コメント
そしてそれらの国から移民が政治や信条が原因でなく、ただ経済的な理由から来る事をおかしいと思わないのですか?
それとブレイビック容疑者はレイシストではありません。白人レイシストが日本や韓国を賞賛するわけがありませんから。
「多文化主義」
本線ではありませんが、森氏が米国を引き合いに出している個所があって、少し違和感を覚えましたので、ニューヨークの一般市民が書いたこのようなエピソードなども参照していただければと思います。http://metropolitandiary.blog129.fc2.com/blog-entry-612.html
>名無し@まとめいと さん
別エントリーにて既に書いていますけど。
一つのエントリーで何もかも書ききれるわけがないと思いませんか?
>それとブレイビック容疑者はレイシストではありません。
「欧州をイスラムの支配から救うためだった」と言ってるんですからイスラムに対するレイシズムでしょうに。新聞はお読みですか?
>metroさん
米国を引き合いに出したのは森氏ではなく私の意見なんです。死刑制度を維持している「先進国」は日本とアメリカだけなのですが、「テロとの戦い」で暴力報復を肯定し、ビンラディンを裁判にもかけず暗殺することを肯定するお国柄では死刑制度ももっともだな、と感じたのです。
リンク先のエピソードを読ませていただきました。コレですよ!と思いました^^
いいエピソードをありがとうございます。
>metroさん
米国を引き合いに出したのは森氏ではなく私の意見なんです。死刑制度を維持している「先進国」は日本とアメリカだけなのですが、「テロとの戦い」で暴力報復を肯定し、ビンラディンを裁判にもかけず殺すことを肯定するお国柄では死刑制度ももっともだな、と感じたのです。
リンク先のエピソードを読ませていただきました。コレですよ!と思いました^^
いいエピソードをありがとうございます。
>metroさん
米国を引き合いに出したのは森氏ではなく私の意見なんです。死刑制度を維持している「先進国」は日本とアメリカだけなのですが、「テロとの戦い」で暴力報復を肯定し、ビンラディンを裁判にもかけずころすことを肯定するお国柄では死刑制度ももっともだな、と感じたのです。
リンク先のエピソードを読ませていただきました。コレですよ!と思いました^^
いいエピソードをありがとうございます。
多文化主義と資本主義
君が代斉唱強制の問題からこのブログにたどり着きました。
言い訳にはしたくありませんが、現在高校生で知識が圧倒的に不十分で、事実誤認や誤った解釈、偏見が潜在的にあると思うので、もしあれば、ぜひ指摘をお願いします。
将来のためですので。
でもお手柔らかにお願いします。
ノルウェーの方の意見で、
「ノルウェーでは移民たちの習慣や日常を、できるかぎり尊重します。たとえばイスラム系の生徒が望めば、 学校給食にハラルを使うことが普通です。ベーリング・ブライヴィークのように、こうした政策に反対する人も、 (きわめて少数派ですが)存在します。こんなことを許し続ければ、しまいにはノルウェーの社会や文化が 変わってしまうと彼らは主張します。でもこれは完全に間違っています。出自が異なる文化の人たちに、 多数派である私たちが合わせる努力をすべきなのです。ノルウェー国民は決して器用ではありません。 だからこそ私たちは努力しなくてはならないし、この制度を大切にしていかなくてはなりません。 そして移民としてやってきた人々も、私たちの社会に溶け込めるように努力しています。これは相互の責任です。」
とありますが、
この意見は本当に素晴らしいと思います。
恥ずかしいことに、依然として排外主義的な日本の風潮に諦観して、日本には多文化主義の実現は難しいと半ば諦めていましたが、この記事で考えが180度変わりました。
多文化主義の達成に向けて努力すれば実際に結果は出るんですね。
欧米は日本より人種問題が複雑だと思いますが、それでも多様な文化を尊重し合おうと、積極的に解決に向けて努力されているのは見倣わなければなりません。
しかし不思議に思うのは、上の毎日新聞の記事で
「 欧州諸国では近年、長引く経済の低迷で社会や政治が右傾化している。背景にあるのは、移民排斥の思想だ。移民は70年代、発展を支える「労働力」として歓迎された。だが、経済が失速すると、安い賃金で働く移民は欧州白人の職を奪う「重荷」に変貌した。極右勢力が唱える移民排斥は失業にあえぐ市民の不満の受け皿にもなっている。
欧州連合(EU)の統計によると全加盟27カ国で08年、中東やアフリカ系など計380万人の移民を受け入れた。この流入が加盟国の人口増につながり、労働力人口を支えた。欧州社会の発展・維持に移民は「不可欠」だ。
問題は、欧州が移民をいわば「出稼ぎ労働者」として受け入れてきたことだ。だが、移民は生活の場を欧州に移して定住するようになった。母国から家族を呼び寄せ、独自のコミュニティーを形成するに連れて文化的、宗教的な摩擦が顕在化。経済の悪化やイスラム過激派によるテロなどが追い打ちをかけ、キリスト教を伝統とする欧州社会とイスラム系移民の摩擦や移民排斥論に結びついた。」
とあります。
村野瀬玲奈さんのブログの「そもそも民主主義って何?」という記事も参考にさせて頂きましたが、入移民国が量的制限や質的制限を行っている時点で、移民問題は民主主義には反していないのでしょうか?
多文化主義と民主主義を標榜する欧米諸国(先進国)が労働賃金の安さで移民を受け入れるのは差別にあたりませんか?
もちろん、出移民国の方が欧米で働きたい、自分の力を試したいと主体的に移民を望むなら問題はないと思います。
しかし、欧米諸国の企業は低賃金で労働力が得られると踏んで積極的に受け入れるのはいいものの、昨今の不況で経済が失速すると、真っ先に移民の雇用を止めたり、失業させるのは先進国の差別意識の顕在化ではないでしょうか?
日本も円高や貿易摩擦の回避も理由の一つですが、やはり安価な労働力を求めて中国や東南アジアに工場を移転しています。
グローバル化の中で生き残りを図るため、仕方が無いと言われればそうかもしれませんが、それでは多文化主義と民主主義の成熟化を目指す一方、資本主義の上で必要不可欠な低コスト化を目指すために、矛盾は無視されるのでしょうか。
利益をさらに得ようと膨張し続ける企業が今後経営方針を変更しなければ、真の多文化主義と民主主義の達成は難しいと思います。
さらに投資家や銀行が金融取引で遊んでいるうちに、世界恐慌の再来があるのではないかと心配です。
世界人権宣言を受け、多文化主義が主流になりつつあるのは本当に喜ばしいことですが、「先進国」と「発展途上国」という枠組みでの垂直的関係は変化しないのでしょうか?
途上国が自国の貧困問題などを解決するために、経済発展に価値を見出して先進国の援助を受け続ける限り、一向に経済格差は埋まらず、さらに先進国に巧妙に資本を搾取されるだけだと思うのですが。
素晴らしい多文化主義という考えがあるからこそ、(様々な問題があって難しいとは思いますが)「先進国」や「発展途上国」という括りを取り払い、途上国は先進国への依存度を下げ、最終的に独立しなければ、現在の垂直的な負の構図のままだと思います。
現在の途上国のままでも、先進国には失われつつある価値観が残存していて素晴らしいなどと言えば、先進国に身を置く者のエゴイズムでしょうか。
多文化主義(「先進国」が中心ではない。「先進国」と「発展途上国」には夫々長所と短所があるのだから、価値観を統一などせず、互いに尊重し合おう)を目指しているにも拘らず、先進国が利潤のために、最貧国ビジネスと称して「発展途上国」に接近(利用)しようとするのを見ると、依然として先進国中心主義が蔓延していると思います。
(よくコメント欄で「あなたは批判の仕方が上手く、また興味深いことを書かれていますが、内容が抽象的で根拠が示されていないため、想像の域を出ない、非論理的な意見です」
という感じで一蹴されているのを見ます。それを踏まえれば、私の最後の悲観的な文章も根拠はないため、勝手な想像になってしまっています。
やはり正式な議論の仕方としては、地道に論拠を示しながら
命題を証明していくというのが当然であり、そうしなければ最も確実性のある前提を地道に積み重ねた「実験的真理」は得られないのでしょうか?
議論に不慣れな私としましては、抽象的な意見でも相互に本意を理解しながら話を進めていけば、問題ないように思うのですが、やはり甘いのでしょうか)
私のこのような疑問に対して既に記事を書かれていましたら、お手間をかけて申し訳ありません。
その記事を教えて頂けたら十分です。
おっと・・・!
リンク先、読んでいただいて有難うございます。いずこの国でも、「ニュース」にはならない市民の普通の暮らしがありますよね。
当方のコメントから記事を作っていただきありがとうございます。
S.Mさんの言葉は本当に素晴らしいです。
S.Mさん、ひいてはノルウェーの人々がブライヴィーク容疑者に憎しみや怒りを感じていないわけではないと思います。家族や友人を殺された事、政治的意図を暴力と殺戮によって達成しようとした事に怒りや憎しみを感じるのは、十分ありえる事です。移民が作る新しいコミュニティとその文化との間に摩擦を感じている人もいるでしょう。
でも、彼らはその上で「愛と寛容と民主主義」を選択しようとしている。多分、悲しみに沈み、憎しみに身を焦がし、怒りに突き動かされそうになりながら、それでも歯を食いしばって「愛と寛容と民主主義」を捨てない道を選ぼうとしている。その事に胸を打たれます。
一方、図らずも容疑者から「絶賛」されてしまったorz日本では、彼のレイシズムやゼノフォビアをなんとか糊塗したり軽減しようとする人いもいるようで、道の遠さに気が遠くなりそうです(^_^;)
日本を誉めたからレイシストじゃないとか、どんだけレイシズムの定義が狭いんだよ、とかツッコミたくなります。というか、自分たちにフォビアが向けられなければそれはレイシズムじゃないとでも思っているんでしょうか(-_-;)
>ごんさん
>欧米諸国の企業は低賃金で労働力が得られると踏んで積極的に受け入れるのはいいものの、昨今の不況で経済が失速すると、真っ先に移民の雇用を止めたり、失業させるのは先進国の差別意識の顕在化ではないでしょうか?
日本も円高や貿易摩擦の回避も理由の一つですが、やはり安価な労働力を求めて中国や東南アジアに工場を移転しています。
グローバル化の中で生き残りを図るため、仕方が無いと言われればそうかもしれませんが、それでは多文化主義と民主主義の成熟化を目指す一方、資本主義の上で必要不可欠な低コスト化を目指すために、矛盾は無視されるのでしょうか。
利益をさらに得ようと膨張し続ける企業が今後経営方針を変更しなければ、真の多文化主義と民主主義の達成は難しいと思います。
>世界人権宣言を受け、多文化主義が主流になりつつあるのは本当に喜ばしいことですが、「先進国」と「発展途上国」という枠組みでの垂直的関係は変化しないのでしょうか?
途上国が自国の貧困問題などを解決するために、経済発展に価値を見出して先進国の援助を受け続ける限り、一向に経済格差は埋まらず、さらに先進国に巧妙に資本を搾取されるだけだと思うのですが。
まさにおっしゃるとおりだと思います。
これは資本主義という経済体制に内在する限界、矛盾そのものだと思います。
もともと市民革命は中産階級が自由な経済活動を求めておこしたという面があります。
生産手段を自由に所有する資本主義制度は身分制度に縛られない自由な個人が前提となります。自由な個人が自由に生産手段を得、あるいは労働力を売り、競争によってなりたっていくのが資本主義経済、市場経済です。
資本主義をつきつめたのが新自由主義です。
しかし規制のない自由な市場経済は弱肉強食の世界、やがて勝ち組と負け組がはっきりと分離してきます。
富める者、強い者は、より豊かに強くなり、貧乏人は一度落ちたら二度と這い上がれず搾取され続けるワーキングプアになってしまう強固な仕組みができあがります。(日本では中曽根あたりから顕著になり始め、これを強力に推進したのが小泉です)
これでは実質封建時代の身分制と代わりありません。
資本主義は自由を追い求めるところから出発しながら、放っておけば再び自由のない権利を虐げられた一種の身分制に戻っていってしまうという皮肉な運命を背負っているようです。
この皮肉な運命が資本主義に内在する限界、矛盾だと思います。移民の搾取、先進国による発展途上国の搾取もこうした資本主義の矛盾の表れだと思います。
かといって生産手段を国有し市場経済でなく計画経済にする共産主義が無理であることは既に歴史が証明していますね。
北欧はもちろん資本主義社会ですが、社会民主主義が根付いています(社会民主主義はよろしければこちらを参考にしてください。http://goo.gl/BVNyS)。そういう社会では新自由主義社会よりもはるかに仰るような問題に対応できるのではないでしょうか。
残念ながらほんのひとりのレイシストにより痛ましいテロが起きてしまいましたが、このノルウェーの女性もレイシズムの問題はなかったと言っています。
多文化主義の実現は言うほど楽ではないでしょう。正直、どうしたらいいのか一朝一夕には答えが見つからないものも多くあります。
私の好きな言葉に「平和とは、存在するものではなく、作っていくもの。平和とは終わりなき闘いである」
というコスタリカの元大統領夫人の言葉があります。
平和には「もうこれですべて解決、もう何もしなくてよい」というようなゴールはありません。常に立ち止まらず新たに建設していかなくてはならないのです。
民主主義も同じだと思います。
ごんさんのように物事の本質を見ることができるような高校生がいらしてくれて元気づけられます。
どうぞこれからも遠慮なく遊びにいらしてください。
「これが世界の流れだ」って印象操作
移民に苦しむ多くの欧州諸国(主要国の移民政策の失敗宣言や、サイレントマジョリティーのささやかな訴え)を見れば、これをどこまで信じてよいのかわからない。
むしろそうした発言を押さえ込んでいる可能性すらある。
経済の一パーツとして移民が推進されたのに、そこに幻想的な多文化共生というオブラートがかぶさる。
異文化同士の急激な人工的な遭遇が多くの軋轢を産む事は火を見るより明らかなのに、それに異を唱えるとレイシストの烙印を押され、パージされる。そんな多文化共生ファシズムと言うべき現状があるのではないだろうか。
無理なもんは無理。合わないものは合わない。距離を取り、割り切って付き合い、お互いの衝突を避け、その上で妥協点や交流を持つ事の方がより賢く理性的ではないだろうか。
だから、”大多数、いえ、ほとんどのノルウェー人の思い”だとはおもわない。