保坂展人さんと池田香代子さんの言葉を拝借しますが、千葉法相は「グロテスクで倒錯した思考回路」に落ち込み、そこから抜け出せなくなってしまったように思います。
千葉法相、死刑執行後も廃止の信念変わらず 8月に刑場を公開MNS産経ニュース
千葉景子法相は30日の記者会見で、死刑制度について「死刑廃止は信念というか、そういう社会に歩みが進むのも日本の社会としていく道ではないかと考えてきた。(考えは)変わるものではない」と述べ、自らが死刑執行の命令書に署名し、28日に2人の死刑を執行した後も死刑廃止の信念は代わらないと変わりはないと強調した。(引用ここまで)
死刑執行しといて死刑廃止の信念は変わらないと臆することなく発言するなんて、異常です。
こちらの記事に
『今回、千葉氏、民主党は訳が解らないと思わされたが、一番悔しく感じたのは、その政治を打ち砕くことに成功し続ける官僚たちの在り方でした。
法務官僚は如何に千葉氏を追いつめたのだろう。極めて具体的に、私たちはその過程を知らなくてはならないと感じました。』
というコメントをゆううつさんからいただきました。私は法務官僚の詭弁にまんまと説得された千葉法相の方に非があるとお返事しましたが、意味不明な論理を公然と展開する千葉法相を目の当たりにすると、ゆううつさんのご指摘通り、官僚が政治家を絡め取る手腕のすごさを垣間見る気もします。
15年にわたって歴代法務大臣と法務省刑事局のやりとりを見てきている保坂さんの次のブログを是非お読みください。
◆保坂展人のどこどこ日記
「死刑廃止の信念変わらぬ」で「死刑執行」とは
(引用開始)
千葉法務大臣は、「死刑廃止議員連盟」のメンバーだったことを悔いることなく、「死刑廃止もひとつの方向性、それは変わるものではない」と発言している。同時に、裁判員制度で市民が「死刑」か「無期懲役」かの選択に直面する時に、「法務大臣が判断しなくていいのか」とも自らを問い詰めた形跡が残る。そして、千葉大臣が自ら刑場に赴いて死刑執行に立ち会い、また「刑場のメディアへの公開」という方針を打ち出したことが今回の死刑執行の大きな引き金になったと見る。
法務省はこれまで、再三にわたる死刑廃止議員連盟の「刑場を見せてほしい」との要望に対しても拒否を貫き、過去3回衆参の法務委員会での視察時を例外として、刑場を外部に公開していない。私は、衆議院法務委員として2回にわたって刑場の視察に赴き、その様子をメディアに語ってきた。それだけ閉鎖的で、密閉性の強い刑場を「公開」するという決断を法務省側がするので、千葉大臣は「死刑執行」によって「大きな国民的世論を興す後世に残る役割を果たすことになる」というのが「特異な論理」の中心部分にあったのではないか。
こうして、死刑の刑場がテレビなどで「公開」された時、どのような反応が起きてくるのかも、当然ながら法務省刑事局側は予想している。私は、メディア側が「死刑の舞台装置」の巧みさに感動し、また「厳粛にして必要な空間」などと称賛する報道も出てくる可能性がある。ここでのポイントは法務省記者クラブ加盟社以外の海外メディアやフリーの記者を入れることにある。
裁判員制度では、市民が多数決で死刑判決に参加するという世界中に例のない評決の仕組みがつくられた。千葉大臣は、死刑の刑場が公開されることで、より慎重から事実に即した死刑の存廃も含めた議論が尽くしたいという意図があるのかもしれない。しかし、海外メディアやフリーを排除して行なわれる「刑場の公開」によって「鎖国ニッポン」は千葉大臣の意図とは別方向に暴走しかねない。
それは、ずばり言って市民・国民参加の「死刑執行」という姿だ。
死刑の刑場も公開され、裁判員で市民・国民が決めた死刑の瞬間を皆が見届ける……もちろん、最初から「執行中継」などはないだろう。しかし、刑場が公開され、死刑囚の実名が公開され、法務省が発表するというのが次の「処刑」の状況だ。裁判員制度で開いた死刑への市民参加の入口が、市民・国民が処刑を確認・承認すると出口で完結し、今後50年は死刑判決と死刑執行に疑問を持たない社会を彼らは目指している。
もちろん、死刑の情報公開が進むのは歓迎だ。だが、メディアコントロールの術にたけた法務・検察の思惑通りに「世論」が誘導されていくことのないように、冷静かつ論理的な議論を深めたい。
(引用終了・強調は私)
封建時代、死刑は抑圧された庶民の娯楽という要素があり公開で行われましたが、現代版公開処刑に逆戻りさせようというのでしょうか。
メディアコントロールといえば、千葉法相の死刑執行について、各主要新聞の社説は
・千葉氏はやっと法相としての職責を果たした(読売)
・これが刑場の情報公開に繋がり、開かれた議論の出発となるだろう(朝日、東京、毎日)
主にこの二点を中心にしていますが、これはミスリードではないかと感じました。
前の記事にも書きましたが、法相が死刑執行書に判をおさないことは違法でも職務怠慢でもありません。
それに、刑場の情報公開や死刑についての議論は別に法相が実際の執行に立ち会わなくたってできるはずです。死刑について議論するなら執行を一時停止して行うべきなのに、生け贄が捧げられないと議論する契機にならないという発想は本当に倒錯しています。メディアまでその発想にのっかるとは。
死刑に限らず、日本はあらゆる面でどんどん人権後進国に全力で邁進し、世界から取り残されようとしているとしか感じられないこの頃です。
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