名張毒ぶどう酒事件・4夜連続特番その2~重い扉~(2006年放送)前編
- 2010/12/18
- 06:00
引き続き、名張事件特番の内容をお伝えします。今日は第二回「重い扉」です。
長くなりそうなので前編、後編の2回に分けますね。
************
Ⅰー自白の強要ー
今では考えられないことだが、逮捕直後、奥西さんは記者会見に臨んでいる。そこで奥西さんは
「申し訳ない、罪を償いたい」と述べていた。
そして一審の無罪判決を受けた時の記者会見で「何故逮捕後の記者会見で、申し訳ないなどと言ったのか」と記者に質問されたとき、奥西さんはこう答えている。
「自分はやってないから記者会見で何と答えていいかわからない、と警察に言うと、じゃあこう言え、と会見の前に練習させられた。」
奥西さんは獄中でもこう訴えている
「自白はつくられたものだ。事件当初、調書がどんなに大事な物かしらなんだ。あとで(あの自白は)嘘だったと言えばわかってもらえると思っていた」
大抵の冤罪は、自白を強要されてそれに耐えられなくなり、後で取り消せば何とかなると思ってその場しのぎで自白調書に印を押し、取り返しがつかなくなるのである。
Ⅱー裁判所に横たわる縦社会ー
昭和50年に「再審においても疑わしきは被告人の利益にの鉄則が適用される」という最高裁の白鳥決定が出て、再審の門戸がやっと少し開かれた。
この決定以後、死刑再審で無罪判決が4つ立て続けに出る。再審の扉の重さを示すように、いずれも長い年月がたっていた。
松山事件は、逮捕から28年7ヶ月
財田川事件、33年11ヶ月
免田事件、34年6ヶ月
島田事件、34年8ヶ月
そして2005年に再審開始決定がでた名張事件は、その時点で既に44年が経過していた。
(※後にこの開始決定は検察の異議申立を認めて取り消されてしまい、「幻の再審開始決定」となってしまった。免田事件もこの「幻の再審開始決定(西辻決定)」を経験している)
何故再審の扉はかくも重いのか、
徳島ラジオ商事件で再審開始の決定を出した元裁判官の秋山さんは、裁判所のタテ社会が原因だと言う。
「エリートコースを走ってるような裁判官は再審開始決定を出さない。トイレ行くにも、エレベーター乗るにも、食事に行くにも、裁判長、右陪席、左陪席、こういう序列が守られる。裁判所はそういう縦社会なのだ。それが身についてしまうと、先輩のした裁判を簡単に覆して再審なんてとんでもない、と考える。」
裁判官のポストは「最高裁判所長官」を頂点に「最高裁判事」、その下に8つの「高等裁判所の長官」、そして全国50の「地方裁判所の所長」
これらの人事はすべて最高裁が握る。出世コースから外れた裁判官は地方を転々と異動し、待遇でも差がつく。だから最高裁の確定判決に逆らって再審開始決定を出したくないのだ。
4つの死刑冤罪事件で、最高裁の確定判決を覆し、再審開始決定をした12人の裁判官。そのうち、所長になったのは免田事件を担当した裁判官ただ一人。五人は定年を待たずに自ら退官している。
ちなみに名張事件の再審開始決定を出した小出裁判官は、1年後に定年退官を控えていた。もう出世を考えなくてもいい位置にいたのである。
(※イラク自衛隊派遣は違憲だという判決を出した裁判官も定年退官を控えていた。いかに裁判官が人事を盾に取られているか分かる。「裁判官の独立」など名ばかりである)
Ⅲー証拠を隠す検察ー
再審開始を阻むもう一つの壁が、検察である。
再審を開始するには新規性、明白性がある新証拠が必要である。
しかし現在の日本の司法制度では、証拠は全て検察官が握っており、どういう証拠を提出するかは検察の胸先三寸に委ねられている。
実際主な冤罪事件では、検察が隠し持っていた証拠が再審無罪の証拠となった。
だから検察は被告人に有利な証拠の提出を拒み、確定した死刑判決を維持しようとするのである。それが検察にとっての威信なのだ。
(※松山事件では、検察が裁判所の命令で提出した検察証拠が被告人が無実を証明する決め手になった。酷い話だ。)
先輩裁判官の確定判決を覆す勇気に欠ける裁判所
被告人に有利な証拠を隠して有罪を維持したい検察
これが再審を拒む国家権力の厚い壁である。
(以上、番組内容途中要約)
************
裁判所の縦社会を是正し、検察に証拠開示を義務づけ、再審を阻む国家権力の厚い壁を取り払うのが真に求められる司法改革ではないでしょうか。
国民が望みもしてなかった現在の裁判員制度や、弁護士人口の大幅増加など、司法改革でもなんでもないただの司法改悪、司法荒らしだと再度主張しておきたいと思います。
また、裁判官が再審開始に尻込みするような縦社会構造なのであれば、裁判員制度は、再審開始の審理に持ってくるべきと言う主張も一理あると頷いてもらえると思います。
裁判官の縦社会の弊害は、何も再審に限ったことではありません。
たとえば、こちらで書いた沖縄靖国合祀取り消し判決が最高裁判決をなぞっただけの誠実さの欠片もない腰抜け判決だったのも、その影響がないとはいえないでしょう。
裁判官だって人の子です。出世が絡めば反動的な最高裁判決に反旗を翻せない「腰抜け判決」「弱腰判決」になりがちです。そうして司法は人権の最後の砦になることに消極的になっていくのです。
(続く)
長くなりそうなので前編、後編の2回に分けますね。
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Ⅰー自白の強要ー
今では考えられないことだが、逮捕直後、奥西さんは記者会見に臨んでいる。そこで奥西さんは
「申し訳ない、罪を償いたい」と述べていた。
そして一審の無罪判決を受けた時の記者会見で「何故逮捕後の記者会見で、申し訳ないなどと言ったのか」と記者に質問されたとき、奥西さんはこう答えている。
「自分はやってないから記者会見で何と答えていいかわからない、と警察に言うと、じゃあこう言え、と会見の前に練習させられた。」
奥西さんは獄中でもこう訴えている
「自白はつくられたものだ。事件当初、調書がどんなに大事な物かしらなんだ。あとで(あの自白は)嘘だったと言えばわかってもらえると思っていた」
大抵の冤罪は、自白を強要されてそれに耐えられなくなり、後で取り消せば何とかなると思ってその場しのぎで自白調書に印を押し、取り返しがつかなくなるのである。
Ⅱー裁判所に横たわる縦社会ー
昭和50年に「再審においても疑わしきは被告人の利益にの鉄則が適用される」という最高裁の白鳥決定が出て、再審の門戸がやっと少し開かれた。
この決定以後、死刑再審で無罪判決が4つ立て続けに出る。再審の扉の重さを示すように、いずれも長い年月がたっていた。
松山事件は、逮捕から28年7ヶ月
財田川事件、33年11ヶ月
免田事件、34年6ヶ月
島田事件、34年8ヶ月
そして2005年に再審開始決定がでた名張事件は、その時点で既に44年が経過していた。
(※後にこの開始決定は検察の異議申立を認めて取り消されてしまい、「幻の再審開始決定」となってしまった。免田事件もこの「幻の再審開始決定(西辻決定)」を経験している)
何故再審の扉はかくも重いのか、
徳島ラジオ商事件で再審開始の決定を出した元裁判官の秋山さんは、裁判所のタテ社会が原因だと言う。
「エリートコースを走ってるような裁判官は再審開始決定を出さない。トイレ行くにも、エレベーター乗るにも、食事に行くにも、裁判長、右陪席、左陪席、こういう序列が守られる。裁判所はそういう縦社会なのだ。それが身についてしまうと、先輩のした裁判を簡単に覆して再審なんてとんでもない、と考える。」
裁判官のポストは「最高裁判所長官」を頂点に「最高裁判事」、その下に8つの「高等裁判所の長官」、そして全国50の「地方裁判所の所長」
これらの人事はすべて最高裁が握る。出世コースから外れた裁判官は地方を転々と異動し、待遇でも差がつく。だから最高裁の確定判決に逆らって再審開始決定を出したくないのだ。
4つの死刑冤罪事件で、最高裁の確定判決を覆し、再審開始決定をした12人の裁判官。そのうち、所長になったのは免田事件を担当した裁判官ただ一人。五人は定年を待たずに自ら退官している。
ちなみに名張事件の再審開始決定を出した小出裁判官は、1年後に定年退官を控えていた。もう出世を考えなくてもいい位置にいたのである。
(※イラク自衛隊派遣は違憲だという判決を出した裁判官も定年退官を控えていた。いかに裁判官が人事を盾に取られているか分かる。「裁判官の独立」など名ばかりである)
Ⅲー証拠を隠す検察ー
再審開始を阻むもう一つの壁が、検察である。
再審を開始するには新規性、明白性がある新証拠が必要である。
しかし現在の日本の司法制度では、証拠は全て検察官が握っており、どういう証拠を提出するかは検察の胸先三寸に委ねられている。
実際主な冤罪事件では、検察が隠し持っていた証拠が再審無罪の証拠となった。
だから検察は被告人に有利な証拠の提出を拒み、確定した死刑判決を維持しようとするのである。それが検察にとっての威信なのだ。
(※松山事件では、検察が裁判所の命令で提出した検察証拠が被告人が無実を証明する決め手になった。酷い話だ。)
先輩裁判官の確定判決を覆す勇気に欠ける裁判所
被告人に有利な証拠を隠して有罪を維持したい検察
これが再審を拒む国家権力の厚い壁である。
(以上、番組内容途中要約)
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裁判所の縦社会を是正し、検察に証拠開示を義務づけ、再審を阻む国家権力の厚い壁を取り払うのが真に求められる司法改革ではないでしょうか。
国民が望みもしてなかった現在の裁判員制度や、弁護士人口の大幅増加など、司法改革でもなんでもないただの司法改悪、司法荒らしだと再度主張しておきたいと思います。
また、裁判官が再審開始に尻込みするような縦社会構造なのであれば、裁判員制度は、再審開始の審理に持ってくるべきと言う主張も一理あると頷いてもらえると思います。
裁判官の縦社会の弊害は、何も再審に限ったことではありません。
たとえば、こちらで書いた沖縄靖国合祀取り消し判決が最高裁判決をなぞっただけの誠実さの欠片もない腰抜け判決だったのも、その影響がないとはいえないでしょう。
裁判官だって人の子です。出世が絡めば反動的な最高裁判決に反旗を翻せない「腰抜け判決」「弱腰判決」になりがちです。そうして司法は人権の最後の砦になることに消極的になっていくのです。
(続く)
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