湯浅誠さんの著書「反貧困」に、貧困は見えにくいと言うことが述べられています。
(反貧困p.85より)
富める者と貧しい者が両極端に分化した不平等な私達の社会は、いとも不思議な眼鏡を生み出し、経済的に上位にある者の目には、貧しい人々の姿はほとんど映らない仕組みになっている。貧困層の方から富裕層を、たとえばテレビとか雑誌の表紙とかで見ることができるのに、富裕層が貧困層を見ることは滅多にない。たとえどこかの公共の場所で見かけたとしても、自分が何を見ているのか自覚することはほとんどない
これは何も富裕層と貧困層に限ったことでは無いと思います。
差別し踏みつける側の本土と、差別され踏みつけられる側の沖縄。
ここでも似たような事が言えるのではないでしょうか。
基地問題において「差別する側」の本土と「差別される側」の沖縄の意識の違い、決定的な温度差について、私はどうしても考えざるをえません。
富裕層に貧困層が見えないように、踏んでいる人間には踏まれている人間が見えていない。見えても無意識のうちに自分の興味の対象から外してしまって、見えないも同然となる・・
本土では今回のことがあるまでは、普天間問題についてほとんど意識にも上らなかった、中には知らなかった人も多いでしょう。しかし本土が60年間沖縄を踏み台にして基地のない平和を享受してきたという客観的事実は紛れもなく存在しますから、「踏まれる側」の沖縄は常に痛みを感じ続けなくてはなりません。被害者としての当事者意識をいやがおうでも持たざるを得ないのです。
ところが「踏む側」の本土は、往々にして自分が踏んでいるという自覚がありません。踏んでることについて悪意も、加害者としての当事者意識もないのです。
だから本土は基地問題を一地方の他人事だとして、薄情にも忘れ去ることができます。随分と片面的で不公平に出来ているものですね。
そんな本土の「悪意のない無関心」は、沖縄にとって胸に突き刺さるような刃となります。
http://alcyone.seesaa.net/article/153191667.html
菅総理は、鳩山内閣がアメリカ政府と合意した普天間基地の沖縄県辺野古地区への移設について、合意をふまえて進めていくことを明らかにしました。あなたは、この方針を支持しますか、支持しませんか?
(1) 支持する 55.2%
(2) 支持しない 27.9%
(3) わからない、答えない 16.9%
「愛の反対は憎悪ではなく無関心だ」と言う言葉は、ここでもストレートにあてはまりますね。
「踏みつける側」と「踏みつけられる側」の間には深い断絶があります。
民主党は、参院選マニフェストから「緊密で対等な日米関係」「在日米軍基地のあり方について見直しの方向で臨む」という表現をとうとう削除しました。http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2010/news1/20100615-OYT1T00125.htmこんな政権与党を何気に支持することは、「踏みつけられる側」から見れば「踏みつける側」=加害者(間接的であっても)という立場に立つことに他ならない。その気があろうとなかろうと。そのことを「こちら側」にいる者は自覚すべきではないか。
私にはそう思えます。
◆
なごなぐ雑記曳かれ者の小唄より
総理大臣をやめたひとが、役所の意思が固くて辺野古にアメリカの基地をつくることになったといったらしい。おそろしいことだ。(→毎日新聞 2010年6月12日 )
(中略)
外務大臣をしているひとが、沖縄のひとびとが『やむを得ない』とおもう状況をつくるといっている。(→共同通信2010/06/09)
こんなにもあからさまに、敵対され恫喝される沖縄のひとびとは、この国の主権者ではないんだろうか。沖縄は、はからずもこの国の在り方の根源をみつめざるえないポジションに立たされている。立たされ続けている。むごい在り方の。むごい在り方で。
(中略)
総理大臣をやめたひとが、役所の意思が固くて辺野古にアメリカの基地をつくることになったといったらしい。私たちは沖縄で生きる民であることをやめることはできないので、どれほど役所の意思が固かろうとも踏ん張るしかない。一国の総理大臣の職がお気楽なものだとは思わないが、やめられるだけお気楽だとは言ってのけたい。外務大臣は、沖縄の民の踏ん張りを切り崩してやると恫喝しあからさまに沖縄の民に敵対してみせてくれる。なんという国家政府であろうか。怒りは深いところで胎動している。
デモクラシーはどこにあるのか、デモクラシーとはなんなのか。デモクラットはどこにいるのか。ディキランヌーの私には答えなどなにひとつわからないが、問いだけは手放さない。
沖縄は独自の文化をはぐくんできた、我が国が誇るべき地域です。その沖縄が先の大戦で最大規模の地上戦を経験し、多くの犠牲を強いられることとなりました。今月23日、沖縄全戦没者追悼式が行われます。この式典に参加し、沖縄を襲った悲惨な過去に想いを致すとともに、長年の過重な負担に対する感謝の念を深めることから始めたいと思います。 (→菅首相所信表明演説 )
感謝などいらないから、踏んでる足をどけてくれないか。私は温厚なヘタレだからキレないが、ウヤファーフジにその「感謝」は、「あんちまでぃ ちゅー うしぇーんなぁ、ぬがらちならん」と叱られると思う。ましてや死んでも死に切れない地獄の戦火で逝った先輩たちには…
菅首相の「感謝」など、なんと上滑りで軽薄で偽善的で侮辱的でしょう。
感謝などいらないから、踏んでる足をどけてくれないか。「踏みつける側」が知ろうとしない「踏みつけられる側」の深い深い怒りが、ボディブローのように響いてきます。全文をリンク先でお読み下さい。
- 関連記事
-
スポンサーサイト