 』
このように、秋原さんのお言葉を引用されながら、
それを根拠に私の知恵の無さを批判してきました。
私は知識においても知恵においても、未熟者、
浅学非才の輩であること重々承知しているのですが、
少なくとも、
“暴力装置発言”の是非についての今回の私の議論について、
私の論拠、論理構成は、日本人さんから言われるような
内容のものだという心象をお持ちになりましたでしょうか?
率直なご意見をお聞かせいただけますと、有り難く存じます。
>フリスキーさんへ
私の論拠、論理構成は、日本人さんから言われるような
内容のものだという心象をお持ちになりましたでしょうか?
いいえ、フリスキーさんの論拠、論理構成は完璧です。フリスキーさんのコメントは私にとっては参考書のような存在です。
ただ、私には日本人さんはいわゆる学術的な議論を望んでらっしゃるようには思えなかったのです。日本人さんが「ずれている」と仰っていたのはそれではないでしょうか。
日本人さんが仰りたかったことは、たとえ暴力装置が価値中立的な学術用語であるといってもそれを受け入れない偏狭な人々が多いことに対する失望、そしていくら正論を言おうがそのような「食わず嫌い」の人が大勢いるのが現実だ、ということだと感じたのです。ですから私はその気持ちに耳を傾けたいと思いました。
日本人さんは過分に私を褒めてくださいましたが、褒められすぎて恐縮です。「この人はすごい、この人には勝てない」と思う人は何人もいるのですが、フリスキーさんもそのうちの一人なのですから(汗;;←私はお世辞は言いませんので
論点
私の主張の趣旨について御理解頂けたことは有り難いのですが、
過分なお褒めのお言葉には大変恐縮する思いです。
私は、時折りどこかに出没する一介のコメンターとして、
ならべく場をわきまえたいと思っているので、その場の趣旨、管理人さんの
趣向に反しないよう気をつけないといけないと思う今日この頃です。
さて、
今回してきた議論についてですが、論点は、
“政治家が自衛隊について暴力装置という用語を使うことの是非”
のはずです。それは過去ログを見ていくと明らかでしょう。
つまり、
日本人さんは、暴力装置という用語が学術用語であり社会科学の世界では
一般化している言葉であるということは認識された。
しかし、
その上で、なお日本人さんは、この用語を、政治家が使うことは非である
とお考えなわけです。
“政治家が自衛隊について暴力装置という用語を使うことの是非”
について、日本人さんは“非”の立場です。
いっぽう、
秋原さん、観測霊さん、AGENさん、不肖フリスキーは“是”の立場です。
私の主張の論拠は全てそこにあるのです。
この論点を巡る争点は、そこであることを確認させていただきます。
過去記事へのコメント投稿、TB失礼いたします。
伊丹万作さんの「戦争責任」をじっくりと読みました。
戦時中の様子が今と似ている、とは最近よく耳にしますが、
まさにその通りで、日本人はこのまま消滅の危機寸前にまで追い込まれないと、
目が覚めないかもしれないと思っています。
しかし私は、「長いものには巻かれろ」的な人よりも、「このままではいけない」と自覚のある人の方が実際は多いのでは、と希望的にみています。