日本のイルカ猟を批判した映画「ザ・コーヴ」を「反日的だ」として「市民団体」が抗議活動する旨を上映予定の映画館に通告したため、映画館が上映を取りやめる、という事態がおきています。映画ヤスクニのときと同じ、表現の自由に対する脅迫行為です。
ザ・コーヴの上映中止について書かれた報道とブログをピックアップしておきます。
◆朝日社説(2010/06/14)
ザ・コーヴ中止―自由社会は見過ごせない◆情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)
「ザ・コーブ」は情報流通欠如のストーリー~上映禁止を求める人こそ「反日」だ ザ・コーブ上映妨害運動に対抗し、前売り券購入運動を実行しよう! ◆Gazing at Celestial Blue
「表現の自由」の独り占め?("The Cove"の件) ◆安禅不必須山水
『ザ・コーヴ』、上映予定館に励ましを!!(1) 『ザ・コーヴ』、上映予定館に励ましを!!(2)『ザ・コーヴ』、上映予定館に励ましを!!(3)『ザ・コーヴ』、上映予定館に励ましを!!(4)『ザ・コーヴ』、R・オバリー氏の講演 『ザ・コーヴ』、上映予定館に励ましを!!(5) portal page 例によって「反日的だから上映するな!」というめちゃめちゃワガママな駄々っ子の論理なのですが、どんな映画か知る機会がなくなっては「反日的」かどうかさえ私達は判断できませんから、映画に対する批判も何もできたものではありません。
まずは映画を見た上で、そういう見方もあるのかと、その見方には賛成できないならできないと、自由に見た後で判断すればいいことです。
どんな主張であれ、それを言う場、知る場を奪ってはいけない、ということ。情報をあらかじめ統制してはいけないということ。
これが民主主義社会では基本です。
上記の朝日社説より
問題は、この映画の内容が妥当かどうか、質が高いかどうかとはまったく別のことだ。たとえ評価が割れたり、多くの人が反発したりする作品や意見であっても、それを発表する自由は保障する。それが表現や言論の自由であり、自由な社会の土台である。
「客に万一のことがあっては」という映画館の不安はわかる。しかし、こういう形での上映中止を、自由な民主主義社会が見過ごしてはいけない。
(中略)
強い反発を覚えながら、自分と異なる価値観と向き合う。そして、自分はなぜこの作品に批判的なのかも考えてみる。それは自身の価値観を相対化したり、どんな偏見や誤解が異文化間の理解を阻んでいるのかを考えたりするきっかけになるだろう。
だからこそ、人々が多様な意見に接する機会を封じてはならないのだ。
上記の『ザ・コーヴ』、上映予定館に励ましを!!(4)より
映画『ザ・コーヴ』にはいくつもの論点があります。
1.イルカを愛護の対象とする見方を日本人に押し付けるな
2.日本にはイルカを食べる食文化がある、外国人は口を出すな
3.イルカと対話する人たちが何故漁師たちと対話ができないのか
4.太地の漁師が写すなといってるのに盗殺したのはけしからん
5.トサツ場を撮影して嫌悪感をかきたてるなんて、もっての他だ
6.犯罪者を出したシーシェパードと提携した映画だ
7.ドキュメンタリーといいながらエンターテイメントである
仮定の話ですが、仮にこれら全てを「そのとおり、もっともだ」という前提に立ったとしましょう。だとしたら、誰だってこんな映画を他人に勧めたくはありませんね。
「あんな映画金を出して見るのはバカバカしいよ」という。
それでいいのです。
しかし、それでも好奇心に掻き立てられて、お金を払って見に行く人がいたとします。それを無理やり阻止することは出来るでしょうか?
無理やり阻止はできない。
それが「表現の自由」だと私は思っています。
「上映するつもりなら何度でも来てやる」といって、映画館が音を上げるまで、映画館の入り口に押しかけてデモをする。はたまた、観客や従業員にカメラを向けてイヤガラセをする。これをやったら、表現の自由の明白な侵害です。
上映することが「違法行為」でない限り、上映は認め、あとは観客の良識と自由な判断に任せる、というのが、大人の態度です。
この「市民団体」は「反日だ!」と言えばまるで葵の御紋のように何でもフリーパスで弾圧できると勘違いしてますね。
だいたい「反日」って何なんでしょう?その定義はといえば、非常に主観的で曖昧です。要は日本に対する批判で自分の気にくわないものを「反日だ」と言ってるに過ぎません。
そして彼らによれば「反日的」な表現行為は妨害してもいいらしいのですが、これは「自分が気に入らないものには表現の自由なんかないんだ!」と言ってるも同然で、自分は良いけど他人の権利は認めないという大変に幼児的で迷惑千万なワガママでしかありません。
この「市民団体」が上映そのものをボイコットする正当性はひとつもありません。
ちなみに、表現行為に対する事前差し止めできる事例についての判例はこうです。
(北方ジャーナル事件 S61.06.11 大法廷・判決)
出版物の頒布等の事前差止めは、このような事前抑制に該当するものであつて・・・原則として許されないものといわなければならない。ただ、右のような場合においても、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときは、当該表現行為はその価値が被害者の名誉に劣後することが明らかであるうえ、有効適切な救済方法としての差止めの必要性も肯定されるから、かかる実体的要件を具備するときに限つて、例外的に事前差止めが許されるものというべきであり、このように解しても上来説示にかかる憲法の趣旨に反するものとはいえない。
残念ながら、「反日的である」というのは「その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞がある」名誉毀損行為とは言えませんので、事前にボイコットして良い理由にならないんです(笑)
表現の自由は最も大事な人権です。この行使を脅迫行為に易々と屈してあきらめてはいけません。
何の抵抗も無しに権利を諦めてしまう打たれ弱さは、民主化を勝ち取るため自らの血を流した歴史を持たないせいかな、とも感じます。
イェーリングの「権利のための闘争」に
『権利のために闘うことは自身のみならず国家・社会に対する義務であり、ひいては法の生成・発展に貢献するのだ。』
という非常に有名な一節があります。
まさにこれが当てはまりますね。
上映予定の映画館にはどうか勇気を持ってこの脅迫行為に抵抗して欲しいとお願いしたいです。
そして、私達もこの映画館だけをぽつねんと孤立させないよう、応援しようではないですか。励ましの手紙やファックスを送りましょう(安禅不必須山水 さんの『ザ・コーヴ』、上映予定館に励ましを!!(1)に宛先があります )
ヤメ蚊さんの前売り券購入運動もいいアイディアだと思います。
それからご近所の皆さん、もし「市民団体」の「抗議活動」によって騒音などの迷惑が行ったら、その苦情を言う相手は上映を取りやめなかった映画館ではなく、理不尽な脅迫行為をする団体の方です。
表現の自由を含む人権というものは、常に色んな形の侵害の危険にさらされますから、それを維持するのには力を合わせた不断の闘いが必要です。
今年2月、ドイツ東部ドレスデン極右ネオナチが計画していたデモ行進を市民グループらが「人間の鎖」を作り自力で阻止しました(
こちら)
私達も同じようにみんなで映画館を応援して、この表現の自由に対する脅迫をはねかえしましょう!
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