私は
前の記事で
「市民レベルでの相互扶助の精神はとても大事で尊いものですが、私は相互扶助分野を市民の寄付文化で補う社会を目指すより、福祉国家を目指す方がより良いと考えています」
と書きました。
私は、人々の意識がこのタイガーマスク現象をきっかけにして「ランドセルを子供達に配るのは本当は個人の善意によってではなく、国や地方公共団体がおこなうべきなのだ」という方向に昇華するのが好ましいと考えています。それは前の記事の文脈から読み取っていただけるかと思います。
でも、何故市民の善意や寄付でまかなうレベルから、国や地方公共団体の財政(税金)でまかなうレベルに引き上げるべきと考えるのか、その理由をはっきり書くのを忘れていたことに気が付きました(^^;
なので少々補足したいと思います。
児童福祉施設の子供達が皆と同じようにランドセルを背負って学校に行ける権利、
派遣切りにあって寮を追い出された途端ホームレスにならざるを得ない生活に突き落とされない権利、
いつまでも貧困ビジネスの仕事にしかありつけないスパイラルから抜け出て、きちんと再就職できる権利
こういう権利は、一般の人々の善意のお恵みによって与えられるべき性格のものではないと思います。
こういう権利は、人間らしく生きる権利、決して一定のライン以下には落とされない権利であり、広い意味で生存権の中に含まれると思います。
憲法はこの生存権を明文で保証しています。それが25条です。
国民はそれを実現するよう、国家に請求できます。国家はそれを国民に保証する義務を憲法によって負わされているのです。
だから、貧しい人々を再分配によって底上げするのは、第一義的に国家の仕事、国家の義務なのです。
これが「個人の善意の寄付による再分配から国や地方公共団体の財政による再分配に昇華されるべき」と考える理由です。
勿論、人々の善意やボランティアや寄付も非情に大事でその精神は決して失ってはなりません。でもそれは相互扶助の精神をより社会的に強固にし、行政で足りない部分をサポートする「ソフト」なのだと思います。
憲法は、日本は夜警国家でなく福祉国家に向かうべきだという指針を国家に対して提示しているわけですね。政府はその指針を守らねばなりません。
まあ今の政府を見てると、とても守ってるとは言えそうにありませんけれど。
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