今日、麻生政権下で二人の死刑執行がなされました。残念です。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081028dde001010018000c.html死刑執行:2死刑囚に刑執行 森法相下で初--福岡と福島の殺人
法務省は28日、2人の死刑を執行したと発表した。執行されたのは久間三千年(70)=福岡拘置所収容▽高塩正裕(55)=仙台拘置支所収容=の2死刑囚。執行は9月11日に続き今年5回目。森英介法相の命令は就任以来初。
死刑執行は法相の命令が出なかったことによる約3年4カ月の中断後、93年3月に再開され、以後75人が執行された。現在の確定死刑囚は101人。
確定判決などによると、久間死刑囚は92年2月、福岡県飯塚市の路上で小学1年の女児2人(いずれも当時7歳)をわいせつ目的でワゴン車に乗せ、絞殺した。高塩死刑囚は04年3月、福島県いわき市の無職女性(当時83歳)方に押し入り、女性と次女(当時55歳)を刺殺し現金を奪った。久間死刑囚は06年9月に最高裁で死刑確定。高塩死刑囚は06年12月に上告を取り下げて確定した。高塩死刑囚は事件から4年7カ月、確定から1年10カ月での執行だった。
今年に入っての死刑執行は鳩山邦夫元法相下で3回(2、4、6月)、保岡興治前法相下で1回(9月)。ほぼ2カ月に1回執行され、大臣が代わった後の今回もペースが維持された
(引用終)
(※私の死刑にたいする考えはこちらで述べていますのでよければお読み下さい。)
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-3.htmlhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-5.htmlhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-4.html碧猫さんのエントリー、
春霞さんのエントリーがとりあげていらっしゃるように、日本は、国連の勧告に耳をかさず、世界の流れに逆行してますます死刑判決と死刑執行の数を増やしていることに強く抗議します。
執行されたひとり久間三千年さんは一貫して無実を主張していて、再審準備請求をしていました。
物的証拠も動かぬ証拠といえるほどの確実なものではなかったようです。
(参考
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage448.htmhttp://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20081028ddg041040011000c.html)
この事件が冤罪であったかどうかは、まだ事件をよく知らないので判断は置いておきますが・・しかし私は、否認事件だとどうしても冤罪の可能性はあるかもしれない、という不安を覚えてしまいます。無罪推定の原則など名ばかり、最初から有罪の偏見に満ちあふれて裁判に臨む裁判所の実態を見ていると、裁判所の判断が信用できないのです。
死刑から再審無罪を勝ち取った免田さんも、獄中で、こいつはやってないのに死刑にされたと確信している執行がいくつかあると自著の中で述べています。
死刑事件には、明らかに犯人に間違いないというものばかりでなく、こういう灰色のものも多数存在します。確実にクロでない事件の死刑判決がもし間違っていたら・・・もう取り返しはつきません。
国家はいかなる理由があっても人の命を奪う行為を行ってはいけない。
死刑に反対する理由はいくつかありますが、これが最も根源的な理由です。
(これは国家が戦争をし、敵を殺せという殺人命令を出してはいけない、9条の理念と共通するものだと思っています。)
そして死刑制度を維持した場合におきる最大の弊害が、冤罪による死刑です。
しかしもうこの福島の事件が再度追求されることはなく、永遠に闇の中です。もう冤罪だったかどうか確かめようがなくなりました。
もしかしたらやってないかもしれないという疑念が少しでも残っていても、死刑判決が確定したら死刑に処する。
制度がある限りそうなります。
これが正しいことだと胸をはって言えますか。
鳩山法相以来、「粛々と」とは、「順調に在庫処分が進んでいる。」という法務省の感覚を表す言葉になりました。
国民にも二ヶ月に一度ペースが浸透して、ベルトコンベア処刑に慣れてしまった気がします。
もしも冤罪で処刑されたら恐ろしいことですから、どこかで良心の呵責に蓋をするために、裁判所の判断は常に正しいのだと、こいつはどうしようもない極悪人なのだと、そう信じて疑わないように目をつむらせようとしていないでしょうか。
[追記]
現在刑の執行に際して氏名はあかされるものの、裁判の経過や死刑囚の今の現状については何もあかされません。あかせばこの次々行われる死刑に疑問を抱かざるをえないケースが出てくるでしょう。
死刑支持の根拠は感情です。死刑は基本的人権の尊重という世界共通の普遍的な価値観に反するものだという理に、大衆の感情が勝つのは簡単です。
去年、鳩山法相の時に死刑について廃止も視野に入れた勉強会が発足し、法相もそれに参加していた矢先にベルトコンベアを稼働させ批判がおきました。あの勉強会を今の法相も置き去りにしているのでしょうか。
死刑についての国連の勧告も詳しい報道がなされず、現在それについて国民的な議論を喚起しようとする動きはありません。
。
この国は、あえてそういう機会を国民に与えず、死刑制度の弊害に目をつむり、背をそむけつづける現状を維持しようとしているのだと憤りを感じます。
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