そもそもこれまで日中両政府は尖閣諸島に関してどういうスタンスで来たのか、ブログ「リベラル21」さんよりメモしておきましょう。
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リベラル21 2010.09.23 互いに弱点をさらけ出す議論をすべし――尖閣列島問題 (引用開始) いつかこういうことになるのではないかと怖れていたが、ついにその時が来たという思いである。こうなった原因は両国政府の怠慢にあると私は言いたい。 (略) 奇妙なことに両国はあの島々をそれぞれ自分のものだとは言い合ってきたが、正面から領有権問題を交渉のテーブルに載せたことは(私の知る限り)ないからだ。唯一の例外が1972年9月27日の田中角栄・周恩来会談である。日中国交回復交渉での第3回首脳会談である。 日本側の交渉記録によれば、次のようなやり取りがおこなわれた。 田中「尖閣諸島についてどう思うか? 私のところにいろいろ言ってくる人がいる」 周 「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るからこれが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」 周恩来はこれだけ言うと、「国交正常化後、何ヶ月で大使(館)を交換するか」と別の話題を持ち出してしまった。(『記録と考証 日中関係正常化・日中平和友好条約締結交渉』2003年、岩波書店刊 68頁) もとよりあくまで日本側の記録である。周恩来が「尖閣列島」と日本側の呼称を使うことは考えられないから、一字一句正確とは言えないだろうが、周恩来が話を避けたことは間違いないだろう。ちなみに中国側は会談記録を公表していない。 (略) こうして尖閣問題を避けて通る形で国交正常化は実現した。次に中国首脳がこの問題に言及したのは1978年10月25日である。日中平和友好条約の批准書交換のために来日した小平副首相(当時)が日本記者クラブでの会見で次のように述べた(当時の新聞報道による)。 「尖閣列島は、われわれは釣魚島という。名前、呼び方がちがうのだから、たしかにこの点については双方に食い違った見方がある。こういう問題は一時タナ上げしてかまわない(この部分の中国語は「這様的問題放一下不要緊、等十年也没有関係」。直訳すれば「こういう問題は放っておいていい、十年経とうがかまわない」)。われわれのこの話合いはまとまらないが、次の世代はわれわれよりもっと智慧があろう」 有名なタナ上げ論であるが、国交交渉時の周発言に通ずるものである。 (略) この二つの発言から導き出される両国政府の尖閣問題についての立場は次のようになる。 まず日本政府。国交回復時に周恩来が発言を避けたことは、日本のあの島々に対する実効支配の継続を認めたことになる。したがって「日中間には領土の領有権問題は存在しない」。小平のタナ上げ発言は記者会見でのものだから、日本政府は関知しない。 次に中国政府。両国政府は釣魚島の領有権問題をタナ上げすることを約束した。タナ上げということは問題の存在を双方が認めたことになる。中国は日本があの島々を支配することを認めたわけではない。 つまり領有権で対立していることは勿論だが、その扱い方でも双方の立場は違っているのである。 (引用ここまで)
両国民の認識がこのように食い違ってるのをタナ上げにしておけば、やがてこういう事態が避けられないことは予測できたはず。
そのためにも日本政府は早期の段階から
・両国間で会談の場を持ち、そこで確認を取る作業を何度でも試みる。
・そしてこういう問題が存在すること、そして尖閣諸島の領有は日本に正当性があることを国際社会に向けて公式にアピールする。
という作業を試みるべきだったのではないでしょうか。臭い物に蓋をしないで。
それが後々遺恨を残さないために得策であるなら、少々原則論を曲げてもそういうを手を打っておくのを怠らないのが優れた政治的判断というものではないかと私は思います。
ところが、政府はずっとこれをしないで放置してきました。
そして今回政府がとった対応は最悪でした。
第一に
海保が中国船の船長を逮捕したのは正当な行為ですが、係争地で逮捕すればその後揉めるのは必至ですから、その後に打つ手を考えずに逮捕に踏み切ったのなら見通しが甘かったとしか言えません。騒ぎを大きくしない事を優先したいなら、逮捕ではなくその場で領海内から追い出すという方法もあったと思います。
第二に
中国船のほうからぶつかってきた証拠ビデオが存在すると言いながらもそれを公開せず、結局処分保留のまま釈放してしまいました。まるで日本側にやましいことがあるように見えてしまいますね。これは当然中国が、自分の主張の方が正しいのだと国際社会にアピールするのに利用するでしょう。自国の方が正しいと主張する以上、「謝罪と賠償の請求」という駆け引きを仕掛けてきたっておかしくありません。
第三に
那覇地検は「日中関係を考慮して船長を釈放した」と述べましたが、これに関し菅総理は、釈放はあくまでも検察の判断だと強調しました。政府は関係ないと言うわけです。
しかし地検がこのような外交上の政治的判断で釈放を決めるわけがないのは明らかです。読売新聞には次のような情報も出ています。
・
いらだつ首相「超法規的措置は取れないのか」 政府が日中関係のために船長の釈放を指示したとあらば、「領土問題は存在しない」という政府の公式見解と矛盾することになりますから、政府は、決して釈放は政府の意向だったとは認めないでしょう。
しかし仮にこれが地検単独の判断だとしたら逆に、このような外交に関わる事項を検察の判断だけに委ねて知らん顔をするって、いったいどういう政府だ、と批判されても仕方ないことになります。
つまりどちらにころんでも、日本の政府は実にお粗末だということになってしまうわけです。
そりゃもう中国はここぞとばかりに自国の正当性をアピールしまくるでしょう、そういう隙を与えてしまったのは日本政府の不手際です。
今回の政府の対応は、日本は恫喝すればびびってすぐに譲歩してくる超外交下手の国だと内外に知らしめたようなもの。この「失った国益」は大きいと思います。今になって「謝罪と賠償などとんでもない」と断固拒否の態度を表しましたが、ちょっと遅いのでは・・・。
現在、政府は、読みが外れたためどうして良いのかわからず思考停止で硬直してしまったようです。
こんな騒ぎになってもいまだに「日中間には領土の領有権問題は存在しない」という建前にしがみつき、アメリカ様に「なんとか助けて下さい、味方になって下さいね」とすがりつくこと、そして沖縄駐留の自衛隊を増強すること以外何もできないのです。(せめて船長の釈放とハイレベル会談をバーターにすることはできなかったのでしょうか。)
天木直人さんはこれを『「冷静に対応する」と言う名の「引きこもり外交だ」』と酷評しています。
それにしても、どうしてこう日本の政治家は揃いも揃ってお粗末な外交手腕しか持っていないのでしょうか。
村野瀬玲奈さんが的確な指摘をしていらっしゃるのでお持ち帰りさせて頂きました。
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村野瀬玲奈の秘書課広報室 日本は外交的弱点を克服できるんでしょうか? (「尖閣諸島中国漁船衝突事件」をめぐって) (引用開始) そもそも日本の政治では、「基本的人権の尊重」とか「国民主権」とか「平和主義」とか「立憲主義」とかいう基本中の基本原則を粘り強く一つ一つ固めながら民主政治を確実に具体化して成熟させてゆく作業が非常に苦手です。国家を自分の都合の良いように運営して利益をとりたい政界の実力者・団体と財界の実力者・団体の間でのすったもんだが選挙の合い間合い間に続いている、という感じです。実際に、「国民の生活が第一」などとうたわれる政治も停滞して迷走して久しい状態がずっと続いています。日本人の間でさえこうなのですから、相手が外国人相手となっては、政治家や官僚がいくら力んでも、外交的交渉の基本が全くできていないのでは、張子の虎が「オレは毅然としているぞ、強いぞ」と言っているようなもので、こっけいです。 (引用ここまで)
戦後、日本にとって外交と言えば、いかにアメリカ様のご機嫌を取るかが主たる関心事でしたから、そりゃ外交手腕が上達しないのは当たり前だという気がします。憲法が要求するハイレベルな平和外交の術を憲法施行後65年たっても会得できていないとは・・
村野瀬さんの記事のコメント欄のやりとりも一部転載させて頂きましょう。
そういえば日本政府は中国が日本人を麻薬の罪で死刑にするのを止めようとしませんでしたね。 そこまで中国に気を使っても(まあ政府が国民を命がけで守ろうという気概が最初からなかったせいもありますが)尖閣諸島ではこのありさまです。(by 秋原葉月) 日本の外交は、「相手に気を使うことによって、相手から気を使ってもらうのを待つ」という戦略といえるのではないでしょうか。そんなものを戦略と呼べればの話ですけど。笑 船長に気を使ったから軍事区域に踏み込んで拘束された日本人四人にも気を使ってほしい、ってことでしょうか。(by 村野瀬玲奈さん)
日本の外交戦略は、「相手に気を使うことによって、相手から気を使ってもらうのを待つ」作戦・・・(苦笑)
いざというときに助けてもらえるはずだと信じて莫大な思いやり予算を貢ぎ続け、気を使ってあげてる「日本の外交戦略」もふと思い出されました
orz
(3)に続きます。
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