冤罪は裁判官が仕上げする
- 2009/10/31
- 21:00
少々遅れたエントリーになってしまいましたが、足利事件の再審公判が始まった日のニュースステーションが上告を棄却した元最高裁判事に単独インタビューを試みており、それが興味深かったのでここに記しておきます。(録画してたわけではないので言葉は正確に再現できませんが、だいたいの主旨は合ってます)
(コメントする立場にないって・・・ちゃんとコメントしてるし^^:)
裁判官は黙して語らず、と言います。自分が出した判決が全てであって、それについて付け足したり言い訳したりしない、と言うことなのですが、だったら、誤判の原因を捜査機関や、ましてや菅谷さんに責任転嫁するなど言語道断です。
そういうことは捜査機関に聞いてくれとはどういう事でしょう
捜査機関が出してきた証拠を吟味するのが裁判官の仕事なのに、自分が間違った判断を下したのは誤った証拠を提出した捜査機関の責任とでも言うのでしょうか?捜査機関が出してきたDNA鑑定がおかしいから見直してくれと言う弁護人の要求を蹴ったのは裁判官自身の判断ではなかったでしょうか?
ちなみに弁護側は間違いなく新たな鑑定を提出しており、再鑑定の請求だけだったという裁判官の話は事実に反します。もしかしたら調査官の判断で裁判官に見せなかったのかもしれませんが、人一人の一生がかかっているというのに、なんといい加減な対応でしょうか。
菅谷さんは、公判廷では傍聴席にいる刑事達が怖くて、本当のことが言えなかったと言います。
法廷での証言は証拠となるから心して証言するようにとの注意は公判廷で告げられますが、この元判事は、傍聴席の刑事に脅え自分がやりましたといわざるを得なかったのは自己責任、有罪にされても自業自得と言わんばかりです。
裁判官は自白にはこういう落とし穴があることは知ってなければならないはずです。それを見抜くのが裁判官の仕事でしょうに。
全ての裁判官が決してこうではありませんが、上に行けば行くほどこういう権威主義的な裁判官はふえるように感じます。裁判官のこういう権威主義的な体質が最終的に冤罪を生むのに拍車をかけているのではないでしょうか。
冤罪は取調室で作られますが、冤罪の最終的な責任者は裁判官ではないかと思うのです。
裁判官が公平な第三者としてチェックを入れるシステムは何重にもあります。しかしそれが機能した試しはほとんどありません。
逮捕状や捜索差し押さえ令状、勾留も捜査機関の請求のままフリーパスです。
皮肉にも、勾留質問で無実を訴えると、必ず捜査機関の勾留請求が通ります。無実の人間ほど長期間拘束され、長時間の取調に耐えなければならなくなるのです。容疑を否認している被疑者の勾留を裁判官が許可しなかったと言う例を私は聞いたことがありません。
捜査機関は何故あそこまで自白にこだわるのか。
それは裁判官が自白偏重することを知っているからです。裁判官が自白偏重の姿勢を改めない限り、捜査機関が血眼になって自白を獲得しようとするのも変わらないでしょう。
冤罪でやり直し裁判になった事件の原判決はどれも、「疑わしきは被告人の利益に」という鉄則からすると首をかしげたくなるものばかり。最初から無罪が出てもおかしくないような事件ばかりです。
裁判官が間違って有罪にしても致し方ないな、という事例に私はひとつとしてお目にかかっていません。この事件は客観的にみれば無罪なのに、裁判官が予断と偏見をもって有罪にねじ曲げてるとしか思えないケースが多いのです。
そして再審請求がされれば、裁判所は一度確定した判決を覆したがりません。「司法の威厳」に関わるという意識が働くようです。
それならば「司法の威厳」とやらを背負わない市井の裁判員が判断するのにもってこいではないかと思います。
冤罪の当事者となった人々は皆必ず口を揃えて言います。
「裁判官なら必ず真実をわかってくれると思っていた。でも実際は裁判官は検察の言い分を鵜呑み、まるでグルだ」と。
司法の役割は、人権、真実を担保してくれる最後の砦であるということです。
裁判官は司法に対する国民の信頼を、これ以上裏切ってはいけないと思います。
記者「足利事件についてどういう感想をもっておられますか?菅谷さんに謝罪の気持ちはありますか?」
元判事「コメントする立場にありません。特に感想はありません、いくつか書いた判決の一つと言うだけです。謝罪する気持ちはございません」
記者「でも実際に判決は間違ってたわけですよね?」
元判事「そういうことはね、捜査機関に聞いてください。だいたい、被告人は公判廷で罪を認めて自白してるんですよ。そういうことされちゃあね、公判廷で嘘をついたらいかんでしょ。
そもそも弁護側は再鑑定の請求しかしてこなかったの、その請求が必要かどうかの判断をしただけなの」
記者「いや、弁護側は新たな鑑定結果を最高裁に提出したはずですが・・」
元判事「いいや、そんなものは見ていない」
(コメントする立場にないって・・・ちゃんとコメントしてるし^^:)
裁判官は黙して語らず、と言います。自分が出した判決が全てであって、それについて付け足したり言い訳したりしない、と言うことなのですが、だったら、誤判の原因を捜査機関や、ましてや菅谷さんに責任転嫁するなど言語道断です。
そういうことは捜査機関に聞いてくれとはどういう事でしょう
捜査機関が出してきた証拠を吟味するのが裁判官の仕事なのに、自分が間違った判断を下したのは誤った証拠を提出した捜査機関の責任とでも言うのでしょうか?捜査機関が出してきたDNA鑑定がおかしいから見直してくれと言う弁護人の要求を蹴ったのは裁判官自身の判断ではなかったでしょうか?
ちなみに弁護側は間違いなく新たな鑑定を提出しており、再鑑定の請求だけだったという裁判官の話は事実に反します。もしかしたら調査官の判断で裁判官に見せなかったのかもしれませんが、人一人の一生がかかっているというのに、なんといい加減な対応でしょうか。
菅谷さんは、公判廷では傍聴席にいる刑事達が怖くて、本当のことが言えなかったと言います。
法廷での証言は証拠となるから心して証言するようにとの注意は公判廷で告げられますが、この元判事は、傍聴席の刑事に脅え自分がやりましたといわざるを得なかったのは自己責任、有罪にされても自業自得と言わんばかりです。
裁判官は自白にはこういう落とし穴があることは知ってなければならないはずです。それを見抜くのが裁判官の仕事でしょうに。
全ての裁判官が決してこうではありませんが、上に行けば行くほどこういう権威主義的な裁判官はふえるように感じます。裁判官のこういう権威主義的な体質が最終的に冤罪を生むのに拍車をかけているのではないでしょうか。
冤罪は取調室で作られますが、冤罪の最終的な責任者は裁判官ではないかと思うのです。
裁判官が公平な第三者としてチェックを入れるシステムは何重にもあります。しかしそれが機能した試しはほとんどありません。
逮捕状や捜索差し押さえ令状、勾留も捜査機関の請求のままフリーパスです。
皮肉にも、勾留質問で無実を訴えると、必ず捜査機関の勾留請求が通ります。無実の人間ほど長期間拘束され、長時間の取調に耐えなければならなくなるのです。容疑を否認している被疑者の勾留を裁判官が許可しなかったと言う例を私は聞いたことがありません。
捜査機関は何故あそこまで自白にこだわるのか。
それは裁判官が自白偏重することを知っているからです。裁判官が自白偏重の姿勢を改めない限り、捜査機関が血眼になって自白を獲得しようとするのも変わらないでしょう。
冤罪でやり直し裁判になった事件の原判決はどれも、「疑わしきは被告人の利益に」という鉄則からすると首をかしげたくなるものばかり。最初から無罪が出てもおかしくないような事件ばかりです。
裁判官が間違って有罪にしても致し方ないな、という事例に私はひとつとしてお目にかかっていません。この事件は客観的にみれば無罪なのに、裁判官が予断と偏見をもって有罪にねじ曲げてるとしか思えないケースが多いのです。
そして再審請求がされれば、裁判所は一度確定した判決を覆したがりません。「司法の威厳」に関わるという意識が働くようです。
それならば「司法の威厳」とやらを背負わない市井の裁判員が判断するのにもってこいではないかと思います。
冤罪の当事者となった人々は皆必ず口を揃えて言います。
「裁判官なら必ず真実をわかってくれると思っていた。でも実際は裁判官は検察の言い分を鵜呑み、まるでグルだ」と。
司法の役割は、人権、真実を担保してくれる最後の砦であるということです。
裁判官は司法に対する国民の信頼を、これ以上裏切ってはいけないと思います。
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