国と国民が一丸となって被災地・・・いいえ、東電の復興を支援します!
- 2011/08/09
- 15:00
国民負担で東電救済
3ルートで公的資金
参院復興特別委員会で2日、可決された原子力損害賠償支援機構法案。
福島第一原発事故の賠償えお迅速に行うスキーム(枠組み)、といいますが、国民負担で、事故を起こした東京電力を救済する異様な事態が浮かび上がっています。その仕組みをみてみました。
Q.どんな仕組み?
A.原子力賠償支援機構を設立し、政府が出す資金などを使って東電を救済します。
その資金の出し方は①交付国債の発行②機構への融資に政府保障をつけるなどがあります。その額は、第二次補正予算に盛り込まれたものだけでも、国債の発行限度額2兆円と政府保障2兆円など総額4兆円にも及びます。
民自公三党の修正によって、三つ目の税金投入の仕組みが作られました。
機構への直接資金投入です。2兆円の交付国債が足りなくなればいくらでも直接投入が可能に。東電の資産買い取りまで盛り込まれています。
閣議決定では、東電を存続させることを大前提に、「必要があれば何度でも援助する」と規定しています。東電の大株主や大銀行などの負担と責任はいっさい問いません。
さらに見逃せないのは、「原子炉の運転等に係る事業の運営の円滑な確保」を目的にうたい、将来にわたる原発事業の継続を前提にしていることです。安全神話をふりまいて原発を推進し、事故を引き起こした反省に立って原発からの撤退を決断し、期限を切った取り組みをすることこそ必要です。
Q.誰が責任とる?
A.東電は実質的に債務超過、実質破たんしていると見るべきです。破たん企業なら通常、法的整理で資産のほか、株主、大銀行など利害関係者に最大限の負担を求めます。
ところが法律では東電が株主などに「協力を要請する」としているだけで、負担を義務づけるものとはなっていません。
事実上、際限のない税金投入や不良債権の買い取りなど国民負担を強いる仕組みになっています。
国民負担によって株式上場を維持し、東電とともに大株主で巨額の金融債権を持つ三井住友銀行などメガバンクを救済しようというのです。
そのうえ法案修正で聞こうが賠償の本払いと仮払いをすることができるようになりました。資金援助の前提となる特別事業計画も仮払いには必要ないため、東電は賠償資金から支払い実務まで何もせず、すべて国が面倒をみるということになりまねません。
(引用ここまで)
東電は一私企業ですから、本来なら東電がたとえ債務超過で倒産したとしても東電が賠償責任を負うべき問題です。どこかの中小企業が不法行為で莫大な損害賠償責任を負ったとき、国家が税金でその債務を肩代わりしてくれるでしょうか?そんなことはありえません。
今回の損害賠償責任は東電が全責任を負うのが筋です。
しかし原発推進は国策でもありましたし、東電の被害者への支払いが途中で不可能になったら被害者には我慢してもらう、というわけには行きません。被害者は最後の一人まできっちり補償されることが最優先です。
原子力損害賠償支援機構法案は被害者保護が目的の法であって、必要以上に東電を保護する法であってはなりません。この法律は、東電が支払えなくなることによって被害者が更なる被害をこうむることのないように国が補充するのが目的のはずです。いったんは国に肩代わりしてもそれはいわば第三者弁済、東電は肩代わり分を国に返済し果たすべき責任は果たすべき、それゆえ倒産してもやむなしです。
ところがこの法律は被害者保護のついでに東電が本来負うべき責任を免除して国が税金で肩代わりするかのごとく。被害者救済ではなく東電救済がメインであり原発もそのまま残すことが前提ですから、原発事故への反省のかけらもないと批判されてもおかしくないです。しかもその額たるや半端ではありません。
なぜ東電が負うべき責任を「我々の血税」で肩代わりしなくてはならないのでしょう?これは、なぜ生活保護費を我々の血税から負担してやらねばならないんだ、と怒るよりも、よほど怒りがいがあるというものです。
「責任」といえば被災者はこんなことを「自己責任」として背負わなくちゃいけないのか、まったく加害者である東電に対しての至れり尽くせりとは大違い、と言わざるを得ないのがこちらです。
◆マガ9
雨宮処凛がいく
「自主避難」は「自己責任」なのか? の巻
http://www.magazine9.jp/karin/110803/
(引用開始)
そんなデモの2日前の7月29日、文部科学省で12回目の「原子力損害賠償紛争審査会」が開催されたことをご存知だろうか。これはその名の通り、今回の原発事故で損害をこうむった人々への賠償について話される場。この日、中間指針が出されることになっていたのだが、そこで注目されていたのが「自主避難の人たちへの補償が置き去りにされるのではないか」ということだった。
ご存知のように、政府は20キロ圏内を警戒区域として避難指示を出し、20キロ圏外でも放射線量が年間20ミリシーベルトを超えると推計される場所を計画的避難区域、特定避難勧奨地点に指定し、避難を促している。
しかし、それ以外の地域だって「安全」である保証はまったくない。「20ミリシーベルト以下」という基準がそもそも高すぎるし、各地にホットスポットは点在している。30キロ圏外だって、場所によっては警戒区域より放射線量が高い場所だってあるのだ。
そんな状況を受け、福島では多くの人が自主避難を余儀なくされている。しかし、強制的な避難と違い、自主避難には今のところ補償や賠償についてはまったく確定していない。人によっては建てたばかりの家のローンがあり、避難生活が長引いている人の中には貯金が底をついている人もいる。また、自主避難の人は義援金や東電の仮払い金の支給対象になっていない。その上、子どもだけを避難させて二重生活、という人もいる。総数すら正確にはわからない。
「とにかく子供を被曝させたくない」という一心で自主避難した/させたのに、このままでは「勝手に避難したんだから自己責任」ということにされてしまうのではないか? ということで、この日、紛争審査会(なんかすごい名前だな)が今まさに始まろうとしている文部科学省前で、福島から自主避難している人たちがアピールを行ったのだ。
8歳と11歳の子どもがいるというシングルマザーの女性は、言った。
「金銭的な余裕はありません。でも、子どもの命を優先に考え、山形に避難しました。子どもの命、健康にかえられるものはありません。だけど、仕事を捨てて今まで住み慣れた土地を捨てて避難するということがどれだけ精神的にも金銭的にもキツいのか、当事者にしか絶対にわからないことだと思います。お金がないから逃げられない、避難できないお母さんたちは本当にたくさんいます。誰も好き好んで福島から離れるわけではありません」
続いた彼女の言葉に、「自主避難」という言葉に隠されている現実を思い知った。
「去年の今の時期は、子どもたちと近所の河原で遊んでいました。みんな仲良くてサッカーや野球をしたり虫をとったりしていました。それがこの先もう二度とできません。もう二度と去年までの生活には戻りません。収束していない福島原発からは毎日毎日煙が上がっています。なのに、自主避難は『勝手に避難しただけ』という扱いにされるのは本当に憤りを感じます」
福島市に住んでいたというこの女性は、7月はじめに自主避難に踏み切ったのだという。それまではパートで働き暮らしていたものの、現在は先月のお給料で2人の子どもを抱え、なんとか暮らしている状態。避難先での仕事はまだ見つかっていないという。赤十字からの家電セットなどの支援はあったものの、これからの生活の見通しは立っていない。
また、同じく自主避難中の男性は、「幸い自分は貯金があったからなんとかなった」ものの、「お金がないと移動もできない、避難してもその後の生活ができるのかという不安」が多くの人にとって壁となっていることを訴えた。
原発事故から既に5ヶ月近く。事故の直後には、東京に住む私の周りの人たちも、少なくない数が関西などに避難した。今は多くの人が東京に戻っているが、考えてもみてほしい。強制避難、自主避難にかかわらず、福島の人たちはそれから5ヶ月近く、ずーっと自分の住む場所に戻れず、場合によってはあちこちを転々としながらの生活が続いているのである。ここに「強制だから補償する」「勝手に避難したんだから補償しない」などといった線引きは絶対にあってはならないことだと思う。なぜなら、自主避難に踏み切った人の多くは「政府の言うことがまったく信用できない」という誰もが納得する理由が避難の引き金になっているからだ。
この日、紛争審査会にあてて提出されている福島の人たちからの意見書には、あまりにも切実な訴えが綴られていた。
「ただちに健康に影響がない、とか、メルトダウンしていないとか、ウソをつき隠し事をしたことで、福島の子どもたちが避けられた被曝をしました。情報のない人たちは、今も被曝し続けていて、これは取り返しがつかないです」
「事故後に何もしなかった元社長に退職金出すなら、自主避難を余儀なくされている家庭にもお金をください。義援金も、一時仮払いも、被災支援品も何もない状態で4ヶ月。東電に家宅捜索に入らないなら許しません。何もかも」
「汚染され価値のない土地になったにもかかわらず国の過小評価によって避難地域になってないことから払わなくてはいけない固定資産税や住宅ローン。(中略)私の子どもはもらうだけの内部・外部被曝をしています」
また、原発から50キロという地点でも、とてつもない恐怖に直面していたことを改めて思い知った。
「3月15日、高濃度放射線量でヨウ素剤が配布され、屋内退避するように広報車が伝えていた。店は閉まり、人も車もほとんど見えなくなり、隣近所の人が次々と自主避難され、不安と恐怖を感じました。(中略)あのような状況下、原発から50キロ圏内の者でも避難するのはごく当然です。避難に要した直接の費用、交通費、住居費などは補償するべきと思います」
一方、避難できない人たちの声も切実だ。
「駐車場で10マイクロシーベルト以上。家の中ですら0.5マイクロシーベルト前後あります。(中略)逃げなくてはならない状況なのに、良くない可能性があるのに国も県も逃げなくて大丈夫だけど気をつけて生活しろと言います。おかしすぎます」
意見書からは、そんな状況の背景にある国の思惑も浮かび上がってくる。
「既に報道されている伊達市に加え、福島市も、放射線量が高い区域は多々存在する。ところが、県庁所在都市であるゆえか、福島市を避難区域から外そうとする意図が感じられる。原発立地点から半径30キロ圏内よりも、放射線量が高い区域があるにも関わらずである」「福島市や郡山市といった線量の高い地区を補償の対象にしないのは、人口が多すぎて補償がしきれないという意図が見え見えです」
なんとなく、「自主避難」問題の全体像が見えてきたのではないだろうか。
もちろん、20キロ圏内などの避難地域の人たちも大変な思いをしている。しかし、「強制」と「自主」という言葉で「自己責任の線引き」をしてしまうことは、決してあってはならないことだと思うのだ。
そうしてこの日、紛争審査会で示された中間指針(案)には、自主避難者への補償は盛り込まれなかった。
この中間指針、8月5日にまとまる予定だという。
自主避難の人を見捨てるのか、見捨てないのか、国の態度を見極める大きな判断基準となるだろう。
ぜひ、注目していてほしい。
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- 2011/08/18(18:29)
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