コメント
しかし、最後のカードとして中国は軍事力を持っているのに、日本は持っていないのでは、日本は極めて不利になる。
その結果どうなるかは、軍事力の弱体なベトナム・フィリピン・インドネシアなどの島嶼を中国が奪取し、これらの国が泣き寝入りを強いられているのを見れば明らかだ。
非武装中立論はいかなる意味においても正当化できないし、日本が沖縄に配備を計画している自衛隊とは比較にならない大規模な軍拡を中国が今後数十年間続けるのは確実だ。
北朝鮮の問題にしても、社民党でも共産党でもよいから、護憲派の政治家が話し合いで一人でも拉致被害者を連れ帰っていれば、護憲政党の支持も回復するのに、そんな素振りも見せない。
話し合いは極めて重要だが、万能ではないのだ。
一読して
日米同盟を深化させることや離島の防衛体制を強化することは別に外交交渉を拒否しているわけでも紛争に過剰に反応しているわけでもなく、
中国政府に対して軍事的な圧力をかけられても屈しないというメッセージを発することで日中間の偶発的な衝突を防ぐ効果があります。
今回の紛争の背景には日経新聞が社説で言うように鳩山政権の迷走と基地移転のごたごたで中国側に足下を見透かされていることがあります。
中国側の外交姿勢は国際ルールを無視した強硬な外交であり、東アジア海域で軍事的プレゼンスを拡大しているのと今回の19世紀型外交は軌を一にしています。
話し合いを拒否する必要もありませんが、中国側の意図を過度に楽観視したり軍事力の影響を軽視したりするのは愚かです。
それにしても議論の中でどうして憲法が出てくるのか不思議です。
憲法解釈の問題は国内問題であり、日中間の紛争は外交問題である。
日本の側から侵略戦争を行ったり武力による威嚇をしてはいけないのは当然だが、外国の政府は別に自発的に9条を守る義務も意思もないのである。
教条的な姿勢は考え物だと思います。
すぐ軍拡・核武装を唱えたり、中国・韓国への嫌悪感をむき出しにする右翼もうんざりだが、軍事について不勉強なまま、非武装平和主義がどれだけ超人的な(外交的)努力を要するかを理解せず、九条を金科玉条視する左翼にも違和感を覚えるのです。
軍事について正当な理解なしに、尖閣など安全保障の問題を論じるのは止めにするべきでしょう。
とりあえず通りすがりさん
全然通りすがってないじゃないですか(笑)
以後、そのハンドルはご遠慮下さるようお願い致します。
通りすがりの捨て文さん?
日本国憲法は内政のためであれ外交のためであれ日本政府が守るべき行動指針です。ここで日本国憲法が出てくるのは当たり前じゃないですか。
>軍事について不勉強なまま、非武装平和主義がどれだけ超人的な(外交的)努力を要するかを理解せず、九条を金科玉条視する左翼
なるほどなるほど。軍事力に頼れば頭を使わないでもいいというわけですね。「軍事力頼み」の人は「無知性」であるとこの方は身をもって証明しに来たのでしょうか?勉強になります。
>日本国憲法は内政のためであれ外交のためであれ日本政府が守るべき行動指針です。ここで日本国憲法が出てくるのは当たり前じゃないですか。
憲法に従うことと、外交政策を国内事情に基づいて選択することは別物です。
外交は相手方あってのものですから憲法解釈論の中から外交政策は演繹されません。
相手方の採りうる選択肢を検討した結果に基づいて(念のため付言すると国際法と憲法の範囲内で)自国の採るべき政策を決定すべきです。
過度に悲観的になる必要はありなせんが、常に最悪の選択肢を想定して検討するのが外交の常道です。
はじめまして。
> 外交は相手方あってのものですから憲法解釈論の中から外交政策は演繹されません。
いえ、解釈論どうこうではなく、秋原さん、村野瀬さんは憲法は国の行動指針、行動規範なのだから、外交も当然それに沿うべきだと言う立憲主義の立場を確認しているだけではないでしょうか。この場合、9条に従って「国際紛争を解決するための武力による威嚇または武力の行使を行わない」という基本方針を堅持しつつ、いかに中国と交渉を進めるかというお話ですよね。
というか、無学で申し訳ない。純粋に名無しさんにお尋ねしたいのですが、
> (国際法と憲法の範囲内で)自国の採るべき政策を決定
これは「憲法に従」って外交政策を決定していることにならないのですか?
前段では
> 憲法に従うことと、外交政策を国内事情に基づいて選択することは別物です。
と仰っておられて、これは受け取り方次第では国内事情次第では憲法を無視した外交政策をとっても構わないともいう風に読めてしまうのですが、続けて
> 国際法と憲法の範囲内で)自国の採るべき政策を決定すべきです。
とも仰っておられて、名無しさんのお立場がよく理解できません。
いくつかの箇所について自分なりに考えされられたものでコメントしたかったためです。
思っていることは4点で可能な限り要点を圧縮して述べます。
1点目は中国は本当に軍事的な手段を使っていないかどうかです。
今回中国政府は形式的には軍事力を使っていませんが事実上は軍事力を背景に自国の利益を追求していると私は考えます。
悲しい現実ですが、外向的な影響力がかなりの程度で軍事力の影響を受けることは否定できません。
これは相手方が意図的にそうしているからと言うよりも、相手方の意図が判らない以上は最悪の選択肢を想定せざるを得ないからです。
日本政府も周辺諸国も当然そう考えますし、中国政府は外交交渉を有利に進めるためにあえて自国の意図を隠すことができます。
2点目は外交交渉に何を期待するかです。
日中の首脳会談に成果を期待する向きがありますが私はほとんど期待していません。
何故ならば、お互いにメリットがあれば妥協の余地がありますが、中国政府にはそうするメリットがないからです。
この場合の外交交渉の重要な意味はコミュニケーションチャネルを確保してお互いに疑心暗鬼になることを避けて偶発的な衝突を防ぐことにあります。
交渉で問題が解決する見込みがなければ問題を次世代に先送りするのが良いのです。
3点目は国際社会に期待できるかということです。
結論から言うと国連や国際司法裁判所に期待はできませんが、中国が国際ルールを破った危険な行動をしているということを国際世論に訴えることは有効です。
中国が常任理事国である以上国連は機能しませんし、国際司法裁判所は国際法上相手方が同意しなければ機能しません。
その上仮に中国政府が提訴に応じたとしても中国政府が判決を無視すれば履行を強制する手段はありません。
他方で中国の国家目標として超大国になることがあるので、目標を達成するまでは(中国政府が合理的に行動するならば)国際社会との摩擦は避けたいはずです。
4点目は領土問題が存在することを日本政府が公認することに意味があるかということです。
中国政府の外交目標としてはまず領土問題が存在するということ自体を国際社会にアピールすることにあります。
日本政府としては中国政府が強硬手段を採ればコストが高くつくということを認識させた上で領土問題は存在しないというスタンスを取り続けることが最善の選択肢です。
>いえ、解釈論どうこうではなく、秋原さん、村野瀬さんは憲法は国の行動指針、行動規範なのだから、外交も当然それに沿うべきだと言う立憲主義の立場を確認しているだけで>はないでしょうか。この場合、9条に従って「国際紛争を解決するための武力による威嚇または武力の行使を行わない」という基本方針を堅持しつつ、いかに中国と交渉を進める>かというお話ですよね。
一言で言えば、国の行動指針や行動規範は、国家の主権や国民の生命・安全を守るという必要性は時として矛盾するということです。
両者の抵触を無視して一方の原理を優先させるのではなく、可能な限り両者が両立するような外交政策を採らなければならないということです。
この点が純粋な国内問題である憲法解釈論とは異なります。
ブログの著者の姿勢が問題なのは憲法違反だからという理由で軍事力の影響力を否定して議論を進める点です。
その点が教条的であると指摘されている由縁です。
あるべき議論は、相手方が最悪のオプションを選択しないように日本政府が採るべき国内法秩序と矛盾しない現実的な選択肢は何かと言うことです。
社会契約説的な観点に立脚すれば、憲法は国民と国家(政府)との契約です。
政府は国民から委任を受けて権力を行使し、国民に対して説明責任を負います。
外交政策が憲法に適合しているかどうかということは、国内において政府が国民に向けて説明すべき事柄です。
他方で日本政府と外国政府は上記のような契約関係にはありません。
二国間関係において前面に出てくるのは国際法であり憲法ではありません。
外交政策というものは臨機応変に行わなければならない性質上、国民に対する説明責任は事後に発生します。
従って憲法解釈論から外交政策を演繹するのは論理的におかしいです。
あるべき思考は、最悪の事態に陥らないようにどのような手段を採るべきか、仮に最悪の事態になってしまったらどう対処するか事前に考えておくことです。
憲法解釈論はその後で政府が国民に説明責任を果たす段階で発生するものです。
(ただし半直接民主制を採用するのであればまた違った結論になろうかとは思います。)
おっとり刀の管理人です、すいません(汗;
まだ他にコメント返しがたまってるのですが、順番を逆にしてまずこちらから。
えっと、通りすがりさん
中国と日本は抜き差しならないほど深く経済的に結びついていて、もし日本が戦火にさらされたら一番困る国は中国である、と言われるほど。様々な状況を分析した結果、中国が日本に戦争を仕掛けることはない、というのが日米双方のシンクタンクの見解。
「軍事力の弱体なベトナム・フィリピン・インドネシアもやられた、だから日本も」というのは、こういう諸処の状況分析(特に経済)を無視し、単に所有する軍事力の大きさだけを見て語っているから現実味に欠け説得力がない。実際早々に中国日本とも関係修復に歩み寄りだしている。中国も大きく拳をふりあげたものの早く日本との関係を修復したがっている。でなければ中国も困るのだから。
>最後のカードとして中国は軍事力を持っているのに、日本は持っていないのでは、日本は極めて不利になる。
>話し合いは極めて重要だが、万能ではないのだ。
人間がやることにおよそ完全だと断言できるものは何一つ無い、という普遍的な命題からすれば、対話が100%万能だとは断言しないが、軍事力だって万能ではない。
そして軍事力などは「最後のカード」なんかにはならない(軍事大国アメリカの泥沼を見て欲しい)、それよりもクオリティの高い外交の方が現実的で確実だというのが憲法の考え方。
過去に何度か書いてきたので詳しくは繰り返さないが、9条を「武器を捨てました~、はい、これだけで弾はよけてくれます~」という脳天気なものだと曲解してもらっては困る。非武装平和主義とクオリティの高い外交はセット。
>Stevenさん
2度ほどハンドル忘れてらっしゃいます(^^;
またのちほど。
ええっと・・
Stevenさんの最後のコメント
> あるべき思考は、最悪の事態に陥らないようにどのような手段を採るべきか、仮に最悪の事態になってしまったらどう対処するか事前に考えておくことです。
憲法解釈論はその後で政府が国民に説明責任を果たす段階で発生するものです。
ってさ
「憲法解釈論はその後で」・・
その後で、でいいんですか?!
はじめまして
はじめまして
フリスキーと申します。
さて、お二人は、憲法について誤解をされています。
憲法というものは、単なる国の行動指針の類ではありません。
そして、最高法規であり、制限規範であるとされています。
これは、どういうことかというと、
国の統治機構が出来ること、出来ないことを予め決めて
縛りをかけておくということなのです。
そうすることで、権力が暴走しないように、
歯止めをかけておくということなのです。
そのための最高法規です。
それは国内問題であれ、外交マターであれ同じです。
憲法の条文のどこにも両者を分ける、
つまりダブルスタンダードを規定したものはございません。
お二人の立場に立つとしても、
まず憲法改定論、憲法解釈論をきちんと考えておく
べきなのです。
よく右派の人たちが、中国が今回のような行動に出たのは、
日本に平和憲法があるからだ、平和憲法が足かせになっているのだ
という主張をしていますが、
この場合、お二人よりも、はるかに憲法の機能を理解しているという
ことになります。
わかりますね?
こういった右派の主張をする人たちも、
国が出来ること、出来ないことを予め規定した最高法規が
憲法であることをわかっているのです。
だから、憲法改定を主張しているのです。
まずは、憲法とはどういうものなのか
基礎を知っておきましょう。
返信ありがとうございます。
フリスキーさんが、大事なことはほとんど仰ってくださったので、わたしは必要最低限の書き込みにとどめさせていただきます。
> 国の行動指針や行動規範は、国家の主権や国民の生命・安全を守るという必要性は時として矛盾するということです。
行動規範と必要性が矛盾?えーっと、つまり現行憲法では「国家の主権や国民の生命・安全を守るという必要性」を満たせない、という意味でしょうか?
> 憲法違反だからという理由で軍事力の影響力を否定して議論を進める点です。
日本は立憲主義の国なのだから、憲法に違反することを国がしてはいけないのではないでしょうか?「軍事力の影響力」は明らかに九条一項の「武力による威嚇」に相当し、憲法に抵触しますよね?改めてお尋ねしますが、名無しさんは日本は立憲主義を放棄して、国内事情次第では憲法を無視した外交政策をとるべきだと仰りたいのでしょうか?
> その点が教条的であると指摘されている由縁です。
原理原則を持たない=何をするか分からない国家権力って、恐ろしいものだとは思いませんか?
> 相手方が最悪のオプションを選択しないように日本政府が採るべき国内法秩序と矛盾しない現実的な選択肢は何かと言うことです。
いえ、ですから憲法を無視しちゃうと、立憲主義がなりたたなくなり、国内法秩序も崩壊してしまうのですが…。
> Stevenさん
はじめまして。
> 社会契約説的な観点に立脚すれば、憲法は国民と国家(政府)との契約です。
> 政府は国民から委任を受けて権力を行使し、国民に対して説明責任を負います。
負うのは「説明」責任だけじゃありませんよね。国民の人権、生命、財産に対しても責任を負っています。
> 他方で日本政府と外国政府は上記のような契約関係にはありません。
> 二国間関係において前面に出てくるのは国際法であり憲法ではありません。
いえ、あのですね、秋原さんも村野瀬さんもそんなことは百も承知だと思いますよ。このシリーズ記事のタイトルに注目してください。
> 「話し合いで解決する外交の能力が全くない政府~尖閣諸島の問題」
この「政府」というのは日本国政府を指すことは一連の記事を読めば明らかですね。秋原さんが一貫して問題にしているのはこの尖閣諸島問題に対する「日本国政府の」姿勢、行動であり、「日本国政府に対して」日本国憲法に基づいた外交交渉をせよ、と述べているのですね。中国政府に日本国憲法を守れ、守らせるべきだ、あるいは中国政府が日本国憲法に従ってくれるなんて一言も言っていません。
ですから
> 外国の政府は別に自発的に9条を守る義務も意思もないのである。
> 他方で日本政府と外国政府は上記のような契約関係にはありません。
こんな指摘は的外れではないでしょうか。
こちらが日本国憲法に基づいて行動しても、外交の相手方がそれを斟酌してくれる保障はありません。これは当然のことです。だからといって憲法を無視した外交を行っていいというのは、フリスキーさんも仰っていますが、国の最高法規を無視した「権力の暴走」を許容するものであって、立憲主義に立つ国家として許されないのではないでしょうか?
時間がないので要点だけ
私は何も憲法を無視して政府が好き勝手に振る舞っていいといっているわけではありませんので誤解の無いように。
国の最高法規云々もよく知っているつもりです。
しかしその最高法規の解釈(憲法解釈論)は日本の国内事情から生まれたものであり、
国内事情を元にして外交政策を決定するのは単に自分の見たい現実、望んでいる現実だけを見ているだけだと言っています。
外交には外交の論理があり、国内の論理とすりあわせを行うべきでしょう。
中国政府が日本国憲法を守らないことはよく知っているというのであれば、日本国政府が国内事情に従って外交政策を決定するだけでは
対応できないことがよくわかるのだと思いますが。
>「軍事力の影響力」は明らかに九条一項の「武力による威嚇」に相当し
というセンテンスが教条的だと思います。
そんなこと憲法のどこに書いているのでしょうか?
軍事力の影響力を肯定する段階から武力による威嚇を行う段階まで途中には幅広い段階があると思いますが。
教条的と言ったのは、融通が利かないという程度の意味で考えてください。
つまりはこういうことです。
例えば、一例として、日米同盟を強化する外交政策について検討する際には、その外交政策が中国政府にとってインパクトがあるか
どうかということが最初に考えられるべきであり、効果がないのであれば最初から憲法論が前面に出てくる余地はありません。
効果があるのであれば初めてそこで国内の論理とどう折り合いをつけるのかということが考慮されるべきです。
議論をする過程をすっ飛ばして、最初から憲法違反云々を前面に出して議論をするのはおかしいということです。
外交には外交の論理があり、あるべき憲法解釈はこれとこれとこれという風に決めつけて議論をするのではなく、
そもそも本当に国内の論理と両立しないのか、必要であれば解釈改憲をすべきか否かということも議論されるべきです。
中国政府が軍事力の影響力を行使するのに日本政府が国内事情から軍事力の影響力を無視するという思考方法はどこかおかしくありませんか?
> Stevenさん=名無しさん(ハンドルの記入漏れにご注意下さい)
私の言いたいことはほとんど皆さんが言い尽くして下さいました。ありがとうございます。出てくるのが遅くてほんとにすいません(汗)
さて、Stevenさん
>しかしその最高法規の解釈(憲法解釈論)は日本の国内事情から生まれたものであり、
国内事情を元にして外交政策を決定するのは単に自分の見たい現実、望んでいる現実だけを見ているだけだと言っています。
外交には外交の論理があり、国内の論理とすりあわせを行うべきでしょう。
残念ですが、こんな発言をされてるようでは、「私は何も憲法を無視して政府が好き勝手に振る舞っていいといっているわけではありませんので誤解の無いように。
国の最高法規云々もよく知っているつもりです。」
とはとてもではありませんが言えません。
まずあなたは「立憲主義」というものをまるで理解されていませんね、理解できていたら「外交には外交の論理があり、国内の論理とすりあわせを行うべき」などという立憲主義に反する発想はできないはずです。
そもそも「国内の論理」「外交の論理」などと勝手に区別されてるところからしておかしいです。あなたによれば「外交の論理」とやらは憲法=国内法の論理とはまた別次元の所に存在して基本的に縛りを受けないかのようなイメージを抱いていらっしゃるようですね。このような「Steven理論」を勝手に創作されても困ります。
村野瀬玲奈さん、観測霊さん、フリスキーさんが立憲主義とは何かについて丁寧に説明されています。もういちどこれらのコメントをよく読み直し、立憲主義について理解して下さい。
>>「軍事力の影響力」は明らかに九条一項の「武力による威嚇」に相当し
というセンテンスが教条的だと思います。
そんなこと憲法のどこに書いているのでしょうか?
この一文からもあなたが憲法の解釈論というものがどういうものかをまるで理解しておられないことがわかってしましました。
(このコメントを書いている途中で来たあなたのコメントによれば「教条的とは融通が利かないと言う程度のこと」だそうですが、どちらにしろおなじことです)
憲法の文言にそのままストレートに書かれていない部分をくみ取る作業が「解釈論」という学問なのですよ。ですから「そんなこと憲法のどこに書いているのでしょうか?」と反論された時点で「ああ、法解釈論というものを知らないのだな」とわかってしまうのです。
他の皆さんが書いておられることの繰り返しになりますが、憲法は国の行動を縛り律するものです。その律せられるもののなかに当然ですが外交も入っているのですよ。ですから憲法の理念に沿った外交をする義務が国にはあるのです。憲法を超えることは許されません。
「外交の論理」と「国内の論理」の折り合いを付ける、などというあなただけの「Steven理論」は、およそ立憲主義についての無理解からくる発想です。
あとgrizzry_bear さんが指摘された「憲法解釈論はその後で政府が国民に説明責任を果たす段階で発生するものです。」とか、至る所で立憲主義や法解釈論について無知であるのがわかってしまう発言があちこちに・・・
どうか立憲主義について勉強し直して下さることをお願い致します。
何度も書き込んですみません。お休みなさい。
>国の統治機構が出来ること、出来ないことを予め決めて
>縛りをかけておくということなのです。
>そうすることで、権力が暴走しないように、
>歯止めをかけておくということなのです。
>そのための最高法規です。
>それは国内問題であれ、外交マターであれ同じです。
>憲法の条文のどこにも両者を分ける、
>つまりダブルスタンダードを規定したものはございません。
これはその通りだが、ダブルスタンダードにするのではなく、両者をすりあわせるべきと言っています。
>> 「話し合いで解決する外交の能力が全くない政府~尖閣諸島の問題」
>この「政府」というのは日本国政府を指すことは一連の記事を読めば明らかですね。秋原さんが一貫して問題にしているのはこの尖閣諸島問題に対する「日本国政府の」
>姿勢、行動であり、「日本国政府に対して」日本国憲法に基づいた外交交渉をせよ、と述べているのですね。中国政府に日本国憲法を守れ、守らせるべきだ、あるいは
>中国政府が日本国憲法に従ってくれるなんて一言も言っていません。
外交には外交の論理があるということを言っているのであり、外交は相手方あってのものであるということを言っています。
私も別に中国政府に日本国憲法を守らせるべきだなどとは一言も言っていません。
「日本国憲法に基づいた外交」を国内事情を前面に出したと外交いう意味に解釈すべきではありません。
>> 外国の政府は別に自発的に9条を守る義務も意思もないのである。
>> 他方で日本政府と外国政府は上記のような契約関係にはありません。
>こんな指摘は的外れではないでしょうか。
国内の論理と外交の論理の違いを説明するために言っているのであり、的外れではありません。
外交政策においては相手方があり、通常は相手方のあらゆる選択を想定した上で議論をするため、
最初から憲法解釈論を前面に出して議論をすることは通常はないという共通の基本認識が必要です。
およそ立憲主義に関する無理解云々の下りですが、別にあなたが憲法解釈の有権解釈権を持っているわけではないでしょう。
そもそも憲法解釈とは、一部の人たちが自分たちの政治的意見を通すために利用するためのものではなく、
合理的な憲法慣行や憲法の再解釈により時代と共に修正されていくべきものでしょう。
憲法が律せられるものの中に外交が入っていることは当然であり、別にそこを否定したつもりはありません。
しかし、国内でクローズする憲法解釈論とは違って外交は相手方あってのものであり、外交からフィードバックを受けて憲法解釈が変遷することは普通にありうることです。
例えば、9条の解釈は、冷戦の影響を受けて変化しましたし、冷戦崩壊の影響を受けてまた変化しました。
「Steven理論」などとレッテルを貼って思考することを拒否したり排除したりするのは無意味で不毛です。
なにか違う気がします。
憲法ってそんなものなのでしょうか?
それぞれの国の憲法や決まりの枠内で、他国と生じた齟齬を埋める、他国と折り合いをつけるのが外交じゃないのかなぁ…。
その国の憲法や決まりを無視して行動する、破ってまで利を追求してしまうと、その体制は崩壊しませんか?
例え中国であっても北朝鮮であっても。
軍事はあくまで外交オプションのひとつ。
そう考えれば、九条を基本とした平和外交だって外交オプションのひとつと考えれるんじゃないですか?
>Stevenさん
>>それは国内問題であれ、外交マターであれ同じです。
>憲法の条文のどこにも両者を分ける、
>つまりダブルスタンダードを規定したものはございません。
これはその通りだが、ダブルスタンダードにするのではなく、両者をすりあわせるべきと言っています。
自己矛盾をおこしていますよ。
「両者をすりあわせるべき」というのならその前提として、両者は異質な物、即ちどちらかが憲法の縛りを逃れているもの、と両者を分けていることになります。両方ともおなじように憲法の縛りを受けているのなら「すりあわせる」必要なんか全くないのですから。
次のコメントですが
>およそ立憲主義に関する無理解云々の下りですが、別にあなたが憲法解釈の有権解釈権を持っているわけではないでしょう
では私がここに書いている憲法解釈等は私が勝手に解釈したものだと仰るわけですか?
残念ですが私は憲法学に於いて言われている一般的なことを基調にして書いています。私が自分の好き勝手に創作しているわけではありません。これは憲法の基礎を学ばれたらおわかりになると思います。 立憲主義は憲法学の基礎中の基礎です。
ですが「外交の論理」と「憲法=国内の論理」を分けて、両者を「すりあわせる」などというのは間違いなくあなたの創作でしょう?ですからSteven理論と申し上げました
>あとgrizzry_bear さんが指摘された「憲法解釈論はその後で政府が国民に説明責任を果たす段階で発生するものです。」とか、
これは上で述べたとおりのことで、外交のフィードバックを受けて憲法解釈のすりあわせが行われると言うことです。
最終的に国民がまずいと思えば政府は政治責任をとり憲法解釈はそのままですし、合理性があると思えば必要に応じて変遷されるでしょう。
極端なものの見方をするべきではなく、政府も従来の憲法解釈を踏まえた上で行動し、一歩一歩地道に行われる作業です。
>「両者をすりあわせるべき」というのならその前提としてどちらかが憲法の縛りを逃れている
なぜそうなるのでしょうか?
あなたの頭の中では二者択一なのでしょうか?
>では私がここに書いている憲法解釈は私が勝手に解釈したものだと仰るわけですか?やはりご存じないのですね。私は憲法学において言われている一般的な解釈を
>基調にして書いています。私が自分の好き勝手に料理しているわけではありません。
>ですが「外交の論理」と「憲法=国内の論理」を分けて、両者を「すりあわせる」などというのは間違いなくあなたの創作でしょう?ですからSteven理論と申し上げました
一般的な憲法解釈の中の自分に都合のいいところだけを引っ張ってきているだけでしょう
憲法解釈も多様であり、(今手元にあるのは四人組憲法ですが)憲法の教科書の平和主義の章を読んでも憲法変遷についての記述があります。
それに憲法学者はともかくとして、国内の論理と外交の論理を分けるのは国際政治学では一般的な見方(の内の1つ)です。
例えば、カーの名著「危機の20年」などを読んでください。
曲解してほしくないのですが、「憲法=国内の論理」ではなく、「現行の憲法解釈=国内の論理」です。
強いて言うなら「国内政治の影響を受けて作られた現在の政府の公式解釈=国内の論理」や「特定の政治的嗜好を持つ人々の憲法解釈=国内の論理」です。
憲法解釈は多様です。
立憲主義
レスをありがとうございます。
さて、
>国の最高法規云々もよく知っているつもりです。
>しかしその最高法規の解釈(憲法解釈論)は
>日本の国内事情から生まれたものであり、
>国内事情を元にして外交政策を決定するのは
>単に自分の見たい現実、望んでいる現実だけを見ているだけだと言っています。
>外交には外交の論理があり、
>国内の論理とすりあわせを行うべきでしょう。
やはり、
あなたは立憲主義および憲法の機能の基礎的な知識が欠落しています。
まず、
憲法を定義しましょうか。
これは私の定義ではありません。
憲法学通説に基づいた世界的に共通するものです。
“憲法とは、国家権力の濫用を抑制し、国民の権利と自由を守るための
最高法規である”
こうなります。
あなたは、最高法規であるということを理解しているそうですが、
では、制限規範であるという点はスルーされているようですね。
制限規範とは、記述したように、国家権力が出来ること、出来ないことを
あらかじめ規定して好き勝手に出来ないよう縛りをかけておくために
あるのです。
そして、憲法においては、国内政治も外交も同じです。
国内政治の目的は何ですか?
それは、憲法の定義にあるように、国民の権利と自由を守ることです。
次に、
外交の目的はなんですか?
それは国益を守ることですが、その国益とは、民主主義においては
国民の利益を指します。
国民の利益とは、国民の命であり、権利であり、財産であり、自由です。
つまり、
国内政治も外交も目的は同じなのです。
そして、
憲法は、為政者が勝手に暴走しないように出来ること、出来ないことを
あらかじめ規定して縛りをかけておくための最高法規なのです。
憲法には99条という条文がありまして、憲法尊重擁護義務が規定されています。
つまり全ての政治家、公務員は、憲法を遵守して任務に当たり、これを擁護する
法的義務が課されているのです。
外務省の役人や外務大臣など外交を担う為政者は、国内政治のセクションとは違う
より緩い縛りがあるというわけではありませんよ。
同じ縛りを受けているのです。
それが立憲主義です。
ですから、
stevenさんが、
憲法を改定するべきだ、あるいは解釈を変えるべきだという主張を
するのならわかるのですが、
憲法の最高法規性についての解釈と適用を、
国内政治と外交に分けるなどという主張は、
憲法と立憲主義に対する無知に基づいた、
珍説と言わざるを得ません。
まずは、憲法と立憲主義の基礎を勉強しましょう。
無知すぎます。
>Stevenさん
なぜそうなるのでしょうか?
(パスワードを入れ忘れたのでコメントを書き直しました、なのでちょっと文言は違いますが言いたいことは同じです)
そもそもすりあわせるという作業は異質な物を近づける作業を言うからです。
いったいStevenさんは何と何をすりあわせたいのでしょう?だんだん意味不明になってきました。そこで具体的にお聞きして、はっきりさせましょう。
今回あなたは政府に具体的にどうしろと言うわけですか?中国軍と一戦交える準備をしておけ、とでも?
その具体的なお答えを見て、それが憲法違反かどうかを判断することにしましょう、それなら分かりやすいですから。
>一般的な憲法解釈の中の自分に都合のいいところだけを引っ張ってきているだけでしょう
では私がどういう都合の良いところだけ引っ張ってきているのか、きちんと具体的に摘示して下さい。
あと、私が言いたいことは全てフリスキーさんが仰ってることに尽きます。それ以上のものはありません。
私もフリスキーさんの言葉を引用させてもらいましょう。
『stevenさんが、
憲法を改定するべきだ、あるいは解釈を変えるべきだという主張を
するのならわかるのですが、
憲法の最高法規性についての解釈と適用を、
国内政治と外交に分けるなどという主張は、
憲法と立憲主義に対する無知に基づいた、
珍説と言わざるを得ません。
まずは、憲法と立憲主義の基礎を勉強しましょう。
無知すぎます。』
是非上のフリスキーさんのコメントを全文熟読して下さい。
自分で書いていてもよく判らない。
>「軍事力の影響力」は明らかに九条一項の「武力による威嚇」に相当し、憲法に抵触しますよね?
そもそもこれは別に一般的な解釈論でも何でもなくてただの独自説(「秋原」説)ではないのか?
防衛白書とか読めば判るけど政府は軍事力の影響力を当然のこととして議論しています。
フリスキーさんの神学論争に至っては(あえてレッテルを貼ってしまっていますが)あんまりコメントする気にもなりません。
最後のパラグラフを除いては文章の5分の4くらいは、私が憲法を無視しろとか解釈を分けろとか言っているわけではないので、無意味です。
外交からのフィードバックは法の世界の話ではなく事実の世界の話です。
内向きの論理だけで教条的に考えるのは良くないということをくどくど噛み砕いて述べていたつもりなのですが・・・
(後から気がついたけれどもそんな大上段な議論する必要がそもそも無かったので力が抜けた…)
>その具体的なお答えを見て、それが憲法違反かどうかを判断することにしましょう、それなら分かりやすいですから。
一番最初に戻りますけど、中国政府に対して軍事的な圧力をかけられても屈しないというメッセージを発することです。
そのために日米同盟の深化などの手段が考えられます。
>では私がどういう都合の良いところだけ引っ張ってきているのか、きちんと具体的に摘示して下さい。
そもそもあなた自身が出典や引用を明らかにしていないのでこちらとしてはコメントしようがありません。
普通のやり方は、自分の説の根拠は自分で示すのであり、相手方に自分の議論の瑕疵を指摘させることではありません。
一般論でだけ答えると、憲法解釈が自分だけが正しいような言い方をしているところと、権威を笠に着るところです。
>フリスキーさんの神学論争に至っては
>(あえてレッテルを貼ってしまっていますが)
>あんまりコメントする気にもなりません。
>最後のパラグラフを除いては文章の5分の4くらいは、
>私が憲法を無視しろとか解釈を分けろとか
>言っているわけではないので、無意味です。
>外交からのフィードバックは法の世界の話ではなく
>事実の世界の話です。
リアリティに基づいた戦略、政策の必要性という点では、
国内政治も外交も同じです。
先の投稿で記述したように、国内政治も外交も、
目的は国民の命と権利と自由と財産を守ることです。
そのための手段として戦略があり政策があるのです。
そもそもですね、
あなたは、以下のように最初におっしゃったわけです。
>それにしても議論の中でどうして憲法が出てくるのか不思議です。
>憲法解釈の問題は国内問題であり、日中間の紛争は外交問題である。
外交問題を憲法解釈からはずそうという意図がさっぱり
わかりません。
統治機構の行為は、国内、外交を問わず憲法の縛りを受けているのですよ。
憲法に従って、憲法を遵守して行いなさいという指令を統治機構に対して
発しているのですよ。
>一言で言えば、国の行動指針や行動規範は、
>国家の主権や国民の生命・安全を守るという必要性は
>時として矛盾するということです。
>両者の抵触を無視して一方の原理を優先させるのではなく、
>可能な限り両者が両立するような
>外交政策を採らなければならないということです。
ここに至っては支離滅裂です。
国の行動指針や行動規範と、
国家の主権および国民の生命・安全を守るという目的は、
一致するものですよ。
そのための憲法です。
もう一度、私の記述した憲法の定義を読み返してください。
また、憲法の最高法規性、制限規範性、また
憲法尊重擁護義務についての記述を読み返してください。
“両者の抵触を無視して一方の原理を優先させるのではなく
可能な限り両者が両立するような”
って
なんですかそれ??
可能な限り両立じゃなくて、
国内政治も外交も憲法に適合させないといけないのです。
それが立憲主義です。
あなたの言ってることは滅茶苦茶ですよ。
四人組の憲法など持ち出されていますが、
憲法の基本中の基本がまったくわかっていらっしゃらない。
いったいどういう読み方してるんですかね・・・
> Stevenさん
自分で書いていてもよく判らない。
それは、フリスキーさんのご指摘通り、そもそもあなたが「それにしても議論の中でどうして憲法が出てくるのか不思議です。」と仰ったからこうなったのです。
私達は外交の場面でも憲法の縛りは受ける、それが立憲主義というものだ、だから議論の中で憲法がでてくるのは当然である、とお答えしたのですが、ところがあなたはこの立憲主義をまるっきり理解してらっしゃらない。それで私達は延々と説明して大上段な議論になったわけです。
しかしあなたのコメント[1935]を読んで、あなたは自分の何が問題であるのか全然自覚できていないということを確信しました。それではもう話になりません。
何が問題か。
それはあなたが立憲主義を理解していないこと、
そしてそれを指摘されてもその重要性を全く理解できないこと。
これに尽きます。
>>その具体的なお答えを見て、それが憲法違反かどうかを判断することにしましょう、それなら分かりやすいですから。
一番最初に戻りますけど、中国政府に対して軍事的な圧力をかけられても屈しないというメッセージを発することです。
そのために日米同盟の深化などの手段が考えられます。
あなたは日本政府は
「中国政府に対して軍事的な圧力をかけられても屈しないというメッセージを発する」べきだ、というわけですね?私もこのこと自体には別に反対しません。(ただそのために日米同盟の深化なるものは無意味であることは次の記事にて述べていますので、もし興味がおありでしたらどうぞ。)
で、これのどこが『「国内の論理」と「外交の論理」をすりあわせてる』のですか?
あなたが一体何のために長々と『「国内の論理」と「外交の論理」をすりあわせるべき』と力説したのか、あなたのこの意見を見てもその理由がさっぱりわからないのですけど。
それからもう一つ。
今回中国は軍事的圧力をかけてきましたか?
記事本文にも書きましたが中国がやったことは
・日本への一万人観光取りやめ
・東シナ海ガス田開発の条約交渉延期
・閣僚級の交流停止
・SMAP公演延期
・レアアースの禁輸出
・日本人会社員4名の逮捕
などなど。
軍事的圧力などひとつもかけてきてませんよ?なのに「軍事的な圧力をかけられても屈しないというメッセージを発せよ」とアドバイスしても少々ピント外れでしょう?
>>「軍事力の影響力」は明らかに九条一項の「武力による威嚇」に相当し、憲法に抵触しますよね?
そもそもこれは別に一般的な解釈論でも何でもなくてただの独自説(「秋原」説)ではないのか?
あのう・・そもそもこれ、私が言ったのではありませんね。これは観測霊さんのコメント[1922]です。
ですから「秋原説」というのが間違いの第一点
それから9条は軍事力を持つことをきっぱり否定しています。独自説ではありません。これは学説では通説です。嘘だと思うなら憲法書をひもといて調べて下さい(政府が何のために「軍隊」「軍事力」といわずに「自衛隊」「自衛力」といってるのかよく考えて下さい)これが間違いの第二点
観測霊さんに対しては他にも矛盾したこと仰っています。
観測霊さんの
【秋原さんが一貫して問題にしているのはこの尖閣諸島問題に対する「日本国政府の」姿勢、行動であり、「日本国政府に対して」日本国憲法に基づいた外交交渉をせよ、と述べているのですね。中国政府に日本国憲法を守れ、守らせるべきだ、あるいは 中国政府が日本国憲法に従ってくれるなんて一言も言っていません。】
この指摘に対し、Stevenさんはこう答えてらっしゃいます。
【私も別に中国政府に日本国憲法を守らせるべきだなどとは一言も言っていません。】
ところがそう言ってると思われても仕方ないコメントをStevenさんはしてらっしゃいますよ
コメント[1898]
【日本の側から侵略戦争を行ったり武力による威嚇をしてはいけないのは当然だが、外国の政府は別に自発的に9条を守る義務も意思もないのである。】
そりゃこう書いたらこれを受けて観測霊さんが「中国政府に日本国憲法を守れ、守らせるべきだ、あるいは 中国政府が日本国憲法に従ってくれるなんて一言も言っていません」と言うのも当然でしょう?
支離滅裂です。
>>では私がどういう都合の良いところだけ引っ張ってきているのか、きちんと具体的に摘示して下さい。
そもそもあなた自身が出典や引用を明らかにしていないのでこちらとしてはコメントしようがありません。
普通のやり方は、自分の説の根拠は自分で示すのであり、相手方に自分の議論の瑕疵を指摘させることではありません。
一般論でだけ答えると、憲法解釈が自分だけが正しいような言い方をしているところと、権威を笠に着るところです。
爆笑しました。
私がどんな都合の良いとこだけのつまみ食い解釈をしたのか摘示できないんなら、単なる言いがかりじゃないですか。
「お前、今法律違反しただろ?」
「え?私が何しました?どんな法律違反ですか?」
「そんなもん知るか、どんな法律違反したかはお前が示せ」
と言ってるようなものですよ、もう滅茶苦茶です。
>そもそもあなた自身が出典や引用を明らかにしていないのでこちらとしてはコメントしようがありません。
脱力。
だいたい通説に乗っ取った憲法解釈を展開するとき、「出典や引用」なんか書きません。
あなたはフレミング左手の法則を使って理科の問題を解くときに、フレミング左手の法則の「出典や引用」を書かないと採点しようがないのですか?そのくらい仰ってることがトンチンカンです。
たとえば取材の自由は憲法21条の表現の自由に含まれるとされるのが通説です。この通説に乗っ取って取材源秘匿権について論を展開しようとするとき、いちいち「取材の自由は憲法21条の表現の自由に含まれる」ことの「出典や引用」なんか書くわけ無いじゃないですか、憲法学の通説として自明のことなんだから。
通説の「出典」なんて書きません、フレミング左手の法則の「出典」を書かないのと同じように。
もう馬鹿馬鹿しすぎて・・・
stevenさん
無知すぎます。
>フリスキーさん
フリスキーさんが仰ることが全てだと思います。
stevenさん、追記
問題は「この点について無知だから、勉強してください」と言われたのを一切受け付けないことです
他人の無知を指摘する前に自分の視野の狭さをすべきでしょう。
自説が正しいと思い込んでいる人は自分の説が世間一般の通説だと思い込んでいるものですよ。
「9条は軍事力を持つことをきっぱり否定しています。」とか明らかに独自説ですよね。
国家の主権や国民の生命安全を守ることが国家のとるべき行動指針と一致するので抵触はないというのであれば、どうしてこういう憲法解釈が出てくるのでしょうか。
学界の通説は自衛隊を違憲とはしていないはずですし、自衛隊は軍隊じゃないとか言う人も今では少数派です。
「軍事力の影響力」は明らかに九条一項の「武力による威嚇」、というのはよく見ると別人のコメントでしたね。すみません。
しかしあなたはブログの同趣旨の箇所で「第一、それ、憲法違反ですし(笑)」と書いていますし、結局外交政策の検討と憲法解釈論がごっちゃになっている点で同じです。
あなた方の発想の根本からおかしいのは、あるべき憲法解釈がこれこれこれと決めつけて、そっから外交政策を演繹することです。
外交からのフィードバックを受けて国内の憲法解釈が影響を受けることは珍説でも独自説でもなくていわば通説であり社会的な現実です。
ぶっちゃけていうと現実にあわせて憲法解釈は変遷されるということを言っており、そのために外交の論理、国内の論理と言うことを長々と力説しました。
冷戦期には違憲のはずの軍隊を持つことが可能になったし、冷戦崩壊後には自衛隊を海外に派遣できるようになりました。
これは別に立憲主義に反するわけでも政府の暴走を認めるわけでもなくて、現実の必要性があり、国民の理解を得て、事後に適法であるとの憲法慣行が確立したものです。
これを否定するのは教条主義以外の何者でもありません。
別に私は立憲主義に無知なわけでも否定するわけではないのでここで立憲主義云々の一般論を持ってきても無意味です。
レッテル貼りをして考えることをやめてしまうのは不毛です。
しかし、別にそんなことを議論する必要はありませんでした。
あなた方の言っていることが独自説であり珍説だからであり、それが一般的な憲法解釈とも立憲主義の一般論とも何の関係もないからです。
上でも同じ趣旨のこと書きましたが、考えるベクトルがおかしいからです。
>外国の政府は別に自発的に9条を守る義務も意思もないのである。
国内事情に基づいた憲法解釈では外交的に対応できない場合が発生するという当たり前のことを言っているだけなのですが
>「軍事力」といわずに「自衛隊」「自衛力」
ここ見落としていました。たしかに自衛隊は戦力にあたらないというのが政府の伝統的な解釈ですね。
しかし別に政府は軍事力の影響を否定したり無視したりして外交政策を立てているわけではないのだからここで憲法解釈論を持ってくるのは失当でしょう。
あと、私は別にあなたの良いと思う外交政策を頭ごなしに否定したつもりではありません。
そうかもしれないしそうでないかもしれない、くらいには思っています。
しかし、外交を言うものは常に最悪の選択肢を考え、それを防ぐためにはどうするのかということが必要です。
中国政府は軍事的圧力をかけていないと仰っていますが、現実には中国政府の経済力と軍事力の拡大が強圧的な姿勢の背景にあり、
日本政府は中国政府の軍事的圧力が背景にあるから譲歩したのです。
中国が合理的に行動する限り、軍事的な手段を用いればコストが高くつくと言うことを認識させることができれば、あえてそのような手段はとりにくいはずです。
偶発的な紛争を防ぐためには一定の抑止力が必要であるし、常日頃から外交上のチャネル確保も必要でしょう。
これが外交の論理です。
さて、そこで軍事力の影響力を考慮して外交政策を決めることは憲法違反だとする説が出てきたらどうでしょうか?
これが国内の論理です。
国内政治事情から生まれてきた憲法解釈を優先させて、有効な外交政策を放棄して相手の善意にまかせるのでしょうか。
現実に外交を行わなければならない政府は机上の空論ではなく、現実にある軍事力の影響力を考慮しています。
あまり益のない議論に時間をとられたくないのでもう書き込みません。
あなた方は私のことを無知だ云々と指摘されていたので私からも一言。
相手の無知を指摘する前に相手の議論を正しく理解して反論しないとそんな指摘は無意味ですよ。
最高法規云々立憲主義云々の抽象論一般論は別にそんな基本的なことに反対しているわけではないし、それが相手方に対する正しい批判になっているわけではないのでただ相手をうんざりさせるだけです。
また、根拠無く自説が通説云々いうのはただの教条主義と権威主義でしかありません。
ただ私も外交の論理・国内の論理と大上段に議論を立てすぎたので読み手に混乱をさせてしまったかもしれずそこは良くなかったと思います。
単純に外交の現実にあわない憲法解釈論は地道な憲法慣行により自然に修正されていくべきであると言えば良かったのです。
>stevenさん
>「9条は軍事力を持つことをきっぱり否定しています。」とか明らかに独自説ですよね。
>学界の通説は自衛隊を違憲とはしていないはずですし、
残念ながらあなたは間違っています。自衛隊は違憲であるというのが学界の通説であるのは厳然たる事実です。
一体あなたはどういう勉強しているのですか?通俗本の斜め読みではなく、きちんとした学術書で体系的に法学を学ばれましたか?それなら必ず知ってるはずです、自衛隊は9条違反であるというのが学会の通説である、と。
実際自衛隊は合憲であると言っている学者はほんの少数しかいません。私が知ってる限りでは日大の百地教授くらいです。まあ、あと数人くらいはいるかもしれませんが、極少数説であることは間違いありませんよ。もしこれが嘘だというのなら、ためしに片っ端からいろんな憲法学者の学術基本書を開いてご覧なさい。ほとんどの学者の著書にはこう書いてあります。
「9条2項で我が国は一切の戦力を放棄した。そして自衛隊は「戦力」にあたるから自衛隊は違憲である」と。
実際に確かめて下さいね、ちゃんとそう書いてありますから。もし次にコメントを入れるなら、これを確かめもしないでご託を並べないで下さい。
そしてまだ私の言うこと方が違うと仰るのなら、自衛隊を合憲だと述べている学者の方が多いことをきちんと学者名と著書をあげて反証してみてください。
自衛隊が合憲だと強弁しているのは政府であって、憲法学会ではありません。政府の自衛隊合憲論は学会からコテンパンに叩かれ破綻していますが、政府はそれでも見解を改めようとしないだけです。
わたしがこう言ってもきっとあなたは「自衛隊が違憲だと言うのが学界の通説であるなんていうのは根拠がない思い込みだ」と信用しないでしょうから学術書から引いてみましょう。
ジュリスト増刊・憲法の争点(第三版)p.40
「二項で規定された戦力は、何らの限定もふさずに保持が禁じられていると受けとめる。そのため結論的に自衛戦争を行いえないこととなる(通説)」
もっと手近なところで見てみましょうか。上脇博之教授(憲法学)はブログでこう表現されています
「そもそも”自衛隊は憲法9条に違反する”という学説における通説の立場からすれば、~」
司法試験のカリスマ塾長、伊藤弁護士(マガジン9条)
「ましてや(自衛隊は)その存在自体が違憲という見解が憲法学説では通説になっているような組織です」
自衛隊は違憲だというのは通説だ、ということを当然の前提としたこういう表現はどこででも見られます。
他にも「自衛隊 学説 通説 違憲」でググってごらんなさい。
自衛隊に賛成する立場であれ、反対する立場であれ、「学会の通説は自衛隊は違憲である」という事実は周知されていることがすぐにわかります。こんなこと法学を学んだ者なら誰でも知ってる常識です。
あなたくらいのもんですよ、自衛隊は合憲だというのが通説だなんて言い張るのは。
私としてはまるで「天動説が正しくて地動説が間違いだ。それが通説だ。もし地動説が正しいというなら証明してみせよ」と言われたような気分です。
よくこれだけ自信を持って恥ずかしげもなく間違いを正しいと思い込むことができますね。不思議です。あなたのその自信は一体どこから来ているのでしょうね?あなたがあれほど立憲主義について無知だから学べと言われても何故、「いや、自分は立憲主義について無知ではない」なんて態度がとれるのか、なんとなく分かる気がします。
あなたは一番根本的なところでこういう致命的なミスを犯しているのですから、長々コメントを下さいましたがあとは何をか戯言を況んや、ですね。
>「9条は軍事力を持つことをきっぱり否定しています。」
>とか明らかに独自説ですよね。
端的に指摘しますね。
独自説も何も、たとえば
現代の憲法学界の第一人者として通説を牽引されてきた
芦部信喜先生がその見地に立ってますよ。
嘘だと思うなら芦部憲法をお読みください。
いっぽう、
政府見解では、
国家が有する自衛権に基づいて、
自衛のための最低限の実力部隊を有することは
合憲であり、戦力にはあたらないという
立場です。
それとね、
>あなた方の発想の根本からおかしいのは、
>あるべき憲法解釈がこれこれこれと決めつけて、
>そっから外交政策を演繹することです。
あなた方云々ですが、
わたしは、憲法解釈はこれこれと決め付けていませんよ。
いや、
そもそも憲法解釈自体しておりません。
解釈以前の、憲法の定義と機能をご説明して、
あなたの誤謬を正しただけです。
ちなみに
私の憲法解釈は、おそらく秋原さんとは
異なる部分があると思われます。
私は非武装中立論には立っておりませんし、
自衛隊違憲論者でもありません。
日米安保廃棄論者でもありません。
その点では、
私は秋原さんよりも右側の考えだと思います。
しかしながら、
立憲主義、憲法の最高法規性、制限規範性についての
理解は一致しているようです。
少なくとも、私は、
憲法解釈云々以前のこの立憲主義の大前提の
部分でstevenさんはおかしなことを言うから批判をしているのです。
>それにしても議論の中でどうして憲法が出てくるのか不思議です。
>憲法解釈の問題は国内問題であり、日中間の紛争は外交問題である。
たびたび引用させてもらいますが、
このように外交問題を国内問題とわけて、
憲法解釈の問題から外そうという意図がそもそも
立憲主義の無理解さを示しています。
何度でも言いますが、
統治機構の行為は、国内、外交を問わず憲法の縛りを受けているのですよ。
憲法に従って、憲法を遵守して行いなさいという指令を統治機構に対して
発しているのですよ。
では、何のための縛りなのかは、ご再読ください。
秋原さんが、憲法解釈の問題を持ち出すのは当然なのです。
そもそも
あなたは、秋原さんが、外交政策を憲法から演繹しているのが
問題だと指摘しているのですね。
そして現実から外交政策を検討するべきだと。
この点ですが、
秋原さんは、憲法から演繹してはいません。
秋原さんは、現実から演繹して、
憲法に照らし合わせているのです。
大きな誤解でしょう。
憲法というものも、外交というものも、国内政治も、
いずれも“目的”とはなりえません。
いずれも“手段”です。
その目的のために憲法が制定され、その憲法の指令によって
外交も国内政治も行われていくのです。
そして、
憲法に照らし合わせて当否を論じるのは、
立憲主義国家である以上必要不可欠です。
憲法の目的とは、外交の目的とは、国内政治の目的とは、
いずれも、同じだと理解しています。
国民の生命、権利、自由、財産を守ることでしょう。
そのための手段としてどうすることがベターなのか、
憲法に照らし合わせて考えましょうということです。
立憲主義国家の一国民としてね。
そして、
その憲法に問題があるというのなら
右派のように改定論を唱えればよろしいのです。
あるいは解釈論を唱えればよろしいのです。
あなたのように、
外交問題を論じるのにどうして憲法を持ち出すのか?
などという指摘をすることが頓珍漢だということが、
ここまで理解できないというのは
無知を通り越して、厚顔無恥と言ってもいいでしょうね。
P.S
それと、
憲法解釈の変遷についてですが、
そんなのは国内問題についても当てはまります。
たとえば、
“私人間適用”です。
本来、憲法の人権保障は、“公権力vs私人”の関係性で
捉えられてきていたのが、
現代における大企業やマス・メディアのような巨大化した私人が
有する権勢から生まれる侵害行為が問題とされ始めると、
巨大化した私人の行為が公権力のそれに類似するものとして、
本来なら、憲法ではなくて法律の適用によって解決されるべき事例に、
憲法が適用されるようになってきたわけです。
このように、
外交問題であれ国内問題であれ、変遷していく社会状況の中で、
各条文の制度趣旨に照らし合わせて、その趣旨に妥当な解釈が
現代の状況に即して生まれていったということです。
いずれにせよ、
条文およびその条文の制度趣旨に
変更が加えられたものではありません。
普通は
しかしstevenさんはそれもしないで何故か自信満々に間違ったことを信じてらっしゃる。
知識のある無しではなく、この根拠レスな思い込みができることが問題ではないかな、と思いました。
その部分についてだけは撤回してお詫びいたします。
これで本当に最後です。
えー、予想外の展開にちょっと戸惑っております(^_^;)
大前提ひっくり返しちゃった!「この部分についてだけは」って仰ってますけど、そこを撤回したら完全崩壊ですよ。
ついでだから、「『9条は軍事力を持つことをきっぱり否定しています。』とか明らかに独自説ですよね。」
というのも「独自説」として撤回されたほうがいいのでは?とも思いますが、先の書き込みが最後とのことですので、仕方がありませんね。
一点だけ。「『9条は軍事力を持つことをきっぱり否定しています。』とか明らかに独自説ですよね。」に関連して。
> 憲法解釈は多様です。
多様なのはそのとおり、憲法を自由に解釈する権利がわたしたちにはあります。StevenさんにはSrtevenさんの憲法解釈があるでしょう。ですが、百家争鳴のごとき多様な憲法解釈をそのままに外交問題に臨むのは無原則な行動を招くだけで、なんら外交交渉に資するものはないのではないかとわたしなどは危惧します。
というか、たとえ多様ではあっても、憲法は学問の対象として長年研究されてきており、より妥当性の高い憲法解釈というものが、憲法学の蓄積によってある程度確立(=通説)していることを無視すべきではありません。憲法学、法学を学んだこともない素人の憲法解釈と、憲法学会によって積み重ねられてきた成果による憲法解釈が、個人の価値判断でならともかく、社会的に対等であると考えるのは無理があります。
秋原さんを権威主義的だと批判されましたが、憲法学会の、そしてその見解が持つ権威は無根拠なものではありません。長年の、そして多くの研究者による研究の蓄積がその権威を形作っているのです。彼らの専門性に基づいた知的探求の成果を軽く見るべきではないと思います。
多くの研究者たちが心血を注いだ研究成果の蓄積に異を唱えるのは大変けっこうだと思います。ですが、それをする人には、膨大に蓄積された学問の成果を真摯かつ誠実に批判して、自説こそを妥当であると科学的、論理的な実証によって証明する義務があります。Stevenさんにその覚悟がおありなのかは存じ上げませんが、膨大に蓄積された研究成果は珍説、独自説であり、己の見解こそが通説であり正しいとするその自信がどこから沸いてくるのか、わたしなどには不可解極まりない事です。
> 秋原さん
度重なるフォローをいただきありがとうございました。
上述している件と関連しますが、秋原さんの仰るとおり、憲法9条と自衛隊の関係に関しては既に通説があって、それを突き崩そうと言うのなら、それは並大抵の努力では足りないはずのですが、ネットのどこかでコピペを見ただけで、それが可能だと思い込んでしまう人たちの安易さは何なんだろうな、と考えてしまいます(同じことは南京事件や慰安婦問題でも、しばしば起きています)。
あと、「いったん相手の批判を認めながら次の瞬間にはなかったことにして自説をくりかえすだけの主張」はこういう手合いに共通する手法なのだろうか、とも考えたり。
参考URL↓
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100818
「いったん相手の批判した各要素に言及するが、文章を別けた次にはなかったことのように最初の主張をくりかえす。そしてその「最初の主張」とは、固定観念に基づいた同語反復の一種でしかない」
突然の幕引きで、感想が整理しきれませんので(^_^;)、このあたりで失礼しますm(__)m
フリスキーさん、観測霊さん、足りない部分をフォローいただきありがとうございました
非常に分かりやすく理路整然と立憲主義について説明して下さったのですが、stevenさんはついにご自分のどこが立憲主義に反しているのか理解されないままでした。残念なことです。
「冷戦期には違憲のはずの軍隊を持つことが可能になったし、冷戦崩壊後には自衛隊を海外に派遣できるようになりました。
これは別に立憲主義に反するわけでも政府の暴走を認めるわけでもなくて、現実の必要性があり、国民の理解を得て、事後に適法であるとの憲法慣行が確立したものです。
これを否定するのは教条主義以外の何者でもありません。
別に私は立憲主義に無知なわけでも否定するわけではないのでここで立憲主義云々の一般論を持ってきても無意味です。
レッテル貼りをして考えることをやめてしまうのは不毛です。」
「最高法規云々立憲主義云々の抽象論一般論は別にそんな基本的なことに反対しているわけではないし、それが相手方に対する正しい批判になっているわけではないのでただ相手をうんざりさせるだけです」
というstevenさんのコメントを見て、ダメだこりゃ、いくら分かりやすく言っても理解できないんだな、と諦めました。
臆面もなく
「あなた方の言っていることが独自説であり珍説だからであり、それが一般的な憲法解釈とも立憲主義の一般論とも何の関係もないからです。」
「また、根拠無く自説が通説云々いうのはただの教条主義と権威主義でしかありません。」
こう断定できる自信があるからフリスキーさんのコメントを「関係ない」と一刀両断できるのでしょう。私には真似できません(^^;
>観測霊さん
こちらこそいつもフォローをありがとうございます。
stevenさんはあのひとことでご自分の主張が完全崩壊しちゃったことが分かってらっしゃるのでしょうか?甚だ疑問です。
>憲法9条と自衛隊の関係に関しては既に通説があって、それを突き崩そうと言うのなら、それは並大抵の努力では足りないはずのですが、ネットのどこかでコピペを見ただけで、それが可能だと思い込んでしまう人たちの安易さは何なんだろうな、と考えてしまいます(同じことは南京事件や慰安婦問題でも、しばしば起きています)。
激しく同意。
一部の「ネットが真実ピープル」の過大な自信はどこから来るのか考えてしまいます。
>「いったん相手の批判した各要素に言及するが、文章を別けた次にはなかったことのように最初の主張をくりかえす。そしてその「最初の主張」とは、固定観念に基づいた同語反復の一種でしかない」
うわあ、めっちゃ思い当たる節があります、この「議論のエンドレスループ」
特に観測霊さんもご存じ、日の丸君が代あたりで(爆)
私もこんなコメントしたのを思い出しました。
コメント[972]http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-202.html#comment972
当該記事が読めないわけではありませんが、その記事の前にいろいろありますので、わかりにくかったですね。申し訳ないですm(__)m
というか、まぁ、当該記事にも、そもそも前提となる議論が先にあるので、ここだけ提示するのもややわかりにくいのですが(^_^;)
>「いったん相手の批判した各要素に言及するが、文章を別けた次にはなかったことのように最初の主張をくりかえす。そしてその「最初の主張」とは、固定観念に基づいた同語反復の一種でしかない」
このフレーズが、妙に強く印象に残りましたので、つい。
当該記事単体のURLはこちらでした。
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100818/1282143427
失礼しましたm(__)m
>観測霊さん
ありがとうございます。