名張毒ぶどう酒事件・4夜連続特番その4(ラスト)~毒とひまわり~(2010年放送)
- 2010/12/21
- 04:00
(今までの放送と内容が被っている部分は省き、最後に、全部のまとめと私の感想を記しておこうと思います。)
************
名古屋高裁の再審開始取り消し決定に対し弁護側は最高裁に異議申立した。
開始決定が取り消されてから4年後の今年4月、最高裁はこの決定を取り消し、名古屋高裁に差し戻した。
首の皮一枚つながったのである。
____
1997年の第六次再審請求では、奥西さんが農薬を入れたとされる「公民館での10分間」に疑問を呈した。
死刑判決を出した2審は、公民館で奥西さんが10分間一人になったというDさんの証言を採用した。
しかし、事件の陣頭指揮をとった中西警察署長の捜査ノートには、死刑判決で認定された供述とは異なるDさんの供述が記されていた。
『奥西と一緒に会長宅を出て、途中でGさんに会い、一緒に会場に行った。布巾をとりに会長宅に行き、公民館に帰ってきたら奥西はGさんと囲炉裏端に向かい合って座っていた』
この中西ノートによれば奥西さんには「一人になった10分間」は存在しなかったことになる。
当時の新聞記事にも三人が一番早く公民館に着いた、というDさんの供述が載っていた。
しかし裁判所は、中西ノートは捜査官からの又聞きだから信用性が薄い、という一言で蹴った。
そして第七次請求でやっと開始決定が出る。
無罪判決を出した一審の故・高橋裁判官は、開始決定が出たと聞いて病床で日記に「今更何を言う」と記した。
名張事件では、第5次再審請求20年、第6次5年、第7次は既に8年が経過している。
35歳で逮捕された奥西さんは今年84歳である。
差し戻し審となれば更に年月がかかる。何故最高裁は奥西さんの年齢を考えて速やかに破棄自判しなかったのか。
帝銀事件の平沢さんは、無実を訴えながら95歳で獄死した。現在は平沢さんの養子になった武彦さんが遺志を継いで再審請求を続けている。
帝銀事件同様、司法当局は名張毒ぶどう酒事件も奥西さんの獄死によってこの事件を闇に葬り去りたいのではないか。そう疑われてもしかたがないだろう。
(以上、放送内容要約)
************
昭和50年、最高裁の「‘疑わしきは被告人の利益に’は、再審でも当てはまる」という白鳥決定が、開かずの扉と言われた再審の門戸を広げました。
そして、免田、財田川、松山、島田事件が死刑から再審無罪となりました。
しかし相次ぐ再審に危機感を抱いた司法当局の巻き返しで、その後再審の門戸は再び閉ざされ、冬の時代が続いています。
第5次、第6次、第7次の請求内容と棄却理由を簡単に振り返ってみましょう。
第5次
奥西自白「王冠を歯でこじ開け農薬をいれました」
松倉鑑定「王冠の歯型と奥西の歯型は一致する」
↓
裁判所「奥西が犯人だ。死刑だ」
↓
弁護団、再鑑定で王冠の傷と奥西の歯型が一致しないことを証明
↓
裁判所「まあ、奥西を犯人とする証拠の証明力は下がっちゃったけど、このくらいどうってことない。だって、自白してるんだから犯人に間違いないでしょ。」
第6次
裁判所「公民館で10分間一人になったときに農薬をいれたのだ。」
↓
弁護団「いや、この10分間は無かったことを示す証言が中西ノートに書かれてるんだけど」
↓
裁判所「伝聞だから却下」
(これをわざわざノートにメモしていたのは事件の陣頭指揮をとった警察署長なのだし、刑事裁判でも伝聞が証拠として採用される場合があるのに、単に伝聞であるという一点だけをもって何の吟味もせず門前払いするのは乱暴に過ぎる。見たくないものから目を背けたという印象)
第7次
凶器はニッカリンTと認定
↓
分析したら凶器の農薬はニッカリンTではない可能性が高まった
↓
裁判所「絶対100%ニッカリンTではないとまでは言い切れない。第一、死刑になるかもしれないんだから犯人でなければ自白するわけないでしょ。」
被告人を有罪と認定するには、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要です。
これらの再審請求をみると、奥西さんは犯人ではないかもしれないという合理的な疑いは十分生じていると言えます。
いえ、もともと最初から奥西さんは犯人ではないかもしれないという合理的な疑いはちゃんとありました。だから一審で無罪になったのです。一審の故・高橋裁判官の「今更何をいう」という言葉がズンと響きます。
しかし裁判所は、奥西さん有罪の確定判決を維持しときたい、このまま波風たてないでくれ、と必死のようです。
弁護団がどれだけ奥西さんが犯人ではないという合理的な理由を呈示しても、裁判所は「だからといって奥西が犯人である可能性がゼロになったわけではない。奥西が犯人でないと100%立証できないなら犯人は奥西だ」といっているのです。
でもそれをいうなら、犯人である可能性がゼロではない人間なんて他にいくらでも存在するではありませんか。これならどんな人間だって犯人に仕立てることができるでしょう。
まさに「疑わしきは被告人の不利益に」です。
これは何も名張事件に限ったことではありません。
「疑わしきは被告人の利益に」の刑事裁判の鉄則を貫かないとどんな不当な裁判で無実の者を獄においやることになるか、具体的にわかって頂きたくて長々と名張四部作の番組紹介をしてきました。
裁判所が「疑わしきは被告人の不利益に」認定するのなら、いくら取調を全面可視化しても、それだけでは冤罪防止には不十分だと思います。
そして、再審を認めようとしない根本が「なんだかんだ言っても、自白してるんだからやってるに決まってるじゃないか」です。
裁判所では未だに自白は証拠の王です。だから警察は未だに自白を欲しがるのです。
警察が取り調べ可視化を拒み自白獲得にこだわるのは、裁判所の自白偏重主義のせいです。
現在も警察の内部文書「取り調べ要領」にはこうかかれています。
国連人権規約委員会が見たら卒倒しそうですね。そりゃあこんな前近代的な自白強要の取調は可視化されたくないのも当然です。
裁判所には確定判決維持の方が無辜の民の救済より大事なのだと感じざるを得ません。
真犯人でも現れない限り再審はやらないんだ、というのが今の裁判所のスタンスではないでしょうか。白鳥決定の精神は明らかに反古にされています。
無辜の民の救済に背をむける司法。
裁判所のこのような態度を見るにつけこのエントリーで述べる予定の個人通報制度は絶対に批准すべきだとの思いを強くします。
裁判所の権威主義的な上から目線も鼻につきます。
氷見事件の柳原さんは再審公判で、自分がどうやって虚偽の自白に追い込まれたかを明らかにしたいから取調官を招致して欲しいと請求しました。
ところが裁判官は、この公判は無実か否かを調べる場であって、如何に虚偽自白に追い込まれたかなどということを調べる場ではない、と柳原さんの請求を却下しました。
確かにそれで別に間違いではありません。
しかし再審の場で何故このような冤罪がおきたかその原因を追及しなければ、二度と起こさぬよう教訓は得られません。
にべもなく却下したということは、裁判所には冤罪をおこさないための教訓を得ようという意思がなく、事務的に無罪を言い渡してさっさと幕引きしたかったのでしょう。
無罪判決が言い渡されるとき、裁判所は最後まで柳原さんを「被告人」と呼び、一言の謝罪もありませんでした。
検察は、再審を開始しましょうという裁判所の判断に対し、いや、開始する必要はない、と異議を申し立てたわけですが、これは二度手間甚だしいです。
どうせ再審を開始したらまた新証拠の吟味を同じように繰り返すのだから、検察は異議があるなら再審公判で言えばいいのです。
再審開始決定とは、無罪を推測させる新証拠があるから再審を開始する、といってるわけで事実上の無罪判決に等しいです。だから本当は、開始決定というよりそこで無罪判決を出していいくらいだと私は感じます。
しかしそれが手続的に乱暴だというのなら、せめて再審開始決定には異議申立はできないという立法をすべきではないでしょうか。
_______
腰掛けていたら蹴飛ばされ、家の窓ガラスを割られるー奥西さん逮捕後、家族は追われるようにして村を出て行かざるをえませんでした。
家族が村を去った後、奥西家の墓は掘り返され、共同墓地から外されました。親戚同様の村社会での親しみが憎しみに転じた象徴でした。その光景を見ると涙が出てくる、と奥西さんの妹さんは涙ながらに言います。
奥西さんのお母さんは、村を出た後も殺人犯の親だと騒がれるのでアパートを転々と変わりました。
息子の無実を信じ、連れ添いが無くなった後も市営住宅で内職をしながら細々と一人暮らしを続け、片道3時間かけて名古屋拘置所にいる息子に会い続けました。しかし息子の汚名が晴れるのをついに見ることなく、84歳で鬼籍の人となりました。
今はもう奥西さん自身が亡くなったお母さんの年齢です。
お母さんだけではありません。一審で無罪を出した裁判官、二審で死刑を出した裁判長、奥西さんに自白強要した警察官も既にこの世の人ではありません。毒ぶどう酒を飲んで助かった12人の女性のうち、7人は既に天に召されました。
なんと長い年月がすぎさったことでしょう。
現場検証で公民館へ連れて行かれたとき、まだ幼かった娘と息子が奥西さんをみつけ、「お父ちゃん、お父ちゃん!」と叫んで駆け寄ろうとした姿が忘れられない、と奥西さんは言います。
しかしその子供さん達と奥西さんの縁も遠くなり、子供さん達は今も村を離れ息を潜めて暮らしているのだそうです。
ずたずたに引き裂かれた家族の絆。
二度と帰れない故郷。
奥西さんだけでなく、家族も辛酸をなめ尽くしました。
35歳で逮捕されて84歳になる今日まで、いつ死刑執行されるかと脅えて生きてきた人生が元に戻ることがないことを思うと、胸がかきむしられるような気持ちがします。
司法は自らが犯したこの過ちにいつまで背をそむけつづけ、逃げ続けるつもりなのでしょうか。
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名古屋高裁の再審開始取り消し決定に対し弁護側は最高裁に異議申立した。
開始決定が取り消されてから4年後の今年4月、最高裁はこの決定を取り消し、名古屋高裁に差し戻した。
首の皮一枚つながったのである。
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1997年の第六次再審請求では、奥西さんが農薬を入れたとされる「公民館での10分間」に疑問を呈した。
死刑判決を出した2審は、公民館で奥西さんが10分間一人になったというDさんの証言を採用した。
しかし、事件の陣頭指揮をとった中西警察署長の捜査ノートには、死刑判決で認定された供述とは異なるDさんの供述が記されていた。
『奥西と一緒に会長宅を出て、途中でGさんに会い、一緒に会場に行った。布巾をとりに会長宅に行き、公民館に帰ってきたら奥西はGさんと囲炉裏端に向かい合って座っていた』
この中西ノートによれば奥西さんには「一人になった10分間」は存在しなかったことになる。
当時の新聞記事にも三人が一番早く公民館に着いた、というDさんの供述が載っていた。
しかし裁判所は、中西ノートは捜査官からの又聞きだから信用性が薄い、という一言で蹴った。
そして第七次請求でやっと開始決定が出る。
無罪判決を出した一審の故・高橋裁判官は、開始決定が出たと聞いて病床で日記に「今更何を言う」と記した。
名張事件では、第5次再審請求20年、第6次5年、第7次は既に8年が経過している。
35歳で逮捕された奥西さんは今年84歳である。
差し戻し審となれば更に年月がかかる。何故最高裁は奥西さんの年齢を考えて速やかに破棄自判しなかったのか。
帝銀事件の平沢さんは、無実を訴えながら95歳で獄死した。現在は平沢さんの養子になった武彦さんが遺志を継いで再審請求を続けている。
帝銀事件同様、司法当局は名張毒ぶどう酒事件も奥西さんの獄死によってこの事件を闇に葬り去りたいのではないか。そう疑われてもしかたがないだろう。
(以上、放送内容要約)
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昭和50年、最高裁の「‘疑わしきは被告人の利益に’は、再審でも当てはまる」という白鳥決定が、開かずの扉と言われた再審の門戸を広げました。
そして、免田、財田川、松山、島田事件が死刑から再審無罪となりました。
しかし相次ぐ再審に危機感を抱いた司法当局の巻き返しで、その後再審の門戸は再び閉ざされ、冬の時代が続いています。
第5次、第6次、第7次の請求内容と棄却理由を簡単に振り返ってみましょう。
第5次
奥西自白「王冠を歯でこじ開け農薬をいれました」
松倉鑑定「王冠の歯型と奥西の歯型は一致する」
↓
裁判所「奥西が犯人だ。死刑だ」
↓
弁護団、再鑑定で王冠の傷と奥西の歯型が一致しないことを証明
↓
裁判所「まあ、奥西を犯人とする証拠の証明力は下がっちゃったけど、このくらいどうってことない。だって、自白してるんだから犯人に間違いないでしょ。」
第6次
裁判所「公民館で10分間一人になったときに農薬をいれたのだ。」
↓
弁護団「いや、この10分間は無かったことを示す証言が中西ノートに書かれてるんだけど」
↓
裁判所「伝聞だから却下」
(これをわざわざノートにメモしていたのは事件の陣頭指揮をとった警察署長なのだし、刑事裁判でも伝聞が証拠として採用される場合があるのに、単に伝聞であるという一点だけをもって何の吟味もせず門前払いするのは乱暴に過ぎる。見たくないものから目を背けたという印象)
第7次
凶器はニッカリンTと認定
↓
分析したら凶器の農薬はニッカリンTではない可能性が高まった
↓
裁判所「絶対100%ニッカリンTではないとまでは言い切れない。第一、死刑になるかもしれないんだから犯人でなければ自白するわけないでしょ。」
被告人を有罪と認定するには、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要です。
これらの再審請求をみると、奥西さんは犯人ではないかもしれないという合理的な疑いは十分生じていると言えます。
いえ、もともと最初から奥西さんは犯人ではないかもしれないという合理的な疑いはちゃんとありました。だから一審で無罪になったのです。一審の故・高橋裁判官の「今更何をいう」という言葉がズンと響きます。
しかし裁判所は、奥西さん有罪の確定判決を維持しときたい、このまま波風たてないでくれ、と必死のようです。
弁護団がどれだけ奥西さんが犯人ではないという合理的な理由を呈示しても、裁判所は「だからといって奥西が犯人である可能性がゼロになったわけではない。奥西が犯人でないと100%立証できないなら犯人は奥西だ」といっているのです。
でもそれをいうなら、犯人である可能性がゼロではない人間なんて他にいくらでも存在するではありませんか。これならどんな人間だって犯人に仕立てることができるでしょう。
まさに「疑わしきは被告人の不利益に」です。
これは何も名張事件に限ったことではありません。
「疑わしきは被告人の利益に」の刑事裁判の鉄則を貫かないとどんな不当な裁判で無実の者を獄においやることになるか、具体的にわかって頂きたくて長々と名張四部作の番組紹介をしてきました。
裁判所が「疑わしきは被告人の不利益に」認定するのなら、いくら取調を全面可視化しても、それだけでは冤罪防止には不十分だと思います。
そして、再審を認めようとしない根本が「なんだかんだ言っても、自白してるんだからやってるに決まってるじゃないか」です。
裁判所では未だに自白は証拠の王です。だから警察は未だに自白を欲しがるのです。
警察が取り調べ可視化を拒み自白獲得にこだわるのは、裁判所の自白偏重主義のせいです。
現在も警察の内部文書「取り調べ要領」にはこうかかれています。
否認被疑者は朝から晩まで取調室に出して調べよ。(被疑者を弱らせる意味もある)
調べ室に入ったら自供させるまで出るな。
国連人権規約委員会が見たら卒倒しそうですね。そりゃあこんな前近代的な自白強要の取調は可視化されたくないのも当然です。
裁判所には確定判決維持の方が無辜の民の救済より大事なのだと感じざるを得ません。
真犯人でも現れない限り再審はやらないんだ、というのが今の裁判所のスタンスではないでしょうか。白鳥決定の精神は明らかに反古にされています。
無辜の民の救済に背をむける司法。
裁判所のこのような態度を見るにつけこのエントリーで述べる予定の個人通報制度は絶対に批准すべきだとの思いを強くします。
裁判所の権威主義的な上から目線も鼻につきます。
氷見事件の柳原さんは再審公判で、自分がどうやって虚偽の自白に追い込まれたかを明らかにしたいから取調官を招致して欲しいと請求しました。
ところが裁判官は、この公判は無実か否かを調べる場であって、如何に虚偽自白に追い込まれたかなどということを調べる場ではない、と柳原さんの請求を却下しました。
確かにそれで別に間違いではありません。
しかし再審の場で何故このような冤罪がおきたかその原因を追及しなければ、二度と起こさぬよう教訓は得られません。
にべもなく却下したということは、裁判所には冤罪をおこさないための教訓を得ようという意思がなく、事務的に無罪を言い渡してさっさと幕引きしたかったのでしょう。
無罪判決が言い渡されるとき、裁判所は最後まで柳原さんを「被告人」と呼び、一言の謝罪もありませんでした。
検察は、再審を開始しましょうという裁判所の判断に対し、いや、開始する必要はない、と異議を申し立てたわけですが、これは二度手間甚だしいです。
どうせ再審を開始したらまた新証拠の吟味を同じように繰り返すのだから、検察は異議があるなら再審公判で言えばいいのです。
再審開始決定とは、無罪を推測させる新証拠があるから再審を開始する、といってるわけで事実上の無罪判決に等しいです。だから本当は、開始決定というよりそこで無罪判決を出していいくらいだと私は感じます。
しかしそれが手続的に乱暴だというのなら、せめて再審開始決定には異議申立はできないという立法をすべきではないでしょうか。
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腰掛けていたら蹴飛ばされ、家の窓ガラスを割られるー奥西さん逮捕後、家族は追われるようにして村を出て行かざるをえませんでした。
家族が村を去った後、奥西家の墓は掘り返され、共同墓地から外されました。親戚同様の村社会での親しみが憎しみに転じた象徴でした。その光景を見ると涙が出てくる、と奥西さんの妹さんは涙ながらに言います。
奥西さんのお母さんは、村を出た後も殺人犯の親だと騒がれるのでアパートを転々と変わりました。
息子の無実を信じ、連れ添いが無くなった後も市営住宅で内職をしながら細々と一人暮らしを続け、片道3時間かけて名古屋拘置所にいる息子に会い続けました。しかし息子の汚名が晴れるのをついに見ることなく、84歳で鬼籍の人となりました。
今はもう奥西さん自身が亡くなったお母さんの年齢です。
お母さんだけではありません。一審で無罪を出した裁判官、二審で死刑を出した裁判長、奥西さんに自白強要した警察官も既にこの世の人ではありません。毒ぶどう酒を飲んで助かった12人の女性のうち、7人は既に天に召されました。
なんと長い年月がすぎさったことでしょう。
現場検証で公民館へ連れて行かれたとき、まだ幼かった娘と息子が奥西さんをみつけ、「お父ちゃん、お父ちゃん!」と叫んで駆け寄ろうとした姿が忘れられない、と奥西さんは言います。
しかしその子供さん達と奥西さんの縁も遠くなり、子供さん達は今も村を離れ息を潜めて暮らしているのだそうです。
ずたずたに引き裂かれた家族の絆。
二度と帰れない故郷。
奥西さんだけでなく、家族も辛酸をなめ尽くしました。
35歳で逮捕されて84歳になる今日まで、いつ死刑執行されるかと脅えて生きてきた人生が元に戻ることがないことを思うと、胸がかきむしられるような気持ちがします。
司法は自らが犯したこの過ちにいつまで背をそむけつづけ、逃げ続けるつもりなのでしょうか。
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