「死刑反対の個人的信条と法務大臣としての職責は別」という見苦しい言い訳
- 2010/07/30
- 01:00
枝野幹事長は、千葉氏が死刑廃止論を唱えていたことに関して「粛々と法に基づいて執行を行ったと受け止めている。立法政策論としての(個人的な)考え方と、国務大臣としての責任は別問題だと千葉さんも認識をしている」と語りました。
千葉氏は、「(これまでと)考え方を異にしたわけではない。法務大臣として職責が定められていることを承知しながら、大臣職をさせていただいてきた」と述べました。
(以上、産経新聞より)
つまり「死刑反対という個人的信条は変わらないし、その信条には反するけれど、法務大臣として死刑を執行する責務があるから仕方なくやった」(個人的にはまだ死刑反対だ)と言いたいようです。
しかしこれは全くの欺瞞でしかありません。
通常の刑罰(懲役刑、禁固刑など)は判決が確定すればすぐに執行されます。懲役刑を執行するのにいちいち法務大臣の署名などいりません(それでは行政の司法への介入になってしまいます)
しかし刑事訴訟法475条は、死刑執行については法務大臣の命令が必要としています。それは、死刑は執行すればもはや取り返しのつかない刑罰だから、慎重に慎重を重ねよ、という趣旨なのです。
刑訴法は、死刑に限っては例外的に司法の判断プラス行政の判断という二重の判断を通させることで、少しでも取り返しのつかない事態を避けさせようとしたのです。(従って「粛々とベルトコンベアのように執行する」ことは全く法の趣旨に背くことになりますね)
そして同条2項は「前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。」と定めてはいるものの、
「刑事訴訟法475条2項は、6ヶ月以内の執行を要求しているが、6カ月以内いうのは一応の期限を設定したもので、法的拘束力のない訓示規定であると解すべきである」(平成10年3月20日東京地裁判決)
とされています。
訓示規定でしかないのですから、法務大臣は死刑判決を受けた死刑囚の死刑は必ず執行しなくてはいけないというような職責はありません。死刑執行書に判を押さなくても法律違反でもなければ職務怠慢でもないのです。
従って枝野幹事長や千葉法相のような「言い訳」は成り立ちようがありません。
枝野幹事長も千葉法相も弁護士出身です。だからこの判例を知らないわけがないのです。
にもかかわらずこのような見え透いた言い逃れをする神経が私には理解できません。すくなくとも法に携わったことのある二人がこんな見苦しい言い訳をするなんて、私には残念でなりません。
死刑廃止議連に所属している保坂展人さんはご自身のブログでこう述べられてます。
◆保坂展人のどこどこ日記官邸に「死刑制度調査会」を設置せよ
(引用開始)
千葉大臣は、就任直後から「死刑制度について国民的な議論を行いたい」としながら、同じ民主党の国会議員が死刑廃止議員連盟を代表して会いたいと言っても、会いたがらなかった。国民どころか、与党の国会議員とさえ死刑問題を議論した気配がない。いや、その機会を避け続けてきた。
(略)
今日まで「国民的議論」に背を向けて法務官僚の語る「死刑執行の職責」と向き合ってきた千葉大臣は、自ら命じた死刑執行を目で見て「根本的な議論が必要」との認識に至ったのだという。「死刑執行」の実行があってこそ、「国民的議論」がなされるという法務官僚のトリックにまんまとはまっている。自らが「死刑執行」を実行したら、「いかに死刑執行に国民的な合意と承認を形成するか」という視点で議論を進めなければならない立場に身を置くことになる。
(略)
「死刑執行を実行しない大臣」は「国民的な死刑の存廃も含めた議論」を行なう資格はないのだ。まずは、死刑執行をしてスタートラインに立つという「独特な論理」は、どんなに議論をしても「現行死刑制度の存置」という結論にしかならないような立場に千葉大臣の軸足を切り換えることになる。
(略)
法務省の勉強会は、始まる前から「死刑存置」の結論が見えている。
(引用ここまで)
◆アムネスティ
日本支部声明 : 死刑執行に抗議するより
(引用開始)
今回、千葉法相は、死刑の在り方について検討するための勉強会を立ち上げるとともに、東京拘置所の刑場についてマスメディアの取材の機会を設けるよう指示した、と発表した。しかし、死刑制度に関する情報公開や、存廃に関する公の議論は、死刑の執行を正式に停止してから行うべきである。一方で人を処刑しながら、他方で死刑についての議論を行うという行為は矛盾しており、執行を続けながらの検討は、死刑の正当化を後押しするものになるとの危惧を抱かざるを得ない。
(引用ここまで)
前回も書きましたが、今まで千葉氏は死刑についての議論を避けてきました。ところが死刑を執行してみせた後で「さあ、死刑について語り合いましょう」ときました。まるで死刑執行したことのない法相は死刑について語る資格が無いとでも思っているかのようです。
馬鹿馬鹿しい。汚職をした者でないと政治資金規正について語る資格がないとでも言うのでしょうか?
保坂さんやアムネスティの指摘通り、これではもう「はじめに死刑存置の結論ありき」です。
千葉氏は執行に踏み切った理由については「色々な要素があった」「これまでの検討の結果、執行に至った」と言っています。
亀井氏は「死刑をすべきではないという信念を持っていた(千葉景子)法相なので、考え方を変えるのなら、国民に説明しないと(いけない)」と言いました。
しかし千葉氏は「色々な要素」とは何だったのか、いったいどんな検討の結果執行すべきとの判断に至ったのかについて、決して詳細を語ることはないでしょう。何故なら、死刑否定から死刑肯定へ変節する説得力のある理由など存在しないから、語ろうとしたって語ることなど何もないのです。それは千葉氏自身が一番わかっていると思います。
・・いえ、千葉氏は「私は考え方を変えていない」と強弁していましたね。自分は個人的にはあくまでも死刑反対だから変節してない、というつもりなのでしょう。千葉氏は憐れにも、もう自分で自分を騙しているとしか言えない状態ではないでしょうか。
もう一度書きますが、執行へ初めて法相が立会ったことなど千葉氏にとっては免罪符でしかありません。これを評価する言説も見受けられますが、私は一切評価しません。
もし死刑に賛成という法相が立ち会ったというのならまだその姿勢に一貫するものはある、と言えるでしょう。
しかし千葉氏は死刑に反対していたのです。死刑執行に初めて立ち会いましたというくらいなら、断固として死刑執行などしないという信条を貫くべきでした。その信条を覆しておいていくら死刑執行に立ち会おうが、そんなものは欺瞞的な免罪符以上のものになりはしません。
与党になったとたん様々な圧力に負けて変節するのなら、民主党は与党になる資質など最初から無かったということです。
「与党になったら綺麗事だけではすまないことが色々とあるのよ」
みたいな「大人の事情」に耳を貸す気は、私にはありません。
世の中には決して政治的なバーターにかけてはいけないものがあるのです。
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