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急を要する“民主的成熟”、しかし…
新自由主義(強欲資本主義推進の小さな政府論);ネオコン・市場原理主義の嵐が吹き荒れる現在…。アメリカ発のマネーゲーム“博打経済”の歯止めがかからない暴走に巻き込まれた、日本経済の実態をみるに…庶民の命や暮らしは、歯牙にもかけられず、ひと握りの富裕層(経団連など財界や大企業…)や不届きな政治屋に牛耳られ、『民主的経済』とは程遠い状況・環境に放置された国民は、経済的にも精神的にも疲弊し切っており、今、政治が何を企み、財界がどんな日本経済にしようとしているのか、腰を据えて冷静に思考する“余裕”すらなくなり、心が荒みきっている大多数の国民がフラストレーションの発散を狂気に満ちた、石原慎太郎や橋下徹のようなパラノイア(偏執者)に求めている。少し前までは国民も、政治に関して不信感はあったがなんとか我慢ができていた。しかし長い閉塞の中で溜まりに溜まった不信がここに来て“怒り”となって爆発したのであるが、その矛先を橋下が巧妙に口八丁手八丁であらぬ方向へ仕向け、皆んながそれに乗っかってしまった。負の怒りの感情は、理論では御し難い。宗教や民族の対立がそれを如実に表している。護憲・左派陣営も民衆の怒りを吸い上げ真の敵に向かわせる有効な手だてなるものを見つけ出せずにいる様に感じられる、またはあっても民衆に聞く耳がない…。石原(保守の老骸)や橋下(三流タレント)を救世主と崇め奉っている民意なるものを覚醒する為には、プリミティブな怒りをも凌駕する強力かつ説得性を持つ理論武装が不可欠であると考えます。何より大切なものは、秋原さんご指摘の“民主的に成熟したメンタリティ”ですね。しかし、これを民衆に広げることは一朝一夕にはいかない難しい悩ましい問題ですね…。やはり長い目で捉えて“民主的教育”が大切でしょうが、それさえもハシズムにより、崩壊の危機に晒されている…どうしたものでしょうかねぇ~。
国歌は強制されるべきです
民主主義である国はなおさら「国歌を唱和して国家に忠誠を誓う」必要性があるのですが、そんなこともわかりませんか?
国民主権の民主国家では、国家に忠誠を誓うのは「当然の義務」なのです。
とくに公務員はね。
自分の仕事の権限の源泉は国家であるのにそれを否定する。なんの冗談でしょう。
つまり公務員は国歌を歌わない、否定する権利など無いのです。
そうそう、権力者?
誰ですか?
貴方の中にある都合の良い敵を想定してそれをむかって吠えないように。
>民主的に成熟したメンタリティ
橋下は民主主義によって選ばれました。
自分の気に入らない結果が出ると「成熟していない」とかいう言い訳をしないように。
左派のアホが言うことは自己都合の妄想ばかりで。あきれ返る。
気に入らなければ民主主義を否定する(嘲笑
馬鹿かw
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日の丸君が代強制によってもたらされる一番の悪影響は何でしょうか。
それは、一言で言えば、国民のメンタリティが、権力者(特に独裁的な権力者)が統治するのに非常に都合のいいものにさせられてしまうことです。
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戦中の日本にも「独裁的な権力者」なんて存在していないのに(嘲笑
天皇でさえ「臣下一同」の意見に逆らえない「徹底した合議の国」で独裁者?
ぜひとも見てみたいね(笑)
まぁ、あなたのような左翼被害者妄想の中にしか存在しない独裁者なのだろうけど(嘲笑)
そうそう、橋下が独裁者だというなら、自分の知能を疑うことをお勧めします。
橋下は独裁者にはなっていませんし、現在の制度ではなれません。
つまり独裁者ではありません。
改革者ではありますけどね。
情けない
橋下を全面的に応援をしている訳ではないが
このまえのTVでのバカ学者のような輩が多いのも
事実である。あなたもその類いのようですね?
国旗国歌強制論者および橋下支持者の知的レベルを示すサンプルとしてフキハラさんのコメントを承認してみました
>戦中の日本にも「独裁的な権力者」なんて存在していないのに(嘲笑
天皇でさえ「臣下一同」の意見に逆らえない「徹底した合議の国」で独裁者?
ではあなたは戦前戦中の日本が国民主権の民主主義国家だという評価をしているのですか?
もう一つ。
>世界中、どこの国でもそうです。
>民主主義である国はなおさら「国歌を唱和して国家に忠誠を誓う」必要性があるのですが、そんなこともわかりませんか?
国民主権の民主国家では、国家に忠誠を誓うのは「当然の義務」なのです。
とくに公務員はね。
自分の仕事の権限の源泉は国家であるのにそれを否定する。なんの冗談でしょう。
つまり公務員は国歌を歌わない、否定する権利など無いのです
世界の先進民主主義国で、国歌を強制し、歌わないと処罰するようなような国はどこにもありませんよ。日本だけです。ご自分の空想と現実をごっちゃにされても困ります。国歌を強制しないのが「世界の常識」なのです。
もし国歌を歌うことを公務員なり国民に強制し、歌わねば処罰する民主主義国家があるなら具体的に国名を出してください。それから強制しているという根拠も出してください、あなたの想像では無しに。
これほど常識的な知識が欠落している方に応援されてる橋下さんがちょっと気の毒になりました。
>反民主さん
そのうえで具体的にどこが陰口かを根拠をあげて説明してください
ちなみに私も民主党は支持していません。言ってみれば「反民主」です。偶然ですね。
フキハラさんへ
先進諸国の中で日本だけです。あなたの発想は、ベクトルとしては北朝鮮的ですよ。
北朝鮮嫌いでしょ?
ならば、その考えを改めてね。(笑)
例えばアメリカには、忠誠の誓いがありますが、
これもまた教師、生徒を含めて、拒否する自由が判例で確立しています。
星条旗を踏みにじり、燃やす自由さえ認める判例があるのを知らないのかな。
事実を捏造して、デマを撒き散らすのはやめましょう。
いや、
あなたの文面を拝読するに、捏造された事実、デマを間に受けて
いるだけかもしれませんが、その認識は改めてくださいね。
価値判断以前に、事実は事実として知っておきましょうね。
次、こちらに投稿するときは、間違えた情報をこちらに書いたことを
まず訂正して、お詫びするべきでしょうね。
間違えた情報とは、↓↓↓
>民主主義である国はなおさら「国歌を唱和して国家に忠誠を誓う」必要性があるのですが、
>そんなこともわかりませんか?
>国民主権の民主国家では、国家に忠誠を誓うのは「当然の義務」なのです。
恥ずかしいのは、知らないことではありません。
恥ずかしいのは、無知に居直り、知を踏みにじることですから、
まず知ることから始めましょう。
追伸
↓↓↓
国歌斉唱強制化と従わないものへの処罰は、世界の非常識ではあれど、
日本は民主主義と自由主義を捻じ曲げても構わないので、
国民をお上に従順な羊の群れとするべきだ。
君が代日の丸は、そのための有効なツールとして最大限に利用するべきだ。
断固、強制化して、非国民を作り出し、彼らを排除することで、
支配層に逆らわない国民の群れをつくるべし。
人権意識のカケラもない…
気に入らなければ民主主義を否定する(嘲笑
馬鹿かw
品格・品性のカケラもない、唾棄すべき罵詈雑言…、常識あるまともな人間が口にする言葉ではないぞ君!!!。
この様な言葉を他人に吐き続けていると、君自身が人様から相手にされなくなることを冷静に考えるべきだと思うよ、君ぃ…。議論以前の問題だよ、君ぃ!!! 何よりblog主の秋原葉月さんに対して失礼極まりない野蛮な行為だよ…。まずは秋原さんに謝罪し給えよ…。議論はそれからだ…。それが出来ないのなら、他民族の方々を差別・侮蔑し、自分たちの優越感を満足させる人権意識のかけらも品性・品格もなく、時代錯誤の侵略戦争を美化・礼讚する低俗極まりなき、ネトウヨのblogで、気の合うお友達と、じゃれ合って遊んでいなさいな。ここの高貴なblogは、君たちの様な下劣窮まる思想の持ち主には、似つかわしくないと、助言するよ…。
『おととい来やがれッ!。』って、僕の大好きな江戸言葉なんだけどさぁ、君にプレゼントするから、有り難く受け取っておきなさいな…。いや、遠慮は要らないから…。
今度来る時は、秋原葉月さんに敬意を持って、美しい日本語でルールとマナーを守った議論をしようじゃないか…。
(。^p〇q^。)プッ
トリックに彩られたかわいそうな日本の国旗・国歌
これは「日の丸」「君が代」を強制したい人たちの仕組んだトリックなんです。
「職員の服務の宣誓に関する政令」というのをみれば、忠誠を誓うのは国家ではなく、日本国憲法と国民であることはハッキリしているんです。http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S41/S41SE014.html
弁護士の橋下さんは、このトリックを自分の権力欲のために利用しているんです。確信犯・ジコチューです。「国旗」「国歌」なんて、恐らく「くそ」みたいに思っているかも知れません。だって彼、「日の丸」を見たら、どこにいても礼拝しているんでしょうか?この前ボクシングの前に歌ったとき、ホントに「斉唱」だったのでしょうか?
また大阪の学校では「君が代」「日の丸」の意味や由来、歴史、果たしてきた役割を教材をつくって教えるでしょうか?きっとしないと思います。
恐らく利用されている「君」さん、「日」さんも「丸」さんも苦笑いしているでしょうね。
はじめまして。
〉 世界中、どこの国でもそうです。
では、具体的な国名を挙げてください。
現在、「国旗国歌」を国民(公務員限定でもいいです)に強制し、従わなければ処罰される民主主義国はどこですか?「世界中そうだ」という漠然としたお答えではなく、具体的な国名を挙げてくださることを希望します。
「世界中どこの国でもそうだ」とおっしゃるのですから、大変簡単な質問だと思います。楽しみにしています。
ちなみに以下のような調査もございますので、参考になさってください。
■世界各国の状況
(内閣総理大臣官房審議室、および外務大臣官房儀典官室による1985年資料
「諸外国における国旗国歌について」から)
1)学校教育での国旗国歌の取扱い(主要40ケ国在外公館調査)
a.ヨーロッパの立憲君主国では学校での国旗掲揚や国歌斉唱をすることが殆ど無い。
イギリス: 普通の歴史と音楽の授業で取扱い、学校行事では掲揚せず歌わない。
オランダ: 特に教育する事はない。学校行事で掲揚や歌唱という事も特にない。
ベルギー: 国旗掲揚の義務はなく慣例もまちまち。国歌は教育されていない。
スペイン: 学校での規定はない。
デンマーク: 特別の教育はしない。普通の授業で言及。国歌は行事で殆ど歌わない。
ノールウエー:特別な教育はしていない。両親が教えて子供はすでに歌っている。
スウエーデン:教科書に無い。国旗は教師に一任。国歌は学校で特別に教えない。
b.ヨーロッパの共和国ではむしろ革命をおぼえて国旗国歌を強調する。
しかし、例外がいくつもある。次のとおりである。
ギリシャ:学校での規定はない
イタリア:教科書には書かれず、それによる儀式は行われない。
スイス: 学校内で実際に国歌を歌う事は殆ど無い。
ドイツ: 各州の権限で決められる。
オーストリア:国旗は学校で特に扱われない。
ハンガリー:教科書では取り扱われていない。
旧ユーゴ:強制はない。教科書での取扱いも学校行事での使用もなかった。
c.アジア・アフリカ地区では、学校での教育を求めている事が多い。
d.米州・オセアニア各国での例
カナダ: 国旗も国歌も学校と特定の関係が見られ無い。
アメリカ:国旗が掲揚されるが儀式強制はない。国歌は学校と特定の関係が無い。
キューバ:国歌は学校での規定はない。
オーストラリア:国旗を政府が提供。掲揚も国歌も各学校に委ねられている。
ニュージーランド:学校のための統一された規準はない。
2)国歌を国民の慣習に任せ、政府が追認指示するのみで、
正式の法律・勅令・大統領決定・最高議会決定で制定していないおもな国
大韓民国・インドネシア・タイ・イスラエル・エチオピア・エジプト・イギリス・
オランダ・イタリア・スイス・デンマーク・ノールウエー・スエーデン・
フィンランド・オーストリア・ハンガリー・ブルガリア・キューバ・ニュージー
ランド
旧チェコ・旧ルーマニア
(40ケ国中21ケ国:1975年調査を1985年修正)
少し古い調査ですが。
もし今は状況が違うという事でしたら、どこがどのように変化したのか具体的にご指定いただけると助かります。
>リラックスさん
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-816.html#comment4846
>リラックスさん
2011.11.27 ( Sun ) 22:07:19 | 秋原葉月 | URL | Edit
>ハッキリ言ってしまえば、ここのBLOGを開いて、わざわざ長文の記事を読む人なんて、普通の人はしません。
じゃあそんなブログをわざわざ覗きに来てるあなたは相当な悪趣味ですね(笑)
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-816.html#comment4849
秋原葉月さん
> じゃあそんなブログをわざわざ覗きに来てるあなたは相当な悪趣味ですね(笑)
⇒
はい、悪趣味です。
皮肉じゃなくて、かなり楽しませてもらっています
それで私は次のように申し上げました。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-816.html#comment4897
>リラックスさん
2011.11.29 ( Tue ) 23:23:14 | 秋原葉月 | URL | Edit
あなたは、このブログを覗くのは悪趣味な人間だし、自分も悪趣味で覗いていると仰いましたね。
そういう侮辱的な方のコメントはタチの悪い冷やかしでしかないですし、何度も粘着されるのは非常に気持ち悪いです。
そういう方のコメントは二度と承認することはありませんし、のちほど全て削除させていただきます。
あきらめて、このブログを覗くような悪趣味をおやめになることをオススメします。
仕方ありませんね、自分の言動の責任は取りましょう、まさしく自己責任です。
二度と承認しないと言ってるのにまだ私のブログをのぞいてコメントしにくるとは、本当に気持ちが悪い粘着質なのですね。そういうのをブログストーカーというのです。
世界の「国歌斉唱」事情
2005年の初演時のチラシに以下のようなエピソードが記載されています。
「歌わせたい男たち」は、
ロンドンのとある劇場との提携公演になるはずでした。
そこの芸術監督、マイクさんが、
私に新作を依頼してくださったのです。
私は喜んで新作のあらすじを書き、マイクさんに送りました。
しばらくして、マイクさんから連絡がありました。
「あのう……これはいったい、何十年前の話なんですか?」
「えっ、今の話ですけど……」
「今? 本当に?」
「ええ、今、本当に日本で起きていることなんです」
マイクさんは困っているようでした。
そして、慎重に言葉を選んでこう言いました。
「私は確かに、あなたの書きたいことなら何でもいいと言いました。
ただ……もうちょっと普遍的なことが書けないでしょうか?」
「これ、普遍的じゃないですか?」
「はい、少なくともロンドンの観客にとっては……」
「でもマイクさん、どこの国の話であっても、人間に起こりうることなら、
それは、普遍的な芝居になるって、そうおっしゃいましたよね?」
「ソーリー!この芝居をロンドン市民に理解させることは不可能です。
彼らはきっとこう言うでしょう。この芝居は変だ。
もし学校でこんなことがあったなら、
全国の先生たちがストライキをして、国中が大騒ぎになるはずだ。
なのに、この芝居じゃ全然そうなってない……と」
「でも、でも、日本では……」
「ナガイさん、もっと文化的に越境が可能なコラボレーションをしましょう」
ということで、この芝居はロンドン市民に振られてしまいました。
まぁ、しょうがないことなのかもしれません。
この芝居は、海外のメディアが、
”仰天ニュース”として伝えたという
「日本では先生が国歌を歌わないと罰を受ける」話なんですから。
2008年の再演時のパンフレットには、「世界の国歌斉唱事情」というページがあるのですが、
全部書き起こすにはかなりの情報量だなあ…と思っていたら、
既に書き起こしてくださっている方がいらっしゃいました。
世界の「国歌斉唱」事情
http://kokoro-no-jiyuu.blog.so-net.ne.jp/2008-04-08
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、中国、韓国、
カナダ、スウェーデン、デンマーク、スイス、オーストリア、ベルギー、
オランダ、スペイン、ポルトガル、インドの調査結果が載っていますが、
その中で学校での国歌斉唱、国旗掲揚が法律で義務づけられ、
罰則も定められているのは中国だけのようです。
>ドロップさん
民主主義とは
自分の気に入らない結果が出ると「成熟していない」とかいう言い訳をしないように。
左派のアホが言うことは自己都合の妄想ばかりで。あきれ返る。
民主主義は選挙制度だけではないのです。そんな矮小なものではないのです。基本的人権を守ることが民主主義の土台なのです。国歌斉唱の押しつけは、この基本的人権を侵すことです。憲法19条が何を言っているのか、あなたは知っていますか?「思想信条の自由は、これを侵してはならない」と書いてあるのです。
民主主義が根づいている国では、公務員は市民としての権利を有します。公務員は、市民にサービスを提供するとともに、自らも市民であるのです。思想信条の自由という市民としての権利をもっているのです。フランスでは、一般新聞の声蘭に、現職の警察官が意見を述べているのをよく目にします。警察官は市民としての権利、表現の自由を行使しているのです。日本では考えられないことです。これが真の意味での民主主義です。
私はフランスの教科書を日本に紹介している者です。教科書では、市民としての権利を繰り返し教えています。そしてつねに憲法にはどう書かれているか、法律は何を言っているのかを教えます。これが、将来のこの国の民主主義を担う市民をつくるのです。
民主主義は、右とか左ではありません。私たちはさいわい、民主主義を標榜する国の国民です。しかし民主主義は、構築の途上です。国歌斉唱の強制を見るとおり、市民としての権利は、まだ実現されていません。一緒に民主主義を前進させようではありませんか。私たちの子孫に、より民主的な社会を渡そうではありませんか。それは私たちの義務なのです。
フキハラさんへ
国民主権の民主国家では、国家に忠誠を誓うのは「当然の義務」なのです。
とくに公務員はね。
ちょっと脱線しますが、あなたのような未成年の方に一度、聞いていただきたい事があります。生徒がもしも、君が代を拒否したら教師はどうすべきでしょうか? やはり強制すべきなのでしょうか? ひとつ国語教員の方から教わった面白いお話をいたしましょう。
その教員の方が教えている学校では学級崩壊が問題になっていて、古典の授業をしようとしても生徒側は従わない、配ったプリントを教師の前で破り捨てるなどそれはすさまじい物でした。枕草子、源氏物語、そんな物(いや、これとても面白い話ですけどね?)を持ってきても生徒は見向きもしない。そこで、その教員の方は、浦島太郎の話を持ってきたんですね。明治時代の教科書に載っていた物や御伽草子に載っていた浦島太郎など、全部で3種類。
「お前たち、浦島太郎なら知っているだろう?」そう教師が問いかけると「馬鹿にすんなよ、そんくらいわかる!」って声が返ってき、生徒達は配られた浦島太郎のプリントを受け取り、ようやく授業ができるようになったんですね。3種類の浦島太郎はそれぞれ結末や物語が違っていてとても面白く、教師が「今日はここまで」と言うと生徒から「もっとやれよ」って声が返ってくるようにまでなりました。
古典をただ訳して文法わけのテスト専門の授業と古典に生徒の方から興味を持つ授業。果たして、真の意味で古文を愛せるようになるのはどちらの授業でしょう?
と、ここまで言っていてつまり、何が言いたいのかといいますと、強制的に教育を埋め込もうとしても生徒は答えない。当たり前です。だって心から惹かれないのですから。
民主主義だってそういうことじゃないですか? 自身の思想、心情に反する物は強制出来ないというのが真の民主主義国家で、その民主主義的な考えを教師が捨ててしまえば、この国はファシズムに進むしかなくなる。
国歌をただ歌って権力者にひれ伏す愛国心と国民のほうから文化を愛せるような愛国心。果たしてどっちがいいのでしょうか?
さて、余談ですが、教育というのはそんなに簡単にほいほい変えられる物でもなく、戦後しばらくから最近まで、詰め込み教育を行うのがいいと考える先生が少なからずいました。フキハラさんもそういう教師に教わったのかもしれません。だとしたら気の毒だなぁ。(私は高校の時の教師が古文ただ詰め込みで非常に嫌でした。)
>jeanvaljean 様へ
>民主主義は選挙制度だけではないのです。そんな矮小なものではないのです。基本的人権を守ることが民主主義の土台なのです。
今、日本では橋下大阪市長が、何かと言えば『わたしが民意だ!。文句があるなら選挙で勝てばいい。』と、妄言を繰り返しています。小泉元首相や橋下市長の吹聴する様な、ある偏った方向へ恣意的に扇動する劇場型のアジに乗せられ洗脳された末の選挙は、実は民主主義を破壊するものに等しいと思います。
>フランスでは、一般新聞の声蘭に、現職の警察官が意見を述べているのをよく目にします。警察官は市民としての権利、表現の自由を行使しているのです。
本当に素晴らしい…。こう思うこと自体、わたし自身が民主主義後進国;日本に毒されているんだ、と今、気づきました。フランスでは当たり前なんでしょうね…。日本で、教員が権力側により国歌の起立斉唱を強制され、逆らえば処罰される…なんて事をフランスの市民の方々が知れば、きっと驚かれるんでしょうね…。
>将来のこの国の民主主義を担う市民をつくるのです。
>私たちの子孫に、より民主的な社会を渡そうではありませんか。それは私たちの義務なのです。
その通りですね…。子孫に現在の日本の様な轍を踏ませてはなりませんね…。フランスの民主主義教育、人権教育の徹底を日本は見習うべきと強く思います。もし橋下徹氏や石原慎太郎氏の様な人物がパリ市長選に出馬しても当選なんかしないでしょうね…きっと。jeanvaljean 様、フランスは寒いですか?…。何卒、おからだご自愛くださいね…。
青い鳥様へ
フランスの社会は柔構造で、多様性を尊重する社会です。それは基本的なものがしっかりしているから可能となるのでしょう。何年か前に、ライシテ(非宗教)という共和制の原理をめぐり、国を二分する論争がわき起こりました(その前にも論争がありました)。つまりイスラム教徒のスカーフ問題です。ライシテそのものは、大論争を経て存続されました。同じ時期に、フランス記者を人質にしたアルカイダは、スカーフ問題を解放の条件にしてきました。このときフランスのイスラム協会が、これはわれわれとフランス政府との問題であると抗議の声明を出したことが印象的でした。
共和国のスローガンである自由・平等・友愛とともに、連帯と寛容の精神がフランスの柔構造の社会を支えているように思います。しかし現実のフランスには、格差や差別が存在しているではないかという人もいます。しかし教育はその現実についても教えています。そして共和国のスローガン(とくに平等)が、実現の途上にあることを教えています。
>jeanvaljean 様へ
あるいは、
お前は日本人ではないだろうとか、朝鮮人とか、ニートとか
ひどいレイシズムまで浴びせられることが多々あります。
それが、日本の、特にネットの世界で多々見受けらえる現状です。
民主主義というのは“手段”なのであり、その目的は、自由主義、つまり人権保障なのだという、
フランスでは、義務教育レベルで教えられることを、日本では大の大人でも
知らない人が多いんです。これをどれだけ説明しても、
サヨク、ブサヨ、日本人じゃない扱いされて終わりです。
やはり、日本は民主主義の原理原則において後進国と言わざるを得ませんね。
フリスキー様
日本では、公民の教育があまりにも少ない。内容も、どこか当たらず障らずのような感じを受けます。ご存じのように、日本国憲法は、当時もっとも先進的であったと思われる理念にもとづいてつくられました。この憲法の精神をもっと掘り下げて(たとえば憲法の条文と現実のギャップ)教えることができれば良いなと思っています。
>jeanvaljeanさん
秋原様へ
ムッソリーニは「頭領は常に正しい」と宣伝し、ヒットラーは「正当性はすべて総統にもとづく」と忠誠を誓わせたのですから、どこかの誰かを彷彿させますね。
民主主義は常に正しいわけではない
「大量破壊兵器の発見と処分」を大義名分に掲げてイラクに侵攻しましたが、いくら爆弾落とそうが、地上部隊を行かせようが、見つかりませんでした。
当然です、そんな物は始めからなかったんだから。
その結果、何が起きたかは皆さんご承知の通りです。
フセイン政権の強権で取り敢えずは保たれていた治安の完全な崩壊。
“イラク解放”の実態は親米化クーデターでした。