中高生にもわかる日の丸君が代プチ問答集(7)
- 2011/07/06
- 05:00
橋下ツイートを丸呑みしたコピペコメントをいただくことがありますので、橋下氏の言い分を検証してみましょう。このプチ問答集シリーズで既に記述済みのものと若干かぶるところもあると思います。
緑の文字部分は橋下氏のツイログからの引用です。
http://twilog.org/t_ishin/date-110519
■教育評論家の類は、いつもの思想良心の自由や表現の自由を持ち出す。これは君が代問題ではない。教員は職務命令を無視できるのか?の問題。
教育行政における最高意思決定機関で決定されたことを教員は無視できるのか?組織は全て上意下達の指揮命令で成り立つ。
公立の教員が教育委員会の決定に従うのは当たり前
まず橋下氏は、「教育評論家の類は、いつもの思想良心の自由や表現の自由を持ち出す。これは君が代問題ではない」即ち、「君が代問題は思想良心の自由の問題ではない」と言っていますが、これについてはこちらのエントリーをお読みください。
※大阪の君が代起立強制条例に断固抗議します(3)
次に「公立の教員が教育委員会の決定に従うのは当たり前」とのことですが、その職務命令が従う必要のない違憲無効な命令ではないかと主張しているのに対し、「職務命令には従うのは当たり前」ではまるで答えになっていません。
職務命令ならどんな理不尽なものでも従わねばならないと思いますか?、例えば「裸になって三回まわってワンといえ」などという理不尽な職務命令にも盲目的に従えないなら公務員を辞めろと言いますか?
ということなのです。
これも詳しくはこちらのエントリーをお読みください。
※中高生にもわかる日の丸君が代プチ問答集(5)
■朝起きたらおはようございますを言いましょう、人から何かしてもらったらありがとうございますを言いましょうと同じ。
これは単に橋下氏や国旗国歌強制論者の主観的な感想に過ぎないでしょう。
強制される方にとっては「ありがとう」「おはようございます」という挨拶の言葉どころではありません。「私はキリストを信仰していません」と言わされの踏み絵をさせられるクリスチャンと同じ心境です。
■起立斉唱を求める職務命令に文句があるなら正式な手続きを踏んで争えば良い。これが民主主義のルール。嫌だから決定に従わない???そんなことで民主主義、法治国家、組織が成り立つわけがない。
まず。
「今の日本の政治に必要なのは独裁」と民主主義を否定し独裁宣言しちゃう人に「民主主義のルールに従え」なんて言う資格はないと思います。
が、ここではこのツッコミは置いとかないと話を先に進められないので置いといて。
「正式な手続きを踏んで争う」代表は裁判だと思いますが、裁判での違憲審査は「付随的審査制度」と「抽象的審査制度」があり、我が国は付随的審査制度をとっています。
付随的審査制度とは具体的な訴訟事件が提起されたときに、その事件において法令が違憲であるかどうかを判断するやり方です。
特に事件がおきなくてもその法令自体が違憲かどうかを審査するやり方を「抽象的審査制度」と言いますが、日本ではこれは採用していません。
ですから、職務不起立という行為を行う→それに対し処分がなされ、その職務命令は違憲であると訴訟が起こされる。こうして初めて違憲訴訟という裁判の俎上にのるわけです。
付随的審査制度の下ではこれが通常の「正式な手続き」ですから、決定に従わず不起立という行為を行い訴訟を起こす教員はまさに「正式な手続き」を踏んでいるわけです。
橋下さん、法律家なのだからこのくらいわかるはずなんだけど・・・おかしいな?
彼の言う「正式な手続き」「民主的ルール」とはどうやらこういうことを指しているようです。
↓
■起立斉唱が嫌なら、そのような決定をするポジションに就くよう努力すれば良い
(そういえば私学助成を打ち切らないよう嘆願にきた女子高生にも同じ事言ってましたね)
公立の教員は、公務員組織の一員。組織の一員だ。職務命令に従うのは当たり前。そして公の組織の職務命令は民意を受けた命令だ。その命令に意図的に反するということは単なる組織への反抗ではなく、民意への挑戦だ
起立斉唱の決定に不満があるなら民主的ルールによってこの決定を変えよ。
反対する教員は、教育行政を決定するポジションに這い上がり、自分の思う教育行政を決定すれば良い。また、起立斉唱を求めない政策を訴えて選挙で多数議席を獲得し、ルール化すれば良い。これが民主主義
これは日の丸君が代の問題と言うより、むしろいかに彼が民主主義を理解していないか、いかにして民主主義制度からファシズムが生まれるかの問題になりますので、こちらで記事をあらためて書くことにしましょう。
■それでも言うことを聞かない教員がいる。情けない。これは組織マネジメントの話。
組織マネジメント?学校とは軍隊のような上意下達の組織ではあってはなりません。そんな組織なら憲法が理想とする自由で民主的な教育などたちまち窒息してしまうことでしょう
(繰り返しますが公務員である橋下氏は憲法尊重義務を負っているので、憲法が理想とする教育に貢献する義務があるのです。)
そして彼は後日のツイートで「教育は強制だ」という民主主義教育を全く理解していない自分独自の教育観の押しつけを展開しています。「自分は教育の素人だ」と言ってたのにも関わらず。
また、君が代強制条例とは、教員が職務命令に従わないなら地方自治体という公権力が教育委員会に代わって従わせる、という性格を持ちます。
これらは明らかに教育への政治不介入の原則、教育の自由という憲法上の要請に反します。彼は教育についての憲法上の原則について全く無知であるとしか言いようがありません。
でも知らないはずがないのです、彼は司法試験を通っており、司法試験で憲法は必須科目なのですから。
(教育に対する政治不介入の原則や教育の自由についてはここでは詳しく述べません。)
つまり、彼は持論が憲法論上およそ受け入れられないものであることを知っていながら、法に無知な大衆を煽って誤誘導している確信犯だとしか思えないのです。ここが彼の悪質なところだと思います。
彼の論理は実に粗雑で穴だらけの酷いものですが、大衆は粗雑で間違った解釈であろうが、小気味よくわかりやすい断定に引きつけられることを彼は知っています。
圧倒的支持を得られればそれでいい、「勝てば官軍」なのです。
彼のこの哲学は至る所でみられますがまたそれは別の機会に。
■バカ教員の思想良心の自由よりも、子どもたちへの祝福が重要だろ!
君が代を強要することが祝福だとは。
第一卒業式と国歌の間にはなんの必然的な関連性もありません
※関連記事 卒業式に国歌ってそもそもミスマッチじゃないでしょうか?
それに君が代斉唱不起立は10.23通達の前にも普通にありましたが、そのまま穏やかに式はなされてきており、問題視もされてなかったのです。なにか不都合があったというならともかく何の不都合もなかったのに起立を強制しだしたからこういう問題が起きてきたわけで、そこの所を忘れてもらっては困ります。
それまで通り斉唱の間静かに不起立しているだけ(これは事実何の問題もなかった)なのと、教育委員会から物々しく監視員が卒業式にやってきて起立斉唱を強制して回るのと、どちらの風景の方が子供達にとって物々しいか一目瞭然です。
こんな処置のどこに子供を祝福する心があるでしょうか。
また、10.23通達後、卒業生が在校生や教師と対面してお互いに顔を見て言葉を掛け合う対面方式は禁止されました。国旗に背を向けることになるからです。そのほかにも心のこもったその学校独自の卒業式が禁止され、一律の方式を押しつけられました。
10.23通達はむしろ卒業式から祝福の心を奪ったと言えるのではないでしょうか。
※関連記事 君が代を歌わないのがそんなにいけませんか・生徒の心を傷つけないで
■国旗、国歌を否定するなら、公務員を辞めろ。
日本国の公務員なら、君が代に敬意を払え。
前記事をどうぞ。公務員には憲法尊重義務こそあれ、国旗国歌に忠誠義務などありません。
ましてやクビにするなど著しい職権乱用です。
最後にこれはこちらからの質問になります。国旗国歌強制論者からこれに対して明快な答えを聞いてみたいのですけれど・・・
■教員は国家公務員ではなく地方公務員です。雇っているのは国ではなく地方公共団体です。
地方公務員ならその地方自治体の歌を歌うべきでは?大阪の地方公務員なら大阪府歌を歌うのが筋だろうに、なぜいきなり国歌なの?
緑の文字部分は橋下氏のツイログからの引用です。
http://twilog.org/t_ishin/date-110519
■教育評論家の類は、いつもの思想良心の自由や表現の自由を持ち出す。これは君が代問題ではない。教員は職務命令を無視できるのか?の問題。
教育行政における最高意思決定機関で決定されたことを教員は無視できるのか?組織は全て上意下達の指揮命令で成り立つ。
公立の教員が教育委員会の決定に従うのは当たり前
まず橋下氏は、「教育評論家の類は、いつもの思想良心の自由や表現の自由を持ち出す。これは君が代問題ではない」即ち、「君が代問題は思想良心の自由の問題ではない」と言っていますが、これについてはこちらのエントリーをお読みください。
※大阪の君が代起立強制条例に断固抗議します(3)
次に「公立の教員が教育委員会の決定に従うのは当たり前」とのことですが、その職務命令が従う必要のない違憲無効な命令ではないかと主張しているのに対し、「職務命令には従うのは当たり前」ではまるで答えになっていません。
職務命令ならどんな理不尽なものでも従わねばならないと思いますか?、例えば「裸になって三回まわってワンといえ」などという理不尽な職務命令にも盲目的に従えないなら公務員を辞めろと言いますか?
ということなのです。
これも詳しくはこちらのエントリーをお読みください。
※中高生にもわかる日の丸君が代プチ問答集(5)
■朝起きたらおはようございますを言いましょう、人から何かしてもらったらありがとうございますを言いましょうと同じ。
これは単に橋下氏や国旗国歌強制論者の主観的な感想に過ぎないでしょう。
強制される方にとっては「ありがとう」「おはようございます」という挨拶の言葉どころではありません。「私はキリストを信仰していません」と言わされの踏み絵をさせられるクリスチャンと同じ心境です。
■起立斉唱を求める職務命令に文句があるなら正式な手続きを踏んで争えば良い。これが民主主義のルール。嫌だから決定に従わない???そんなことで民主主義、法治国家、組織が成り立つわけがない。
まず。
「今の日本の政治に必要なのは独裁」と民主主義を否定し独裁宣言しちゃう人に「民主主義のルールに従え」なんて言う資格はないと思います。
が、ここではこのツッコミは置いとかないと話を先に進められないので置いといて。
「正式な手続きを踏んで争う」代表は裁判だと思いますが、裁判での違憲審査は「付随的審査制度」と「抽象的審査制度」があり、我が国は付随的審査制度をとっています。
付随的審査制度とは具体的な訴訟事件が提起されたときに、その事件において法令が違憲であるかどうかを判断するやり方です。
特に事件がおきなくてもその法令自体が違憲かどうかを審査するやり方を「抽象的審査制度」と言いますが、日本ではこれは採用していません。
ですから、職務不起立という行為を行う→それに対し処分がなされ、その職務命令は違憲であると訴訟が起こされる。こうして初めて違憲訴訟という裁判の俎上にのるわけです。
付随的審査制度の下ではこれが通常の「正式な手続き」ですから、決定に従わず不起立という行為を行い訴訟を起こす教員はまさに「正式な手続き」を踏んでいるわけです。
橋下さん、法律家なのだからこのくらいわかるはずなんだけど・・・おかしいな?
彼の言う「正式な手続き」「民主的ルール」とはどうやらこういうことを指しているようです。
↓
■起立斉唱が嫌なら、そのような決定をするポジションに就くよう努力すれば良い
(そういえば私学助成を打ち切らないよう嘆願にきた女子高生にも同じ事言ってましたね)
公立の教員は、公務員組織の一員。組織の一員だ。職務命令に従うのは当たり前。そして公の組織の職務命令は民意を受けた命令だ。その命令に意図的に反するということは単なる組織への反抗ではなく、民意への挑戦だ
起立斉唱の決定に不満があるなら民主的ルールによってこの決定を変えよ。
反対する教員は、教育行政を決定するポジションに這い上がり、自分の思う教育行政を決定すれば良い。また、起立斉唱を求めない政策を訴えて選挙で多数議席を獲得し、ルール化すれば良い。これが民主主義
これは日の丸君が代の問題と言うより、むしろいかに彼が民主主義を理解していないか、いかにして民主主義制度からファシズムが生まれるかの問題になりますので、こちらで記事をあらためて書くことにしましょう。
■それでも言うことを聞かない教員がいる。情けない。これは組織マネジメントの話。
組織マネジメント?学校とは軍隊のような上意下達の組織ではあってはなりません。そんな組織なら憲法が理想とする自由で民主的な教育などたちまち窒息してしまうことでしょう
(繰り返しますが公務員である橋下氏は憲法尊重義務を負っているので、憲法が理想とする教育に貢献する義務があるのです。)
そして彼は後日のツイートで「教育は強制だ」という民主主義教育を全く理解していない自分独自の教育観の押しつけを展開しています。「自分は教育の素人だ」と言ってたのにも関わらず。
また、君が代強制条例とは、教員が職務命令に従わないなら地方自治体という公権力が教育委員会に代わって従わせる、という性格を持ちます。
これらは明らかに教育への政治不介入の原則、教育の自由という憲法上の要請に反します。彼は教育についての憲法上の原則について全く無知であるとしか言いようがありません。
でも知らないはずがないのです、彼は司法試験を通っており、司法試験で憲法は必須科目なのですから。
(教育に対する政治不介入の原則や教育の自由についてはここでは詳しく述べません。)
つまり、彼は持論が憲法論上およそ受け入れられないものであることを知っていながら、法に無知な大衆を煽って誤誘導している確信犯だとしか思えないのです。ここが彼の悪質なところだと思います。
彼の論理は実に粗雑で穴だらけの酷いものですが、大衆は粗雑で間違った解釈であろうが、小気味よくわかりやすい断定に引きつけられることを彼は知っています。
圧倒的支持を得られればそれでいい、「勝てば官軍」なのです。
彼のこの哲学は至る所でみられますがまたそれは別の機会に。
■バカ教員の思想良心の自由よりも、子どもたちへの祝福が重要だろ!
君が代を強要することが祝福だとは。
第一卒業式と国歌の間にはなんの必然的な関連性もありません
※関連記事 卒業式に国歌ってそもそもミスマッチじゃないでしょうか?
それに君が代斉唱不起立は10.23通達の前にも普通にありましたが、そのまま穏やかに式はなされてきており、問題視もされてなかったのです。なにか不都合があったというならともかく何の不都合もなかったのに起立を強制しだしたからこういう問題が起きてきたわけで、そこの所を忘れてもらっては困ります。
それまで通り斉唱の間静かに不起立しているだけ(これは事実何の問題もなかった)なのと、教育委員会から物々しく監視員が卒業式にやってきて起立斉唱を強制して回るのと、どちらの風景の方が子供達にとって物々しいか一目瞭然です。
こんな処置のどこに子供を祝福する心があるでしょうか。
また、10.23通達後、卒業生が在校生や教師と対面してお互いに顔を見て言葉を掛け合う対面方式は禁止されました。国旗に背を向けることになるからです。そのほかにも心のこもったその学校独自の卒業式が禁止され、一律の方式を押しつけられました。
10.23通達はむしろ卒業式から祝福の心を奪ったと言えるのではないでしょうか。
※関連記事 君が代を歌わないのがそんなにいけませんか・生徒の心を傷つけないで
■国旗、国歌を否定するなら、公務員を辞めろ。
日本国の公務員なら、君が代に敬意を払え。
前記事をどうぞ。公務員には憲法尊重義務こそあれ、国旗国歌に忠誠義務などありません。
ましてやクビにするなど著しい職権乱用です。
最後にこれはこちらからの質問になります。国旗国歌強制論者からこれに対して明快な答えを聞いてみたいのですけれど・・・
■教員は国家公務員ではなく地方公務員です。雇っているのは国ではなく地方公共団体です。
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