コメント
逆に、日本でも昔が良かったと年功序列終身雇用に戻るのも危険だと思います中国でも毛沢東時代が良かったという人も多いそうです。
そういう保守的な考えが排他的な社会になるんではなかいかと思います。
事実誤認があります
光市母子殺害事件の弁護士への批判は, 少年を死刑にすべきだからという意見が原因ではありません.
弁護士自身の常識はずれの行動です.
ある裁判の日, 被害者遺族も待つ中, 直前になって公判が延期になりました. 弁護士が欠席したからです. その理由が模擬裁判のリハーサルというふざけたものだったため, 大騒ぎになりました.
弁護士が依頼人の利益のために弁護活動するのは当然です. しかし,
・ 本村さんも待っているのに, 大した用でもないのに直前に欠席するとは何事か.
・ リハーサルに参加するなら, 何日も前にわかっているだろう. なぜ直前に延期か.
・ イデオロギーのために裁判を利用しているだけではないのか.
等等の批判が巻き起こりました. 実際, 最高裁も批判しています.
弁護士の方はご存じないのかもしれませんが, 仕事を休むと何日も前にわかっている場合, できる限り早く連絡するのが世間の常識です.
橋下さんの懲戒請求呼びかけも, その意味で行われたものです. 弁護士業界の常識が, 世間の常識とあまりにもかけ離れているからということです.
最後に強調しておきますが, 死刑の是非とは本来関係ない話です.
ただ, 死刑廃止運動するような弁護士は, こういう非常識な連中だという印象を振りまいてしまったのは確かでしょう.
>sfdxさん
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-311.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-389.html
この機会に誤解を解いていただきますようお願いします。
こんな長文読んで下さいとは失礼じゃないですか?
リンク先にも大量のリンクがありますしw
>sulalaさん
いつまでも新自由主義にしがみついてるアメリカと日本が経済的な危機から脱していないように思います。
かといって昔の日本の終身雇用制にも問題があるので、そこの戻るのがいいとは私も思いません。sulalaさんと同意見です。
今のところ北欧の社会民主主義が一番いいと思いますが、新自由主義者はスウェーデンバッシングに余念がありませんね
>ユミさん
もし全部コメント欄で説明しようとすれば、一記事並みの長さかそれ以上になってしまうでしょうし、もしそれについてきちんと書かれた記事があるときはそちらを読んでくださいというのは当たり前のことで、村野瀬さんのコメントは失礼でも何でもありません。
sfdxさんのコメントには後程私から返事いたします。
が、長くなりそうならばコメント欄では書かずに記事にしようかと思っています。
あなたが無実の罪で捕まった時
あなたが無実の罪で捕まった時、弁護士が用意した情報の文章を
「こんな長文読んで下さいとは失礼じゃないですか?」
って言う裁判員がいないといいですね。
> sfdxさん 事実誤認があります
>平然と嘘を書いていらっしゃるようですが, ご自身も嘘だと気づいていない可能性があるので解説しておきます.
この言葉はそっくりsfdxさんにお返し致します
では一つ一つお答えしましょう
>光市母子殺害事件の弁護士への批判は, 少年を死刑にすべきだからという意見が原因ではありません.
弁護士自身の常識はずれの行動です
私が記事中に書いていることとピントがずれている批判を書いていらっしゃいますね
私はこの記事で弁護士への批判についてなど書いていません。
この記事は少年事件でもどんどん死刑をという風潮を憂えているのであり、光市事件の少年は死刑に処せられるべきだという意見が世論の多数を占めていたことを憂えているのです。弁護団の行動や弁護士への批判はこの記事に全く関係ありません。
ちなみに光市弁護団に対する批判も的外れです。
この記事とは直接関係ありませんが、それを以下で説明しましょう。
sfdxさんのご指摘は次の2点ですね?
1.直前になって模擬裁判のリハーサルという理由で欠席した。弁護士業界の常識が, 世間の常識とあまりにもかけ離れている
2.この裁判をイデオロギー(というのは死刑廃止のイデオロギーという意味でしょうか?)に利用している
1.について
欠席に至った経緯がきちんと報道されていないせいでこんな的外れな批判が出てくるのでしょう。
この事件は途中で弁護人が交代していたのはご存じですか?安田弁護士は欠席を決めた直前に新たに弁護を引き受けていました。
・2005年12月 旧弁護人に2月か3月に公判を開きたい旨最高裁から連絡あり。
最高裁が弁論期日を開く場合はこれまでの判断を覆して死刑の判断をする可能性が高いということを意味する。旧弁護人としては更に主張を検討したいので公判は5月にして欲しい、また新弁護人を入れたい旨を最高裁に申し入れた。
・2006年2月5日 旧弁護人は新弁護人のことで最高裁調査官に会いたいと連絡したら、突然公判期日は3月14日だと言われた
・新弁護人の安田弁護士はこの事件を引き受けると決まる前にこういう経緯を知るはずもなく、弁護人を引き受ける前から3月14日の研修会の準備を進めていたのは落ち度のないことである
・新弁護人の安田弁護士が初めて被告人である少年に接見したのは2月27日
ところが接見して少年の話を聞いてみるとこれまでの裁判で認定されている事実と全く異なっていた。そこで旧弁護人から記録をもらって検討すると、故意の殺人ではなかったとしか思えない証拠が存在した(詳しくはhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-40.htmlをどうぞ)
(ここで旧弁護人と弁護方針が食い違ったので旧弁護人は解任となる)
・故意の殺人ではなかったというこれまでの弁護方針とは異なる主張をするには、3月14日までの二週間ではとてもでないけど十分な弁護のための準備期間が足りない。また、14日には新弁護人に選任される前から準備していた研修会もある。
直ちに弁護人は期日延長の申し入れを行った。しかし最高裁に却下された
・これだけ社会の耳目を集めた事件で新弁護人が記録を精査した結果主張が大幅に変わりそうだというのなら、最高裁は期日変更の申し入れに応じる選択をしてもおかしくはない。というか、被告人の防御権を守るためこういう場合は期日変更の申し入れに応じるのが通例である。
しかしこの事件に限って裁判所は異例にも頑なに期日変更を認めなかった。
・この事件、2002年3月27日に検察が上告しており、最高検は上告趣意書の提出期限を10月30日まで6ヶ月欲しいという上申書を最高裁に出し、最高裁はそれを認めている。
そして検察官は10月30日に上告趣意書を提出。弁護人は12月26日に答弁書を提出。
その後最高裁は3年間まるまるほったらかしにしていた。
検察には上告理由に当たらない量刑不当の主張のために丸々6ヶ月の期間を与えている。
ところが、最高裁が3年もほったらかしにしていた後に急に死刑判決を出しそうになった。
弁護人(旧弁護人)がもう一度検討する時間を与えてもらいたいから公判期日を5月にしてもらいたい(最高裁の公判期日の公判期日を決めたいとの連絡は12月だったのでほぼ6ヶ月の期間となる)というのは、検察に与えた猶予期間とのバランスを考えれば何もおかしくはない。
にもかかわらず新弁護人を入れるので期日について相談したいと調査官に会いにいったら最高裁は一方的に3月14日を指定してきた。
そして新弁護人が選任され弁護方針が大幅に変わったのに準備期間が二週間しかない。新弁護人の期日変更要請は被告人の防御を尽くすために認められてしかるべきであった。
このように検察と弁護側との公平を欠いた、弁護側に一方的に不利な期日の指定は今まで聞いたこともない、ありえない事だ、と他の一般の弁護士達も驚いている(もっとも刑事弁護などやったこともない橋下弁護士は別だけど笑)
・3月14日の公判に弁護人が出廷すれば最悪破棄自判で死刑確定という事態がありえた。
弁護の準備がほとんどできない状況で公判に出席して死刑確定されては弁護人の職責を全うしたとは到底言えない。裁判欠席は被告人にとって公正な裁判のために他に手段が存せず、やむを得なかったと言える。
こういった事情をご存じでしたか?弁護士が常識外れだったのではなく、最高裁が常識外れだったのです。
次は2についてですが、一体弁護団がその主張の中でいつ、どこで死刑廃止論をぶったというのでしょうか?安田弁護士が死刑廃止論者だったのでそんなデマが広がったのでしょう。しかしそんな主張は弁論で一切述べられていません。もし述べたというのなら具体的にその箇所を指摘してみてください(ちなみに弁護団の中には死刑存置論者もいましたよ)
死刑廃止のイデオロギーのために裁判を利用したなど、根拠のない言いがかりもいいとこです。
sfdxさんがこれらの事実を御存知ないままマスコミの流言飛語を信じてしまったのも無理はないと思います。あれだけマスコミをあげて根も葉もないバッシングを行えば刑事裁判についてよく知らない一般市民は信じてしまうことでしょう。
ですからマスコミの言うことを何もかも鵜呑みにせず、一度弁護団の主張も聞いてみてから判断しよう、という姿勢を持ってみることをオススメします。
>村野瀬玲奈さん
PCのない環境にいたのでついつい返事が遅くなってしまいました。これだけの長文は携帯じゃ無理ですもん(^^;
犯罪者に相応しい罰を与えてるだけ。
16歳の少年と22歳の青年、善悪の判断力にどれ程の違いが有るのか。
100歳まで生きるのが普通になった今の日本で、16歳の少年と22歳の青年、更正の機会に大した差はありません。
はじめまして。あの、素朴な疑問なんですけど、
> 100歳まで生きるのが普通になった今の日本で、16歳の少年と22歳の青年、更正の機会に大した差はありません。
長く生きるんだから、単純計算すればその分更正する機会は増えるんじゃないでしょうか。
あと、今の日本でも100歳まで生きる人はけっこう希だと思いますよ。
>匿名希望さん
死刑にするってのは見捨ててるってことですよ
>匿名希望さん
>拍手コメントを下さったみかんさん
死刑廃止は世界の流れでそれを止めることはできません。
しかし日本だけが頑として逆行しています。
先進国で死刑をしてるのは日本とアメリカだけ、しかも死刑が増えてるのは日本だけ、という情報すら国民には行き渡っていません。これでは国民的議論など起こりようもない。まるで人権に関しては鎖国だな、と感じます
したいようにすればいいけどコストは負担してください。
耳障りしないいい言葉ですよね。
凶悪な犯罪を犯した少年をどう更正できるのか?
女子高生コンクリート詰め殺人犯は成人後、監禁致傷で裁かれています。
ブログ主は更生制度が不十分なせいだ、とおっしゃられるのでしょうが
ではどうすれば犯罪を犯さないようになるのでしょうか?
どういう教育システムでどれくらいの期間で可能なのか?
出所後の生活をどうするのか?誰も雇いたがらないし、誰も隣に住んで欲しくないんです。
少年を社会で育てよう!
いい言葉ですね。
だからみんなでお金を負担しましょう
→なんで俺が払わないといけないんだ。
となります。
少年を社会で育てよう!
どうぞどうぞご自由に。その代わりそれに伴う費用はそうしたい方が払ってください。
生活費もご負担願います。あなたの隣に彼を住ませて上げて下さい。
行動・言動には責任を伴うものです。
せめて、自分は年収の10%負担するから望まないみなさんも2%負担してください、
というお願いの仕方が必要なのです。
こういうことしたいからみんな2%払ってね。
これが左翼の思想です。甘い言葉だけで自分は負担しようとしない。
今の民主党政権を見ているとよくわかりますよね。
他者の気持ちを推し量る能力
貴方のような方から言わせれば
加害者は社会だけであり、実行犯はいつの間にか被害者の一人に仕立て上げられます。
貴方のような発想の方には、自身が人間であるという根本的な謙虚さが欠けています。
この世は極楽浄土でも千年王国でも桃源郷でもなく、人間は万能ではないということです。
しかし勿論 だから諦めろ、というわけではありません。表現を変えましょう。
最近話題になっていますよね。正義とは何か、ってね。
一人を見殺しにすれば大勢が助かるが、一人を助けようとすると全滅する。
一人を見殺しにして大勢を助けることは正義と言えるのか。
結論は、正義と言えなくても大勢を救うしかないのが国家です。
如何に不遇な環境に育ったといえども、結果で裁くしかないのが現実です。
貴方のような方の主張は常に、この現実を置き去りにしています。
>その原因は社会に内在しているのであり、その原因を除去しなければ
有史以来人類が解決しえない問題を随分と簡単に言ってくれますね。
神にでもなったつもりなのでしょうか。傲慢の一言に尽きます。
>少年を簡単に排除処刑
簡単に排除も処刑もしていません。
2人以上も殺した、とりかえしのつかないことをした人間だけです。裏付けのない大風呂敷はいけませんね。
身勝手に2人の人生を奪った者に更生の機会を与えるというのは著しく理不尽だということです。
最後に根本的なことを書いて終わります。
岡村勲という弁護士をご存知でしょうか?死刑廃止派として活動していたが、
妻を殺害された事件をきっかけに死刑廃止運動から身を引いて、さらには事件の被告人の死刑を
希望する旨を法廷で発言したのです。
私はこの方の活動を否定しませんが、
要するに、己の身に災難が降りかかるまで 被害者の気持ちを推し量ることができなかったとの
謗りは免れぬところでしょう。
貴方も同じです。その現実から乖離した主張は、まさに対岸の火事を眺める態度そのものです。
身を持って思い知らねば現実を理解しない者は知性がないと言わざるを得ません。
>nekoも披露 さん
どうぞどうぞご自由に。その代わりそれに伴う費用はそうしたい方が払ってください
これはまた実現可能性のないことを書かれるものですね。
実は私も税金を負担したくない分野があります。軍事費や思いやり予算です。ですから軍事費や思いやり予算は負担したい人だけが負担するようにして欲しいのです。
もしそれが実現できるのならあなたの提案を考えてみても良いですよ(笑)
>宗伯さん
困りましたね、そのような考え方は。
いちど世界人権宣言をお読みになってはいかがでしょうか
みなさんも思うことでしょうが、罪にたいして罰をみんな与えたいとは思っていません。
でも、許せなくて、こんなことが2度と起きてほしくなくて、、、
だから、罰を与える、、。
せめてもの抑止力に。
というのが本音で、それが抑止力になっているのかどうかわからないのが実情だと思います。
ほんと、こんな事件が起きるのが不思議だし、でも、ネットもテレビもない時代なら、こんな事件も結構あって、みんなに知られないまま過ぎ去っていたのかも、、、
とも思います。
今はみんなが知ることができる社会だからこそ、今でこそ騒がれる事件が増えたのであり、それは、歴史にとって、良い悪いは関係なく、事実です。
わたしはこの著者の意見に賛成かどうかはわかりません。
多分一生わかりません。
きっと、優柔不断なのでしょう。