コメント
「自分だけは別だ」という思い上がり
秋原葉月さん、こんばんは。
今回のエントリ、思う処が幾つかありましたのでコメントいたしました。
>生来的に正しい民族とか生来的に極悪な民族というものは存在しません。
まさに秋原葉月さんの仰るとおりです。生まれながらの残虐民族などは存在しないと私も思います。
しかしながら、実際のところ、左翼の方々による日本軍の行為に対する批難というのは、どうだったでしょうか?
そこで私が思い出しますのが、山本七平著「一つの教訓・ユダヤの興亡」の次の一節です。
(~前略)
「残虐人間」とか「残虐民族」という言葉がある。
そして日本人=残虐民族説や、アメリカ人=残虐民族説が堂々と新聞に載ったこともあった。
面白いことにそれを書いているのもまた日本人なのだが、書いている本人は自分だけは別だと考えている。
さらに世界のどこかで残虐事件が起ると、それは自分たちには関係のない異常人間の行なったことだとして平然と糾弾する。
もっともこの傾向に警告する文章が新聞に載ったこともなかったわけでぱないが、それは例外的であった。
この世の中に「残虐人間」という特別な人間がいるわけではない。
戦場において残虐な行動をした人間が、故郷に帰れば最も温和な通常の人問であるのが普通の状態である。
(引用終わり)
左翼の方々による日本の過去の行為糾弾の「辞」をみると、どうしても上記引用の「自分だけは別だ」という”傲慢さ”を感じずにはいられないのです。
そこには、「人間は環境次第で残虐になり得るものなのだ」という、人がおのずから持つ”業(ごう)”への理解や認識を全く見出すことができません。
ネトウヨの弁護をするわけではありませんが、彼らが左翼の主張に反発するのは、そうした”傲慢さ”を肌で感じているからではないかと私は考えています。
確かに日本軍は残虐な行為を行なったことは事実です。
ただ、そうした過去の過ちに対する左翼の方々の批難というものは、その「残虐行為」を認めるか認めないかを「反省の踏み絵」として利用し、認めない者を「無反省」として糾弾するだけのものであるように思います。
本来、反省とは過去の過ちを繰り返さない為のものであるはずです。
であるならば、過去を振り返り、どうしてそのような行動を取ったのか、その時の自らの思想や行動規範を客観的に把握しなおし、再び同じ行動を取らないよう努めることこそ、「反省」と呼べる行為だと思うのです。
決して、「軍命を認める/認めない」とか「慰安婦の強制の有無」とかを基準として、反省が決まるわけではないのです。
過去の過ちを繰り返さないためにも、秋原葉月さんの仰るように社会心理学の知識を学ぶことは有益だと思いますが、それ以上に、自らの行動を”無意識”に決定付けている「思想・行動規範」を客観的に把握し直すことこそ重要ではないかと考えます。
そのためには、まず「反省の踏み絵」論争レベルから脱却する必要がありますが、そのことを左翼の方々やネトウヨの皆さんはわかっているのでしょうか?
歴史修正主義とかの批判やそれに対する反論を見るたび、疑わしく思います。
長文乱筆失礼いたしました。
今回のエントリ、思う処が幾つかありましたのでコメントいたしました。
>生来的に正しい民族とか生来的に極悪な民族というものは存在しません。
まさに秋原葉月さんの仰るとおりです。生まれながらの残虐民族などは存在しないと私も思います。
しかしながら、実際のところ、左翼の方々による日本軍の行為に対する批難というのは、どうだったでしょうか?
そこで私が思い出しますのが、山本七平著「一つの教訓・ユダヤの興亡」の次の一節です。
(~前略)
「残虐人間」とか「残虐民族」という言葉がある。
そして日本人=残虐民族説や、アメリカ人=残虐民族説が堂々と新聞に載ったこともあった。
面白いことにそれを書いているのもまた日本人なのだが、書いている本人は自分だけは別だと考えている。
さらに世界のどこかで残虐事件が起ると、それは自分たちには関係のない異常人間の行なったことだとして平然と糾弾する。
もっともこの傾向に警告する文章が新聞に載ったこともなかったわけでぱないが、それは例外的であった。
この世の中に「残虐人間」という特別な人間がいるわけではない。
戦場において残虐な行動をした人間が、故郷に帰れば最も温和な通常の人問であるのが普通の状態である。
(引用終わり)
左翼の方々による日本の過去の行為糾弾の「辞」をみると、どうしても上記引用の「自分だけは別だ」という”傲慢さ”を感じずにはいられないのです。
そこには、「人間は環境次第で残虐になり得るものなのだ」という、人がおのずから持つ”業(ごう)”への理解や認識を全く見出すことができません。
ネトウヨの弁護をするわけではありませんが、彼らが左翼の主張に反発するのは、そうした”傲慢さ”を肌で感じているからではないかと私は考えています。
確かに日本軍は残虐な行為を行なったことは事実です。
ただ、そうした過去の過ちに対する左翼の方々の批難というものは、その「残虐行為」を認めるか認めないかを「反省の踏み絵」として利用し、認めない者を「無反省」として糾弾するだけのものであるように思います。
本来、反省とは過去の過ちを繰り返さない為のものであるはずです。
であるならば、過去を振り返り、どうしてそのような行動を取ったのか、その時の自らの思想や行動規範を客観的に把握しなおし、再び同じ行動を取らないよう努めることこそ、「反省」と呼べる行為だと思うのです。
決して、「軍命を認める/認めない」とか「慰安婦の強制の有無」とかを基準として、反省が決まるわけではないのです。
過去の過ちを繰り返さないためにも、秋原葉月さんの仰るように社会心理学の知識を学ぶことは有益だと思いますが、それ以上に、自らの行動を”無意識”に決定付けている「思想・行動規範」を客観的に把握し直すことこそ重要ではないかと考えます。
そのためには、まず「反省の踏み絵」論争レベルから脱却する必要がありますが、そのことを左翼の方々やネトウヨの皆さんはわかっているのでしょうか?
歴史修正主義とかの批判やそれに対する反論を見るたび、疑わしく思います。
長文乱筆失礼いたしました。
>一知半解さん
歴修正主義批判への批判とは、社会心理学のススメという記事に対するコメントとしては主旨から離れた随分と強引で我田引水的なコメントとは思われませんか?
テンプレ「詭弁15条」についてという興味深い記事を書かれていらっしゃいましたね。
あなたのコメントはその6条:一見関係ありそうで関係ない話を始める
に該当するように感じます。
テンプレ「詭弁15条」についてという興味深い記事を書かれていらっしゃいましたね。
あなたのコメントはその6条:一見関係ありそうで関係ない話を始める
に該当するように感じます。
失礼しました。
>あなたのコメントはその6条:一見関係ありそうで関係ない話を始める
に該当するように感じます。
確かに、貴記事の本題から少し外れてしまったと思います。
単に詭弁を弄ぶつもりで投稿したわけではないのですが、そう受け取られたとしたら申し訳ない。
ただ、今回のコメントを投稿した動機には、貴方のネトウヨへの非難に触発された面がなきにしもありません。
現在、ネトウヨがはびこっているのも、元はといえば、左翼の「反省」が原因ではないか…とつねづね考えていたので、ついコメントしてしまった次第なのです。
に該当するように感じます。
確かに、貴記事の本題から少し外れてしまったと思います。
単に詭弁を弄ぶつもりで投稿したわけではないのですが、そう受け取られたとしたら申し訳ない。
ただ、今回のコメントを投稿した動機には、貴方のネトウヨへの非難に触発された面がなきにしもありません。
現在、ネトウヨがはびこっているのも、元はといえば、左翼の「反省」が原因ではないか…とつねづね考えていたので、ついコメントしてしまった次第なのです。
>左翼の方々による日本の過去の行為糾弾の「辞」をみると、どうしても上記引用の「自分だけは別だ」という”傲慢さ”を感じずにはいられないのです。
>ネトウヨの弁護をするわけではありませんが、彼らが左翼の主張に反発するのは、そうした”傲慢さ”を肌で感じているからではないかと私は考えています。
具体的事実を示さず一知半解さんが持ってらっしゃるなんとなくの抽象的イメージや、単なる推測を仰られてもお返事のしようがありません。むしろ「自分達は別だ」と思ってるのはネトウヨと呼ばれる人々ではないかと感じますよ。
「日本人がそんな残酷なことをするわけない」とか「日本軍は類いまれなる規律を保った軍隊だったから虐殺などするはずない」とかいう根拠レスな自画自賛はあちこちで見かけるネトウヨ定番コメントですから。
>確かに日本軍は残虐な行為を行なったことは事実です。
ただ、そうした過去の過ちに対する左翼の方々の批難というものは、その「残虐行為」を認めるか認めないかを「反省の踏み絵」として利用し、認めない者を「無反省」として糾弾するだけのものであるように思います。
まず事実を事実として認めることは反省の当然の前提でしょう?
万引きしたことを反省するとき、万引きしたという事実を認めているのは言わずもがなの前提で議論を待たないと思います。なので、一知半解さんの言い分はちょっと私には理解できません。
一知半解さんのコメントはえてして漠然としたご自分のイメージをもとに展開されるので理解しずらく、なんともお返事しかねる傾向がありますね。なんともお返事しかねるときはお返事しない方針でやってますので、その点ご了承下さい。
できれば次回から具体的事実の摘示をお願いします。
>ネトウヨの弁護をするわけではありませんが、彼らが左翼の主張に反発するのは、そうした”傲慢さ”を肌で感じているからではないかと私は考えています。
具体的事実を示さず一知半解さんが持ってらっしゃるなんとなくの抽象的イメージや、単なる推測を仰られてもお返事のしようがありません。むしろ「自分達は別だ」と思ってるのはネトウヨと呼ばれる人々ではないかと感じますよ。
「日本人がそんな残酷なことをするわけない」とか「日本軍は類いまれなる規律を保った軍隊だったから虐殺などするはずない」とかいう根拠レスな自画自賛はあちこちで見かけるネトウヨ定番コメントですから。
>確かに日本軍は残虐な行為を行なったことは事実です。
ただ、そうした過去の過ちに対する左翼の方々の批難というものは、その「残虐行為」を認めるか認めないかを「反省の踏み絵」として利用し、認めない者を「無反省」として糾弾するだけのものであるように思います。
まず事実を事実として認めることは反省の当然の前提でしょう?
万引きしたことを反省するとき、万引きしたという事実を認めているのは言わずもがなの前提で議論を待たないと思います。なので、一知半解さんの言い分はちょっと私には理解できません。
一知半解さんのコメントはえてして漠然としたご自分のイメージをもとに展開されるので理解しずらく、なんともお返事しかねる傾向がありますね。なんともお返事しかねるときはお返事しない方針でやってますので、その点ご了承下さい。
できれば次回から具体的事実の摘示をお願いします。
「編集の詐術」に基づく不毛な論争
秋原葉月さん、理解しづらいコメントに対しレスをありがとうございます。
もし、今回も理解しづらいようであれば、お返事いただかなくても結構です。
>むしろ「自分達は別だ」と思ってるのはネトウヨと呼ばれる人々ではないかと感じますよ。
>根拠レスな自画自賛はあちこちで見かけるネトウヨ定番コメントですから。
仰るように、確かにネトウヨ側にもその気が十分ありますね。
それは確かに否定できません。
左翼とベクトルが逆なだけでやっていることは同じなのです。
ただ、左翼の場合、貶している分反発が強いのではないでしょうか。だからネトウヨがはびこるわけで。
>まず事実を事実として認めることは反省の当然の前提でしょう?
勿論、仰るとおりです。
ただ、私が言いたいことは、左右とも「事実の認定」に囚われ過ぎ、反省そのものがおろそかになっているのではないか?ということです。
個々の事例を集めていけば、残虐日本軍にもなるし、恩威ある皇軍にもなりえるのです。
お互い、都合のいいサンプルを集めて相手を罵っているだけであるのが現実ではありませんか。
このことについては、山本七平が「編集の詐術」として解説しているのを、拙記事↓でも取り上げていますのでリンクを貼らせてください。
・アントニーの詐術【その6】~編集の詐術~
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-141.html
その中の一節をご紹介します。
(~前略)
バチェラーという一人間、そうスケールは大きくない一人間の生涯すら、「事実」だけで構成して、神様にもできればおそらく悪魔にもできる。
これが毛沢東ともなれば、「事実」だけで構成しても、神様にも悪魔にも仕立てあげることができて当然である。
これがさらに規模が大きく複雑な対象、たとえば日本軍ともなれば、「事実」の編集だけで「神兵」にもなれば、「獣兵」にもなろう。
当然である。
人間は神と獣の中間だそうだから、編集の仕方で「神兵」にも「獣兵」にもなるとすれば、それは日本の兵士は人間であったという証拠のようなものであろう。
(後略~)
要は、「獣兵だった」と左翼が決め付ければ、「神兵だった」と反論しているのがネトウヨなのです。
意味の無い論争だと思いませんか?
勿論、「事実の認定」そのものが無意味とは思いません。反省するための前提なのですから。
ただ、その作業をする際には、自らの思想信条に沿わない「事実」であっても、「事実である」と認める姿勢が必要とされるでしょう。
政治的立場で「事実の認定」を歪めることを、ロマン・ロランは”最大の不正”としましたが、右も左も、自分の主張を有利とするため、その不正を平然と行なっているのではないか…と思えて仕方がないのです。
もし、今回も理解しづらいようであれば、お返事いただかなくても結構です。
>むしろ「自分達は別だ」と思ってるのはネトウヨと呼ばれる人々ではないかと感じますよ。
>根拠レスな自画自賛はあちこちで見かけるネトウヨ定番コメントですから。
仰るように、確かにネトウヨ側にもその気が十分ありますね。
それは確かに否定できません。
左翼とベクトルが逆なだけでやっていることは同じなのです。
ただ、左翼の場合、貶している分反発が強いのではないでしょうか。だからネトウヨがはびこるわけで。
>まず事実を事実として認めることは反省の当然の前提でしょう?
勿論、仰るとおりです。
ただ、私が言いたいことは、左右とも「事実の認定」に囚われ過ぎ、反省そのものがおろそかになっているのではないか?ということです。
個々の事例を集めていけば、残虐日本軍にもなるし、恩威ある皇軍にもなりえるのです。
お互い、都合のいいサンプルを集めて相手を罵っているだけであるのが現実ではありませんか。
このことについては、山本七平が「編集の詐術」として解説しているのを、拙記事↓でも取り上げていますのでリンクを貼らせてください。
・アントニーの詐術【その6】~編集の詐術~
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-141.html
その中の一節をご紹介します。
(~前略)
バチェラーという一人間、そうスケールは大きくない一人間の生涯すら、「事実」だけで構成して、神様にもできればおそらく悪魔にもできる。
これが毛沢東ともなれば、「事実」だけで構成しても、神様にも悪魔にも仕立てあげることができて当然である。
これがさらに規模が大きく複雑な対象、たとえば日本軍ともなれば、「事実」の編集だけで「神兵」にもなれば、「獣兵」にもなろう。
当然である。
人間は神と獣の中間だそうだから、編集の仕方で「神兵」にも「獣兵」にもなるとすれば、それは日本の兵士は人間であったという証拠のようなものであろう。
(後略~)
要は、「獣兵だった」と左翼が決め付ければ、「神兵だった」と反論しているのがネトウヨなのです。
意味の無い論争だと思いませんか?
勿論、「事実の認定」そのものが無意味とは思いません。反省するための前提なのですから。
ただ、その作業をする際には、自らの思想信条に沿わない「事実」であっても、「事実である」と認める姿勢が必要とされるでしょう。
政治的立場で「事実の認定」を歪めることを、ロマン・ロランは”最大の不正”としましたが、右も左も、自分の主張を有利とするため、その不正を平然と行なっているのではないか…と思えて仕方がないのです。
ご紹介ありがとうございます
秋原葉月さん、こういう形で私の記事をご紹介いただいてありがとうございます。
>人間の心理の弱点は、持病と同じく末永く上手につきあうほかはないようです。
そうそう、その通りです。「人間はそういうものだ」とあきらめなくてもすむように。
>あらかじめ知識があれば、誤った行動をとらなよう対策が立てられますから。
学ぶことはとても大切であるということですね。なかなか学ぶことのできない人もいるようですけど。
>人間の心理の弱点は、持病と同じく末永く上手につきあうほかはないようです。
そうそう、その通りです。「人間はそういうものだ」とあきらめなくてもすむように。
>あらかじめ知識があれば、誤った行動をとらなよう対策が立てられますから。
学ぶことはとても大切であるということですね。なかなか学ぶことのできない人もいるようですけど。
こんばんは。
連日お邪魔をさせて頂きます。こちらのエントリーが一番適合しますので、こちらにコメントさせて頂きます。ここを訪れたのも、ひょんなきっかけで、外国人参政権についての認識を語りあっていた時に、友人に『お前おかしいよ、実際身近で嫌な目にあってるだろ?』やら『いや、人権に対する意識は正しいが言っていることがわからない』やらお酒が入っていたこともあって散々かつ矛盾した評価を頂いたことが始まりでした。今思うと偏りによりぶれていたのだと確信できます…が!サーチナから調べはじめたのが、間違いだったのかも知れません。(笑)醜い罵り合いや偏見ばかりで、過去の不運な経験も重なり、危うく『洗脳』されかけた次第です。紹介して頂いた原爆の謝罪に対する話しと、こちらに記述されている話や、アフガンの武装解除における憲法9条を維持することの重要性の話、および自衛隊に対する認識等を鑑みれば、国家間の摩擦や課題に対して個人と国家を同化し敵視・排撃しあうことの愚かさと危険性が認識できます。これからも良いエントリー期待しております。あと、ブンブン飛んでくるネトウヨさんはこちらのエントリー読んでいないのでしょうね…読んでいたら『誇りある日本人』にはとてもあんなコメント出来ないと思うのですが…。斜め上(ウヨ)あたりなんでしょうか?
連日お邪魔をさせて頂きます。こちらのエントリーが一番適合しますので、こちらにコメントさせて頂きます。ここを訪れたのも、ひょんなきっかけで、外国人参政権についての認識を語りあっていた時に、友人に『お前おかしいよ、実際身近で嫌な目にあってるだろ?』やら『いや、人権に対する意識は正しいが言っていることがわからない』やらお酒が入っていたこともあって散々かつ矛盾した評価を頂いたことが始まりでした。今思うと偏りによりぶれていたのだと確信できます…が!サーチナから調べはじめたのが、間違いだったのかも知れません。(笑)醜い罵り合いや偏見ばかりで、過去の不運な経験も重なり、危うく『洗脳』されかけた次第です。紹介して頂いた原爆の謝罪に対する話しと、こちらに記述されている話や、アフガンの武装解除における憲法9条を維持することの重要性の話、および自衛隊に対する認識等を鑑みれば、国家間の摩擦や課題に対して個人と国家を同化し敵視・排撃しあうことの愚かさと危険性が認識できます。これからも良いエントリー期待しております。あと、ブンブン飛んでくるネトウヨさんはこちらのエントリー読んでいないのでしょうね…読んでいたら『誇りある日本人』にはとてもあんなコメント出来ないと思うのですが…。斜め上(ウヨ)あたりなんでしょうか?
>osamuさん
褒めていただいてありがとうございます。とても嬉しいし、励みになります^^
ネトウヨさんは基本、相手の言ってることをとことん理解した上で自分の頭で考えて反論する、という作業が苦手なようです。ネット上にあるウヨサイトのコピペを貼って罵声をまくしたてるだけで自分は情報強者だと悦に入ることが多いです。
ここにくるネトウヨコメントも一目で「エントリー読んでないな」ってわかりますよ。もっとも過疎ブログなんであまりネトウヨも来ないんですけど^^;;
ネトウヨの生態分析についてここがなかなか面白いですよ^^
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-category-27.html
http://takashichan.seesaa.net/category/5667833-1.html
ネトウヨさんは基本、相手の言ってることをとことん理解した上で自分の頭で考えて反論する、という作業が苦手なようです。ネット上にあるウヨサイトのコピペを貼って罵声をまくしたてるだけで自分は情報強者だと悦に入ることが多いです。
ここにくるネトウヨコメントも一目で「エントリー読んでないな」ってわかりますよ。もっとも過疎ブログなんであまりネトウヨも来ないんですけど^^;;
ネトウヨの生態分析についてここがなかなか面白いですよ^^
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-category-27.html
http://takashichan.seesaa.net/category/5667833-1.html