やはり裁判員制度は厳罰化を加速させる制度となりそうです
- 2009/09/09
- 10:00
裁判員裁判の一件目の判決は刑が重すぎると言われていました。
二件目もしかり。
そして先日の性犯罪の事件は検察の筋がきどおりの認定、求刑通りの量刑となりました。
被告人がどんな極悪であっても弁護を受ける権利や黙秘権等の諸権利は憲法上の大切な人権です。でもそういう意識がほとんど浸透していない社会の一市民がいきなり裁く席に座らされたら、厳罰に傾くのは目に見えていました。
国民参加という名の「厳罰化のショー」が公然と始まったのだと、重い気分になります。
先日、とうとう裁判員制度は違憲だという裁判が起こされたようです。
最高裁裁判官の竹崎さんは裁判員制度を積極的に推進した一人ですから、違憲判決はまず望めないかもしれません。
今の裁判員制度は徹頭徹尾圧倒的に検察側に有利に、被告人に不利に出来ています。
どこかで「弁護側は戦車に竹槍で向かうようなもの」という表現を見ましたが、その通りです。
とりあえず、以下の点はすぐにでも見直すべきだと思います。他にもあるでしょうが思いつくだけあげてみます。
①取調の可視化
②検察官に証拠開示を義務づける
③公判前整理手続の見直し
(この三点については裁判員制度のあるなしにかかわらず必要なものですが、裁判員制度を行うなら特に必要不可欠です)
④裁判員が関与するのは、有罪か無罪を決める手続きにとどめ、量刑(死刑、無期懲役、懲役何年などの判断)は従来どおり、裁判官が行うべきだ
被告人にとってみれば、事件ごとに量刑にばらつきがあると不公平感が残りますし、裁判員にとってみれば、死刑事件に当たってしまって実際に「死刑」の判断に関与することは負担が大きすぎます。
一般の人は量刑の相場が分かりません。上の訴訟にあるように、例えば被告人の責任能力が争点になったときそれがどのように量刑に影響をおよぼすか、そういう専門分野は容易に判断しがたいです。結局は、裁判所がどの辺りが妥当かを教えた上で刑を決めているようですから、それならば、最初から裁判官だけで決めれば良いのです。
⑤重大事件全てを裁判員裁判の対象事件にすべきではない。せめて裁判員裁判にするかどうかの選択権を被告人に与えるべき
有罪無罪や刑罰内容は被告人の権利が最大限保障される手続きの中で、きちんとした証拠によって決められなければなりません。
ところが、想定件数年間6000件以上といわれるほど対象を広げてしまったので選ばれる裁判員の数が増え、参加に消極的な裁判員も多くいます。
裁判所は、参加に消極的な多くの裁判員にいかに参加してもらうか、そればかりに気を取られています。具体的には連日公判を行ったり主張を出せる時期を制限したり採用する証拠を制限したりして審理期間・時間を短くするなどです。
これらは、被告人側の権利を制限するばかり、真実発見にほど遠い粗雑な裁判になります。
こういう裁判は、検察側に有利になるこそすれ、被告人の防御に資することは100%ありえません。
裁判の主役は被告人なのですから、せめて被告人が裁判員制度で行って貰いたいと希望した時にのみ実施するように変えたらいいと思います。そうすれば対象事件数が減少しますから、裁判員とし真摯に関与したい人を裁判員に選ぶことができ、ある程度裁判が長期化することに対する抵抗も少なくなるでしょう。
⑥性犯罪については原則として裁判員裁判の対象から外す
今のところこれが一番いいかと思われます。
⑦一審の結論を必要以上重視しない
『最高裁司法研修所は11日、裁判員が加わった一審判決について、職業裁判官だけで審理する控訴審では「できる限り尊重すべきだ」などとする研究報告をまとめた。国民の視点や常識が反映された一審の結論を覆す「破棄」は、一審判決が明らかに不合理な場合などに限るべきだとした』
という方針を出しました。
これでは被告人にとって三審制の利益が奪われてることになります。被告人の「公正な裁判を受ける権利」の甚だしい侵害だし、いたずらに大衆に媚びるポピュリズムの極みです。
国民審査では「裁判官の出した判決を具体的に知らせると裁判官への圧力となり、裁判がポピュリズムに屈することになる」という訳のわからない理由で判断材料となる情報を開示しないくせに、こういう所ではしっかりポピュリズムに流れているではありませんか。
「一生懸命やれた」
「良い経験になった」
裁判員経験者のこうした肯定的な感想が記者会見で聞かれるにつれ、反対が多かった裁判員制度も肯定に回る国民が増えてくるかもしれません。日本人は、最初は反対していても、やがておとなしく権力に取り込まれていく傾向があるように思います。
まだ制度が目新しいうちはこうして報道もされますが、いずれニュースバリューのないものになると思います。その頃には厳罰が当たり前の世の中になってしまいそうです。
二件目もしかり。
そして先日の性犯罪の事件は検察の筋がきどおりの認定、求刑通りの量刑となりました。
被告人がどんな極悪であっても弁護を受ける権利や黙秘権等の諸権利は憲法上の大切な人権です。でもそういう意識がほとんど浸透していない社会の一市民がいきなり裁く席に座らされたら、厳罰に傾くのは目に見えていました。
国民参加という名の「厳罰化のショー」が公然と始まったのだと、重い気分になります。
先日、とうとう裁判員制度は違憲だという裁判が起こされたようです。
最高裁裁判官の竹崎さんは裁判員制度を積極的に推進した一人ですから、違憲判決はまず望めないかもしれません。
<裁判員制度>「違憲」、被告弁護人が裁判官審理申し立て
9月1日13時4分配信 毎日新聞
強盗致傷罪で8月5日に東京地裁に起訴された被告の弁護人を務める川村理弁護士は1日、裁判員制度は憲法違反として、裁判員裁判で審理しないよう地裁に申し立てたことを明らかにした。申し立ては8月18日付。5月に始まった裁判員制度を巡り、違憲を主張する裁判手続きが明らかになったのは初めて。
起訴されたのは無職、林登志雄被告(43)。起訴状によると、5月15日、東京都港区で乗車していたタクシーの運転手の顔をナイフで刺すなどして重傷を負わせ、タクシーを奪い料金5万円余の支払いを免れたとされる。
申立書によると、制度が予定する連日開廷は被告・弁護側に十分な公判準備をさせず、適正手続きを保障した憲法31条に違反すると指摘。被告の責任能力が争点になるとして、「国民には容易に判断しがたい分野」と主張し、裁判官3人だけによる審理を求めた。
裁判員法には、裁判員の生命、身体や財産に危害が及ぶ恐れがある場合以外、裁判員裁判から除外する規定はない。
今の裁判員制度は徹頭徹尾圧倒的に検察側に有利に、被告人に不利に出来ています。
どこかで「弁護側は戦車に竹槍で向かうようなもの」という表現を見ましたが、その通りです。
とりあえず、以下の点はすぐにでも見直すべきだと思います。他にもあるでしょうが思いつくだけあげてみます。
①取調の可視化
②検察官に証拠開示を義務づける
③公判前整理手続の見直し
(この三点については裁判員制度のあるなしにかかわらず必要なものですが、裁判員制度を行うなら特に必要不可欠です)
④裁判員が関与するのは、有罪か無罪を決める手続きにとどめ、量刑(死刑、無期懲役、懲役何年などの判断)は従来どおり、裁判官が行うべきだ
被告人にとってみれば、事件ごとに量刑にばらつきがあると不公平感が残りますし、裁判員にとってみれば、死刑事件に当たってしまって実際に「死刑」の判断に関与することは負担が大きすぎます。
一般の人は量刑の相場が分かりません。上の訴訟にあるように、例えば被告人の責任能力が争点になったときそれがどのように量刑に影響をおよぼすか、そういう専門分野は容易に判断しがたいです。結局は、裁判所がどの辺りが妥当かを教えた上で刑を決めているようですから、それならば、最初から裁判官だけで決めれば良いのです。
⑤重大事件全てを裁判員裁判の対象事件にすべきではない。せめて裁判員裁判にするかどうかの選択権を被告人に与えるべき
有罪無罪や刑罰内容は被告人の権利が最大限保障される手続きの中で、きちんとした証拠によって決められなければなりません。
ところが、想定件数年間6000件以上といわれるほど対象を広げてしまったので選ばれる裁判員の数が増え、参加に消極的な裁判員も多くいます。
裁判所は、参加に消極的な多くの裁判員にいかに参加してもらうか、そればかりに気を取られています。具体的には連日公判を行ったり主張を出せる時期を制限したり採用する証拠を制限したりして審理期間・時間を短くするなどです。
これらは、被告人側の権利を制限するばかり、真実発見にほど遠い粗雑な裁判になります。
こういう裁判は、検察側に有利になるこそすれ、被告人の防御に資することは100%ありえません。
裁判の主役は被告人なのですから、せめて被告人が裁判員制度で行って貰いたいと希望した時にのみ実施するように変えたらいいと思います。そうすれば対象事件数が減少しますから、裁判員とし真摯に関与したい人を裁判員に選ぶことができ、ある程度裁判が長期化することに対する抵抗も少なくなるでしょう。
⑥性犯罪については原則として裁判員裁判の対象から外す
今のところこれが一番いいかと思われます。
⑦一審の結論を必要以上重視しない
『最高裁司法研修所は11日、裁判員が加わった一審判決について、職業裁判官だけで審理する控訴審では「できる限り尊重すべきだ」などとする研究報告をまとめた。国民の視点や常識が反映された一審の結論を覆す「破棄」は、一審判決が明らかに不合理な場合などに限るべきだとした』
という方針を出しました。
これでは被告人にとって三審制の利益が奪われてることになります。被告人の「公正な裁判を受ける権利」の甚だしい侵害だし、いたずらに大衆に媚びるポピュリズムの極みです。
国民審査では「裁判官の出した判決を具体的に知らせると裁判官への圧力となり、裁判がポピュリズムに屈することになる」という訳のわからない理由で判断材料となる情報を開示しないくせに、こういう所ではしっかりポピュリズムに流れているではありませんか。
「一生懸命やれた」
「良い経験になった」
裁判員経験者のこうした肯定的な感想が記者会見で聞かれるにつれ、反対が多かった裁判員制度も肯定に回る国民が増えてくるかもしれません。日本人は、最初は反対していても、やがておとなしく権力に取り込まれていく傾向があるように思います。
まだ制度が目新しいうちはこうして報道もされますが、いずれニュースバリューのないものになると思います。その頃には厳罰が当たり前の世の中になってしまいそうです。
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裁判員制度に疑問を持ち続けながら、「裁判員制度、大丈夫とは言えない気がします...」というシリーズの記事を不定期的に続けていますが...
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- 村野瀬玲奈の秘書課広報室