【何故国民は圧倒的に9条を支持したか】
自国の軍が侵略することを禁じ、もっぱら自衛に徹することを義務づけている国もあります。
でも、日本国憲法はさらにその上を行き、専ら防衛=自衛権を行使するときでも、軍事力を使うことを禁じていることは(2)で述べました。
何故そんな9条を国民は圧倒的に支持し、安保や自衛隊創設に国民的な大反対運動が起きたのでしょうか?
それは二度と戦争はゴメンだと身にしみていたからです。
但し、二度と戦争はゴメンだから、「戦争がおきないように軍事的抑止力を持とう!」という人はいませんでした。二度と戦争はゴメンだから「安保も、軍隊のベビーである自衛隊もゴメンだ!」が国民の考えだったのです。
今と違い軍事的抑止力などというものを国民が信じていなかったのは、国民の自由を弾圧し「国体」を守るためなら平気で国民に銃を向け、沖縄を捨て石にしてきた軍隊、軍事力と言うものに対して、圧倒的な不信感があったからです。
国民は、軍隊は国民を守らない、軍隊は国民に銃を向けると言うことを嫌と言うほど思い知っていました。
どんなことも専守防衛だ、という理屈をつければ、どこまでも拡大してしまう危険を本能的に察知していたのだと思います。
戦前の亡霊がそのまま蘇ったような田母神という男が幕僚長だった自衛隊。
イラクでは、駆けつけ警護で確信犯的に憲法違反の戦闘行為の既成事実を作ろうと目論んでいた佐藤氏を指揮官に持つ自衛隊。
漁船にぶつかってもすぐに救助しようとはしなかった自衛隊。
戦前の特高警察のように、国民に対する監視活動を行う自衛隊。
こういう実態を見るにつけ、私も自衛隊に対する不信感がどんどんつのりますし、軍事力を持つことに対する懸念は妥当であったと日々証明されていると思います。
私達は軍事力を持つことに対してアレルギー反応を起こして良いのです。私達はそういう歴史を持つのですから。
軍隊に対するトラウマにもっと敏感であっていいし、その歴史的体験を教訓とすべきだと思います。
憲法が、自衛権の行使においても非軍事的なものにかぎるとまでして徹底的に戦力と呼べるものを排除しようとしたのは、国家が軍事力を持つことに対する国民の不信感に応えているからだと思います。
「もし侵略されたらどうするのか。指をくわえてみていろと言うのか」という問いに対する憲法9条の答えはこうでしょう。
「もし侵略されたら」という仮定がそもそも非現実的で成り立たないような国にしろ
侵略されないためにはそれが一番確実である。
そして完全な非武装非軍事が更にそれを確実にする方法なのだ
9条は安全保障について、従来の考え方からまさに
発想の転換を行っています。この発想の転換を実行した国がコスタリカなのです。
「憲法9条こそ抑止力」の記事でも書きましたが、
「もし侵略されたら」は、そのような仮定はつねに現実的に成り立つものだという前提に立っています。
しかしコスタリカの人々は口を揃えて言います。「もし侵略されたら、というのはありえない非現実的な仮定だ」と。
世界では従来「そのような仮定はそもそも非現実的でありえない仮定である」という状況を作れるとは夢にも思われてきませんでした。
台風や地震は来るときは来ますが、紛争は人間がおこすものであるから不可避ではない、おこらないようにする確率を努力次第で高めることが出来ると思います。天災が来るかものifと、紛争がおきるかものifは違います。
今現在、そして近い将来、幸いにも日本は侵略されるような具体的危険はありません。後はそれを維持する努力をすることが、軍事的抑止力を高めようとするより、紛争が起きる確率を下げてくれます。
そして非武装平和主義をつらぬいているほうがその確率はあがると私は思うのです。
ただ何度も言いますが、単に丸腰でありさえすればあとは勝手に弾丸がよけてくれる、と言う意味ではありません。
これは
平和実現のための積極的な行動と両輪でなければ意味がありません。そして、非暴力の平和外交を推し進めようとするとき、丸腰の方がその信頼度を高めてくれるのは確かです。
(2)でイラクを例にあげましたが、もうひとつわかることがあります。
それは、もしイラクが進んだ民主主義体制を持つ非武装の平和主義国家だったら、アメリカは逆立ちしてもイラクに侵攻できる口実は得られなかっただろう、ということです。
『一国だけで平和でいることはできない。隣国の紛争は必ず飛び火してくる。
だから、
平和を輸出するのだ。もめ事があれば、第三者として話し合いを仲介に乗り出す(そのためには非武装中立でなくてはできない)そして徹底的な話し合いで紛争を解決する。話し合いは民主主義の基礎である。
だから
民主主義を輸出するのだ。』
これがコスタリカの基本的な考え方です。
自ら手に武器を持たない者だけが、他人にもそれを求めることが出来る資格があります。民主主義という平和を輸出したいのなら、完全な非軍備でないと説得力ないと思います。
だから非武装であれ、と9条は言っているのです。
今の日本はことごとくこれに逆行していますね
民主主義を貫く立場から、対話を重視し非武装中立の第三者として対話によって隣国のもめ事を解決しよう、などという態度からはほど遠いです。
隣国からの飛び火を自衛隊の「必要最低限度の自衛力」あるいは海兵隊という軍事的抑止力(苦笑)に頼もうとしています。これは非武装中立の第三者として対話を進めようという態度を捨てて、紛争の一方当事者になる危険がある行為でもあります。
私はやはり段階的に自衛隊は縮小し、最終的には海上保安庁のような国境警備、災害救助隊という存在にして欲しいと思います。
そして名実ともに9条を実践し、民主主義と平和を輸出する国であって欲しいと考えています。それが今ある安全保障のなかで最良の方法です。
そしてこれは百年くらいの長いスパンで見ていくべきだと思います
いままでだって人類は長い何百年という長い時間をかけて、侵略と略奪に明け暮れた時代から、世界人権宣言を採択し、国際連合をつくるところまで進歩したではないですか。
すぐには実現できないでしょうが、努力次第で将来実現可能であると、私は確信しています。
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