コメント
これも加えてください
世界の常識:震災を「天罰」とか「天の恵み」などと暴言を吐いた候補は恥ずかしくて立候補しない。
日本人:震災を「天罰」とか「天の恵み」などと暴言を吐いた候補は恥じることなく立候補する。
世界の常識:震災を「天罰」とか「天の恵み」などと暴言を吐いた候補には恥ずかしくて支持できない。
日本人:震災を「天罰」とか「天の恵み」などと暴言を吐いた候補には恥じることなく支持してしまう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110403-00000063-jij-pol
あれだけ問題視されても、物資の買い占めに走り、放射能に大騒ぎする都民にとって、所詮震災は遠くの出来事で、自分たちはその迷惑を被っているだけって感覚なんでしょう。まさに我欲の塊です。自分たちが実際に被災したとき、「天罰」だ「天の恵み」だと被災していない人から言われても、そのことを糾弾する資格は東京都民にはないですね。
日本人:震災を「天罰」とか「天の恵み」などと暴言を吐いた候補は恥じることなく立候補する。
世界の常識:震災を「天罰」とか「天の恵み」などと暴言を吐いた候補には恥ずかしくて支持できない。
日本人:震災を「天罰」とか「天の恵み」などと暴言を吐いた候補には恥じることなく支持してしまう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110403-00000063-jij-pol
あれだけ問題視されても、物資の買い占めに走り、放射能に大騒ぎする都民にとって、所詮震災は遠くの出来事で、自分たちはその迷惑を被っているだけって感覚なんでしょう。まさに我欲の塊です。自分たちが実際に被災したとき、「天罰」だ「天の恵み」だと被災していない人から言われても、そのことを糾弾する資格は東京都民にはないですね。
私の住んでいる街は沿岸部ほど甚大な被害は受けませんでしたが、一週間ほどライフラインは止まったままでした。その中でどの企業も地域の生活を維持するために必死に活動してました。従業員達もみんな自宅の被害を受けていたにもかかわらずです。スーパ-は店頭販売を行い食料や日用品の供給に努めました。銀行も土曜日から店を開けました。建設業者はライフラインの復活や給水作業に全力で取り組みました。どの企業も災害から地域を守るため必死に取り組んだと思います。自治体の職員もみんなほとんど徹夜で避難してきた人々の救援活動、食料の提供等を行ってました。職員たちも自宅の被害を受けたにもかかわらずです。自衛隊の皆さんは、今も沿岸部の救援活動、捜索活動を行ってます。毎日自衛隊の車両が沿岸部に向かってます。企業は大企業も地場の中小企業も、企業の社会的責任を果たそうと努力しましたし、その努力は今も続いてます。国や自治体も危機の中で住民を見捨ててはいませんでした。たくさんの公務員の方が地域住民を守るため殉職しました。みんな自分達が被害を受けたにもかかわらず必死に全力を挙げて震災に立ち向かってます。また節電するくらいなら放射能に苦しんだほうがいいなどと、日本に住む人々は誰もそんなことは考えてないと思います。政府だって企業の経営者だって日本が壊滅したほうが良いなどと考えてないともいます。それならどうしてこれだけ、国も自治体も企業もそしてそこで働く公務員や従業員が震災に立ち向かいお互い助け合いそしてより苦しんでいる被災者の為に行動できるでしょうか。それに少なくとも東北の被災地の人々は現実を直視しながら物事を良くしようと努力してます。原発の件については今後は縮小方向が良いと思います。ただフランス等は日本よりずっと原子力に依存する割合が多いと聞いてます。原発については意見を述べるほど知識がありませんので、これくらいにしますが
少なくとも震災に対応する国や企業、日本に住む人々の行動や考え方はそんなにおかしいものではないと思います。被害は少ないものの被災地に住み、自分も企業の一員として毎日活動してきた者の一人として意見を述べさせて頂きました。
追伸 東京電力の上層部の対応は非常にだめだと思います。
少なくとも震災に対応する国や企業、日本に住む人々の行動や考え方はそんなにおかしいものではないと思います。被害は少ないものの被災地に住み、自分も企業の一員として毎日活動してきた者の一人として意見を述べさせて頂きました。
追伸 東京電力の上層部の対応は非常にだめだと思います。
んー
あのさ、もうちょっと冷静になって広く物事を見渡してから落ち着いて記事を書いた方がいいと思うよ。
この記事に関しては特にそう感じるな。
原発憎しのあまり論調が偏り過ぎてきてる気がする。
というか、揶揄にしてもちょっと趣味の悪いものになってると思う。
ある意味ちょっと前のネトウヨぽい。
これに限らず最近の記事にはそういう匂いが漂ってる気がする。
早野龍五さんや東大病院放射線治療チームのツイッターとか、ありえすさんがここに引っ張ってきてるSMCジャパンのサイトとか、比較的客観的視点から出てきているものと思える意見とか情報も読んで、もうちょっと客観的な視点からのデータや情報を元に冷静に判断してから記事にした方がいいんじゃないかな…。それすらも捏造、隠蔽、御用学者と言うならもうこちらとしては何も言えないけどね。
それから非国民通信さんとこも言ってるように電力問題に関しては広範な事情も鑑みないと、ただの反原発ヒステリー的になっちゃってなんの説得力も持てなくなるようになると思うな。
この記事に関しては特にそう感じるな。
原発憎しのあまり論調が偏り過ぎてきてる気がする。
というか、揶揄にしてもちょっと趣味の悪いものになってると思う。
ある意味ちょっと前のネトウヨぽい。
これに限らず最近の記事にはそういう匂いが漂ってる気がする。
早野龍五さんや東大病院放射線治療チームのツイッターとか、ありえすさんがここに引っ張ってきてるSMCジャパンのサイトとか、比較的客観的視点から出てきているものと思える意見とか情報も読んで、もうちょっと客観的な視点からのデータや情報を元に冷静に判断してから記事にした方がいいんじゃないかな…。それすらも捏造、隠蔽、御用学者と言うならもうこちらとしては何も言えないけどね。
それから非国民通信さんとこも言ってるように電力問題に関しては広範な事情も鑑みないと、ただの反原発ヒステリー的になっちゃってなんの説得力も持てなくなるようになると思うな。
私も反原発派ですが、このブラックジョークにはさすがに引いてしまいました。何を書こうが自由なのですが……
日本人:節電するくらいなら放射能に苦しむほうがいい
日本人:物事がうまくいかないなら、現実を直視しないで上手く言ってると言い続けよう。
それで悪くなってもいいや
ブログ主は日本人に対するレイシストですね。
でも日本人の部分が「中国人」「朝鮮人」に変わると、急に差別だと騒ぎ出すのでしょうね。
日本人:物事がうまくいかないなら、現実を直視しないで上手く言ってると言い続けよう。
それで悪くなってもいいや
ブログ主は日本人に対するレイシストですね。
でも日本人の部分が「中国人」「朝鮮人」に変わると、急に差別だと騒ぎ出すのでしょうね。
>た~んさん
お久しぶりです。
今回東電や政府の行き当たりばったりでずさんな対応や秘密主義なやりかたに相当頭に来ています。なのでいつも品行方正でいるとは限りませんヨw揶揄というのはそもそもデフォルメされて毒を含むものですし。
で、私は以下のようなことを怒っているわけで危機感をあおってるつもりはないのだけれど・・。
事故情報について東電(保安院も)の隠蔽・遅滞の体質は国内外を問わず批判が集中しているが、その体質を改めようとしない。政府もそんな東電に情報を丸投げ状態
マスコミも大本営発表
・テレ朝・スーパー・モーニングに訂正放送を要請
http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2011-04-01
おかげで
・放射性物質まき散らす日本 海外論調「同情」から「不信」
http://www.j-cast.com/2011/04/04092152.html
東電は想定外だと責任逃れを未だに試みてる
・東電会長~初動まずさを感じない
http://www.jiji.com/jc/v4?id=20110330tepco0001&rel=y&g=phl
・国に提出が義務づけられている電力の「供給計画」に原発の増設を例年どおり盛り込んでおり、反省ゼロとしか言いようがない。
経団連会長や与謝野の原発推進KY発言
表に出ない作業員使い捨ての実態
・福島第1原発:「ガスマスクずれ吸った」作業の東電社員
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110402k0000m040147000c.html
・福島原発事故 カウントされない26人の負傷者
http://response.jp/article/2011/04/01/154155.html
3号機はMOX燃料を使っててプルトニウムがあり漏れ出してる可能性が高い。地震後2週間たってても「プルトニウムを測定する機械がありませんby保安院」←やる気あるのか??
ドイツは放射能予想天気図を出してるのに日本はやらない
(読売新聞 4月4日(月)14時30分配信。コメント欄ではこれ以上URLがかけない^^;)
ひとたび事故が起これば取り返しのつかぬ被害になる原発事故では「最悪を想定して最善を尽くせ」で行かねばならないのに、国や東電は根拠のない過小評価、楽観視を改めない
今回東電や政府の行き当たりばったりでずさんな対応や秘密主義なやりかたに相当頭に来ています。なのでいつも品行方正でいるとは限りませんヨw揶揄というのはそもそもデフォルメされて毒を含むものですし。
で、私は以下のようなことを怒っているわけで危機感をあおってるつもりはないのだけれど・・。
事故情報について東電(保安院も)の隠蔽・遅滞の体質は国内外を問わず批判が集中しているが、その体質を改めようとしない。政府もそんな東電に情報を丸投げ状態
マスコミも大本営発表
・テレ朝・スーパー・モーニングに訂正放送を要請
http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2011-04-01
おかげで
・放射性物質まき散らす日本 海外論調「同情」から「不信」
http://www.j-cast.com/2011/04/04092152.html
東電は想定外だと責任逃れを未だに試みてる
・東電会長~初動まずさを感じない
http://www.jiji.com/jc/v4?id=20110330tepco0001&rel=y&g=phl
・国に提出が義務づけられている電力の「供給計画」に原発の増設を例年どおり盛り込んでおり、反省ゼロとしか言いようがない。
経団連会長や与謝野の原発推進KY発言
表に出ない作業員使い捨ての実態
・福島第1原発:「ガスマスクずれ吸った」作業の東電社員
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110402k0000m040147000c.html
・福島原発事故 カウントされない26人の負傷者
http://response.jp/article/2011/04/01/154155.html
3号機はMOX燃料を使っててプルトニウムがあり漏れ出してる可能性が高い。地震後2週間たってても「プルトニウムを測定する機械がありませんby保安院」←やる気あるのか??
ドイツは放射能予想天気図を出してるのに日本はやらない
(読売新聞 4月4日(月)14時30分配信。コメント欄ではこれ以上URLがかけない^^;)
ひとたび事故が起これば取り返しのつかぬ被害になる原発事故では「最悪を想定して最善を尽くせ」で行かねばならないのに、国や東電は根拠のない過小評価、楽観視を改めない
>名無しさんハンネお願いします
>このブラックジョークにはさすがに引いてしまいました
どのあたりに引かれたのかよろしければ教えていただけるとうれしいです
どのあたりに引かれたのかよろしければ教えていただけるとうれしいです
>左翼見物者さん
ウヨクって全然関係ないところでも唐突に中国韓国を引き合いに出したがるものだという法則を証明するようなコメントをありがとうございます。
さて、「節電するくらいなら放射能に苦しむほうがいい」「物事がうまくいかないなら、現実を直視しないで上手く言ってると言い続けよう。」
これが日本人に対する差別だとおっしゃるなら、少なくともあなたは、「これは事実と違う。日本人は放射能の危険より節電を選ぶし、現実を直視して現実逃避なんかしない」と考えてらっしゃることになります。
ならば電力確保のためならいまだに安易に原発推進しようとしている原発安全厨に注意をしてやってくださいな。そして、恐ろしい現実をみなかったことにしたがってる東電幹部や菅首相をしかってやってくださいな。
さて、「節電するくらいなら放射能に苦しむほうがいい」「物事がうまくいかないなら、現実を直視しないで上手く言ってると言い続けよう。」
これが日本人に対する差別だとおっしゃるなら、少なくともあなたは、「これは事実と違う。日本人は放射能の危険より節電を選ぶし、現実を直視して現実逃避なんかしない」と考えてらっしゃることになります。
ならば電力確保のためならいまだに安易に原発推進しようとしている原発安全厨に注意をしてやってくださいな。そして、恐ろしい現実をみなかったことにしたがってる東電幹部や菅首相をしかってやってくださいな。
名無しで申し訳ありませんでした。コメントしたのは私です。「節電するより放射能云々」のところ、人として許せません。今までの貴方の言説への共感が一気に覚めました。
私が勤める会社が今の時期、各地の工場への電気供給に四苦八苦し、また同時に地域や他の被災企業に対して電気の融通で協力しようとして血の滲むような苦悩があるのかお分かりですか?
私自身、原発には反対ですし、この期に及んでの推進は愚かにしか思えません。
でも電気で現場はもがいているんです、下手をすれば倒産です。そんな状況でこのようなブラックジョークをブログで言える人が反原発や人権など言ったところで信用できません。
私個人の意見ですが人として許せません!
私が勤める会社が今の時期、各地の工場への電気供給に四苦八苦し、また同時に地域や他の被災企業に対して電気の融通で協力しようとして血の滲むような苦悩があるのかお分かりですか?
私自身、原発には反対ですし、この期に及んでの推進は愚かにしか思えません。
でも電気で現場はもがいているんです、下手をすれば倒産です。そんな状況でこのようなブラックジョークをブログで言える人が反原発や人権など言ったところで信用できません。
私個人の意見ですが人として許せません!
>たんぽぽさん
ご不快に感じられたことをお詫びいたします。
ですがこれは電力を供給しようと現場で血のにじむ努力をしてらっしゃる方を揶揄したものではありません。
スイスやドイツではこの原発事故があってから原発反対は80%に跳ね上がりました。
ドイツでは25万人という大規模な原発反対のデモがおき、一貫して脱原発を訴えてきた緑の党が初めて州首相になりました。
一方当事者の日本では、世論調査で原発を減らすべきと答えたのが読売で41%、JNN調査では20%止まりです。
警察が反原発デモ参加者を不当逮捕しています。日本の警察はこんな悲惨な事故が起きているのに反原発の考えを持つ人々を敵視しているようです。
そして国は原子力輸出推進を参議院で圧倒的多数で可決しました。
ドイツの日本のこの差。
いったいこの違いはなんなんでしょうか?
日本ではチェルノブイリに匹敵するこの事故が発生してまだ間もない頃に、与謝野経財相が「原発は推進せねばならぬ」「地震は運命、地震が多いことは原発推進をやめる理由にはならない」と言い放ちました。
経団連会長も原発推進のトンデモ発言、電力会社のトップも同じ、中国電力は事故後も新原発建設工事をやめようとしませんでした。
よその国なら政財界トップのこうした発言に猛烈に抗議デモがおき、彼らは間違いなく退陣に追い込まれるでしょう。
しかし日本では静かなものです。マスコミも追及しません。
「今までも訳の分からない連中が原発反対というので、福島に押しかけていって、デモなんかをやったらしいけれども」という暴言を吐き現在も原発推進論者を公言してはばからないイシハラシを、東京都民は4期目の知事に選ぼうとしています。東京都民は自分たちの電気を負担してきた福島県民にどの顔を向けるのかと私は不思議でなりません。
なかには「女川は無事だったではないか。日本の原子力の技術はすばらしい」と、もはや正気の沙汰とは思えない発言をする人もネットで散見します。
ここまでいかなくても「電気は必要だから原発は仕方ない、でも自分の町に来るのはイヤ」という「自分さえよければ」の人も結構います。ひょっとしたら福島原発周辺は何十年か人の住めない土地になってしまうかもしれないと危惧する科学者もいるのに。
日本は狭いですからこのまま何ヶ月も放射能垂れ流しなら(おそらくその見込み)いつ自分に放射性物質が降りかかるかわからないのに、まるで他人事。
もちろんこういう人ばかりではありませんが、こういう人々が事故当事国でありながら高い割合で存在するというのが非常に日本的な特徴だと思います。
こういう人々はあたかも「節電するくらいなら放射能に苦しむほうがまだマシ」と言ってるかのように私には聞こえます。
今もこれほどの放射能被害に苦しむ人々がいるのに、使いたい放題の電気がほしいから原発は必要というのか、それを福島の人々に向かっていえるのか、今すぐになくすのは無理としてもなくす方向で努力しようとは思わないのかと私は言いたいし、こういう傾向を持つ日本人気質は大いに批判したいのです。
ですがこれは電力を供給しようと現場で血のにじむ努力をしてらっしゃる方を揶揄したものではありません。
スイスやドイツではこの原発事故があってから原発反対は80%に跳ね上がりました。
ドイツでは25万人という大規模な原発反対のデモがおき、一貫して脱原発を訴えてきた緑の党が初めて州首相になりました。
一方当事者の日本では、世論調査で原発を減らすべきと答えたのが読売で41%、JNN調査では20%止まりです。
警察が反原発デモ参加者を不当逮捕しています。日本の警察はこんな悲惨な事故が起きているのに反原発の考えを持つ人々を敵視しているようです。
そして国は原子力輸出推進を参議院で圧倒的多数で可決しました。
ドイツの日本のこの差。
いったいこの違いはなんなんでしょうか?
日本ではチェルノブイリに匹敵するこの事故が発生してまだ間もない頃に、与謝野経財相が「原発は推進せねばならぬ」「地震は運命、地震が多いことは原発推進をやめる理由にはならない」と言い放ちました。
経団連会長も原発推進のトンデモ発言、電力会社のトップも同じ、中国電力は事故後も新原発建設工事をやめようとしませんでした。
よその国なら政財界トップのこうした発言に猛烈に抗議デモがおき、彼らは間違いなく退陣に追い込まれるでしょう。
しかし日本では静かなものです。マスコミも追及しません。
「今までも訳の分からない連中が原発反対というので、福島に押しかけていって、デモなんかをやったらしいけれども」という暴言を吐き現在も原発推進論者を公言してはばからないイシハラシを、東京都民は4期目の知事に選ぼうとしています。東京都民は自分たちの電気を負担してきた福島県民にどの顔を向けるのかと私は不思議でなりません。
なかには「女川は無事だったではないか。日本の原子力の技術はすばらしい」と、もはや正気の沙汰とは思えない発言をする人もネットで散見します。
ここまでいかなくても「電気は必要だから原発は仕方ない、でも自分の町に来るのはイヤ」という「自分さえよければ」の人も結構います。ひょっとしたら福島原発周辺は何十年か人の住めない土地になってしまうかもしれないと危惧する科学者もいるのに。
日本は狭いですからこのまま何ヶ月も放射能垂れ流しなら(おそらくその見込み)いつ自分に放射性物質が降りかかるかわからないのに、まるで他人事。
もちろんこういう人ばかりではありませんが、こういう人々が事故当事国でありながら高い割合で存在するというのが非常に日本的な特徴だと思います。
こういう人々はあたかも「節電するくらいなら放射能に苦しむほうがまだマシ」と言ってるかのように私には聞こえます。
今もこれほどの放射能被害に苦しむ人々がいるのに、使いたい放題の電気がほしいから原発は必要というのか、それを福島の人々に向かっていえるのか、今すぐになくすのは無理としてもなくす方向で努力しようとは思わないのかと私は言いたいし、こういう傾向を持つ日本人気質は大いに批判したいのです。
すこし冷静になられたほうがよろしいかと
これだけの事故を起こしながら、いまだに収束の見込みも立てられず、放射能を垂れ流し続ける東電。原発の危険性をいやというほど見せつけられているにも関わらずなお原発を推進しようとする各電力会社。まったく事態を収拾することもできないのに原発輸出の推進をやめようとしない政府。これだけの事態を見てなおも電力のためには原発はやめられないという世論。こんな状況を見れば、ここで語られていることはブラックジョークでも何でもありませんよ。あなたご自身、大変な苦労をされているのかもしれませんが、だからと言って怒りの矛先を向ける方向をお間違えになられていませんか?さらに厳しいことを言わせていただければ、この国における重要なインフラを独占的に託され、世界でも有数の高額な電力料金を徴収しているにも拘らず、安定した電力の供給を果たせないという事態を招いたのみならず、安全対策を怠った挙句に放射能をまき散らし続け、社会に対する責任を果たすどころか迷惑をかけ続ける企業がどういう目で見られるか、被災者の視点に立って考えれみられてはいかがでしょうか?そういうことをやらかしている企業の方が、よほど人として許せないと思いますよ。
レスありがとうございます。そんなことは片手間ではありますが社会運動に日頃参加してる私は百も承知です。
こんな以前原発維持が多数派な社会告発したい気持ちだって分かります。しかし日本人は節電云々放射能云々と揶揄して、一般に働いている人がどんな感情を起こし、それが反原発運動の輪を広げるのにどれだけマイナスかお分かりでしょうか?
このブログはただ吠えてるだけでなく、実際に社会をより良く変えたいと切に思い書かれてると私は信じてますが、そういう目的のある方が、被災地、被災地外関わらず、今現在、電気で苦しんでる人や企業を無駄に怒らせることを書いてどうするんですか?現に私が怒ってます。冷静になれ?無理です。こちらも死活問題だし、今まで愛読していたブログだけに残念です。
これは2006年の都知事選挙を思い出します。せっかく石原さんを落選させるチャンスだったのに「石原慎太郎に投票した都民は民度が低い」「石原に投票した人は人間を辞めるべき」と対立候補を支える識者が何度か口にしたために、かなりの都民が怒り逆に石原さんの再選に導いたことを。
人間は感情で動く面も大きいし私はそれに是非を言及しませんが、社会をより良い、そして反原発な社会へと進ませるためには、色んな人を包含する広がりが必要です。その広がりを無駄に壊す揶揄、それも冷静な社会批判ではない茶化しは、妙な純化路線に進ませるだけで有害無益だと言いたいのです。
長文申し訳ないです。
こんな以前原発維持が多数派な社会告発したい気持ちだって分かります。しかし日本人は節電云々放射能云々と揶揄して、一般に働いている人がどんな感情を起こし、それが反原発運動の輪を広げるのにどれだけマイナスかお分かりでしょうか?
このブログはただ吠えてるだけでなく、実際に社会をより良く変えたいと切に思い書かれてると私は信じてますが、そういう目的のある方が、被災地、被災地外関わらず、今現在、電気で苦しんでる人や企業を無駄に怒らせることを書いてどうするんですか?現に私が怒ってます。冷静になれ?無理です。こちらも死活問題だし、今まで愛読していたブログだけに残念です。
これは2006年の都知事選挙を思い出します。せっかく石原さんを落選させるチャンスだったのに「石原慎太郎に投票した都民は民度が低い」「石原に投票した人は人間を辞めるべき」と対立候補を支える識者が何度か口にしたために、かなりの都民が怒り逆に石原さんの再選に導いたことを。
人間は感情で動く面も大きいし私はそれに是非を言及しませんが、社会をより良い、そして反原発な社会へと進ませるためには、色んな人を包含する広がりが必要です。その広がりを無駄に壊す揶揄、それも冷静な社会批判ではない茶化しは、妙な純化路線に進ませるだけで有害無益だと言いたいのです。
長文申し訳ないです。
第三者ですが
初めまして、いつも真剣に読ませていただいています。今回の秋原葉月さんの原発ネタについて
コメントを簡単に
①ネット言論を萎縮させてはいけない
②しかし、だからといってこの時期、被災者がもはや際限ないものであることが明らかであるこの時期に、
色々な営みを持つ人の尊厳を傷つけるようなジョークは適切ではないし、反原発運動の拡大を妨害する
のでは?
③差別問題と同じで、これは受け手が被害者感情や屈辱感を持てばどうしようもないし、これにあれこれ
理由を付けても詭弁にしか被害者には聞こえない。そして秋原さんの社会への感度と人権感覚すら
疑われる
以上です
コメントを簡単に
①ネット言論を萎縮させてはいけない
②しかし、だからといってこの時期、被災者がもはや際限ないものであることが明らかであるこの時期に、
色々な営みを持つ人の尊厳を傷つけるようなジョークは適切ではないし、反原発運動の拡大を妨害する
のでは?
③差別問題と同じで、これは受け手が被害者感情や屈辱感を持てばどうしようもないし、これにあれこれ
理由を付けても詭弁にしか被害者には聞こえない。そして秋原さんの社会への感度と人権感覚すら
疑われる
以上です
> たんぽぽさん
> 秋原さん
横レス失礼します。お二人のお話から感じたことですが、秋原さんがこのエントリでまず念頭に置かれていたのは
> 世論調査で原発を減らすべきと答えたのが読売で41%、JNN調査では20%止まり
という点ではないかと読み取れました。いま福島で進行中の深刻な事故を経てなお、脱原発の意志が国民の多数のものとならないことへの失望のようなものを、わたしも感じます。それが
> 日本人:節電するくらいなら放射能に苦しむほうがいい
というネタに現れたのだと感じました。しかし、この「日本人」という主語が、日本人全体が均質のものとして原発を容認しているかのように読めることが、たんぽぽさんのお心を傷つけたのではないでしょうか。
たんぽぽさんが「死活問題」と仰ったように、計画停電による電力供給の停止によって、業務ができず危機に陥っている企業、治療に支障をきたしている病院などの公共施設が実際にあります。そうした人々にとって、その電気が原発由来であろうが、今すぐにでも供給してほしいと言うのが本音でしょう。その中には原発の危険性を十分理解しながらも、生活や救命などのために、やむを得ず原発の稼動を容認するという人もいるのではないでしょうか。もしその人が、元来原発に批判的であったとしたら、その葛藤、ジレンマは筆舌に尽くしがたいものと推察されます。たんぽぽさんは、日本人という大きな主語が用いられることで、そうした個々の人々の多様な状況、心情等が無視され、十把ひとからげに原発容認と決め付けられていると感じられたのではないでしょうか。たんぽぽさんは原発に批判的であるのに、電力の早期復旧を望んだだけで、「放射能に苦しんでもいいと思っている」と断定されたと感じて、それが耐え難かったのではないか、そんな風に感じられました。
しかし、一方で秋原さんも「すべての原発を今すぐ止めろ、そのために生活や生存が脅かされる人がいても仕方がない」などとは考えておられないと思います。
生活、生存を支えるための電力供給は大事です。計画停電のしわ寄せは、どうしても社会的に弱い立場の人々に向かいます(もちろんそうならないような取り組みはされるべきです)。都心部は停電しないのに、自分たちのところは停電させられるという措置はやはり理不尽ですし、停電の対象となったことで社会的な重要度が低いと言われたように感じて、傷つく人もいるでしょう。なにより操業を続けなければならない企業(東電自身も含め)や、たとえば呼吸機を装着している等、生存そのものを電力に頼っている人々にとって、停電は文字通り「死活問題」となります。可能な限り早急な復旧が望まれるのは当然であり、そのために原発による供給が必要であるならば、現在停止している原発の稼動も順次するべきです。すべての原発を“今すぐ”止めることは、やはり事実上不可能なのですから(もちろんそれで東電や政府が原発を推進してきたことが免責されたり追認されたりするわけではないですが)。しかし、東電なり政府なりが、今回の事故を受けて「脱原発」の方向性を明確にしないままの稼動再開は、わたしに漠然とした不安を抱かせることもまた事実です。
早期の電力供給復旧を急ぐことで、原発への依存体制に変化がなく、脱原発の方向性が既成事実(すなわち結局原発が止まれば社会は回っていかないのだと言う社会全体の諦念)によってなし崩しにされていく事への危機感というものを、わたし自身感じないではありません。東電をはじめとした電力各社が、ここ数日見せる原子力発電への執着や、原発事業継続に未練たらたらな発言や行動を見るにつけ、そうした苛立ちと不安が募ります。
原発の、事故のリスクを地方に押し付け労働者に被曝を強いるシステムは批判されてしかるべきだし、可能ならば今すぐにでも止めるべきだとわたしは思います。ですが、電力の3割を原発に依存していると言う既成事実はそれを許さないでしょう。わたしも今すぐすべて止めろとは申しません。原発が止まっても、人々の生活が破綻しては意味がありませんから。
であるならば、せめてこの事故を契機として、原発をこれ以上新設しないことで、漸減させていき、数十年のスパンで全廃(しかし廃棄物は残るわけですが)するという方向性だけでも、日本社会が示せないだろうか、というのは高望みが過ぎるでしょうか。しかし、原発への危機感が高まっている“今”でなければ、とてもそういう方向に社会は向かっていかないのではないかと言う不安があります。
> 世論調査で原発を減らすべきと答えたのが読売で41%、JNN調査では20%止まり
という調査結果は、秋原さんにそういう不安を掻き立てたのではないでしょうか。
もちろん、以上はわたしの勝手な解釈、感想であって、てんで的外れなものかもしれません。いえむしろその可能性が高いですが。しかし、たとえ的を得ていたとしても、たんぽぽさんや秋原さんの心情を手前勝手に推測し忖度するというのは大変不躾であり、また不遜であることは承知していますが、おふたりのお話から、いまこの時の、反原発、脱原発はどうあるべきなのかを考えさせていただいた次第です。
おふたりにはご無礼をお詫び申し上げます。
大変申し訳ありませんでした。
> 秋原さん
横レス失礼します。お二人のお話から感じたことですが、秋原さんがこのエントリでまず念頭に置かれていたのは
> 世論調査で原発を減らすべきと答えたのが読売で41%、JNN調査では20%止まり
という点ではないかと読み取れました。いま福島で進行中の深刻な事故を経てなお、脱原発の意志が国民の多数のものとならないことへの失望のようなものを、わたしも感じます。それが
> 日本人:節電するくらいなら放射能に苦しむほうがいい
というネタに現れたのだと感じました。しかし、この「日本人」という主語が、日本人全体が均質のものとして原発を容認しているかのように読めることが、たんぽぽさんのお心を傷つけたのではないでしょうか。
たんぽぽさんが「死活問題」と仰ったように、計画停電による電力供給の停止によって、業務ができず危機に陥っている企業、治療に支障をきたしている病院などの公共施設が実際にあります。そうした人々にとって、その電気が原発由来であろうが、今すぐにでも供給してほしいと言うのが本音でしょう。その中には原発の危険性を十分理解しながらも、生活や救命などのために、やむを得ず原発の稼動を容認するという人もいるのではないでしょうか。もしその人が、元来原発に批判的であったとしたら、その葛藤、ジレンマは筆舌に尽くしがたいものと推察されます。たんぽぽさんは、日本人という大きな主語が用いられることで、そうした個々の人々の多様な状況、心情等が無視され、十把ひとからげに原発容認と決め付けられていると感じられたのではないでしょうか。たんぽぽさんは原発に批判的であるのに、電力の早期復旧を望んだだけで、「放射能に苦しんでもいいと思っている」と断定されたと感じて、それが耐え難かったのではないか、そんな風に感じられました。
しかし、一方で秋原さんも「すべての原発を今すぐ止めろ、そのために生活や生存が脅かされる人がいても仕方がない」などとは考えておられないと思います。
生活、生存を支えるための電力供給は大事です。計画停電のしわ寄せは、どうしても社会的に弱い立場の人々に向かいます(もちろんそうならないような取り組みはされるべきです)。都心部は停電しないのに、自分たちのところは停電させられるという措置はやはり理不尽ですし、停電の対象となったことで社会的な重要度が低いと言われたように感じて、傷つく人もいるでしょう。なにより操業を続けなければならない企業(東電自身も含め)や、たとえば呼吸機を装着している等、生存そのものを電力に頼っている人々にとって、停電は文字通り「死活問題」となります。可能な限り早急な復旧が望まれるのは当然であり、そのために原発による供給が必要であるならば、現在停止している原発の稼動も順次するべきです。すべての原発を“今すぐ”止めることは、やはり事実上不可能なのですから(もちろんそれで東電や政府が原発を推進してきたことが免責されたり追認されたりするわけではないですが)。しかし、東電なり政府なりが、今回の事故を受けて「脱原発」の方向性を明確にしないままの稼動再開は、わたしに漠然とした不安を抱かせることもまた事実です。
早期の電力供給復旧を急ぐことで、原発への依存体制に変化がなく、脱原発の方向性が既成事実(すなわち結局原発が止まれば社会は回っていかないのだと言う社会全体の諦念)によってなし崩しにされていく事への危機感というものを、わたし自身感じないではありません。東電をはじめとした電力各社が、ここ数日見せる原子力発電への執着や、原発事業継続に未練たらたらな発言や行動を見るにつけ、そうした苛立ちと不安が募ります。
原発の、事故のリスクを地方に押し付け労働者に被曝を強いるシステムは批判されてしかるべきだし、可能ならば今すぐにでも止めるべきだとわたしは思います。ですが、電力の3割を原発に依存していると言う既成事実はそれを許さないでしょう。わたしも今すぐすべて止めろとは申しません。原発が止まっても、人々の生活が破綻しては意味がありませんから。
であるならば、せめてこの事故を契機として、原発をこれ以上新設しないことで、漸減させていき、数十年のスパンで全廃(しかし廃棄物は残るわけですが)するという方向性だけでも、日本社会が示せないだろうか、というのは高望みが過ぎるでしょうか。しかし、原発への危機感が高まっている“今”でなければ、とてもそういう方向に社会は向かっていかないのではないかと言う不安があります。
> 世論調査で原発を減らすべきと答えたのが読売で41%、JNN調査では20%止まり
という調査結果は、秋原さんにそういう不安を掻き立てたのではないでしょうか。
もちろん、以上はわたしの勝手な解釈、感想であって、てんで的外れなものかもしれません。いえむしろその可能性が高いですが。しかし、たとえ的を得ていたとしても、たんぽぽさんや秋原さんの心情を手前勝手に推測し忖度するというのは大変不躾であり、また不遜であることは承知していますが、おふたりのお話から、いまこの時の、反原発、脱原発はどうあるべきなのかを考えさせていただいた次第です。
おふたりにはご無礼をお詫び申し上げます。
大変申し訳ありませんでした。
>たんぽぽさん
遅くなりました。
>人間は感情で動く面も大きいし私はそれに是非を言及しませんが、社会をより良い、そして反原発な社会へと進ませるためには、色んな人を包含する広がりが必要です。その広がりを無駄に壊す揶揄、それも冷静な社会批判ではない茶化しは、妙な純化路線に進ませるだけで有害無益だと言いたいのです。
肝に銘じたいお言葉です。
しかしどうしてこの皮肉が「今現在、電気で苦しんでる人や企業を無駄に怒らせる、冷静な社会批判ではない茶化し」なのか何度か考えてみましたが、未熟さ故私にはどうしても理解できませんでした。
観測霊さんがおっしゃるような理由でおいかりになったと理解してよろしいのでしょうか。
ちなみに私は「すべての原発を今すぐ止めろ、そのために生活や生存が脅かされる人がいても仕方がない」とは考えていません。それは別記事ですが獣医さんへの返信からもわかっていただけると思います。
>人間は感情で動く面も大きいし私はそれに是非を言及しませんが、社会をより良い、そして反原発な社会へと進ませるためには、色んな人を包含する広がりが必要です。その広がりを無駄に壊す揶揄、それも冷静な社会批判ではない茶化しは、妙な純化路線に進ませるだけで有害無益だと言いたいのです。
肝に銘じたいお言葉です。
しかしどうしてこの皮肉が「今現在、電気で苦しんでる人や企業を無駄に怒らせる、冷静な社会批判ではない茶化し」なのか何度か考えてみましたが、未熟さ故私にはどうしても理解できませんでした。
観測霊さんがおっしゃるような理由でおいかりになったと理解してよろしいのでしょうか。
ちなみに私は「すべての原発を今すぐ止めろ、そのために生活や生存が脅かされる人がいても仕方がない」とは考えていません。それは別記事ですが獣医さんへの返信からもわかっていただけると思います。
返信
返信ありがとうございます。私の怒りの根拠は、観測霊さん、まさとまんさんが書かれておられる内容が代弁しています。観測霊さん、まさとまんさん、筆力のない私の怒りの内容を推測し、補って頂き本当にありがとうごさいました。
昨晩の強い、本震とも思えるような余震でまた大規模な停電です。大袈裟かもしれませんが、電気がないということは、この日本では、そして今、会社の倒産・廃業へと追い込み人の糧と生活を奪い、時に生命をも奪います。夏になれば、そして厳冬になればどれだけ弱い人の命が奪われるでしょうか。そして今の日本は毎年三万人の方々が自殺されており、電力不足による不景気がそれに追い打ちをかけます。
そんな状況下、人は放射能を前にしても、電力を欲しがります、電力源を問わず。不安で冷静にはなれないのです。冷静になるには少し時間がかかるかもしれません。そんな皆さんの不安な気持ちを推し測らず、世論調査にも反原発が過半数を取らないからといって、あたかも正義感からの社会諷刺のごとく「日本人は放射能云々」と表現することは、私にはどうしてもタチの悪いレッテル貼りにしか思えません。どうして十把一絡げに?どうしてこの状況下で善悪の二極化をしたがるのか?それは独善です。私には理解できません。ブログ主様がそれでも理解ができないということであれば、私と、そして不遜承知で言わせていただければ、過半の常識ある人々と感度、感覚が違うということかもしれません。
私も色々と社会運動に微力ながら関わってきました。社会運動を起こす側はいつも少数です。少数だからこそ、まとまることも重要ですが、色んな考え方を持つ人々を味方にしていかなければなりません。時には毒饅頭を食べる程の妥協もしなくてはなりませんでした。それは少しでも前に進ませるためです。単にレッテル貼りの二極化で茶化すようにしか相手に見えない言動は、いつも社会運動を大きく後退させます。
今求められることは、原発推進、維持、無関心の方々からも賛同者が出るような、時間は相当にかかるにせよ原発に依存しない現実的な電力供給の代案あるいは現実的で無理のないライフスタイル変更の代案を提起することです。
私はこれから会社でまた電力を巡っての戦場です。
ここで失礼させていただきます。度々の長文申し訳ありませんでした。
昨晩の強い、本震とも思えるような余震でまた大規模な停電です。大袈裟かもしれませんが、電気がないということは、この日本では、そして今、会社の倒産・廃業へと追い込み人の糧と生活を奪い、時に生命をも奪います。夏になれば、そして厳冬になればどれだけ弱い人の命が奪われるでしょうか。そして今の日本は毎年三万人の方々が自殺されており、電力不足による不景気がそれに追い打ちをかけます。
そんな状況下、人は放射能を前にしても、電力を欲しがります、電力源を問わず。不安で冷静にはなれないのです。冷静になるには少し時間がかかるかもしれません。そんな皆さんの不安な気持ちを推し測らず、世論調査にも反原発が過半数を取らないからといって、あたかも正義感からの社会諷刺のごとく「日本人は放射能云々」と表現することは、私にはどうしてもタチの悪いレッテル貼りにしか思えません。どうして十把一絡げに?どうしてこの状況下で善悪の二極化をしたがるのか?それは独善です。私には理解できません。ブログ主様がそれでも理解ができないということであれば、私と、そして不遜承知で言わせていただければ、過半の常識ある人々と感度、感覚が違うということかもしれません。
私も色々と社会運動に微力ながら関わってきました。社会運動を起こす側はいつも少数です。少数だからこそ、まとまることも重要ですが、色んな考え方を持つ人々を味方にしていかなければなりません。時には毒饅頭を食べる程の妥協もしなくてはなりませんでした。それは少しでも前に進ませるためです。単にレッテル貼りの二極化で茶化すようにしか相手に見えない言動は、いつも社会運動を大きく後退させます。
今求められることは、原発推進、維持、無関心の方々からも賛同者が出るような、時間は相当にかかるにせよ原発に依存しない現実的な電力供給の代案あるいは現実的で無理のないライフスタイル変更の代案を提起することです。
私はこれから会社でまた電力を巡っての戦場です。
ここで失礼させていただきます。度々の長文申し訳ありませんでした。
日本の常識を変えるとき
私は「世界の常識、日本の常識」は、ひとつひとつ当たっていると思います。外国だったら、マスコミは政府の初動の遅滞を書き立てるでしょう。責任を追及するでしょう。自主避難を批判するでしょう。与謝野大臣や経団連会長の「千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」発言を問題にするでしょう。街々で怒りが起こるでしょう。そして安全神話を振りまいた、政府や電力会社に対する怒りが怒濤のように起こるでしょう。世界は初め、日本の冷静さを称賛していました。それが少しずつ疑問に変わってきています。日本人はなぜ怒らないのだろう?何故声をあげないのだろう?
電力会社の報告書の虚偽記載、歪曲、非公開性、事故隠し、従業員の安全対策の不備、安全より経費節減重視(原子炉の上部に使用済み燃料があることが事態を深刻化している)などの実態も世界に明らかになり、驚きの声が上がっています。
今こそ、こうしたことに声を上げていかない限り、同じことの繰り返し、いやもっと深刻な事態を招くかも知れません。日本の常識を変えるチャンスでもあるのです。ドイツの国民が、声を上げて政府を動かしたように、日本も声を上げるときです。「原発は怖いわね~でも無いと困るし」から、「原発を抜け出して、節電を工夫しよう」に変えるときではないでしょうか。
いま福島では、放射能汚染水を海に流しています。これが海流によって拡散します。海の生き物にも影響を与えます。現に台湾では、漁民の方に迷惑をかけています。大気中の放射能は気流に乗って、地球を覆います。原発事故は、日本だけの問題ではないのです。
長文になりました。申し訳ありません。
電力会社の報告書の虚偽記載、歪曲、非公開性、事故隠し、従業員の安全対策の不備、安全より経費節減重視(原子炉の上部に使用済み燃料があることが事態を深刻化している)などの実態も世界に明らかになり、驚きの声が上がっています。
今こそ、こうしたことに声を上げていかない限り、同じことの繰り返し、いやもっと深刻な事態を招くかも知れません。日本の常識を変えるチャンスでもあるのです。ドイツの国民が、声を上げて政府を動かしたように、日本も声を上げるときです。「原発は怖いわね~でも無いと困るし」から、「原発を抜け出して、節電を工夫しよう」に変えるときではないでしょうか。
いま福島では、放射能汚染水を海に流しています。これが海流によって拡散します。海の生き物にも影響を与えます。現に台湾では、漁民の方に迷惑をかけています。大気中の放射能は気流に乗って、地球を覆います。原発事故は、日本だけの問題ではないのです。
長文になりました。申し訳ありません。
私も、jeanvaljeanさんに同感ですね。
今後も秋原さんの健筆を楽しみにしています。
今後も秋原さんの健筆を楽しみにしています。
おはようございます。
私も今回の例えは良くできている、なるほどなぁと感じました。
たんぽぽさん自身が、あくまで個人的な意見ですがと断っているように、直接震災にあって苦労している立場の方でも、私のように記事に共感を覚える方もいらっしゃるでしょう。
要は感情論ですから正解はないかと…。
私も今回の例えは良くできている、なるほどなぁと感じました。
たんぽぽさん自身が、あくまで個人的な意見ですがと断っているように、直接震災にあって苦労している立場の方でも、私のように記事に共感を覚える方もいらっしゃるでしょう。
要は感情論ですから正解はないかと…。
再度第三者ですが
ここまで皆さんのコメント読んでの感想ですが、
①やはり自分自身も今回の秋原さんのジョーク、他のは面白いのですが「節電するくらいなら放射能に苦しむほうがいい」の部分にはかなり違和感というか嫌悪感があり、筆が走りすぎたのでは?
②たんぽぽさんの批判を「感情論」と切り捨てるのは稚拙ではないか、むしろ被災に影響を受けた人間の一つの正論ではないのか?
③秋原さんが先日こそ「共感」についての良記事を書いたのに、こいいうことで詭弁にも聞き取れる言い訳をするのは、ここの価値を落とすようでもったいない
④かつて自分がロシアに住んでた際、民族主義者のジリノフスキーがこの類のブラックジョークを連発していた。秋原さんは決してそういう差別主義者ではないと認識していますが、でも今回のあの部分はそう捉えられても仕方のない部分がある
以上です
①やはり自分自身も今回の秋原さんのジョーク、他のは面白いのですが「節電するくらいなら放射能に苦しむほうがいい」の部分にはかなり違和感というか嫌悪感があり、筆が走りすぎたのでは?
②たんぽぽさんの批判を「感情論」と切り捨てるのは稚拙ではないか、むしろ被災に影響を受けた人間の一つの正論ではないのか?
③秋原さんが先日こそ「共感」についての良記事を書いたのに、こいいうことで詭弁にも聞き取れる言い訳をするのは、ここの価値を落とすようでもったいない
④かつて自分がロシアに住んでた際、民族主義者のジリノフスキーがこの類のブラックジョークを連発していた。秋原さんは決してそういう差別主義者ではないと認識していますが、でも今回のあの部分はそう捉えられても仕方のない部分がある
以上です
>たんぽぽさん、まさとまんさん
お二人のご批判、甘んじて受け止めます。
お二人が不快になられたと言うことは、「日本人:節電より放射能」という一文には、電気が欲しいという人間はその事情如何に関わらずトンデモ原発推進派だとひとくくりに決めつけられたように感じさせる余地が客観的に存在した、と言うことだと思います。
言葉は一旦発せられればそれ自体が独立した存在であって、発した本人の主観的意図とは離れて評価を受けるべきものですから、お二人の批判は謙虚に受け止めねばならないと思います。
特にまさとまんさんの「秋原さんが先日こそ「共感」についての良記事を書いたのに、こいいうことで詭弁にも聞き取れる言い訳をするのは、ここの価値を落とすようでもったいない」というご指摘は心に刻んでおきたいと思いました。
一方、どうしてこの皮肉が「今現在、電気で苦しんでる人や企業を無駄に怒らせる、冷静な社会批判ではない茶化し」なのか、私自身まだ理解できない、共感に至らない、というのも正直なところです。でもこれは決して「自分が正しいのだ」とたんぽぽさん、まさとまんさんを批判しているのではありません。自分の未熟さ故共感に至らないのだと自覚しております。ここで物わかりのよい大人のふりをするのはウソをついているようでかえってお二人に不誠実かと私は考えますので、ここは正直に話させていただきました。
例の一文を削除しようかと思いましたが、読者の皆さんの受け取り方は様々です。
自分の至らなさをさらしておく意味でも、ご批判があったことを末尾に付け加えてあのままにしておこうかと思います。不愉快にさせてしまい申し訳ありませんでした。
お二人が不快になられたと言うことは、「日本人:節電より放射能」という一文には、電気が欲しいという人間はその事情如何に関わらずトンデモ原発推進派だとひとくくりに決めつけられたように感じさせる余地が客観的に存在した、と言うことだと思います。
言葉は一旦発せられればそれ自体が独立した存在であって、発した本人の主観的意図とは離れて評価を受けるべきものですから、お二人の批判は謙虚に受け止めねばならないと思います。
特にまさとまんさんの「秋原さんが先日こそ「共感」についての良記事を書いたのに、こいいうことで詭弁にも聞き取れる言い訳をするのは、ここの価値を落とすようでもったいない」というご指摘は心に刻んでおきたいと思いました。
一方、どうしてこの皮肉が「今現在、電気で苦しんでる人や企業を無駄に怒らせる、冷静な社会批判ではない茶化し」なのか、私自身まだ理解できない、共感に至らない、というのも正直なところです。でもこれは決して「自分が正しいのだ」とたんぽぽさん、まさとまんさんを批判しているのではありません。自分の未熟さ故共感に至らないのだと自覚しております。ここで物わかりのよい大人のふりをするのはウソをついているようでかえってお二人に不誠実かと私は考えますので、ここは正直に話させていただきました。
例の一文を削除しようかと思いましたが、読者の皆さんの受け取り方は様々です。
自分の至らなさをさらしておく意味でも、ご批判があったことを末尾に付け加えてあのままにしておこうかと思います。不愉快にさせてしまい申し訳ありませんでした。
ありがとうございます
ブログ主様、大変丁寧なお返事ありがとうございます。私の非礼を省みないコメントに対し付き合って頂きブログ主様の誠実な姿勢にひたすら感謝であります。そして、改めて私の思いを補って頂いたまさとまんさんにも大変感謝しております。
私自身、家庭人として、企業人として、地域で暮らす者として、そしてにわか市民運動の者として、様々な立場上に挟まれながらの葛藤で社会問題に向きあってきました。そんな葛藤の中で色々と行為や投票を行われている人が世の中の大半だと思います。私はそのようなことから意見が異なる人たちに対しても敬意を示します。それが物事を進める上と相互理解のために重要であり、原発問題のように大きく経済が絡む問題は尚更だと思うからです。そして、葛藤の中の人々の営みを簡単にレッテル貼りされたくなかった、そんな思いでコメントさせて頂きました。
ブログ主様の誠実な返信でこちらも救われた思いです。ありがとうございました!
これからの御健筆をお祈りしております。
私自身、家庭人として、企業人として、地域で暮らす者として、そしてにわか市民運動の者として、様々な立場上に挟まれながらの葛藤で社会問題に向きあってきました。そんな葛藤の中で色々と行為や投票を行われている人が世の中の大半だと思います。私はそのようなことから意見が異なる人たちに対しても敬意を示します。それが物事を進める上と相互理解のために重要であり、原発問題のように大きく経済が絡む問題は尚更だと思うからです。そして、葛藤の中の人々の営みを簡単にレッテル貼りされたくなかった、そんな思いでコメントさせて頂きました。
ブログ主様の誠実な返信でこちらも救われた思いです。ありがとうございました!
これからの御健筆をお祈りしております。
ん~、別に切り捨てているわけではないのですが、私の理解力が稚拙なのは事実です^^;
ただ、今回ご指摘の一文は、たんぽぽさんのような感じ方もできる、してしまえる文章であるといこうと。
つまり、秋原さんが仰るように「事情如何に関わらずトンデモ原発推進派だとひとくくりに決めつけられたように感じさせる余地が客観的に存在する」というわけです。
裏を返せば、ずっと好意的に当ブログに接してきた方なら、冷静に読めば真意がどこにあるのか分かるわけで、jeanvaljeanさんのような捉え方(私もそちらの方だった)にもなる。
私は(あくまで私が勝手に)、たんぽぽさんが直接的な当事者だった為に真意を図る余裕がなく、字面に沿っただけの反応になってしまったのかなと理解したわけです。
そして、批判的な意見、好意的な意見、どちらが正しい正しくないといったことがいえる問題ではないと思う=正解はないと書かせて頂きました。
あと、私の理解力不足なのでしょうが、今回の文章が、どうして「差別主義者ではないと認識していますが、でも今回のあの部分はそう捉えられても仕方のない部分がある」に繋がるのか分かりませんでした。
ただ、今回ご指摘の一文は、たんぽぽさんのような感じ方もできる、してしまえる文章であるといこうと。
つまり、秋原さんが仰るように「事情如何に関わらずトンデモ原発推進派だとひとくくりに決めつけられたように感じさせる余地が客観的に存在する」というわけです。
裏を返せば、ずっと好意的に当ブログに接してきた方なら、冷静に読めば真意がどこにあるのか分かるわけで、jeanvaljeanさんのような捉え方(私もそちらの方だった)にもなる。
私は(あくまで私が勝手に)、たんぽぽさんが直接的な当事者だった為に真意を図る余裕がなく、字面に沿っただけの反応になってしまったのかなと理解したわけです。
そして、批判的な意見、好意的な意見、どちらが正しい正しくないといったことがいえる問題ではないと思う=正解はないと書かせて頂きました。
あと、私の理解力不足なのでしょうが、今回の文章が、どうして「差別主義者ではないと認識していますが、でも今回のあの部分はそう捉えられても仕方のない部分がある」に繋がるのか分かりませんでした。