コメント
対象が国民だからどうした
国民の為を思えば、公共性高い式典を妨げるような行為は行えない。
国家だろうが国民だろうが、関係の無いこと。
まさにKYであり、モラルハザードであり、マナー違反。
同意する余地はありませんね。
国家だろうが国民だろうが、関係の無いこと。
まさにKYであり、モラルハザードであり、マナー違反。
同意する余地はありませんね。
>名無しさん
まずコメントする前に「コメント・トラックバックについてのご注意」をお読みくださいね。必ずお読みくださいと大文字で書いてありますから。
実はあなたのようなコメントが来ないかと手ぐすね引いてお待ちしていました(笑)
この記事の主題は何ですか?わかります?
記事内から抜粋すると“君が代問題で「命令を聞けないなら公務員やめろ」と攻撃するのは一種のルサンチマンであり、小泉時代から続いている「公務員叩き」の延長という側面もあると思う”という心理分析なのです。
公務員が「国民の為を思えば、公共性高い式典を妨げるような行為は行えない。」とか「モラルハザードであり、マナー違反。」といった話はこの記事には全く関係ないんですよ。
しかし国旗国歌を無理矢理強制したがる類の人々というのは、コメント欄にやってきて、その記事内容に関係あろうがなかろうがとにかく自分の言いたいことを喚いていく、という「一発型」の困った傾向がみられます。
で、この記事にもきっと記事内容と関係ない「公務員なら君が代歌え!マナー違反だ!キイキイ!」というおよそ明後日の方向向いた愚かなコメントが来るだろうと期待していました。
期待通りの反応をありがとうございました。
実はあなたのようなコメントが来ないかと手ぐすね引いてお待ちしていました(笑)
この記事の主題は何ですか?わかります?
記事内から抜粋すると“君が代問題で「命令を聞けないなら公務員やめろ」と攻撃するのは一種のルサンチマンであり、小泉時代から続いている「公務員叩き」の延長という側面もあると思う”という心理分析なのです。
公務員が「国民の為を思えば、公共性高い式典を妨げるような行為は行えない。」とか「モラルハザードであり、マナー違反。」といった話はこの記事には全く関係ないんですよ。
しかし国旗国歌を無理矢理強制したがる類の人々というのは、コメント欄にやってきて、その記事内容に関係あろうがなかろうがとにかく自分の言いたいことを喚いていく、という「一発型」の困った傾向がみられます。
で、この記事にもきっと記事内容と関係ない「公務員なら君が代歌え!マナー違反だ!キイキイ!」というおよそ明後日の方向向いた愚かなコメントが来るだろうと期待していました。
期待通りの反応をありがとうございました。
国旗国歌が嫌ならプライベートで好きなだけ批判すれば良かろう。
公務員だから職務命令違反が非難されるわけではない、
どのような職種であろうと職務よりプライベートな主張を優先させれば批難される。
公務員と一般会社員で違うことといえば、
その職務命令違反に対する罰則が、
法律で規定されるか社内規定にとどまるかの違い。
公務員だから職務命令違反が非難されるわけではない、
どのような職種であろうと職務よりプライベートな主張を優先させれば批難される。
公務員と一般会社員で違うことといえば、
その職務命令違反に対する罰則が、
法律で規定されるか社内規定にとどまるかの違い。
おやおや
私の上のコメントにもかかわらず、再度同じ的外れなコメントが(爆)
日本語が読めないのでしょうか?
これでは国旗国歌強制論者の方々って非常に残念な方々だと自分で宣伝してるようなものだと思うのですけれど。
日本語が読めないのでしょうか?
これでは国旗国歌強制論者の方々って非常に残念な方々だと自分で宣伝してるようなものだと思うのですけれど。
地方公務員法読んだ方がいいと思う
>キリタンポさん
地方公務員法のどこでしょう?
記事自体にはそれなりの論理を感じるけど、
コメントへの反応が「自分の主張を相手が
しっかり読んでくれるという前提」に基づいて
そこから逸れるものを全て叩き潰してやろう
という悪意を感じるので素直に同意できないです
コメントへの反応が「自分の主張を相手が
しっかり読んでくれるという前提」に基づいて
そこから逸れるものを全て叩き潰してやろう
という悪意を感じるので素直に同意できないです
>公務員がお仕えすべきなのはお上・国家ではなく国民なのです。
違います。
すべて公務員は、国民に仕えるのではなく、全体に仕えなければなりません。
違います。
すべて公務員は、国民に仕えるのではなく、全体に仕えなければなりません。
あなたの理論では、公務員は国民全体の奉仕者であるといった。
しかし、国民が国旗や国歌を否定する公務員を見て、
これが日本国民全体の奉仕者であると胸を張って、他国の人に言えるのであろうか。
しかも、我々の国家は民主主義を採用している。
国家を動かすのは間接的であるとしても、我々国民なのである。
その国家の規則も守れない公務員が我々国民の多種多様な要望に応えられると、日本国民はどうして思うのか。
しかし、国民が国旗や国歌を否定する公務員を見て、
これが日本国民全体の奉仕者であると胸を張って、他国の人に言えるのであろうか。
しかも、我々の国家は民主主義を採用している。
国家を動かすのは間接的であるとしても、我々国民なのである。
その国家の規則も守れない公務員が我々国民の多種多様な要望に応えられると、日本国民はどうして思うのか。
>国民が国旗や国歌を否定する公務員を見て、
これが日本国民全体の奉仕者であると胸を張って、他国の人に言えるのであろうか。
欧米では割と普通みたいですよ。国旗国歌が否定されるの。ロシアなんか歌詞をまるまる変えてますし。ドイツは国歌の一番はタブー。フランスでも・・・て言い出したらキリがないです。
むしろ、世界から見たら、「なんでそこまでして強制すんの?」という意見が出て来ると思うんですが。これが民主主義の政府のすることか?と。
これが民主主義の国であると、胸を張って世界にいえるのか、むしろ私はそっちの方が心配だが。
他国ってどこでしょうか?北朝鮮あたり?
これが日本国民全体の奉仕者であると胸を張って、他国の人に言えるのであろうか。
欧米では割と普通みたいですよ。国旗国歌が否定されるの。ロシアなんか歌詞をまるまる変えてますし。ドイツは国歌の一番はタブー。フランスでも・・・て言い出したらキリがないです。
むしろ、世界から見たら、「なんでそこまでして強制すんの?」という意見が出て来ると思うんですが。これが民主主義の政府のすることか?と。
これが民主主義の国であると、胸を張って世界にいえるのか、むしろ私はそっちの方が心配だが。
他国ってどこでしょうか?北朝鮮あたり?
そういう心理にある人もいるのだろうけど・・。
>公務員は憲法に忠実に従い、国民のために職務を遂行する存在
「国民のための職務」の中に、国旗、国歌に尊厳を払うことが公務員の職務に含まれていると考える人(=国民)が多いだけではないかと。
そう考える集合の中に、指摘された心理状態にある人も何%かいるだけの話ではないかと思います。その何%の人たちは、発言力はありそうだけど。だから、「彼ら」(=何人位?、結構少ないのでは?)から「よく聞く」(=記憶に残ったのかorそういう記事が目についた)と感じたのでしょう。
「国民のための職務」の中に、国旗、国歌に尊厳を払うことが公務員の職務に含まれていると考える人(=国民)が多いだけではないかと。
そう考える集合の中に、指摘された心理状態にある人も何%かいるだけの話ではないかと思います。その何%の人たちは、発言力はありそうだけど。だから、「彼ら」(=何人位?、結構少ないのでは?)から「よく聞く」(=記憶に残ったのかorそういう記事が目についた)と感じたのでしょう。
>AGEN氏
確かに式典で歌わないところも多々あるだろう。
フランスのラ・マルセイエーズは国歌としてかなり過激である。
しかし、否定することはない。
国際マナーなのである。常識である。
他の国のましてや、自らの国旗や国歌に敬意を払うことなど
普通なのである。
マナーを守れるかどうか、それだけなのである。
確かに式典で歌わないところも多々あるだろう。
フランスのラ・マルセイエーズは国歌としてかなり過激である。
しかし、否定することはない。
国際マナーなのである。常識である。
他の国のましてや、自らの国旗や国歌に敬意を払うことなど
普通なのである。
マナーを守れるかどうか、それだけなのである。
patさんへ
よこから失礼します。
最後は、マナーに落ち着きましたか。
公務員は、全体の奉仕者である前に、市民なのです。市民の良心の自由を守るというのは、民主主義を語る場合の前提なのです。公務員は全体の奉仕者であるから、良心の自由がないということを他国の人に言うと、日本は遅れた国だと思われるでしょう。念のために、全体の奉仕者とは、一部の為に奉仕するのではなく、全体に区別なく職務を全うするということです。そこに国民の信頼が生まれるのです。
日の丸・君が代問題は、日本が真に民主主義の社会であるかどうかのリトマス試験紙です。また多様性を認めない不寛容の精神は、民主主義を破壊していく因子となるでしょう。
最後は、マナーに落ち着きましたか。
公務員は、全体の奉仕者である前に、市民なのです。市民の良心の自由を守るというのは、民主主義を語る場合の前提なのです。公務員は全体の奉仕者であるから、良心の自由がないということを他国の人に言うと、日本は遅れた国だと思われるでしょう。念のために、全体の奉仕者とは、一部の為に奉仕するのではなく、全体に区別なく職務を全うするということです。そこに国民の信頼が生まれるのです。
日の丸・君が代問題は、日本が真に民主主義の社会であるかどうかのリトマス試験紙です。また多様性を認めない不寛容の精神は、民主主義を破壊していく因子となるでしょう。
地方公務員法
服務規程あたりにありますね。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO261.html
第三十条、第三十二条、第三十五条が該当するかと。第三十三条もかな?
式典で起立を拒否する教職員がこれらを故意に無視しているのは明白ですね。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO261.html
第三十条、第三十二条、第三十五条が該当するかと。第三十三条もかな?
式典で起立を拒否する教職員がこれらを故意に無視しているのは明白ですね。
あと
> 不起立者に対して既にたくさんの処分が下ってきた今、「身分保障があるから大丈夫」なんて安心して起立命令に反抗する教員なんているわけありません。
実はそうでもないんですね。
「不起立界のジャンヌ・ダルク」などと呼ばれている某女史の処分歴をご覧になると分かりますが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E5%85%AC%E5%AD%90
上司の命令違反をこんなに繰り返せるのは公務員くらいなものです。
普通の会社員だったら最初の2、3回で辞めさせられてますから。
あと、東京都には不起立を理由とした処分や再雇用拒否の撤回を不服として裁判を起こした教職員が数百名にのぼっています。
実はそうでもないんですね。
「不起立界のジャンヌ・ダルク」などと呼ばれている某女史の処分歴をご覧になると分かりますが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E5%85%AC%E5%AD%90
上司の命令違反をこんなに繰り返せるのは公務員くらいなものです。
普通の会社員だったら最初の2、3回で辞めさせられてますから。
あと、東京都には不起立を理由とした処分や再雇用拒否の撤回を不服として裁判を起こした教職員が数百名にのぼっています。
思考停止
PATさんへ
マナーか否かどうかの議論ではありません。
マナーに行き着くのは論点のすり替えです。
そうではなくて、
“国旗国歌への拝礼、斉唱の強制の可否”が論点です。
公務員であれなんであれ、こんなことを許している国は、
現代の先進諸国の中で一国たりともありませんよ。
あるというのなら一国でもあげて御覧なさい。
こんなことを許しているということ自体が、日本及び日本の司法の後進性の
証左なのです。
ちなみにアメリカでは、米国では国家の象徴に対して着席していることに対する
人権保障が判例によって確立しています。
その先駈けとなったバーネット裁判において判事を務めたジャクソン判事は、
以下のように述べています。
『異なる意見をもつ自由とは、ささいな事柄に限られるものではない。
それは自由の影にすぎない。その実質を試す試金石となるのは、
現存の秩序の核心に触れるような事柄に対してすら、
異なる意見をもつことができるという権利である。
私たちの星座にあるのが動かない恒星だとしても、
当局者(高位であれ下位であれ)が政治やナショナリズム、宗教その他、
見解の分かれる問題について何が正統であるかを規定したり、
市民に対して言葉もしくは行動による信仰の告白を強制したり
できるということにはならない。
私たちは、国旗への敬礼と誓いを強制しようとする地元当局の行動は、
憲法によるその権力の規制を超えるものであり、あらゆる公的支配のおよばない
合衆国憲法修正第一条が目的とする、自由な知性と精神の領域を侵すものだと考える』
この様に在るとおりです。
また、
ギイ・モケの手紙というのは御存知でしょうか。
これはフランスのレジスタンスの闘士で17歳にしてナチスによって処刑された少年なのですが、彼が死を前にして綴った名文があるのですね。この内容は大変感動的なものなのですが、サルコジ大統領は就任早々に、ギイ・モケの命日の日に全国の高校で、この手紙を朗読させることを義務化することを決めたのです。
しかしこの手紙を利用しての政治的儀式化、つまり、これを政治利用、ナショナリズムを喚起するための利用であるとして、全国の学校現場で反発が起こりました。そして、サルコジはギイ・モケの母校である高校に訪問予定であったにも関わらず、
同校から抗議文を突きつけられキャンセルを余儀なくされました。
母校の生徒たち及びOBは、教師たちに対して以下の声明を伝えました。
『……あなたがたの中には、国家の命令に従うのが公務員の義務だと
思う人がいるかもしれません(そして、それがいちばん楽でしょう)が、
私たちが従うべき唯一のものは、自分自身の良心です。あなたがた教師は、
手本としてそれを私たちに示すべきです。時には、
より高い理想のために命令に背くことが必要とされるのです。』
そして、教師たちは総会を開いて、大統領と教育省の命令を拒否する声明を
可決しました。結局、ギイ・モケの手紙を強制することに対して、
職務命令とはいえ、強制化ましてや処罰化などあちらでは許さない状況があるのです。民主主義と自由主義とはそういうものです。
公務員なんだから上司の命令に従うのは当たり前とかそういうテンプレートコメントを目にしますが、命令の内容も問わず、命令だから黙って従えというのでは、
まさに全体主義的発想でしょうに。(苦笑)
そういう思考停止がまだまだ日本においては多々見受けられるのは、
この国の民主主義の後進性に他ならないと思います。
マナーか否かどうかの議論ではありません。
マナーに行き着くのは論点のすり替えです。
そうではなくて、
“国旗国歌への拝礼、斉唱の強制の可否”が論点です。
公務員であれなんであれ、こんなことを許している国は、
現代の先進諸国の中で一国たりともありませんよ。
あるというのなら一国でもあげて御覧なさい。
こんなことを許しているということ自体が、日本及び日本の司法の後進性の
証左なのです。
ちなみにアメリカでは、米国では国家の象徴に対して着席していることに対する
人権保障が判例によって確立しています。
その先駈けとなったバーネット裁判において判事を務めたジャクソン判事は、
以下のように述べています。
『異なる意見をもつ自由とは、ささいな事柄に限られるものではない。
それは自由の影にすぎない。その実質を試す試金石となるのは、
現存の秩序の核心に触れるような事柄に対してすら、
異なる意見をもつことができるという権利である。
私たちの星座にあるのが動かない恒星だとしても、
当局者(高位であれ下位であれ)が政治やナショナリズム、宗教その他、
見解の分かれる問題について何が正統であるかを規定したり、
市民に対して言葉もしくは行動による信仰の告白を強制したり
できるということにはならない。
私たちは、国旗への敬礼と誓いを強制しようとする地元当局の行動は、
憲法によるその権力の規制を超えるものであり、あらゆる公的支配のおよばない
合衆国憲法修正第一条が目的とする、自由な知性と精神の領域を侵すものだと考える』
この様に在るとおりです。
また、
ギイ・モケの手紙というのは御存知でしょうか。
これはフランスのレジスタンスの闘士で17歳にしてナチスによって処刑された少年なのですが、彼が死を前にして綴った名文があるのですね。この内容は大変感動的なものなのですが、サルコジ大統領は就任早々に、ギイ・モケの命日の日に全国の高校で、この手紙を朗読させることを義務化することを決めたのです。
しかしこの手紙を利用しての政治的儀式化、つまり、これを政治利用、ナショナリズムを喚起するための利用であるとして、全国の学校現場で反発が起こりました。そして、サルコジはギイ・モケの母校である高校に訪問予定であったにも関わらず、
同校から抗議文を突きつけられキャンセルを余儀なくされました。
母校の生徒たち及びOBは、教師たちに対して以下の声明を伝えました。
『……あなたがたの中には、国家の命令に従うのが公務員の義務だと
思う人がいるかもしれません(そして、それがいちばん楽でしょう)が、
私たちが従うべき唯一のものは、自分自身の良心です。あなたがた教師は、
手本としてそれを私たちに示すべきです。時には、
より高い理想のために命令に背くことが必要とされるのです。』
そして、教師たちは総会を開いて、大統領と教育省の命令を拒否する声明を
可決しました。結局、ギイ・モケの手紙を強制することに対して、
職務命令とはいえ、強制化ましてや処罰化などあちらでは許さない状況があるのです。民主主義と自由主義とはそういうものです。
公務員なんだから上司の命令に従うのは当たり前とかそういうテンプレートコメントを目にしますが、命令の内容も問わず、命令だから黙って従えというのでは、
まさに全体主義的発想でしょうに。(苦笑)
そういう思考停止がまだまだ日本においては多々見受けられるのは、
この国の民主主義の後進性に他ならないと思います。
>名無しさんへ
上記の私のコメントは名無しさんのコメントに対するレスにも
なっています。
なお、こちらのブログのコメントに関する説明書きには、
『ハンドルネームは固定して下さいますようお願い致します。
捨てハンドルはご遠慮下さい。通りすがり、通行人といった類の
ハンドルも捨てハンとみなします。また、名無しのままの投稿もおやめください。
これらの投稿は表に出さない場合があります。』
このように書かれています。
ですので、固定したHNをつけるべきでしょうね。
上記の私のコメントは名無しさんのコメントに対するレスにも
なっています。
なお、こちらのブログのコメントに関する説明書きには、
『ハンドルネームは固定して下さいますようお願い致します。
捨てハンドルはご遠慮下さい。通りすがり、通行人といった類の
ハンドルも捨てハンとみなします。また、名無しのままの投稿もおやめください。
これらの投稿は表に出さない場合があります。』
このように書かれています。
ですので、固定したHNをつけるべきでしょうね。
名無しさんへの追伸
>上司の命令違反をこんなに繰り返せるのは公務員くらいなものです。
>普通の会社員だったら最初の2、3回で辞めさせられてますから。
たとえば、社員研修や会社の創立記念日に際して、社歌を斉唱する会社が
あるとしますね。その際に、あるAという社員が、
どうしても宗教的な理由により、歌えない内容があるとして斉唱を拒んだとして、
それを理由に辞めさせる会社など、ロクな会社じゃないですよ。(笑)
営業職であれば営業、商品開発担当であれば新商品の研究開発、経理担当であれば
会計処理、人事担当であれば人事管理など、その職務の本分に関わる内容であれば、
そこを怠っているのであれば処分も妥当ですが、社歌の斉唱など枝葉末節に過ぎません。どうしても思想良心によって歌えないのならば仕方ありません。
それを理由に辞めさせたりする会社など全体主義的なロクでもない会社です。
あなたは、日本を全体主義的な国にしたいのかな。
日本を民主主義と自由主義の先進国にしたいのか?
それとも、
後進国でいいのか?
その選択肢において、私は前者に立つので君が代強制化&処罰化などは大反対です。
>上司の命令違反をこんなに繰り返せるのは公務員くらいなものです。
>普通の会社員だったら最初の2、3回で辞めさせられてますから。
たとえば、社員研修や会社の創立記念日に際して、社歌を斉唱する会社が
あるとしますね。その際に、あるAという社員が、
どうしても宗教的な理由により、歌えない内容があるとして斉唱を拒んだとして、
それを理由に辞めさせる会社など、ロクな会社じゃないですよ。(笑)
営業職であれば営業、商品開発担当であれば新商品の研究開発、経理担当であれば
会計処理、人事担当であれば人事管理など、その職務の本分に関わる内容であれば、
そこを怠っているのであれば処分も妥当ですが、社歌の斉唱など枝葉末節に過ぎません。どうしても思想良心によって歌えないのならば仕方ありません。
それを理由に辞めさせたりする会社など全体主義的なロクでもない会社です。
あなたは、日本を全体主義的な国にしたいのかな。
日本を民主主義と自由主義の先進国にしたいのか?
それとも、
後進国でいいのか?
その選択肢において、私は前者に立つので君が代強制化&処罰化などは大反対です。
>確かに式典で歌わないところも多々あるだろう。
フランスのラ・マルセイエーズは国歌としてかなり過激である。
しかし、否定することはない。
国際マナーなのである。常識である。
矛盾しているような気がしますが・・・。
jeanvaljeanさんやフリスキーさんがおっしゃられてる通り、これは別にマナー云々の問題ではないです。強制することについての話です。以前、そういうこと書いたら、式典で服を着るか着ないかのマナーとかいう頓珍漢な事について議論しだす人もいましたが・・・。
>確かに式典で歌わないところも多々あるだろう。 と言っておられるのに、>国際マナーなのである。常識である。とはどういうことでしょうか。“多々”以外のどこかが敬意を払ってるってことをおっしゃりたいようですが、それってどこでしょう?
フランスのラ・マルセイエーズは国歌としてかなり過激である。
しかし、否定することはない。
国際マナーなのである。常識である。
矛盾しているような気がしますが・・・。
jeanvaljeanさんやフリスキーさんがおっしゃられてる通り、これは別にマナー云々の問題ではないです。強制することについての話です。以前、そういうこと書いたら、式典で服を着るか着ないかのマナーとかいう頓珍漢な事について議論しだす人もいましたが・・・。
>確かに式典で歌わないところも多々あるだろう。 と言っておられるのに、>国際マナーなのである。常識である。とはどういうことでしょうか。“多々”以外のどこかが敬意を払ってるってことをおっしゃりたいようですが、それってどこでしょう?
名無しさんはじめとする方々は私の「公務員に対するルサンチマン説」「公務員叩き説」の補強をしにいらしてくれたのでしょうか
>普通の会社員だったら最初の2、3回で辞めさせられてますから
ほんの数回君が代なり社歌なり歌うの拒否したら民間ではクビ?
もしそんなことしたら解雇権乱用で雇い主はまず敗訴しますよ。とんでもないブラック企業ですね。
勤め先に職務規定があるのは民間だろうが公的機関だろうが当たり前のことです。
ですが、もし民間企業で上司が「素っ裸になって町中走ってこい、社運がかかっているのだ」と命令したらあなたは従うのですか?もし上司が「毎朝将軍様のご真影に向かって敬礼しマンセーせよ、職務命令である」と命じても?
それを拒否して解雇されたら、あなたは命令に従わない自分が悪かったと思うのですか?
あなたが民間か公的機関かどこにおつとめか存じませんが、服務規定があるからと言って雇われ労働者は魂まで売り渡す訳じゃないでしょう?
なのにここに反論にいらした方々は、公務員に対しては、というか、むしろ公務員だからこそ民間よりも厳しく「命令に従うべきだ」って仰ってるも同然ですよね?
仮に会社の朝礼で社歌なり君が代なり歌う時間があって、歌わず沈黙してたらクビになったとしましょう、それ、雇い主は敗訴しますよ。なのに公務員ならクビになっても文句言えないと?
てことは、公務員は民間よりももっと厳格に「上の命令は絶対」って考えてるって事ですよね?
どうしてです?
やっぱりどこかで「公務員とは国家の命令通りに動かねばならない国家の下僕奴隷のような存在であるべきだ。だから職務命令は絶対なのだ」とイメージしてるからじゃないですか?
そうでなきゃ「国旗、国歌を否定するなら、公務員を辞めろ!」(ちなみにこれは橋下閣下のお言葉です)とみたいに「職務命令ならどんなものでも有無を言わず従え」みたいな民間以上の厳格な命令服従を求めたりしないはずですよ?
それこそまさに私がこの記事で述べた「公務員に対するルサンチマン説」「公務員叩き説」を証明してるではありませんか。
ですからここに反論にいらした方は、皮肉なことにわざわざ私の「公務員叩き説」の正しさを証明しに来てくれたとしか思えないのです。
で、もう一度認識していただきたいのですが、私はここで公務員であっても国家を歌わない自由はある云々について直接述べてるわけではありません。あくまで公務員に「職務命令なら(たとえどんなもんだって)従え」と言いたがる背後には「民間だって理不尽な命令をいろいろ我慢してるんだぞ」というルサンチマンや「公務員叩き」の心理が横たわってるのではないか、というのが主題なのです。
ですから「職務命令に従え厨」はここでは見当違いのコメントなのです。
名無しさんをはじめとする国旗国歌強制論者の方々は、そういうコメントはそういうことに関して述べているエントリーにて行ってください。
ほんの数回君が代なり社歌なり歌うの拒否したら民間ではクビ?
もしそんなことしたら解雇権乱用で雇い主はまず敗訴しますよ。とんでもないブラック企業ですね。
勤め先に職務規定があるのは民間だろうが公的機関だろうが当たり前のことです。
ですが、もし民間企業で上司が「素っ裸になって町中走ってこい、社運がかかっているのだ」と命令したらあなたは従うのですか?もし上司が「毎朝将軍様のご真影に向かって敬礼しマンセーせよ、職務命令である」と命じても?
それを拒否して解雇されたら、あなたは命令に従わない自分が悪かったと思うのですか?
あなたが民間か公的機関かどこにおつとめか存じませんが、服務規定があるからと言って雇われ労働者は魂まで売り渡す訳じゃないでしょう?
なのにここに反論にいらした方々は、公務員に対しては、というか、むしろ公務員だからこそ民間よりも厳しく「命令に従うべきだ」って仰ってるも同然ですよね?
仮に会社の朝礼で社歌なり君が代なり歌う時間があって、歌わず沈黙してたらクビになったとしましょう、それ、雇い主は敗訴しますよ。なのに公務員ならクビになっても文句言えないと?
てことは、公務員は民間よりももっと厳格に「上の命令は絶対」って考えてるって事ですよね?
どうしてです?
やっぱりどこかで「公務員とは国家の命令通りに動かねばならない国家の下僕奴隷のような存在であるべきだ。だから職務命令は絶対なのだ」とイメージしてるからじゃないですか?
そうでなきゃ「国旗、国歌を否定するなら、公務員を辞めろ!」(ちなみにこれは橋下閣下のお言葉です)とみたいに「職務命令ならどんなものでも有無を言わず従え」みたいな民間以上の厳格な命令服従を求めたりしないはずですよ?
それこそまさに私がこの記事で述べた「公務員に対するルサンチマン説」「公務員叩き説」を証明してるではありませんか。
ですからここに反論にいらした方は、皮肉なことにわざわざ私の「公務員叩き説」の正しさを証明しに来てくれたとしか思えないのです。
で、もう一度認識していただきたいのですが、私はここで公務員であっても国家を歌わない自由はある云々について直接述べてるわけではありません。あくまで公務員に「職務命令なら(たとえどんなもんだって)従え」と言いたがる背後には「民間だって理不尽な命令をいろいろ我慢してるんだぞ」というルサンチマンや「公務員叩き」の心理が横たわってるのではないか、というのが主題なのです。
ですから「職務命令に従え厨」はここでは見当違いのコメントなのです。
名無しさんをはじめとする国旗国歌強制論者の方々は、そういうコメントはそういうことに関して述べているエントリーにて行ってください。
常套句「民間ならそんなことすればクビだ」
これ、公務員攻撃で使われる決まり文句ですが、疑ってかかった方がいいですね、大概「そんなことしたら解雇権乱用で訴えられるぞ」というような例ばかりです。
で、注意したいのが、この決まり文句を言いたがる人々は、およそどんなに理不尽な職務命令であっても「民間でそんなこと(命令違反)すればクビ」になっても仕方がない、と疑わないことなんです。むしろそれを肯定して他人にも強いようとしている、「おれだって我慢してるんだからおまえも我慢しろ」とばかりに。
これじゃまるで使用者側と労働者側との契約って奴隷契約ですが、それでいいんですかね?
こういうのを社畜っていうんじゃないですか?
で、注意したいのが、この決まり文句を言いたがる人々は、およそどんなに理不尽な職務命令であっても「民間でそんなこと(命令違反)すればクビ」になっても仕方がない、と疑わないことなんです。むしろそれを肯定して他人にも強いようとしている、「おれだって我慢してるんだからおまえも我慢しろ」とばかりに。
これじゃまるで使用者側と労働者側との契約って奴隷契約ですが、それでいいんですかね?
こういうのを社畜っていうんじゃないですか?
コメント欄を読んだ感想
毎回この手の話題には強制支持の方から不満の声があがるのですが、強制してまで学校の式典で「君が代」を歌わせなければならない適当な理由を述べる人はだれもいないんですね。
「身分保障を盾に、職務命令に堂々と反するなんてあり得ない。公務員にそんな特権はない。」などの公務員攻撃に対して「的外れ」と書かれている記事には「的外れ」ではないことを支持するに値する適切な理由を述べて反論すべきなのに「マナー」だとか「常識」だとかしか書き込めないって残念すぎです。学校では「君が代」しか学ばなかったのでしょうか?
「君が代」強制支持者が考える「常識」や「マナー」が聞きたいわけじゃないことをいい加減察してほしいです。「民間だったら云々」も含めてもう散々聞かされてるから知っています。
「身分保障を盾に、職務命令に堂々と反するなんてあり得ない。公務員にそんな特権はない。」などの公務員攻撃に対して「的外れ」と書かれている記事には「的外れ」ではないことを支持するに値する適切な理由を述べて反論すべきなのに「マナー」だとか「常識」だとかしか書き込めないって残念すぎです。学校では「君が代」しか学ばなかったのでしょうか?
「君が代」強制支持者が考える「常識」や「マナー」が聞きたいわけじゃないことをいい加減察してほしいです。「民間だったら云々」も含めてもう散々聞かされてるから知っています。
結局、ここで一番の被害者は子供達な気もしますね。学校の式典で、測音機まで持ち出して警察の張り込みみたいな事をして、それこそ本当に子供達の為になるのかっていう・・・。
>AGENさん
げにげに。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-150.html
もともと君が代不起立は問題視されておらず卒業式は平穏に執り行われていた。
↓
ところが、なんの問題もなかったのに「立て。立たないと処罰だ」と教育委員会が。
↓
「ちょっとまて、それはおかしいだろう、別に迷惑かけてきた訳じゃないし、立たない権利はあるはずだ」
↓
「いいや、立て!立たないやつがいる限りこちらから監視委員を派遣する。そんなんじゃ生徒が怖がる?それはおまえ達が指示に従わないからだ。生徒のための式を乱してるのはおまえ達だ。生徒が嫌な思いをするとしたらそれはおまえたちのせいだ!」
←これ、ほとんどやくざのいいがかりじゃん(^^;
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-150.html
もともと君が代不起立は問題視されておらず卒業式は平穏に執り行われていた。
↓
ところが、なんの問題もなかったのに「立て。立たないと処罰だ」と教育委員会が。
↓
「ちょっとまて、それはおかしいだろう、別に迷惑かけてきた訳じゃないし、立たない権利はあるはずだ」
↓
「いいや、立て!立たないやつがいる限りこちらから監視委員を派遣する。そんなんじゃ生徒が怖がる?それはおまえ達が指示に従わないからだ。生徒のための式を乱してるのはおまえ達だ。生徒が嫌な思いをするとしたらそれはおまえたちのせいだ!」
←これ、ほとんどやくざのいいがかりじゃん(^^;
>nobuさん
> 毎回この手の話題には強制支持の方から不満の声があがるのですが、強制してまで学校の式典で「君が代」を歌わせなければならない適当な理由を述べる人はだれもいないんですね。
いるにはいるんですがとにかく「それが命令なんだから従うべきだ」の一点張り。その命令に正当性がない、といってるのに「命令だから従え」は思考停止の極地ですね。
> 「身分保障を盾に、職務命令に堂々と反するなんてあり得ない。公務員にそんな特権はない。」などの公務員攻撃に対して「的外れ」と書かれている記事には「的外れ」ではないことを支持するに値する適切な理由を述べて反論すべきなのに「マナー」だとか「常識」だとかしか書き込めないって残念すぎです。
その残念さを皆さんにとくと見ていただくために普段なら承認しないコメントも承認しましたw
いるにはいるんですがとにかく「それが命令なんだから従うべきだ」の一点張り。その命令に正当性がない、といってるのに「命令だから従え」は思考停止の極地ですね。
> 「身分保障を盾に、職務命令に堂々と反するなんてあり得ない。公務員にそんな特権はない。」などの公務員攻撃に対して「的外れ」と書かれている記事には「的外れ」ではないことを支持するに値する適切な理由を述べて反論すべきなのに「マナー」だとか「常識」だとかしか書き込めないって残念すぎです。
その残念さを皆さんにとくと見ていただくために普段なら承認しないコメントも承認しましたw
感想
「私は彼らがこう考えていると思うが、その考えは間違っている」って事ですよね。
実際にそう考える彼らがいればいいですが、いなければ風車と戦う騎士様と同じだな、という感想を持ちました。
1つ苦言を呈するなら、「しかしこれは歪んだ思い込み」「では何故彼らは~したいのでしょうか?」など、あなたの仮定でしかない物をあたかも事実であるかのような書き方をするのは良くないです。
「私は彼らがこう考えていると思うが、もしそうであるならば、その考えは間違っている」でないと公正な態度とは言えません。彼らはそう考えたり思い込んだりしてないかもしれませんから。細かいですか? でも大事なことですよ。
実際にそう考える彼らがいればいいですが、いなければ風車と戦う騎士様と同じだな、という感想を持ちました。
1つ苦言を呈するなら、「しかしこれは歪んだ思い込み」「では何故彼らは~したいのでしょうか?」など、あなたの仮定でしかない物をあたかも事実であるかのような書き方をするのは良くないです。
「私は彼らがこう考えていると思うが、もしそうであるならば、その考えは間違っている」でないと公正な態度とは言えません。彼らはそう考えたり思い込んだりしてないかもしれませんから。細かいですか? でも大事なことですよ。
>ドンキさん
> 1つ苦言を呈するなら、「しかしこれは歪んだ思い込み」「では何故彼らは~したいのでしょうか?」など、あなたの仮定でしかない物をあたかも事実であるかのような書き方をするのは良くないです。
公務員をどのような存在と考えるかのくだりですね?私も実際どのようにとらえているのか聞きたいところです。
公務員をどのような存在と考えるかのくだりですね?私も実際どのようにとらえているのか聞きたいところです。
ん?
> 毎回この手の話題には強制支持の方から不満の声があがるのですが、強制してまで学校の式典で「君が代」を歌わせなければならない適当な理由を述べる人はだれもいないんですね。
いちいち説明するまでもない事柄なので省いていたのですが、そこから説明しなければいけませんでしたか?
たとえば、学習指導要領の小学校社会科にはこう明記されています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301i.htm
> 我が国や外国には国旗があることを理解させ,それを尊重する態度を育てるよう配慮すること。
中学の項にも同様の記載が複数箇所にあります。
また、学習指導要領は法的拘束力があると最高裁判断も出ています(学校教育法にも記載)。
法律を遵守すべき立場にある公務員(の一部)がこれを長年無視していた状態を是正しようのが、昨今の流れなのでしょう。
「強制する適当な理由」は、「法律で決まっていた事だから」に尽きます。行政サービスに携わる公務員が法律や規則を蔑ろにするのは、民主主義の否定と見なされかねませんね。
いちいち説明するまでもない事柄なので省いていたのですが、そこから説明しなければいけませんでしたか?
たとえば、学習指導要領の小学校社会科にはこう明記されています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301i.htm
> 我が国や外国には国旗があることを理解させ,それを尊重する態度を育てるよう配慮すること。
中学の項にも同様の記載が複数箇所にあります。
また、学習指導要領は法的拘束力があると最高裁判断も出ています(学校教育法にも記載)。
法律を遵守すべき立場にある公務員(の一部)がこれを長年無視していた状態を是正しようのが、昨今の流れなのでしょう。
「強制する適当な理由」は、「法律で決まっていた事だから」に尽きます。行政サービスに携わる公務員が法律や規則を蔑ろにするのは、民主主義の否定と見なされかねませんね。
>名無しさん
質問です。
1.学習指導要領は憲法よりも上位法ですか?
2.学習指導要領の教育行政上の位置づけをご説明ください。できれば、教育学の世界で権威のある参考文献をあげてください。
3.学習指導要領からはただ一つの指導法(この場合は、「力による強制」)しか導き出されないのですか?
4.「我が国や外国には国旗があることを理解させ,それを尊重する態度を育てるよう配慮すること」と学習指導要領にあるなら、「配慮」すればいいのであって、「強制」する理由にはなりませんが、いかがお考えですか?
5.学習指導要領に「我が国や外国には国旗があることを理解させ,それを尊重する態度を育てるよう配慮すること」とあるからといって、教員から訴訟すら起こされて一応合憲の最高裁判決といえども反対意見を示す裁判官もいる中で、先進国にはない現状のような処罰によるパワハラそのものの「日の丸君が代の強制」で「なければならない」理由をご説明ください。
6.たとえば、学習指導要領には算数や国語の能力を身につけさせることがうたってありますね。ある児童がたとえばその能力を身につけられなかったからといって、日の丸君が代強制のような、パワハラのような懲罰を受けたり、「民主主義の否定」だという批判をその担任の先生は甘受しなければならないのでしょうか?
7.どうしても国旗国歌に恭順を示す教育をあなた自身が受けたいのであれば、あなたがそういう強制を受け入れるように調教された時点であなたの言う「行政サービス」をあなたは十分に享受したことになり、あなたにとってはそれで十分のはずです。しかし、そういう「行政サービス」を受けたくない他人にまで強制する理由はあるのですか?単なる「行政サービス」なら、サービスを受けるか受けないかは個人に任されますよね。
せっかくここにお越しなのですから、これらの点についてぜひご説明をお願いします。教育学的に意味があり、説得力もある説明をお待ちしております。
1.学習指導要領は憲法よりも上位法ですか?
2.学習指導要領の教育行政上の位置づけをご説明ください。できれば、教育学の世界で権威のある参考文献をあげてください。
3.学習指導要領からはただ一つの指導法(この場合は、「力による強制」)しか導き出されないのですか?
4.「我が国や外国には国旗があることを理解させ,それを尊重する態度を育てるよう配慮すること」と学習指導要領にあるなら、「配慮」すればいいのであって、「強制」する理由にはなりませんが、いかがお考えですか?
5.学習指導要領に「我が国や外国には国旗があることを理解させ,それを尊重する態度を育てるよう配慮すること」とあるからといって、教員から訴訟すら起こされて一応合憲の最高裁判決といえども反対意見を示す裁判官もいる中で、先進国にはない現状のような処罰によるパワハラそのものの「日の丸君が代の強制」で「なければならない」理由をご説明ください。
6.たとえば、学習指導要領には算数や国語の能力を身につけさせることがうたってありますね。ある児童がたとえばその能力を身につけられなかったからといって、日の丸君が代強制のような、パワハラのような懲罰を受けたり、「民主主義の否定」だという批判をその担任の先生は甘受しなければならないのでしょうか?
7.どうしても国旗国歌に恭順を示す教育をあなた自身が受けたいのであれば、あなたがそういう強制を受け入れるように調教された時点であなたの言う「行政サービス」をあなたは十分に享受したことになり、あなたにとってはそれで十分のはずです。しかし、そういう「行政サービス」を受けたくない他人にまで強制する理由はあるのですか?単なる「行政サービス」なら、サービスを受けるか受けないかは個人に任されますよね。
せっかくここにお越しなのですから、これらの点についてぜひご説明をお願いします。教育学的に意味があり、説得力もある説明をお待ちしております。
>名無しさん
1.「強制してまで学校の式典で「君が代」を歌わせなければならない適当な理由」は、名無しさんに拠れば「学習指導要綱に書いてあるから」、「法律で決まっていた事だから」だそうですね。
なんだ、じゃあ「職務命令だから」といってるのと同じじゃないですか(苦笑)
他のエントリーでも私はこう書いています。
『その職務命令が従う必要のない違憲無効な命令ではないかと主張しているのに対し、「職務命令には従うのは当たり前」ではまるで答えになっていません。』
その法律なり学習指導要綱が憲法に違反してたら無効でしょう?憲法は学習指導要綱や法律より上位の法なんですから。
私のnobuさんへのコメントは読まれてないようですね?
2.この質問は1.を前提にすれば不要なものかもしれませんが念のため。
>また、学習指導要領は法的拘束力があると最高裁判断も出ています(学校教育法にも記載)。
その最高裁判決とは旭川学テ事件のことでしょうか?
なんだ、じゃあ「職務命令だから」といってるのと同じじゃないですか(苦笑)
他のエントリーでも私はこう書いています。
『その職務命令が従う必要のない違憲無効な命令ではないかと主張しているのに対し、「職務命令には従うのは当たり前」ではまるで答えになっていません。』
その法律なり学習指導要綱が憲法に違反してたら無効でしょう?憲法は学習指導要綱や法律より上位の法なんですから。
私のnobuさんへのコメントは読まれてないようですね?
2.この質問は1.を前提にすれば不要なものかもしれませんが念のため。
>また、学習指導要領は法的拘束力があると最高裁判断も出ています(学校教育法にも記載)。
その最高裁判決とは旭川学テ事件のことでしょうか?
それは違うでしょう
名無しさんへ
>学習指導要領は法的拘束力があると最高裁判断も出ています
>(学校教育法にも記載)。
>法律を遵守すべき立場にある公務員(の一部)がこれを長年無視していた状態を
>是正しようのが、昨今の流れなのでしょう。
>「強制する適当な理由」は、「法律で決まっていた事だから」に尽きます。
6月6日の最高裁判決の判決文には宮川光治判事による反対意見がついているので
すが、そこにはこうあります。
『平成11年3月告示の高等学校学習指導要領は,「入学式や卒業式
などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,
国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定しているが,この規定を高等学
校の教職員に対し起立斉唱行為を職務命令として強制することの根拠とするのは無
理であろう』
『そもそも,学習指導要領は,教育の機会均等を確保し全国的に一定の水準を維持
するという目的のための大綱的基準であり,教師による創造的かつ弾力的な教育や
地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分にあるものであって(最高裁昭和
43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615
頁参照),学習指導要領のこのような性格にも照らすと,上記根拠となるものでは
ないことは明白であると思われる。
国旗及び国歌に関する法律施行後,東京都立高等学校において,少なからぬ学校
の校長は内心の自由告知(内心の自由を保障し,起立斉唱するかしないかは各教職
員の判断に委ねられる旨の告知)を行い,式典は一部の教職員に不起立不斉唱行為
があったとしても支障なく進行していた。
こうした事態を,本件通達は一変させた。本件通達が何を企図したものかに関し
ては記録中の東京都関連の各会議議事録等の証拠によれば歴然としているように思
われるが,原判決はこれを認定していない。しかし,原判決認定の事実によって
も,都教委は教職員に起立斉唱させるために職務命令についてその出し方を含め細
かな指示をしていること,内心の自由を説明しないことを求めていること,形から
入り形に心を入れればよい,形式的であっても立てば一歩前進だなどと説明してい
ること,不起立行為を把握するための方法等について入念な指導をしていること,
不起立行為等があった場合,速やかに東京都人事部に電話で連絡するとともに事故
報告書を提出することを求めていること等の事実が認められるのであり,卒業式等
にはそれぞれ職員を派遣し式の状況を監視していることや,その後の戒告処分の状
況をみると,本件通達は,式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せ
られたものではなく,前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員を
念頭に置き,その歴史観等に対する強い否定的評価を背景に,不利益処分をもって
その歴史観等に反する行為を強制することにあるとみることができると思われる。
』
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110606165018.pdf
そもそも、学習指導要領をもって強制化の法的根拠とするのならば、
どうして
学習指導要領に、君が代斉唱を指導するものとするという規定が
加えられて以降も、2003年の10.23通達によって
国旗掲揚国歌斉唱の強制化が出されるまでは、
『東京都立高等学校において,少なからぬ学校の校長は内心の自由告知
(内心の自由を保障し,起立斉唱するかしないかは各教職
員の判断に委ねられる旨の告知)を行い,式典は一部の教職員に
不起立不斉唱行為があったとしても支障なく進行していた。』
という状況にあったのか説明がつきません。
学習指導要領が強制化の法的根拠になっているとするのならば、
この状況下でも校長によって“自由告知”がなされていたということは
矛盾しているじゃないですか。
そのような自由告知は法令違反だったということになってしまいますよ。(笑)
さすがに最高裁の裁判官たちもそこまで無謀な解釈はしていません。
ですから、
>「強制する適当な理由」は、「法律で決まっていた事だから」に尽きます。
こんなのは論理が通らない暴論です。もしかして2chあたりじゃこんな
暴論がまかり通っているのですか?
そして、通達だから、命令だからという理由で、その内容も問わず、
何が何でも従えという考え自体が全体主義的発想なんです。それを認めたら、
公権力はどんなことでも命令することを可能としてしまいます。
フランスにおいて、ナチス時代に処刑されたレジスタンス、ギイ・モケの手紙を
公立学校で朗読をさせる大統領令に対して教職員や生徒たちが、
この手紙をナショナリズムに利用しようとする政治的儀式化だとして
拒否の抗議をしたように、ナショナリズムが絡む問題に対しては
時にNOと突きつけることも民主主義と自由主義にとって大事なことなのです。
アメリカでも法令や命令にNOの意思表示をした人たちがいたから
その後の人権保障を守ることに繋がったのです。公権力の命令に無条件に従う
従順な羊の群れとなってしまってはそれこそ全体主義国家へとエスカレート
してしまいます。
P.S
アメリカでは、忠誠の誓いが学校において儀式として行われていますが、これは
国旗規則という法令によって規定されています。また国旗法によってアメリカ国民
は、国旗へ敬意を払うこと、不敬を働いてはならないことが規定されていますが、
このことをもって拝礼の強制化の根拠とならないことは、バーネット裁判以降の判
例によって示されている通りです。児童であれ教師であれ拝礼への拒否権は合衆国
憲法によって保証されているとされているのです。まあ、ブッシュ元大統領は、
拒否権を否定しようとしたようですがね。危険な政治家です。
>学習指導要領は法的拘束力があると最高裁判断も出ています
>(学校教育法にも記載)。
>法律を遵守すべき立場にある公務員(の一部)がこれを長年無視していた状態を
>是正しようのが、昨今の流れなのでしょう。
>「強制する適当な理由」は、「法律で決まっていた事だから」に尽きます。
6月6日の最高裁判決の判決文には宮川光治判事による反対意見がついているので
すが、そこにはこうあります。
『平成11年3月告示の高等学校学習指導要領は,「入学式や卒業式
などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,
国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定しているが,この規定を高等学
校の教職員に対し起立斉唱行為を職務命令として強制することの根拠とするのは無
理であろう』
『そもそも,学習指導要領は,教育の機会均等を確保し全国的に一定の水準を維持
するという目的のための大綱的基準であり,教師による創造的かつ弾力的な教育や
地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分にあるものであって(最高裁昭和
43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615
頁参照),学習指導要領のこのような性格にも照らすと,上記根拠となるものでは
ないことは明白であると思われる。
国旗及び国歌に関する法律施行後,東京都立高等学校において,少なからぬ学校
の校長は内心の自由告知(内心の自由を保障し,起立斉唱するかしないかは各教職
員の判断に委ねられる旨の告知)を行い,式典は一部の教職員に不起立不斉唱行為
があったとしても支障なく進行していた。
こうした事態を,本件通達は一変させた。本件通達が何を企図したものかに関し
ては記録中の東京都関連の各会議議事録等の証拠によれば歴然としているように思
われるが,原判決はこれを認定していない。しかし,原判決認定の事実によって
も,都教委は教職員に起立斉唱させるために職務命令についてその出し方を含め細
かな指示をしていること,内心の自由を説明しないことを求めていること,形から
入り形に心を入れればよい,形式的であっても立てば一歩前進だなどと説明してい
ること,不起立行為を把握するための方法等について入念な指導をしていること,
不起立行為等があった場合,速やかに東京都人事部に電話で連絡するとともに事故
報告書を提出することを求めていること等の事実が認められるのであり,卒業式等
にはそれぞれ職員を派遣し式の状況を監視していることや,その後の戒告処分の状
況をみると,本件通達は,式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せ
られたものではなく,前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員を
念頭に置き,その歴史観等に対する強い否定的評価を背景に,不利益処分をもって
その歴史観等に反する行為を強制することにあるとみることができると思われる。
』
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110606165018.pdf
そもそも、学習指導要領をもって強制化の法的根拠とするのならば、
どうして
学習指導要領に、君が代斉唱を指導するものとするという規定が
加えられて以降も、2003年の10.23通達によって
国旗掲揚国歌斉唱の強制化が出されるまでは、
『東京都立高等学校において,少なからぬ学校の校長は内心の自由告知
(内心の自由を保障し,起立斉唱するかしないかは各教職
員の判断に委ねられる旨の告知)を行い,式典は一部の教職員に
不起立不斉唱行為があったとしても支障なく進行していた。』
という状況にあったのか説明がつきません。
学習指導要領が強制化の法的根拠になっているとするのならば、
この状況下でも校長によって“自由告知”がなされていたということは
矛盾しているじゃないですか。
そのような自由告知は法令違反だったということになってしまいますよ。(笑)
さすがに最高裁の裁判官たちもそこまで無謀な解釈はしていません。
ですから、
>「強制する適当な理由」は、「法律で決まっていた事だから」に尽きます。
こんなのは論理が通らない暴論です。もしかして2chあたりじゃこんな
暴論がまかり通っているのですか?
そして、通達だから、命令だからという理由で、その内容も問わず、
何が何でも従えという考え自体が全体主義的発想なんです。それを認めたら、
公権力はどんなことでも命令することを可能としてしまいます。
フランスにおいて、ナチス時代に処刑されたレジスタンス、ギイ・モケの手紙を
公立学校で朗読をさせる大統領令に対して教職員や生徒たちが、
この手紙をナショナリズムに利用しようとする政治的儀式化だとして
拒否の抗議をしたように、ナショナリズムが絡む問題に対しては
時にNOと突きつけることも民主主義と自由主義にとって大事なことなのです。
アメリカでも法令や命令にNOの意思表示をした人たちがいたから
その後の人権保障を守ることに繋がったのです。公権力の命令に無条件に従う
従順な羊の群れとなってしまってはそれこそ全体主義国家へとエスカレート
してしまいます。
P.S
アメリカでは、忠誠の誓いが学校において儀式として行われていますが、これは
国旗規則という法令によって規定されています。また国旗法によってアメリカ国民
は、国旗へ敬意を払うこと、不敬を働いてはならないことが規定されていますが、
このことをもって拝礼の強制化の根拠とならないことは、バーネット裁判以降の判
例によって示されている通りです。児童であれ教師であれ拝礼への拒否権は合衆国
憲法によって保証されているとされているのです。まあ、ブッシュ元大統領は、
拒否権を否定しようとしたようですがね。危険な政治家です。
逆パターンだとどうですか?
名無しさんへの質問
さて、東京都の狛江市の矢野裕市長は共産党員です。
矢野市長は初当選後の1996年に、市の幹部職員に対して市庁舎正面の
ポールに掲揚されている日の丸を降ろすように指示を出したのです。
1996年ですから国旗国歌法制定前です。
市長職にある者が部下に対して、市庁舎の設備に掲げられている日の丸を
「降ろしてください。」と命じているのですからこれは職務命令に当たるでしょう。
ところが、命じられた職員は、「ダメです。」といって拒んだんです。
結局矢野市長は、「そこで争っても市民生活は全くよくならない」と考えて、
取り下げたのですね。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231210610605279_02/news/20080513-OYT8T00099.htm
ところで、名無しさんは、地方公務員法の服務規定を挙げておられましたね。このケースで言いますと、
『(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)
第三十二条 職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。 』
この条文が当てはまるでしょう。
さて、
名無しさんは、地方公務員法上のこの服務規程を君が代強制化&処罰化の肯定の根拠として挙げておられましたが、ということは、
逆パターンであるこのケースにも当てはまるということで、矢野市長が仮に、
この幹部職員に懲戒処分を下していたとしても、
服務規程違反を理由に肯定できるというお考えでしょうか?
さて、東京都の狛江市の矢野裕市長は共産党員です。
矢野市長は初当選後の1996年に、市の幹部職員に対して市庁舎正面の
ポールに掲揚されている日の丸を降ろすように指示を出したのです。
1996年ですから国旗国歌法制定前です。
市長職にある者が部下に対して、市庁舎の設備に掲げられている日の丸を
「降ろしてください。」と命じているのですからこれは職務命令に当たるでしょう。
ところが、命じられた職員は、「ダメです。」といって拒んだんです。
結局矢野市長は、「そこで争っても市民生活は全くよくならない」と考えて、
取り下げたのですね。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231210610605279_02/news/20080513-OYT8T00099.htm
ところで、名無しさんは、地方公務員法の服務規定を挙げておられましたね。このケースで言いますと、
『(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)
第三十二条 職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。 』
この条文が当てはまるでしょう。
さて、
名無しさんは、地方公務員法上のこの服務規程を君が代強制化&処罰化の肯定の根拠として挙げておられましたが、ということは、
逆パターンであるこのケースにも当てはまるということで、矢野市長が仮に、
この幹部職員に懲戒処分を下していたとしても、
服務規程違反を理由に肯定できるというお考えでしょうか?
>名無しさん
「君が代日の丸の強制」が「我が国や外国には国旗があることを理解させ,それを尊重する態度を育てる」ことになる理由を求めているんですが。それが説明できなくては「君が代日の丸強制」が「我が国や外国には国旗があることを理解させ,それを尊重する態度を育てる」のに適当な手段だとはいえません。
また、「我が国や外国には国旗があることを理解」できていなく「それを尊重する態度を」育むこともできなかった人が「君が代日の丸の強制」で「我が国や外国には国旗があることを理解させ,それを尊重する態度を育てる」ことができた事例でもあるのでしょうか。
また、「我が国や外国には国旗があることを理解」できていなく「それを尊重する態度を」育むこともできなかった人が「君が代日の丸の強制」で「我が国や外国には国旗があることを理解させ,それを尊重する態度を育てる」ことができた事例でもあるのでしょうか。
そもそも先生たちが日の丸や君が代に反対してきたのは、戦中、天皇主権の下で生徒たちに「お国のために死ぬのは名誉である」と教えてきてしまったことで、多くの生徒を死に追いやってしまったという痛切な後悔と反省があるからだ、と以前年配の先生に教えていただいた記憶があります。
教職員組合の標語に「二度と教え子を戦場に送らない」というのもあって、それが入った団扇も持っておられました。
…という事情や歴史も「命令だから従え」の一点張りの人には関係ないのだろうなぁ、とちょっと切ない気持ちになります。
他者が問答無用で服従させられているのを見るのが楽しいのかな、と邪推もしたくなりますね(^_^;)
教職員組合の標語に「二度と教え子を戦場に送らない」というのもあって、それが入った団扇も持っておられました。
…という事情や歴史も「命令だから従え」の一点張りの人には関係ないのだろうなぁ、とちょっと切ない気持ちになります。
他者が問答無用で服従させられているのを見るのが楽しいのかな、と邪推もしたくなりますね(^_^;)
いやはやびっくりです
何気なく書いたコメントでこんなにモテモテになるとは思いませんでした。びっくりです。返答が長くなるので少しずつお返事します。
村野瀬玲奈さん
> 1.
上位下位は関係無いですよ。最高裁で法的拘束力が(概ね)あると判断されている以上、憲法との齟齬は生じていないと解するのが妥当という事です。
> 2.
各種関係法令をご覧下さい。
> 3.
公教育が国民の血税で運営されている行政サービスである以上、提供される内容は可能な限り均一である事が求められます。同じ税金を払っているのに、済む場所によって内容が違うといった不平等があってはなりませんので。
> 4.
「配慮」とは、具体的にどの様な事でしょうか?
ちなみに教師側は過去にどのような「配慮」をしてきたのでしょうか?
> 5.
一部の公立学校の教師達が、年に数回、時間にして1分前後の「起立」の是非を巡って何百名と訴訟を起こし、最高裁まで争おうとしている現状もまた、先進国にはない現象ですね。
あと、公務員に対する命令は基本的に法律や規則に則って行われています。その法律や規則を作るのは、詰まるところ選挙によって選ばれた議員です。
これをおかしいと考えるのであれば、同意者を募り増やして選挙に反映させ、政治レベルで変えていくしかありません。品のない放言に興じている一部の人々の「心理分析」ごっこをブログでいくらやったところで、何一つ変わらないのです。
> 6.
例え話になってないですよ、それ。
その例え話に無理矢理当てはめるなら、教師は「算数の授業でかけ算を教える事を拒否している」とか「国語の授業で漢字の読み書きを教えることを拒否している」といった前提である必要がありますね。
拒否していなかったとしても、指導方法に問題がある教師には何らかの対応をしなければならないでしょう。税金を払っているのに、我が子にろくな教育が施されない状況を放置する納税者は多くないでしょうから。
逆に言えば、現状は静かに起立するだけで「尊重する態度を育てるよう配慮」しているとみなされます。それすら出来ない状態が長年放置されているので、行政が厳しく対応し始めているわけですね。
> 7.
そういう方は、そういう規則の無い私立校などへお子さんを通わせれば良いと思いますよ。それで全て解決します。
村野瀬玲奈さん
> 1.
上位下位は関係無いですよ。最高裁で法的拘束力が(概ね)あると判断されている以上、憲法との齟齬は生じていないと解するのが妥当という事です。
> 2.
各種関係法令をご覧下さい。
> 3.
公教育が国民の血税で運営されている行政サービスである以上、提供される内容は可能な限り均一である事が求められます。同じ税金を払っているのに、済む場所によって内容が違うといった不平等があってはなりませんので。
> 4.
「配慮」とは、具体的にどの様な事でしょうか?
ちなみに教師側は過去にどのような「配慮」をしてきたのでしょうか?
> 5.
一部の公立学校の教師達が、年に数回、時間にして1分前後の「起立」の是非を巡って何百名と訴訟を起こし、最高裁まで争おうとしている現状もまた、先進国にはない現象ですね。
あと、公務員に対する命令は基本的に法律や規則に則って行われています。その法律や規則を作るのは、詰まるところ選挙によって選ばれた議員です。
これをおかしいと考えるのであれば、同意者を募り増やして選挙に反映させ、政治レベルで変えていくしかありません。品のない放言に興じている一部の人々の「心理分析」ごっこをブログでいくらやったところで、何一つ変わらないのです。
> 6.
例え話になってないですよ、それ。
その例え話に無理矢理当てはめるなら、教師は「算数の授業でかけ算を教える事を拒否している」とか「国語の授業で漢字の読み書きを教えることを拒否している」といった前提である必要がありますね。
拒否していなかったとしても、指導方法に問題がある教師には何らかの対応をしなければならないでしょう。税金を払っているのに、我が子にろくな教育が施されない状況を放置する納税者は多くないでしょうから。
逆に言えば、現状は静かに起立するだけで「尊重する態度を育てるよう配慮」しているとみなされます。それすら出来ない状態が長年放置されているので、行政が厳しく対応し始めているわけですね。
> 7.
そういう方は、そういう規則の無い私立校などへお子さんを通わせれば良いと思いますよ。それで全て解決します。
No title
秋原葉月さん
> なんだ、じゃあ「職務命令だから」といってるのと同じじゃないですか(苦笑)
村瀬さんへの返事でも書きましたが、
その職務命令は法律に則ったもので、その法律を作ったのは選挙で選ばれた議員なんですよ。
なので、職務命令を故意に無視する事は民主主義の否定と見なされかねないわけですね。
強制反対派の方々はその辺がどうも良くご理解されておられないようで。
ですので、現状の風潮を改めるためには、選挙で変えていくしかないんです。問題の本質とは無関係な人達の「心理分析」なんてしても何の意味も無いんですよ。
> その法律なり学習指導要綱が憲法に違反してたら無効でしょう?憲法は学習指導要綱や法律より上位の法なんですから。
最高裁が学習指導要領に法的拘束力を(概ね)認めている時点で、憲法との齟齬は存在しないとみなすべきだと思いますが。
仮に、立て続けに出ているいくつもの最高裁判決も、ネット上の大多数の人々の常識も全て間違っていると仰るのであれば、こちらから何も言うことはないです。
> なんだ、じゃあ「職務命令だから」といってるのと同じじゃないですか(苦笑)
村瀬さんへの返事でも書きましたが、
その職務命令は法律に則ったもので、その法律を作ったのは選挙で選ばれた議員なんですよ。
なので、職務命令を故意に無視する事は民主主義の否定と見なされかねないわけですね。
強制反対派の方々はその辺がどうも良くご理解されておられないようで。
ですので、現状の風潮を改めるためには、選挙で変えていくしかないんです。問題の本質とは無関係な人達の「心理分析」なんてしても何の意味も無いんですよ。
> その法律なり学習指導要綱が憲法に違反してたら無効でしょう?憲法は学習指導要綱や法律より上位の法なんですから。
最高裁が学習指導要領に法的拘束力を(概ね)認めている時点で、憲法との齟齬は存在しないとみなすべきだと思いますが。
仮に、立て続けに出ているいくつもの最高裁判決も、ネット上の大多数の人々の常識も全て間違っていると仰るのであれば、こちらから何も言うことはないです。
私も、いやはやびっくりです
名無しさん。初めてお目にかかります。あまりにも乱暴なコメントなので、ひとこと。
>上位下位は関係無いですよ。
憲法が法律の最上位にあることは小学生でも知ってます。これを関係ないと言ってのけるところで、あなたの論理は終わっています。最高裁の判断を憲法と同列に置くに到っては、もはや話になりません。フランスの小学校の教科書には、「裁判所も時々誤りを犯します。これを司法の過失 erreur judiciaire といいます」と書いてあります。つまり裁判所の判断に対する批判精神を言っているのです。小学生に笑われないようにしましょう。
なお、管理人さんのコメントへの注意にもありますが、ハンドルネームでコメントなさることが、エチケットとして必要だと思います。
>上位下位は関係無いですよ。
憲法が法律の最上位にあることは小学生でも知ってます。これを関係ないと言ってのけるところで、あなたの論理は終わっています。最高裁の判断を憲法と同列に置くに到っては、もはや話になりません。フランスの小学校の教科書には、「裁判所も時々誤りを犯します。これを司法の過失 erreur judiciaire といいます」と書いてあります。つまり裁判所の判断に対する批判精神を言っているのです。小学生に笑われないようにしましょう。
なお、管理人さんのコメントへの注意にもありますが、ハンドルネームでコメントなさることが、エチケットとして必要だと思います。
同じく、いやはやびっくりです。
>ネット上の大多数の人々の常識
その大多数の人々ってのはどこの誰でしょうね。少なくとも私はそれを常識だと感じてないのですが。
>公教育が国民の血税で運営されている行政サービスである以上、提供される内容は可能な限り均一である事が求められます。同じ税金を払っているのに、済む場所によって内容が違うといった不平等があってはなりませんので。
教育学の先生が「教育をなんだと思っとるんだ!!」って怒っているのを聞いた事がありますが、まさしく同じ怒りをぶつけたくなりましたよ、これ。
大体、教育指導要領てのは、機械の説明書みたいなもんです。教師が授業するのに困ったら使う(というのは、実際に教員をしている方から聞いた意見ですが)もので、それが絶対の指導法ではないのです。
だから、教員によって教え方、指導法は異なります。全部均一で、唯一つの教え方(強制)するような方法は教育ではなく、洗脳といいます。
その大多数の人々ってのはどこの誰でしょうね。少なくとも私はそれを常識だと感じてないのですが。
>公教育が国民の血税で運営されている行政サービスである以上、提供される内容は可能な限り均一である事が求められます。同じ税金を払っているのに、済む場所によって内容が違うといった不平等があってはなりませんので。
教育学の先生が「教育をなんだと思っとるんだ!!」って怒っているのを聞いた事がありますが、まさしく同じ怒りをぶつけたくなりましたよ、これ。
大体、教育指導要領てのは、機械の説明書みたいなもんです。教師が授業するのに困ったら使う(というのは、実際に教員をしている方から聞いた意見ですが)もので、それが絶対の指導法ではないのです。
だから、教員によって教え方、指導法は異なります。全部均一で、唯一つの教え方(強制)するような方法は教育ではなく、洗脳といいます。
追記
畑中 忠雄著の若い先生のための理科教育概論に載っている文を引用させていただきますと。
以下引用
自然に親しみ、見通しをもって観察、実験等を行い、問題解決能力と自然を愛する心情を育てると共に、自然の事物・現象についての実感を伴った理解を図り、科学的な考え方を養う(学習指導要領、小学校理科の目標)
これは、理科教育が目指すものを端的に示しており、まさにそのとおりである。しかし、これらの目標を自分たちなりに検討し、それぞれの学校の教育目標や年度の指導方針などに照らしより具体的なものにする、理科の先生がお互いに納得できる目標にすることも大切である。つまり、年度の始めには、一緒に指導に当たる理科の先生どうしが、教科の目標について十分な共通理解をもって出発することである。
以上引用
上の文章からもわかるとおり、先生はただただ、学習指導要領を鵜呑みにして機械的に授業をやればいいってもんじゃないんですよ。
大体、指導要領を鵜呑みにするだけなら、大学の教育学部で授業指導案を作る必要ないというか、指導要領をコピペするだけで済んでしまうじゃないですか。
まあ、この事はネット上の「大多数の人々」の常識には載ってないようですけどね。
以下引用
自然に親しみ、見通しをもって観察、実験等を行い、問題解決能力と自然を愛する心情を育てると共に、自然の事物・現象についての実感を伴った理解を図り、科学的な考え方を養う(学習指導要領、小学校理科の目標)
これは、理科教育が目指すものを端的に示しており、まさにそのとおりである。しかし、これらの目標を自分たちなりに検討し、それぞれの学校の教育目標や年度の指導方針などに照らしより具体的なものにする、理科の先生がお互いに納得できる目標にすることも大切である。つまり、年度の始めには、一緒に指導に当たる理科の先生どうしが、教科の目標について十分な共通理解をもって出発することである。
以上引用
上の文章からもわかるとおり、先生はただただ、学習指導要領を鵜呑みにして機械的に授業をやればいいってもんじゃないんですよ。
大体、指導要領を鵜呑みにするだけなら、大学の教育学部で授業指導案を作る必要ないというか、指導要領をコピペするだけで済んでしまうじゃないですか。
まあ、この事はネット上の「大多数の人々」の常識には載ってないようですけどね。
長文での横レス失礼します。
誤字脱字等、ちょっと修正しました。
> 名無しさん
はじめまして。
jeanvaljeanさんとAGENさんがすでに簡潔かつ的確にツッコミをしてくださっているので、蛇足的な話になりますが、思考の補助線として読んでいただければと思います。
> 公教育が国民の血税で運営されている行政サービスである以上、提供される内容は可能な限り均一である事が求められます。同じ税金を払っているのに、済む場所によって内容が違うといった不平等があってはなりませんので。
教育を可能な限り「均一」にするならば、子どもを親からも隔離して一箇所に集めていっせいに教育するのが一番効率がいいのですが、それをやった代表的な人物と言えば、記憶が少しあいまいなのですが、ポル・ポトでしたでしょうか。
ところで、名無しさんは学習指導要領を読んだことがおありでしょうか?
わたしも現物は読んだ事はありませんが、文部科学省が出している「学習指導要領解説」は普通に書店で買えます(アマゾンでも買えます)ので読んだことがあります。分野ごとに値段はまちまちですが、高いものでも300円もしませんので、一度手に入れられてはいかがでしょう。
さて、教育は可能な限り均一であることが望ましい、とのことですが、名無しさんは学習指導要領を、先生の指導用マニュアルか何かと勘違いされておられるのではないかと思いました。
学習指導要領には「●年生に○○を教えること」みたいに、指導の目標や、それによって何を理解してもらうのかといった学習の狙いなどは書いていますが、その個別具体的な方法=どのように教えるのかまでは書いていません。つまり何を教えるのかを書いてあるのが学習指導要領で、それをどのように教えるかには、ほとんど先生の裁量に任されています。それを先生は授業ごとの「指導計画(これは使い回しがききません。同じ生徒は二人とおらず、同じクラスは二つとないからです。)」というものにまとめ、これに主任教師や教頭、校長の印鑑ももらって、はじめて授業に臨みます。
もちろん、教える”内容”はきっちり同じですよ。だから皆さんもかけ算は小学校2年生で習ったと思います。そういう意味での『均一』化はもう済んでいます。ただ、”教え方”がそれぞれの学校や先生で異なるだけです。それは当たり前の事ですけど、先生や生徒の能力や個性にもばらつきがあり、更には学級の状態、学校の状態、地域の状態にもばらつきがあるからです。たとえば理科で草花の学習をする時、都市部の真ん中にある学校と、山のすぐ傍にある学校では当然教え方が異なってきます。
あるいは都市部にある学校では、工場見学などの社会科学習の場に不自由はしないかもしれませんが、過疎地の学校では、同じようにとはいかないでしょう。
さて、これは不平等な状態でしょうか?
内容をほぼ同一にするというのは教育ではごく当たり前の前提で、そこから先をどうするかは先生の自由な裁量がある程度許されているのは、上記のように「同じ先生」「同じ生徒」は二人とおらず、「同じ学級」「同じ学校」「同じ地域」もまた二つとないために、「均一」な指導では子どもたちにとって却って効率が悪いからです。
具体的な例を挙げて言うと、生徒数が極端に少ない学校では、複数の学年が同じ教室で授業を受ける、という事があるわけです。当然発達度合いは全然違いますから、「均一」に授業などできません。つまりその学校、その学級に合った指導法が多かれ少なかれ存在するということは認識してください。
あるいは、最近ようやく認知が進んできた発達障がいを持つ子どもたちにとって、「均一」な教育とは、文字通り排除の論理として機能します。彼らは各自に特別な支援を必要としていますが、「均一」な教育でその決め細やかな対応が可能でしょうか。
また、あるいは自治体ごとに使う教科書が違うという事もあります。わたしが住んでいる市と隣の市では、違う会社の教科書が使われています。これは市の教育委員会にある程度の裁量が認められているのですが、どうしてそうした裁量が認められているのかについて、思いをめぐらせていただければと思います(さすがにしつこいのでもう繰り返しませんが)。
ちなみにわたしの懇意にしていただいている先生は『教育はなるべく均一でないほうが望ましい』と仰います。これまた当たり前の事ですが、子どもの発達の度合いはその子によって違います。だから本当にその子に合った指導をしようとするなら、それぞれの子どもに合わせるのが良いに決まっています。しかし実際には人手が足りないために、それができないでいるわけですけども。
たとえばわり算を習うならかけ算を、かけ算を習うならたし算を理解する必要があります。そういう意味で段階的な学習が必要にはなりますが、この習得のスピードや深さが子どもごとに異なるのです。
名無しさんも経験があるでしょうけど、九九をすっかり覚えて、かけ算の概念を理解してしまった子と、全然覚えられないで、かけ算がどういう作業なのかも理解できていない子が並存するのが教室という空間です。そういう場で教師が、あるいはその指導法が「均一」であることは実際のところ害悪でしかありません。解らない子にとっては、そのままでは永遠に解らないままです。だから先生はその子に合わせて教え方を変えたり、工夫を加えたりしないといけません。
先生たちがそれぞれの子どもたちの能力、状態に合わせて創意工夫をもって指導することが、子どもたちの発達や学習意欲を高める意味でも大切なのだと思います。ですから教師にある程度裁量権がある現在の多様な指導体制は合理的で妥当なものだと思うし、それを無理やり均一化すべきでないとわたしは考えます。
そして子どもたちに合わせた教育、指導をするというのは、子どもたちに『あなたは尊重されるべき存在だ』という事を伝えるひとつの方法です。同時に自分と他の子への指導法が違うという事は、自分と他の子が違う存在であり、他の子もまた『尊重されるべき存在』で、自分と他の子に能力の優劣があったとしても、『尊重されるべき存在』としては優劣などない事、つまり自他の分離と他者の尊重を教える事になるのです。
名無しさんが教育のどういうレベルで「均一」であることが望ましいと仰っているのかわたしには正確には解りかねますが、指導内容についてでしたら「均一」化はされています。指導方法についてでしたら、そんな事は不可能だし、子どもにとってもよくない、どうしてもというならポル・ポト方式になるがそれでよろしいか、という事になるかと思います。
そしてこれは国旗国歌に対する振る舞いの指導にも当てはまるとも申し上げておきます。
能力や個性や感受性の異なる他者と共に生きるとは、どういう事なのか。それが「均一」な教育で教えられるとはわたしは到底思えません。
例を挙げましょう。国語の時間に新見南吉の『ごんぎつね』を読み、生徒に尋ねたとしましょう。
「ラストシーン、兵十はどんな気持ちだったと思う?」
いろいろな子がいろいろな意見を言うでしょう。
「後悔したと思う」と答える子もいるでしょう。
「”ごん”め、ざまあみろ、と思った」と言う子もいるでしょう。
後者はいささか突飛な答えかもしれません。ここで答えを均一にするのが教育の目的でしょうか?そうではなく、先生は誰の意見も否定しないのが一般的な指導法です。ただし、どうしてそう思ったのか、理由を必ず尋ねます。
「ざまあみろ」と思ったのは、”ごん”のせいで母にうなぎを食べさせられなかったのが、やっぱり許せないと思ったから、という理由があるのかもしれない、となれば突飛と思われた意見にも、それ相応の説得力があることがわかります。それを踏まえて子どもたちに議論してもらうのもいいでしょう。
ここで先生が子どもたちに伝えるべきは、どの意見が一般的とか正しいとかいう事ではなく、「いろんな考えを持った人がいる」というごくごく当たり前の事、そして先生がどんな意見でも否定しない、つまり意見や考え、感じ方が異なっても、それを理由に他者を否定してはいけないという事です。
国旗国歌に対し起立斉唱を強制する事は、兵十の気持ちを想像する余地を奪い、答えをひとつにしてしまうのに等しい事です。
以下、おまけで、もうニ言。
名無しさんには悪いですけど、名無しさんの言い分も含めていつもの光景ですねとしか(^_^;)
> 一部の公立学校の教師達が、年に数回、時間にして1分前後の「起立」の是非を巡って何百名と訴訟を起こし、最高裁まで争おうとしている現状もまた、先進国にはない現象ですね。
あの、これ毎度毎度のテンプレート的言いがかりなんです。強制する前はつつがなく進行していた式が、強制なんかするもんだから、それに抵抗しなければという話になり、訴訟にまで発展しているんです。
つまり因果関係がまるで逆です。
あと、抵抗に際して彼らはその理由をきちんと語っています。むやみに抵抗したり反対したりしているのではないこともご留意ください。
あとjeanvaljeanさんの仰る「裁判所の判断に対する批判精神」については、このブログの右カラムにあるタグの中から「冤罪」をクリックしてあらわれる良記事の数々を読んでください。裁判所でも間違いを犯すことが往々にしてあることを大変解りやすく勉強できますよ。
以上、長文大変失礼しました。当方へのお返事はいただかなくても結構ですが、皆さんとの議論の際に、頭の片隅に少しでも置いていただければ幸いです。
それでは。
誤字脱字等、ちょっと修正しました。
> 名無しさん
はじめまして。
jeanvaljeanさんとAGENさんがすでに簡潔かつ的確にツッコミをしてくださっているので、蛇足的な話になりますが、思考の補助線として読んでいただければと思います。
> 公教育が国民の血税で運営されている行政サービスである以上、提供される内容は可能な限り均一である事が求められます。同じ税金を払っているのに、済む場所によって内容が違うといった不平等があってはなりませんので。
教育を可能な限り「均一」にするならば、子どもを親からも隔離して一箇所に集めていっせいに教育するのが一番効率がいいのですが、それをやった代表的な人物と言えば、記憶が少しあいまいなのですが、ポル・ポトでしたでしょうか。
ところで、名無しさんは学習指導要領を読んだことがおありでしょうか?
わたしも現物は読んだ事はありませんが、文部科学省が出している「学習指導要領解説」は普通に書店で買えます(アマゾンでも買えます)ので読んだことがあります。分野ごとに値段はまちまちですが、高いものでも300円もしませんので、一度手に入れられてはいかがでしょう。
さて、教育は可能な限り均一であることが望ましい、とのことですが、名無しさんは学習指導要領を、先生の指導用マニュアルか何かと勘違いされておられるのではないかと思いました。
学習指導要領には「●年生に○○を教えること」みたいに、指導の目標や、それによって何を理解してもらうのかといった学習の狙いなどは書いていますが、その個別具体的な方法=どのように教えるのかまでは書いていません。つまり何を教えるのかを書いてあるのが学習指導要領で、それをどのように教えるかには、ほとんど先生の裁量に任されています。それを先生は授業ごとの「指導計画(これは使い回しがききません。同じ生徒は二人とおらず、同じクラスは二つとないからです。)」というものにまとめ、これに主任教師や教頭、校長の印鑑ももらって、はじめて授業に臨みます。
もちろん、教える”内容”はきっちり同じですよ。だから皆さんもかけ算は小学校2年生で習ったと思います。そういう意味での『均一』化はもう済んでいます。ただ、”教え方”がそれぞれの学校や先生で異なるだけです。それは当たり前の事ですけど、先生や生徒の能力や個性にもばらつきがあり、更には学級の状態、学校の状態、地域の状態にもばらつきがあるからです。たとえば理科で草花の学習をする時、都市部の真ん中にある学校と、山のすぐ傍にある学校では当然教え方が異なってきます。
あるいは都市部にある学校では、工場見学などの社会科学習の場に不自由はしないかもしれませんが、過疎地の学校では、同じようにとはいかないでしょう。
さて、これは不平等な状態でしょうか?
内容をほぼ同一にするというのは教育ではごく当たり前の前提で、そこから先をどうするかは先生の自由な裁量がある程度許されているのは、上記のように「同じ先生」「同じ生徒」は二人とおらず、「同じ学級」「同じ学校」「同じ地域」もまた二つとないために、「均一」な指導では子どもたちにとって却って効率が悪いからです。
具体的な例を挙げて言うと、生徒数が極端に少ない学校では、複数の学年が同じ教室で授業を受ける、という事があるわけです。当然発達度合いは全然違いますから、「均一」に授業などできません。つまりその学校、その学級に合った指導法が多かれ少なかれ存在するということは認識してください。
あるいは、最近ようやく認知が進んできた発達障がいを持つ子どもたちにとって、「均一」な教育とは、文字通り排除の論理として機能します。彼らは各自に特別な支援を必要としていますが、「均一」な教育でその決め細やかな対応が可能でしょうか。
また、あるいは自治体ごとに使う教科書が違うという事もあります。わたしが住んでいる市と隣の市では、違う会社の教科書が使われています。これは市の教育委員会にある程度の裁量が認められているのですが、どうしてそうした裁量が認められているのかについて、思いをめぐらせていただければと思います(さすがにしつこいのでもう繰り返しませんが)。
ちなみにわたしの懇意にしていただいている先生は『教育はなるべく均一でないほうが望ましい』と仰います。これまた当たり前の事ですが、子どもの発達の度合いはその子によって違います。だから本当にその子に合った指導をしようとするなら、それぞれの子どもに合わせるのが良いに決まっています。しかし実際には人手が足りないために、それができないでいるわけですけども。
たとえばわり算を習うならかけ算を、かけ算を習うならたし算を理解する必要があります。そういう意味で段階的な学習が必要にはなりますが、この習得のスピードや深さが子どもごとに異なるのです。
名無しさんも経験があるでしょうけど、九九をすっかり覚えて、かけ算の概念を理解してしまった子と、全然覚えられないで、かけ算がどういう作業なのかも理解できていない子が並存するのが教室という空間です。そういう場で教師が、あるいはその指導法が「均一」であることは実際のところ害悪でしかありません。解らない子にとっては、そのままでは永遠に解らないままです。だから先生はその子に合わせて教え方を変えたり、工夫を加えたりしないといけません。
先生たちがそれぞれの子どもたちの能力、状態に合わせて創意工夫をもって指導することが、子どもたちの発達や学習意欲を高める意味でも大切なのだと思います。ですから教師にある程度裁量権がある現在の多様な指導体制は合理的で妥当なものだと思うし、それを無理やり均一化すべきでないとわたしは考えます。
そして子どもたちに合わせた教育、指導をするというのは、子どもたちに『あなたは尊重されるべき存在だ』という事を伝えるひとつの方法です。同時に自分と他の子への指導法が違うという事は、自分と他の子が違う存在であり、他の子もまた『尊重されるべき存在』で、自分と他の子に能力の優劣があったとしても、『尊重されるべき存在』としては優劣などない事、つまり自他の分離と他者の尊重を教える事になるのです。
名無しさんが教育のどういうレベルで「均一」であることが望ましいと仰っているのかわたしには正確には解りかねますが、指導内容についてでしたら「均一」化はされています。指導方法についてでしたら、そんな事は不可能だし、子どもにとってもよくない、どうしてもというならポル・ポト方式になるがそれでよろしいか、という事になるかと思います。
そしてこれは国旗国歌に対する振る舞いの指導にも当てはまるとも申し上げておきます。
能力や個性や感受性の異なる他者と共に生きるとは、どういう事なのか。それが「均一」な教育で教えられるとはわたしは到底思えません。
例を挙げましょう。国語の時間に新見南吉の『ごんぎつね』を読み、生徒に尋ねたとしましょう。
「ラストシーン、兵十はどんな気持ちだったと思う?」
いろいろな子がいろいろな意見を言うでしょう。
「後悔したと思う」と答える子もいるでしょう。
「”ごん”め、ざまあみろ、と思った」と言う子もいるでしょう。
後者はいささか突飛な答えかもしれません。ここで答えを均一にするのが教育の目的でしょうか?そうではなく、先生は誰の意見も否定しないのが一般的な指導法です。ただし、どうしてそう思ったのか、理由を必ず尋ねます。
「ざまあみろ」と思ったのは、”ごん”のせいで母にうなぎを食べさせられなかったのが、やっぱり許せないと思ったから、という理由があるのかもしれない、となれば突飛と思われた意見にも、それ相応の説得力があることがわかります。それを踏まえて子どもたちに議論してもらうのもいいでしょう。
ここで先生が子どもたちに伝えるべきは、どの意見が一般的とか正しいとかいう事ではなく、「いろんな考えを持った人がいる」というごくごく当たり前の事、そして先生がどんな意見でも否定しない、つまり意見や考え、感じ方が異なっても、それを理由に他者を否定してはいけないという事です。
国旗国歌に対し起立斉唱を強制する事は、兵十の気持ちを想像する余地を奪い、答えをひとつにしてしまうのに等しい事です。
以下、おまけで、もうニ言。
名無しさんには悪いですけど、名無しさんの言い分も含めていつもの光景ですねとしか(^_^;)
> 一部の公立学校の教師達が、年に数回、時間にして1分前後の「起立」の是非を巡って何百名と訴訟を起こし、最高裁まで争おうとしている現状もまた、先進国にはない現象ですね。
あの、これ毎度毎度のテンプレート的言いがかりなんです。強制する前はつつがなく進行していた式が、強制なんかするもんだから、それに抵抗しなければという話になり、訴訟にまで発展しているんです。
つまり因果関係がまるで逆です。
あと、抵抗に際して彼らはその理由をきちんと語っています。むやみに抵抗したり反対したりしているのではないこともご留意ください。
あとjeanvaljeanさんの仰る「裁判所の判断に対する批判精神」については、このブログの右カラムにあるタグの中から「冤罪」をクリックしてあらわれる良記事の数々を読んでください。裁判所でも間違いを犯すことが往々にしてあることを大変解りやすく勉強できますよ。
以上、長文大変失礼しました。当方へのお返事はいただかなくても結構ですが、皆さんとの議論の際に、頭の片隅に少しでも置いていただければ幸いです。
それでは。
滅茶苦茶
名無しさんへ
つっこみどころ満載ですけど、時間が無いので一言。
> 一部の公立学校の教師達が、年に数回、時間にして1分前後の
>「起立」の是非を巡って何百名と訴訟を起こし、
>最高裁まで争おうとしている現状もまた、先進国にはない現象ですね。
はっきり言って、あなた頭悪いですよ。(^^;;
国旗国歌への拝礼斉唱を強制するという前提条件を持っている国が、
現代の先進諸国において他に無いんです。
強制という前提条件が無いんだから、斉唱拒否の有無の比較なんか
出来るわけ無いでしょうに。これは小学校レベルの論理の筋道の話です。
滅茶苦茶な事言いなさんな。
私が米国の判例や、ギイ・モケの話もしたでしょう。そういったことを
あなた読んでますか。命令だから、法令だから、その内容も問わず黙って
一律に従えじゃ、全体主義国家です。
極端な例が、ナチスの時代には、障害者や精神疾患者は、断種法という
法律の下、強制断種させられました。さらに安楽死させられました。
あなたに言わせれば、それは法律による強制化なんだから黙って従え、
拒否することは許されないとなります。
あなたの論理構成ではそうなってしまいますよ。
民主主義、自由主義、人権というものに照らし合わせると、公権力は
間違いを犯すことがあるのです。だから、その内容も問わず、
公権力の言いなりになることは、全体主義国家への道に繋がるのです。
それは、jeanvaljeanさんの指摘されるとおりです。あなたは
民主主義とはどういうものか再考されるべきではないでしょうかね。
つっこみどころ満載ですけど、時間が無いので一言。
> 一部の公立学校の教師達が、年に数回、時間にして1分前後の
>「起立」の是非を巡って何百名と訴訟を起こし、
>最高裁まで争おうとしている現状もまた、先進国にはない現象ですね。
はっきり言って、あなた頭悪いですよ。(^^;;
国旗国歌への拝礼斉唱を強制するという前提条件を持っている国が、
現代の先進諸国において他に無いんです。
強制という前提条件が無いんだから、斉唱拒否の有無の比較なんか
出来るわけ無いでしょうに。これは小学校レベルの論理の筋道の話です。
滅茶苦茶な事言いなさんな。
私が米国の判例や、ギイ・モケの話もしたでしょう。そういったことを
あなた読んでますか。命令だから、法令だから、その内容も問わず黙って
一律に従えじゃ、全体主義国家です。
極端な例が、ナチスの時代には、障害者や精神疾患者は、断種法という
法律の下、強制断種させられました。さらに安楽死させられました。
あなたに言わせれば、それは法律による強制化なんだから黙って従え、
拒否することは許されないとなります。
あなたの論理構成ではそうなってしまいますよ。
民主主義、自由主義、人権というものに照らし合わせると、公権力は
間違いを犯すことがあるのです。だから、その内容も問わず、
公権力の言いなりになることは、全体主義国家への道に繋がるのです。
それは、jeanvaljeanさんの指摘されるとおりです。あなたは
民主主義とはどういうものか再考されるべきではないでしょうかね。
観測霊さんどうも^^
>「同じ先生」「同じ生徒」は二人とおらず、「同じ学級」「同じ学校」「同じ地域」もまた二つとないために、「均一」な指導では却って効率が悪いからです。
まさしくそうですよね。実際に教員をしている人で失敗する例として、「去年はこの指導法で上手くいったから、今年も同じようにやろう」として、学級が崩壊するというのがあるそうで。
教員はその年、その年で、学級経営、授業の指導法を変えていかなければならず、だからこそ大変なんですよね。
>「同じ先生」「同じ生徒」は二人とおらず、「同じ学級」「同じ学校」「同じ地域」もまた二つとないために、「均一」な指導では却って効率が悪いからです。
まさしくそうですよね。実際に教員をしている人で失敗する例として、「去年はこの指導法で上手くいったから、今年も同じようにやろう」として、学級が崩壊するというのがあるそうで。
教員はその年、その年で、学級経営、授業の指導法を変えていかなければならず、だからこそ大変なんですよね。
> AGENさん
こちらこそどうもです(^ ^)
AGENさんの教育学の先生のお話や指導要領のお話(「取扱説明書」、なるほどと思いました)を読んで、わたしも先生から聞いた話を思い出して書き込みをさせていただいたら、まぁ案の定(おい)えらい長文に(^_^;)
秋原さん、いつもすみませんm(__)m
> 教員はその年、その年で、学級経営、授業の指導法を変えていかなければならず、だからこそ大変なんですよね。
本当に大変なお仕事だと思います。最近はうつ病で休職する先生や、若くして離職する先生も多いそうで、そういった事も含めて、先生の大変さってもう少し広く知られていてもいいんじゃないかなぁ、と思います。
大変な上に公務員叩きをくらうわ、歌いたくない歌を歌わない自由もないわ、だとそのうちなり手がいなくなりそうですけども(^_^;)
こちらこそどうもです(^ ^)
AGENさんの教育学の先生のお話や指導要領のお話(「取扱説明書」、なるほどと思いました)を読んで、わたしも先生から聞いた話を思い出して書き込みをさせていただいたら、まぁ案の定(おい)えらい長文に(^_^;)
秋原さん、いつもすみませんm(__)m
> 教員はその年、その年で、学級経営、授業の指導法を変えていかなければならず、だからこそ大変なんですよね。
本当に大変なお仕事だと思います。最近はうつ病で休職する先生や、若くして離職する先生も多いそうで、そういった事も含めて、先生の大変さってもう少し広く知られていてもいいんじゃないかなぁ、と思います。
大変な上に公務員叩きをくらうわ、歌いたくない歌を歌わない自由もないわ、だとそのうちなり手がいなくなりそうですけども(^_^;)
再投稿
質問
畑違いだとは思いますが、
少子高齢化の進む今後の日本における社会保障費増大についてあなたの意見を聞かせて下さい。
また世代間格差が「平等」に近づくための諸策を提示して下さい。
少子高齢化の進む今後の日本における社会保障費増大についてあなたの意見を聞かせて下さい。
また世代間格差が「平等」に近づくための諸策を提示して下さい。
>商社勤務さん
それはそのお題で私にエントリーを書けというリクエストなのでしょうか?
今のところ予定しているエントリーが立て込んでいますので、もし時間と自分の趣向が許せばいずれ書くかもしれません。
今のところ予定しているエントリーが立て込んでいますので、もし時間と自分の趣向が許せばいずれ書くかもしれません。
ごん
<週刊ポスト2012年1月13・20日号より転載>
反君が代教師「君が代を弾くと指が震え胸がつまり冷汗出る」
橋下徹・大阪に市長が推進する教育改革に対し、教員組合側は激しく反発している。昨年12月上旬には、大阪職員組合(大教組)など8団体が主催した1400人を集めた反対集会が開かれた。
集会に参加した教師たちは、普段は子供たちに教育を施す「先生」である。そして、子供たちには暴力的な行為を否定することを教えている。だが、そうした“聖職者”が我慢の限界を超えると、時として自身が“暴力装置”に変貌することがある。その“導火線”となってきたのが「君が代」問題だ。
2008年に橋下氏が府知事に就任して以降、大阪では教職員への国歌斉唱時の不起立に対する戒告処分が続いてきた。2010年3月に府立高の卒業式で起立しなかった4人の教員が戒告処分を受け、昨年6月には府議会で「君が代起立条例」が成立し、府立校で君が代斉唱の際の起立が義務化された。現役の府立校教諭で、「『日の丸・君が代』強制反対ホットライン大阪」事務局の井前弘幸氏が語る。
「個人の思想・良心から国歌斉唱の際に不起立をする者の多くは、組合活動を熱心に行なってきた50代の教員です。今後も自身の信条に従って起立せず、条例に背いて処分を受け入れる可能性が高いでしょう。
橋下市長の狙いは、こうした教員を学校から追い出して若い教員の後ろ盾を奪ってから、評価システムで管理・支配をしていくことにある。そのために君が代を踏み絵にしたのでしょう」
それが教組の中核教員に絶大な影響を与えることは、過去の事例からわかる。東京の都立高校元教諭で「不起立のジャンヌ・ダルク」の異名を持つ女性教師は、自身のHPでこう心情を述べている。
「(式典で君が代を聞くと)心臓がバクバクし、中国大陸に侵攻した日本軍の若い兵隊が中国人捕虜を銃剣で突くように命じられた姿が浮かんだ。私は“お前は突くのか”といわれているようだった」
こうした「反君が代」教員の相談に乗ってきた精神科医の野田正彰・関西学院大学教授の調査では、こんな事例が報告されている。
「音楽準備室に入り込んでくるカメムシが教育委員会の人間に見えて、見張りにきたと感じた」
「クビを吊っているイメージが浮かぶ」
「『君が代』を弾こうとすると指が震え、胸がつまり、冷や汗が出てくる」
極端なものになると、「ピアノ伴奏を強要され続けた音楽教師がストレスによる出血で緊急入院し、診断を受けたところ胃の動脈8か所から出血していた」という。このエピソードは昨年のW選挙期間中に『赤旗』による橋下批判記事で取り上げられ、教師たちの間で反響を呼んだ。
(終了)
君が代強制問題に関しては、「私」の場合戦争もその後の極左の方の言論も経験していない世代ですので、君が代から戦争の凄惨さが連想されて辛いといったことはありません。
「私」は君が代や日の丸を忌避する方の気持を表面的にしか読み取れませんが、強制されて精神的に病んでしまわれる方を看過することは出来ません。
強制されて被害を受ける方の実例が挙がる時点で、橋本市長等の権力者が如何に当然のことと考えても、国歌斉唱の強制は不適切な処置だと素直に理解出来ます。
ただそれだけのことを躍起になって「強制」する理由が分かりませんね。
反君が代教師「君が代を弾くと指が震え胸がつまり冷汗出る」
橋下徹・大阪に市長が推進する教育改革に対し、教員組合側は激しく反発している。昨年12月上旬には、大阪職員組合(大教組)など8団体が主催した1400人を集めた反対集会が開かれた。
集会に参加した教師たちは、普段は子供たちに教育を施す「先生」である。そして、子供たちには暴力的な行為を否定することを教えている。だが、そうした“聖職者”が我慢の限界を超えると、時として自身が“暴力装置”に変貌することがある。その“導火線”となってきたのが「君が代」問題だ。
2008年に橋下氏が府知事に就任して以降、大阪では教職員への国歌斉唱時の不起立に対する戒告処分が続いてきた。2010年3月に府立高の卒業式で起立しなかった4人の教員が戒告処分を受け、昨年6月には府議会で「君が代起立条例」が成立し、府立校で君が代斉唱の際の起立が義務化された。現役の府立校教諭で、「『日の丸・君が代』強制反対ホットライン大阪」事務局の井前弘幸氏が語る。
「個人の思想・良心から国歌斉唱の際に不起立をする者の多くは、組合活動を熱心に行なってきた50代の教員です。今後も自身の信条に従って起立せず、条例に背いて処分を受け入れる可能性が高いでしょう。
橋下市長の狙いは、こうした教員を学校から追い出して若い教員の後ろ盾を奪ってから、評価システムで管理・支配をしていくことにある。そのために君が代を踏み絵にしたのでしょう」
それが教組の中核教員に絶大な影響を与えることは、過去の事例からわかる。東京の都立高校元教諭で「不起立のジャンヌ・ダルク」の異名を持つ女性教師は、自身のHPでこう心情を述べている。
「(式典で君が代を聞くと)心臓がバクバクし、中国大陸に侵攻した日本軍の若い兵隊が中国人捕虜を銃剣で突くように命じられた姿が浮かんだ。私は“お前は突くのか”といわれているようだった」
こうした「反君が代」教員の相談に乗ってきた精神科医の野田正彰・関西学院大学教授の調査では、こんな事例が報告されている。
「音楽準備室に入り込んでくるカメムシが教育委員会の人間に見えて、見張りにきたと感じた」
「クビを吊っているイメージが浮かぶ」
「『君が代』を弾こうとすると指が震え、胸がつまり、冷や汗が出てくる」
極端なものになると、「ピアノ伴奏を強要され続けた音楽教師がストレスによる出血で緊急入院し、診断を受けたところ胃の動脈8か所から出血していた」という。このエピソードは昨年のW選挙期間中に『赤旗』による橋下批判記事で取り上げられ、教師たちの間で反響を呼んだ。
(終了)
君が代強制問題に関しては、「私」の場合戦争もその後の極左の方の言論も経験していない世代ですので、君が代から戦争の凄惨さが連想されて辛いといったことはありません。
「私」は君が代や日の丸を忌避する方の気持を表面的にしか読み取れませんが、強制されて精神的に病んでしまわれる方を看過することは出来ません。
強制されて被害を受ける方の実例が挙がる時点で、橋本市長等の権力者が如何に当然のことと考えても、国歌斉唱の強制は不適切な処置だと素直に理解出来ます。
ただそれだけのことを躍起になって「強制」する理由が分かりませんね。
>商社勤務さん
アフタヌーン・カフェのバイト店員の村野瀬玲奈と申します。私のつたない記事ですが、とりあえず、こちらをお読みになっていただければ、少しだけご要望におこたえしているかもしれません。
「政治は『格差』や『反目』をあおってはならない」
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3103.html
あとは、政治家の信念とやる気だと思います。
「政治は『格差』や『反目』をあおってはならない」
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3103.html
あとは、政治家の信念とやる気だと思います。
>ただそれだけのことを躍起になって「強制」する理由が分かりませんね。
全くその通りです。私は、こんな風にたとえています。
卵アレルギーの人に寄ってたかって、「卵アレルギーなんて甘えだ!食えば治る!」と怒鳴りつけながら無理やり卵料理を食べさせること。
年少の非喫煙者の顔に向かって煙を吐きかけながらうまそうに吸う年長の喫煙者。
「これはコミュニケーションの潤滑油なんだよ」と言いながら宴会で嫌がる女子社員の体を触るセクハラ人事部長。
社員を片っ端から新興宗教に誘い、社員が嫌がると怒り出すワンマン社長。
イスラム教信者に豚肉を食べさせようとする無宗教者あるいは他宗教の信者。
ヒンズー教徒に牛肉を食べさせようとする無宗教者あるいは他宗教の信者。
嫌がっている相手が一人か大勢かは問題ではありません。「他人のいやがることをしてはいけません」と子どもの頃親に言われましたよね、みなさん。
全くその通りです。私は、こんな風にたとえています。
卵アレルギーの人に寄ってたかって、「卵アレルギーなんて甘えだ!食えば治る!」と怒鳴りつけながら無理やり卵料理を食べさせること。
年少の非喫煙者の顔に向かって煙を吐きかけながらうまそうに吸う年長の喫煙者。
「これはコミュニケーションの潤滑油なんだよ」と言いながら宴会で嫌がる女子社員の体を触るセクハラ人事部長。
社員を片っ端から新興宗教に誘い、社員が嫌がると怒り出すワンマン社長。
イスラム教信者に豚肉を食べさせようとする無宗教者あるいは他宗教の信者。
ヒンズー教徒に牛肉を食べさせようとする無宗教者あるいは他宗教の信者。
嫌がっている相手が一人か大勢かは問題ではありません。「他人のいやがることをしてはいけません」と子どもの頃親に言われましたよね、みなさん。
>ごんさん
いわゆる先進国と言われる国において、国歌斉唱を無理矢理強制する国などどこにもありません。
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html
加えて君が代は他の民主主義国の国家と違い、軍国主義ファシズムの象徴であったという歴史を背負っていますから、民主主義の理念と相容れない歌だと抵抗がおきるのが自然です。私もこちらで日の丸君が代の歴史を少しばかり書いています。http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-232.html
>ただそれだけのことを躍起になって「強制」する理由が分かりませんね。
フリスキーさんがこちらでずばり核心ついてらっしゃいます。
結局ね、橋下徹は、 日の丸君が代を、“踏み絵”にして権力者に対して
従順な羊の群れを作りたいのですよ
フリスキーさんが書かれている一連の「国旗国歌」の記事(2011/5/31~2011/6/6)は私のオススメです。
・フリスキーの日記 http://d.hatena.ne.jp/furisky/
余談ですが、先生達が集会に参加することを日頃先生達が否定している暴力的な行為だと否定的な評価しているところがさすが週刊ポストクオリティかな、と思います。自分たちの意見表明のために集会開くのは憲法で保障された人権の基本中の基本なのにね。
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html
加えて君が代は他の民主主義国の国家と違い、軍国主義ファシズムの象徴であったという歴史を背負っていますから、民主主義の理念と相容れない歌だと抵抗がおきるのが自然です。私もこちらで日の丸君が代の歴史を少しばかり書いています。http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-232.html
>ただそれだけのことを躍起になって「強制」する理由が分かりませんね。
フリスキーさんがこちらでずばり核心ついてらっしゃいます。
結局ね、橋下徹は、 日の丸君が代を、“踏み絵”にして権力者に対して
従順な羊の群れを作りたいのですよ
フリスキーさんが書かれている一連の「国旗国歌」の記事(2011/5/31~2011/6/6)は私のオススメです。
・フリスキーの日記 http://d.hatena.ne.jp/furisky/
余談ですが、先生達が集会に参加することを日頃先生達が否定している暴力的な行為だと否定的な評価しているところがさすが週刊ポストクオリティかな、と思います。自分たちの意見表明のために集会開くのは憲法で保障された人権の基本中の基本なのにね。
>村野瀬玲奈さん
バイト店員だったんですかっ(゜□゜;)ノ!?
どうしようバイト代払ってない・・・せっかく優良店として徐々に評判があがってきて常連のお客さんも増えてきたのに、このままじゃブラック企業認定されてしまう~~
どうしようバイト代払ってない・・・せっかく優良店として徐々に評判があがってきて常連のお客さんも増えてきたのに、このままじゃブラック企業認定されてしまう~~
>秋原葉月さん
転載した記事にもありますが、国歌を「踏み絵」に「利用」しようとする人こそ心が歪んでいます。
君が代の内容云々について議論するのではなく、己の思想にとって不都合な人を無理矢理焙り出すための口実に利用しているのですから。
余談の件ですが、その通りですね。
強制による被害者の実例を転載するのに必死で、一部に見え隠れする著者の考えを読み取れていませんでした。
週刊誌に止まらず大手の新聞においても随所に許されざる主張が見られます。
一言一句細かい表現の仕方も目を凝らしてマスコミの思惑を読み取る必要がありますね。
最近皆さんが頻繁に指摘されていますが、読売新聞はあまりに露骨な表現というより論旨自体が他とは異なりますね。
先日の環境影響評価書を夜中に沖縄防衛局による沖縄県庁への持ち込んだことを正当化する記事の浮き様には呆然とするばかりでした。
さすが発行部数日本一を誇る傲岸読売新聞です。
君が代の内容云々について議論するのではなく、己の思想にとって不都合な人を無理矢理焙り出すための口実に利用しているのですから。
余談の件ですが、その通りですね。
強制による被害者の実例を転載するのに必死で、一部に見え隠れする著者の考えを読み取れていませんでした。
週刊誌に止まらず大手の新聞においても随所に許されざる主張が見られます。
一言一句細かい表現の仕方も目を凝らしてマスコミの思惑を読み取る必要がありますね。
最近皆さんが頻繁に指摘されていますが、読売新聞はあまりに露骨な表現というより論旨自体が他とは異なりますね。
先日の環境影響評価書を夜中に沖縄防衛局による沖縄県庁への持ち込んだことを正当化する記事の浮き様には呆然とするばかりでした。
さすが発行部数日本一を誇る傲岸読売新聞です。
>秋原葉月さん
>バイト店員だったんですかっ(゜□゜;)ノ!?
私だけじゃありません。ここの常連さん、皆がそうです。私は勤務時間が短いですが、ほかの方々の中にはものすごい長時間労働の方もいらっしゃいます。^^
>このままじゃブラック企業認定されてしまう~~
給料払えデモでもしましょうか。
クレヨンしんちゃんの物まねをしてくれたら、要求を引っ込めてもいいのですよ。ヾ(・ε・。)
私だけじゃありません。ここの常連さん、皆がそうです。私は勤務時間が短いですが、ほかの方々の中にはものすごい長時間労働の方もいらっしゃいます。^^
>このままじゃブラック企業認定されてしまう~~
給料払えデモでもしましょうか。
クレヨンしんちゃんの物まねをしてくれたら、要求を引っ込めてもいいのですよ。ヾ(・ε・。)
夕べも、秋原さんが夢に出てきたんですよ。
で、内容は忘れてしまったのですが、
おぼろげながら覚えているのは、
秋原さんがなんとメイドさんの格好をしていたんです。
ヽ(^o^)丿イラッシャイマセ!ご主人さまって世界だったのかな?
で、内容は忘れてしまったのですが、
おぼろげながら覚えているのは、
秋原さんがなんとメイドさんの格好をしていたんです。
ヽ(^o^)丿イラッシャイマセ!ご主人さまって世界だったのかな?
>村野瀬玲奈さん
え~~~みんなお客様だと思ってたら店員さんだったのね~~~、
これじゃあお金が出ていく一方で入るアテがないわ(ToT)
仕方がないわ、お給料はAfternoonCafeのコーヒーチケット、じゃなくてコメントチケットで支払うことにしましょう。好きなだけ何度でもコメントできる回数券。
いらない^^;;;?
これじゃあお金が出ていく一方で入るアテがないわ(ToT)
仕方がないわ、お給料はAfternoonCafeのコーヒーチケット、じゃなくてコメントチケットで支払うことにしましょう。好きなだけ何度でもコメントできる回数券。
いらない^^;;;?
>フリスキーさん
うふふ、そりゃオーナー自らAfternoonCafeの店頭で接客するのでございますわよ。
でもどっちかというと、ツンデレCafeかも。
ネトウヨのお客さんにはよく
「ちゃんと記事読んで理解してからお店に来なさいよね!別にあんたの教えてに構ってやるためにお店開いてるわけじゃ、ないんだから!」
って言ってますもん。
でもどっちかというと、ツンデレCafeかも。
ネトウヨのお客さんにはよく
「ちゃんと記事読んで理解してからお店に来なさいよね!別にあんたの教えてに構ってやるためにお店開いてるわけじゃ、ないんだから!」
って言ってますもん。
Afternoon メイド Cafe
>いらない^^;;;?
いえ、だから、メイド服着てクレヨンしんちゃんの物まねでみんなの夢に出てくるなら許しますって何度言ったら(ry
それにしてもフリスキーさんの夢すごすぎ
いえ、だから、メイド服着てクレヨンしんちゃんの物まねでみんなの夢に出てくるなら許しますって何度言ったら(ry
それにしてもフリスキーさんの夢すごすぎ
>村野瀬玲奈さん
ではとりあえずこのSキャラなメイドコスプレの壁紙を枕の下に敷いて
http://matome.naver.jp/odai/2129721455882531701/2129721581782590803
この歌を聴きながら眠りについてくださいね♪
http://www.youtube.com/watch?v=AdX0E-BShEc
これで給料ちゃら♪
あら、さっそくお客様だわ・・・AfternoonツンデレメイドCafeオーナーの葉月、がんばりま~す♪♪http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-836.html#comment5374
http://matome.naver.jp/odai/2129721455882531701/2129721581782590803
この歌を聴きながら眠りについてくださいね♪
http://www.youtube.com/watch?v=AdX0E-BShEc
これで給料ちゃら♪
あら、さっそくお客様だわ・・・AfternoonツンデレメイドCafeオーナーの葉月、がんばりま~す♪♪http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-836.html#comment5374
はじめまして。村野瀬玲奈さんとこからです。
公務員叩きの面ですか。
皮肉?にも民主党の政治主導は挫折らしいですが。大阪は成功みたいですね。
どうもよくわからない攻撃的世論です。
公務員叩きの面ですか。
皮肉?にも民主党の政治主導は挫折らしいですが。大阪は成功みたいですね。
どうもよくわからない攻撃的世論です。