死刑求刑された鹿児島夫婦強殺で、裁判員は検察の主張を退け無罪の判決を出しました。
判決要旨を読みましたが、全体として刑事裁判の鉄則「疑わしきは被告人の利益に」にのっとった優れた判決だと思います。
毎日新聞から記事を引用しておきます。
クローズアップ2010:鹿児島夫婦強殺、無罪判決 裁判員感覚、プロと差
◇検察、立証方法の再検討も
鹿児島市の強盗殺人事件に対する裁判員裁判で、10日の鹿児島地裁判決は検察側の死刑求刑を退け、強盗殺人罪などに問われた白浜政広被告(71)に無罪を言い渡した。現場から白浜さんの指紋やDNA型などが採取されており、裁判官だけの裁判では有罪となった可能性も指摘されるが、判決は「この程度の状況証拠で犯人と認定するのは許されない」と判断した。裁判員たちは選任から40日間、慎重に証拠を吟味して結論を導き出したが、長期審理は負担も大きい。【北村和巳、銭場裕司、関谷俊介】
「指紋、掌紋、細胞片は決め手にならず、被告が犯人という検察官の主張は破綻していると言わざるを得ない」。判決はこう指摘し、検察側が挙げた「有力な客観証拠」の証明力を否定。裁判員裁判では2件目、殺人事件では初となる全面無罪判決を出した。裁判員の一人は判決後の記者会見で「証拠が不十分だった」と語った。
鹿児島県警の捜査で、現場の被害者方から446点の指紋・掌紋が採取され、誰のものか特定できた29点のうち11点が白浜さんと一致した。これらは侵入口とみられる掃き出し窓のガラス片や物色されたタンスに付着し、窓の網戸に残った細胞片はDNA鑑定の結果、白浜さんのものとされた。
◇証拠開示不十分
事件現場に残った指紋やDNA型は、犯人を特定する極めて有力な証拠とされる。弁護側は「第三者による捏造(ねつぞう)の可能性」を主張したが、あるベテラン裁判官は判決前、「通常あり得ない主張。これだけ指紋が出ていれば、有罪の可能性が高まると考えるのが自然」と話していた。
判決は弁護側の主張を一蹴し、白浜さんが過去に触った痕跡であることは認めたものの、ガラス片や網戸に触った状況が特定されていないと指摘。タンス周辺の指紋・掌紋についても、動かされた引き出しや荒らされた紙の中には指紋・掌紋が検出されていないものがあることを挙げ、「被告が触った後に別人が物色したことも否定できない」と述べた。
それだけでなく、県警の鑑識活動の不備まで指摘した。ガラス片や網戸から証拠採取する過程を写真撮影しておらず、警察官の足跡が残るなど現場保存が完璧だったか疑問だとして、「被告が触った状況など真相解明のための必要な捜査が不十分だ」と述べた。
また、検察側が状況証拠で立証する際は、被告に有利な証拠も自ら提出すべきだとし、検察の証拠開示が十分でないと指摘した。
◇動機説得力なく
元東京高裁部総括判事の門野博・法政大法科大学院教授は「意外。網戸やタンスに触ったことは認定しながら被告が犯人でないとする点は説得力が少し足りないと思う。しかし慎重に議論を尽くしたのだろうから、少しでも疑問があれば有罪とは言えないというのも、市民感覚なのかもしれない」と語る。検察幹部は「指紋が出て強盗殺人が起きていたら被告が犯人である確率が高いと考えるのが普通の感覚。裁判員裁判では、裁判官があうんの呼吸で理解していたことも丁寧に説明する必要がある」。別の幹部は「『被告が犯人』と心証を抱かせることができなかった検察の負け。立証方法を再検討する必要がある」と話す。
最終的に判決は、指紋などは状況証拠の一つに過ぎないとして、大阪市の母子殺害事件で2審の死刑を破棄した今年4月の最高裁判決に従って判断した。
凶器のスコップからは白浜さんの指紋やDNA型が発見されず、経済的に追い詰められていたという検察側主張の動機に説得力がないなどとして「状況証拠による立証は、その中に被告が犯人でなければ合理的に説明できない事実関係が含まれていることを要するが、それはない」と結論づけた。
(引用ここまで)
Ⅰ.40日も審理の日程を組んでいたことから、裁判所が非常に慎重に臨んでいた事が分かります。市民感覚を反映した判決だと評されていますが、ひょっとしたら裁判官自身も無罪を考えており、その方向性で主導したのかもしれません。
ですが評議は非公開ですから、専ら裁判員独自の判断なのか裁判官も無罪の方向でそういう流れをつくったのか、これについては推測の域を出ません。
即断するわけにはいきませんが、今まで死刑求刑事件の流れをみていると裁判員裁判には次のような傾向があるとは考えられないでしょうか。
即ち、
「罪を犯したことに争いはなく、量刑が焦点となる場合は重罰に傾きやすいが、犯罪を犯したのか犯してないのかの事実を争うような場合には慎重になる」
という傾向です。
まだ推測の域でしかありませんが・・
また、検察幹部の「裁判官があうんの呼吸で理解していたことも丁寧に説明する必要がある」という発言や、元東京高裁部総括判事の門野博・法政大法科大学院教授の「意外」という評価は興味深いです。
これは実務慣例に慣れきった多くの裁判官は一定のパターンさえあればいかに安易に有罪認定しているか、いかに「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の有罪の立証」のハードルが低いかをよく示していると思います。
裁判官は無罪判決を出すと出世街道から外れるので、無罪を出すには勇気がいると言われています。
しかし裁判員にはそんなしがらみはなく、疑わしきを被告人の利益に判断して無罪判決を出すのに躊躇する理由がありません。
また、裁判員は「確定判決を覆すのは司法の威厳に関わる」とはまず考えないでしょうから、裁判員裁判は再審請求にこそ向いていると思います。
もっとも、これは必ずしも常に裁判員の方が裁判官より正しい判断をするという意味ではありません。陪審制をとってるアメリカではびっくりするほどたくさんの冤罪が出ているのですから。
でも、事実の有無の判断から量刑までなにもかもさせる今の制度に比べれば、事実の有無の判断だけを裁判員に任せる陪審員制のほうがまだマシだ、とは言えないでしょうか(あくまでも比較したらの話です)
Ⅱ.残念ながら、最初から被告人に予断と偏見をもって裁判に臨む裁判官がいないわけではありません。こんな証拠でどうして被告人が犯人だと断定できるのか理解できないような事案もあります(高知白バイなんかそうですね)
そういう裁判官に当たってしまったら被告人には不運としか言いようがありません。
担当の裁判官を変更してもらうのに、裁判官の忌避、回避という制度があります。しかし現実には裁判官の忌避、回避は滅多に認められません。
そこで裁判員制度を、被告人の希望があったときのみ裁判官でなく裁判員に事実の有無の判断を行わせることができる(量刑は判断しない)、というシステムに変えてはどうでしょうか。
裁判員裁判にするか裁判官のみの裁判にするか、自由に選択できる被告人の権利とするのです。
そのほうが今のように毎回裁判員を選出しなくてよいし、遙かに経費節約にもなります。
そもそも刑事裁判に於いての「司法改革」とは、適正手続を強化し、被告人の権利を確実に保証し、より公正公平な裁判に資する方向で行われるべきものです。裁判員制度という新制度を設けるならば、あくまで被告人の利益のため、より公正公平で適正な裁判のため、という視点で設けられなければいけなかったと思います。
裁判員制度を、被告人が裁かれたくないと思う裁判官を被告人の希望によって外すことができる制度にするなら、すこしは被告人のための改革だと言えるのではないでしょうか。
Ⅲ.裁判員にはこういう無罪判決を出した体験こそ積極的に話して社会に還元してほしいと希望します。
その体験を社会で共有できれば、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が一体どういうものなのか、具体的な理解が広まるきっかけになるでしょう。
小田中先生の言葉をもう一度引用したいと思います。
裁判員制度は開かれた裁判のイメージを与えるけれども、実は、裁判員の守秘義務と裁判員への接触禁止という規定で、逆に裁判員を法廷に囲い込み、一般の市民から遠ざける閉ざされた制度になっている。
制度化するならば、参加する者がポツンと社会から隔絶された形で参加するのでは無く、いろいろ勉強したり他人の意見を聞いたり、社会化された意見や経験を反映できる立場に立って参加できるものであるべきだ。そうでなければ反映されるのは「その人個人の意見」ではあっても社会化されたものとは必ずしも言えない。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-113.htmlより
裁判員に課せられている「守秘義務」は考え直すべきだと思います。
●関連記事
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-166.html尚、裁判員裁判とは話がずれますが、二重の危険の禁止の趣旨からも、一審で無罪が出た場合は検察の上訴禁止にすべきという立法を行うべきだということも付け加えておきます。
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